ヘロヘロ様がようやく安息の地を見つけたお話です。
あ、お気に入り数も900行きました。
いつも感想応援、ありがとうございます!
「へい!ここがリリちゃんのお部屋」
「え、ラシュカちゃん?」
ノックも無しにバタンと扉は開かれる。
中ではベッドに座り髪を解く姿で固まる少女が一人。驚いたように目をパチクリさせていた。
45度程傾けた頭から重力に従って垂れ下がる髪。天井に近い方の耳がチラリと見えた。
人間にしては長い。
それが途中で切り取られたように先が無くなっていた。
「へい!ここがサマ姉の部屋」
「おや、どうかしましたか?ラシュカ」
ところ変わって別の場所。再びノックも無しにバタンと扉は開かれる。
中では椅子に座って編物をしている三十代と思われる女性がいた。
眼帯代わりの白い布がハチマキのように巻かれ、目元を隠す。失明している事は一目瞭然、仮に何らかの怪我や病気で一時的に巻いていたとしても現在は確実に見えていない。
にも関わらず、盲目の淑女は落ち着き払った様子で真っ直ぐと不届き者へと顔を向けた。そして問う。
貫禄ある大人の雰囲気。…と言うのが、同じ三十代のヘロヘロの感想だ。
ちなみにこの時のヘロヘロの心情は、終始『ひょえぇぇぇ』と言う奇声で完結する。
「へい!ここがコルちゃんの部屋」
「……」
例の如くノックも無しにバタンと扉は開かれる。
しかしノックも無しにドアを開け放つ不届き者を迎える部屋主の姿は無い。
伽藍堂となった無機質な空気だけがラシュカを迎える。
「…あれ?」
暫くの沈黙。目をパチクリさせるラシュカはやがて思い当たる場所を思い出し、そして心底嫌な顔を見せた。
「あー。またあそこかー」
コルクレアの最近の流行り事である。
ーーー
ーー
ー
一人の少女が暗い闇の中で横たわる。
死んでいる訳では無い。
現に彼女の瞼は僅かに開き、ずっと虚ろな瞳で『何か』を見詰めていた。
そこにあるのはこの空間を唯一照らす蝋燭だ。
余りにも頼りない灯火が、僅かに揺れながら燃えていた。
死ぬかも知れない。
彼女の脳は不意にそんな予感を導き出した。
間違いとは思わなかった。
現に少女は空腹だった。
思えば昨日から彼女が口にしたものは水と切れ端のようなチーズだけだった。
飢えと言う飢えを気持ちで抑え込み、ただ黙って彼女は待ち続けた。
その気持ちに生理現象ですら空気を読んだのか、腹の音すら鳴りを潜め、今はただ静寂の中で、蝋燭の灯火だけが陽気に踊る。
彼女が待ち続けたもの。
それはこの暗く冷たい空間から解き放つ救助や救世主…なんてものでは無かった。
この帝都を地獄の業火で焼き尽くす魔王であり、自分をそして家族をあのような境遇の中に叩き落した憎き皇帝を裁く死神であり、自分の魂を捧げるに足る悪魔であった。
蝋燭の灯りが照らす六芒星の魔法陣。そしてその手前に並ぶネズミの頭蓋骨と器に注がれた血と肉が、彼女が見詰める先が悪魔召喚の為の祭壇である事を物語る。
しかし、やはり悪魔は今日も現れない。
彼女の目に落胆が浮かぶ。
無理もない事だった。
たまたま手に入れた胡散臭い書物に書かれた悪魔召喚の儀式を鵜呑みにして再現したは良いが、そもそも書物の信憑性自体が疑わしいものだった。
召喚の儀式だって、本来なら人間の頭蓋骨と血と肉、更にヤギ等の動物の臓器などを使用する。ここに並ぶものはあくまで代用品だ。書物通りに取り揃える事など不可能だった。
だから彼女は自分の集められる範囲の限界をもって可能な限り悪魔召喚を再現したのが、今のこれであり、ズーラーノーンのような本物のカルト教団が見れば鼻で笑われるような出来だろう事は間違いない。
それでも彼女が行動に移したのは、現皇帝のような力ある人物に搾取され、何もかもを失い、こんなスラム街の片隅で見知らぬ男に身体を売ることでしか生きていけない無力な自分の細やかな抵抗の為だった。
しかしそれも当然のように失敗に終わる。
最早滑稽過ぎて笑いすら込み上がる。
もういっその事、このまま死んでいけたらな…と、現実逃避に思ってもいない戯言を脳内で転がした。
そして、彼女は目を閉じた。
こんな事なら、昨日の晩御飯と朝御飯はちゃんと食べておくべきだった。
空腹な方が、気持ち通じるかな…なんて精神論まで持ち込んだのが馬鹿みたいだ。
「あのー」
心なしか幻聴すら聴こえる。
聞いたことも無い男性の言葉。
幻聴相手に「もう放っといて」と心の中で悪態をつき、彼女はそのまま眠りの中へと逃げ込もうとする。
「大丈夫ですか?」
また聞こえた。
明らかに男性の言語だった。
それにようやく彼女は目を開く。
そしてその時に、彼女は見た。
魔法陣を照らす蝋燭の火を背景に、顔の前で蠢く人間ではない『何か』を。
それはジッ…とこちらを窺っていた。
「あ…あ…」
彼女の口から驚愕と共に嗚咽が漏れる。
しかしそこに恐怖は無かった。
成功した。
驚き。歓喜。安堵。…そして僅かに生じる負の感情。
彼女の中を支配した感情はソレだった。
彼女は渾身の力を持って身を起こす。
這い蹲るように蠢く何かに近付き、そして幻では無いことを確認するようにその何かに触れた。
「あ、ちょっ」
ネバネバとした感触が掌から脳に伝わり知覚する。
初めて目にする悪魔の姿に、その感触に、思わず感極まった瞼から熱いものが溢れた。
あの本には書かれていた。
悪魔の召喚。そして契約について、様々な事を。
ある者は願いを叶え。
ある者は魔女としての力を与えられ。
ある者は使役する。
彼女の願うべきこと。
それはこの悪魔の姿を目に映した瞬間には決まっていた。
召喚が出来ても、契約が出来ない可能性はある。
最悪の場合、その場で悪魔に殺される。
あの本にもしっかり記載警告されていた事だ。
無駄かも知れない。
彼女は一瞬躊躇する。
この一言でひょっとしたら取り返しの付かない事態へと招く事になるかも知れない。
タラレバなんて、所詮弱者の幻想だ。
だが、それでも彼女は引けない。
ここで日和れば、また無力な自分を見つめ続ける日々の繰り返しだ。
彼女は悪魔の前で膝を突き座り込む、そしてその小さな悪魔を見下ろし、そして口を開いた。
「チェンジで!」
彼女の理想はヤルダバオトであり、こんなクソ雑魚ナメクジみたいな悪魔はお呼びじゃなかった。
ーーー
ーー
ー
「もう!まーた。こんな所に籠もって、そろそろお昼御飯だよ?」
ギィ…と音を響かせ地下室の扉の先からラシュカが飛び込んで来たのは間もなくの事。
開いたドアの隙間から明るい外の光が雪崩込み、たちまち蝋燭一本で担っていた灯火など一蹴するように、開けた視界が一室を支配する。
それでも外にいる者にとっては暗いのだろう。
「うわっ…暗っ。埃っぽい」
等と悪態を付きつつラシュカは階段を降りてくる。
手に持つランプに照らされ、朧気に浮かぶ足の輪郭に次いで、腰、胸と順に死角から姿を見せ。
そしてようやく顔を合わせた。
これでもかと用意されたような半目だった。
「ああ。丁度、お腹空いてたんだよね」
「コルちゃん。…ゼシ姉が心配してたよ。まーたあいつは御飯食べてないって」
「空腹な方が気持ち通じるかなって」
「ついに精神論まで持ち込んで来た?ガリガリになったらお客さん取れないよ?」
呆れ半分にラシュカは溜息を吐き捨てる。
「そんなことより!」
コルちゃんと呼ばれた少女。コルクレアは突然声を張り上げ、ヘロヘロの身体を掴んで持ち上げた。
ゼラチン状の粘体を押し付けんばかりにラシュカに向ける。
「見てよこれ!悪魔よ!悪魔!!成功したの!!やっぱりあの本は本物だったのよ!!」
「あー。それ」
「ラシュカにもこの前説明したよね?悪魔とエッチすることで契約する事が出来るの。願いを叶えて貰ったり、魔女の力を与えて貰ったり、使役したり――」
「それ、スライムだよ」
まくし立てるコルクレアの言葉をラシュカが一蹴する。
「へっ?」とばかりに目を点にして、「そんな馬鹿な」と両手で掴んだネバネバした粘体を凝視した。
暗い先程までとは違い、外の明るさが差し込む今の地下室の視界は良好だ。
それ故、確かにスライムと言われれば、スライムのようにも見て取れた。
が、それを感情が否定する。
「そ、そんな訳ない。悪魔だよ…。ねぇ?」
あまつさえ本人に確認までする。
そして異型は答えた。
「…悪魔ですね」
ーーー
ーー
ー
悪魔とは、なんぞや。
ヘロヘロは自問する。
ユグドラシルの中にも神話を好む友人は多かった。
しかし、その中で最も、悪魔を語らせれば右に出るものがいない人物と言えば、やはり中二病のウルベルト・アレイン・オードルだろう。
彼は『悪』と言うものに拘りがあり、そしてそこに『華』を求めた。
弱者からは奪わず、盗まず、陥れず。
必ずその標的は強い立場にある者達であったように。
富んだ者達から金を盗み、貧しき者達に配ったとされる鼠男のような義賊にして偽善、いわゆるダークヒーローのような存在に焦がれ、理想とした。
そんなウルベルトもヘロヘロのスキル構成を見て「俺より悪魔してる」等と言っていたし、現に敵対ギルドからは散々悪魔と言われてきた。
ここで、ヘロヘロは悪魔ではないと否定する事は簡単だ。
モモンガさんならそうするだろう。
もしも「貴方は悪魔ですか?」と質問されれば「いいえ。私はアンデッドです」とキッパリ言い切る筈だ。
だからヘロヘロも「スライムです」の一言で終わり。
不毛な問答はそれで終了して、次に進む事が出来る。
しかし彼はその一言を前に立ち止まる。
彼の中に眠る『何か』が、ここに来て反旗を翻す。
ヘロヘロの後ろ髪を掴んだ存在。
それは過去にヘロヘロによって武器や装備を溶かされた敵対プレイヤーの怨嗟…等では無かった。
しかし否応無しにそう言う過去の行いに目を向けさせられたのは、ヘロヘロ視点で見ても如何にも『私の考えた悪魔召喚』を再現したかのような手作り感満載な部屋模様と祭壇。そしてボロを纏った少女の姿が胸を打ったからだ。
少女…と言うほど彼女は少女では無い。
三十代のヘロヘロ視点、若い事に変わりは無いが、ラシュカを十代中頃、アニメの最盛期時代を基準に女子高生とするなら、彼女は20手前の短大生だ。
そんな彼女がオカルト系、それもタロット占いでその日の出来事全て決めてかかりそうなタイプの子でもビックリの悪魔召喚に挑んでいるのだ。
ボロを纏って、食事も抜いて、そこまで必死に縋る彼女の想いを察して、ヘロヘロも単純に「スライムです」と答える事を良しとしなかった。
己の罪に目を背ける事を良しとしなかった。
それはかつての罪に目を向けた懺悔の為に。
そして、今目の前にいる悪魔を望む少女の為に。
この時点でヘロヘロは彼女達の境遇など知らなかった。
この少女がどのような過去を持ち、どのような想いで悪魔召喚等と言うものに縋ったかなど分かるはずがない。
だが、それでも。
絶望を色を目に宿した少女を見て。
様々な男に嬲られたであろう四肢を見て。
不遇な境遇へと落とされたであろう粗末な衣服を見て。
その服の胸の部分の膨らみを見て。
明らかにEカップはありそうな乳房を見て。
自分の身体よりなお、プルルンしててタップンタップンな柔らかそうなおっぱいを見て。
彼は決した。
「…悪魔ですね」
この一言で、目前に向けられたラシュカの目が、呆れるような冷たくなるような。
そんな目線に変わった気がして、ヘロヘロは全力で目を背ける。
「悪魔よりのスライムって言いますか。スライムよりの悪魔って言いますか。あ、悪魔の友達もいるわけですし、悪魔って良く言われてますし?」
なおも一人ゴニョゴニョまくし立てるヘロヘロを他所に、ペディベアのように抱き抱えられたお臍の位置。だいたい地上80センチのヘロヘロの視線よりも遥か上空。地上150〜160センチの場所では「ほらぁ」とドヤ顔を向けるコルクレアと、悔しそうに唇を噛むラシュカとで攻防が続いていた。
…いや、続かなかった。
悪魔の召喚やら契約やらと、暴走とも取れる友人の対応に、まさかのスライムからの援護射撃を受け、ラシュカはやむなく白旗を掲げたのだ。
本当にもうどうでも良くなった。
「…そう。じゃ、もう好きにしたら?」
そう言い残して背を向ける。
そして、階段を登って部屋を出る。
「行こっか。シャルカ」
階段の上、地下室の外に待機させていたのか、見えなくなった視界の向こうからそんな声が僅かに聞こえ。
「御飯出来てるから早めにね」
先程よりも大きな声に次いでバタンとドアが閉められた。
地下室を再び闇が支配する。
「……」
「……」
ドッドッドッ…。
僅かな沈黙。
しかしヘロヘロの内部の心臓は激しく鼓動を打つ。
まるで初めて風俗店の前を歩いて、客引きにあって、背中を押されるまま流されるまま入店。
もう引き下がれない局面で覚悟を決めながら風俗嬢を待つ。…そんな気持ちだった。
『べ、別にそんな気は無かったんだけどなー』とか『でももう断れないよなー』とか、散々自分に言い訳しつつ財布にガッツリ10万円、普段は絶対入れてない金額を押し込んで来てる。そう言うタイプだ。
『期待と不安で――』
不意に幻視する小学生だった頃の自分から、その作文を奪い取り「お前に本当の期待と不安と言う言葉を教えてやろうか?」の、一言で黙らせる。
期待と不安は二十歳になってからなのだ。
そしてチラッチラッとコルクレアを伺う。
『一応悪魔ですけど、それが何か?』的に無知を演じつつも、脳内では完全補足した『悪魔とエッチ』と言う単語に思考を巡らせる。
すると、突然コルクレアはヘロヘロを床に降ろした。
そしてペタンと女の子座りでヘロヘロの前で座り込み、そっと目線を背けた。
モジモジと何か言いにくそうな仕草をしたと思うと、突然彼女は顔の角度を下に動かし、身長の低いヘロヘロ相手に上目使いで視線を向けた。
プロの犯行である。
「えっとね。こんな事、突然言われても困ると思うんだけどね」
そんな、恋愛ゲームの中でしか存在しないような一連の動作に、嘗て『そんな訳無いだろ』と罵った過去の記憶が突然蘇る。
『いやー。このシチュエーション。最高ですよね』
あれは何時だったか、ペロロンチーノさんがユグドラシルに持ち込んだ。アニメDVDを並んで視聴した時だ。
一推しであり、お気に入りの作品らしく本当ならゲームを持ち込みたかったらしいが、肝心のゲームは成人ゲームの為、持ち込み出来るカテゴリの中に入っていなかった。
その代わり持ち込み出来たのが全年齢版に修正されたアニメDVDであり、勧められるまま視聴したのだ。
ペロロンチーノさん曰く、ヒロインが主人公を誘う仕草が最高なんだとか…。
『恋する乙女はモジモジしながら上目遣いで誘ってくるんですよ!!』
視聴の後、熱く語るペロロンチーノ。
しかし、ヘロヘロはそうは思わなかった。
確かにシチュエーションとしては最高かも知れない。
しかし、相手も人間だ。
こちらが最高のシチュエーションを演じる事が出来ない…と言うか、恥ずかしくてしないように。
事実はもっとタンパクだ。
だからあれはアニメやゲーム特有の着色であり、実際の乙女はそんな誘い方する訳ないではないか、と、ヘロヘロは罵っていた。
『すみません。ペロロンチーノさん。脚本の皆様。本当の乙女はモジモジしながら上目遣いで誘ってくるんです!!』
が、ここに来てヘロヘロは完全に肯定派だ。
アニメDVDではその後、それらしい雰囲気を匂わせるだけでカットされたが、ゲーム版ではその後のシーンがバッチリ記載されている。
だからこそ、瞬間、ヘロヘロはコルクレアとのシーンを幻視する。
スライムと人間。
そこに種族の垣根は存在しない。
むしろそう言うゲームの中では無い方が珍しい。
彼女の目的は悪魔とのえっちだ。
ついに童帝同盟を卒業するときが来た。
それを思った瞬間、かつての同士達の姿を幻視した。
共に童帝を称え合い、固い絆で結ばれた仲間。
クリスマスの後日には嫉妬マスクを着けて当日いなかった人間種をPKしていったかつての戦友。
「彼女なんて作ったら人間強度が下がるんですよ」
等と、彼女なんてものよりずっと大切な何かを守っていた気高き男、ウルベルト・アレイン・オードル。
「ばっかお前!童帝同盟なんて今だけだから、今凄く良い感じになってる娘いるんで!!」
等と、いつも軽口を叩きながらも最後まで我々の信念を捨てなかった義人、弐式炎雷。
「エロゲーの世界だったら百戦錬磨なんですけどね」
「彼女ですか、そう言うゲーム内結婚とかユグドラシルにもアプデされるかも知れませんね」
等と、最早現実世界が眼中に無い男。ペロロンチーノに我等がギルド長モモンガ。
その他、メイド同盟の皆に、それ以外のメンバーまで、総数10名の気高き同士が並んでヘロヘロを見詰めていた。
きっと皆なら、分かってくれる。
そんな根拠なき信頼が、ヘロヘロにその姿を見せたのか、メイド同盟の面々は童帝と書かれた港から、出港するヘロヘロの姿を温かく見守っていた。
ブォォォ…と言う汽笛が鳴り、ヘロヘロを乗せた船は出港する。
その中でヘロヘロは黙って敬礼した。
それが、今彼が出来る最大の敬意だった。
行って参ります。
ヘロヘロは静かに、別れの挨拶を呟き。
涙を以て、港に残り見送る同志達に応える。
そして…。
「ヤルダバオトを召喚する為の生贄にしたいから、ちょっと死んでもらえる?」
突然、飛来したヤルダバオトの国旗を掲げた戦艦の砲弾を受け「畜生めええええ!!」と言う断末魔を残してヘロヘロを乗せた船は大破した。
ーーー
ーー
ー
結論を言えば、ヘロヘロとコルクレアとの死闘は突如乱入したゼシリーエによって中断する事になる。
「生贄になって死んでね」と言うコルクレアの要求を「お断りだ!」と全力で突っぱね、命懸けの鬼ごっこが始まって数分。
バッタンバッタンと騒ぐ二人の喧騒に「うるっさいね!!さっさと飯に食いに来な!!」とブチ切れたゼシリーエの乱入により無慈悲の鉄拳制裁にて沈黙した。
そして現在、ヘロヘロは食堂にいた。
食堂の一角にあるテーブルの椅子にチョコンと座りキョロキョロと皆の顔とテーブルに並ぶ料理に窪みを泳がせる。
テーブルの上にはパンとスープとサラダが並ぶ、人数にして6人分だ。
ゼシリーエ、ラシュカ、シャルカ、コルクレア、ミア、そしてヘロヘロを加えても6人しかいない事を入念に確認し、目前に並べられたスープとサラダは間違いなく自分の為によそられた料理である事を確信して窪みを輝かせた。
ちなみにヘロヘロの前にパンは無い。だがそれに対して不満を口にする程、ヘロヘロも愚かでは無かった。
何と言ってもヘロヘロは部外者だ。
そんな自分にも料理が提供されている。その事にヘロヘロは素直に感動していた。
温かなスープから陽気に踊る湯気がヘロヘロの鼻孔を擽ってくる。
思えば、村を出て以降、ヘロヘロが食べたものなど泥や雨水が混じった冷たい残飯ばかりだ。
味覚は兎も角、人間と同等の嗅覚を持つヘロヘロにとって食事とは決して楽しいものでは無かった。
飢えを駕ぐ為の手段だった。
この席に座る誰か(今回はゼシリーエだった)がスープに口を付けたタイミングを見計らって、ヘロヘロもスープへと触腕を伸ばした。
その矢先。
「聞いて、悪魔召喚が成功したの。なんかすっごい低級な悪魔っぽいけど、彼を生贄に使えば今度こそ、上級の悪魔を呼び出せるはず」
「違うしー。あれはゴミ山から拾って来たスライムだよ。お腹が空いた時の非常食なんだから」
「彼も悪魔って認めたでしょ?あれは私の生贄よ」
「悪魔よりのスライムとも言ってたし。あれは私の非常食」
何やら突然、コルクレアとラシュカが言い争いを始めた。
この二人はヘロヘロを挟んで左右に座っている。
そんな位置から、ヘロヘロを跨いで言い争いをしているのだ。
スープに触腕を伸ばしたヘロヘロも思わずその手を止めて両者に目を泳がせる。
やがてコルクレアがヘロヘロの触腕を掴んだ。
「うひっ!?」
負けじとラシュカがもう片方の触腕を掴む。
「おお!?」
突然の異性からのボディタッチにヘロヘロは心臓が飛び跳ねる。
何やかんや言ってもヘロヘロも男性だ。
それも現実世界では年頃の異性の手も握った事の無い童帝である。
そんな彼にとって異性から腕(この場合触腕)を掴まれると言う突然の行幸に窪みを丸くする。
そして、予想通り引っ張り合いが始まった。
両手に華と言うのは正にこの事。二人の美女に引っ張り合いされると言う何かのアニメで見た事はあっても生涯自分の身に起きそうに無いシュチエーションに幸せ度数が上昇していく。
鼻の下を伸ばして『うっひょょー』とか『なんだよ。天国かよ』とか、第三者には決して聞かせられない歓声を脳内で上げ暫く異性の掌の感触を楽しんだ。
「生贄!」
「非常食!」
…尤も、言い争ってる内容には全力で窪みを背ける。
現状、どちらが勝利しても死ぬことに変わりは無いからだ。
「いい加減にしな!ヘロヘロが困ってんだろ!?喧嘩がやりたきゃ他所でやんな!!」
突然の怒号。
瞬間、呼応したように両者の手が離される。
喧嘩を仲裁したのは言うまでもなくゼシリーエだった。
流石は店主と言うべきか、地下室での一件もそうだがゼシリーエの怒号一つで、喧嘩が収まる辺り、慕われてるな…と言うのがヘロヘロの率直な感想だ。
コルクレアもラシュカも食事を再開…と、思いきや。
「よーし。じゃあっちで勝負よ」
「受けて立つ」
等と食堂の端で取っ組み合いを始めた。
そんな二人はさて置き、テーブルではゼシリーエとミアが黙々と食事を再開する。
すぐ隣ではラシュカとコルクレアが壮絶なキャットファイトを繰り広げているが、一顧だにせず無視を決め込んでいる辺り普段からこんな感じなのだろう。
ヘロヘロの前にも皆と同様置かれた器。
そこには皆と同じスープがよそられている。
恐る恐る他者の顔を見合せ、そしてスープに口を付けた。
スライムの特性故に味は感じない。
それでも、スープの香りは鼻孔をくすぐり、飲めば温かなものが体内に広がる。
しばし夢中でスープを頬張り、やがて空になった器を手放し「ハァ」と深い溜息を吐いた。
「ほーう。いけるねー」
それを眼下に目を落とし見下ろすゼシリーエが興味深そうに見詰めていた。
「パンもいけるのかい?」
「え?はい」
返事の直後、ポンっと投げられたパンを慌ててキャッチし見上げれば、不敵に笑ったゼシリーエと見詰め合う。
「取り置きは無いんだ。食べかけで悪いがね」
そう言ってタバコを取り出し火を付けた。
間接キス…って奴ですか?
半場硬直しながら首だけブンブン横に振動させるヘロヘロを他所に白い煙を吐き出した。
ヘロヘロはそんなゼシリーエを見て、そして食べかけのパンを見る。
『クソがっ!下水で汚物の処理でもしてろよ!!』
不意に心無く向けられた言葉が脳裏をかすむ。
村を出て、都市の中で暮らした期間は僅かだが、それでも自分がこの世界では疎まれる存在だと言う事は痛い程身に沁みた。
にも関わらず、こうして優しくしてくれる理由が分からなかった。
「あの」
「んー?」
「なんで、ここの人達は、こうも良くしてくれるんですか?」
途端にゼシリーエのニヤけた笑みが引っ込んだ。
呆気に取られたように暫く二人見詰め合い、そして唐突に親指を争う二人組へと向ける。
「お前さん。このままじゃ非常食か生贄だけど、良いのか?」
良くねーよ!!
と言う魂からの咆哮は別にして、ヘロヘロも親指に吊られて窪みを向ける
女の戦いも決着が近いのか綺麗にコブラツイストを決められるラシュカが泡を吐きながらタップしていた。
半目を向けるゼシリーエ。
唖然とするヘロヘロ。
言葉も無く見詰める一人と一体を他所に。
「あー。これは生贄で決まりそうかも」
ゼシリーエの隣でミアが他人事のように呟いていた。
「それにしてもお前さん。もう既に揉まれた口だね」
女の戦いの結末に、目を奪われていたヘロヘロに突然ゼシリーエは話題を戻す。
慌てて目線を戻せば三日月に歪んだ口でニンマリ笑う20代中頃の魔性の笑顔がそこにある。
「察するよ。こんなに流暢に人語を話すんだ。人に近付いたのも一度や二度じゃないんだろ?下水を登ってきたのか他所から流れてきたか知らないけどさ。ここじゃスライムは下水処理する不衛生な生物だ。偶に下水で増え過ぎたのが登って来る事もあってね。街を彷徨いてりゃ討伐の対象ってもんさ」
「あー。やっぱりそんな感じなんですね」
薄々感づいてる事をキッパリと言われ、ヘロヘロの気分は重く沈んでいく。
ゲームの世界では予想だにしなかった。
架空のモンスターが現実世界に存在したならば、そのモンスターは人の手によってどのような境遇を迎えるのか。
例えば不衛生と侮辱の目を向けられる動物の一つに豚がいる。『薄汚い豚』とは正にこのことだ。
しかし、現実として豚が汚いと言う訳では無い。
家畜として人糞を餌に与えていた歴史や養豚所の勝手なイメージが豚を侮辱の対象として落とし込んだ。
それと同じようにこの世界ではスライムとは侮辱の対象なのだ。
分かっていた事だが、こうも面と向かって言われると堪えるものがある。
意気揚々と異世界転生した結果、その姿がゴキブリだったら瞬時にリセマラしたくもなるだろう。
もう絶対人とは馴染めないし、人生ハードモードが確定するからだ。
今自分が置かれている境遇が当にソレだど改めて言われ、ヘロヘロの視線は知らず知らずに下へ下へと下がっていく。
「――けどね。それがどうしたって言うんだい?」
「はい?」
「ここは天下のスラム街だよ?繁栄の陰で無価値と切り捨てられて来た者達の住まう掃き溜めさ。この地区の人間もスライムも都市の連中にとっちゃ同じ穴のムジナってもんさ。利用出来るものは利用する。それが私の方針だよ」
曇った感情を一蹴すらように、ヤニの匂いと白い煙を漂わせニヤニヤと笑う不健全な笑みは晴れやかで眩しかった。
人間の年齢で言っても恐らく年下。自分の方が遥かにおっさんであるのに関わらず、嬉しさに次いで頼もしさ、そして憧れに近い格好良さを感じた気がした。
「私はここにいて、良いんでしょうか?」
「良いんだろ?なぁ従業員兼ペットの御主人様よぉ」
恐る恐る絞り出したヘロヘロの問いに、ゼシリーエは答えずに顔を横に向けた。
そこにいるのはコルクレアにプロレス技を極められ泡を吹いて失神しているラシュカだ。
彼女は突然我に返るなり叫ぶ。
「従業員兼ペット兼非常食だよ!」
「じゅ、従業員兼ペット兼生贄よ!!」
はは…。役職多いな。と、ヘロヘロは笑う。
ふと気が付き目線を戻せば、それがゼシリーエにとって満足いく返答だったのか、自慢気にフフンと鼻を鳴らすゼシリーエの視線と重なる。
「だ。そうだ。これからバシバシ働いて貰うから、覚悟するんだよ」
「任せて下さい。こう見えて、オーバーワークには慣れっこなので」
声を弾ませヘロヘロは答える。
仕事は好きか…と問われれば好きではない。
それもこれもクソブラック会社の仕打ちのせいだが、ここでの仕事、そして仕事仲間となる面々を眺め、悪くないと素直に思った。
確かにヘロヘロはこの世界においてはゴキブリなのかも知れない。
だが、それでも良いと言ってくれる仲間がいるのだ。
ここでなら。
ヘロヘロは一度諦めてしまった目的を思い出す。
ここでならモモンガさんを探す手掛かりが見つかるかも知れない。
かつての友の姿を脳裏に浮かべ。
確かに抱いた希望に気色を浮かべる。
「あ、そういえば。ここってなんのお店なんですか?」
「何って、風俗店だよ。風俗店。エッチする店」
「……」
「……」
ヘロヘロはピタリと石のように硬直。
何事かと疑問符を浮かべて様子を伺う、ゼシリーエにラシュカにコルクレアにミアにと視線を流し。
「えええええええ!?」
そして吠えた。
ヘロヘロ、年齢三十路。そう言うお店があることは知っていたが、当然入った事は無く、そう言うエッチな会話が出来る女の子と話した事も当然無かった。
ここでいったい自分はどういう仕事をするのか…。
想像も出来なかったが、想像するのは楽しかったです。
後にヘロヘロは当時を振り返ってそう語る。
ーーー
ーー
ー
「あああああああ!!」
突然、部屋いっぱいに響き渡った絶叫にヒルマは一瞬硬直する。
八本指と言う裏組織に所属し、様々な物事を見聞きしてきた。その中でもこれほど悲壮感を漂わせた感情の爆発を見たことが無い。
これが自分の敵対者から発せられたものなら彼女はそこまで驚かなかっただろう。
それどころか微笑みすら浮かべる余裕があったに違いない。
しかしながら、その声を上げたのは彼女の仲間であり、同じ苦痛を、同じ苦労を分かち合う仲間である。
その仲間の一人が咆哮を上げながら大理石の冷たい床を転げ回っているのだ。
理由を早く知らなければ自分もああなるのでは、と言う恐怖がヒルマを衝き動かす。
「ど、どうしたんだい?オリン。何かあったのかい?」
声を上げていた男が動きを止め、ぬめり上げるようにヒルマを下から見た。
「ああ。ヒルマ。終わった。…終わってしまった」
終わった。と言われただけでは説明にならない。
しかしオリンの関わっている仕事の内容で彼がこうなりそうな案件を知らぬ程ヒルマも馬鹿では無い。
そしてその案件の全てが魔導国に関する仕事だ。
「どういう事だい?」
「ヒルマ…。帝国の最高級のムーンローズを魔導王陛下に献上する計画は知っているな」
やはり…と、ヒルマの不安が的中したことに内心でゾッとする。
ムーンローズとはアインズ・ウール・ゴウン魔導王が帝国の数ある貢ぎ物から特別に御気に召した一品であり、その最高級の品は魔導王の勅命によって依頼されたものだ。
当然、魔導王はその品を心待ちにしており、帝国、八本指、そして魔導国の総力を以て完遂すべき一大プロジェクトとなっている。
「勿論だよ」
「それが失敗したんだ。帝都に着いた頃にはムーンローズは消失して、代わりに黒いスライムが」
「ひぃ!」
思わず掠れた悲鳴を上げ、ヒルマは慌てて周囲を確認する。
ヒルマには感じられないが、この部屋には監視者がいるはずだ。それが動き出していない事を確認し、安堵の溜息を吐き出す。
失敗は決して許されない案件だ。そのことについてはアルベド様からもキツく言われている。
もしもそんな事がアルベド様の耳に入れば、あの地獄すらも天国と思えるような処罰を受けることは目に見えている。
いや、そもそも未だその情報がバレていないとは限らない。むしろバレている可能性の方が遥かに高いと言える。
帝国でムーンローズの消失が発覚してここまで情報が届くのには丸一日は掛かる。
それだけの時間の間、魔導王陛下からの関心の高い此度の一件、魔導国がなんの情報も得ていないとは思えなかった。
次、アルベド様が姿を表す時は自分達に地獄の処罰を与える為かも知れない。
「勿論、直ぐにムーンローズの再発注はかけた。しかし最高級と言われるものは残っていない。二流品のものしか残って無いんだ」
それはまぁそうだろう。
最高級と言われる一級品の品は全て買い占めた。元々最高級と言われるもの自体の数が少ない事もそうだが、数を揃える為にも全てを買い占め帝都に輸送したのだ。
輸送した品が輸送中に消失するなど予想外にも程がある。
いや、正確には危惧していた。
危惧していたからこそ万全の対策を取ったのだ。
帝国との協力もあり周辺の警護、有能な護衛も付け、虫や低位モンスターの侵入を防ぐ護符も用意した。
普通に考えればスライムが発生するなど有り得ないのだ。
「…オリン。聞いてこれは恐らく」
「ああ。分かっている。謀略だろう。帝国、又は魔導国の敵対組織、または周辺国のどれかだろうな」
スライムの発生が何者かによる謀略である場合、必ず手引した人間がいるはずだ。
しかしそれが個人とは考え辛い。
何故ならムーンローズの献上の一件は極秘情報だ。
帝国にせよ八本指にせよ極秘情報を入手し、準備、実行に移すにはそれ相応の組織力が必要になる。
魔導国から漏洩は有り得ない。
あんな国から情報を盗むなどどの国にも不可能だ。
「これはもう手引した実行犯とスライムを殺し、その首、亡骸と共に関与国の情報をアルベド様に差し出す以外に私達が助かる道は無いね。…ああ、勿論。再発注したムーンローズと一緒にね」
いや、まてよ。と、そこでヒルマの直感が働く。
それではまだ不完全だ。
少なくともアルベドは適切では無い。
あれは完全に自分達人間の事を玩具としか見ていない。
「…違うわ。アルベド様じゃない」
これは一種の賭けだ。
ヒルマも魔導王の人物像は掴めていない。
しかしそれでも帝国が今の形で属国として生存を許されているのは魔導王の存在が大きかったのではないかと見た。
アルベドは人間を玩具としか見ていないが、魔導王はまだ温厚なのではないか…と言う願望に近い憶測だった。
「魔導王陛下に直接嘆願するべきよ」
その為には、十分な戦力を揃えないといけない。
戦闘力の高い実行部隊は当然、情報を吐かせる為の拷問部隊。暗殺部門や諜報部門も総動員しなくては。
この件でお借りしたアンデッドは使用できるのか?
様々なことに思考を巡らす。
どこの馬鹿がやらかした謀略かは知らないが、実行犯には相応の報いを受けさせてやる。
ヒルマは決断する。
その日、この事件は八本指幹部の全員に共有され、実行部隊の帝国派遣が決まる事になる。
ヒルマ「開けてくださる」
アインズ「何かな何かな?」
ババーン!(ヘロヘロの死体)
アインズ「ひぃぃ!!」
……あれ、なんか見覚えが(笑)
こんな未来が訪れるのか訪れないのか。