体のあちこちが痛い。血が出ている。動くと激痛が走るが立ち止まるわけにはいかない。それなのに。
両膝をついていたクロエは杖を支えに、しかし体をがくがくと震わせることしかできない。痛みが鎖のように体をおさえつけている。
動けないと死ぬ。服の下に仕込んだ防弾装備のおかげでまだ死んではいない。いくつもぶちこまれた弾丸は体に埋まることもなく地面に落ちている。だが、黙っていても死なないわけではない。動かなければ死んでしまうのだ。
(まずい。こんなところで死ねない――)
目の前が暗くなっていく。それはクロエの体力が尽きたせいではなかった。彼女の周りの地面が盛り上がっていき、まるでかまくらのように覆っていったからだ。
(――なんなのこれ?)
「間に合ってよかった。いま助けてあげるから」
近くからの声。いつの間にかクロエの眼前に小さな女の子が立って手を伸ばしている。ネクサスの仮装グッズ売り場で見た人物によく似ていた。
「あなたは?」
「安心して。私は敵じゃない。言ったでしょ、助けてあげるって」
幼いように見える人物はクロエの傷ついた場所に手を当てると目をつむった。すると手が淡い緑の光を放ち、痛覚が訴える痛みがすうっとひいていく。
光のなかでクロエは確信した。この人物は人間ではない。人間の骨格をしていない。胸のあたりが細いのに、腰にかけて大きくなっている。その印象は漫画やアニメで見たようなデフォルメされた小人や妖精に近い。
違和感はあるが、草と土の色をしたローブに身を包んだ小人に不快感はない。むしろ親近感がわくような雰囲気がある。盛り上がった地面のドームのせいで暗いが、淡い光に照らされた丸い顔もかわいらしかった。
「魔法みたいね。こんなにすぐ痛みがひいていくなんて」
「みたい、じゃないの。これは魔法よ」
「えっ」
「忘れてしまったみたいだから仕方がないけど、昔は日常にあふれてたのよ」
意味が分からない。困惑するクロエは、小人が微笑んでいるのを見た。穏やかな微笑み。鮮やかな蒼い目と豊かな土を思わせる髪色。妙に大人びて見えるのは、小人が人間ではないからなのだろうか。
「すぐに思い出さなくても、思い出せなくてもいい。だけどこれはすぐに使えたほうがいいね」
「なんのこと?」
「あなたは魔法を使っていた。やり方を少しでも思い出して」
小人の大きな頭がクロエの額に触れる。すると全身をさわやかな風が通り抜けるような感覚があった。ジグソーパズルのピースがはまっていくように、なにかが復元していく感覚が。
自転車に乗る感覚、歩くために体を動かす感覚、そうした日常の動作に近い領域で杖の使い方を得た。そんな実感があった。いまならこの杖で窮地を突破できるかもしれない。
「どう? 魔法の使い方を思い出せたんじゃないかな」
「これがそうなのか分からない。でも、なにかすごいことが出来そうな気がする」
「じゃあきっと大丈夫。北の島で待ってる。あとでまた会いましょう」
小人が姿を消したのと地面が盛り上がって作られたドームが崩れたのは同時だった。
雪がクロエの頬を冷たくする。目の前では白いスーパーカーがRON構成員たちを攻撃しているが、構成員たちの反撃で小さな穴がかなり目立っている。運転しているルピナスとクルマに乗っているはずのアニーの身が危ないのは明白だった。
素早く立ち上がったクロエは杖を上に掲げて短く叫ぶ。
「飛べッ!」
杖に埋め込まれていた緑の宝石が輝く。直後、クロエを中心に突風が拡散する。台風の強い部分を切り取ったかのような強風に備えなくさらされたRON構成員たちは例外なく吹っ飛び、反撃の手を緩めていた。
「クロエちゃん早く!」
スーパーカーを横滑りさせながらルピナスが叫んだ。滑りながら速度を落とすクルマの後部ドアをイフが勢いよく開け放つ。
「こっちだ!」
返事をする暇もない。クロエは駆け出してクルマに乗り込み、だが出来なかった。どこかに潜んでいたRON構成員たちがクロエの足元を撃ったのだ。
「っ!」
「残念だがここでしまいよォおぉおっ!?」
銃のトリガーに指をかけていた構成員がすっとんきょうな声をあげた。それはもう悲鳴だ。自分の腕が鮮血と共にすっ飛んでいくのを見れば、悲鳴に悲痛さが上塗りされていく。
「おおおおおっ!!?」
絶叫も長く続かない。構成員たちの目の前に上から現れたそれが構成員たちを切り伏せていった。その後ろ姿は見覚えがあった。クリスだ。クリスが長い刃物を持ってクロエに叫んでいた。
「早くいけ! ここはオレが食い止める」
返事をするかわりに停止した車に駆け込むクロエ。乱暴にドアを閉めると同時にルピナスがアクセルを思い切り踏んで、急発進に驚きの声をあげてしまった。
どうにかシートベルトをしめて窓越しに様子を伺う。自分が放った「風の魔法」で吹き飛んだRON構成員たちがよろよろと立ち上がり、クリスと戦っているのが見える。
「あの機械の武者はいったい?」
「私の義兄さん。全身サイボーグで、そうね、やられる心配はないと思う。たぶんね」
「そうか…あの風は君が?」
「ええ。あなたにとっての炎と同じことなんだと思う」
クロエが答えるのと、後ろで銃声がしたのはほとんど同時だった。身を伏せながらクロエはARグラスの地図機能を起動させる。
東の島で開催予定だったクルマのショーから強奪したスーパーカーで一気に北のボート乗り場へ向かい、北の島を目指す――ARグラスに投影させた地図を見ながら、作戦を立案したルピナスとロンの先を見通す力を頼もしく感じていた。
ルピナスとロンがアニーの近くにいた来園者たちを動かし、その後ロンが建物の屋上からRON構成員を狙撃。混乱に乗じてクロエとイフがアニーを救出し、同時進行でルピナスが展示されていたクルマを奪い、クロエたちを回収する。
大雑把な流れはルピナスが、細かい部分はロンが修正した、どう見ても強引な作戦が成功しつつあるのはほとんど奇跡といっていいだろう。
もしかしたらあの小人が陰で協力してくれていたのかもしれない。クリスも陰で見守っていたのかもしれない。クロエはそんなことを考えていた。
東の島の建物が並ぶ場所を抜ければ、ボート乗り場まではあともう少しだ。到着したらすぐにボートを用意して北の島へ向かえばいい。