興奮冷めやらぬ
未だその熱は、嵐となって世間に吹き荒れてた。
波乱を呼んだ菊花賞……。
その日は誰もが、史上5人目のクラシック三冠ウマ娘の誕生の瞬間を、迎えられると夢を見ていた。
人は夢を見る……。
人が見る夢と書いて、儚いという文字があるように、その結末はあまりにも虚しい――。
2番人気4枠8番ライスシャワーが、最後の直線でミホノブルボンを交わし、ダービーから続く連続2着の雪辱を晴らして、菊の大輪を制してみせる。
栄光の晴れ舞台。しかしそこに歓声や拍手はなく、ミホノブルボンの勝利する姿を見れなかったフラストレーションを発散するかのような、罵声や批判の声が上がっていた。
その勢いは衰えることなく、ニュースやネット・SNSでは、大体的に『ミホノブルボン敗北』と取り上げ、あたかも勝利したライスシャワーを悪者扱いしていた。
そのイメージは次から次へと拡散していき、実力は十二分なしでレコードを叩き出してミホノブルボンを破ったことから、『黒い刺客』『悪役』と、世間からブーイングを受けながらもその存在を定着させていった。
そしてある時、風向きに変化が訪れた。
最初のうちは、ミホノブルボンを直接下したライスシャワーに批判の矛先が向けられていたのだが、あるテレビ番組で評論家の語ったコメントが、一切の流れを変えてしまったのだ。
『――今回の菊花賞。蓋を開けてみればライスシャワーに有利な状況だった。元々彼女は距離が伸びるほどその実力が発揮しやすく、ダービーから着々と実力を伸ばし、菊花賞でその実力を遺憾なく発揮させた』
『では、ライスシャワーが三冠を阻止するのは目に見えていたと――?』
『いや、ライスシャワーだけならば、状況はどうなっていたかわからないね……』
『――と、言いますと?』
『……ミホノブルボンには明らかな不利があった。12番……キョウエイボーガンが勝ち目もないのに先頭に立って邪魔をした! あのくだらないウマ娘が逃げたばっかりに……』
公衆の電波で吐き捨てるように語った評論家の過激なコメントは、またたく間に話題となった。
それを面白がった人々のSNSやネットでは『くだらないウマ娘』といっている箇所の切り抜き動画がいくつも投稿され、それが再生数を稼ぎ、ついにはトレンドにも上がった。
悪意から悪意へ伝染していく。
やがてキョウエイボーガンは、『ミホノブルボンに逃げさせなかった』『勝ち目がないのに妨害した』等と、人々の間で面白半分に噂され、そしてファンやマスコミなどには三冠を邪魔したウマ娘と散々に非難され、吊し上げにされていた。
その影響は、ウマ娘のレースにあまり興味がない人でも、「キョウエイボーガンというウマ娘が三冠の邪魔をした」という話が、一般層にまで浸透するほどだった。
そしてこの波はとどまることを知らない。
共に学園生活を送るトレセン学園に通うウマ娘たちの間でも、その話題が大いに盛り上がりを見せていた。
同じ学徒間でも、あれだけの一大イベントのように取り上げられていたミホノブルボンの三冠を、心から応援していた者たちは数多くいただろう。
そんな彼女らにとっては、キョウエイボーガンというのはまさに格好の叩く材料であった。
まずはその者たちの憂さばらしからキョウエイボーガンの批判が始まり、そして日頃の話題作りや、流行に乗り遅れまいとした者たちが話を広げる。
それはまるで伝染病のように蔓延していった。
トレセン学園のそこら中で駆け巡り、菊花賞に関する騒動の話題がつきなかった。
昼時――。
ランチタイムのカフェテリアでは大勢のウマ娘達が食事を取り、和気あいあいと気の合う友人や仲間たちと会食を楽しんでいる。
昼食時の会話のネタとしてうってつけといわんばかりに、やはりどこかしらからか、菊花賞の話に始まりキョウエイボーガンの例の話で盛り上がっている話し声が、ヒソヒソとあちこちから聞こえてくる。
彼女らに明確な悪意があって噂話に興じていいるわけではない。
大半は、ただ「昨日の動画配信見た?」とか、「あのドラマ見た?」とか、そういう自分たちの間で流行っているものを、盲目的に周りと合わせるため、追いかけているだけなのである。
けれど中には、理由をつけて他者を堂々と批判できる快感に取り憑かれている者たちも多少なりともいた。
一際大きな声で、三人グループのウマ娘たちが、談笑に勤しんでいる。
その話題の中心は、はやり菊花賞の話で、「やっぱりブルボンの三冠見たかったなー」「なんか、ボーガンって子が勝ち目もないのに邪魔したんだってさー」「うっそマジー? ありえなくなーい」と野次っては、ケラケラと一斉に笑い合った。
日頃のちょっとした鬱憤や散り積もったストレス発散……彼女らにとっては清涼剤のつもりだったのだろう。
だが彼女は未だ知らない……。
その無神経な話し声が、一人のウマ娘の神経をひどく逆撫でていることを――。
その人物はピンとウマ耳を聞き立てると、明らかに不愉快そうに顔を歪めた。
すでに血管が浮き上がり、目が充血し始めている。
なぜだか周囲の気温がまるで何かが燃えているかのように上昇していくのを感じ取れる。
たまたまその近くにいた者は、突然放たれた殺気に震え上がり、まるで災害から逃れるようにその場を後にしてしまう。
それほど何かが煮えたぎっていた。
しかしそんな不穏なオーラをおしゃべりに夢中になっていた彼女らには知る由もない。
会話は弾み、さらにエキサイティングしていく。
「ほんとそのボーガンって子、空気読めって感じよねー」
「ちょっと先頭に立って、目立ちたかったんじゃないー?」
「なにそれ、マジウケるんだけどー」
周囲に遠慮のない笑い声が一斉に上がる。
その時だった――。
『――バキィッ!!』
ものすごい炸裂音が辺り一帯に響き渡る。
会話に花を咲かせていた三人グループに目掛けて何かが高速で飛びかかり、彼女らが肘やら手をついている木製のテーブルが、食事が盛られている食器やコップ等もろとも真っ二つに粉砕された音だった。
あまりにも当然のことでテーブルに座っていた彼女らは、さっきまでと変わらぬ姿勢のまま、唖然としていた。
それは何者かが、空中に舞い上がり――そのまま落下しながら踵落としをテーブルに食らわせた結果であった。
「……おうお前ら、さっきから何やら随分と楽しそうじゃあねえかあ……」
さっきまでテーブルだった物を足蹴にしながら、テーブルを無残な姿に変えた渦中の人物が、そのテーブルに座っていた彼女らに向けて話しかけてくる。
その雰囲気・表情はどう見ても心中穏やかではなく、触れようものなら噛みちぎられそうなぐらいの獰猛な目つきで彼女らを凝視――つまるところガンつけていた。
「――うちのボーガンの何がそんなに
瞳と同じ真っ赤な長い髪を炎のように揺らめかせながら、拳をポキポキと鳴らし、強烈な殺意を放ちながらそう威嚇する。
この乱入者の正体は……小柄な体躯で前髪の一部にメッシュが入った腰まで長く伸ばした赤い髪のウマ娘――バニータルーブルであった。
たまたまその場に居合わせたバニータルーブルであったが、彼女の耳ざといウマ耳は、仲間の悪口を聞くや否や、沸点の低い彼女はすぐに堪忍袋の緒が切れ、怒りを爆発させたのだった。
バニータルーブルの迫力に、三人グループのウマ娘たちは、まるで山奥で獰猛な獣に遭遇したかのような恐怖に包まれる。
そこでふと思い出す――トレセン学園の生徒たちの間でまつわる噂を……。
絶対に目を合わせていけない、けして関わってはいけない、生徒会が手を焼いているほど気性の激しい危険人物たちの存在がいることを。
そのうちの一人、あの『赤い狂犬』が今、目の前に現れたとことを――。
「「し、失礼しましたーっ!!」」
留まればここでやられる――。
バニータルーブルという悪鬼羅刹の前に恐れをなし、己の身の安全を優先し、先ほどまではあれほど楽しそうに談笑に浸っていた一団は、顔を青ざめながら、我先にと一目散に逃げ出していった。
「ちっ……このすっとこどっこいどもが……」
獲物がいなくなったので次の標的を定める。
まだ腹の虫が収まらないといったバニータルーブルは、低い唸り声を上げながら、今度は遠巻きに今の騒動を見ていた学生のウマ娘たちに向かって吠える。
「おうおう何見てんやがんだあ、このでやんでえ、べらぼうどもめっ! こちとら見世物じゃあねえぞおっっ!!」
その怒りの雄叫びにカフェテリアに居た殆どの生徒たちが、叫び声を上げながら蜘蛛の子を散らす用に逃げ去っていく。
楽しいランチタイムの一時が一転、まさしく阿鼻叫喚な光景となる。
バニータルーブルの悪名、なお一層ここに轟くこととなる。
怒りのやり場を失ったバニータルーブルは、汚らしい言葉を吐き散らしながら、その場で地団駄を踏み、すでに残骸となったテーブルに更に追い打ちをかけた。
檻から解き放たれた猛獣の如く暴れ狂うバニータルーブル……下手に近づこうもの血を見るのは必須。もはや誰にも止められないかに思われた。
しかしそんな恐ろしい獣と化した彼女のもとに、果敢にも近づいていく二つの姿があった。
「ちょちょちょ……なにやってんッスか、ルーブル姉御っ!」
「ルーブルちゃん、落ち着いて~!」
バニータルーブルの後輩で、同じチームメンバーのオーサムラフインとアントレッドマーチである。
彼女の扱いをいくらか心得ている二人は、猛犬を飼いならすように一斉に抑え込むと、どうどうと宥め始める。
「……ええい、くそうっ! これが落ち着いていられるかあってえもんだぜえ……」
二人がかりとはいえ、この程度の拘束なら力の限りを尽くして暴れだせば、逃げ出すことは容易ではあった。
しかし流石に可愛い後輩二人に乱暴な真似をすることは出来ず、大人しくいさめられるのを受け入れる。
「……気持ちはわかるッスけど、だからといってルーブル姉御が暴れても、余計にボーガン姉御の評判が悪くなるだけッスよ……」
「そうだよ~ルーブルちゃん。それに~物を壊すのは良くないよ~」
そうまで諭されてしまっては、こちらが駄々をこねて後輩たちを困らせるわけにはいかない。
ワナワナと力の限り握りしめ、震わせていた拳を解き、代わりにその両手で後輩二人の頭を片方づつポンポンと優しく叩く。
「……すまねえ、オレが悪かった。迷惑かけちまったなあ……」
バニータルーブルの表情がいつもよく知る良き先輩の顔に戻っていることに、ほっと胸をなでおろす二人。
「……ちょっとだけルーブル姉御が怒ってくれてスッキリしたッス……。皆でああよってたかってボーガン姉御のことを悪くいうのは、ボクも許せないッス……」
直接暴力を奮っていないが、あわや怪我人が出るかもしれなかった過激な行為はけして褒められたことではない。
だが、オーサムラフインも自分たちのチームメンバーであり、大切な仲間のことを好き放題悪くいわれることには気分を害していたので、あまりバニータルーブルのことを強く責められなかった。
「マーチは~菊花賞で走ってた子みんな、すっごい頑張ってたと思うんだけどな~……」
普段はのほほんとしていて、世間の波に疎そうなアントレッドマーチであったが、そんな彼女でもよくない雰囲気を察知できるほど、今の学園内に蔓延している空気はひどいものだった。
出走した皆全てが真剣勝負で全力で走っている姿を間近で見ていたので、なぜそれを悪く言う人がいるのか、アントレッドマーチは理解に程遠かった。
その疑問に答えるかのように、バニータルーブルはまるで己の身に起きたことのような口調で語りだす。
「……例えどんなレースだろうと、コースの中に入ったのならそこは勝負の世界だあ。そしてレースには勝つか負けるしかねえ。だが誰も負けるためにレースに出るやつはなんかいねえさ。たった一人にしか得られねえ『勝利』を目指し、全員必死なもんだあ……」
目を瞑り、過去を思い返す。
栄光を掴んで達成感に満ちたこと……勝利を掴めず悔しさで胸を膨らませたことを。
そしてどのレースでも、真剣に走っていないウマ娘など誰一人として居なかった。
勝敗とは、互いに死力を尽くしあって生まれた結果でしかない。
けれどそれは共に駆け抜けた者同士――勝負の世界に生きる競走ウマ娘にしか分かり合えない感情なのかもしれない。
「――だがレースの内容だけ見られ、外野からあーだこーだと、とやかく言われちまうことも、オレたち
レースはウマ娘だけで走るものではない。
二人三脚で共にウマ娘をサポートするトレーナーがいて、他にはレース場やライブ舞台の運営スタッフ、そして何よりレースを観に来る観客……。
ウマ娘は観に来てくれた人々に夢を与え、その人々の夢を乗せて走る――興行としての側面も存在する。
「……まだレースに出たことがねえお前らには、わかんねえかもしれねえがあ、いつか大きなレースで走る時、どんな風が吹いていたとしても、自分を見失うんじゃあねえぞ……」
人々の声は風向き次第では、声援にも罵声にもなる。
特にGⅠのような大きな舞台では、大勢の夢を背負って走ることになる。
レースを走るということは、そういうことを乗り越える必要もあるのだと、そう静かに語った。
「「…………」」
先輩の言葉を押し黙って聞き入るオーサムラフインとアントレッドマーチ。
その言葉には、酸いも甘いも味わったことがあるバニータルーブルの言葉には、凄みがあり説得力があった。
未出走の二人が受け止めきるには、まだ重い言葉であった。
(……ボーガンの奴、気ぃ滅入ってなけりゃあいいけどなあ……)
バニータルーブルは、この場に居ないキョウエイボーガンのことを気にかける。
おそらく至るところで、さっきみたいな胸糞の悪い与太話で持ちきりだ。気分を害さないわけがない。
菊花賞のレース後、長末トレーナーの提案で疲れをしっかりと取るため、数日の間しばらく休養しているが、ちゃんと復帰して元気な顔を出してくれるか、一抹の不安を覚えた。
そんなもう一人の後輩の様子を内心心配をしていると、突如として何者かが駆け足でカフェテリアに入って、勢いよく立ち止まる。
「――この騒ぎは一体何事だッ!!」
凛としていてよく通る、そして威厳のある声が室内に響き渡る。
スラリと手足が長く、赤のアイシャドウがよく映える整った美しい顔立ちで、グレーの髪のボブカットヘアーのウマ娘が、そこに居た。
「……おおっと、副会長のお出ましだあ。おうお前ら……ここはさっさとずらかるぜえ!」
そう言うや否や、さっきのやってきた人物に見つからないよう、我先にとスタコラサッサとカフェテリアから逃げ出す。
あれほど大騒ぎをしてみせたのなら、当然、誰かが生徒会に通報し、生徒会の面々が出動してくるのは目に見えていた。
バニータルーブルは個人的にも幾度となく生徒会に捕まったことがある前科持ちなので、面倒なことになる前に、この場から逃げるのが一番であった。
「――え? うわっ、逃げるの早すぎッス……」
「あ~待ってよ~、ルーブルちゃん~」
可愛いといったはずの後輩二人を置いて、すでにカフェテリアを脱出していったバニータルーブルの後を慌てて追いかけていく、巻き込まれただけの哀れな後輩二人……。
とりあえず騒ぎが収まるまで我らがチームの部室で身を潜めよう――そう三人は自分たちの部室へと足をすすめる。
一旦はうまく逃げおおせたバニータルーブル一行であったが……捕まるのは時間の問題であった。
バニータルーブルの問題行動は今に限ったことではなく、生徒会から要注意人物としてマークされている。
風の噂で聞くところによると、なんでも一度捕まって地下牢に閉じ込められたとか……そんな話しもある。
当然今回も、あれだけ人の目があるところで大立ち回りを演じてみせたのだ、いくらでも目撃証言がとれた。
例えその場から逃げ出せたとしても、カフェテリアで暴れて器物を破損させた罪は消えるわけはなく、後々生徒会の面々が長末トレーナーのチームの部室に押し入り、バニータルーブルの身柄が拘束されたのは……言うまでもない。
この事件は大勢の目に触れていた事もあってか、学園内ではちょっとした話題になった。
それは今駆け巡っているキョウエイボーガンに関する話題に歯止めをきかすきっかけとなる。
なぜならば……菊花賞について噂をすると、あの『赤い狂犬』に絡まれるという、よりインパクトのある噂に塗りつぶされたからだ。
カフェテリアのテーブルを粉砕してみせたことでその印象は強烈に残り、次第にではあるがキョウエイボーガンへのバッシングは影を潜めていった。
そして怪我の功名というべきか、バニータルーブルの言い分を聞いた生徒会は、原因となったセンシティブな話題をするのを学園内でしばらく禁止すると、お達しを発令した。
これにより、キョウエイボーガンを批判するような声は大っぴらなところでは、ぴたりと話されなくなった。
かくしてトレセン学園の空気は、何か後ろ暗い雰囲気は消えつつあり、以前のような元の和やかな風景に戻りつつあった……。
◇◆◇
(ん……? なんか今日はやたら空いているなぁ……)
遅めの昼食を取りに、カフェテリアへとやってきたキョウエイボーガンは、いつもならこの時間でもトレセン学園に通う学生たちが溢れかえっているはずなのに、妙にがらんとしている異様な光景に戸惑いを覚える。
ここ数日、菊花賞の疲れをとる名目で半ば強引に取らされた休日をそれなりに満喫していた。
しかし授業やトレーニングも休みなので、すっかり自堕落な生活になってしまい、今日もダラダラと昼ごろまでグッスリだった。
身支度を整え、ようやく本日の食事にありつこうとカフェテリアに寄ったのだ。
暇を持て余していると、どうも楽しみが食事ぐらいになってしまう。
和気あいあいと気の合う仲間や友達と食事を取れればもっと気が晴れるというのだが、このところ食事は、カウンターで注文した料理を受け取って、寮の自分の部屋に戻り、そこで摂ることが多かった。
その理由についてはあえて語る必要もないだろう。
キョウエイボーガン自身、今自分が世間どのようなことを言われているか、すでに聞き及んでいた。
部屋にこもってテレビやネットを見ても、目につくのは菊花賞での、自分の走りについての否定的な意見ばかり……。
これだけ騒がれていれば、嫌でも耳に入る。
そしてそれを証明するように、キョウエイボーガンがカフェテリアに入った時、先ほどまで和気あいあいと賑やかだった周囲が、シーンと一瞬だけ静まり返る。
そのわずかの間の後に、どこからかヒソヒソ話し声がそこら中で聞こえてくる。
自分のよくない噂をされているのは、明白……そんな環境で整然と食事を取れるほど、キョウエイボーガンは剛胆ではなかったし、自分のクラスメイトやチームメンバーたちにまで被害が及ばないよう配慮して、自分の部屋で食事を摂るようになっていた。
なにはともあれ――混雑していないのは幸いだ。
早速、料理を取ろうとカウンターへ向かう。
その道中、上から強い衝撃を受けたかのように真っ二つに割れた木製のテーブルと、それを取り巻くように『立入禁止』のテープが厳重にはられている区画に目が行く。
気にならないほうがおかしいぐらい目立っているそれを目で追いながらゆっくりと歩いていると、ふと誰かに呼び止められた。
「ちょっとそこのお前――今よいか?」
立ち止まって呼ばれたほうを振り向くと、少し緊張感が走る。
呼び止めてきたその人物のことをキョウエイボーガンはよく知っていった。
むしろトレセン学園に通うもので、彼女のことを知らない者はほぼいないだろう。それぐらいの有名人――生徒会副会長エアグルーヴその人だった。
副会長に呼び止められ、特に悪いことをしたわけもないのに、なぜか心拍数が上がっていくのを感じる。
「――ここで暴れていた生徒がいるらしいのだが……何か心当たりはないか?」
そう手短に質問される。
口調はどこか厳しく近寄りがたい威厳を感じるが、不思議と高圧的な感じは受けなかった。
自分には関係のないことだったので、内心安堵する。
「いえ……つい先程ここに来たばかりなので……」
野次馬根性が少し芽生え、何かの揉め事だろうか、と気にかかる。
よく価値観の違いなどで口論になっている生徒もたまに見かけることがあるが、食事を摂る空間で何がどうなったらあのような惨事になるのか、キョウエイボーガンには検討もつかなかった。
「そうか、邪魔をしたな。もし何か気づいたことがあれば、生徒会まで報告してくれ」
もう要件はすんだとばかりに副会長はキョウエイボーガンから背を向け、他の辺り一帯に居る生徒を捕まえては、同じようなことを聞き込み調査していった。
気になるといえば気になるが、あれこれ詮索しても謎は謎のままである。
ここでいつまでものんびりしていると昼食の時間が終わってしまう。
当初の目的を果たすべく、料理を注文しにカウンターへ向かうことにした。
トレセン学園が誇るカフェテリアのランチメニューの種類は実に豊富だ。
全国各地からここトレセン学園にウマ娘が集まるため、古今東西の食事の好みに対応できるよう、思考や工夫が凝らされ、同じような食べ物でも味付けが違ったりと、細かい種類を連ねる。
けれどもいくら種類が豊富といっても、こういくつもありすぎると……この中から一品選ぶのも一苦労になってくる。
生徒はどれでも無料、しかもおかわり自由、もちろん味はどれも折り紙付きと――至れり尽くせりなため、値段などでの判断材料がなく、どれを食すか迷ってしまうことだろう。
だが安心してほしい。
そんな優柔不断な人におすすなのが……『日替わり定食』である。
栄養バランスもいいし、毎日違う品目で飽きが一切こないスグレモノ――もっぱらキョウエイボーガンは、日替わり定食を愛食していた。
本日の日替わり定食のメニューは、主菜はつなぎに人参を混ぜ、目玉焼きが上に乗ったデミグラスハンバーグ、副菜は人参グラッセとポテトサラダ、スープは生ハム入りの人参ポタージュ、主食はチーズ入りのフォッカチオとなっている。
ウマ娘の好物である人参をふんだんに使ったメニュー。食器を渡されたときからすでに物凄く美味しそうな匂いが漂い、思わず唾液で口の中が潤ってくる。
これは是非とも出来たてをご相伴にあずかりたい。
その誘惑に勝てず、キョウエイボーガンはたまには部屋でなく外で食べるのも悪くないかなと、カフェテリアを練り歩きながら人気のないスペースをキョロキョロと探す。
そんな前方不注意な状態で、柱を右方向に曲がろうとすると――。
「――キャッ……」
「――うわっと、と……」
ちょうど誰かが反対方向から歩いてきていたようで、思わずぶつかりそうになったが、すんでのところでお互い立ち止まり、事なきを得る。
「す、すみません……前を見ていませんでした。大丈夫でしたか……?」
完全にこちらの不注意だったので、何度も頭を下げて平謝りをするキョウエイボーガン。
ぶつかりそうになった相手も、食器を持っており、同じように席を探していたようだった。
もしぶつかっていたら……二人分の食事が大惨事になっていたことであろう。
「あ……ううん、ライスも考え事してたので、こっちこそごめんなさい……」
相手――青い薔薇が付いた黒い帽子がアクセントの、右目が前髪で隠れていて、毛先が所々跳ねている長い黒髪の小柄のウマ娘も深々と頭を下げてくる。
ちょうど同じような身長だったこともあるが、目線がふと合う。
「「あ――」」
驚きの声がハミングする。
お互い見知った顔だった。同級生ではあるがクラスは別で……それまではほとんど接点はなかった。
二人は二度、レースで対面している。
ミホノブルボンの強さを見せつけられた京都新聞杯と、全力を賭けて走った菊花賞で――。
そして菊花賞の出来事で一躍時の人となった渦中の人物同士ということで、これまで直接やり取りをしていなくても、認知しあっていた。
「…………」
視線が合ったまま、沈黙が流れる。
キョウエイボーガンとライスシャワー……。
お互い顔と名前を見知っていても、唐突に出会った今ここで何を会話するべきか、二人とも分からないでいた。
そこまで気が知れた仲というわけでもないし、それに今騒がれている菊花賞のことが足枷となって、呑気に世間話などをできる雰囲気ではなかった。
「…………」
視線を外すタイミングがわからず、沈黙したまま見つめ合う、謎の二人だけの世界が形成されつつあった。
ただこうしていると、気まずさだけが胸いっぱいに広がり、そしてついにはこれに耐えられる限度がすぐに訪れる。
「……そ、それじゃあ、これで失礼――」
この間に耐えかねたキョウエイボーガンは視線を外すと、一方的にこの場から立ち去ろうとした。
「待って……!」
だが思いもよらず、ライスシャワーに呼び止められた。
なにか彼女から、強い意志を感じる。
キョウエイボーガンは立ち止まり、呼び止めたライスシャワーの方を見やる。
「あの……よければ、一緒に食事しませんか……」
今回は、連続投稿となります。
長くなったので、前編後編で切りました。