今回でようやくヘロヘロ様が帝都に来ることができ。
帝都編での主要メンバーの登場となります。
世界の多くは幸せものだ。
この世界に君臨した絶対者の存在に気付いていないから。
例えば、アダマンタイト級冒険者と名高い青い薔薇の面々にしても、彼女達はその存在に気付いていない。
だからこそ、目下の脅威として魔皇ヤルダバオトなる悪魔の動向に注視する。
この世界の中では強者に分類されるブレイン・アングラウスについてもそう。
シャルティア・ブラッドフォールンなる吸血鬼こそ頂きに立つ化け物だと認知する。
魔皇ヤルダバオト。そしてブレインが遭遇した吸血鬼シャルティア・ブラッドフォールン。
両者は共にこの世界では隔絶した戦闘能力を有した化け物中の化け物であることに間違いはない。
しかし彼等は知らない。
魔皇ヤルダバオトにせよ、シャルティア・ブラッドフォールンにせよ。
その者の威光の前では等しく跪き。
その者の「オコだよ!」の一言で恐怖する。
それ程の規格外な存在がこの世界にひっそりと降臨していると言うことに…。
一方、その存在の降臨に気付いているものもいる。
ツァインドルクス=ヴァイシオン。通称、ツアーと呼ばれる最強の竜王。
そして魔導国宰相アルベドだ。
この両者もまたこの世界では隔絶した力を有する化け物中の化け物でありながら、その存在に気付いてしまったがばかりに戦慄と焦燥の毎日を送ることになる。
例えばツアーはその存在をワールドエネミー級の化け物と想定しており、その脅威は嘗て世界を支配した八欲王の64人分に匹敵するとか言う気違いな数値を見積り頭を抱えているし。
アルベドもアルベドで、嘗て自分が王座の間にて聞いた情報とメイド達から掻き集めた情報とを照らし合わせては「チートかよ!!」と嘆いていた。
曰く、弍式炎雷様やガーネット様等、一部の至高の御方を率いてはモミ手で接され、肩を揉まれ。
「今日はヘロヘロ様にお願いしたいアクションが――」
等と慕われる派閥の代表者。
曰く、至高の御方と同格の存在の者達からアインズ・ウール・ゴウン最強と謳われた『たっち・みー』様に次いで二番目に警戒され、恐れられた御仁。
そしてなにより、嘗て王座の間でアルベド自身が聞いた。
「いやいや。ヘロヘロさんの方が賢いに決まってるじゃないですか。私、小卒ですよ?」
と言うモモンガ様の発言。
ソリュシャンを筆頭にヘロヘロ様こそがナザリックで最も優れた御方と思っているメイドが多いことも頷けるチート染みた情報の数々に流石のアルベドも恐怖した。
その存在にいち早く気付き殺意を懐くこの世界の超越者同士が「どうやったら殺せるんだアイツ」と頭を抱える規格外の存在、それこそが古き漆黒の粘体と言われる最上位のスライム種。ヘロヘロであった。
ではこの世界は、絶対者であるヘロヘロの前に為す術もなく蹂躙される運命にあるのか?
否。そうではない。
ブレインやアルベド、ツアー等は勿論。農村で呑気に空を仰ぐ農民も、町中を走る子供も、街を護るために剣を取った騎士も、そして絶対者であるヘロヘロも、死生有命の理には等しく囚われる。
そう。彼もまた生物である以上、死のリスクは当然のように存在し、その可能性を警戒すらしていた。
てゆーか。
もう既に死にそうだった。
「あー。喉乾いたぁぁ」
一人。いや、一体と言うべきだろうか。
とある商隊の馬車の荷台。揺れる木箱の中でヘロヘロがぼやく。
彼は喉が渇いていた。
それはもう本当に死にそうなぐらい喉が渇いていた。
振り返ること数時間前。
商人ギルド所有の倉庫の中にあった木箱に身を隠し、監視の目が分からなくなって出るに出られなくなるという絶体絶命の最中にあったヘロヘロは『果報は寝て待て』と言う先人達の遺した有難き金言に従い爆睡した結果、理不尽かつ無慈悲にも出荷されると言う事態となった。
ここまでであれば笑い話となっただろう。
しかし彼に待ち受ける試練は出荷だけでは無かったのだ。
人間誰しも覚えがあるだろうあの『寝起きに感じる喉の渇き』と言う奴が、ここに来て一斉にヘロヘロに牙も向いたのだ。
ユグドラシルと言うゲームの中にも空腹や喉の渇きと言うサバイバル要素は含まれていた。
これは主にギルド拠点への侵攻や冒険の最中に影響するゲージであり、基本的に侵攻側よりも防衛側の方が有利に戦えるように配慮されたシステムだ。
しかしゲーム中、空腹や喉の渇きと言うものは自分からコンソールを開いて表示させるか、一定値を切った段階で視界の端に表示されるだけのものであり、空腹や渇きにおけるペナルティは存在しても実際に飢えや渇きを感じると言う事は無かった。
ところがどっこい、この世界にでは飢えや渇きを現実世界同様リアルに感じるらしい。
ただでさえ異型種ペナルティの一つとして乾燥に弱く喉が渇きやすいスライムだ。
思い返せば昨日の日中以降何も口にしてはいなかった。
「何か飲物、残って無かったですかね?」
何も無いと分かっていながらヘロヘロはアイテムボックスに触腕を伸ばす。
あったらそもそも都市の中で汚水を啜って生きてない。
それでも何も無いと分かっていながら冷蔵庫を開ける行為は人間の性と言うべきか。
「ポーション。ハイポーション。フルポーション。エリクサー…。んー。飲めそうなのはこのぐらいでしょうか?」
飲めそうなものに目星を付け、最悪これを飲むことで渇きを癒そうと考える。
とはいえ最終手段だ。
何処で何が起こるか分からない一人旅で回復アイテムが無くなるのは死活問題になりかねない。
「後はなんとか外に抜け出す事ぐらいでしょうか?」
そう。外にさえ出れば水の確保ぐらいなんとかなるだろう。
近くに山があれば沢だってあるだろう。
できれば村や都市が好ましい。
人が住んでいるなら水場は当然あって然るべき。
しかし、そうは出来ない事情があった。
ヘロヘロは足元の残骸に目を向ける。
それは初めからこの木箱の中に入っていたもの。
要するに商品か何かなのだが、元々花だった『何か』は乗った拍子に萎れて千切れて体内に漂ってる有様だ。
この状態でノコノコ出て行こうものなら確実に怒られる。
故にヘロヘロは出るに出られない状態に陥っているのである。
だからヘロヘロは監視の目が緩くなったタイミングでこっそり抜け出すつもりであった。
理想を言えばまた近場の都市にでも入って荷降ろしでもしてくれる事だ。
今は周辺に人の気配をそれなりに感じるが、普段倉庫の中には最低限の見張りを立たせているだけだったはず。
そう考えていた矢先。
「団長、次の都市が見えてきました。今日はそこで一泊しますか?」
突然、外からその声が届き、ヘロヘロは窪みを輝かせ。
「いや、このペースなら日没までに帝都まで行けるはずだ。このまま帝都に向かうぞ」
と言う言葉に盛大に頭を抱えた。
「日没ってあと何時間だよ!」
と吐き捨て、彼は木箱の内壁に頭を押し付ける。
こちとら喉が渇いて死にそうなのだ。
しかししばらく頭を押し付け、やがて冷静になって考える。
ヘロヘロとて30年もを生きてきたなら、その人生で喉が渇いて死にそうになった経験ぐらいある。
そう言う命に関わる数々の修羅場を潜り抜けてきたヘロヘロの中に眠る獣が囁くのだ。
『フレンズだよ!』と。
モモンガやギルドメンバーの皆。そしてこの世界で出会ったグロプや薬師や冒険者の顔を一通り思い出し。
そしてヘロヘロはクワッと窪みを見開いた。
『やってやる』と。
『生き抜いてやる』と。
こうして木箱の中でひっそりと孤独なサバイバルが始まったのである。
ーー
ー
サバイバル開始0分後ーー。
真っ先にヘロヘロは命綱である回復アイテムを並べた。
その総数を確認し、今日生きる分は十分あると判断し、取り敢えず安堵の溜息を吐く。
とはいえ回復アイテムは貴重なため、ポーション。正式にはマイナーヒーリングポーションのみで耐え抜くプランを考える。
まずは30分はこのまま、我慢しよう。
ヘロヘロは一人決意した。
ーー
ー
サバイバル開始10分後ーー。
「あー。やべ、水筒の水もう無いわ。喉乾いたな」
不意に木箱のすぐ前からヘロヘロと同じく喉の渇きを訴える男の『ぼやき』が聞こえた。
それに謎の仲間意識を覚えたヘロヘロは『我慢しているのは自分だけじゃない』と勇気付けられ、決意を新たにする。
が、同時に。
「ま、私はポーション飲めるんですけどね?」
と謎のマウントを取り始める。
ーー
ー
サバイバル開始15分後ーー。
30分とは何だったのか…。
ポーションをゴッキュゴッキュ飲み始めていた。
この世界では『神の血』とも呼ばれ、エ・ランテル最高の薬師と称されたリイジー・バレアレが目の色を変えて。
「ここに、ここにポーションの完成形があるぞ!私達が!私達薬師や錬金術師、ポーション生成に係わる全ての者が!研究の歴史を積み上げてなお届かない理想の形が!」
とまで言わしめた『あの』ポーションをジュース感覚で一気飲みしていた。
ーー
ー
サバイバル開始20分後ーー。
疑問符を浮かべて次々ポーションを飲んでいたヘロヘロだったが、流石に気付く。
ポーション、ハイポーション、フルポーション、エリクサーと、全てのポーションを飲み切ってなお、喉の渇きが治らないという事に。
そして直ぐに、ユグドラシルでもポーションで『渇きゲージ』を回復する事が出来なかった仕様を思い出し。
「クソ運営がああ!!」
と元運営スタッフを罵倒する。
ちなみに仲間意識をもっていた木箱の前に座る男はとっくに新しい水筒に取り替えられており、裏切りのユダとしてヘイトが向けられる。
ーー
ー
サバイバル開始20分後ーー。
ヘロヘロは木箱の中心にどっかりと腰を下ろして無我の境地に入っていた。
『心頭を滅却すれば火も亦涼し』と言う言葉があるように、森羅万象と調和すればうんたらかんたら…。日没までの残り時間、彼は渇きと言う感覚を置き去りにしようと考えた。
ーー
ー
サバイバル開始30分後ーー。
無理だったらしい。
「みじゅ〜…」
と、時折ゾンビのような嗚咽を漏らしながらヘロヘロは木箱の内壁に頭をガンガン打ち付けると言う奇行を取り始める。
ーー
ー
サバイバル開始1時間後ーー。
ヘロヘロは木箱の蓋の裏に貼り付いていた。
「おみじゅ…おみじゅ…おみじゅ…」
と呪詛のような何かをブツブツ呟きながら血走った窪みで木箱と蓋との僅かな隙間から外の景色を凝視する。
そう。極限状態に近い喉の渇きに生物としての常識を一つ打ち破ったのか、限界まで頭を蓋に押し付ける事により、木箱と蓋の僅かな隙間から外の様子を覗き見る手段を身に付けた。
ーー
ー
サバイバル開始1時間30分後ーー。
まだ貼り付いていた。
すぐ目の前に座っている男の腰にぶら下げられている水筒を発見し、結露したのか蓋から溢れたのか一筋の滴が流れ落ちようとしているのに気付く。
そして、ヘロヘロはその滴を舐め取るべく必死に舌的な部分を伸ばしていた。
実際のところ、スライムは全身が消化器官と言っても過言ではなく、指先を伸ばす感覚で水分補給は可能だ。
しかし極限状態にあるヘロヘロの行動は人間の精神が深く作用しており、わざわざ人間で言う舌的な部位を伸ばすと言う行動に固執していた。
結果、ヘロヘロは血走った窪みで内壁をバシバシ叩きながらチロチロチロチロと高速上下させた舌を僅かな隙間から必死に伸ばしていた。
ーー
ー
サバイバル開始2時間後ーー。
涙ぐましい努力の結果、伸ばしていた舌が水筒の滴に迫ろうとしていた。
そして正に舌先が滴に触れるその刹那。
男は突然水筒を掴み、舌先は虚しく空を切る。
そして男はその場でグビグビと一気飲みするや否や、プハーッと盛大に吐息を吐き出し。
「水、うっま!」
と感想を述べ、空になった水筒を後ろに投げ捨てた。
ガシャリとヘロヘロのすぐ後方で音がなり、ヘロヘロは初めて人間に対する殺意を感じた。
ーー
ー
サバイバル開始3時間後ーー。
最早ヘロヘロの渇きは限界に迫っていた。
既に名が体を表すようにヘロヘロになった彼は蓋の裏からも剥がれ落ち、殺虫剤を喰らったゴキブリみたいにピクピクしながら虚ろな窪みで床を眺めては金魚みたいに口をパクパクさせる。
しかしそんな彼に奇跡が起きる。
なんと突然の雷雲と遭遇したのである。
「豪雨が来るぞおおお!」
「ちくしょー!回避出来ねぇ!」
「やむを得ん、突っ切るぞおお!」
と、騒ぎ出す商人達の喧騒にヘロヘロは起き上がるなり窪みを輝かせて小躍りを始め、雨漏りによって蓋の裏から落ちてくる水を心待ちにする。
ーー
ー
サバイバル開始3時間15分後ーー。
ザー…っと響く雨の音は聞えるが、待てど暮せど雨漏りは一切しなかった。
代わりに目に映るのは、すぐ目の前に座っていた男が立ち上がりシートをブンブンと振り回すと言う不思議な光景。
「出たああ!兄貴の防水シートを自在に操るタレント!!これまで幾つもの荷物を豪雨から守ってきた兄貴の神業!!今日もキレッキレッだぜええ!!」
と湧き上がる周囲の歓声を受け、男は雷鳴轟く豪雨を背景に鬼神の如くシートを振り回す。
その神業たるや、一滴の雨水も荷物に通さず、木箱の中で雨水を飲もうと再び血走った窪みで内壁をバシバシ叩きながら舌を伸ばすヘロヘロも絶妙に雨に届かない。
土砂降りの雨を受け、頭の天辺から足の爪先までビッショビショになりながらもシートを振り回す男はボルテージが最高潮に上がったきたのか。
「俺ええ!いい仕事してうううう!!」
と、荒れ狂う空に向かって咆哮を上げ、その間、ずっと雨水を飲もうと奮闘するヘロヘロは。
「てめぇマジぶっ殺す!」
と呪詛の念を吐き捨てた。
ーー
ー
サバイバル開始11時間後ーー。
晴天の空の下。
照り付ける太陽を頭から受けながら、廃棄物の山を漁る人影があった。
ボロを纏ったような老齢の男もいれば、みすぼらしい衣服を着た男性、更には小汚く汚れてはいるが、嘗ては貴族・又は裕福層の人間が来ていたであろう立派な衣服を纏ったものまで実に様々な人間がゴミの山に群がっていた。
ここはスラム街の端に位置するゴミ処理場だ。
木材や布、硝子や鉄屑、生ゴミから使用済みのマジックアイテムに至るまで、実に多種多様なゴミが乱雑に積み重なり廃棄物の山を形成していた。
それらは全て順次、焼却、または埋め立てるなり処分する予定のものだが、中にはまだ人によっては使えるものも多く含まれる。
例えば、貴族が使っていた食器や調度品。
使用回数が僅かに残ったマジックアイテム。
刃毀れした剣や穴の空いた鎧。
鉄屑や鉱石の欠片においても、集めて然るべき場所に持っていけば金銭との取引が可能だ。
更には何かの手違いで廃棄された通貨や貴金属等が見つかる事もある。
だからこそ、それを生業とする者は出てくる。
「ひはっ、やった」
その廃棄物の山の山頂付近で男の歓声が上がる。
一心不乱にゴミを掻き分け、木部の残骸から顔を出した黒い鉱石を発見したからだ。
「これで今夜も酒が飲めるぜ」
満面の笑みを貼り付け、嬉しさの余りその鉱石にキスをする。
男は鉱石の種類には詳しくは無いが、それでも握り拳以上の大きさのある鉱石だ。
物価高の影響もあり、換金すれば酒を買うには十分な金が手に入るだろう。
そのぐらいの知識は持ち合わせていた。
「ざぁまぁ見ろ!これで今日は✕✕✕が飲めるぞ。お前達じゃ手も出せねぇ高級品だ」
などと酒の銘柄を叫びながらゴミ山の周辺に群がる者達を盛大に煽る。
しかしそれだけだ。
最早ゾンビと化した貧困層の者達は、大声で煽る男を一顧だにせずゴミの山を掻き分けていた。
彼等をよく見れば老齢の者がほとんどだ。
中には若い…と言っても中年だが、四肢の一部を欠損したもの。喘息があるのか、やたら咳ずくものもいた。
様々な貧困層が跋扈するスラム街だが、このゴミ山に群がる者達はその中でも最下層に位置する者達だ。
身体や精神に異常があったり、病気を持っていたり、単純に高齢だからと…様々な理由で日雇いの労働に出れない者達が食い扶持を稼ぐためにゴミを漁る。
しかし中には平民に頭を下げる事が出来なかった元貴族が飢えを凌ぐためにゴミを漁り始め、そのまま居付く…というパターンも存在した。
先程の男はこのパターンだ。
今でも貴族のつもりか見下した平民の下で働く事を良しとせず、それならゴミを漁った方がマシだと割り切り、僅かな収入で安酒に溺れる毎日を繰り返す。
そんな日々が続いた結果か、「俺様は貴族だ」「いずれは返り咲いてやる」等と言う言葉を口癖に、自分よりも弱者である老齢のものや身体障害者を煽っては優越感に浸り、毎日その日の酒を飲む事だけを目的にゴミを漁るようになっていた。
「ん?」
しかしそんな男の顔色は突然変わる。
鉱石にしては大きさの割に軽すぎることに違和感を感じたのだ。
怪訝な顔で舐め回すように鉱石を見詰め、数秒。
「糞がっ!」
鉱石ではない事に気が付いた男が顔を顰めて吐き捨てた。
ならばそれはただの黒い物体だ。
たちまちゴミと成り果て男は興味を失い投げ捨てる。
そして再び這い蹲ると、黙々とゴミの山を掻き分け始めた。
投げ捨てられた黒い物体はゴミ山をコロコロと転がり、やがて麓で膝を抱えていた幼い幼女の前で停止した。
間もなく幼女はソレに気付き、拾い上げては顔の前でぼんやりと眺める。
そして。
パクっ…と物体の一部を口に入れた。
「こら、何食べてるの!ペッしなさい。ぺっ」
瞬間、背後から飛んできた十代と思われる若い少女が幼女から黒い物体を奪い取る。
「あー!」と抗議のような言葉無き声を発する幼女を片手で押さえ付けながら、少女は奪った物体を見ては怪訝に眉を寄せた。
「何これ?」
質問しても答えは返ってこない。
考えても分からない。
鉱石のようにも見えるが、生憎少女は鉱石には詳しくなかった。
しかしそこで少女は思い付く、親しい仕事仲間の常連客には元ワーカーの奴隷商の男がいた事を。
冒険者崩れ…と言うか、ギルドに所属していない冒険者に近い存在だと言う認識だが、なんにせよ目利きの効く彼ならこれが何なのか分かるだろうし。
ひょっとすると凄い金目のものかも知れない。
少女はそう考えた。
ならば帰る口実にはなるだろう。
「ゴミ漁りでもさせてみれば?」と言っていた連中も拾ってきたもの見せれば一応納得はするだろうし、何よりこれ以上こんなところにこの子を放置して置きたくはなかった。
「ほら、じゃあ帰ろうか」
「うー」
少女は幼女の手を引いて立ち上がらせると、ヨタヨタと付いて来る幼女の歩幅に合わせてゆっくりと廃棄場から離れて行く。
帰路は1キロも無いと言ってもスピードがスピードだ。
少女が住処としている複合住宅まではそれなりに時間を要した。
その間も、物珍しそうに黒い物体を眺めてみたり、匂ってみたり、彼女なりに色々考えて結論を口にする。
「何これ?」
分からないものは、分からないのである。
ーーー
ーー
ー
スラム街の一角。
永く修繕のされていない石造りの建築物に混じり木造のあばら屋に簡素なテントが乱雑に入り乱れる区画こそが帝都に存在する貧困層の住まう居住区だ。
元は大通りに負けず劣らずの広さを有していたとおもしき道路は相次ぐ建造物の増設によりゴチャゴチャしており最早馬車一つ通れる気がしない。
故にここに商品を降ろしに来る商人はいない。
…にも関わらず、路上には風呂敷を広げ雑貨を売る人の姿はチラホラ見られた。
小汚い鍋や食器、後は衣服等、不必要になった生活用品がほとんどだが、貧困層の住人が不要になった日用品を売買しているのである。
少女はそんな通りを幼女の手を引き突き抜ける。
間もなく到着した住居、一見して寂れたホテルのように見える二階建ての建物の扉を開ける。
中は食堂、又は酒屋を思わせる風景に繋がっていた。
数台のテーブルが並び、奥にはカウンター。そして厨房らしきものも見える。
そしてカウンターの奥の椅子で寛いでいた人影が一人分。間もなく互いに目が合った。
「ただいま」
「おかえり。ラシュカ。…それ何?」
カウンターの女は片手にタバコを挟み、煙を吹かしながら幼女の手を引く少女――ラシュカの手荷物を見て問い掛ける。
手荷物とは幼女が拾った黒い物体の事だ。
「分かんない。ミアの常連さんのヨーグ爺なら知ってるかなって、ほら元ワーカーだし。来てない?」
「丁度来てるけど、人のお客さん鑑定に使うの止めてくれない?いい加減」
ぐぅ…とラシュカは苦虫でも噛み潰したような顔をする。
事実、ラシュカはこれまで何度もゴミを漁ってきてはヨーグ爺に鑑定させた前科がある。
せめてそれがまともな物なら良かったが、これまでの実績がそれを否定する。
ようは金にならないゴミばかりだったのだ。
「ちょっと聞くだけだから、ほら、これ、凄いお宝かも知んないじゃん?美味しいもの食べれるかも」
「…どうせゴミ山で拾ったんでしょ?ゴミだから捨てられてるのよ?あそこ」
「シャルカにゴミ漁りさせて見ればって言ったのゼシ姉でしょ?文句言わなーい」
ラシュカはそう言って幼女を連れて奥へと手を引く。
その手前。
「…ん?名前分かったのかい。その子」
カウンターの女――ゼシ姉と呼ばれた女は奥へ歩くラシュカに問い掛けた。
ラシュカの足が止まって、振り返る。
「んーん。可哀想だから付けた。シャルカだよ」
「ふぅん」
そしてラシュカとシャルカは奥にある扉の中へと吸い込まれて消えた。
ーーー
ーー
ー
「…だからね。仕事中に押しかけるの止めてって何時も言ってるよね?」
それからしばらく。
厨房とテーブルのあるカウンターの奥にて仁王立ちする少女が口を開いた。
対面に正座させられているのは幼女の手を引いていたラシュカだ。
元々ここにいた女の姿は無かった。鬼の形相でラシュカの耳を引っ張って来たミアの姿を見るなり「あー。面倒くさいのに巻き込まれる前に御暇するわ」と持ち場を交代したからだ。
一方、シャルカは食堂の済で黒い物体を弄って遊んでいる。
「…まぁ俺は別に構わねぇけどよ」
テーブルの席で強面の男が言う。男の席には酒とナッツが置かれており、ガミガミ説教されるラシュカを呆れ半分に眺めながらチビチビ酒を傾けていた。
「ほらぁ〜」
「ほらぁ…じゃない。まったく、ほんといつもゴメンね。ヨーグさん」
仁王立ちの女に苦笑する強面の男。この二人は娼婦と常連客と言う関係だ。
商人と言う職に似合わずガッチリした筋肉質な肉体はワーカー時代に備えられたものだ。元はゴールド級冒険者から転職したワーカーと言う事もあり、荒事にもそれなりに慣れている。
仕事柄か鉱石や貴重品の目利きが得意であり、その為にラシュカから鑑定屋さんとして使われる事も度々あった。
ほぼほぼミアとのプレイ中の乱入ではあったのだが。
「で、今度は何を見て貰いたいんだ?」
「そう。それよ。それ」
ヨーグの言葉と共に立ち上がる。
そして、カウンターを飛び越え、部屋の済で蹲るシャルカから黒い物体を奪い取る。
「あー」
すぐさま抗議のような声が上がるが気にしない。
そしてそれをヨーグへと差し出した。
「なんか珍しい鉱石とか。価値のあるアイテムとかだったりしない?」
「んー。そうだな」
受け取った黒い物体に目を落とし睨み付ける姿に、思わずラシュカとミアは息を呑む。
仁王立ちしていたミアも黒い物体の鑑定自体には興味があったらしく、斜め後ろからひょっこり覗き込んでは期待の眼差しを黒い物体へと向けていた。
そして数秒。
「スライムの死骸だな」
「へ?」
「はい。解散。お疲れ様でした」
ヨーグの無慈悲な鑑定結果にラシュカは思わず目を点にして、ミアは阿呆らしさの余り解散を宣言する。
「死んでカッピカピに乾いたスライムがこうなるんだよ。まぁ消滅するパターンが多いんだけどよ。種族によるのか、死後の保存状態によるのか、兎も角、ワーカー時代に見たことあってな」
ヨーグにスライムの死骸だと鑑定された物体を返品され、ラシュカは目を点にしたままソレに目を落とす。
しかし直ぐに目に光を宿すと勢いよく顔を上げ。
「ちなみにそれ、どれぐらいの価値が――」
「ねーよ」
「あ、はい」
直ぐに項垂れた。
そしてしばらくそのまま経ち呆けた後、ゆらゆらと厨房へと歩く。
そこでラシュカが目にしたものは火の掛けられた鍋だった。
少し遅めの昼食に取り掛かっていたのか、中には既に野菜の入ったスープがグツグツと煮えていた。
それを見て、ラシュカの脳裏に閃光が走る。
丁度、ヨーグとミアがこちらの不審な行動に気付いたのかギョッとした目をラシュカと鍋に向けたその刹那。
ドボン…とスライムの亡骸は鍋の中へとダイブした。
「ぎゃああああ!!」
正に絶叫と言う絶叫を上げて走り出したミアは鍋の中を覗き込む、そして次の瞬間にはラシュカの両肩を掴むや否や、ガックンガックンと力任せに揺さぶった。
「言えええ!!何故入れた!?」
「いや、あのね。昔の冒険者はモンスターを狩って食べてたって言うじゃない?」
「だからって入れる!?下水で汚物処理してるスライムだよ?あれ私も食べるんだよ!?」
「大丈夫大丈夫。変な匂いしなかったし、下水処理してるスライムとは別物だよ。多分」
「その何でも取り敢えず食べてみようか…て発想いい加減止めよう?この前も拾い食いして半日トイレ籠もった事、もう忘れたの?」
「あの教訓はシャルカにしっかり継承しております」
「いや、まず、お前が学べえええ!!」
やんややんやのどんちゃん騒ぎ。
血走った目でラシュカを揺らすミアに対してラシュカは揺らされるままガックンガックンと頭を前後させながら弁護する。
しかしそんな喧騒をぶち破らんと開け放たれた扉からゼシ姉ことゼシリーエが登場するなり機嫌悪そうに怒号を上げる。
「煩いね。おちおち昼寝も出来やしないよ!」
ゼシリーエはこの風俗店の店主であり彼女達のリーダーだ。
ようやくまともな味方が駆け付けたとミアはゼシリーエに顔を向けるとラシュカの肩を盛大に突き放して指を指す。
「聞いてよゼシ姉!ラシュカったら、鍋の中にスライムの死骸を入れたんだよ」
その途端、ゼシリーエの鋭い眼光はラシュカを貫く。
「…スライムの死骸。ちゃんと下洗いはしたんだろうね?」
「いっけね」
「ちげえええよ!」
コツンと自分の頭を小突くラシュカ。
瞬間、ミアの絶叫が響き渡る。
今度はゼシリーエがミアに両肩を掴まれる番だった。
「昔の冒険者はモンスターを狩って食べ――」
「さっき聞いたよ!デジャブだよ!!」
と。
先程と変わらずギャーギャーワーワー騒ぐミアとゼシリーエの喧騒を、呆れ果てたようにただ黙って眺めるヨーグ。
無造作にパイプに薬草を詰め込み火を付ける。
そんなヨーグの服の裾がクイックイッと引っ張りれ、自然とその目は斜めに落ちた。
そこにいたのはラシュカだ。
「あのさー。前々から思ってたんだけどさー」
隣の席に座って眉をハの字にして見上げてくる彼女の手にはヨーグのナッツが握られている。
それをひょいパクひょいパクしながら彼女は言う。
「ここってまともな人間、私しかいないよね?」
「……」
ヨーグは如何にも『私はこっち側です』と言いたげに、呆れ果てた顔を向けるラシュカの顔をジッと眺め、そして空になった皿を眺め、再びミアとゼシリーエの喧騒を眺める。
「あー…」
嗚咽。
「あー」
また嗚咽。
「ああ」
そして最後に頷いた。
良いと思ったからだ。
どうでも。
そして最後に、パイプを口に咥えて騒動の原因となった鍋の中へと目を落とす。
身長が高い分、ここからでも鍋の中身はよく見える。
しかしそこでパイプがポトリと口から落ちた。
有り得ない光景を見たからだ。
鍋のスープは半分程に水位を下げ、黒い塊と化していたスライムは、その体積を増やし…いや正確には元の体積に戻ったのだろう。
ネバネバの粘体としてスープの中で蠢いていた。
ヘロヘロ様の状態は仮死となります。
スライム種における一定時間水分を取れなかった時に陥る異型種ペナルティとして捏造しています。
ラシュカ。シャルカ。ゼシリーエ。ミア。ヨーグ。
と立て続けにキャラが出てきましたが、後3人ぐらいは増える予定。
簡単に設定説明。
住居のホテル(お店)は風俗店兼食堂。…と言っても食堂の方は余り機能しておらず、有り合わせのメニューを出せる程度のもの。本業は娼婦。
スラム街の地区で開業しており、お客さんの多くは日雇い労働の低所得者やワーカー、奴隷商等。一般の市民や貴族は滅多に来ない…とかなんとか適当に考えている。