ヘロヘロが行く   作:ロアグリーン

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【警告】
グロテスクな描写があります。
冒険者救出大作戦において、今までのノンビリほのぼのとは真逆な描写となります。
そう言うのが苦手な読者様には申し訳ございませんが、もうしばらくだけお付き合い願えたらと思います。

基本、『ヘロヘロが行く』ではギャグをメインとした作風を心掛けて行くつもりではありますが、残虐なシーンでも手を抜かないつもりです。

……でもスキあらばギャグは入れていく、いいね?


ヘロヘロ、冒険者救出大作戦 その1

運命と言うものは、なかなかどうして好きにはなれなかった。

『この勝利は運命』だとか『この出会いは運命』だとか、時として人は既に起こった出来事をドラマチックな言葉で飾付けようとするが。

そもそも大半の人間は運命を口にしながら信用などしていない。

 

『約束された勝利』の為に努力し。

『運命の人』との言動に一喜一憂し。

『定められた将来』の為に蓄え。

『避けられない不幸』の為に備える。

 

確実に売れると分かっている上客に更に値下げをする商人がいない様に、確実に失敗すると分かっている商売に投資しようとする商人も居やしない。

 

ころころ変わる運命を運命と呼ばず、不変の運命を盲信し、自堕落に浪費する生涯に身を投げ出せる者こそ気高き運命の狂信者だ。

 

結果は唐突に出現するものでは無い。数ある過程が干渉し合って辿り着く終着駅が結果なのだ。

 

そしてそれはポーション製造とて変わらない。

薬草の調合と言う名の過程無しにはポーションと言う結果など生まれない。

 

白い手袋で覆われた指で、熱されたフラスコを摘まむ。

その底ではボコボコと暴れる薬液が白い煙を吐き出していた。

 

その薬液を目の位置まで持ち上げて、鋭い眼光を向けた。

マジマジと眺め、空いている片手で顎を擦り、しばらく思考してから結論付ける。

 

「ふむ。失敗…だな」

 

彼の結論は失敗だった。

これでも薬師の端くれだ。

一流の料理人が一舐めで料理の失敗を決定付けられるように

薬師として長い経験を持つ彼も一目で成功か否かを結論付けられる様になっていた。

 

薬液の反応も条件しだいで様々ではあるが…。

少なくとも調合の最中にどす黒く変色し蒸気がドクロの形を形成する薬液は失敗だ。

 

彼はなげやりな顔でフラスコを固定具に戻し、椅子にどっかり腰掛ける。

 

如何に薬師とはいえ簡単に新薬の開発が出来るわけではなく。幾多の失敗を積み上げ、幾多の産廃を生み出しやがて成功に辿り着くのだ。

とはいえこうも失敗が続くと少しげんなりする。

いっそ完成品のポーションに栄養剤やら精力剤をふんだんに混ぜてハイポーションを作ってやろうかと思った矢先。

なんとも無しに脳裏に浮かんだスライムに、彼はぼんやり窓から空を見やった。

 

過程…と言えば、あのスライムの言動はやはり不可解だ。

珍しそうに鏡を見ていたと思ったら慌てて部屋を飛び出していった。

 

部屋を飛び出すと言う結果に導いた過程とはいったい何だと言うのか?

少なからず顔に珍しいものが付いていた訳では無いだろう。

 

少女の子守りをさせた感想が「娘が出来たみたい」と言うのも不可解だ。

繁殖と言うより増殖によって増える種族であるスライムにとって、その方法とは分裂であり『娘』など無ければ『子守り』等と言う単語自体存在しない。

 

これまで如何にしてスライムが知能を得たか…と言う点に着目していたが、ここに来てもう一つの仮説が生まれていた。

 

「……味がしない、ねぇ」

 

あれをスライムとして見ればあまりに自分の事を知らなさすぎる。

で、ありながらスライムではおよそ知るはずの無いものを当然のように知っている。

 

スライムが知能を得たのではなく。

知能ある生物がスライムに変貌したと考える方が実に自然だった。

 

「聞きたい事が増えていくね」

 

自然と漏れる独り言。

まるでそれを合図にしたようにガチャリとドアノブから金属音を響かせながら、見知った顔が飛び込んだ。

それは『焦燥』と言う言葉を顔に張り付けたサティアの姿だった。

 

「先生!急患です。至急村長の家まで来て欲しいと」

 

 

 

ーーー

ーー

 

基本、大概の傷はポーション一つで治るとは言え、医療に道具は不可欠だ。

魔法により産み出される非常に高価なポーションと違い、薬草から造られるポーションには速効性が無く治癒にそれなりの時間を有する。

だから止血の為の包帯があれば、手足を固定する三角巾等もある。

その他にも毒や麻痺等、状態異常はポーションでは治せず専用の回復薬が必要だ。

 

それら一式を詰め込んだ医療カバンを引っ提げ出向く。

昼間だと言うのに静まりかえる広場を突き抜け目的のドアを開けた先では、満身創痍で立ち尽くす冒険者と、ソレにすがり付く村長の孫娘の姿があった。

 

「おお、よく来てくれた」

 

その光景の奥、最早背景と同化しつつあった村長から声が掛かる。

 

「ほれ、クラリスもあっちへ行ってなさい」

 

そして冒険者から孫娘を引き剥がすと、シッシッと掌を振って退室を促した。

クラリスもその対応に不満そうであったものの、しぶしぶ冒険者に背を向けた。

 

部屋から退室するその道中。すれ違うマイクの手前で足を止めると深々と頭を下げた。

 

「マイクさん。シルフィーナを宜しくお願いします」

 

そう言い残し退室するクラリスを見送った後、件の冒険者へと足を向ける。

シルフィーナと言っただろうか?

村長の孫娘であるクラリスと年も近いこともあり仲が良かった事は知っている。

 

恐らくだが自分がこの村に引っ越して来た時以前から付き合いがあるのだろう。

低位の冒険者が都市の商人の依頼で辺境の森へ行くこと等珍しくも無いのだから、近くの村の娘と仲良くなったとしても何ら不可解ではない。

 

「あの…私」

「お金の事なら心配いらないよ。ここじゃ僕は教会代わり。無料で治療する代わりに住まいを提供されててね」

 

シルフィーナと言う冒険者と向き合い遠慮がちに呟く彼女を黙らし傷を見る。

腕も足も生傷は絶えないが、一番酷いのは脇腹の刺し傷だ。

これだけで致命傷と言える。

 

服を脱がせば細かい傷の診察は出来るが、正直ポーションを振り掛ければ良いだけのお仕事に衣服まで剥ぎ取ろうものなら後ろの助手から何が飛んで来るか分かったものじゃない。

 

カバンからポーションを取り出し、シルフィーナの頭に振り掛ける。

青い液体が彼女の頭上で宙を舞い身体に触れると肌に染み込み消えていく。

その瞬間、目に見える小さな傷は徐々に小さく縮んで跡形も無く消え去っていく。

 

以上で治療完了だ。

薬草をベースに魔法の錬金術から作ったポーションは、瞬時にーーとは行かなくとも、急速に崩壊した身体を修復する効力を持つ。

パッと見分からなくとも、現在彼女の身体は急速に回復に向かっているはずである。

 

「ポーションを振り掛けたけど、まだ少しかかるね。脇腹の傷を見せてくれるかい?」

 

シルフィーナは黙って服の裾を持ち上げて脇腹を露出させる。

先程まで服の裏側から紅い染みの面積を増やしていた傷口には既に薄い膜がかかり始め出血を止めていた。

 

「いいね。止血の必要は無し。…心なしか顔色も戻り始めている」

 

傷口を確認して、安堵の溜め息を溢す。だが同時に彼女の目を見て察してしまった。

様態はずっと良くなった筈だが、その目は未だに晴れてはいなかった。

 

身体は傷は癒せても、精神の疲労は癒せない。

恐らく彼女は未だに地獄の只中にいるのだろう。

 

「出来れば今日一日安静にーー」

 

そう言って取り出しておいた包帯等をカバンに詰め直そうとした時だ。

 

突然、彼女の顔が苦痛に歪んだ。

 

「アガッ…」

 

と小さい嗚咽を溢すと、足を押さえて倒れ込む。

椅子と彼女が崩れ落ち、叩き付けられた地面がドチャリと鈍い悲鳴を上げた。

 

「い…痛いいだいあぁああ!!」

 

なおも足を抱き抱える彼女の額に汗が浮かぶ、苦悶に歪む顔には涙が溢れ落ち、半狂乱となって泣き叫ぶ姿に思わず誰もが言葉を失った。

 

その中でーー。

 

「失礼」

 

マイクはそう言って泣き崩れる彼女のズボンを引き裂いた。

元から裂けて露出していた脹ら脛が更に全容をさらけ出した時。

 

脹ら脛の中で蠢く何かーーをその目で見た。

 

「ああああ!!」

 

ついに少女は仰け反るようにもがき苦しみ、その口から泡を吐く。

光りを失った目が、今一度は大きく見開いた瞬間ーー。

 

脹ら脛が破裂するように裂け、中から異形の何かが飛び出した。

 

異形の何かはそのままマイクに飛び掛かり、マイクは後ろから肩を掴まれ力任せに引き倒される。

そして同時に薙刀がマイクの頬を掠めると、異形を貫き真っ二つに切り裂いた。

 

「後、二体いる!」

 

振り返り際に叫ぶサティアを掠めて二体の異形が開きっぱなしの玄関から飛び出そうとした時だ。

 

「任せろ」

 

と言う声と同時に、外から脱出を阻むかのように飛び込んできた緑の両手が異形二体を掴み、そのまま地面に叩き付けた。

 

ベチャリと潰れる異形から赤い血肉が広がった。

その残骸を見て、初めてその正体を悟る。

 

ーーー虫だ。

 

どのようにして足に収まっていたのか、人の頭サイズはあろう蜂のような残骸が地面に赤黒い染みを広げていた。

 

「こいつぁ…パラサイト・ビーじゃねーか。道理でモンスターが近寄らねー訳だ」

 

その残骸を見てグロプが吐き捨てる。

その様子にマイクが

「これを知ってーー」

と問い掛けようとしたが、直前に思い留まり口を噤んだ。

 

今はそれより優先すべき事がある。

 

優先すべき人物に目をやると。

寄生虫を脹ら脛から出産したシルフィーナは激痛の余り白目を向き、唾液を垂れ流しながらビクンビクンと痙攣を始めていた。

出産を終えた脹ら脛は、出産と同時に中身を全てぶちまけたらしく膝から下が萎んだ風船のように潰れ、踵から爪先にかけて綺麗に元の形を保ったソレが、あらぬ方向を向いていた。

 

潰れた風船のような脹ら脛からは、未だに心臓のポンプから押し出された血液が、みるみる床に赤い水溜まりを形成していく。

その出血が致死量に到達するその前にーー。

マイクは二本目のポーションを叩き付けるように振り掛けると、膝から上を乱暴に縛った。

 

止血の為だ。

本来なら傷口を押さえるのが有効だが、皮膚を残して中身が無い等と言う状況は、最早切断されている状況と大差ない。

これを無理やり押さえて止血しようとすると、本来足がある空間に邪魔な異物が存在する事となり。

結論で言うなら回復に支障がでるのだ。

だから周りを縛って肉が付くのを待つのである。

 

それでなんとか血は止まる。

これで止まらなければ、いよいよ膝から切り落として傷口を焼くところだ。

それで血が止まるだろうが、同時にこの世の地獄を味わわせる事になる。

 

その処置をしなくて済んだ事に安堵しつつ、最早仰向けで酸素を貪るだけの人形と成り果てたシルフィーナを見下ろすと静かに顔を上げて指示を出す。

 

「彼女をベッドへ」

 

そう告げた瞬間。

マイクは自分の足を掴む感触に襲われた。

見下ろし確認すれば、シルフィーナから伸びる白い手が必死にマイクの足を握りしめていた。

未だに蒼白した顔から向けられる両の目は、恐らく焦点が合っていないのだろう。微妙に合わない目を向けて溢れんばかりの涙が切実な想いを訴えていた。

 

「冒険者…組合に、みん…が、助けを待ってる…です。まだ生きて…」

 

辿々しく綴られる言葉、だがその意味が分からないものなどここにはいなかった。

 

彼女は救助を求めに冒険者組合へ向かうつもりなのだろう。

より高位な冒険者に依頼する為に…。

 

「洞窟に身を隠したままポーションも食料も底を突いて、僅かな水だけで命を繋いでいるんです。皆、酷い怪我をしたまま動けなくて、皆が…死んじゃう…まだ生きてるのに」

 

まるでそれは大人に懇願する子どものソレだ。

最早意識を保つのもやっとの状態でありながら、彼女はベッドへ搬送される事を良しとしなかった。

 

「馬車を…いえ、馬を貸してください」

 

シルフィーナはそう言ってマイクの足をよじ登るように身体を起こす。

しかしそうは言っても片足は今だ萎んだ風船であり立ち上がる事はおろか、しがみつくのが限界だ。

たまらずマイクがその身を抱き寄せる。

 

そんな決死な覚悟を口にするシルフィーナに対し、その空気に水を差したのは村長の何気無い一言だった。

 

「し、しかし。間に合うのかね?都市まで丸一日は掛かるだろうし救助を要請をしたところで直ぐに受けてくれるかどうか。…そもそも依頼を出すお金はあるのかね?」

 

言ってすぐに無神経な事を聞いたと気付く、問われたシルフィーナが言葉を詰まらせ俯いたからだ。

初めから八方塞がりだったのだ。

満身創痍の人間が僅かな水だけで命を繋いでいる状態で果たして何日、いや何時間持つと言うのだろうか?

都市を往復するだけで2日は掛かる計算だ。

それから冒険者組合を介して救助を要請したところで、冒険者が引き受けてくれるまで何日かは掛かる。

最悪、もう手遅れだと受付で断られる可能性すらあった。

お金も無かった。

今回のような救援の依頼はもっと上位の冒険者の力が必要だ。

冒険者のランクが上がれば当然依頼料は膨れ上がる。

だがシルフィーナは手荷物すらも投げ出しこの村まで逃げ延びた身だ。

都市にどれだけの蓄えがあるのか分からないが、首にぶら下がるプレートはアイアンだ。

蓄えがあるとは思えなかった。

 

ならばどうすれば良かったのだと、肩を震わせるシルフィーナの姿が問いた。

 

シルフィーナだって分かっていた。

村まで逃げ延びる最中、考えて、考えて、考え続けて、そして『手遅れ』と言う答えしか出せぬまま辿り着いたのだ。

もう考える事に疲れはて、冒険者組合に救援に向かう事を目的にすり替え。

後はただ根拠の無い幸運にすがったのだ。

だってもうそれしか出来なかったから…。

 

だがそれを他人から指摘され根拠の無い虚像は無惨に打ち砕かれる。

 

ただ泣き崩れた。

マイクに抱き寄せられたまま、両手で顔を覆い、嗚咽を吐き出し泣き崩れた。

 

「おじぃ…ちゃん」

 

誰もが口を閉ざし嗚咽が響くその中を、か細い声が切り裂いた。

 

玄関の外から顔を覗かせ、丁度グロプの後ろの位置まで歩いてきた彼女は目に涙を溜めて真っ直ぐに村長の目を貫いていた。

 

「なんとかして、あげられないかな?」

「クラリス…」

 

愛する孫娘の懇願するような瞳に、村長はたまらず目を泳がせる。

そして十分に泳いだ目線はやがて行き着いたようにグロプに止まる。

 

あ、これはマズイとグロプが思ったのは間も無くの事。

 

「相棒、いるんだろ?」

 

とゆっくり下がって玄関から目線を外に向けると、『家政婦は見た』的に粘体の半分を隠して覗き込むヘロヘロと目を合わせる。

 

よし、ずらかるか!

 

その結論を口にしようとした瞬間ーーー。

まるで逃がしてなるものか…。と発せられた村長の呼び掛けが逃亡を図るグロプの首根っこを掴む結果となった。

 

「あーどうでしょう。森は君たちにとって庭みたいなものだろうし?ここは一つ、その冒険者を助け出しては貰えないでしょうか」

「…簡単に言ってくれるけどよ、それは、隣国の王都に囚われた囚人を助け出してくれって言ってるよーなもんだな」

 

出来るのか?とグロプは吐き捨て、村長は目を背ける。

絶対に不可能だ。

 

最早八方塞がり。

顔をあげ村長とのやり取りを見届けていたシルフィーナもそう感じて目を落とす。

 

本当は最初から分かっていた。

そもそも、この話しは元々詰んでいたのだ。

 

初めから議論すべき事が違ったのである。

考えるべき事は、どうやって助けるか…ではない。

考えるべき事は、どうやって受け入れるかだ。

 

なにも珍しい事じゃない。

弱者は常に強者から奪われる。

それはきっとこの村の人達だって一緒であり、様々な事を諦めて来た筈だ。

今回はたまたま自分達が弱者側に回っただけの話。

 

そう。それだけの事なのだ。

それだけの事…。

 

なのに。

 

この身体は無意識にしがみつくマイクから離れると、地面に伏して頭を垂れた。

この身体は周囲の目線も誇りもプライドも、その全てをものともせずに額を地面に擦り付けた。

 

土下座と言う最上位の懇願方法だ。

向ける先は本来冒険者にとって討伐対象でしかない魔物だった。

 

「おねがいじまず。おねがいじまず」

 

ああ。情けないな…と、シルフィーナは内心で自傷気味に嗤う。

 

諦めなくてはいけない局面だと言う事はもう分かっていた。それでもなお、誇りもプライドもかなぐり捨てて魔物相手に懇願すると言う選択肢を取らせたのは。

『それでも』などと言うなんの生産性も無い女々しいだけの願望でしかなかった。

 

 

 

 

ーーー

 

 

「おねがいじまず。おねがいじまず」

と、繰り返し頭を擦り付ける少女の姿が、ヘロヘロの胸を鋭く抉った。

 

自身の討伐対象でしかない魔物相手に土下座をする気分と言うのは、果たしてどのようなものだろうか?

冒険者になった経験の無いヘロヘロに取っては伺い知れるものではない。

だが、気に入らない対象に土下座をする気持ちならば、ヘロヘロにだって分かるのだ。

 

土下座をするシルフィーナの姿が、一昔前の自分の姿とダブって重なった。

 

『お願いします。お願いします。母が危篤なんです』

 

そう言って上司の前で土下座をするのは、定時上がりを懇願する自分の姿だった。

 

『納期前のこの糞忙しい時期に定時で帰れると思うなよ』と常日頃から釘を刺す上司もバツが悪そうに睨み付けるだけで了承の言葉を口にしなかったあの時だ。

 

ただでさえ嫌いな上司だった。

碌に仕事が出来ないくせに自分の無能さをカバーするように部下に仕事を押し付け、責任は全て部下に押し付ける。

考え得る限り最悪の上司だった。

そんな上司に土下座をする気分は顔面で糞を踏みつける方がマシだと言いきれる程の、反吐がでる気分だった。

 

その時の姿が、今のシルフィーナの姿と重なって離れないのだ。

あの時は、助けてくれる声があった。

あの時は、同僚からの援護射撃があった。

 

『帰らして上げて下さいよ』

『そうですよ。なんなら俺らで彼の分までやりますから』

『そうだそうだ。良心は無いのか糞上司!』

 

あちらこちらから飛ぶ援護射撃に、ついに上司も折れて定時上がりを許可されたのだ。

 

その過去を持つヘロヘロだからこそ、頭を擦り付けて懇願するシルフィーナの想いを無視する事など、出来る筈がなかった。

 

ヘロヘロは黙ってシルフィーナに近寄る。

グロプに村長にマイクにサティアにクラリスに…。

ここにいる全ての目線を一身に浴び、シルフィーナの頭の側まで来ると、クルリと身体を翻し真っ直ぐな瞳でグロプを捉えた。

 

「私は彼女を助けたいです」

 

まるで水面に小石を投じたように、ざわめきが広がった。

背後で彼女の頭が上がる気配をその背に感じつつ、黙ってグロプの返答を待つ。

 

グロプはグロプで実に色んな顔を見せた。

驚愕から始まり、困惑、焦燥、葛藤。そして最終的に脱力し、目を背けて頬を掻く。

 

「ったく。どうなっても知んねーからな」

 

それは本人にとっては酷く遠回しな了承。

だがヘロヘロにとっては実に分かりやすい了承だった。

 

その光景を前に、内心自分でも気付かない内に微笑んでしまっている人物がいた。

彼は立ち上がり少し大袈裟に肩を竦めると、誰に言うでもなく独り言のように口を開く。

 

「いやーヘロヘロ君に先を越されたけど、僕としても協力はやぶさかじゃないね」

 

その斜め後ろではサティアが当然のように頭を抱えていた。

 

「…言うと思ってました」

 

だがそれだけでは終わらない。

一時期は喪中のようなムードが広がっていた室内は一転してワッと救援活動に火が着いた。

 

「村長!俺らも手伝いましょう」

「力仕事なら任しとけってんだい!」

「農民舐めんなバーロー」

「嬢ちゃん!道案内は頼んだぜ」

 

ワイワイとお祭り騒ぎのように騒ぎ出す農夫の勢いに唖然として固まる村長も、やがて眉を八の字にして溜め息を吐いた。

 

「…ったく。困った奴らだ」

 

悪態のように吐き捨てた言葉。

だが吐き捨てたその表情は180度逆の感情が貼り付けられていた。

 

主張する面々の数が多過ぎて、あっちを向いたりこっちを向いたり。

シルフィーナは這いつくばったまま、忙しなく顔を動かし続けていた。

 

泣いて、絶望して、すがって、失望して、また泣いて。

思えば今日一日で沢山の涙を流し続けた。

そして今、奇跡のような光景を前に貼り付ける表情はやっぱり変わらず泣き顔だった。

 

だが涙の理由は絶望ではない。

だが涙の理由は悲しみではない。

胸いっぱいに広がり涙を強要した感情の正体はもっとずっと暖かいものだった。

 

「ありがどうございまず」

 

シルフィーナはもう一度深々と土下座をした。

これ以上無い程に感謝の気持ちで一杯だと言うのに、これ以上の言葉が見付からない。

やがて感謝の言葉は嗚咽となって部屋の中を響かせた。

 

ヘロヘロはその様子を黙って見詰めていた。

まるであの時のデジャブのような光景がただただヘロヘロの胸を締め付ける。

 

あの時ーー。

上司から了承の言葉が吹き出た瞬間、事務所は一種のお祭り騒ぎとなった。

ヘロヘロに労いの言葉を掛ける者。

ヘロヘロの仕事を肩代わりして奮起するもの。

ただ単純に喜ぶものなど。

実に様々な言動で上司の決定を喜んだ。

 

いまこの場はあの時のデジャブだ。

だが決定的に違うこともある。

 

見ればクラリスがシルフィーナの身体を抱き起こし、そしてそのまま抱き締めていた。

抱き締められたシルフィーナから一瞬見えた表情は花のように咲いた笑顔だった。

その目尻から涙が滑ってまた落ちた。

 

誰もが彼女の為に動いた優しい光景。

誰もが皆、笑っていた。

彼女もまた笑っていた。

 

それはあの事務所の中の光景と変わらない。

誰もがヘロヘロを味方してくれた。

誰もが上司の許可を喜んだ。

…だけど、ヘロヘロは笑えなかった。

 

それは母が危篤だったからではない。

 

土下座で首を縦に振らなかった上司に思わず『母の危篤』をでっち上げ、予想と反して事務所全体を巻き込んでしまい。皆からこれ程までに擁護されていながら。本当はユグドラシルのゲームでナザリックの防衛に行くと言う罪悪感に襲われたからである。

 

だけど、クラリスの胸の中で笑うシルフィーナを見て、何と無く考えてしまった。

 

今更女々しい事この上無いが、だけどもし…。

本当の事を言えたなら、あの時自分は笑えたのだろうか?

 

無意識に幻視するあの日光景。

上司の前に跪く想像上の自分は、上司から発せられたブレーンバスターによって完全に沈黙した。

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