目が覚めた。
上体をすぐに起こしてクロエは叫びだしそうになるのをどうにか抑えた。奇妙な夢だった。悪夢と呼んでもいい。
これから遊びに行くネクサスでフィルと離れて会えなくなり、テロ組織のRONが自分を狙った悪趣味な催しをして、仲間たちと一緒にフィルに会いに行く。筋書きとしてはそんなところだった。夢の中では魔法も出てきた。輪をかけて現実味がない体験に、クロエは心臓を激しくさせていた。
ネクサスへ向かう寝台列車で奇妙で不吉な夢を見てしまった。あまり良くない出だしだ。クロエはため息をついてベッドから降りる。洗面所で着替えをすませるとフィルが二人ぶんの飲み物をもって部屋に入ってきた。
いつもと変わりのない会話。ホットココアの甘み、フィルの穏やかな笑顔。かけがえのない時間。窓から見える雪景色を楽しみながらクロエは笑う。なにがあってもフィルを失いたくない。奇妙な夢を見た経験がそう決意させていた。
寝台列車が駅に着いてしばらくすると、黒服の男たちがフィルを強引に連れ去っていった。白昼堂々と誘拐されたフィルを助けるため、誘拐犯のリーダーの「ゲーム」に挑むことになった。
ゲームの内容は過激ではなかった。仲間を集めろ、指示された場所へ行け――クロエを試そうとしているゲームの果てにフィルと再会できた。
だが場面が飛んだ。夜のネクサス、ジェットコースター。フィルを拘束して待ち受ける敵。そしてパワードスーツを装着したクロエ。まるで奇妙な夢を見ているような感覚だった。
昼間の出来事も大事なことをすっ飛ばしている気がする。それでもクロエの頭ははっきりと状況を理解できていた。これは自分の記憶だ。自分とは違う自分の記憶だ。混乱しそうだったが、そうとしか言えない。
別の自分が経験して刻んだ記憶。それを追体験している。断言してもいい。パワードスーツをまとって戦い、フィルを取り戻して、それから記憶が飛ぶ。
記憶はかなり飛んだ。次に見えたのはあたりが燃え盛る戦場、いや、火の海に包まれたネクサスだった。
杖を支えに立ち上がったクロエは全身が血まみれだった。傷だらけで体を動かすのも痛みが邪魔をする。だが立ち止まるわけにはいかない。いまここでクロエは最後の戦いに身を投じているのだ。
やや離れたところに燃える男。奴が持っている剣は赤くぬらりと炎に照らされている。かたわらにはフィルがうつぶせで力なく倒れている。腹のあたりが赤黒く染まっていた。
フィルは燃える男に殺された。そしてここで勝たなければ、世界は燃える男に焼き尽くされてしまう。自分ではない自分の記憶が感情を伴って知覚できた。こいつを倒さなければ。倒せるのは私しかいない。
同時にクロエはあることに気がついた。これは自分が見た悪夢とそっくりの状況だった。魔法を繰り出すも退けられて剣で貫かれる。だがクロエはただやられるだけでなく、なにかをしたのだ。
風を操り、地面から土の柱を顕現させ、しかし悪夢で見たとおりにクロエは燃える男に貫かれる。熱と痛みとが一気に最高潮まで達して、すぐに引いていく。死の記憶。クロエに残されたのは死と、あるひとつの希望だった。自分ではない自分の記憶はもうすぐ終わりを迎えるだろう。だからひとつも瞬きなんてできない。
「さらばだ。これで我々が勝った。お前たちの『絆の強さ』など、所詮そんなものだった」
「そうかもね……ウンディーネがそちらにつかなければ、あんたを倒せていたかもね」
「だが彼女はこちらを選んだ。強いものが生き弱いものが滅ぶ、そんな世界を彼女は望んでいたってことだろ、残念だったな」
「いや……これでいいのよ」
「ほう?」
「バッドエンドなんかで終わらせる気なんてない。何の準備もしていないと本気で思ってるの? みんなでハッピーエンドを見るわよ、あんたも一緒に」
ほとんど力がはいらない手で杖を握り、ぽんぽんと燃える男を叩く。するとクロエと燃える男が青い光に包まれていく。最初は両者の間に、次第に包み込むように光が広がって――
クロエは飛び起きた。ベッドから転げ落ちそうな勢いで上体をおこし、あたりを素早く見回す。
狭い部屋だ。いや、小さな部屋と呼ぶべきだろう。人間が快適に過ごせるような広さではない。まるで小人のための部屋だと思えた。
「…ここはどこ?」
静かにベッドから降りてゆっくりと腕を広げる。薄暗くてあたりが良く見えないが、ベッドに杖は立てかけられていた。近くにはクロエの拳銃も置かれている。
(ARグラスも枕もとにあった。これって暗視装置ってあったかな…あった。すごいな、この機械)
暗い部屋が緑色に映る。少ない光を増幅して視界を得る機能だ。
暗視装置を内蔵したARグラス。そんな代物はクロエの知る限りでは存在しない。
やはりクリスがプレゼントしただけのことはあるんだ。感心しながらクロエは疑問を抱いた。そういえばクリスはいまどうしているんだろう。ネクサスのどこにいて、RONと戦い続けているのだろうか。
ぎい、ときしむ音がしてクロエは振り返った。部屋の隅にあるドアが開いている。近くには背の小さな人型のなにかがいた。暗視装置でシルエットは分かっても細かいところまではわからない。
「あかりをつけるわよ」
小さななにかが話した。聞き覚えのある声だ。間違いなくあの小人だ。
ちょっと待って、とクロエは口で制した。明るい場所で暗視装置を使っていては壊れてしまうかもしれない。目にもかなり痛いだろう。いつかのガーデナーとしての訓練を思い出して、クロエはAR投影されたウィンドウを操作して暗視装置の機能を切った。
「いいわよ」
声が震えていた。ここに小人がいるということはフィルもいるはずなのだ。やっと会える。半日も離れていないはずだがもっと多くの時間を空白にしてしまった感じがする。だがそれももう終わりだ。やっと終わる。フィルに会うためにここまで頑張ってきたんだ。
「…あなたのお名前は?」
「フィーはここにいるのよね。フィル・メーベル。はやく会わせて!」
「これは大事な話なの。あなたの、お名前は?」
「クロエ! クロエ・ブルーム!」
いらだちが表に出た叫びだった。こんなくだらないことで時間をとられたくない。
だが違った。本当に小人にとって名前を確認することは重要なことだったらしい。目に見えて落ち込んでいる。私がクロエ・ブルームだとがっかりすることがあるのだろうか?
「わかった。こっちよ、クロちゃん」
穏やかに呼びかける声に落胆の色はなかった。クロエはすぐにベッドから降りると早足で小人のもとへと向かった。
小さな手招き。小人が案内したのは大きな居間だった。小人が生活するには大きいであろう、すなわち普通の人間にとっては快適そうな広さで、そこにはフィルがいた。彼だけはなく、クロエと共に行動してきた面々が椅子に座って食事をとっている。シチューと水だ。
「クロ!」
「クロエ」
「クロエちゃん!」
仲間たちが立ち上がったり手を振ったりして出迎えてくれた。思わず声が出たクロエは、それが嗚咽に変わるのを自覚しながらフィルに近づく。フィルも立ち上がってクロエに駆け寄り、その顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「クロ!」
「フィー!」
親友同士の抱擁。お互いの背中にお互いの手がまわり、身を寄せ合う。体の温かみはようやく再会できた証だった。クロエの目からはとめどなく涙が流れて、声を出そうにもうまくいかない。
「ほんと、ほんとうに、もう会えないんじゃ、ないかって。そうなったら、そうなったら嫌だよ、会えてよかった、よかった!」
「僕もだよ。うれしい、クロとまた会えてうれしいよ。でも、でもねクロ。君に話さないといけないことがある。君たちに、話さないといけないことが、あるんだ。クロ、聞いてくれるかい」
「なんでも言ってよ。なんでも、聞かせてよ」
「…僕はね、いや、僕たちは、クロに隠しごとをしていたんだ。とてつもなく愚かで、どうしようもない隠しごとだ」
涙ながらにフィルが言う。クロエにはわからない。見当もつかない。見当がつく隠しごと、というのも変な話だが。
しかし抱きしめている親友からは不安が伝わった。恐れも、後悔も。再会できた喜びだけではないことは確かだった。だから、クロエは抱きしめる力を強くする。
「きっと話せば、僕を嫌いになる。憎むと思う。それ以上のことを考えるかも…それだけのことをしていたんだ」
「そんなことない」
「隠しごとも、嘘も、ひどいことも、たくさんしていた。不義理なことをたくさん」
「だれだってそんなこと、あるよ」
「君をいいように利用していたんだ。僕も、僕たちは、ノームやクリス兄さんと一緒に、君を利用していたんだよ」
親友はなにを告白しようとしているのだろう。ただことではないことを予感しながら、クロエは抱きしめる力を緩めなかった。この告白でやっと会えた親友ががらがらと崩れてしまう気がして。抱きしめていればきっと、ひびが入っても壊れることはないはず。
クロエの手に誰かが触れた。見れば小人の手があった。
「こんなに強く抱きしめていたら落ち着いて話ができないわ。さあ、そこに座って。あなたのお仲間も見ている前だけど、大事な話があるの。大事な話がね」