キョウエイボーガン……彼女の特徴を一言で言い表すなら――地味である。
親子何代か続く競走ウマ娘の家系であったが、偉大な成績を残したわけでもなく、かといってまったくの無名というほどでもなく……。
彼女を評する者たちの言葉を借りるとするならば――三流ではないが決して一流でもない、そんな平凡な血筋であった。
競走ウマ娘として本格化を迎え出した際の、彼女を外見もまた、特に変哲もないものだった。
見るものを魅了する華々しい可憐さや、見るものを惹き付ける美貌を備えているわけでもなく、また王者の風格や、いつか大成しそうといったオーラといったものは特に感じられなかった。
ウマ娘の象徴がなければ、鹿毛色の外ハネのボブカットの髪型をした、平凡な少女と見間違われても、おかしくない。
そして集団に紛れてしまえば隠れてしまいそうなぐらい……小柄であった。
他に、付け加えるべきエピソードがあるならば――。
キョウエイボーガンは、母を生まれて間もなく、亡くしている。
まだ生後数日後の出来事であった。
詳しい病などはよくわからなかったが、産後の肥立ちが悪かったらしい。
また父も消息不明と……キョウエイボーガンは両親の愛情はおろか、顔すらわからずに育つこととなる。
しかし彼女はそれを寂しいと思うことはなかった。
なぜなら唯一の家族と呼べる者の元で、愛情を一身に受けて育ったからである。
天涯孤独となったキョウエイボーガンを引き取ったのは、親戚にあたる老年男性であった。
その老人は早くに妻を亡くし、子供はいたがすでに十年以上前に家を出ており、慎ましい独り身の生活を送っていた。
そんな折り、『忌み子』と不気味がって恐れ、誰も彼女を引き取ろうとしなかったところ、彼が里親に名乗りを上げた。
最初はただの憐憫の情だったのかもしれない。
けれど、接していく内に本当の家族の絆が芽生えたのだろう、キョウエイボーガンは健やかに育った。
そして成長した彼女は、血は争えず、幼い頃から走ることが好きで、母と同じく栄光の舞台、トゥインクル・シリーズを目指すべく、トレセン学園と入学した。
◇◆◇
『――1着でゴールしたのは6番キョウエイボーガン、キョウエイボーガンッ! スタートからそのまま逃げ切り、メイクデビューを制しましたッ!』
やや興奮気味の実況者の声がレース場に響く。
結果は実況を聞かずとも、火を見るより明らかであった。
ただ一度も先頭を譲らず、キョウエイボーガンが、引き放たれた矢の如く、駆け抜けてみせた。
人気の三人のウマ娘からやや離された4番人気であった。
だがその前評判をはね返すように、キョウエイボーガンは躍動した。
スタート直後、あっという間に先頭につくと、そのままあっさりと1400mを逃げ切ってみせたのだ。
十一月と、やや遅めのメイクデビュー。
これまでの道のり……それはけして順風満帆ではなく、苦難の道路であった。
地元では敵なしと言われていたウマ娘も、全国各地からの選りすぐりエリートが群雄割拠するトレセン学園においては、井の中の蛙大海を知らずが如く、厳しい洗練を受ける。
キョウエイボーガンもまたそのうちの一人であった。
選抜レース。
年に四回開催される、デビューを目指すウマ娘たちにとって立ちはだかる、最初の関門。
参加するもの誰もが必死だ。
ここで結果を残せるか否かで、
競争の世界において、自分以外のすべてがライバルなのだ。
キョウエイボーガンの持ち味である、得意の逃げ足をうまく決めたとしても、最後の直線ではあっという間に追い抜かされ、負けることもざらであった。
トゥインクル・シリーズに出走するには、この選抜レースでいい成績を残し、トレーナーからスカウトされてチームに所属できなければ、スタートラインにも立つことができない。
そんな何度目かの選抜レース。
キョウエイボーガンは、1着には届かずとも、何度か5着以内、掲示板には入ることはできるようになっていた。
最初の頃は、後ろから数えたほうが早い着順の事が多かった。
それに比べると大きな前進と言えた。
それは積重ねてきた努力と、粘り強さの結果であった。
彼女はレースが終わる最後の最後まで諦めることをしなかった。
今日が駄目なら、また明日。明日が駄目なら明後日と――。
そして何度負けようとも、何度追い抜かされようとも、あの言葉を口には出さなかった。
『無理ーぃ!』
相手との実力差を目の当たりにし、心までも完全に敗北に服従してしまい、漏れ出た嘆きの言葉。
誰にも譲らない負けん気――不屈の闘志を、キョウエイボーガンはその小さな体に宿していたのである。
レースで大敗したときなどに、ウマ娘は大樹のウロで想いのたけを切り株の中に向かって叫ぶ風習があるらしいが、キョウエイボーガンは、ただの一度もそのようなことはしなかった。
次に勝てるために何をするべきか、何が今の自分に足りないかを考え、それを補うためストイックにトレーニングに打ち込んでいた。
そんな彼女の頑張る姿を認められたどうかは定かではないが、学園から推薦を受けてトレーナーに紹介され、チームに所属することが叶った。
ようやくレースに出られるようになった、そう期待に胸を膨らませていたことであろう。
しかし初めてトレーナーと面会した際、想像とは違う反応を見せられて、面を喰らってしまう。
「――君にはあまり期待をかけていないが、チームのために何か貢献してくれたら、助かるよ」
トレーナーから最初にかけられた言葉は、そんな淡々とした言葉だった。
このトレーナーは、今後のチームレースを踏まえ、チームのメンバーの拡充のため、マイルから中距離あたりの逃げウマ娘を探していたそうだ。
そこで本来なら、有望な才覚あふれるウマ娘を迎え入れたかったらしいが、そのウマ娘のスカウトは引く手数多でドラフトとなり、そのドラフトに落選して、希望のウマ娘を獲得できなかったそうだ。
それで代わりに似たような脚質の、まだどこからもスカウトが来ていなかったキョウエイボーガンを学園から推挙され、チームに入れることにしたという経緯である。
あれから数時間後――。
レース後のウイニングライブや、もろもろ後処理などを終えて、ようやく控室に戻ってくることができた。
初レースで初勝利で、初センター。初めてづくしの、怒涛の一日で、まだまだ興奮冷めやまぬ状態で、少し胸の鼓動が高まっているのを彼女は感じる。
はやる気持ちを抑えつつ、素早くトレセン学園の制服に着替え終わると、携帯電話を取り出す。
キョウエイボーガンには、デビュー戦の勝利をどうしても直接自分の声でいち早く伝えたい人物がいた。
彼女の育ての親であり、本当の家族同然の存在である義理の祖父にである。
トレセン学園に入学してから何度か電話していて、そのたびに「ちゃんとご飯は食べているか?」「怪我とかしていないか?」と、色々心配事を聞かされていた。
そんな心配を払拭させてあげたい。
今日、ちゃんと結果を一つ出すことができた、トレセン学園でうまくやれている……そう伝えたかった。
電話をかけて、しばらくコール音が続く。
もしかして留守なのだろうか、そんな思いがよぎりかけた頃、電話がつながる。
「もしもし、おじいちゃん――」
繋がるやいなや、意気揚々と話しかけ始めたが、相手が聞き覚えのある義理の祖父の声でないことに気づく。
電話のスピーカーの先から聞こえる声は、もっと若い、知らない男性の声だったのだ。
とりあえず自分を名を名乗り、義理の祖父が家にいるかをその男性に訪ねてみると、感情を押し殺したような淡々とした冷静な声で、事情が説明される。
「――え……?」
男性――義理の祖父の息子が告げた言葉に、彼女の頭が真っ白になる。
義理の祖父が亡くなった――。
すでに葬式が済んだ後のことだった。
「そ……んな…………」
信じられない。信じたくない。
唯一の家族と呼べる者を失ったことを、まるで夢見事のように思えた。
彼女は、放心状態となる。
その後、いつ電話を切ったのか、いつレース会場を後にしたのかすら記憶が定かではなく、気がつくと、学園の自分の寮に戻っていた。
その日の晩は、眠ることができなかった。
何をするでもなく、枕を抱いてベッドの上でうずくまり、物思いに耽っていた。
こういう時は、枕を濡らして嗚咽を隠すのが正しい反応なのであろうか、そんなよくわからないことを彼女はぼんやりと考えていた。
最愛の人を亡くして悲しいはずなのに……不思議と涙が出ない。
心のどこかで、いつかこういう日がくると……なんとなく覚悟していた。
彼女がまだ小さい頃はまだ元気があったが、近年ではすっかりやせ衰えていた義理の祖父を姿を見て、『この幸せな時間は長くは続かない』、そう薄々感づいていた。
別れも言えず、終わってしまった。
義理の祖父と過ごした十数年間は、セピア色の思い出となり、時が経てば水の泡となって消えゆくのみ。
それは彼女の心の中にひっそりと、大きな空白を生み出す形となる。
次の日から、何事もなかったようにキョウエイボーガンは授業に出て、トレーニングにも参加していた。
だが練習に身が入らない。
誰かに話しかけられてもワンテンポ遅れて反応があったり、練習や並走にも精細を明らかにかいていた。
その時の彼女の心の中は、何もなかった――何も入れたておきたくなかった。
ただ走っているときだけは……何も考えなくていい。
雑念、疑念……そういったものを振り払うように、ひたすら体を動かして、心が空っぽになるまで練習をするようになっていた。
デビューの遅れを取り戻すかのように、メイクデビューから二週間後、すぐにキョウエイボーガンの次のレースが決まる。
芝1600mと、前回より1ハロン距離が伸びているが、前回の走りができれば十分通用するであろう、そう思われていたが――。
8着と、掲示板にも載れない大敗を喫してしまう。
彼女自身、いつものように先頭に躍り出て、逃げ足を活かすつもりであったが、なぜだか気持ちが前にいかず、控える走りをしてしまい、この結果となる。
明らかに
思い通りに走れない。
自分の身体なのに、まるで自分の身体でないような奇妙な感覚を、彼女は覚えていた。
(そっか……。あたし、負けたんだ……)
先頭から遅れてゴールした後、ふとそんなことを思う。
悔しいとすら思わない。
自分の事のはずなのだが、まるで他人の事のように感じていた。
『――なんのために走るのか』
それがよくわからなくなる。
前はもっと自然な気持ちで走れていたはずなのに……。
答えはいくら考えても出やしなかった。
そしてそのモヤモヤした気持ちが嫌で、何も考えなくて済むようにオーバーワーク気味に練習に明け暮れた。
そして汚名返上せんと次のレースに挑むも、また同様に、惨敗へと終わってしまう。
負のスパイラルは続く――。
それに重なるように、不幸にも彼女は骨膜炎を発症してしまった。
原因は明らかに過度な自主トレーニングのせいであった。
全治一ヶ月――それが医者から告げられた診察結果。
それまで安静、トレーニングもしばらく禁止となってしまう。
逃げるように打ち込んでいたトレーニングにも参加できない日々が続く。
何をするでもなく、チームメイトたちの練習風景を遠くから眺めるようになっていた。
部屋にこもっていると、嫌なことを次々と考えてしまう。『早く自分もトレーニングに復帰したい』、そんなことだけを考えていた。
そんなぼんやりと過ごしていたある日、トレーナーに呼び出された。
「……残念ながら、このままこのチームに入れておくわけにはいかない」
運命は巡る。
それは
ここ二回のレースの結果が振るわない上に、オーバーワークで怪我もしてしまった。
以前トレーナーに、自主トレーニングは控えるように言われていたのに、その忠告を無視した結果がこれである。
「――君にはチームを抜けてもらう」
あまりにも非情な判断が下された。
それに対して、何か弁明や申し開きを、彼女はすることができなかった。
ただ受け入れるしか
キョウエイボーガンは、再度、行き場所を失うこととなる……。
※サブタイトルを変更しました(2021/11/15)