あのさ。
声を出したのはアニーだった。彼女の声の調子は震えてこそいたが、声の先は自分に向けられているとクロエは分かった。
「なに」
「どうして助けに来てくれたの」
「あの時言ったはずよ。あんたを見殺しにすると別の誰かが同じ目にあうって」
「理由はそれだけ?」
「他にもあるのかなって思っただけよ」
嘘をついていることを悟られている。クロエは確信して、長く息をした。
「その理屈だと私が殺されてもいいってことになるのよ。死んで、別の人が来て、はりつけにされて、時間が経ったら死ぬ…そうなる前に別の人を助け出すことも、あんたは選べたはずなのよ」
「じゃあなに、死にたいの」
防弾装備に留められていた銃弾をつまんで落としながらクロエは様子をうかがう。そんなんじゃないけど。アニーが不機嫌そうな調子を取り戻して、まだ話を続ける姿勢を見せていた。
「助けてくれてありがとう。命がまだあることを感謝しているわ。でも、嘘をつかれてニコニコするなんて私にはムリね」
「…顔見知りを見殺しにするのって気分悪いでしょ。それに、あんたが死ねばフィーが悲しむから。努力できる余地が残されているなら全力で取り組んだほうがよくない、こういう状況ってさ」
「強いわね、あんたは。あんたならフィル様にふさわしいわ。悔しいけど私は、私は…望むことすらおこがましいわね」
いきなりどうしたんだろう。クロエの知るアニーは絶対に敗北宣言じみたことを言わない。死にかけたショックがアニーを変えたのだろうか。
「あんたも知ってるでしょ、私の友人を」
「腰巾着の間違いでしょ」
「それも間違い。腰巾着ですらなかった。あいつらは私の家の名とカネにあずかろうとしていただけだった。あいつらが助けてくれたらこんな目に遭わなかったかもしれない。でもあいつらは、進んで私をRONに差しだした…」
普通はそうなのだ。見捨ててしまうのが普通のはずだ。クロエはそれが分かっているし、しかし一緒にいて欲しい気持ちも理解できる。
「分かってる。私があいつらの立場でもRONに突き出すわよ。それが普通なのよ。でも、でもね、あんたは違った。あんただけじゃない。燃える手の彼も、運転手の彼女も、狙撃手の人もみんな違う。普通じゃない…勇気がある」
「勇気、ねえ」
「自覚がないのなら言うわ。あんたは、クロエ・ブルームは、メーベルに相応しい人物よ。間違いなく。これまでこんな態度をとってきて、本当にごめんなさい」
「そんな顔したの初めて見た。でも違う、違うのよ。私があんたを嫌だと感じているのは、メーベルに相応しくないと思われてたとかそんな話じゃない」
アニーが涙を流しながら目を開いたのをバックミラー越しにクロエは見た。そのままゆっくり言葉を続ける。
「私とフィーの距離が近くてあんたが嫉妬していたのは知ってる。養子で義理の兄妹と、ただの友人じゃ、関係が全然違うし距離も違う。フィーを好きなあんたが焦るのも理解できる。でも、だからって、あんたが私を軽蔑してもいい理由にはならない」
「……そうね」
「義理の兄妹とはいっても、フィーとは親しい友人として接しているの。女だ男だって関係はかけらもないのよ。それをあんたは勝手に勘違いしていた。間違った理由で私に敵意を向けていた。それが嫌だった」
アニーは沈黙しながら頷いた。それを確認しながらクロエは口を開く。
「これまでずっとあんたからメーベルに相応しくないって言われ続けてた。今日まで私もそうだと思ってた。運がいいだけの、なにも持っていないただの孤児…でも、こんな目に遭って初めて自分を認めることが出来たの。私はメーベルを名乗ってもいいんだってね」
「そう、だったの」
「メーベルに相応しくないと言っていたのはあんただけじゃなかった。でも、これからその手のことを言われても私は惑わない。だから…あんたに求めるのは、嫉妬で私を悪く言わないでってことだけ」
「分かった。付き合いのある人にも伝える。生きて帰れればだけどね…」
アニーは車の窓を開けて外を眺めた。クロエも倣って様子を見る。
ネクサスを覆うドームの映像機能はまだ生きている。ドームの外側に接続しているカメラで外の様子をリアルタイムで映し出している。もうじき日が暮れるのが見えていた。
それだけ切り取ればRONの陰なんてなにも見えない。だがドームの天頂部分は破壊され、いまクルマが走っている道の脇にもかけらが落ちている。そんな様子を眺めてクロエは考えていく。
もしネクサスから脱出したいのならドームの天頂から抜け出すしかない。陸路である出入口はRONが固く封鎖しているし、海から逃げようにもドームは海底から伸びているから脱出することは出来ない。
仮に空を飛べたとしても脱出は困難か、失敗して死ぬ。ネクサス上空にはRONの空中戦艦がにらみを利かせているからだ。
どんな手段を使って天頂部に到達したとしても無事に脱出できるとは思えない。
この状況でネクサスから脱出するにはどうしたらいいのだろうか。海もダメ、空もダメ、陸もダメだ。だが…陸ならどうにかできるのではないか。
ネクサスの防護装置を解除しドームをしまうことが出来れば、出入口から脱出は可能だ。ドームが消えるなら海からの脱出も可能だろう。
セントラルに侵入できればどうにかなるかもしれない。あの城には管理ブースという場所があって、現状はRONの支配に置かれている。管理ブースの支配を取り返すことができれば…
これ以上はいくら考えてもまとまらなかった。そもそもクロエは戦いのいろはを知らない。アニーを助け出したいと言い出したのはクロエだが作戦を立てたのは彼女ではない。
第一、クロエが危険を承知で動き回っているのはフィルと合流するためなのだ。RONと戦うためではない。風の魔法の力があったとして、物量差や経験の不足からしてまともな戦いになるだろうか。
「どうしたんだ」
「イフさん」
「考え事か?」
「うん。フィーと合流できたとしてもネクサスから脱出できるわけじゃない。私たちを狙う鬼ごっこも終わるわけではない。私たちが脱出するには、やっぱりセントラルにある管理ブースをどうにかしないと解決しないって考えていたの」
「なるほどな。管理ブースをおさえられれば、外を囲ってるドームもどうにかできる。客も鬼ごっこに付き合う理由が消えるな。それでもRONに脅されれば客は俺たちを追ってくるんだろうが…」
「確かに。でも、逃げられるって分かったら脅されるばっかりじゃなくなるかも」
「RONも一筋縄ではいかなくなるだろうな。だが前提があまりにも無茶苦茶すぎる。いま戦えるのは俺とルピナス、そして君だけだ。スナイパーをしてくれたロンも北の島で合流予定だ」
「フィーと合流できればアコさんとカメリアも戦力に加わるわ」
「なるほど? このまま北の島へ移動して、フィル君を探し出せれば勝ち目が見えてくるというのか。それでも厳しいなんてものじゃないと思うが」
「じゃあ死ぬ? 私たちが死ねばRONがみんなを解放するかしら」
「それこそ論外だ。奴らは別の客を逃げ子に仕立てて鬼ごっこを続けるだろう。だから死をもって降参するのはなしだ。そう考えると玉砕覚悟で戦うのはありかもしれないな」
どうせ死ぬのなら戦ってから死ぬ。八方ふさがりに見えるこの状況でイフの語った言葉は輝いて聞こえる。だが本当に死にたいわけじゃない。やり残したこと、まだやりたいこと、数えきれないくらいあるんだ。
「でも死んだら全部おしまい。私は元の日常を取り戻したいの。そのためにフィーのいるところに向かってる」
「…そうだな、その通りだ。もし君の死が避けられない時があるのなら、その時は俺が身代わりになる。俺には失うものがない」
「えっ」
「君たちには失うと嫌なものがある。きっと俺にだってあるんだろう、でも全部忘れてしまった」
「あなたを大事に思っている人がいるかもしれないのに」
「そいつには申し訳ないことを押しつけてしまうな。だがこんな状況にいたと知ったら少しは納得してくれるかもしれない。勝手なこと言ってるが…きっと分かってくれるだろう」
やや沈んだ声でイフは言い切った。この話をこれ以上続けてもいいことはない。クロエは視線をルピナスに向けた。
「ところでさ」
アニーが横から声をかける。
「どうしてフィル様と離れていたの」
「最初に攻撃があったときに離れ離れになってしまったの。フィーは早く逃げてって伝えてくれたんだけど、置いていけないじゃない。ルピナスがフィーの護衛をしている二人のガーデナーの位置情報を掴んでいるから、それを頼りに追いかけようとしたんだけどね」
「位置情報?」
「ええ。ルピナスが言うには北の方へ向かっているって」
「北…目的があるのかしら」
「分からない。あの時さっさと逃げ出すなら出入口に向かうしかなかったでしょ。でもフィーはそうしなかった。東の島を経由して北の島にいる。そうだよね、ルピナス」
そうなんすよ。前を見ながらルピナスが答えた。
きっと彼女の視界には、ARコンタクトグラスが提供するアコニットとカメリアの位置情報が表示されているはずだ。
突然、クロエのスマイスが振動を始めた。不意をつくタイミングに驚きつつもクロエはスマイスを手に取り、驚きすぎて顔の筋を痛めた。
「フィーから連絡が来ている!」
「なんですって?」
「メールが届いているの」
すぐに読み終わるほどに簡潔な内容だった。
〈北の島にいる。こっちに来てほしい。クロが来れるように支援するし、たどりつければネクサスから脱出できるかもしれないんだ。大切な話もある。どうか無事でいて〉
読み上げたクロエは安堵のあまりため息をついた。やっと連絡がついたことを嬉しく思うし、フィルは脱出の準備を進めてくれているらしい。なにか考えがあるんだ。
心の中に湧いてきた落ち着きと希望。クロエは社内の仲間たちに笑顔を見せるが、突然大声を出したルピナスに目を開いてしまった。
「どうしたの!」
「そんな! アコニット隊長の位置情報が消失したっす。カメリアのも」
「位置情報が消失? だってガーデナーのそういうシステムってよく出来てるって――」
「そうっす。ガーデナーのシステムはメーベルが独自に開発してて、外部からの攻撃や影響は受けにくいんすよ。だからいままできちんと機能していた。それが消失したなんて」
「――ルピナス。分かるように教えてくれる? 落ち着いて、ゆっくり」
「三つ考えられるっす。一つ目はカメリアたちが自分でシステムをシャットダウンした。二つ目は誰かの直接的な攻撃を受けてARコンタクトレンズが機能しなくなった。三つ目は…位置情報システムは機能しているけどこちらが受信できない場所にいる」
遠くにボート乗り場が見えてくる。クルマがゆっくりと減速する。ルピナスは言葉を続けた。
「これは可能性の話っす。二つ目の直接攻撃は考えられないっすよ。だって隊長とカメリアなんすよ。それに鬼ごっこで追われる『子』ですらない」
「うん」
「それに一つ目もおかしいんすよ。自分で位置情報システムをシャットダウンする必要なんてどこにもないっす。もしそんなことをするなら、なんかやましいことがあるくらいしか理由が思いつかないっすよ」
「じゃあ最後に話した…ルピナスが受信ができない場所にいるってこと」
「可能性は高いっす。システムは最後に受信した場所を記憶しているんで、クルマを降りたらパンフの地図に印をつけるっす。そこに向かって調べないと」
ルピナスが焦っているのは明白だった。クルマを停めて真っ先に飛び出したルピナスを追ってクロエはボート乗り場へと駆けていく。
消えたアコニットとカメリア、そして二人に守られているはずのフィルを心配に思う気持ちが膨らんでいくばかりだ。どうか無事でいてほしい。危ない目に遭っていないでほしい。クロエは祈るように北の島を見つめていた。