「『メガトンキック』!」
ロウたちの行動は、トレーナーとポケモンの信頼の現れとも言えるものだろう。
そんな彼らの前に差し込まれたのは、鋭く、的確で、無粋な蹴りだった。
いつの間にかルクシオの前へと躍り出ていたのはミミロップだ。
ユキノオーの『ウッドハンマー』を正面から受け止め、ロウたちへ攻撃が届くことを防いでいる。
そしてロウは、このミミロップに見覚えがあった。また、技の指示を出すあの声にも聞き覚えがあるはずだった。
しかし彼は、知っているはずの声に、どこか違和感を覚える。
その違和感のもとを探すように周りを見れば、自分たちの方へと駆けてくるツユリが目に映った。
彼女の瞳が一瞬揺れ、次いで口が開く。
「蹴飛ばせ!」
ミミロップはその声のする方を一目見た後、ユキノオーの腕を受け止める足に力を込める。突き出した腕を弾かれて体勢を崩したユキノオーを、ミミロップは指示通り茂みの奥へと蹴り飛ばした。
「左前!『まもる』!」
ミミロップがクロスさせた腕を左前方へと向けたのと、そこへユキノオーの腕を振り下ろされたのは、ほとんど同時だった。
ロウは一瞬、何が起きたのか理解できなかった。ユキノオーは、今ミミロップが蹴り飛ばしたではないか。起き上がって再び襲い掛かってくるには早すぎる。
だが混乱したのは一瞬で、彼の優れた感性は、すぐさま答えを導き出す。もっとも、ミミロップへ攻撃しているユキノオーと、茂みの中で倒れ呻いているユキノオーとを同時に見れば、ロウでなくともすぐに理解できていたのだろうが。
「何でまだいるんだよ!」
単に、ユキノオーが二体いたというだけであった。
これが、例えばキッサキ近辺のような、もっと険しい土地であればおかしくもないが、ヨスガシティ近辺で野生のユキノオーが二体も出現するのは、明らかに異常な事態だ。
ツユリたちは、動揺していない。現地の人間ではないためか、踏んだ場数が多いのか、あるいはその両方か。
とにかく彼女らは、あくまで冷静ユキノオーに対処していた。
ミミロップはぶつけられる攻撃を受け止め、力を逃がし、逸らしきる。目の前の攻防を見て、ロウははっと気がついた。その動きは、背後のルクシオとロウを守る動きだった。
いつの間にか、守られるだけの立場になってしまっていた。
まだ子供であろうと、親に止められ、未だ地元のジムバッジ一つしか持っていなかろうと、彼はポケモントレーナーとしてのプライドを持っていた。
守られてばかりではいられない。
「『でんじは』!」
それは、現在ミミロップの正面にいるユキノオーに向けられたものではない。
ルクシオの繰り出した『でんじは』は、茂みの中で起き上がろうとしていたユキノオーに向けて放たれたものだった。そしてそれは目標に当たり、倒れていたユキノオーはさらに動きが制限される。
ミミロップと戦っているところへ向けて、確実にユキノオーだけに『でんじは』を当てられる技術と自信はない。だが、その上で、彼らにできる最大限のサポートはある。そして、それを理解し、実行することができた。
「ありがとね!」
気が付けば、ツユリはロウのすぐ隣まで来ていた。
そして、勢いのままに投げられたボールから繰り出されたのは、彼女の手持ちであるブースターだ。
彼はツユリの前に立つと、大きく息を吸い込む。それを察知したミミロップは、指示がなくとも後ろに飛び退いた。
「『ほのおのうず』」
ブースターの口から吹き出された炎が、うねりながら形を変え、大きな渦となる。
ロウにとっては、何度か目にしたことのあるわざだ。彼が見たことのある彼女らの『ほのおのうず』は、しなやかで、わざとらしく、うつくしかった。
では、今まさにユキノオーを捉えんとしているこれは、なんなのだろう。
大きく、荒々しく、見る者が怯えるような恐ろしさに満ちた『ほのおのうず』は、ユキノオーを自身の内に封じ込め、その身を焼くために更に燃え上がる。
「もういいよ」
その言葉を合図に、先ほどまで圧倒的な存在感を放っていた『ほのおのうず』は、まるで初めから存在していなかったかのように、さっと散って消えた。
茂みで倒れていたユキノオーが『まひ』した体を動かして、再びそこに現れる。
その隣のユキノオーは、最大の弱点である炎による攻撃を受け、満足に戦うこともできないだろう。
「どうする?」
ツユリはミミロップとブースターの後ろに立ち、大きく腕を広げ、威圧するように声を張る。彼女の両目がユキノオーたちから離されることはない。
二体のユキノオーは少しの間目を合わせると、ゆっくりと後ずさりしながら茂みの中へと入り、そのまま姿を消した。
ロウはその間、ルクシオといつでも『ほえる』ことのできるよう準備をしていたが、ユキノオーたちの姿が見えなくなると、ルクシオをボールに戻して力を抜いた。
「ふぅー…テンガンざんから降りてきたのかな?夫婦っぽかったけど」
ツユリが息を吐く。それから茂みの方をじっと眺めた後、ブースターをボールへ戻した。
「あ、大丈夫ですか、ロウ君?怪我はしていませんか?」
次いで、ロウを心配してその方へ向き直れば、彼はぼーっとこちらを見つめていた。
強力な野生のポケモンに襲われるというのは、このぐらいの少年にはそれなりに大きなショックだろう。
しかし、あのユキノオーたち以外にも、強力な野生のポケモンが再び襲ってくる可能性は十分に考えられる。
また、町に帰れば、すぐにこのあたりのポケモンレンジャーに知らせなければならないだろうし、事情を話すことにもなりうる。
そのとき、怯えたままのロウに説明をさせるのはかわいそうだと思ったし、聴取もスムーズに進まないだろう。
大丈夫ですか、と肩を叩こうとしたところで、ロウが声を漏らす。
「すげぇ…」
見たことのない技だった。あのような、敵を傷つけ、打ち倒し、退けることのみが目的のような攻撃を、彼女たちは持っていたのか。
聞いたことのない声だった。あのとき指示を伝えたのは、透き通るような、響くような声ではなかった。味方を鼓舞し、敵を圧倒するようなものだった。
知らない目だった。敵を捉え、味方の動きを把握し、この場の全てを見据えるような冷たい瞳だった。
今、この数分にも満たない時間に見たツユリたちの全てが、ロウの知らない姿だった。
「すげぇじゃん」
「あの、ロウ君?大丈夫ですか?」
俯きながらブツブツと何かをつぶやくロウに、ツユリは声をかけ続ける。
突然、ばっと彼の顔が上がったので、ツユリは思わず飛び退いた。
「何で、いつもあれをやらないんだ」
「え?」
「その方が、すごいのに」
未だ何か言っているロウに、ショックで半ば放心状態なのだろうかと考えながらツユリは返す。
「あれ?あれって?」
「さっきの戦い方」
「あー」
言われて、ツユリは思い至った。
流石の彼女とて、襲い来る野生のポケモン二体を相手取るというときに、綺麗であろうと努めようとはしなかった。ましてや、守る者がいた戦いである。
「いやでもあれは…」
そこまで言って彼女はロウと向き合い、ようやくその顔をはっきりと見て、言葉が途絶えた。
ロウは、呆けたような顔をしていた。野生のポケモンに襲われたショックからではないだろう。どうしてそう言えるのか、自分も昔同じような状態になったからだ。
素晴らしいものを見たと、感動かどうかもわからぬ感情を胸に抱き、それに目を焼かれた、そんな表情をしていた。
「そっか」
自分は、何をしたかったのか。綺麗なものを見せつけたかったのか。違うだろう。
一人でも多く、こういう顔にしてやりたい。より多くの者の目に、自分たちの姿を焼き付けたいんだ。
「んっふ、くっ、ははははは!」
いきなり笑いだしたツユリに、地に足付かぬ感覚だったロウがビクリと体を震わせる。ついでに周囲の警戒をしていたミミロップも何事かと一度振り向いた。
「お、おい、大丈夫か」
空の下で大笑いするツユリと、現実に引き戻されたロウ。今度は、ロウがツユリを心配する番となった。
「なあこれ大丈夫か?」
ロウがミミロップに尋ねると、彼女は再びこちらへ振り向く。そして笑い続けるツユリを見て鼻で笑うと、また周囲の警戒に戻った。
ツユリと付き合いの長そうなミミロップが鼻で笑う程度の事態だということは、あまり心配しても仕方がなさそうだ。
少しして、ようやく笑いを収めたツユリが涙をぬぐいながら言う。
「ねえロウ君!また来週、待ってますから!」
「お、おう」
何故こうまで興奮しているのか分からないロウの困惑をよそに、ツユリは続ける。
「そのときは、ぶっ飛ばしてあげます!」
今日一番の満面の笑みで、腕を大きく広げながら、彼女はそう宣言した。
ロウは困惑しながらも、だんだんとその宣戦布告の意味を理解する。
つまり、彼女たちは今度戦うときは、さっきのあれを、自分たちに向けてくれるらしい。
ロウは、来週自分に起きることを想像し、胸を躍らせ、ツユリと同じように満面の笑みを作った。
「約束だからな!あと勝つのは俺だから!」
「無理です!私が勝ちます!」
「大人げねえな!」
大声で話し、笑いながら二人は帰路に就く。
それに引き寄せられて来る野生のポケモンたちに目を光らせながら、ミミロップは心の中でため息をついた。
少しはこちらの身にもなってくれ。
ホウエン地方、ルネシティに建つ事務所の一室に、ホウエンリーグチャンピオンであるミクリはいた。
今日の仕事を全てこなし、時計の短針は9の数字にかかろうとしている。今は事務所の人間と明日の予定を確認に差し掛かりかけたところだった。
そこに、端末が通話の着信を知らせる音を鳴らす。
表示された発信元を見てミクリは一瞬目を見開いた。話し相手に断ってから部屋を抜け、通話に出る。仕事の話を中断するのも申し訳なかったが、ここで出なければ、次話せるのはいつになるか分からない。
「こんばんは。久しぶりだね」
「ミクリさあん!」
想定していた以上の声量に、彼は思わず端末を耳から離した。
相手は基本的に落ち着いた態度をとる人間のはずだが、察するに何か理由があるのだろう。
通話音量を下げ、『ツユリ』と表示されたその端末を再び近づける。
「…お酒でも飲んでいるのかい?」
「飲んでましたあ!」
既に出来上がった後らしい。
彼女の事情をおおよそ把握している人間として、何か悩みでも相談されるのかと思ったが、酔っ払いが勢いで通話をかけてきただけなのかもしれない。
酷い状態で始まった久しぶりの会話に呆れるミクリへ、端末の向こうから声がかかる。
「ミクリさあん!私ねえ!やること決めましたよ!」
「へえ?」
どうやら、悩みは勝手に吹っ切れていたらしい。彼女の酔いは、その祝いの酒のせいなのかもしれない。
何をするのか、とミクリが聞く前に、彼女が続けた。
「ミクリさんは、私にどうしてほしいですかあ?ぶっ飛ばされたいですかあ!?」
続いたのは、わけの分からない質問だった。
明らかに平穏な会話では出てこない言葉があることはもちろん、「やることを決めた」と言った矢先に「どうしてほしいか」と聞いてくることも少々不可解だ。
色々と問い質したくはあるが、今の酔っ払った彼女に聞いたところで、話がややこしくなるだけだろう。
湧き上がる疑問や不満を抑えて、素直に質問に答えることにした。
「そうだね、私は、もう一度でいいから、舞台に立つ君を見てみたいな」
それは、彼の偽りない本心でありながら、ほんの少しの願望を含んでもいた。
疲れ果て、己の意志でコンテストを去った人間に期待する言葉としては、少し強いものだったかもしれないが、それでもミクリはそう答えた。
「ほうほう!何でえ?」
だが、返って来た反応は、意外にも明るいものだった。
ただその答えに関心し、疑問を持っているだけの声と言葉だ。
諦めていたおもちゃを不意に親からプレゼントされた子供のように、ミクリは息を弾ませる。
「君は用意された舞台に立ちながらも、審査員と観客を区別しない。そんな君が会場に作りだす世界を、また感じてみたい」
「はえー」
真剣なミクリの言葉とは真逆に、端末から聞こえるのは間抜けな返事だった。時折カチカチとペンの芯を出す音が聞こえたので、今の言葉をメモしているのかもしれない。
「じゃあ今度コンテスト出ますか!」
期待していたとはいえ、あまりに簡単に出てきたその宣言に、ミクリは意味を理解しきるまで少し時間がかかった。
想像と現実のあまりのギャップに、思わずふふっと笑いを漏らす。
「何か笑うとこありました?」
「いや、なに、君の名前はこっちにはもうないから、ノーマルランクからの参加になるんだと思ってね」
「あそーじゃん!マスターランク出らんない!」
「そうだ、そのときは私も一緒に出場しようか」
「何それ、他の二人超かわいそう!あははは!」
適当な冗談に笑い合いながら、ミクリは心の底から安心した。
彼女は、関係者のほとんどがもう二度と戻ってこないと思っていた舞台へ、冗談交じりで登れるようになったらしい。
「何か、いい出会いでもあったのかい?」
「あ!そう!その話ですよ!私今トバリシティにいるんですけどね!?」
シンオウか、ホウエンから意外と遠くないな。あのときはイッシュにでも飛んでいきそうな勢いだったのに。
「ロウ君っていう、スクール通ってる子と毎週この曜日に戦ってたんですけど」
「子ども相手に何をやっているんだ」
仮にも八つ持ちのトレーナーが、スクールに通うほどの少年を相手に戦うなど、ほとんど蹂躙に等しい。
だからと言って下手な手加減をしても、子どもは案外敏い。手加減されていることを察し、不満に思うだけだ。そしてミクリは、彼女が子どもに悟られない程度の、適度な手加減ができるとも思えなかった。
「いーんですよロウ君強いし、私もまあまあ負けてますから。いや来週ぶっ飛ばすんですけどね」
もはや何も言うまい。ミクリも最後の物騒な発言に思うところはあるが、口を出していたら本当に話が進まない。
彼女から勝利を得られる少年トレーナーに興味もあるから、話はまとめて後日すればよい。
「んでねえ!?ちょっ、聞いてくださいよ!こっからが本番なんですけどお!」
「聞いてる聞いてる」
ヒートアップする声に通話音量を下げながら、ミクリは適当に相槌を打つ。
これは偶然だが、この対応は彼女にミミロップが行うそれに似ていた。ゆえに、彼女は胸の内を自然に、躊躇いなくさらけ出す。
「それでえ!ロウ君がねえ!?実物のミクリさんの脚が長いって!長いって言ってるのにねえ!?ぜんっぜん聞いてくれないの!」
「…それと君のすることに何の関係が」
思わず疑問を呈すミクリの声を、彼女の声がぶった切った。
「だからねえ!今度ロウ君をルネまで連れてこうと思うんだけどお!会ってくれますよねえ!?」
「やめてあげなさい」
何の関係もない、ただの愚痴だったようだ。それも、とびっきりどうでもいい話である。
何となく顔も知らない少年トレーナーの事情を察したミクリは、そのあとも食い下がる酔っ払いに釘を刺しておく。
「じゃあ、もう切るよ」
ミクリは人を待たせている。彼も早く帰りたいだろうし、ここまで下らない雑談で待たせ続けるのは申し訳が立たない。
結局、彼女が見つけたやりたいことが何なのかは、はっきりとは分からなかった。
だが、この状態の彼女と話し続けてそれを引き出すには時間がかかりすぎる。
「はい!じゃあまた空いてる日教えてくださいねえ!見に来てねえ!」
「ああ、楽しみにしているよ」
そう最後に告げて、通話の終了をタップしようと手を動かしたところに、声が飛び込んできた。
液晶に伸びかけた指が止まる。
「ミクリさんが見たいんですからねえ!ミクリさんが来ないと意味ないんですよお!」
それを聞いて、ミクリはようやく、彼女のことを理解できた。
通話を切る。これ以上は本当に、酔っ払いの相手をするだけになってしまう。
彼女はきっとこれから、誰かが「こうしてほしい」と言った通りの、あるいはそれ以上のものを見せ続けるつもりなのだろう。
そうして、多くの人間を己の世界に取り込むつもりなのだ。それがツユリの見つけた、彼女の言い方に従えば一人でも多くの「目を焼く」方法だった。
「私だけじゃないんだよ」
ミクリが見たいと思ったものを求めている人間は、彼女が思っている以上に多くいる。
彼は端末をポケットにしまい、部屋に向かう。
明日の予定の確認だけでは足りないかもしれない。