ネクサス アンコール   作:いかるおにおこ

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列車を降りて

 寝台列車が終着駅についたのは午前八時を少し過ぎたあたりだった。これまでは予定通りだが長く続かないだろうとクロエは予想した。思っていたよりも人が多すぎる。駅から出るのにも苦労するのは想像に難くない。

 駅の雑踏、幾重にも重なる話し声。なるほど、デパートよりも人が多い。とんでもなく多い。へたに動けばきっと迷子になるだろう。お気に入りの茶色のロングコートも汚れてしまうかも。

「この時間だと人が多すぎるね。朝ごはんはまだだし、先に食べてしまおうか」

 フィルが提案して壁を指さした。その先には青い看板がある。喫茶店「ブルーリバー ノースポイント駅支店」とおしゃれなロゴで人を待ち受けているが、遠くから見てもそれほど混んでいないことが分かった。

「正直お腹はすいていたし、行きましょうか」

 アコニットが先を歩いてフィルがそれに続く。クロエもはぐれないようについていくが、フィルが視線をそらしたのを見逃さなかった。

「どうしたの?」

「先にお手洗いに行こうかなと思って。アコニットと一緒に店の前で待っていてくれるかな」

 そういうことなら、とアコニットが会話に割り込む。声が大きいのは周りの話し声がうるさいからか、なにか釘を刺したいからか、クロエには判別がつかなかった。

「トイレの前で待ちます」

「いいよそんな、気を遣わせて悪いよ」

「私の仕事はフィル様を守ること。それにクロエ様もお守りする……万が一のことがあるかもしれないでしょう?」

 アコニットの口調が変わった。護衛という仕事の態度をちらりと見せたのだとクロエは理解した。

「わかった、わかったから。それじゃあお任せします。ありがとう」

 どこか笑いをこらえるようにフィルが言ってそのままトイレへと向かう。

 

 こんな光景をどこかで見た気がする。そうだ、フィルは黒服の男たちに連れ去られてしまう。三人組の黒スーツがフィルを抱えて人の壁を押しのけて駅の外へ――

「行っちゃだめだよフィー!」

 突然の既視感にほとんど叫びに近い声をあげてクロエは駆け出し、視界の両端から黒い影が飛び出すのを見た。

 黒いサングラスに黒スーツの男たち、その数三人! 彼らはフィルに向かって飛び込んでいく。だがフィルはそれに気づいていない!

「フィー!」

「フィル様!」

 クロエが向かうよりもアコニットが早く飛び出して一人の黒スーツを殴る! これで一人沈むが、その間に黒スーツの二人がフィルを抱えて駅を飛び出そうとしていた。

「やらせない!」

 無我夢中でクロエは黒スーツの男に飛びついて離さない。だが蹴飛ばされて駅の床を転がってしまう。妙な蹴りだった。力強い攻撃だったが痛みはさほどない。手加減された?

「フィー! 誰かッ! 奴らを止めて!」

 人が多い場所での言葉は誰かの言葉にかき消される。アコニットも駆けつけながら、しかし懐にしまっていた拳銃を取り出せない。人が多すぎて誤射を恐れている。クロエは再び立ち上がって駆け出していく。アコニットも距離を詰めていく。

「クロ! アコニット!」

 さらわれていく親友、助け出そうとするボディーガード。だが黒スーツたちが人の壁が濃い場所へ行く方が早い。

 

 突如、黒スーツたちの進行が止まった。一人が殴り飛ばされ、もう一人が首を掴まれて持ち上げられている。そのひょうしにフィルは転がり落ちて助かっていた。

 黒スーツたちを攻撃したのは燃え上がるような赤色をしたオールバックの大男だった。

 バレーボール選手のような背の高さと格闘家じみた体格を暗い赤のロングコートで包み、静かに男は黒スーツを睨みつけている。

「白昼堂々人さらいか」

「ぐえぇなんだこいつ!」

 首を掴んでいた大男はそれを手放して飛び下がる。警棒のような武器を振って抵抗されたからだ。同時にアコニットが最初に殴った黒スーツが閃光をはしらせていた。アコニットは光を直視してうめき、動きを止めてしまう。

 小さな黒い棒で閃光をはしらせた黒スーツは、そのまま大男の前に走って近づいて何かを投げるとすぐに白い煙が爆発して広がった。煙玉だった。

 煙幕のせいで何も見えなくなってクロエは身構える。アコニットは煙玉が爆発する前にフィルのそばに移動していた。大男は虚を突かれたようにぼうっと立っていたが、煙が晴れたころにはせきこむフィルにゆっくり歩いて向かっていく。

「大丈夫か」

「なんとか。助けてくれてありがとうございます」

「礼には及ばないさ。あんなことがあれば――」

 大男はそこで言葉を止めた。彼の視線はクロエに向けられている。

 役に立たない娘だったと言いたいの? 視線の意図はつかめなかったが、クロエはなんとなく嫌な感じがして、同時に奇妙な感覚を覚えた。この大男と出会うのは初めてではない気がする。

(寝台列車の時といい、フィーがさらわれそうになった時といい、いったいなんなのよこの変な感じ。なんで今日に限って…)

「なあお嬢さん……無事でよかったよ」

「本当にありがとう。フィーを助けてくれて、助かりました」

「礼には及ばない。それにしても君は勇気に満ちている優れた人物とみた。力でかなわなくとも、ためらいもなく奴らに立ち向かっていった。素晴らしいことだ」

 初対面なのにどうしてこんなに率直に褒めてくる。戸惑いはあったが悪い気はしなかったし、素直にありがとうと口にできた。

「どうしましたか!」

「なにがあったんだ!」

 遠くから音が近づいてくる。駅の警備員だ、とアコニットが教えてくれた。

 ふらふら立っているフィルが前に出て説明役を買って出る。黒スーツを着た不審者三名にさらわれそうになったが、無事に助けられたことを話した。

「そんなことが……すみません。一度詳しくお話を伺っても? お手数ですがお連れ様もご同行願えますか」

 もちろんだと答えたのはオールバックの大男だ。彼はある程度の解決を見るまでは離れるつもりはないらしい。クロエはそんな大男にある種の頼もしさを覚えていた。その横でアコニットは申し訳なさそうにフィルに頭を下げている。

「すみません。私の力不足でした」

「なに言ってるんだい! 君がいなかったら僕はどうなってたかわからないよ。アコさんとクロと、彼がいなかったら僕は無事じゃなかった。誰が欠けてもなんだよ。だから自分を責めないで。助けてくれてありがとう」

 深々と頭を下げるアコニットにフィルは静かに語りかける。そんな様子を見ながらクロエは、自分たちがあたりの注目を集めていることに気がついた。

 誘拐未遂騒動が起こり、警備員たちに連れられ、きっと警察に通報もされていることだろう。こんな形で始まる旅行に不安を隠せないが、その次のことを楽しめたらそれでいい。クロエは気持ちを切り替えようとして顔を軽く叩いて前を向く。

 

 

 

 

 

 

 

 こんな筋書きではなかったはずだ。

 暗闇の中で「それ」は小さなうなり声をあげた。

 こんな筋書きではなかったはずだ。

 まずは誘拐が成功して、頃合いを見てこちらの作戦を進めるはずだった。

 だがその大前提が崩れた。万が一、誘拐が失敗した場合のことも考えてあったが、それはおそらく使わないであろうプランBだった。これの成功確率は不安定だ。できるなら採用は避けたい。

「だけどやるのよ。やらなければならない」

〈うまくいくだろうか、聖人計画に失敗は許されない〉

 頭につけているインターカムのスピーカーから男の声がにじむ。

「そうね。失敗すればきっと…多くの命が失われるわ。第二計画を始めましょう。私も出なければ」

〈すまないな。君を頼りにするしかない〉

「あなたにも協力してもらうかも。いつでも動けるように準備だけはしておいて」

 覚悟を決めるようにそれは呟き、通話を終える。

「どうして筋書きが変わったの? なにか前提が崩れている? 調べる必要がありそうね」

 大きな杖を抱え、暗闇の中に呟きの残響を残し、それはどこかへと消えていく。

 

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