(どうしてこうなったんだろ……)
偶然にも運命的な再会を果たしたキョウエイボーガンとヒダカベルベットであったが、あまりにも強烈な衝撃を受けたベルベットは、しばらくその場で口をパクパクさせながらその場で棒立ちしてしまい、他のトイレの利用者から「なんだあれ?」と、不審がられてしまった為、逃げるようにボーガンが手を引いて、トイレのすぐ外の待合スペースへと場所を移していた。
「…………」
お互い隣に鎮座しながらもまるで赤の他人のように、二人の間には長い沈黙が続いている。
ボーガンはこれほど塩らしい彼女を見るのは初めてであった。
トレセン学園での彼女――ベルベットと印象といえば、目立つ両脇の黒髪の縦ロールと、いかにも『お嬢様』といったような出で立ちと喋り方が特徴。
しかし顔を赤らめながら恥ずかしそうに両手で顔を隠しながらうずくまっている今の彼女に、その面影は一切なかった。
(……き、気まずい……)
もうどのくらい、こうして貝のように押し黙っているのやら。
少し前にボーガンの方から軽く話しかけてみたが、かすかな反応は返ってくるだけで、まともに受け答えできる状態ではないようであった。
そんな一秒一秒がやけに長く感じるような重苦しい時を過ごし、流れ行く秒数を頭の中で数えるのも飽きてやめてしまったあたりで、ようやく平静を取り戻したのか、ベルベットが顔を上げた。
「…………ないで」
「え?」
ボソリとベルベットは何かをつぶやいたが、かなり小声だったのでうまく聞き取れなかった。
「……他の人には……言わないで……」
先程よりも音量は上がっているが、聞いている方が何だか悲痛を覚えるような、今にも消え入りそうなか細い声だった。
「……なんか、その……ゴメン……」
ベルベットにとって、自分のプライベートの姿を知り合いに見られたのは初めての事であったのだろう、そのいたたまれない様子に、ボーガンはつい謝罪が出てしまった。
「えっと、なんていうか……。そ、そういえば、オフの時は、意外とラフな感じなんだね……?」
言葉に詰まったボーガンは、うっかり思ったことを口に出してしまい、相手にとっての地雷を踏んでしまう。
「――くぅぅぅっ!」
追撃のボディーブローを受けたベルベットは、羞恥心のあまり、体を倒して再度うずくまってしまった。
「あっ――ゴメンゴメン! 変な意味じゃなくてさ……!」
両手をバタバタと振り、慌てて取り繕う。
これではまるで、彼女をいじめているみたいになってしまう。
「ちょっと普段と印象が違うから驚いただけっていうか……その格好も全然アリよりのアリ? みたいな……」
捨てられた子犬のようにプルプルと震えているベルベットを必死になだめようとしているが、ボーガンの思考は――。
『その格好は一体どうしたの? それに実は目が悪くていつもはコンタクトしてたの? というかオフの時は喋り方普通なんだ……』
そんな疑問がボーガンの脳内で、シャボン玉のように浮かんでは消えていた。
ボーガンがしばらくの間、「へーき、へーき、問題ないって」と、少ない語彙力でフォローしていると、ようやっと持ち直したのか、ベルベットは顔を少し上げる。
「……私のこと、トレセン学園の時とは、『キャラが違う』って思ってるわよね……?」
「あー、うーん。ど、どうかなぁ……」
どうにも曖昧な回答をするボーガンだが、もはや答えが顔に書いてあるというレベルであった。
「――ええ、そうよ! 私は別にお嬢様なんかじゃないわよっ!!」
(あ……開き直った……)
先程までシュンとしていたのはどこへやら、威勢よく立ち上がると、聞かれてもいないことをあれこれ語り出してくる。
「――別に騙していたわけじゃないのよ。周りから『雰囲気がお嬢様みたいだね』って言われて、ちょっとそれっぽく振る舞っていたら、いつの間にか引き返せなくなってて……」
聞けばベルベットの家庭は、華麗な一族に連なるわけでもなく名家の生まれでもなく、ごくごく一般的なただの庶民との事。
ウマ娘のエリートたちが通うトレセン学園に入学することできて、つい舞い上がってしまっい、つい見栄をはって進学と同時にコンタクトに変えておしゃれな髪型に決めてデビューしちゃったのだ。
若さゆえの過ちか、ほんの一時の出来心だったかもしれない。
時が経つたびにどんどん引き返せなくなり、訂正する機会を失ったしまったのだ。
「だからお願いします……。クラスの皆には内緒にして下さい、何でもしますから……」
まるで神様を拝み倒すように地に伏せて平服するベルベット。
「と、とりあえず、まずは顔を上げてくれないかな……」
「お願いしますぅぅぅっ!!」
その珍妙な光景は否が応でも周囲から浮いてしまう。
周囲の「なにあれ?」という、不審な視線が痛い。
どうにもバツが悪すぎるので、ベルベットに一刻もその格好をやめさせるよう働く。
「ちょ――わかった、大丈夫! 約束するから、それ早くやめて!」
「ほ、本当!? 絶対に言わないでよね!」
先程まで意気消沈していたのとは打って変わり、急に顔をバッと上げて明るい表情を見せる。
そしてスッと立ち上がり、ボーガンを両手を掴んで急接近する。
「……もし約束を破ったら……末代まで呪うわよ……!」
(ちょ……怖い怖い……)
耳元でそんな凄みのある威圧感を放ってきたので、とりあえず黙ってコクコクと、二度うなずく他なかった。
「わかった、わかったよ。誰にも言わないから……」
「それを聞いて安心したわ♪」
約束の確約を取り付けるや否や、ケロリと明るい顔に戻る。
どうにもベルベットは、喜怒哀楽が激しいタイプのようだ。
「……ていうか、そもそもそんなにバレるのが嫌だったなら、その『お嬢様のフリ』を、すぐやめればよかったんじゃ……」
そんな疑問がふとボーガンの頭によぎる。
「そ、それはそうなのだけど――」
そう口淀み、ベルベットは言葉に詰まる。
彼女にものっぴきならない事情とらやが、あったのかしれない。
「だ、だって恥ずかしいじゃない……」
と言いながらベルベットは顔を真っ赤にさせて、身をくねらせる。
「――クスッ」
なんとも可愛らしい理由だったので、思わずボーガンは笑ってしまう。
「わ、笑わなくてもいいじゃない……」
少しむくれたように不機嫌そうな表情を浮かべるベルベット。
「ごめんごめん、やっぱり普段とのギャップがすごくてつい……。それと、いつもの口調じゃなく、普通に喋れるんだね」
よほどツボに入ったのか、クスクスとしばらく笑い続ける。
「い、いじわるですわよ……ボーガンさん!」
ボーガンにいじられて、またみるみるうちにベルベットは紅潮しだす。
慌てていつもの口調に戻しているようだが、これまで頑張ってキャラ作りをしていたのだと知ると、なんだか彼女の事がとても微笑ましく思えてくる。
「――お、オホン。と、ところでボーガンさんは、今日は何かお買い物だったのかしら?」
仕切り直しとばかりにわざとらしく咳払いし、さっきまでの出来事は水に流したかのように、ベルベットはすっかりいつも調子を取り戻す。
「ううん。トレーナーにそろそろGⅠも出る機会があるかもしれないから、勝負服のデザインのイメージ固めてこいって言われてね……」
「ああ……。そういえば五階のフロアでそういう催し物をやっていましたわね……」
「それで一通り観て終わったので、そろそろ帰ろうかなっていう所だったわけ」
そしてばったり、小さい妹二人と家族団らん中のベルベットと遭遇してしまった、という事である。
「あら、そうでしたのね……偶然というのも、あるものなんですわね」
ベルベットにとっては実家に近い大型店舗であり、幼い妹たちを連れて行くには何分勝手がよく、地元なので普段の『トレセン学園』の装いをしていなかったのが、運の尽きであった。
「もしお昼がまだなようでしたら、よろしければご一緒しませんか? 妹達にも紹介したいですし……」
ちょっとトイレに行っているにしては、だいぶ時間が経っている。
そろそろファミレスの前に置いてきた妹たちの事が、心配になるもの無理はない。
ここで会えたのも何か縁だろうか、ボーガンはランチに誘われる。
「うーん、ゴメン。今回は遠慮しておくかな。あんまり家族団らんの時間を邪魔したら悪いしね……」
それは単純に気を使っただけで、他意はない。
他意はなかったはずなのに……ボーガンの言葉には憂いをどこか秘めていた。
「……そうですわね。急なお誘いでしたね、また日を改めましょう」
何を察したのかどうかはわからないが、ベルベットは簡単に引き下がる。
「では――妹たちをあまり放っておけませんので、ここで失礼いたしますわ」
そう言って別れを告げようとするが、
「あ、そうですわ」
ふと思い出したかのようにベルベットが訊ねてくる。
「今後の出走するレースはお決まりになりましたか? 私は次の一戦を挟んで、重賞のファルコンステークスを目指しますわ」
チーム対抗レース後に交わした、『次同じレースで相まみえた際は、お互い全力で勝負しよう』という約束から、ライバルの動向は気になるのは必然と言えた。
「……またしても奇遇だね」
ボーガンは驚いた表情を見せる。
偶然が重なればそれは必然ともいえる。
今日このような所でベルベットと出会ったのはただの偶然はなく、運命だったのかもしれない。
「あたしは七月の――ファルコンステークスに出るよ」
つい先日、トレーナーと相談して決めた、まだ誰にも伝えていないレース・スケジュール。
これが運命でなければ、これほど偶然が重ならないであろう。
「それは俄然……楽しみが増えましたわね!」
存外待望の日がすぐ近くだと知ると、彼女の目つきが鋭くなり、口元を少し緩め、不敵な笑みを浮かべる。
トレセン学園でのお嬢様の顔でもない、妹二人のお姉ちゃんの顔でもない、ベルベットの闘志に火が灯り始めたのだ。
「次は中京レース場でお会いいたしましょう。そしてこの前の借りを返させていただきますわ!」
「こっちも負けるつもりはないよ……!」
視線を交わし合う二人。バチバチと火花を散らせる。
だがそれもほんの束の間で終わった。
「と、いいましても――また明日教室でお会いしますけどね」
冗談めいた口調でベルベットが場をなごませると、それにつられてボーガンもクスッと笑いをこぼす。
「……それでは今度こそ失礼いたしますわ」
「うん、それじゃ」
短い会話を挟んで、二人は別々に別れる。
多くを語らずとも分かり合っていた。
二人の交わした約束――
◇◆◇
日曜のトレセン学園。
学園内はいつも生徒たちで賑わっているが、休日となるとその数はまばらとなる。
ある者はトゥインクル・シリーズに出走で出払っていたり、ある者は日常の疲れを癒やすため英気を養ったりなど……。
それでも熱心な生徒は、朝からトレーニングに打ち込む者もいくらか見受けられる。
そんな短い栗色の髪をしたどこか中性的な印象を持つウマ娘――ハヤテも、自主練に励む中の一人であった。
「あれ、ハヤテ~。今日も自主練?」
たまたま校門前を通りがかった、私服姿のハヤテの所属するチームの先輩のウマ娘が話しかけてくる。
「あ、先輩。こんにちはー! 今からお出かけですかー?」
「うん、友達とちょっとね~。そういえば確か昨日も練習やってたよね? 毎日、精が出るね~」
昨日の同じような時刻。
寮から出ていく際に、ジャージ姿で走り込みに出ていく姿を偶然にも見かけていた。
去年の初冬にダートから芝に転向のためチーム移籍してきたこの後輩を気にかけており、少し気がかりになったという。
「はいー! この間のレース負けちゃったし、それに次のレースも決まったのでー!」
先輩の意図を汲み取っているのだろうか、まるで『心配ないですよ』と、言わんばかりの愛嬌のある笑顔をニコニコ振りまきながらそう応えた。
ここ最近のハヤテは、入着までの惜しい所まで行くが、なかなか勝ちきれないというレース結果に終わっている。
あと一歩が及ばない……それが焦りを生んでいるのか、一層練習に力が入るというもの頷けるが、怪我でもしたら元も子もない。
「頑張ってるね~。でもあんまり根を詰めすぎないように」
「大丈夫ですー。僕、こう見えても結構、身体は丈夫なんですよー」
まったく変わらない笑みを浮かべながら、えっへんと胸を貼る。
その姿は見る限り、無理をしているという風には感じなかった。
「そう……ならいいけど」
本人が問題ないと言っているので、これ以上お節介かけるというのは野暮というもの、それ以上は追求しなかった。
「そ~いえば、今度ハヤテが出走するレースって、七月のファルコンステークスだっけ? もし行けたら、応援しに行くからね~!」
「ありがとうございますー! それじゃ僕、もう一周走ってきますねー」
「ばいばい~」
ハヤテは手を振りながら、同じ手を振っている先輩と別れる。
穏やかな青春一ページ。
その光景は、さぞや健気に努力する後輩とそれを暖かな目で見守る先輩というに微笑ましく映ったであろう。
外周に出て、先輩の姿が完全に見えなくなった途端――。
ハヤテの先程までの和やかな雰囲気がガラリと変わり、表情に貼り付けた笑顔は崩れていないが、秘めたる激情がどこからか漏れ出していた。
(次こそは負けられない……負けるわけにはいかない……っ!)
心の内では誰よりも勝利に、一着への執念を燃やし――勝ちたいという欲望が人一倍強く渦巻いてい。
今にも爆発してしまいそうなこの感情を、今はトレーニングにぶつけて発散させる。
キョウエイボーガン。
ビダカベルベット。
ハヤテ。
七月五日、中京レース場。
奇しくもこの三人が一挙に集いて、雌雄を決する事となる……。