ヘロヘロが行く   作:ロアグリーン

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オーバーロード、27万文字特典。
読む事が出来ました。

ここでの情報も二次創作に活かせれば良いなと思います。

ちょっと18禁っぽい要素あるけど、大分ボカしているからセーフ?セーフだよね?





ヘロヘロ、疑われる

 虫の知らせなんてものは嘘っぱち。

 何か悪い事が起こる前触れとして胸騒ぎを人は覚えるならば、不幸な事故など起こりはしない。

 しかし、結果には必ず過程が伴うように、現象には必ずそれに至る理由がある。

 晴天の青空に分厚い雲が掛かれば誰もが雨を予想するように、旅路の向こうの雲行きを見て嫌な予感と焦りを抱く事は至って普通の事だろう。

 

 つまるところ知識と情報の問題だ。

 

 知識も情報も足りていなかった愚鈍な貴族は、あの時に『無能』と称され、地位を剥奪された。

 知識も情報も足りていなかった愚鈍な娘は、困窮していく家庭の事情も顧みず、親しかった使用人の解雇や減らされた小遣いに、怒り噛み付き家を飛び出した。

 

 愚鈍な娘は色々あった。

 如何に自分が世間知らずだったか思い知らしめるには十分な程、色々あった娘の末路は、スラムと言われる貧困層の住民が跋扈する区画にて風俗なんてものをやっている。

 

 それでも今の環境はそれなりに幸せだ。

 その細やかにして平凡な幸せを、再び愚鈍な理由で失うことが無いように、ミアと言う名の娘は情報と言うものを大事にしている。

 

 一度は嘘っぱちだと罵り吐き捨てた。

 虫からの知らせに今度はちゃんと気付けるように。

 

 ここ(店)での情報源は主に客の雑談だ。

 テーブルで快談する客同士の会話に耳を傾けたり、時には割って入ったり、個室でサービスの合間に御喋りしたりと、様々な場面で情報を得る。

 

 ここ最近の気になるニュースは主に2つだ。

 一つはアインズ・ウール・ゴウン魔導国というアンデッドが支配する悍ましい国が帝国の隣に生まれ、帝国はその属国となった事。

 帝国政府はこの魔導国の言いなりで、現在、犯罪者を魔導国へと送っているらしく、戦々恐々とする民衆はアンデッドの贄となる事を恐れて、些細な犯罪すら犯さないようにしている。

 それが結果として犯罪率の低下、治安維持にも繋がっているそうだ。

 

 そしてもう一つが、どうも最近、帝国政府の様子が可笑しい…という事。

 明らかに何かを捜索しているが、とは言え何を捜索しているのかが公にはされていない。

 

 とは言え、ここの客の多くは場末の労働者かワーカーが大半を占める。

 その日食べていくだけで精一杯な彼等に有益な情報ばかりを求めると言うのも酷な話だ。

 

 そう思っていた矢先。閉店間際とも言えるような時間に店にドアが開かれた。

 

 ラシュカは既に最後のお客さんを相手に2階に上がり、コルクレアは客と酒で盛り上がり、結果泥酔してテーブルに沈んでいる。

 ゼシリーエはカウンターで静かに帳面にペンを走らせ、ヘロヘロはうとうと微睡んだシャルカを連れて寝室に行っている。

 

 必然的にミアが入店した客へと足を運び、そして客の顔を見て目を見開いた。

 

「こんな時間に済みません。迷惑でしたか?」

 

 オドオドと気不味そうに顔色を窺う15ぐらいの少年の姿。なにも初見と言う訳じゃない。ここ最近、ミアの常連として良く顔を出す少年だ。

 年齢としては客と成り得るギリギリの所だが、これでも帝都に仕える騎士であるらしく稼ぎとしては申し分ない。

 いやむしろ、客層の多くが場末の労働者やワーカーであるこの店に取っては上客と言って過言の無い相手だった。

 

 だからと言う訳では無いが、ミアは思わず少年の顔を見るなり微笑む。

 

「うんん。…嬉しい」

 

 彼の顔が僅かに赤く染まり、そして唾を飲み込んだ。

 そんな彼の様子を見るまでも無く分かる。

 この店に来る客の中では珍しく、肉欲以外の感情を向けてくる少年だ。

 

 

ーーー

ーー

 

 少年にとってここは悪魔の巣窟だ。

 異性を見て、此れ程までに感情が昂ぶる事は今まで無かった。

 エプロンを巻いて食事を運ぶ彼女の姿は天使だが、彼女と共に2階に上がり、個室に入れば最後、悪魔へと姿を変える。

 いつまで経っても手を出せないでいる自分が悪い事は百も承知だが、結局前回もキスで口を塞がれ、ベッドに押し倒された後、徐ろに脱がされ、しゃぶられ、そして果てていた。

 

 そんな自分を勝ち誇ったように見下ろしながら、「もう一回いける?」「無理です」そんな会話を重ねた後、何時も通り雑談して帰路につく。

 

 男の威厳もクソも無い見事なまでの負け犬っぷりだ。

 今日こそは!

 何時ものように暖簾の前で闘志を燃え滾らせ、彼女を押し倒す妄想を胸に暖簾を潜る。

 そして客の一人もいない食堂の様子に『ちっぽけな闘志』は儚く消え去り、代わりに不安が込み上げた。

 

 『あ、今日はもう閉店なんで』なんて言われようものなら『あ、はい』と虚しく帰路に着く他に無い。

 

 恐る恐る店内を見渡せば、小走りで駆け寄ってくる店員の姿が目に留まる。

 そしてそれは目的の彼女だった。

 

「こんな時間に済みません。迷惑でしたか?」

 

 顔色を窺うように問えば、少しだけ驚いたように目を見開いていた彼女は優しく微笑んだ。

 

「うんん、嬉しい」

 

 悩殺ものである。

 

 店に招かれ、中へと入る。

 カウンターに座る店主が自分を見るなり、ニヤリと笑う。

 目的の彼女の微笑みがまるで慈愛に満ちた天使のソレだとすると、カウンターの店主の笑みは罠にかかった獲物に向ける悪魔のソレだ。

 

「良く来たね。ラットル君。ゆっくりして行きな…と、言いたいところだけど、食堂は生憎品切れでね。早速で悪いけど上がってもらえるかい?」

「あ、はい。済みません。こんな遅くに」

 

 条件反射で謝罪し言われるままに2階へ上がる。

 すんなり2階に上がれた事が少しだけ意外に思えて振り返ると、前回「魔王の弱点は左の『ちぶさ』で御座いまする」と耳打ちしてきた村人Aは、何故だかテーブルに沈んでいた。

 

 これなら、前回同様、負け犬となって果てたところで「勇者殿、魔王討伐の首尾は如何に?」「おう。イッてしまうとは情けない」と、さも残念な人を見るように茶化される事は無いかも知れないと安堵する。

 …尤も次の瞬間にはその村人Aも魔王に蹴り飛ばされて床に沈む事になるのだが。

 

 個室に入る。

 ベッドに座る無防備な魔王を見下ろす形で、先制攻撃に移るように両手を構える。

 ゴブリンやオーガであれば0.5秒もあれば鞘から剣を抜き去り首を落とす事が出来るが、彼女の後ろの時計は無情な事に5分の経過を告げていた。

 

 彼女が動く。先制攻撃の機を逃した事を悟るや否や、彼女の腕が首に巻き付き、キスで口を塞がれた。

 ダンスのようにクルンと回り、そのままベッドに押し倒される。

 そっから先はお決まりのコンボだ。

 

「もう一回いける?」

「…無理です」

 

 結局その日も雑談だった。

 

 

ーーー

ーー

 

「――それで、その店のパンケーキが好評らしくて何時も凄い行列らしいんだ。今度良かったら」

「――それで、同僚の先輩達には何時も誂われてて、あ、でも先輩としては良い人達なんだけど」

「――それで、魔導国は犯罪者を要求していて。なんに使われてるかは、分からないんだけど」

 

 お菓子の事。仕事の事。魔導国の事。

 少年は語る。

 日々の日常の話をコロコロ表情を変えながら聞いてくれる彼女との会話が好きだった。

 

 時に楽しそう笑い。

 時に呆れるように苦笑し。

 時に不思議そうに顎に指を当てた。

 

 しかし魔導国の話になり、亜人やモンスターが跋扈する元エ・ランテルの現状の噂話になった途端、彼女の表情に雲が掛かった。

 

「帝国もいずれ、そうなっちゃうのかな?…正直、ちょっと恐いな」

 

 目を背けて彼女は言う。

 その怯える少女のような可弱さを前に、ラットルは思わず反射的に肩を掴んだ。

 驚いたように目を見開く彼女の顔を真っ直ぐ捉え、そして言う。

 

「大丈夫!」

 

 勇気付ける事が目的だったが、その熱量はそれだけでは無かった。 

 少年は確かに魔導王の戦いは見ていない。

 まだ特殊部隊の候補生として、必要な訓練と学習の最中だった。

 しかし帝国騎士の皆の凄さは知っている。

 首席宮廷魔道士、そしてその高弟達。帝国四騎士、近衛や特殊部隊など、帝都の軍部は化物の巣窟なのだ。

 

 確かに帝国は魔導国の属国と言う立場となった。

 しかしラットルは知っている。

 皇帝ジルクニフが優れた知者であると言う事を、属国となったからと言って軍力で劣っているとは限らない。

 真正面から衝突すれば被害が甚大だと判断すれば、機を窺い時間を稼ぐ為に偽りの属国と言う立場を取るかも知れない。

 その証拠に帝国は僅かな期間であったが同盟国と言う立場を取っていたのだ。

 だが、それでも魔導国からの信用を得るには足りないと判断したのだろう。

 苦渋の決断だったのかも知れないが、政治と外交の方では負けていなかったらしい。

 現状、魔導国からの介入はほぼ無いと言って過言ではない。

 

 そんな想いが、熱量となって口に出る。

 

「帝都の騎士は凄いんだ。俺、ニンブルって四騎士を見た事あるけど、見ただけで分かる。あれは化物中の化物だ。それにあのフールーダもいる。俺の所属してる部隊の皆だって化物だ。…それに」

 

 勢いのままに想いを吐いた。

 そしてそれに続く言葉を脳裏に描く。

 

 ――それに。俺だってその精鋭の一員だ。

 

 剣の腕には自身があった。

 ゴブリンやオーガ、王国の戦士にも負けないだけの自負がある。

 少女の怯えを利用して己を売り込むような行為に抵抗あれど、怯えた少女を勇気付ける行為は男としての本懐だ。

 だからラットルは騎士の威厳をもって彼女に伝える。

 

「俺だって、精鋭と言われる部隊に所属してる騎士な訳だし、えっと、…け、剣には自身があると言うか」

 

 無理でした。

 

 軍部や部隊の話であれば熱く語れども、自分の話になったとたんにコレである。

 

 何時の間にか視界から彼女の顔も消えていた。

 別に彼女が動いた訳じゃない。

 目を逸らしていたのは自分自身だ。

 

「知ってるよ」

 

 しかし、そんなラットルの視界に入るように彼女はラットルの顔を覗き込む、そして笑ってみせた。

 小馬鹿にする笑いではない。

 そこにはもう怯えた少女の顔はない。

 

「ラットル君が凄く頑張ってる事。身体を見れば分かるよ」

 

 そう言って、彼女はラットルの腹部を擦る。

 されるがままだ。

 そんなラットルは目を泳がし、そして何と無く時計を見れば、針の傾きは入室から30分が過ぎようとしている事を告げていた。

 

 同時に自分が閉店前の飛び込み入店だった事を思い出す。

 そうでなくても大体30分を目処に退室するのがマナーらしい事は知っている。

 彼女の顔色に時間を気にしている様子は無いが、とは言え、これ以上の長居は迷惑かも知れない。

 

 告白と言う単語が脳裏を過る。

 お前なら風俗の女なんてイチコロだと先輩は言っていたが、それでももっと落ち着いたタイミングが良いだろう。

 

 そんな理由で告白を断念し、しかし代わりに明日から始まるスラムでの捜索を思い出す。

 

「そう言えば、明日からスラムを捜索する予定らしくて、多分この周辺にも結構な騎士が来ると思うけど」

「え、そうなの?犯罪者とか?」

「いや、黒くて喋るスライムらしい」

 

 ここまで喋ってラットルは気付く。

 口外禁止だった。

 もしも魔導王が発注したムーンローズをスライムが駄目にした件が国中に知れ渡ると国民がパニックになる恐れがある。

 だから極力国民には知らせず、犯罪者の捜索など適当な理由を使って騎士を派遣しているのだ。

 

 それを普通に否定してしまった。

 思わず「あっ!」と口に出て、そして直ぐ様、両手で口を塞ぐ。

 そんなあからさまに『口が滑りました』と分かる仕草を取ったラットルと唖然とする彼女とで見詰め合う。

 『しまった!』と思うも後の祭り。

 

「黒い…スライム?」

「――ほら、魔導国って亜人やモンスターを国に住まわせ使役してるって話だし、喋るスライムは珍しいから」

 

 彼女の口から捜索対象を復唱するように聞き返されて、思わず被せるように誤魔化した。

 

「そっか」

 

 再び彼女の表情に微笑みが戻る。

 誤魔化せた。

 ラットルはその表情の変化に安堵した。

 

 

 

ーーー

ーー

 

 どうしてそこで魔導国の名前が出たのか。

 ミアは平静を保ちながら考える。

 普通に考えれば帝国はヘロヘロを魔導国に差し出そうとしている事になる。

 ラットルの説明では黒くて喋るスライムが珍しいから…との事だが、何かを隠している事は明白だった。

 

 不透明な予感を胸にミアが先導して部屋から退室し、階段から食堂の様子を窺う。

 ここからでは全容を窺うことは出来ないが、代わりにカウンターに座るゼシリーエがミアの視線に気付くなり目配せにて合図する。

 事前に打ち合わせをしていた訳では無いが、直感的にヘロヘロを隠した事だと理解した。

 

 先程聞いた内容がゼシリーエの耳に入っているとかそう言う訳では無いが、騎士の仕事は街の景観を守る事も含まれる。

 ヘロヘロは彼にとって討伐対象だ。

 無用なトラブルは避けれるなら避けた方が良いに決まっていると、ゼシリーエなりに気を配ったのだろう。

 

 安堵の溜息を殺し、ラットルを玄関先まで見送って、ようやく殺した溜息を吐き出した。

 暖簾を外し、ドアを閉める。

 

「お疲れ様」

 

 労うように発せられたゼシリーエの声を背中に受け、そして振り返るなり問い掛ける。

 

「ヘロヘロは?」

「ん、取り敢えず物置の整理させてるよ。呼んで来てくれるかい?」

「分かった。ありがとう」

 

 物置へ向かう。

 その間、彼の会話を思い出す。

 

 そもそもだ。

 何故、政府は黒いスライムの存在を知っている?

 たまたま見付けた?

 それとも黒いスライムを差し出すように命令を受けた?

 前者よりも後者の方がしっくり来る。

 なら誰に?

 魔導国だ。

 属国である帝国がもしも宗主国である魔導国から命令されたなら、きっと必死になって捜索するだろう。

 

 ここ最近、政府が何かを捜索していたという情報は他の客からも聞いている。

 しかし何を捜索していたかは公にはされていない。

 

 何故だ?

 捜索するのならば国民にも大体的に公表にすれば良い。

 懸賞金を懸ければ物量に物を言わせて発見が容易くなるはずだ。

 しかしそれが出来ない理由。

 彼は私に何かを隠した。

 いや、正確には政府が国民に何かを隠しているとするならば…。

 

 不安が募る。

 胸騒ぎがする。

 

 何かとても不味い事に巻き込まれているような気がして気が気じゃなかった。

 

 そもそもだ。

 ヘロヘロはいったい何処から来たのか。

 何故、あのような状態で転がっていたのか。

 

 何かに殺されかけていた?

 でも実際は死ななかった。

 私達が助けたからだ。

 もしも殺そうとした張本人が何らかの手段でソレに気付いたならば。

 もしもその張本人が魔導国であるならば。

 一つの推測が脳裏に浮かぶ。

 

「…ヘロヘロは魔導国から来た?」

 

 カチリと頭の中でピースが嵌る。

 手探りで完成へと向かうパズルの模様は悍ましい髑髏が描かれている気がして恐ろしかった。

 

 もしも何らかの理由でヘロヘロが魔導国に追われ、それを私達が助け匿ったとするならば、いったいどれだけ恐ろしい報復が待っているのか…。

 

 そんな筈は無いと恐ろしい妄想は打ち払う。

 だが、一度完成した髑髏の呪いは容易には頭から離れない。

 

 物置の前に立つ。

 開ければ中にはヘロヘロがいた。

 

「えーと、ここをこうして」

 

 何やら棚の整理で格闘していたらしいヘロヘロは伸びたり縮んだりしながら物をあっちに置いたりこっちに置いたり、整理の途中だからだろうが却ってむしろ散らかっていた。

 

 開いたドアが鈍い悲鳴を上げ、呼応するようにヘロヘロが振り向く。

 スライムと言う粘体でありながら、目のような窪みが2つ。こちらに向けられた。

 

「あ、ミアさん」

 

 弾むような声色だった。

 普段の陽気な様子を思わせる喜色を含んだ声で名を呼んで、次いで思い出したように周囲を一瞥。

 

「…まだ、途中なんで。むしろこれから綺麗になるんで」

 

 取り繕うように彼は言う。

 

「――ハハッ」

 

 笑った。

 笑いが込み上げた。

 その、なんの危機感も感じさせないヘロヘロの様子に、不吉な予感とやらは四散した。

 

「?」

 

 疑問符を浮かべるように首を傾げるヘロヘロに「ごめんごめん」と謝罪する。

 笑い過ぎて目に涙が浮かび、指先でそれを拭って「手伝おうか?」と問えば、ヘロヘロは嬉しそうに「お願いします」と首を縦に振った。

 

 馬鹿な妄想だった。

 もしもヘロヘロが誰かに命を狙われる身であれば、こんなに陽気なはずがない。

 政府に追われている謎が解決した訳では無いが、それでもミアの心にも余裕が戻る。

 

「ごめんね。こんな時間にこんな仕事させちゃって」

「前の仕事に比べれば可愛いものですよ」

「そっか」

 

 彼の返事に答えて、転がっていた小物を拾い棚へと並べる。

 そして遅れて悪寒が走った。

 聞き流してしまいそうな会話の中で、違和感と言う名のノイズが走る。

 

 今までの会話の中でも度々耳にした。

 それでもその時は聞き流していた。

 

 

 ――前の仕事って何だ?

 

 

『魔導国は亜人やモンスターを自国に住まわせ使役しているらしい』

 

 聞いた話が不意に脳裏を過る。

 ドクンと心臓が鼓動を打った。

 パチリと再びパズルのピースは窪みを埋め、悍ましい『何か』を象り始める。

 

 生者を憎むアンデッドに使役されると言うのは、どのような環境なのだろうか。

 地獄の光景が脳裏に過る。

 

 もしもヘロヘロがその境遇に耐えきれず、脱走を図ったとするならアンデッドの王はそれを許すだろうか。

 

 ドクンと再び心臓が強く鼓動を打った。

 パンドラの箱を空ければ平穏な日常が、細やかな幸せが、崩壊して無くなるような不安を覚えた。

 

 しかし、同時に知識も情報も足りていない愚者の末路を思い出す。

 確かめなければ…。

 と、震える心は決意する。

 

「――ところで」

 

 口を開いた。

 それはまるで奈落の階段を一歩踏み込むような行為だ。

 恐怖で背中に嫌な汗が流れる。

 それでもミアの背を押すのは、愚者の末路と今の細やかな幸せを手放したく無いと言う一途の願いであった。

 不吉な予感は最大限に警報を鳴り響かせるが、同時に杞憂であると言う一縷の望みも諦めない。

 

「前の仕事って、どんなところなの?」

 

 ミアは恐る恐る問い掛ける。

 そして然りげ無くヘロヘロに目を向け――…。

 

 

 ――心臓が飛び跳ねた。

 

 

 そこにいたのは何時も見ている陽気なヘロヘロではなかった。

 地獄の釜の底を覗いた何か。

 全身から負のオーラを漂わせ、亡者のように立ち尽くす。

 その背後に、確かな死神の姿を見た気がした。

 

 ゾワッと毛が逆立ち、悪寒がゾクゾクと全身を駆け巡る。

 ピシリとミアの中の何かに音を立てて亀裂が走る。

 当たり前だった平穏が、細やかな幸せが、彼の一言で崩壊する光景を幻視する。

 

 やめて…。

 思わず脳から拒絶の信号を発する。

 だけど貼り付いた喉はそれを声にすることなく固まったまま。

 だからヘロヘロは止めてくれない。止まらない。

 そして審判の時が来る。

 

 

「…此の世の地獄です」

 

 

 まるで地を這う亡者からの呼び声のように、その不吉はミアの耳に届いた。

 

 ザワザワと胸の中で虫が騒ぎ出す。

 しかしそれは鈴虫の様な可愛らしいものではない。

 ムカデに、ゴキブリに、大蜘蛛に、様々な毒虫がワラワラと形を成して心に絡み付く。

 

 虫の知らせに気付けぬ愚鈍な娘の末路も。

 虫の知らせに気付いた聡明な娘の末路も。

 届いた時点でその結末に大差は無いのかも知れない。

 

 そう思わせる程に、ミアが幻視した不吉な未来は咽返る程に濃厚な死の臭いを漂わせていた。

 

 

ーー

ーー

 

 ヘロヘロは思う。

 まさかこんなところでクソブラック会社の事を話すことになるとは思わなかった。

 

 とは言え仕方ない事かも知れない。

 これまで散々、「前の仕事に比べたら」とか、「慣れっこなんで」とか前の職場を臭わせる言葉を多用してきたのだ。

 むしろ聞いてほしがってると思われても仕方が無いぐらいだ。普通に考えたらその話題が振られるのが遅かったぐらいだろう。

 

 だからヘロヘロは語る。

 

「此の世の地獄です」

 

 と。

 

 あそこでは自分達は道具以下の消耗品だと言う事。

 何一つ希望の無い毎日の中で、死んだ目をしながら淡々とノルマを熟し続けた事。

 体調を崩し、過労に倒れる事が決して珍しく無かった事。

 そして、このままでは確実に殺されていただろう事。

 

 前の職場について思い付く限り吐き出し、そして一度チラリと目をミアに向ける。

 黙って話を聞くミアの表情は硬かった。

 それが何と無く真剣に話を聞いてくれているように見えて、『良い人だな』と、内心思う。

 愚痴を話す側から言わせてもらえば、溜まり溜まった愚痴を聞いて『ふーん』で済ませる人間よりも真剣に話を聞いてくれる人間の方が良い。

 

 思えばモモンガさんはそう言うタイプだった。

 だからこそヘロヘロはゲーム時代、モモンガさんのそう言う優しさに甘え、積もり積もった愚痴を吐き出したのだ。

 

 土日出勤。サービス残業。時間とノルマに追われる中、明確な対策を何一つ口にしない癖して『気を付けろ!』の一言で注意喚起が為された事になってしまうクソ上司。ホウレンソウも碌に出来ない癖して親の七光りで入社し甘やかされる部下。当然、その失敗は全て自分が被ることになる。

 正に地獄。

 胃に穴が開き、髪の毛が抜け落ち、ストレス発散から暴食に走りコレステロール限界で、医者のお世話になった程だ。

 

 そんな不満やストレスを愚痴として吐き出し、その度にモモンガさんは「ええー」とドン引きしてまで聞いてくれた。

 

 不意にそんな懐かしさを思い出し、ヘロヘロの胸にも温かいものが拡がった。

 …が、同時にクソブラック会社の仕打ちを思い出して段々腹が立ってきた。

 

「――もしかしたら」

 

 と、そんなタイミングでミアが言う。

 

「もしかしたら、今頃、探しているかも知れないね」

 

 探している?

 ヘロヘロはミアに言われ考える。

 

 確かに探しているかも知れない。

 何と言っても自分は優れたプログラマーだ。

 会社の中には自分の代わりになるプログラマーぐらいはいるだろうが、部所の中ではそうは居ない。

 プログラマーとしての腕なら自分が一番だと自負している所があるぐらいである。

 

 そんな人間が急遽消息を絶ったのだ。

 当然、部所の仕事は回らないだろう。

 そして部所の仕事が回らなくなれば提供しているサービスに支障が出る。

 最悪の場合、開発しているサービスの延期だ。

 正月イベントが大晦日に間に合わないなんてみたいな事になる。

 

 当然はクソ上司は叩かれるだろう。

 「イベントに間に合わねーよ。どうしてくれるんだ?」と人事部や社長からキツくお叱りを受けるかも知れない。

 だから必死で探すだろう。

 携帯は鬼電だろうし、今頃血まなこになって名簿から住所を探しているかも知れない。

 

 しかし見付かる事は無い。

 何故なら自分は異世界にいるのだから。

 

 好い気味だ。

 ヘロヘロの中で悪魔が顔を出す。

 胸がすく思いだった。

 クソ上司が顔を青くしながら探し回る姿を幻視して、それだけで笑いが込み上げる。

 

「探せばいいです。…どうせ私は見付けられない」

 

 ふと、ミアの顔を見る。

 明らかに動揺した彼女の表現の変化に、ほくそ笑んだ事が顔に出たのかと心配し、思わずゴホンと咳込んだ。

 

「…探しているかも知れません。私は結構、重要な役割を担ってましたから。それに、外部に漏らせない重要な機密だって握ってます」

「機密?」

 

 ミアに問われ、そしてヘロヘロは目を背ける。

 周年イベントの新キャラのイラストや性能。次回イベントの特攻属性など、廃課金者やガチプレイヤーなら目の色を変えて飛び付く情報の数々なのだが、ソシャゲもアプリもガチャも存在しないこの世界で、それを上手く説明する術をヘロヘロは持っていなかった。

 

 そんなヘロヘロの感情を察するように、ミアから微かに言葉が漏れた。

 

「…言えない、事なんだ」

 

 何と無くそんな言葉だったと思った矢先、バタンと扉が音を立てて閉まる。

 それに気が付き目を向ければ、ミアの姿は既にそこには無かった。

 あるのは閉じられ鎮座する木製の扉と、その向こうで慌ただしく走っていく物音だけだ。

 

 ヘロヘロは暫く鎮座する扉を眺め、只事ではないミアの様子に思考を巡らせる。

 そして唐突にボソリと呟いた。

 

 それはもしもこの物置に第三者がいたとしても、決してその耳に届かぬだろう程に小さな言葉。

 それはとても大事な意味を持っていたが、既にこの場にいないミアがそれを知る由も無い。

 

 

 そう。ヘロヘロは確かに言った。

 

「トイレかな?」

 

 エチケットは超大事。

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