キョウエイボーガン ~命運は矢となりて駆ける~   作:エガヲ

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歩くような速さで 後編(3)

 七月五日、初夏の日曜日。

 朝から降っていた雨がやんでしばらく経つが、未だ快晴といかず曇り空だ。

 

 愛知県にある中京レース場。

 今週もトゥインクル・シリーズのレースが開催され、ぐずついた天気ながらも多くの観客たちがここに足を運んでいた。

 

「夏のトゥインクル・シリーズは退屈だ……そう思うファンは少ながらずいる」

「どうした急に」

 次のレースが始まる合間、スタンドで観戦している半袖のパーカーを着た男がいつものように唐突に語り出すが、もう慣れたもので、眼鏡の男はおなじみの返しをする。

 

「宝塚記念が終わった後、しばらくGⅠのレースがなく、そして春の大舞台で賑わかせたスターウ

マ娘たちも秋に備えて、夏は休養期間に当てられる」

「そう言われると、確かに注目度は低くなるのかもしれないな……」

 

 今日も目玉と呼べるのは重賞のファルコンステークスぐらいなもので、地方遠征で札幌か福島かそれとも中京か、どこへ行くか散々迷った挙げ句、最後は運任せのくじ引きで決めたぐらいだ。

 

「――だが、果たしてそう言い切れるだろうか? この夏にかけてのレースで好成績を残し、その勢いのまま秋のGⅠを獲得したウマ娘は数多くいる……」

 パーカー男が言うように、その偉業を成し遂げているウマ娘は確かに存在する。

 

 夏のレースから覚醒し破竹の四連勝で菊花賞を制したマチカネフクキタル。

 芝に転向してから夏の間に着々と実力を伸ばし、菊花賞を勝ち取ったマヤノトップガン。

 

 それはまさに下剋上――。

 春のクラシックレースで結果を残せなくとも、けして平坦ではなく順風満帆とはいえない道のりだったとしても、チャンスは等しく訪れる。

 

 それがトゥインクル・シリーズというものなのだ。

 そうして大器をなし得、成り上がっていった彼女らの事を……『夏の上がりウマ娘』と呼んだ。

 

「つまりは、このレースも目が離せないっていうことだな!」

 今日のレース。

 数ある重賞レースのうちの一つにすぎないのかもしれないが、これに機に秋の大一番で目まぐるしい活躍をするスター選手が誕生するのかもしれない。

 

 そう思えばこそ、退屈などとは言っていられない。

 

「ああ、そうだとも! その勇姿を一つでも多く焼き付けておくのが、俺たちファンの務めさ!」

 

 二人の思いは一致団結となり、これから行われるレースのパドックを期待を込めて見つめる。

 灰かぶりからのシンデレラストーリーが生まれる、その瞬間を焦がれて――。

 

 ◇◆◇

 

 中京レース場、第11R。

 メインレース――中日スポーツ賞ファルコンステークス。

 パドックのお披露目を終えたウマ娘たちが地下バ道を通って、次々とコースの上に現れていく。

 

 一歩一歩歩く度に、まるでトンネルの中のように、自分の靴音が反響する。

 

 キョウエイボーガンもまたこのレースに出走するため、この道を歩いていた。

 

(……調子は問題ない……。後は自分のやれることをやるだけ……!)

 

 ここまでトントン拍子にオープン戦から重賞戦へと辿り着いた。

 けれど初めての重賞レース、緊張していないといったら嘘になる。わずかに自分の心拍数が上がっていくように感じる。

 

 地下バ道の出口に近づくに連れ、夏の熱気以外のものがどんどん増して、たぎってくるようだった。

 

「――ベルベット……」

 ボーガンは足を止めた。

 

 そこには待ち構えていたように、ヒダカベルベットが佇んでおり、彼女と目が合ったからだ。

 

「ご機嫌麗しゅう、ボーガンさん。とうとうこの日がやってきましたわね!」

 きっちりと整えられたご自慢のツインドリルヘアーをふわっと揺らしながら、威風堂々とした、あたかも背景に星が舞っているかのように、綺羅びやかな立ち振舞を見せるベルベット。

 

(あ……そのキャラのままで行くんだね……)

 この間の、完全にオフショットの彼女を目撃してしまったがために、ボーガンは微妙に彼女とどう接するのが正解なのか、分からずにいる。

 

「この間の約束通り、この舞台に来ましたわよ!」

「……わざわざレース前に挨拶をしにくるなんて、ベルベットらしいね」

 

「当然ですわ! ライバルと決着をつける絶好の場面、こちらからきちんとご挨拶をするのは淑女の嗜みでしてよ!」

 と言ってベルベットは気分が高揚したのか、「オーホッホッホ」と高笑いをし始める。

 

 完全にいつもの彼女の調子である。

 この間の出来事は彼女の中でなかった事になったのか、あるいは長年お嬢様のふりを演じ続けた結果、今更直すのも逆に難しい、習慣となってしまったのだろう。

 

「それなら……お互い、全力やり合おう! 今日のレースの一着は譲らないよ!」

 彼女の仕草はさておき、宣戦布告をしてくるというのであれば、それを受けてたつのみである。

「それはこちらのセリフですわ!」

 無論、相手も同じ気持ちであろう。

 

 前哨戦さながら、レースが始まる前から、目と目で火花を飛ばし合う。

 

 そうやって二人が対抗心をあらわにしてバチバチやり合っていると――。

 

 カツーン……カツーン……。

 

 背後から、反響音。

 とてもゆったりとした、しかしそれでいて妙に存在感のある足音がこちらに近づいてくる。

 

 睨み合っていたボーガンとベルベットだったが、その音に遮られる形で中断させられる。

 自然と音の主を確かめるべく視線をそちらに向けると、二人は驚いた表情を浮かべる。

 

「……ハヤテ……?」

 一瞬クラスメイトの彼女だと判らなかった。

 

 二人と同じクラスであり、ボーガンとは隣の席のハヤテ。

 よく見知っている顔だというのに、なぜか圧倒的が違和感で、そこに居るのが同一人物だと確証が得られなかった。

 

「――ニヤッ」

 名前を呼ばれて、ボーガンとベルベットの存在を認知したハヤテは、二人を一瞥すると、口元を一瞬歪めた。

 

「「――――ッ」」

 思わず二人は背筋に冷たいものが走り、息を呑んでしまう。

 

 あれは本当に我々が知るハヤテなのだろうか……そう疑問を抱いてしまうのも無理はない。

 まるで別人――。

 

 普段つけていない、額の部分に『颯』と書かれているヘアバンドをつけて少し外見が変わっているが、そういった見た目の問題ではない。

 普段の彼女からは想像もつかない、異質なオーラのようなものを身にまとっているようであった。

 

「やあ、これはこれはお二人さん、こんなところにお揃いで……」

 二人の前に立ち止まり、そう静かに言い放つ。

 

 その口ぶりは、いつものおっとりとした口調とはかけ離れており、なにより常に笑顔を絶やさないでいるその印象的な表情は、今は欠片もない。

 

「は、ハヤテさん……? その何か、いつもと雰囲気が違うようですが……」

 ハヤテのあまりの豹変に少し物怖じしてしまったのか、ベルベットは恐る恐るそんな風に伺った。

「ああ、悪いね。驚かせたかな? 普段はもうちょっとうまく隠せるんだけど、今日は気持ちの高ぶりが抑えられなくてね……!」

 その落ち着いた喋り方とは裏腹に、普段の愛嬌のある笑顔はまったく別物の、まるで牙を研ぐような不敵な笑みを浮かべながら、闘争心むき出しのギラついた目線を二人に送る。

 

(――ッ!? 何、今の……)

 その視線を浴びた刹那、ボーガンは冷や汗をかいてしまう。

 ボーガン自身もよく分からない事だが、いつもはにこやかに目を細めているのとギャップもさることながら、蛇に睨まれた蛙かの如く緊張感が全身を駆け巡ったのである。

 

「それじゃ僕はお先に失礼するね。今日はお互い、良いレースにしよう……」

 と、にべにもなくハヤテは別れを告げると、二人を後に残し、一足先に地下バ道を突き進み、出口へ向かって歩を進めた。

 

「――――」

 ボーガンとベルベットの二人は、その後姿を黙って見送った。

 いや、見送る事しか出来なかった。

 

(……さっきの目、とても『良いレースにしよう』っていう、感じじゃなかったな……)

 思い返してみても身震いするような、獲物を定める肉食動物のようなあの目……自分たちに向かって何かを訴えかけているようであった。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()、と――。

 それぐらい今にも食って掛かりそうなほどの、闘争心に満ち溢れている目をしていた。

 

「――な、なんだったのかしら……」

 ハヤテがその場を後にしていくらか経過した後、ようやっとベルベットが口を開く。

 

 その凄みは隣にいたベルベットにも伝わっており、ボーガン同様、気圧されてしまいしばらくその場で立ち往生してしまっていたようだ。

 

「きっとあれが、ハヤテの本気なんだ……」

 気圧され、自然と握りこぶしを強く握っていた。

 

 ついさっきまではあたかお互いの勝負をつける場、自分たちが主役だと舞い上がっていた。

 

 それは思い上がりも、はなはだしかった。

 ハヤテがいる。そして他にも、このレースには出走しているウマ娘が居るのだ。

 レースに出る誰もが主役で、ライバルであることを再認識させられた。

 

「よし――ッ!」

 と一喝すると、ボーガンはパチンと両手で自分の頬を強く打ち付けた。

 

「ぼ、ボーガンさん!? 一体何を……?」

「ん――ちょっと気合い入れ直してた……!」

 おかげで目が覚めたと言わんばかりに、引き締まった顔立ちのボーガンを見て、ベルベットその意図を読み取った。

 

 そして自分もそれ続く。

「――やあッ!!」

 掛け声と共に、パチーンと、先程と同じような軽快な音が反響する。

 ベルベットも同じように自分の頬にを手のひらを打ち付けて、気合を入れ直した。

 

「こんなところで飲まれている場合ではないですわ!」

 ベルベットの言うとおりである、まだレースは始まってもいないのだから。

「それじゃ、あたしたちもそろそろ行こう!」

「……ええ!」

 二人は揃って出口へ向かって歩を進める。

 その先の、決戦の舞台へと――。

 

 ◇◆◇

 

『曇り空の元、中京レース芝一八〇〇、十四人のウマ娘たちが夏の重賞レースに挑みます』

 

 実況が会場に響き渡る中、ゲートインを終えた各々のウマ娘たちは、出走の時を今かと、集中力を高めながら待っている。

 さならがらゲートの周囲だけは、嵐の前の静けさに満ちていた。

 

『それでは注目のウマ娘たちを紹介していきましょう――二番人気、現在二連勝中、持ち味の豪脚は今回も炸裂するか? 7枠12番ヒダカベルベット』

 

『続いては同じく二連勝中、その勢いのまま逃げ切るのか? 三番人気、3枠3番キョウエイボーガン』

 

『さて堂々の一番人気はこの娘――1枠1番、ハヤテ! 実力は申し分なし、好走に期待しましょう!』

 

『皆、気合十分といった、いい表情してますね!』

『さあ中京レース場本日のメインレース、ファルコンステークス。まもなく開幕です!』

 

 そう実況が言い終わるのが合図だったのか、まるで照らし合わせたようにウマ娘たちは揃ってスタートダッシュの構えをとる。

 

 一瞬の静寂――。

 

 まるで自分の鼓動の音が相手に伝わってしまいそうだ。

 観客にいる誰もが息を呑み、その時を待つ。

 

 ガゴン――ッ!

 

 ゲートが一斉に開け放たれると、地響を上げながら走者たちが一斉に飛び出す。

 

 今、戦いの火蓋が切られた。

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