ヘロヘロが行く   作:ロアグリーン

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胸糞注意
1章でヘイト担当の魔族連合に代わり、2章でヘイト担当の八本指の面々の登場です。

あと、祝お気に入り登録1000突破!
大変お待たせしましたが(反省してます)、拝読頂ければ幸いです。


ヘロヘロ、苦悶する

 帝都アーウィンタール。

 産業区。

 その、とある寂れた倉庫にて、ガチャリと二つの金属が乱暴に放り込まれた。

 正確にはそれは甲冑の部分が金属なだけで、中身は人間だった物だ。

 今はもう人間とは言えない。

 首や胴体が千切れてグチャグチャになった肉塊をそれでも人間と称するならそれでも構わないだろうが…。

 

 倉庫の入口、そして内部には強面の男達が立つ。

 肉塊を放り込んだ不法者とは別の男達だが、放り込んだ男を一瞥しただけで我関せずと言わんばかりに無視を決め込む。

 それよりも彼らの関心は放り込まれた肉塊にこそあったようだ。

 

 屍肉を喰らうグールが向ける関心ではなく、『無駄な仕事増やしやがって』と言う苦情たっぷり含んだ睨みをすれ違ったばかりの背中に向けた。

 

 倉庫の奥には地下に続く隠し階段が開放されていて、下の階から「ギャハハ」と品のない笑い声が木魂した。

 階段を降りればテーブルがあり、4つの席にはそれぞれガラの悪そうな男達が酒やチップ(金貨)を手に『ある一方』に顔を向けていた。

 

 そこにあるのは魔獣用の巨大な檻だ。

 しかしそこに収められているのは魔獣ではない。

 商人風の衣服を来た男性と、その腕に抱き抱えられる五歳くらいの少女であった。

 

 商人風の男性と少女は衣服こそ着ているものの靴は履いておらず素足が踝程の高さまで水に浸かっていた。

 

 それもそのはず二人が立つ場所は水の張った鉄板とも鍋とも言える場所であり、正確には鍋の上に檻を拵えたような拷問具の中であった。

 

 鍋である以上、鍋の下にあるものなど決まっている。

 そこには火を焚べる為の竈門があり、上部の鍋を熱する仕組みが出来ていた。

 

 今でこそ、火はまだ焚べられていないが、一度火を入れれば直ぐにでも燃え上がる準備は終えている。

 水を張った鍋の下、一度火を焚べればどうなるか?

 わざわざそこに説明の必要などないだろう。

 

 男達はその光景を前に笑い声を上げながら期待の眼差しを向けていた。

 しかし男達が期待している事は足を煮られ苦しみ藻掻く断末魔でない。

 加熱された鉄板の熱から逃れる為に衣服を脱ぎ捨て靴代わりにする行為でもおっさんの裸体と言う訳でもない。

 

「五分だ!金貨一枚」

 

 それを証明するように、突然、一人の男が金貨を一枚テーブルの上に置くなり声を張り上げた。

 すると、それが何かの合図であったかの様に、呼応する男達が次々に金貨を重ねる。

 

「じゃあ俺は七分!」

「俺は四分!」

「六分だ!」

 

 全員の宣言が完了した事を確認するや否や、一人の男が竈門に火を入れた。

 

 竈門は勢い良く燃え上がる。

 当然、その熱は上部の鉄板に伝わる。

 湯が煮えるにはまだ時間が掛かるが、素足が直に鉄板に触れていたなら火傷は必至だ。

 

 その場合、何が起こるのか?

 

 大方の予想通り、又はこれまでの経験通り、何が起きたか理解した男性は少女を抱き抱えたまま器用に衣服を脱ぎ始めた。

 上質のスーツを脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、パンツを脱いだ。

 

 そしてそれを足元に敷いた。

 

 しかし当然だが、鉄板の熱から逃げられても踝程の高さの水位からは出られない。

 やがて熱湯に変わり地獄の苦しみを味わうのは時間の問題だ。

 少女も脱がせる。

 しかしそれでも当然、水位にはまだまだ全然届かない。

 

「頼む!助けてくれ!金ならやる!通報もしない!!本当に私は何も知らないんだ!!」

 

 何度目かも分からない命乞いを男性が吐いた。

 少女もずっと泣きっぱなしだ。

 男性の命乞いや泣き声が入り乱れ、ギャンギャンと喧しい環境だが男達は気にしない。

 なんなら男達の笑い声も負けてはいない。

 

「一分経過!」

 

 進行役の一人が口にする。

 酒を口にする男達も檻の中を注視する目にも力が籠もる。

 まだまだ先は長いと分かっていても、恐怖に負けて突然…と言う事だって有り得るのだ。

 

 そもそも、檻の中の男性はこの熱湯から逃げる事は可能だ。

 丁度いい高さの踏み台なら最初から手に持っている。

 四分もすれば水の温度は沸騰までしなくとも耐え難い熱湯へと変わってくれる。

 

 我が娘を熱湯に沈めて踏み台にするか、湯が蒸発しきるまで耐え切るか…。

 男達が賭けているのは男性が我が娘を熱湯に沈めるまでに掛かる時間であった。

 

「随分楽しんでるみたいじゃねぇか」

 

 二階から降りてきた男が言う。

 倉庫に金属を放り込んだ男だ。

 あちこちに返り血を浴びた傭兵風の男だが、地下に降りて賭事で盛り上がる男達を見るなり声を掛けた。

 

「おう。――なんだ。お前も随分と楽しんだみたいだな」

 

 返事を返したのは賭事をする男達とは別に隅のソファーで食事をしている小太りな男だ。

 左右に美女をはべらかせ、上質のソファーで酒と骨付き肉を味わう男は一目でこの無法地帯の上位者と分かる。

 

 傭兵風の男は小太りの男の前に来るなり唐突に手を伸ばす。

 そして小太りの男のテーブルに置かれた骨付き肉の一つを掴む。そして噛じった。

 この無法地帯の上位者に対して明らかに無礼な行為だが、それに対して小太りの男も気にした様子は見られない。

 当然、無礼な態度をとった男も、だ。

 

 この小太りの男も傭兵風の男も同じ『八本指』と言われる犯罪組織の一員であり、上層部から派遣された武闘派だ。

 いかにも傭兵風な風貌の男は団員数20名からなる傭兵団の頭目であり、小太りの男は麻薬売買を取り仕切るマフィアのボスだ。

 

 前者は警備部門。

 そして後者は麻薬取引部門に所属する。

 ヒルマの直属の部下でもあり、武闘派として知られる彼等は麻薬の売買だけでなく、ヒルマやその周りの上層部の護衛も請け負う。

 謂わばヒルマの懐刀の一つと言える人物だ。

 

 当然と言えば当然の話だが、暴力と言う力を保有する部門は警備部門だけと言う訳じゃない。

 今でこそ八本指は結束し一蓮托生の仲となっているが、元々は別々の犯罪組織が互いの利権を食合い衝突する事が無いよう連合を組み生まれた組織だ。

 当然、全ての部門が独自の暴力を有している。

 

 そしてこの一家こそが麻薬取引部門。ヒルマの保有する暴力の一つだ。

 

「で、進捗はどうなんだ?」

 

 骨付き肉を齧る男が言う。

 

「見ての通りさ。一生懸命働いてると言うのに碌な情報一つねぇ」

「遊んでるだけじゃねぇか」

 

 傭兵風の男が言えば、悪びれた様子もなく小太りの男は肩を竦める。

 そんな小太りの男の態度に舌打ちしつつ、檻を一瞥。

 小言を吐き捨てる。

 

「やるなら女でやれよ。野郎の裸なんて見ても面白くねーだろよ」

「別嬪さんだったからな。隣の部屋で楽しんでるよ。賭事で使うよか。普通に輪姦した方が楽しいだろ?」

「そりゃそうだ」

 

 正論だった。

 これは一本取られたと笑い。なんなら後から混ざりに行く事すら考える。

 が、しかし、既にこいつ等の中古だろう。

 奴が抱える団員の数を思い出し、其れ等全てが遊んだ後だと想像すれば、せっかくの美人もどうなっているかは大体予想が出来る。

 それなら普通に風俗行った方が100倍マシだ。

 

「で、そっちはどうよ?」

 

 小太りの男が聞き返す。

 

「さっぱりさ」

 

 小太りの男の問に傭兵風の男は肩を竦めて答えた。

 

 小太りの男の言う『そっち』とは単純に見えて意味は幅広い。

 黒いスライムの捜索や黒幕となる人物や組織の調査、任務を失敗した面汚しの粛清等と言う大本命の任務の事もそうだが、単純に警備部門内部の事でもある。

 

 既に組織として瓦解しかけている奴隷部門は兎も角。上位陣が綺麗にいなくなり、傘下のゴロツキ共が取り残された警備部門は最早群雄割拠の様相を呈していると聞く。

 

 この機に乗じて警備部門の長の座を狙う傘下の軍団やチームは後を絶たず、既に身内同士での小競り合いも始まっているという噂があるにも拘らず、どう言う訳か八本指の上層部は警備部門の問題に介入しないのだ。

 

 元警備部門の長であったゼロのように実力とカリスマを持ち合わせた人物がいないと言われればそれまでだが、頭が欠けた状態で放置された挙げ句、野心を抱く警備部門の傘下チームを一斉に集め同じ任務を与えて帝国へと送ったのだ。

 

 まるで飢えた猛獣の檻に肉を投げ込む様な行為だ。

 今は何より八本指の上層部へと食い込む為の手柄が欲しい彼等にとって、それ自体が『長』と言う人物を選抜する為の試験だと履違えても可笑しくはない。

 

 其れ等諸々の意味を察したかどうかは定かでは無いにせよ。小太りの男は『はぐらかされた』と解釈した。

 つくづく食えない男だと鋭い相貌で男を睨む。

 

「ああ、そう言えば」

 

 と、突然傭兵風の男は思い出した様に指を立てた。

 

「どうも蟲師が派遣されてるらしいぜ」

 

 その情報に小太りの男は眉を寄せる。

 蟲師と言われて思い付く人物は一人しかいない。

 

「蟲師のバルトか」

「やっぱ知ってんだな」

「当然だ」

 

 蟲師。別名、蟲使いとも呼ぶが、ネクロマンサーに並ぶ外法の一つ。

 その中でも『蟲師のバルト』とは御伽噺や都市伝説に近い人物であり、裏社会の歴史書や古い文献の中にも度々登場する。

 忌み嫌われる蟲使いの中でも禁忌とされる邪法に手を出した一族であり、寄生型の昆虫を体内に住まわせ、宿主として凶悪な昆虫を使役する。

 そんな者達が代々『バルト』の名を使って裏社会の中で暗躍していると言う話だ。

 

「聞いた話じゃ任務の為ならエゲツねぇ事仕出かす奴だ。黒幕の奴等にゃ気の毒だが地獄絵図となるぞ」

「お前と何か違うのか?」

 

 傭兵風の男の目が檻に流れる。

 泣きじゃくる少女と青ざめた男。何かを必死に叫んでいるようだが音が余りこちらに届かない。

 賭事に興じる男達の喧騒が煩いとかそう言う訳ではなく、単純に音が遮断されてるような感覚があった。

 とはいえ別に驚かない。

 巨大なファミリーを形成するマフィアのボスならそう言うマジックアイテムを持っていても可笑しくないからだ。

 尤も完全に音を遮断出来ている訳でもないので諜報対策には余りならないのかも知れないが…。

 

 傭兵風の男の言葉に小太りの男は笑う。

 徐ろに葉巻を取り出し、ナイフを滑らせ、火で炙る。

 そして煙を吐き出した。

 

「カカカ。俺は仕事に真面目なだけさ」

「ふーん。黒粉でヤク漬けになった女やその身内を使って随分悪どい事してるみてーだけどよ。…で、アイツは何したの?」

「人聞きの悪い事言うな。アレよ。真面目に調査してるうちの若ぇのに商売の邪魔だの何だのと文つけて来やがったんだ。こんなに真面目に働いてる俺達の邪魔するなんて黒幕の一味に違いねぇだろ?だから念入りに尋問してんのさ」

 

 小太りの男が何でも無い事のように言い。

 傭兵風の男もただの世間話のように聞く。

 間もなく何処からともなく下半身だけ裸体となった男が現れ、そんな男達二人の前に来る。

 その手には何かを持っていた。

 

 赤い滴が滴る『何か』。それを掲げて男は言う。

 

「すいませんボス。気持ち良すぎて殺っちゃいました」

 

 それは長い髪をした女の頭部だ。

 尤も髪が長いと分かる部分は一部であり、その他は乱暴に引き抜かれ無惨な髪型と成り果ててはいるのだが。

 兎も角。随分とお楽しみだったらしく、腫れ上がった顔は女がどの様な犯され方をしたかを雄弁に物語る。

 

「あああああ!!」

 

 刹那に咆哮のような絶叫が響いた。

 音を遮断している二人の空間にまで響くのだから相当な音量だろう。

 

 条件反射で三人は音の方向に振り向き、それが檻の中から発された絶叫だと認識すると、気にも止めた様子もなく再び視線を元に戻す。

 突き付けられた頭部を煙たそうに睨み、シッシッと追い返すように男に指示を出す。

 

「適当に処分しろ」

「へへへ。すいやせん」

 

 男が下がり、再び小太りの男は傭兵風の男を見る。

 くだらない事に水を差されたが、小太りの男の本題はこれからだ。

 

「さて、本題なんだが、俺の指揮下で動かんか?別に部下になれって訳じゃない。腕は確かだろうが、捜索だの調査だのって柄じゃねぇだろう?事件の裏で糸引いてる奴に落とし前付けさせる際に手を貸してくれりゃいい。手柄は折半だ。悪くねぇだろ?」

「なんだそりゃ。おめぇのメリットは何なんだよ」

「分かんねぇか?保険だよ。黒幕ってのがどれだけの規模の組織か分からねぇ。…まぁ黒幕が国家レベルであっても実行犯の戦力なんて知れたものだろうが。備えておくに越したことはねぇ」

 

 そもそも多数の部隊や武闘派組織を派遣しているのはそう言う名目だ。

 とは言え国家レベルでの関与が伺えようと実行犯に一個軍隊が派遣されている訳も無いが、過剰過ぎる戦力の投入は幹部達の本気度の現れだろう。

 ならば現地班は相応の対応で当たる必要がある。それがビジネスだ。

 

 実行犯は少数の特殊部隊か使い捨ての雇われか…と言った所だろうが、男達の任務はあくまで件のスライムと実行犯の粛清。そして黒幕となる組織を暴く事である。

 

 ならばやはり警備部門の者と手を組むメリットは無いように思えるだろうがそうじゃない。

 と言うよりも、警備部門の者が手柄を上げる事はそもそも余り問題は無い。

 

 今回のラッキーパンチで手柄を得ただけの考え無しの阿呆に『長の座』を安々と与えるなんて事を狡猾な幹部達が許すとは思わないが、いずれ警備部門の誰かが長の座に就くのであれば『手を掛けた者』の方が後々好ましいと言う事ぐらいだ。

 

「――てのは建前だ」

「建前かよ!」

「要は身内に対するパフォーマンスよ。お前達警備部門の間で権力争いしてるように、麻薬取引部門の中でも権力争いがあんだよ。…筆頭はヒルマ、そこは変わらないにせよ傘下の一家に存在感を示したいだろ?」

 

 小太りの男。麻薬部門に所属するマフィアのボスの立場で一番面白く無い事は、後々到着するだろう他のマフィア一家に手柄を奪われる事だ。

 

 ヒルマの懐刀は一本ではない。

 この小太りの男も間違い無く麻薬部門の中では上位に位置する人物だが、相応の立場にある人物は複数いる。

 そう言う者達を出し抜き、今回の騒動で手柄を立てればナンバー2の地位を確立する事も夢ではない。

 

 だから結局の所、権力争いだ。

 

 勿論、麻薬部門の長と言う野心が無い訳でもない。

 とは言えヒルマは傑物だ。

 元は高級風俗店の娼婦でありながら当時3大マフィアの一角だったボスの愛人となり、以降裏社会の中で頭角を現した。

 娼婦としての経験故か、駆け引きで対抗組織やその傘下の者達を操り利権を奪い。

 やがてマフィア同士の抗争が激化すると、王国の第一王子であるバルブロ王子と内通し、美女や賄賂で籠絡。ボウロロープ候の私兵やガゼフ・ストロノーフを筆頭とする国軍を利用し抗争相手を尽く壊滅させた。

 ボスはその抗争の最中に亡くなり、組織の実権は完全に掌握。

 

 以降、有象無象のマフィアはヒルマに臣従し、麻薬売買を仕切る裏社会のボスとして君臨。やがて八本指設立の機に麻薬取引部門の長となり今に至る。

 

 それ程の女だ。

 自分達ですら彼女の懐刀の一本に過ぎないのだから、保有する総戦力は計り知れない。

 だからこそナンバー2なのだ。

 

 傭兵風の男は黙って小太りの男の話に耳を傾ける。

 彼の中で思案しているのか僅かな時間瞼が閉じたと思いきや…。

 

「ケッ、お断りだね」

 

 断った。

 

「柄じゃねぇんだ。誰かに命令されんのはよ」

「お前、上の命令でここに来てんじゃねーの?」

「揚げ足取んなよ!…てか、お前の事だ。既に数人に声掛けてんだろ?」

「…当たり前だろう?でなきゃパフォーマンスにならねぇじゃねーか。周辺の傭兵団やゴロツキ共を傘下にして初めて存在感が出せるってもんよ」

「で、お前の周りの一家とやらに格下と思われる訳だ。ケッやっぱり碌でもねぇ」

「そうか。まぁお前はそう言うだろうと思っていたがな。しかし、まぁそう言う事だ。この競争に勝ち目は無いぞ?」

「知らねーよ。俺は俺で好きにやるさ」

 

 傭兵風の男は断言し、小太りの男も押し黙る。

 要件としてはこれで終了だ。

 

「ごっそーさん」

 

 と、傭兵風の男は骨付き肉を摘むだけ摘んで背を向ける。

 階段を登り帰路に付くその男を見上げ、小太りの男も葉巻を灰皿に押付けた。

 

「良かったんですかい?あれで返して」

 

 小太りの男の後ろで顔に傷を持つ男が問い掛けた。

 

 傭兵風の男が居なくなり、聞き耳を立てていた周囲の男達が一斉に小太りの男へと目を向ける。

 声を掛けたのはその周囲にいた男の一人だ。

 

「ケケケ、本当に一人で来て断って行きやがった。舐められてるんじゃ無いッスか?」

 

 別の男がナイフを抜いて階段を見上げる。

 命令一つで直ぐにでも追いかけて行きそうな気配を漂わせた狂犬のような男だ。

 

 そんな周囲の殺意のような気配を。

 

「止めておけ」

 

 小太りの男が一蹴した。

 

「ゼルバ」

 

 そして一人の名を呼んだ。

 呼応するように背後の景色から黒子のような人物がユラリと出て来る。

 

「どうだった?」

「つ、強いネ。仮にここにいる全員に襲い掛かられても問題がない。そ、そんな気配だたヨ。ここに呼んだ奴の中では、ま、間違い無く一番ネ」

 

 黒子は断言し、その言葉を聞いて周囲も僅かにざわついた。

 黒子は相手の実力を測る能力を持つ。

 彼の職業からなるスキルではなく、生まれついてのタレントの能力だ。

 

 彼の能力は戦闘能力を正確に測る能力ではない。一流の戦士と一流の料理人を比べれば戦闘能力は雲泥の差があるが黒子の能力は似たような気配を察知する。

 しかしそこはシーフとして技能と経験からの洞察力を持ってすれば補完する事は容易い。

 

 故に黒子の戦闘能力を測る能力は正確だ。

 少なくとも経験だけで彼我の力量を測る戦士の目よりも圧倒的に。

 

「だろうな。傭兵ヴァイラス。かつてあの『千殺』と切り合って互角の実力を示した猛者だ」

「ほう。あの六腕の」

 

 小太りの周りで男達が一斉に騒めく。

 アダマンタイト級冒険者に匹敵するとされる六腕の名前は八本指の中では有名だ。

 その六腕の一人と切り合い互角の実力を示したとなれば、あの男も実力も相応のものがある。

 ゼルバの評価も頷けると言うものだ。

 

「まぁアイツは他の一家の傘下にはならんだろ。何か分かったらアイツにも伝えてやれ。ああ、ちゃんと単なる情報提供だと言ってやれよ。めんどくせーから。…それにこっちはこっちでやる事もある」

「例の野郎の事ですね」

「ああ、若いの二人やられたまんまじゃ格好付かねぇからな。…ったく、舐めたマネしやがって、ありゃ間違い無く黒幕の一味にちげーねぇ。しっかり尋問してやんねーとな」

 

 小太りの男が言い。

 周囲の男達の目に獰猛な光が走る。

 彼等の脳裏に走るのは『例の野郎』を拘束して滅多刺しにする光景だ。

 各々が思い描く野郎の顔は想像よろしく自分勝手に着色するが、奴隷商と言う証言にあった衣服は大凡似たようなものを想像する。

 

 そいつの目の前で身内を犯し殺し、八本指と言う組織の恐ろしさを思い知らしめた後で殺してやるのだ。

 それが楽しみで仕方が無い。

 

 男達は不意に『楽しみ』の片割れだったものに目を向ける。

 

「5分経過!」

 

 丁度そのタイミングで経過を告げる進行役の声が上がり。

 

「しゃああ!!」

「クソが!根性見せろや!」

「畜生!!」

 

 丁度そのタイミングで賭事に没頭する男達がガッツポーズしたり頭を抱えたり。

 

「あああああ!!」

 

 と、号泣しながら獣のような咆哮を上げる男が娘を熱湯に押し付けている最中であった。

 

 

 

ーーー

ーー

 

「ヘロヘロ。突然で悪いが、今から物置の整理をしてくれるかい?」

 

 シャルカをベットに寝かし付け、食堂に戻ったヘロヘロがゼシリーエからそう仕事を任せられたのは先程の事だ。

 「時間は掛けて構わないから」と背中を押されるように食堂から追い出され、ランプを片手に一人ノコノコ物置部屋にやってきたヘロヘロは一目で課題と分かる大きな棚を見上げていた。

 

 電気の無いこの世界における夜の光源はランプ等、火を使った頼りない灯具であり、暗闇となった物置を整理するに適した明るさを確保出来ているとは言い難い。

 

 ヘロヘロは暗視のスキルを持つので暗闇でも問題無く作業は出来るが、これが普通の人間の感覚で行うなら困難な作業となるだろう。

 

 だからだろうか?

 「適当でいいから」「時間は掛けて構わない」と随分寛大な言葉を受けて食堂から押し出された。

 

「最低でも30分以上…ですか」

 

 不意に食堂から押し出される直前、ゼシリーエから命令された注文を思い出す。

 適当でいいし、時間は掛けても良いけど、三十分以上働いてろと言う事だ。

 

 こんな時間から物置の整理を始める意図もイマイチ理解出来ないが、とは言え上司から命令されたら首を縦に振るのがサラリーマンの宿命だ。

 

 悲しい事に夜通し作業し会社のオフィスで朝日を拝む事には慣れている。

 

 疲労や眠気をカフェインと言う暴力で黙らし、夜通し半角英数の羅列に神経を削る画面を凝視しながらキーボードを叩いたあの日を思えば何でも無い。

 半死半生になりつつ業務を終わらし『ようやく寝れる』と涙するヘロヘロの肩を叩いて、『やぁ。✕✕✕君、今日も一日頑張ろう』と前日定時で帰りやがった悪魔に囁かれたあの日に比べれば…。

 

 魂にまで刻まれた社畜精神に従い、えっちらおっちら棚に陳列する道具を降ろし始める。

 

 一つ降ろし。

 一つ降ろし。

 また一つ降ろし。

 …と、黙々と作業に殉じる。

 

 途中、恋愛ゲームでは御馴染みのとも言えるミアが作業を手伝いに来てくれたり。

 その過程でクソブラック会社の愚痴を語ったり。

 気が付けばミアが居なくなったり。

 なんやかんやで作業は進む。

 

 

……

 

 果たして、棚の整理は完了した。

 

 気合を入れた割には最初と比べて余り見栄えの変わらない状態だがヘロヘロとしては会心の出来だ。

 

 仕事を終わらせた満足感から特に掻いてもいない汗を触腕で拭い、時計を確認。三十分と言うノルマはとっくにに過ぎているのを確認すると足早に食堂へと駆けた。

 

 『やぁお待たせ愛しのハニー』と童貞拗らせたおっさんでもしないテンションで食堂のドアを潜り――。

 

――そして目を疑った。

 

 そこにあったのは会議の光景だ。

 通い慣れたはずの部署に出勤したら重要な会議が開かれてました的な衝撃を受け、思わず『間違えました』とドアを閉じたくなる衝動に駆られた。

 

 しかし、そうは問屋が降ろさない。

 意気揚々と食堂のドアの下を潜ったヘロヘロはゼシリーエの目にしっかりバッチリ補足され。

 

「ああ、来たのかい。ヘロヘロ」

 

 と、逃げる間もなく声を掛けられた。

 

 それに追従するように。

 まるで呼応するように。

 テーブルを囲む少女達の目が一斉にヘロヘロに向けられた。

 

 ミアに、ラシュカに、コルクレア。

 そして開店時、食堂に姿を見せる事の無いリリベニースまでもがテーブルの席を埋め、全員の視線がヘロヘロを突き刺した。

 

 場の空気が予想に反して重苦しい雰囲気を醸し出していたせいか、彼女達の視線に死神の鎌を重ねる。

 蛇に睨まれたカエルとは正にこの事で、思わず恐怖すらも感じたヘロヘロはゴクリと生唾を飲んで固まった。

 

 瞬間。ヘロヘロの脳裏に閃光が走る。

 気付いてしまった。

 そう、気付いてしまったのだ。

 

『最低でも三十分以上』

 

 そう命令された不可解な命令の意図を。

 そう。時間稼ぎだ。

 自分を食堂から追い出し、その間に会議を行う。

 

 わざわざ自分を追い出すぐらいだ。

 その内容は自分の事で且つ都合の悪い事なのだろう。

 

 その証拠に彼女達の視線が冷たい。 

 …様な気がする。

 

『私、また何かやっちゃいました?』

 

 当然、その原因に自分の失態を予想した。

 何が原因でこうなっているか回目見当が付かないが、それでも自分に叱られる原因があったのだろうと模索する。

 

 悪漢共に散々無双した挙げ句、何食わぬ顔で『俺、また何かやっちゃいました?』とか一度は言ってみたいセリフだったが、こう言う『やっちゃいました』は嫌過ぎる。

 

 何かを壊した?

 接客に問題があった?

 しかしソレらしい失態は見当たらない。

 

 だからこそ、ヘロヘロの胸の奥底に眠る『ひょっとしたら』と言う疑念が頭を擡げた。

 

 と言う事は、アレなのか?

 不意にヘロヘロの脳裏を過るアレ。

 ヘロヘロ自身、思い当たる事は確かにあった。

 

 もしもそれがバレていたならば、確かに怒られる。

 …と言うか殺される。

 

 まさかまさかまさか…。

 と、狼狽するヘロヘロ。

 もしもあの秘密がバレていたのなら――。

 

「丁度、あんたについて話していたのさ。ヘロヘロ。私達に隠している事があるだろう?」

 

 ビクン―!

 と、心臓が飛び跳ねた。

 

 やっぱりそうだ。

 ゼシリーエの言葉に確信を得る。

 

 ゼシリーエの口調は一見穏やかなものだった。

 しかしその心の内にどれだけの怒りが込められているかと思うと気が気じゃない。

 

 しかし問題は、いったいどれがバレたかと言う事だ。

 

 まさか。と。

 ヘロヘロはその中の一つを思い出す。

 

 まさか自分の正体が人間だとバレたのか…。

 可愛らしいマスコット系スライムだと思いきや、その正体が転移してきただけの三十路のおっさんだと分かれば、そりゃもうこんな雰囲気にもなるかも知れない。

 

 いや、それともまさか…。

 無力なスライムを装い軽い荷物ばかり運搬していた事を言っているのか?

 先導する彼女達の後ろを追いかけるだけで精一杯のように見せ掛け、その実、重たい荷物を運び汗で透ける彼女達の背中や尻や太ももを堪能していた事までバレているのか…。

 

 いや、それともアレか…。

 覗き行為の事を言ってるのか?

 よく誰々を呼んできてくれと言う命令を受けて、彼女達の部屋まで行った事があったが、偶々それが着替え中だった時に思わず最後まで見届けちゃってた事を言ってるのか?

 着替えと言う着替えをバッチリ最後まで見届け、その上で何食わぬ顔でノックして声を掛けた訳だが、そんな小細工等全て見透かされていたのか…。

 

 それとも単純に、彼女達が階段を上って行く後ろ姿を階段下から見上げていた事を言ってるのかも知れない。

 今では日課となった、日に一度、洗濯の時に彼女達の下着の山にダイブしている事に気付かれたのかも知れない。

 

 心の中で頭を抱えて、どれだ?どれだ?と疑惑の渦に囚われるヘロヘロ。しかしそんなヘロヘロに幻視した死神はそっと耳元で囁いた。

 

 全部じゃね?

 

 実は三十過ぎのおっさんが十代の少女の透けた背中をガン見してたり、覗き見したり、階段下からスカートの中覗いてたり、下着の上にダイブしたり…。

 

 それ、全部バレてんじゃね?

 

 瞬間、ヘロヘロは動いた。

 今、自分の置かれている状況、そして何をすべきなのかを脊髄で理解した彼はベチョっとそのまま触腕と頭を床に押付けた。

 

 現実世界。貧困層と言う立場で磨きを掛けられた弱者のポーズ。土下座である。

 

「御免なさい。通報だけは勘――」

「明日には帝国兵が押し寄せてくる」

 

 もう通報されてたわ。

 瞬間、ヘロヘロは自分の身体が塩になってガラガラと崩れる姿を幻視する。

 それ程の衝撃だった。

 

 【悲報】スライムに化けてた三十路のおっさん。猥褻容疑で逮捕される。

 

 そんなスレッドが脳裏を過る。

 新聞やニュースにもなるかも知れない。

 

 この世界にいるかも知れない友人達や、この世界で出来た友達はどう思うだろうか?

 

「いつかやると思ってました」

「余り親しく無いんで、良くわかりません」

「同じギルドメンバーでしたが、話したことはありません」

 

 画面の向こうでマイクを向けられ答える友人達の姿が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

 詰んだとばかりに頭を床に擦り付けて項垂れる。

 

 調子に乗り過ぎた。

 女っ気の無い人生を三十年以上生きてきて、突然こんな異世界ハーレムのような刺激的な世界に放り込まれたのだ。

 出来心だったし、良くないとは思っていた。

 

 もしもこれが異世界ハーレムのライトノベルの世界であれば、恋愛したり、ハプニングがあったりと薔薇色の人生が続いただろう。

 しかしヘロヘロがいるのは異世界とは言え現実だ。

 人の夢など文字通り儚く散って塵と化す。

 

 明日には警察に連行されて、一生、折の中で過ごすのかな?

 はは…。異世界だから兵隊か。

 人外には相応しい末路ですね。

 と、自傷気味に笑う。

 

 そんなヘロヘロの耳にギィと椅子が軋む音が届いた。

 その音にビクリと肩を震わす。

 ゼシリーエが立ち上がったのだろう。

 それからコツコツと近寄って来る事も足音から分かったが、ヘロヘロは怖くて顔を上げられない。

 

 怒号も罵声も暴力も、因果応報と覚悟を決める。

 しかし、そのどれもが来なかった。

 

 代わりに来たのは、優しく触れる手の感触。

 困惑するようにヘロヘロはただ地面を見詰め、ゼシリーエは優しく問い掛ける。

 

「追われてんだろ。アインズ・ウール・ゴウン魔導国に」

「…はい」

 

 数秒遅れて顔を上げる。

 

「…はい?」

 

 

ーーー

ーー

 

 そっから先はトントン拍子に会議は進んだ。

 ヘロヘロをテーブルの真ん中に乗せ、進行役のゼシリーエが覚悟を決めた顔付きで皆を見渡す。

 

「ヘロヘロを評議国まで連れて行くよ」

 

 との事だ。

 

 話によれば自分はアインズ・ウール・ゴウン魔導国に命を狙われ、属国である帝国兵に追われているらしい。

 

 だから評議国まで逃がすと言う。

 

 いや何でだよ!?

 

 と、叫びたいところだがヘロヘロはあえて黙認した。

 先程した土下座の言い訳が思い付かないからだ。

 

 否定したいところだが、もしもそれで土下座の理由を追及され、ヘロヘロの悪事が露見しようものなら大変だ。

 勘違いから発生した幻想の魔導国や帝国軍に殺される可能性は無いだろうが、悪事を知った彼女達に撲殺される可能性は十二分に考えられる。

 

 だったらいっそ、そう言う事にして2〜3日間、野良に戻った後に『ほとぼりが冷めました』とか言って帰ってこよう。

それしか無い。

 

 頭の中で思い描いた絵図の完璧さに少しだけ冷静さを取り戻したヘロヘロはほくそ笑む。

 

 その刹那。

 

「ごめん。…やっぱり私、反対」

 

 と、反対するミアの声が上がり。

 ヘロヘロの描いた絵図にも早速ピシリと亀裂が走る。

 

 見ればミアは席から立ち上がり、顔には影を落としていた。

 

「…スライムなんだよ。最近、知り合っただけのスライムなんだよ。その為にゼシリーエは危険を侵すの?…私達は、どうなるの?」

 

 ミアの顔が上げられる。

 何度も思案を重ねた苦渋の顔で、ミアは真っ直ぐにゼシリーエを見詰める。

 その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 

 ゼシリーエは黙ってミアを見詰め。

 周囲も心配そうに二人の様子を眺め。

 ヘロヘロは盛大に白目を剥いた。

 

 大事にはしたくなかった。

 だってこれは『勘違い』なのだ。

 ヘロヘロは別に帝国軍に追われていないし、ましてやアインズ・ウール・ゴウンは所属しているギルドの名前だ。

 本物ならフレンドリーに再会を喜び合うはずだし、偽物であっても追われる理由はヘロヘロには無い。

 

 だから二人がそんなシリアスな雰囲気を作る必要はないし、対立する必要もない。

 

 それを教えてあげたいが、ソレ即ち自分の『死』に直結すると思うとヘロヘロの口は動かない。

 そんなヘロヘロの心の弱さをミアの涙が容赦無く締め付けてくる。

 

 ヤバイヤバイヤバイヤバイ!と心の中でのた打ち回るヘロヘロの内心など露知らず、ゼシリーエは静かに口を開いた。

 

「突き出しゃ一攫千金。匿えば国賊。そんな一択しかない小娘を、匿っちまった馬鹿をあたしゃ知ってんのさ」

 

 語るゼシリーエの言葉にその場の空気が止まった。

 ミアの行動にオロオロするしかなかった周囲の彼女達もゼシリーエの言葉に意識を奪われ、ただ黙って目を向ける。

 

 それはミアとて一緒だった。

 憂いた表情を貼付け、想い出をなぞるようなゼシリーエの様子にミアは言葉を失った。

 

 ミアはゼシリーエの過去を知らない。

 それはラシュカやコルクレアだってそうだ。

 

 しかしミアもラシュカもコルクレアも、一度は地獄に落とされた者達だ。

 身分も金も住居も失い、飢え死ぬしかなかったミアはゼシリーエに拾われたからここにいる。

 見捨てられなかったからここにいる。

 

 拾う側に回っただけだと言う事は分かっていた。

 反対する権利なんて無い事も。

 

「すまん」

 

 と、ゼシリーエの頭がテーブルの上に落とされた。

 ミアは驚きに目を見開く。

 

「ミアの言い分は尤もだ。あんた達には迷惑掛けるだろうし、これは私の我儘だって事も分かってる。だけどね。ここでヘロヘロを突き出しちまったら、顔向けできないのさ」

 

 私を匿ってくれた人に…。

 なんとなくだがそんな言葉が続いた気がした。

 

 ずるい…と、ミアは心の中で吐き捨てる。

 どうせ最初から反対する権利なんて自分には無かった。

 「私がそう決めたんだ」と言われれば、ミアは納得していようがいまいが結局従わざるを得ない。

 

 だが、ゼシリーエは頭を下げた。

 誰よりも信頼し、誰よりも尊敬している姉であり母であるような人物にそうやって頭を下げられてしまうと、ミアは納得せざる得なくなる。

 

 もしも失敗したら…とか、そう言うレベルの話ではない。

 ヘロヘロを匿っている事は他のお客にも露見している。

 その状況でヘロヘロと一緒にゼシリーエまで居なくなったとしたら……。

 政府はそれをどう見るだろうか?

 

 これを許せば、ゼシリーエとはもう会えないかも知れない。

 

 平凡な、細やかな、しかしそれでも幸せな毎日に、ゼシリーエを失った灰色の景色を幻視する。

 溢れ出す涙はそんな景色を拒絶するミアなりの魂の叫びであり、どうしようも無い無力感から来る想いだ。

 

 ギリリと歯を食い縛り、遣り切れない感情の矛先はヘロヘロに向けられる。

 

「…あんたなんて、来なけりゃ良かったのに」

 

 毒を吐き、そして飛び出した。

 

「ミアちゃん!」

 

 一瞬そんな掛け声が背中を打った。

 しかしミアは止まらない。逃げるように階段を駆け上がり、自分の部屋へと飛び込んだ。

 

 追いかけようとするラシュカを、ゼシリーエの腕が止めた。

 

「――っ!」

 

 声にならぬ声を上げ、心配そうに階段上を眺めながらも、致し方なくラシュカは座る。

 その姿を見送って、再びゼシリーエが口を開いた。

 

「ヘロヘロを評議国まで連れて行く。とは言え、もしもそれが露見したなら国賊さ。それに」

 

 ラシュカを見る。

 

「ラシュカはシャルカを置いていく事は出来ないし、シャルカを連れて行く事も出来ない」

 

 コルクレアを見る。

 

「コルクレアは見ての通り泥酔状態。とても酔が醒めるまで待てやしない」

 

 そして最後にリリベニースを見る。

 

「奴隷市場の脱走者であるリリベニースを連れて行けばそれだけで検挙されるリスクがある。…それに男性恐怖症が抜けてはいないだろ」

 

 全員が全員。同行者として不合格だった。

 唯一合格出来そうな人物は二階へと消えた。

 とは言え、なんだかんだ理由を付けて不合格にしただろう事に間違いはない。

 

 詰まる所。

 

「だから私が連れて行く」

 

 そう言う事だ。

 ゼシリーエは断言し、そして直ぐに言葉を繋げる。

 

「しばらく店は休業さ。ヘロヘロの情報はもう他の客から漏れてると思った方がいいね。政府の者が来たら喋ってしまって構わない。…と言うか隠さない方が良いね。代わりに私がヘロヘロを連れて何処かに消えた…と言う事に――」

「――待って!」

 

 ラシュカが口を挟んだ。

 

「…それってゼシ姉、犯罪者になるんじゃ」

 

 状況が状況だ。

 それしか手が無い事はラシュカも分かる。

 しかしそれはヘロヘロを無事に評議国に連れて行けたとしても、同時にゼシリーエは犯罪者として追われる立場になると言う事だ。

 

「…戻って、来れるの?」

 

 いや、そもそもだ。

 戻らないつもりなのではないだろうか?

 そんな憶測が生まれたが故の行動だった。

 

 それに対して、ゼシリーエは微笑んだ。

 まるで駄々を捏ねてグズる我が子に向ける微笑みのように、穏やかなゼシリーエは微笑んだ。

 

「ああ、当たり前だろう」

 

 ソコだけを抜き取れば何でも無い日常を思わせる。

 正に今、罪人となり追われる立場になろうと決断した人間とはソレとは思えぬ程に、ニコチンの臭いを漂わせたゼシリーエは平常だった。

 

「――いつかは」

 

 その言葉だけで全てを察した。

 

「分かった」

 

 と頷くラシュカの目には涙が溜まる。

 いや、ラシュカだけではない。

 永遠ではないとしても、これが実質的にゼシリーエとの別れである事に気付いた者から頬を湿らせた。

 

 ラシュカは目に涙を溜め。

 コルクレアは鼻を啜り。

 リリベニースは泣き崩れ。

 

 そしてヘロヘロはやっぱり白目を剥いていた。

 店を休業させると聞いて、頭を抱え。

 犯罪者になると聞いて、身体を捻り。

 もう会えないと涙する彼女達の様子に痙攣しながら白目を剥いて泡を吐く…形容し難い『何か』となって、テーブルの上で苦悶していた。

 

 勘違いから始まった寸劇も『まぁ、なんとかなるだろ』精神で見届けていたが最後、ミアが部屋を飛び出すわ、店を暫く営業を止めるわ、ゼシリーエは犯罪者になるわ…と事態は加速度的に悪化した。

 

 涙に涙を重ねるような彼女達の遣り取りは、見る人が見れば『イイハナシダナー』と感動する場面かも知れないが、最早ヘロヘロに取ってはただの地獄だ。

 申し訳無さ過ぎて泣きたくなってくる。

 

 これで今更『いや別に追われて無いです』なんて言ったらどうなるだろうか?

 最早その先を想像するだけで怖すぎて無理だった。

 

 幻想の魔導国。

 幻想の帝国軍。

 しかしゼシリーエの決意は本物だ。

 

 実際にゼシリーエが犯罪者になる事は無くとも、自分と評議国まで旅すれば暫く店は休業するだろう。

 ゼシリーエが帝国軍を警戒して姿を晦ませば、彼女達の別れは本物となるだろう。

 そして自分は見知らぬ土地で再び野良生活だ。

 

 なんの地獄だよ!?

 既にヘロヘロの頭の中では彼女達に十数回程撲殺されているが、それでも尚、魂からの咆哮に背中を押され、ヘロヘロは一つ勇気を振り絞る。

 

「あ、あのあの、わた…私だけ出て行きますから」

「遠慮はいらないよ。乗りかかった船だろ?」

「…あ、はい」

 

 無理でした。

 人の意見に強く反対できるなら、こんな流された人生歩んでいない。

 

 『強がんなくてもいい』と見透かしたような優しい眼差しにヘロヘロはあっさり白旗を上げる。

 

 最悪、評議国とか言う国まで同行させなくとも、帝都の外まで案内してもらって別れれば、ゼシリーエも店に引き返すかも知れない。

 そう。本来ならそれで十分なはずなのだ。

 

 自分が一人じゃ生きていけないクソ雑魚ナメクジだと思われているから同行するだけ。

 自分一人じゃ評議国まで無事に辿り着けないと思われているからそうなるだけだ。

 まぁぶっちゃけ事実そうかも知れないが、帝都を出るなりレベル50〜60ぐらいの手頃なモンスター2〜3匹をパパっと倒して『ちょっとは戦える』アピールすれば、納得して帰ってくれるかも知れない。

 

 その後に2〜3日程、野良に戻り、再び『ほとぼりが冷めました』とか言って戻れば…。

 大丈夫。行ける行ける。

 

 ヘロヘロはなんとか気を持ち直し、そして力なく笑った。

 

 

……

 

「夜明けにゃまだ時間があるね。…少し時間をくれないかい?」

 

 何時まで続くのかと思われる地獄も、一先ずゼシリーエのその言葉で締め括られた。

 

「また1時間後に」

 

 それだけ言葉を言い遺し、ゼシリーエは席を立つ。

 解散し、階段を上がり、真っ先に向かった個室のドアの前で立ち止まる。

 一度、溜息に近い深呼吸をし、それから部屋をノックした。

 

「サマンサ、起きてる?」

 

 ドアを開け、中を覗き込むようにして問い掛ける。

 中は暗い。

 盲目であるサマンサに明るさは意味を為さない以上、夜ともなれば当然の事だが…。

 

 手に持ったランプを翳し、部屋の中を照らしてようやく、朧げな輪郭が闇の中から浮かび上がる。

 棚に、椅子に、テーブル、ベットに、そして。

 ベットに座るサマンサの姿。

 

「ええ、起きておりますよ」

 

 

ーーー

ーー

 

 ランプの灯りが部屋には二つ。

 一つは外から持ち込まれた物で、もう一つ予めこの部屋に備えられていたものだ。

 

「…そうですか」

 

 ゼシリーエはありのまま全てを説明し、サマンサはそう吐き出した。

 

「ごめん」

 

 と一言。らしくない様子で言葉を漏らす。

 そこあったのは傍若無人なゼシリーエの姿ではない。

 まるで母と娘。

 又は姉と妹。

 ゼシリーエとサマンサの間に血縁関係こそ無いが、ソレに近い絆のようなものは伺えた。

 

 ゼシリーエは一度眼帯として巻かれた白い布に目をやり、そして直ぐ目線を逸らす。

 

「その目も治すって、約束したのに」

「諦めなさい」

 

 一度、足元へと吸い込まれた視線は、サマンサの一言によって戻される。

 

 もう二度と合わさる事の無くなった視線。

 白い布によって隔たれたサマンサの目を見詰め、そしてその原因となったあの日の事を幻視する。

 

 全て自分のせいだった。

 

「時が経ち過ぎました。古傷として魂にまで定着すれば、如何にポーションとて回復しない場合があることは、貴方も聞いているでしょう?」

 

 戦士の古傷が何時までも残っている理由の大半がそれだ。

 どんな重症だろうとポーションで治癒した傷は痕も遺さず完治するが、薬草を煎じて癒やした傷や自然治癒した傷の多くは古傷として遺る。

 そういった古傷はやがて魂にまで定着し、ポーションとて消す事が出来なくなると言う。

 

 サマンサの両目も同じ原理が起きていた。

 

「…ごめん」

 

 ふぅ…。

 と小さく溜息が転がる。

 まったく仕方が無い奴だな、と言う様に表情を緩めるとサマンサはちょいちょいと手招きをする。

 

「え?あ、うん」

 

 そのサマンサの行動に一瞬、面食らいながらも、懐かしい思い出に従いサマンサの前で背中を向けて正座した。

 その髪を、サマンサの櫛が梳かす。

 

「貴方の髪を梳かすのも何年ぶりでしょうか?あの頼りない小娘が随分とまた立派になったものです」

「…うん」

「復讐はもう、良いのですか?ゼシー」

「うん。…実はもう。復讐とか、そんな事はこれっぽっちも考えてないんだ。それよりもずっと、大切なものが出来ちゃった」

「それでも、行くのですね。…昔の自分と重ねてしまいましたか?」

「サマンサは、反対しないんだ」

「ええ、貴方が決める事です」

 

 サマンサに言われ、ゼシリーエは押し黙る。

 一分か、それとも数秒か、僅かな沈黙が場の空気を静寂なものと変え、しかし、突然、自分の中で整理がついたのかゼシリーエが口を開いた。

 

「…ごめん。あの子達の事。お願いします」

「ええ、勿論」

 

 サマンサは答える。

 何を頼まれようともサマンサの返答は恐らくきっと変わらない。

 しかし不意にその手が止まる。

 

「…それにしても、こんな大事な時に、あの馬鹿はいったい何をやっているのでしょうか?」

 

 サマンサが『馬鹿』と称する人物は一人しかいない。

 勿論、ゼシリーエの想い出の中で、そう自分が言われた事もあったが、この場合、考えられるのはアイツだけだ。

 されるがままに頭を差し出していたゼシリーエも思い出を謎るように過去を振り返る。

 

 あの、鮮血帝が行った大粛清から始まった。

 永い永い旅路を。

 

『そうかい。そうかい。何もない辺鄙な村だけど、何時までも村に居ればええ。こんなメンコイ子が居てくれれば村も衆も喜ぶでさ』

 

 政府の軍を逃れ落ち延びた村での一時も。

 

『そっち押さえろ。…どうせ数日後には処刑される娘だ。このまま死なせるのは勿体ねぇだろ』

 

 懸賞金に目が眩んだ村人達に三日三晩陵辱された一時も。

 

『はぁ。はぁ。はぁ…。これで俺もお尋ね者か。おい、あんた。動けるか?逃げるぞ!』

 

 やたら人相の悪い冒険者の戦士に救い出されたあの日の夜も。

 

『そんな顔をすんな。俺達冒険者の間じゃ魔物だって貴重な食料だ。あ!?風呂!?…あー。じゃあそうだな、次は✕✕✕に向かおうか。綺麗な川があるんだ』

 

 それから始まった冒険者との逃亡生活も。

 

『久しぶりに顔を出したと思えば、何ですか。その娘は?…ったく、本当、仕方ない人です。一月ですよ?私が面倒を見れるのは』

 

 とある娼婦を紹介されたあの日の事も。

 

『サマンサ。今日はね。私が料理を作ってあげる。大丈夫だって、こう見えて結構得意なんだから』

『ねぇ。サマンサ。その仕事、私にも出来るかな?…教えて欲しいの』

『彼がね。娼婦始めたって言ったら、面食らってた。うん。冒険者は無理でもワーカーとして復帰してるみたい』

『ねぇサマンサ――』

『サマンサ――』

『――』

 

 ポンと背中を叩かれて、ゼシリーエはふと我に帰る。

 懐かしい思い出をなぞり、そして恩人との別れを思えば、ゼシリーエとて目に涙が溜まる感覚を感じずにはいられない。

 

「行ってきなさい」

 

 と、背後に座る恩人は文字通り背中を押した。




【捏造要素&補足】
ヒルマの経歴。
原作では高級娼婦からの成り上がりとありますが、本作では高級娼婦から麻薬取引を生業とするマフィアのボスの愛人となり、頭角を表したと言う流れです。
ヒルマがマフィアのボスとして君臨してから八本指設立と言う流れなので、八本指の歴史は古くない事になってます。
八本指の情報が分かり次第、修正するかも。

古傷の原理。
本作では自然治癒した古傷はポーションでは消えないと言う設定にしています。
ただし薬草から作ったポーションや魔法だけで作るポーション等、グレードがあり、高価なポーション程、古傷や欠損を癒やす効果がある。

一応、原作ではニグンやエ・ランテル宿屋の店主やツアレを捨てた男等、一部のキャラが古傷持ち。
…意外と少ない。
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