診療所のスピーカーからの声は続いていた。
RONのリーダーを名乗るモノという名前の女はゆっくりとした、どこか眠そうな声をしている。暴力的なテロ組織にはあまり似合わない声質のように思えたが、それがクロエの怒りを加速させる。
〈結論からいえばこの遊園地は我々が占拠しました。もろもろの管理システムはがっちり掌握しています。監視も管理も。ですから、あなたがた来園客の皆様は、ここから出ることが出来ません〉
どこか遠くで轟音が響き続けている。このタイミングが偶然とは思えない。クロエは立ち上がって診療所の窓から様子を伺う。
遠くに黒い壁が見えた。ネクサスを囲おうとするように壁の高さは上がり続けている。頑丈そうで、どんな武器でも打ち崩すことは困難なように見えた。
上がり続ける壁は反り始め、ネクサスを完全に覆いつくしてしまう。轟音が止んだのは壁の高さが伸び終わったのと同時だった。
覆われたネクサスは暗闇に包まれたが、少し間があいて外の景色が見えるようになった。きっと壁に外側に向けられたカメラがあってリアルタイムで壁の内側に投影しているのだ。
〈いまの音と高い壁はネクサスの防衛機能です。これは来園者を防護するための機能ですが、いまやあなた方を逃さないための手段となりました。ふふっ、ごめんなさい、ちょっと笑えますね〉
「笑えないぞ」
〈それでですね。我々RONはあなた方を閉じ込めて何をしたいか…結論から話します。あるゲームを催します。成功報酬はあなた方全員の解放。失敗したらあなた方は皆殺しです。ルールは簡単です。ある人物をセントラルにある管理ブースに連れてくればいいだけです。人を捕まえて城に運ぶ。簡単でしょう〉
「悪趣味だな」
イフはスピーカーからの声に対して露骨な悪意を向けていた。クロエも同じ気持ちだ。奴らは、リーダーを名乗るモノという女は、人間としてのネジが外れているにちがいない。そもそもネジが外れていなければRONなんてテロリスト集団のリーダーになんてならない。
〈このゲームは鬼ごっこのようなものです。命の危険があるかどうかが違うくらい。いまはまだ逃げる人物を選定中ですが、ルールを伝えます。鬼はあなたがた来園客の全員。逃げる側、つまり子は…来園客の中から選びます。何をもって選ばれるかは面白そうかどうかです。鬼と子の活動範囲はネクサスに限定します。もっとも、防衛機能のせいでネクサスの外には出られないんですけど。ふふ〉
「面白いと思って言ってるのか、こいつは」
〈まだ子を選定中なのでルール説明を続けます。鬼、つまり来園客の皆さんの勝利条件は、選定された子をセントラル管理ブースに連れてくること。子の状態は問いません。生きてようが腕がもがれてようが、最悪、死んでいてもいいです。鬼の希望があればRONの武器装備も貸与します。ただし貸与された装備で故意にRONへの攻撃があったと認められた場合、来園客の皆さんは即刻処刑させていただきます〉
「となれば、反乱を起こすのは難しそうだ。全員が武器を貸与してもらって一斉に反撃できれば話は別かもしれないが」
〈鬼が勝利条件を満たした場合、ネクサスの防護を解除して来園客の解放をします。逆に鬼が勝利条件を満たせなかった場合…そうですね、刻限までに子を捕まえられなかった時は来園客を皆殺しにします。刻限は今日の零時です〉
「…いや待て、ネクサスの来園客は三万を超えているってどこかで見た。これは前提に無理があるんじゃないのか」
イフが眉間にしわを寄せるのを横目にクロエは頷いた。同感しかない。鬼の数があまりにも多すぎる。
しかも説明していたルールはまるで鬼に棍棒を与えるようだ。捕まえる対象の状態は問わない。生きていても死んでいてもいい。子を捕まえるためだけという制約はつくが鬼はRONの装備を使うことが出来る。銃で足でもどこでも撃てれば勝ったようなものだ。
ネクサスを封鎖してまで数分で終わりそうな「ゲーム」を催すのは妙な話だ。なにか裏の理由があるのか? クロエは静かに考えを巡らせながらスピーカーの声を聴く。
〈逆に言えば子の勝利条件は零時まで逃げ延びること。逃げるためなら何をしてもよしとします。襲い掛かる鬼を怪我させることも、殺すことも、よしとします〉
「来園客同士で殺し合いをさせようってのか?」
〈子にRONの装備を貸与することは出来ませんが…そこはルールです。ルールといえば、我々はルールオブネイチャーを名乗っていますが、これの真意は弱肉強食。弱い者が強い者の糧になる。この世界での弱肉強食の尺度は経済とカネ。どれだけカネや権力を持っているかで強い弱いが決まっています。ですが本来の強者と弱者をわける尺度とは強いか、弱いか。それでしかない。我々があなたがたにさせるゲームは純粋な勝負とは言えない。しかしこの濁った水場を制する者こそが糧をすすることのできる強者だと断言できます…子の選定が終わりました〉
いよいよか。イフが静かに呟く。クロエも同じくらいの大きさで声を出すことにした。
「こんなのおかしい。鬼が子を捕まえてきたとしても奴らが客を解放なんてするわけない」
「同感だ。奴らの記憶が今朝のニュースしかなくても、信用に値するとは全く考えられないな」
「それに国際同盟が黙って見過ごすはずがないんです」
「こくさい…どうめい?」
「九つの大陸に九つの国。みんなは第九大陸とか第八大陸とかって大陸と呼ぶけど、その大陸を統治する国があるんです。九つの国はすべて同盟に入っていて、ええっと、国際平和を目指す組織なんです」
「つまり国際同盟って組織が持っている軍かなにかが、ネクサスにいるRONを攻撃するってことか」
「そうなるはずなんですが…下手に刺激して来園客が殺されでもしたらって二の足踏んでるのかも」
「ふむ…」
ひそひそ声で会話を続けているうちにスピーカーが震えていた。クロエはすぐにスピーカーからの声に意識を集中させる。
〈選定された子の情報を放送します。まずはこのまま音声で特徴をお伝えします。選定された子は二人。一人は男。背が大きく筋肉質な体をしていて、髪色は赤〉
「…俺みたいな奴がいるんだな」
それだけならイフを示していると断言はできない。しかし。クロエはスピーカーから目を離せないでいた。
〈もう一人は女。茶色のロングコート、長い黒髪〉
「…私みたいな人がいるんですね」
自分のコートの色を確かめてみる。暗い茶色のロングコート。だがこんなの他の誰でも身に着けている。
〈さて、ネクサス管理ブースの機能を使って、ネクサスにあるモニターに子の映像を紹介します。紹介する映像はネクサスにある監視カメラからの中継となります。どうぞ〉
武器棚の横のモニターが光を放った。そこに映っているのはクロエとイフの二人。いまそうしているように二人は診療所の椅子に座っている。
「私じゃん!」
「俺じゃねえか!」
思わず叫んでしまった。その直後でルピナスがクロエの前に駆け込んで力強く手を握る。その様子もモニターに映っていた。
「ルピナス!」
「ここから離れましょうッ! イフさんも一緒について来て!」
腕がちぎれるほどに強くルピナスに引っ張られる。ルピナスが診療所の扉を蹴飛ばしものすごい勢いで外へ飛び出し、クロエはついていくのが精いっぱいだった。
だがクロエは横目であるものを見てしまった。患者らしい人間が武器棚のライフルをもぎ取ってイフに向けている。イフはすでに診療所を飛び出していて、があんと銃声がしても誰にも当たっていない。
「ちくしょー! 逃げるなァ!」
銃声が二度、三度と響く。しかし弾丸はてんで狙いがつけられていない。
逃げるなと言われて立ち止まるわけにはいかない。モノは言っていた。ネクサスにあるモニターにこの映像を紹介すると。診療所のモニターだけが子を映しているわけではないはずだ。恐らくネクサスの来園客のほとんどがクロエとイフの姿を識別できるだけの情報を持ってしまっているにちがいない。
そして鬼となった来園客は、RONへの恐怖からか子への攻撃を躊躇していない。鬼が勝っても本当に約束が果たされるのか少しも期待が持てないはずなのに。待てと言われて従えば殺されても文句が言えないのは明白だった。
「海底列車を使おう!」
クロエの視界にはARグラスのウィンドウが投影されている。海底列車と船の運行ダイヤだ。今の時刻を見れば海底列車の方が早く出発する。一刻も早くここから離れるためには海底列車を選ぶほかない。
走りながらARグラスの操作を続ける。海底列車へのルート検索だ。ARグラスが投影している操作ウィンドウに触れることで操作ができるが、思っていた以上に直感的で扱いやすい。
ARグラスがルート検索結果を地上に伸びる青い線で表示する。これのおかげで土地勘がなくても迷わずに動ける。クリスはとんでもないものを贈ってくれた。スマイスより多くのことを、より操作しやすい環境で実行できる。人探しが楽になればなんて言っていたが、こんな状況でも十分に役立ってくれている。
「燃えろッ!」
後ろでイフが叫んで直後に熱気がクロエにも届く。走りながら振り返ると、診療所が見えなくなるほどの炎の壁が大きな横幅で広がっていた。
「燃える右手の使い方がわかってきた! 誰も燃やしてないし大丈夫だ! どっちに走ればいいんだ!」
「ついてきて!」
先頭からクロエ、ルピナス、イフの順番で海底列車へと通じる階段を駆け下りていく。後ろからは人の声が重なって聞こえてきていた。
「そうか! モニターが映しているのは監視カメラの映像っすよ!」
階段を降り切ったクロエはルピナスの大声にはっとした。海底列車のプラットフォームへと続く幅の広い道の壁にはそれなりの数のモニターが設置されていて今でもクロエたちを映している。
モニターの映像を見てみるとルピナスの指摘の意味が分かった。近くにある監視カメラがこちらを見ている。カメラの位置と角度から得られる映像はモニターが映し出しているものと近いはずだ。
だんとルピナスが拳銃を一発だけ撃つ。弾はクロエたちに向いている監視カメラに着弾し、カメラがバチンと爆発した。同時にモニターが何も映さなくなってしまう。ルピナスの読みは当たっているようだ。
「カメラに気をつけないとってことね」
「注意して進まないと。きっと監視カメラで私たちを追跡して、その様子をネクサス中のモニターに映しているんすよ。だから単に逃げるだけじゃダメなんす」
そいつは難しいな! 後ろからイフが追いついて、振り向きざまに右手を振る。すると階段が油もないのに燃え上がった。確かな熱気はこの炎が危険なものだと悟らせるのに十分だった。
「まるで魔法ね」
思ったことを口にしながらクロエは早足でARグラスの案内に従う。あと二分ほどで海底列車がプラットフォームに到着する予定だ。後ろはイフが燃やしてくれているからすぐに追跡される心配はない。ならば今は息を整える時間だ。
「本当にそうなのかもしれないな」
「えっ」
「俺の変な力は、右手が燃えるだけじゃなくなってしまった。燃やそうと思ったものを燃やしてしまえるんだ」
「炎の魔法ってこと…」
「現実離れしているってのは良くわかってる。記憶をなくしてここにきて変な力が使えるようになったなんてな。信じられないよ。だが俺にできるのはこのふざけた事態を受け入れることだけだ。それにRONの好きにはさせない。抵抗するのにこの力は…そうだな、都合がいい」
右手を燃やしながらイフは前を向き続けている。この人はとても強い人間だ。クロエは手にしている杖を強く握ってイフを見上げる。
自分だって変な出来事が起き続けている。奇妙なデジャブ、手にしている変な杖、そしてRONの悪趣味なゲームに巻き込まれてしまった。だがいま前を向けているのはフィルたちとの合流を目指しているからだ。イフにはなにもないのに、それでも前を向けている。人間としての格が違うような気がして、だからクロエは希望を持てた。
炎の魔法みたいなものが使えるのが理由ではない。イフが凡人とは違う精神構造をしていることに力強さを分け与えてもらえた気がした。