アンタがいなきゃダメなんだよ、バカ   作:八咫ノ烏

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今回で最終話です。

一万文字とクソ長いですが、どうかお付き合いください。


第三話

 ゆっくりと目を覚ます。真っ先に目に入ったのは寮の天井で、いつ帰ってきたのかわからないけど自室で寝ていたらしい。クリークさんが洗面台で何かやっているらしく、洗面所の電気が煌々とついていてアタシの顔を照らしている。時計を見ると、夜の二時過ぎで、いつも早めに寝るクリークさんにしては珍しい。彼女がいつ寝ようがアタシには関係のない話だけど。

 

「……は? なんで服脱がされてんの?」

 

 ふと自分の体を見ると、なぜか上半身のパジャマが脱がされていて、濡れたタオルがちょこんと置かれていて少し冷たい。下着は脱がされていないし同室にいるのが同性とはいえ、いくらなんでも恥ずかしい。混乱しつつ急いで体を掛け布団で隠して、脱がされたパジャマを探す。

 クリークさんはアタシが起きたことに気がついたのか、洗面所から顔を出して

 

「あ! タイシンちゃん、起きたんですね! 体の具合は大丈夫ですか?」

 

 と聞いてきた。アタシは自分の体をチラリと見てどこにも異常がないのを確認すると、

 

「体の具合は大丈夫。……じゃなくて、アタシのパジャマどこやったの」

 

 脱がしたの絶対クリークさんでしょ、と返してクリークさんをじっと見つめる。この部屋にいるのはアタシとクリークさんだけで、アタシが覚えていないだけで半裸で寝るなんてことをしていないのなら、まず間違いなく服を脱がしたのはクリークさんだ。理由はどうであれ、あまり許せるものではない。優しいクリークさんのことだからやましいことじゃないと思うけれど。

 クリークさんは氷水を張った風呂桶を持ちながら近づいてきて、そこにタオルを浸しながら説明し出す。

 

「タイシンちゃん、すごいうなされてたんですよ? 汗もすごいかいてたからタオルで拭いてたんです。それにトレーナー、トレーナーって言って泣いてたから心配したんですよ?」

「そうだったんだ。……ありがと」

 

 小さく礼を言うと再び込み上げてきた涙を手で拭って、アタシの体を拭こうとするクリークさんに身を委ねる。いつここに帰ってきたのかはわからないけど、クリークさんもアタシのトレーナーが死んだことを知っているんだろう。気遣いを無視するのは申し訳ない。

 

「それにしてもどうしてうなされてたんですか? もしかして嫌な夢でも見ちゃいましたか?」

「……は?」

 

 クリークさんの質問に思わずそう返す。夢の話なんて覚えているわけがない。もし見ていたと言うのなら、内容はトレーナーがアタシの元から去っていくというものだろう。二度もアタシの元から去っていかれたらうなされるに決まってる。

 アタシは少し考えて覚えてないと返すと、ふと気になったことがあったから聞いてみる。

 

「アタシさ、いつ帰ってきてた?」

 

 病院で泣いていたのを最後にアタシの記憶は途切れていて、どのように帰ってきたのか全く覚えていない。お通夜とか色々したんだろうけど、その辺のことをやった記憶が一切ないのは少し違和感がある。まさか帰ってきてから今の今までずっと寝ていたなんてことはないだろう。

 クリークさんはそれを聞いて、え? と少し驚いたような声をあげると顎に指を当てて

 

「私が戻ってきた時にはもうベッドで横になってゲームをしてましたけど……。それがどうかしたんですか?」

 

 と言った。アタシはそれに一瞬納得した。普段、トレーニング上がりはシャワーを浴びてあとは布団でグダグダしてるからだ。でも今日は絶対に違う。ゲームをしてたら何かしら覚えてるはずだし、そもそもそんなことをするほど心に余裕はない。でも、クリークさんは嘘を言って相手をからかうような人じゃない。

 混乱し始める頭の中で考える。もしクリークさんの言うことが本当なのだとしたら、アタシは一体なんてことをしているんだ。でも、そんなことをできるほど……ダメだ。思考が完全にループしてる。

 

「クリークさんいつくらいに帰ってきた?」

 

 試しに聞いてみる。これで何かわかるとも思えないけど、知らないよりはマシだろう。クリークさんはそれに

 

「うーん、トレーナーさんと星を見てから帰りましたから〜……。確か七時はすぎていたと思いますけど」

 

 と若干の惚気を挟んで答えた。本当に仲が良いなアンタらは、と心の中で返す。しかし七時か。確かトレーナーが倒れた日もそのくらいに帰っていたような覚えがある。そんなに星が好きなのかな。

 

「……もしかして」

 

 ふと、ある考えが頭に浮かび、それが疑問点と疑問点を繋ぎ合わせていく。もし、アタシの記憶がないのがそれが原因なら頷けるし、クリークさんが嘘を言っていないのもわかる。矛盾も起きていない。そうなると……。悲しみの雨が降り注いでいた心に、暖かな希望の日差しが見えた気がした。

 

「クリークさん。アタシのスマホどこにあるか知ってる?」

 

 もしアタシの考えが正しければ、あの時落としてそのままのはずスマホは、ベッドのそばにあるサイドテーブルの上に()()()()()はずだ。

 クリークさんはそこに置いてありますよ? と言って指した先にあったのは、サイドテーブルの上だった。そこには二機のスマホが置いてあって、確かにアタシのスマホがそこにあった。

 

「やっぱり……。ということは」

 

 その考えが正しいと言うことを確信したアタシは布団から出てクローゼットに向かい、そこに掛けられている制服を引っ張り出す。

 

「どこか行くんですか?」

 

 アタシが外に行こうとしてるのを察したクリークさん。ぎゅーっとタオルを絞りながら聞いてくる。アタシはパパッと制服の袖に手を通して答えた。

 

「あのバカのとこに行ってくる」

 

 と。

 

 

 

 

 

 

 普段は門限をすぎてから寮の外に出ようとすると、寮長のフジキセキさんがすっ飛んできて止められるけど、流石に時間が時間なだけあって寝ているらしい。案外何事もなく抜け出せた。もしバレたらこってり怒られるだろうから、そのときは素直にそれを受け入れるしかない。

 

「はっ……はっ……はははっ!」

 

 足が羽のように、とにかく驚くほど軽い。あの時の重さが嘘のようだ。自分の思う通りに動いてくれる足に、そして夜風を切りながら進めることに思わず口角が上がり、喜びから笑い声が出てしまう。なんの足枷もなく自由に走れることが、こんなにも嬉しいことだなんて感じたのは初めてかもしれない。

 

 よくよく考えれば、あの病院に辿り着くのに全力で走って十五分以上かかるなんて、相当おかしな話なのだ。あそこはトレセン所属のウマ娘やその関係者もよく利用しているところで、学園から大体五キロあるかないかほどの距離しかない。

 アタシが知ってる中で一番長いレースである障害競走G1、距離4100の中山大障害*1ですら五分弱で走破できるウマ娘が、障害の無いバ道を全力疾走してそんなに時間がかかるわけがない。

 

 重賞勝ちのない娘とか短距離〜マイルが適正距離の娘ならそれくらいかかるかもしれないけど、アタシは一応ホープフルと皐月賞とG1を二つ勝ってるし、菊花賞では惨敗したとはいえあれは調子が狂っていたからであって長距離だって十分適正の範囲だ。そこまで時間がかかるとは思えない。

 

 あれは到底現実的と言えるものじゃない。それに、もしあれが現実だとしたらクリークさんの話とアタシの推測の間に矛盾が生じる。しかし、それを解決する考えがある。おそらくそれが正しいだろう。

 

「あれは……! あれは夢なんだ!!」

 

 走りながら口にする。妄言でも、現実逃避でもない。ちゃんとした確信がある。おそらく、いやほぼ確実に夢のはずだ。

 もしトレーナーが死んだというあの記憶が夢なのだとしたら、クリークさんの言うこととアタシの推測に矛盾は生じない。確かに、クリークさんが帰ってきた時間帯にはアタシはベッドの上でソシャゲの周回をしていたし、寝る前にスマホをサイドテーブルに放ったから、そこにあるのもわかる。夢ならばスマホは落ちているはずがないからだ。

 

 それを夢と証明できる手立てはないけれど、アタシはそう信じる。信じるしかない。アイツがいなくなったら、アタシはもう走れなくなるかもしれないから。悲しみから立ち直れる気がしないから。あれこれ厳しいこと言ってるけど、結局のところ、アタシはアイツに依存しているのかもしれない。

 

「……そうだ、スマホで日付を確認すればいいのか!」

 

 忘れていた。もし夢だと言うのなら日付は一日しか進んでいないはずだ。スマホは故障していない限りは常に正確な日時を表示するから、これで一日しか進んでいないのなら、あれは確実に夢だったことが証明できる。

 赤信号で止まり、ステップを踏みつつ、急いでスマホを取り出して確認する。

 

「っ!!」

 

 日付が一日しか進んでいないことを確認し、アタシは小さくガッツポーズする。

 確定した。あれが夢だということが。アタシは顔を綻ばせながらスマホをポケットにしまい、信号が青に変わった瞬間に飛び出した。

 アイツの家まであと500。アタシはバ道を強く踏み込むと、おそらくは皐月賞の時以上のスピードで夜の街中を疾走した。

 

 

 

 

 勢いよく階段を駆け上がり、ダン!! ダン!! と大きな音が響く。このマンションに住んでる人たちに迷惑かもしれないけど、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。

 早く、早くアイツが無事であることを確認したい。例えあれが夢だったとしても、現実で倒れていない保証はない。こっちでも同じように倒れている可能性だってあるし、なんならその可能性の方が高いとさえ思える。

 もしかしたら予知夢かもしれない。もしそうだとしたら、今頃アイツはぶっ倒れていることだろう。そうなっていないことを祈るしかない。

 

 そんなことを考えつつ、息を切らしながらなんとかアイツの部屋のある階まで上り切った。結構高いところに住んでるのか、と階数が表示されている電光掲示板を眺めてから歩き出す。確か部屋の番号は……。

 

「……ここか」

 

 念の為に表札を見て間違えていないことを確認してから、覗き穴を覗いた。部屋の灯りが玄関まで届いているということは、まだ寝ていないかぶっ倒れて消すに消せないんだろう。耳をそばだててると、何かをカタカタと叩く音が響いている。ということは倒れていないわけだ。

 ふう、と安堵から一息吐いてインターホンを押した。少し間が空いてインターホンから声がする。

 

「誰ですか?」

 

 その声にちゃんと出てくれたことに安心すると共に、カメラに写っているであろうアタシの姿を見ていないのかと少し呆れる。これでインターホンを押したのが知らない奴だったらどうするつもりなんだ。

 はぁ、とため息をついてそれに

 

「アタシだこのバカ。……早く開けろ。さもなくば蹴破るよ」

 

 と返して扉を少し小突く。扉の向こうでわー!! 待った待った!! と叫びながら玄関に向かってくるトレーナー。思ったより元気そうで何よりだ。とはいえそれで完全に安心できるわけではないけれど。

 ガチャリ、と扉が開いて中からトレーナーが出てきた。心なしか目のクマが昼間よりも深くなっているような気がする。

 

「なんで君がこんな時間に……。いや、とりあえず中に入ってくれ」

 

 誰かに見られたくない、と言ってアタシの手を取って部屋の中に招き入れるトレーナー。

 はっきり言って、その部屋は目も当てられないような状態だった。サプリか何かの容器が床に転がり、机の上にはエナジードリンクの缶が積み上がっていて、一体どういう生活をしていたのかという疑問も沸くし、これで無理をしていないだの疲れていないだのとよくもまぁそんなことを言えたものだ。明らかに異常、としか言いようがない。それほどまでに酷い状態だ。

 

「で、なんでこんな時間に俺の家に来たんだ? 寮から出ちゃいけない時間のはずだろ」

 

 トレーナーの疑問。確かにごもっともな質問だ。それに、寮から抜け出してきたからコイツの指摘もその通りで、帰ったらフジキセキ寮長にこってりと叱られるのもわかってる。でも、そんなことよりももっと大事なものがあるから、だからアタシはここに来たんだ。

 心の中でそれを確かめて、ゆっくりと説明する。

 

 嫌な夢を見たこと、その夢の中でトレーナーが倒れたこと、それが現実になる気がして、そしてあの夢が夢だと信じるためにここまで来たこと。寮長に許可は取っていないからほぼ確実に怒られるであろうこと。それでもトレーナーが本当に倒れているんじゃないかと思うと、居ても立っても居られなくてここに来たこと。

 トレーナーがその夢の中で死んだことは言わなかった。口にしたら本当のことになる気がしたから。

 

 それを聞いたトレーナーはそうか、と頷きながらエナドリを呷るようにグイッと飲むと、

 

「つまり君は俺を心配してくれた、と。そういうわけか」

 

 ありがとうな、と言ってアタシの頭を撫でようと手を伸ばした。アタシはそれを受け入れ、優しく撫でるそれの感触を味わいながら

 

「……ま、そういうことになるんじゃないの」

 

 と返す。あの夢の感触とは違う、心がポカポカするような、そんな感覚がする。少なくとも、もうすぐ死んでしまうという状態じゃなくて、その分の悲しみがないからだろう。

 トレーナーはアタシがそれを拒絶しなかったのに少し驚いたのか、信じられないとでも言いたげな目線でアタシを見ている。

 

「何その目線」

 

 アタシがそう問いかけると、トレーナーはえ? と言って首を傾げて少し考えて、アタシの言った内容を理解したのか頭から手を離すと

 

「ああー、いや違う。違うんだタイシン。俺の話を聞いてくれ」

 

 と焦りながら弁明し出す。絶対勘違いしてるでしょこれ。少しため息を吐いて

 

「やましい目線とは一言も言ってないでしょ。……それはともかく、一体何なのこの部屋の状態」

 

 ありえないでしょ、と言って散乱しているサプリの空き缶や机に積み上がるエナドリを指さして問いかける。一体何をしたらこうなるのか小一時間問い詰めても説明しきれないだろう。日に日にやつれている理由が大体察せた気がした。

 トレーナーは散らかっててすまんな、と言って空き缶を拾い始めるけれど、体を起こそうとした時に倒れそうになってかなり心配になる。

 

「ねぇ。確かアタシ休めって言ったよね」

 

 ふと思い出してそう言った。確か、トレーニングの最中にもう帰るから休めと言って無理矢理切り上げたんだ。それを聞いたトレーナーは空き缶を拾う手を止めて少し天井を眺め、

 

「……そういえばそんなこと言ってたな」

 

 と言った。そういえば、ということはコイツはそれを今に至るまで完全に忘れていたということであり、休んでいないと言っているようなものだ。

 

「休んでないでしょ」

「一時間は寝たぞ」

 

 アタシの指摘にサラッとそう返してきた。本格的に疲労が溜まりすぎてとうとう頭が狂ったんじゃないのか。口から出そうになったがなんとか堪えた。

 

「それは休んだんじゃなくて仮眠を取ったってだけだろバカ」

「ごもっともな指摘だな、うん。ぐうの音も出ない」

 

 爽やかにそう言って苦笑いするトレーナーに思わず呆れてため息を吐く。担当ウマ娘にこんなことを言われたトレーナーなんてトレセン史上初なんじゃないか? 普通は逆でこっちが指摘される立場なのに、なんでトレーナーの体調管理に口を出さなきゃいけないんだか。何かが色々とおかしいだろう。

 そんなことを考えていたらトレーナーが空き缶を踏んで盛大に転んだ。ゴンッと鈍い音が部屋に響く。

 

「大丈夫!?」

 

 思わず声を出してトレーナーの元に寄って覗き込む。もしかしたらあの夢の中で倒れた原因はこれかもしれないな、とそんなことを考えていると、

 

「いってぇ……やっぱ片付けとくべきだったなぁ……。ただただいてぇ……」

 

 と呻き、頭を押さえながら半身を起こす。見た限りは大丈夫そうだ。少し安心してペタリと座り込む。トレーナーは何度か立ちあがろうとしたがしかし、立ちくらみか眩暈かで床に倒れ込んでいる。今までこいつが立ちくらみとかでフラフラするのを見たことがない。おそらくここ最近でこうなったんだろう。

 

「……で? アンタそんなになるまで何やってたの?」

 

 鋭く睨んで問い詰める。流石に、前までのように大丈夫だからなどと言い逃れはできないだろう。誰がどう考えても大丈夫じゃない。言い逃れはさせないという意志表示のために倒れこむトレーナーの上に跨り、胸ぐらを掴んで

 

「一から十まで洗いざらい吐け。全部教えろ」

 

 嘘を言ったら本気で蹴り飛ばす。そう付け加えて脅した。トレーナーは落ち着けよと言ってアタシを退けようとしたけど、ウマ娘の力に人間が敵うわけがない。びくとも動かなかった。

 

「……わかった。降参だ降参。全部説明するからとりあえず退いてくれ。君の言う吐くとは別の意味で吐きそうだ」

「どうせ何も食べてないんでしょ? 吐くも何も吐けるものなんて腹にないでしょ」

 

 トレーナーの抗議にそう返しながら素直に退いた。もしこれで本当に吐いたらアタシまで害を被ることになる。

 

「立たないでいいからそこに正座しろ」

 

 ふらふらとしながら立ち上がろうとするトレーナーにそう言った。トレーナーはどっこいしょと言いながら正座すると、

 

「説教でも始めるのか?」

 

 と言った。アタシはそれに

 

「逆にされないとでも思ってるわけ?」

「今の君の様子を見るととてもそうは思えないな」

 

 そう言って近くにあったエナドリの缶を拾うとそれを空け、グイッと飲み下す。かぁーっ! うめぇ! なんて言ってるけど、お茶みたくグビグビ飲んでいい代物じゃないでしょそれは。心の中で言って缶を取り上げて、ゴミ袋にシュートインする。

 それを見たトレーナーはナイシュー! と言ってちゃかそうとしたが、ふざけないでくれると釘を刺す。今は真面目な話をしたいんだ。そうやってちゃかされると蹴り飛ばしたくなるからやめてほしい。

 

「……まぁ軽く説明するとだな」

「うん」

「まず君の肺の症状が再発したときのための対処法を調べまくってた。次に肺に負担のかかりにくいトレーニング方法を模索してた。スタミナをつけるにはどうしても肺を鍛える必要があるのは知ってると思うが、どうにかして鍛えられるかを調べてたんだ」

 

 へぇ、そんなことをしてたんだ。少し嬉しいけど、それでなぜこうなるのかがわからない。一体なんの関係があるというんだ。その疑問を口にする前に、トレーナーが自分から答えた。

 

「それで、まぁそれは多分無理だろうという結論に至ったわけだ。まぁどうしても長距離レースを視野に入れると肺に負担はかかるわけだしな。んで、寝る間も惜しんであれこれ調べまくってたら気づいたらこんな生活が定着しちゃってたわけよ」

 

 そういえばもう一週間くらいまともに寝てなかったなぁ。呑気にそう付け足してエナドリに手を伸ばす。アタシはそれをまた取り上げて、力を入れすぎたせいか粉砕してしまった。制服にエナドリがかかってしまった。

 

「何よそれ。アタシのためとか言いたいわけ?」

 

 服が少しベタつくけど構っていられない。デカい染みができたけど、帰ったらクリークさんに頼めば大抵の染みならなんとかなる。

 トレーナーはアタシが本気で怒ってることに気付いたのか、真剣な目をしてアタシに弁解し出す。

 

「君の負担になっていたのなら申し訳ないけどそういうことになるな。見苦しい言い訳になるけど、トレーナーってのはこういう職業なんだよ。担当のためだったら自分の時間をガリガリ削ってもいい、なんならそいつのためなら死んでもいいとか言い出す頭のおかしい連中ばっかだ。ま、俺もそのうちの一人だけどな」

 

 その話を聞いて絶句した。確かに、例を挙げるまでもないが、中央にはどこかがおかしいんじゃないかと言いたくなるような奴が多い。そこはアタシが中央に来てから何も変わっていない。むしろまともなトレーナーを見つける方が難しいような気さえする。

 でも、いくら何でも担当のためだったら死ねるは大袈裟すぎやしないだろうか。

 

「担当のためなら死ねるってのはさすがに冗談でしょ」

 

 思わずそう言ったけど、トレーナーは至って冷静に

 

「いやマジだ。酒を飲むとアイツのためなら死んでもいいわとか言い出すやつ多いぞ。シラフでも言ってるやついるしな。……一緒にされたくないから先に言っとくけどタキオンとこのは例外だからな。アイツは常識人振ってるけど本格的に狂ってるから」

 

 狂ってるのベクトルが俺とは違いすぎる、と言ってそれを肯定する。

 アタシにはその言葉が信じられなかった。遺された担当がどんな気持ちになるか、よく考えたらわかるはずだ。少なくとも、アタシはもう二度とあんな感情を抱きたくない。くだらないことを。そう思わされるほどの嫌悪感と苛立ちが身を包む。

 

「耳を伏せてるが……そんなに不満か?」

 

 アタシの耳を見てトレーナーがそう言った。どうしてなのかはわからないけど、ウマ娘はどれだけ感情を隠そうとしても耳でバレてしまうのだ。不便にもほどがある。どうにかできないものだろうか。

 そんなことを心で考えて、すぐにそれは彼方へと飛んでいった。

 

「不満じゃないわけないだろこのバカ!!」

 

 感情のままに叫び返した。トレーナーは少し驚いた顔を見せて落ち着けよと宥めるが、それで止まれるわけがなかった。

 

「アタシに二度も同じ思いをさせる気なの!? アンタに死なれちゃ困るんだよ!!」

 

 夢で死んでいったトレーナーの姿が脳裏に浮かび、また涙が目に浮かぶ。トレーナーは夢の中で言っていたようなことを言い始める。

 

「俺が死んでも今の君ならうまく……」

「同じこと何度も言わせんな!! アタシはアンタがいなきゃ何にもできないんだよ!!」

 

 夢の中と同じことを言った。アタシをG1ウマ娘にしたのはコイツで、これからも一緒に走り続けるつもりでいるのに。

 

「もし本当に死んだらどうするつもりだったんだよ!! アタシのトレーニングは誰が見るんだよ!!」

 

 アタシのその問いに、トレーナーは間髪入れずに

 

「そりゃ俺よりも良いトレーナーがついてくれるだろ。今の君は俺たちが出会った時みたいにバカにされてるわけじゃない。ちゃんとした評価が下されてる。ホープフルと皐月賞一着、ダービー三着の功績を叩き出したウマ娘がトレーナーとの契約を白紙にしたと知って、知らんぷりして放っておくトレーナーなんていないぞ?」

 

 と返した。確かにそれはそうかもしれない。夢の中のコイツと姿が重なって、アタシはこのバカは!! と怒鳴りそうになるのを抑えて言う。

 

「遺される側の気持ち考えたことある?」

「は?」

 

 トレーナーの口から何を言ってるんだコイツは、という意味であろう言葉が出てきた。その疑問にアタシは

 

「アンタはそれでいいかもしれないけど、遺された側はすぐに切り替えてはいこれからのことを考えましょうね、なんて余裕ないの。何もする気力も無くなるし、食事は喉を通らなくなるし、何よりずっと悲しい。そんな状態で走れるわけないでしょ」

 

 と言った。夢の中での残酷な光景。思い出すだけで気が狂いそうになる。あれが夢だったからこうしていられるけど、もし現実だったら周りに心配されるレベルでおかしくなるだろうというのは想像に難くない。例えば幼児退行、例えば幻覚を見る、例えば鬱になる。

 

「今のアタシはアンタがいなきゃダメなんだよ、バカ」

 

 小さく呟いたその言葉の意味を理解したのかしていないのかはわからないが、そうかと小さく呟くと、トレーナーは顎に手を当てて考え出す。

 

「二度も同じことさせる気なの、とか同じこと何度も言わせんな、とか、それらの言葉から察するに君の見た夢の中で俺は……」

「それ以上言わないで」

 

 死んだのか、という言葉を言わせないために服の袖を少し掴んでそれを遮った。トレーナーはすまん、とまた小さく謝るとアタシの頭に手を伸ばして、撫でようとしているのかと思い少し耳を横に倒した。

 

「ちょっ!?」

 

 次の瞬間、アタシの視界はトレーナーの服でいっぱいになった。抱き締められているんだろうか。流石に気が動転して引き剥がそうとしたけど、なぜかそれは叶わなかった。

 数回腕の中でもがいて引き剥がすのが無理だということを理解して成すがままにされていると、

 

「心配かけてごめん」

 

 一言のシンプルな謝罪。声音からアタシの機嫌取りのために謝っているわけじゃなく、心の底から謝っていることはすぐにわかった。

 アタシはゆっくりと押し出すように、

 

「……無茶な生活をやめるんなら許す」

 

 と返す。トレーナーは即座に

 

「わかった。神に誓うよ。もう君を泣かせたくない」

 

 と言った。神に誓うは胡散臭いような気もするが、ひとまずはこれで安心できる。言質は取ったからね、と一応釘を刺しておく。

 安心したことで気が抜けたのか、強烈な眠気がアタシを襲ってきた。部屋に帰らないとと思ったのが、一瞬にして思考を寝ることに染め上げられた。

 

 気がつけば寝てしまっていて、次に目が覚めたのはトレーナーの使うベッドの上だった。まさかこの歳でトレーナーと朝チュンもどきをすることになるとは思わなかったが、別にいかがわしいことをしたわけじゃないから学園から怒られることはないだろう。これで怒られるならクリークさんとこのトレーナーとかもう色々とアウトだろうし。

 

 

 

 そしてまた月日が流れる。

 

『さぁ! 第四コーナーを回って最終直線!! 一番人気ナリタタイシンが後方4番手からジワリと上がってきている!! 先頭は6番インペリアルタリス!! 未だ二馬身以上のリードを保っています!! あとゴールまで300mを切りました!!』

 

 G2にしては大きな歓声━とはいえG1に比べると小さいけど━が私たちに降り注ぐ。一番前のやつまでは大体六馬身くらいだろうか。フォームを見るにもう体力の限界を超えているんだろう。他の奴らが前を塞いでいるわけでもない。皐月賞のときに比べたら幾分かやりやすい状況だ。

 

「アタシがマジだってこと、教えてあげる」

 

 ボソリと呟いて一気に地面を蹴った。レースが始まる前、タイシンは出てこないと話している声が聞こえた。曰くアタシはもう燃え尽きたってことらしい。

 でも、それは断じて違う。アタシはまだまだこれからだ。トレーナーと、やたらうるさいやつと無駄に頭でっかちなやつがいれば、アタシはまだまだ強くなれる。今ならそう確信を持って言える。

 今のアタシは皐月賞のとき以上に強い。そして今、その時以上にやりやすい状況だ。つまり。

 

 負ける気がしない。

 

 一歩踏み出すたびにその確信は強まっていく。前にいた奴らをどんどんと抜き去っていく。

 

「うおおおお!!!」

 

 雄叫びを上げて真っ直ぐゴールに向かう。先頭にいたやつもあっという間に抜き去って、もうアタシの前には誰もいない。あとは根性で差し返されないように、誰よりも速くゴール板を駆け抜けるだけだ。

 

『先頭はナリタタイシン! ナリタタイシンだ! 二番手に三バ身のリードをつけて! 皐月賞ウマ娘、今ここに復活です!!』

 

 実況の声が中山レース場に響き渡る。アタシの勝利を讃える声が降り注ぎ、アタシはわあー! と叫ぶ観客たちを一瞥すると、スタスタとウイナーズ・サークルに向かって歩き出す。

 

「一着おめでとう。タイシン」

 

 そこで待っていたのはトレーナーだ。あのあとちゃんと病院に誘か……連行して然るべき治療を受けさせた。入院することになったとはいえ、単なる休養不足と栄養不足だったから一週間もすれば治ったらしい。

 

「ありがと。アンタがいたからアタシはまたレースで走っていられる」

「それはお互い様だろ?」

 

 アタシが少し笑って感謝を述べるとニヤリと笑ってそう返すトレーナー。その意味を聞く必要はないだろう。

 

「アタシはやっぱりここがいい。まだ走っていたい。アンタと二人で、レースに勝ちたい」

 

 すっと口から出た言葉。トレーナーはそれを聞いて嬉しそうに微笑むと、

 

「となりゃ決まりだな。これからもよろしく頼む」

 

 と言ってアタシに手を差し伸べた。アタシは迷うことなくそれをギュッと握る。観客は何がしているのかわからないだろうが、握った途端歓声がひときわ大きくなった。

 

「今度あんな生活してたらぶっ飛ばすから。覚悟しろ」

「聞き飽きたっつーの。タイシンこそ焦って無茶苦茶な自主トレすんじゃねーぞ?」

「うっさい蹴っ飛ばすよ」

 

 笑いながらそんな会話をして地下バ道に入った。あの夢のようなことはもう起こらないだろう。これからは二人で、足を揃えて一緒に進んでいくんだ。そういう意味を込めて軽く拳を合わせる。

 

 これは、どうしようもない二人組に起きた、嫌な出来事の話。

*1
タイシンたちBNWが活躍していた時期にはなかったレースなので中山大障害が一番長い障害G1と書いてますけど、本当は中山グランドジャンプ4250mが最長障害G1です。




今回で最終回です。後日譚を書く予定はありません。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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