自動ドアが開いて、白いコートを羽織った女が姿を見せる。正面のカウンターからは、揺れるコートの隙間から、腰元にモンスターボールを六つ、確認できた。
異国風の顔立ちをしている。白を基調とした衣服には汚れの一つも見当たらず、髪は少しも乱れていない。
そして、女は自然な足取りで、迷うことなく受付へと向かって来た。キョロキョロと周囲を観察するわけでもない。他地方からの観光客、というわけではなさそうだ。
︎ 途中一瞬、少し右へ瞳が動いた。その視線の先には誰もおらず、この街の至る所で見られるポスターが、ここにも同様に貼られているだけだ。だが彼女は、視線を正面に戻しながら、小さく笑っていた。
受付の立つ男はその様子に、何かしらの執念を察した。床を叩くヒールの音が、少しずつ大きくなって、止まる。湧き上がる身震いを抑え、女の目と向き合う。
とりあえず、服装から、アカデミーの生徒やここの関係者でもないことはわかった。であれば、この女性の目的にもおおよそ見当がつく。
「ハッコウジムへようこそ」
受付の挨拶に軽く会釈して、女性が話す。
「ジム戦の申し込みに来たのですが」
「かしこまりました。トレーナーカードとバッジケースの提示をお願いします」
定型文のように繰り返されたセリフに従い、女は黙って、カードとケースを取り出した。
「ありがとうございます」
受け取ったカードをスキャンし、ポケモンリーグの情報と照合する。
次に、ほとんど新品同様のバッジケースを開け、表示されたデータとケースの中身が矛盾しないことを確認して、二つを女に返した。
「ツユリさんですね。ハッコウジムのジム戦は数日待っていただくことになっていますが、よろしいですか?」
「はい、お願いします」
トレーナーカードを財布にしまいながら、女は小さく頷く。
だが、その短い返事の中で、彼女は再び笑みを作っていた。
ツユリのジム戦は五日後となった。彼女が聞いた話によれば、ジムリーダーのナンジャモが多忙な上、ジム戦はアカデミーの生徒の予約の方が優先されるもののようで、トレーナーが個人で受けるとずいぶん先になることが多いらしいが、思いのほか早くチャレンジできそうだ。
彼女がジムを出たところで、狙いすましたかのように端末が通話の着信を知らせる。往来の邪魔にならないよう道の端に寄って、画面を確認し、彼女は苦い顔をした。
放置を続けると余計な面倒が起きる相手だ。一応、送られてくるメッセージに返信こそしなかったものの、一応既読だけ付けておいて、無事をアピールしたつもりだったが。
その半端な対応が逆に神経を逆撫でしたのか、今日に入って不在着信の履歴が増え始めている。たぶん怒られるだろう。
一度深呼吸をしてから、応答のアイコンをタップした。
「はーい、ヒグチさん?」
「あなた今どこにいるんですか!」
覚悟していたとはいえ、いきなり飛んできた怒号に肩が跳ねる。
「いやあ、ちょっとパルデアに用ができまして……」
「パルデア?どうしてそんな場所に。いや、それよりも、何故連絡も無しにいなくなったんですか。電話には出ないし、メッセージも既読無視。何があったのかの説明くらいして下さいよ」
「あーほら、昔から旅の前後は連絡を絶っているんですよ。それにお金の事とかジムの事とか、考えることも多くて」
「ジム?パルデアのジムを巡っていたのですか?」
「あやっば」
言うつもりはなかったが、つい口を滑らせてしまった。空腹で頭が回っていないのかもしれない。
「ホウエンのバッジが揃っていれば十分でしょう?どうして今さら他地方なんですか」
「まあ、ほら、別に巡ってたわけじゃなくてですね?一つだけ行ったらすぐ帰りますし。それに、目当てはバッジじゃないんですよ。ジム戦がしたくて」
「は、はあ……?」
捲し立てられた要領を得ない説明に、ヒグチが困惑する。
聞かれたくないことを誤魔化すときの、ツユリの常套手段だった。誤魔化すように分かりにくい言葉を並べる。あとは、情報を相手が整理仕切る前に、逃げ切るだけだ。
「じゃあそういうことなんで!1週間以内には帰りますから!」
「あっちょっと」
それだけ告げると、彼女は耳元から端末を離し、通話を終了した。
アイコンに指が触れる直前、端末から少し荒々しい声が聞こえたが、気にしてはいけない。
ついでにメッセージの通知も非表示に設定して、端末をポケットに押し込む。
「ヒグチさんも困った人ですねえ」
道の端から離れ、人の流れに移りながら独り言を漏らす。
親に宿題の催促をされた子どものような表情を浮かべながら、小走りに宿への道を辿る。
その途中、大きな電光掲示板が目に入った。いくつかの広告が入れ替わりで表示されているが、どれもツユリの関心を惹くものではない。しかし、ある広告が表示された目に入った瞬間、足が止まる。新型モンスターボールの宣伝だった。
「いいね、やっぱりいい」
そのコマーシャルに出演するハッコウジムリーダー、ナンジャモの姿を、動きを、ツユリはじっくりと目で捉える。
呟きながら、腰につけたモンスターボールの一つを、ドアをノックするように指でコンコンと弾く。
それに応えて現れたポケモン、ミミロップは、少しうんざりとした様子で、電光掲示板と隣のツユリを見やった。
「あれだよ、あれ。今回のお目当て。最高だね」
しかし当のツユリは、呼び出したミミロップに目を向けることなく、一心に掲示板を見つめていた。まだそんなにも夢中なのか、とミミロップは肩を落とす。
ここへ来るまで、彼女含めたツユリの手持ち全員は、そのコマーシャルを繰り返し何度も見せられていたのだ。当然隣には、目を輝かせてこちらに何かしらの反応を求める、我らがツユリもいる。
もちろん彼らも『これの何が良いのかさっぱり』というわけではない。仮にも、トップコーディネーターの一人であったツユリと共にいたポケモンたちである。大なり小なり、それがツユリの興味を惹くに足りるものであることは理解できた。
だが、ここまで夢中になれるものとは思えない。唯一、彼女がそこに至るまでの過程を見ていたブーピッグだけは多少察せられているが、彼もそのテンションに少し置いて行かれている。
「やっぱりカメラっていうのは、ああやって見ながら映るもんなんだね。ナンジャモさんがメインだけど、ちゃんとマルマインもそこにいて」
何度聞いたか分からない、言葉足らずで抽象的な感想。言っていることは要領を得ないが、ミミロップはとりあえず頷いておいた。それが、今この場から解放される手っ取り早い方法であると、彼女は知っている。
だが、ミミロップの予想に反し、その三十秒ほどのコマーシャルは一回きりで終わる。スクリーンはすでに、デリバードポーチのコマーシャルが流れている。ツユリの端末画面では、同じ映像が何度もループで再生されていたのだが。
ともかく、例の映像が終わったのならば、もう用はないはずだ。いつまたあの映像が流れて、再び同じ目に遭うかもしれない。ミミロップは早く戻せとボールを小突こうとするが、しかし、ツユリがスクリーンから背を向け、道を歩き出したことで、伸ばした腕を引っ込めた。
ツユリの斜め前あたりに出て、そのまま付き添って歩く。ヨスガともミナモともまた違う、慣れない明るさに目を細めながら、ミミロップはちらりと彼女の顔を覗いた。
ツユリは一見、引き締まったような表情をしているが、目が浮ついている。おそらく虚空を見ながら、先程のコマーシャルを思い返しているのだろう。そのツユリに、人混みを歩いてホテルへ戻れるとは、ミミロップには到底考えられない。
そしてミミロップは、スクリーンの位置にも気を配らねばならなかった。また例の広告がツユリの目に入ってしまえば、今度こそ一時間くらい、この寒空の中拘束されるやもしれぬ。
ツユリとスクリーンの間に位置を調節しながら、彼女は映像の中で袖を振るナンジャモを睨んだ。彼女にとって、そこらの強力な野生のポケモンなどより、よっぽど、ツユリに近づかせてはならない存在となっていた。
不意にツユリが顔をずらしてスクリーンを覗こうとしたので、咄嗟に軽く頬を叩いて強引に視線を逸らした。
窓の外では、沈みかけの夕日に代わって、街頭と看板に明かりが点き始めている。ハッコウジムの控え目なBGMだけであった静かな空間に、裏口のドアの開く音はよく響いた。続く声でかき消されたが。
「やーやー!調子のほどは如何かなハッコウジム!ナンジャモが只今帰ったぞー!」
大声ではないが、ナンジャモの声はよく通る。ハッコウシティの喧騒の中であっても十分であろうそれに、清掃中の学生アルバイトが一瞬肩をビクつかせる。
他のスタッフは慣れた様子で、ゆったりと会釈を返す。
「っておやー?ジムトレちゃん達はもう帰っちゃったのかな?もしかしてボク、入りのテンション間違えた感じー?」
ナンジャモがキョロキョロと空間を見渡すが、受付や清掃といったスタッフ数人がいるだけで、ジムトレーナーの姿は見えない。
彼女の一番近くにいた受付の男が、顔だけ振り向いて「ジムトレーナーの方々は講習に行かれましたよ」と答えた。
「ああ~ボウルジムと合同のやつだっけ?そーいやそんな話も聞いたような……聞かなかったような……」
「そこまで気にしなくていいと思いますよ。コルサさんの芸術活動に熱が入り始めてボウルジムに空きができて、急遽決まったような会ですから。何か伝言でもあれば承りますが」
「いーや大丈夫かな!時間ができたからちょーっと顔出しに来たってだけだしね~」
あっけらかんと話すナンジャモは、そのまま「裏のスタッフに挨拶兼ファンサでもしに行こっかな~」と、入って来たドアへと踵を返そうとした。
「でしたら、少し」
それを、男が引き止める。
「おっなになに~?引き止めるなんて珍しいねえ、何か耳寄りな情報でも持ってるのかな~?」
「ああいえ、大した話では。ちょっとした雑談のようなものですよ、耳寄りかどうかも……」
言いながら、男がカウンターの端末を操作する。
画面には名簿のようなリストがずらりと並んでおり、そのうちの一つがクリックされた。
「今日ジム戦のエントリーをされた人に一人、他地方のトレーナーがいたんですよ」
男が画面の前から少し横にずれ、ナンジャモが顔を乗り出して覗き込む。コイル型の髪飾りが男の目前に迫り、彼は過剰に上体を仰け反らせた。
「へー!ホウエンのバッジコンプしちゃってるじゃん!他地方からのファンは初めてじゃないけど、バッジコンプ勢はさすがにレアだね~!」
彼女はそのまま袖の布越しにマウスを掴み、器用にデータを読み進めていく。
「パルデアのバッジはゼロなのね~パルデア上陸自体最近っぽい?それで気になるジム戦の日は……5日後ね」
そこまで読んで、ナンジャモは画面から顔を上げた。
そして、端末から三歩ほど離れていた男に振り返る。
「良き情報!褒めてつかわすよ~!」
「そうですか?他地方のトレーナーというだけで、私としてはほんの話題程度のつもりだったのですが……」
「んまあ確かに?こういうナゾの人物!って、実物映しちゃうと案外バズらないこと多いしね~」
ナンジャモが首を傾げてポーズを取る。未知の存在というのは、こちらがあれこれと妄想を膨らませ、勝手にミステリアスなイメージを押し付けている時間が楽しみのピークであることも少なくない。今自分たちが感じているほどの期待や反応は、おそらく空回りに終わるだろう。
「でもでも!なんにもないより楽しみじゃん?初心者の学生さんじゃないから変な気負い方しなくていいし?」
体を男の方へ向けながら、彼の横をゆるやかに通り過ぎた。その目は、ここに入って来た時に比べれば、幾らか輝きを増している。
「ボクはいつも通りみんなの目ン玉、いただいちゃえばいいだけだからね!」
小さく笑って、彼女はドアの向こうへ消えていった。