イフの元へと飛んで戻るクロエ。遠目に見えるその場所は、しかし戦いが起こっている様子もない。
飛びながらスマートデバイスでルピナスにメールを送信し終えたクロエにぬぐえない不安がわきあがる。渦を起こしていた奴にイフはやられてしまったのではないか。そうだとしたら、自分だけで倒せるのだろうか。
着地地点が見えてきた。減速と安全着地のための向かい風を起こしてクロエは横転しながら着地し、全身に雪をかぶりながら立ち上がる。やや遠いところで両手に火をつけているイフが腕を振り上げ、空が燃え上がるのが見えた。まだ戦いは続いている!
「イフさん!」
「注意しろ! 奴は物を動かしてくるッ」
振り向かないイフの言葉と同時に空から鉄パイプが雨のように降り注ぐ。イフに向かうそれらは地面に届く前に炎が舐めて蒸発し、クロエに届く前に暴風がすべて散らしていった。
空には灰色のレインコートが浮いていた。その周りには瓦礫やら建築資材やら、思い切り頭にぶち当たれば死んでしまいそうなものが浮き沈みしている。
「遅いよ! 君が戻ってくるのを待っていたんだ」
「なに…?」
「君と彼がそろわないと、私がここにいる意味も目的もムダになっちゃう」
いまいち呑み込めない話だった。高度を下げつつある灰色のレインコートに黒のライダースーツのような服を着た女は、分が浮かせていたであろう武器を全部落とし、まわりにがちゃぁあんと騒音をまき散らす。目を細めながらクロエは前への歩みを止めることはなかった。
「あんたは誰?」
「え? そうか、自己紹介がまだだったね。とっくの前にやったから覚えてくれていると思ったんだけど。私はモノ。ルール・オブ・ネイチャーズのリーダーです」
言われてみれば聞き覚えはあった。ネクサスに設置されたスピーカーから聞こえた眠そうな女の声。
「あんたが…」
「私の鬼ごっこにつきあってくれてありがと――」
右腿のホルスターから拳銃を抜いて構える。銃口はモノの額を、クロエは怒りの目を向けていた。
「――そんなに怒らないで」
「どれだけのことをしたか分かってるの!」
「バカじゃないんだから。ここを閉鎖して、お客さんを脅して、君たちを襲わせた。結局は君たちの反撃で全部終わってしまったけどね。でも、こうなってもよかったんだ」
諦め半分で話しているのではない。モノは淡々と言葉を続けている。短い銀髪、精悍な顔つき、クロエは狙いを外さないまま距離を詰める。
「あんたにとっての損害はデカいでしょうね。虎の子の空中戦艦はこわされて、RONの人たちももういない。で? こうなってもよかったんだ? 負け惜しみかなにか?」
「確かに大きな痛手だよ。でも君たちと話をすることの方がよっぽど大きな利益になる」
「なに…?」
意味が分からねえ。イフの言葉はもっともだ。いくら考えたところで、こいつの言っていることは分からない。だがモノはその続きを語ってくれるらしい。
「君はクロエ。クロエ・ブルーム。でも本当は違う。過去にサラマンダーを封印した、シロ・ピースフィールだ。記憶があろうがなかろうが、君はシロなんだ。もっと言うなら人間のアニマ…」
「どうしてそれを?」
「簡単なことさ。知っているからね、当時のことを」
あいつもきっとアニマだ。桟橋の小屋でフィルが言っていたのを思い出した。きっとなにかのファンタズムなんだ。そうだとしたら説明がつく。ファンタズムのノームもシルフも寿命がないように振る舞っていた。モノもなにかのファンタズムだとしたら…
「で、だ。君はイフでしょ。これは見覚えがあるかな?」
モノはなにかを引き寄せるように空に向かって手を動かす。渦の消えた夜空は冬の寒さのせいか、星々の瞬きが美術品のように見えた。
美術品のひとつが天から降ってモノの手におさまる。
それは巨大な剣だった。白銀の大剣。まるで重さを感じさせないようにモノはくるくると回し、飽きたかのように動きを止めると切っ先をイフに向けた。
「剣? まるで骨董品だな。手入れはしてあるようだが」
「面白いもののたとえをするね…アンティーク、確かにそうだね。でもこれはただの観賞用じゃない」
地面に向けて加速したモノ。彼女の行く先には巨大なコンクリートの塊がある。頭をぶつけて死んでしまうのか。死んでくれ。クロエの淡い期待は弾けて消えた。モノの素早い斬撃がコンクリートの塊を両断し、ずるりと分割されていく。
「刃こぼれひとつもない。こんなものを叩き斬ったのに」
まるで通販番組の生放送だ。深夜のテレビでこういうのを見たことがある。優れた商品を実演してみせてアピールし、興味をひいたところで連絡先を表示して買わせるのがお決まりの流れだ。
好事家ならばモノの一連の動作に拍手を送って言い値で買うのかもしれない。だがそれは叶わない。白金の大剣はイフの手に渡ろうとしていた。文字通り剣が浮いてイフに近づいていく。
モノが操る見えざる手が動かしているのかもしれない。想像を頭の片隅に働かせながら、クロエはモノの動きに注意する。妙な真似をしたらすぐに銃を撃ってやる。
「俺にくれるってか? いらねえよそんなの。お前の超能力だか魔法だかで俺を斬ろうってのか」
「まさか。君たちとは話がしたいって言ったじゃないか。それを殺してどうするのさ」
「…お前はRONのリーダーだ。そんな奴の言うことは、なにも、信じられない」
「じゃあ剣は落とそう。そのうえで話をしよう」
モノは言葉通りに武器を落として両手を上げる。その動きは妙に芝居がかかっていて不愉快だった。きっとこいつは私たちを舐めくさっているに違いない。
「だから君も銃をおろして」
「従うと思ってるの」
「きっとね」
落とした大剣が再び浮き上がる。いつでもお前たちをやれる準備は出来ているんだぞ、とでも言いたいのだろう。喉元までせりあがっていた言葉をのみ、クロエは銃をホルスターに戻した。
「ありがとう」
「…話って?」
「あの剣には見覚えがある?」
雪の積もる地面に突き立った大剣。今朝の悪夢のせいで剣にはいい印象がない。それに見れば見るほど、悪夢で自分を貫いたもののように見えて仕方がない。
体の震えを見られたのか、イフがかばうようにクロエの前に出る。そうして彼は深く息をついたのだった。
「ないな。あるわけがない。そもそも俺には記憶がない。だからないとしか言えん」
「そうか…残念だなあ、覚えてないんだ」
「あれがなんだというんだ?」
「元は君の物だった。だから返すよ」
どこかで見たやりとりだった。そうだ、まるで自分と杖のような関係なんだ。あの時、セントラルのホテルにあった仮装屋の出来事の再現みたいだ。
あれはノームが仕組んだ、結果的にクロエにとってプラスに働いた出来事だ。だがこれはモノのたくらみの影がうごめいている。イフにとってマイナスに働くに違いない。
「イフさん、受け取っちゃダメ!」
「分かっているさ。あからさまに敵の奴から物を受け取るわけがない」
余裕を持った返事だった。これに気分を害したのか、モノは深くため息をついてうなだれてみせる。
「残念、残念だなあ、しかたない」
モノの口元が緩んだ。見逃さなかったクロエは杖を握る手に力をこめる。奴は仕掛けようとしている。向かい風を放って防ぐ!
だが間に合わなかった。
前のイフがうめく。当然だ。腹を白銀の大剣が貫いて剣先がクロエの近くに見えている。
血まみれの剣。膝をつくイフ。白い雪が赤く染まってとけていく。
「う…くっ」
「イフさん!」
「間に合わなかったねえ! さあイフ、思い出すんだ、思い出せ! 君はこんなことでは死なないんだ、なぜかって? 君も、私やクロエのようにアニマだからだ! 特別なアニマなんだからね!」
イフは腹に刺さった剣を抑えて引き抜こうとしている。クロエは戦闘服のポケットにある小さな止血スプレーをとりだし、モノの動向に注意しながらふきかけた。
「特別な…アニマ…」
「まだ思い出さないのかい? なら私が教えてあげよう。君は私が作った最高傑作! アニマ・ファンタズム・エレメンタル・サラマンダー! それが君だ!」
心底愉快そうに笑うモノ。こいつはなんといった? イフがサラマンダーだと? そんなバカな話があるはずがない。イフがサラマンダーだなんて、そんな、そんな。
「嘘だ! イフさんがサラマンダーのわけがない!」
「どうして嘘だと? 君は何も分かってないのに」
「イフさんはずっと私の味方でいた! それがサラマンダーのわけがない!」
「ああー…そうか、ノームの奴はサラマンダーが最終的な敵だと言ったのかな。そうじゃないとこんなにうろたえないだろうし。間違いないよ。彼がサラマンダーで。それに私は大昔の記憶を持っているんだよ」
「ノームだってこの日まで生き続けている! いい、だったら、イフさんを見てサラマンダーだと気づいたはず!」
「…ふうん、そうか。ずっと仮面をつけていたからね。素顔がどうとか分かるわけないか。見て判別なんてできないと思うよ。『イフ』から感じ取れるアニマとしての力は、サラマンダーと比べても驚くくらい微弱だしね」
目の前で苦しんでいるイフを見ても全く動揺しない。お前が言ったんだぞ。お前がサラマンダーを作ったと。自分で傷つけて、なんとも思わない? なんだ、なんだ、なんなんだ。
突然、クロエは火傷するような熱を感じてイフから手を放した。
イフの体が発火している。服に火はうつっていないが、貫かれた腹から全身にかけて炎が広がっていく。あまりに現実離れした光景にクロエは動けないでいた。
「そ、そんな…」
「サラマンダーとしての部分が覚醒し始めているんだよ。サラマンダーを創って、この剣も私が造りあげた。なぜかって? そうでもしないとサラマンダーは制御できなかったからね!」
「制御ですって…?」
「昔話を始めないと説明できないかな。ああ、あの時代はひどかった…魔法が使えて当たり前の時代だったから、魔法が使えない人間は文字通りの無能扱いでね。無能力者と呼ばれて蔑まれるのは当たり前だった。蔑視、差別、そんなのあたりまえさ。私は家族代々魔法が使えない無能力者の家系の生まれで、でも諦めなかったんだよ。努力は実を結び、魔法が使えるだけでふんぞり返っている連中の鼻をあかしてやれるんだってね。両親の教えだった」
何の話をしているんだ。
イフが苦しんでいる声が聞こえる。そうだ。こんな奴の話を聞いている場合じゃない。
風の魔法で雪を集めてイフにかければ消火できるかもしれない。杖を振って風を集め、想像する。集める、雪を、イフに。
「まあ、魔法が使えないなりに魔科技の研究所で頑張ってね、そこそこいいところまでのぼり詰めたんだ。頑張ったからね。努力は結果で応えてくれた。だが魔科技の連中は、私が無能力者だというだけで私の研究成果を全部台無しにした。いいかい、ファンタズムなんてアニマがいるのは私のおかげなんだよ。私が基礎理論を書いて、奴らがかっさらってファンタズムを完成させたんだ。もちろん抗議したよ。これは不当だってね。でもね。あの時代は本当にひどかった。無能力者のことを信じてくれる人なんていなかったんだよ」
「黙れ! イフさん、しっかりして! 頑張るんだ!」
「悲しいこと言うじゃないか。君は、シロ・ピースフィールは、数少ない理解者のひとりだった。彼女は魔法を使える立場だったけど、無能力者の私にも良くしてくれたし、不正のことを一緒に調べてくれたよ。結局は奴らの工作が一枚上手でなにも得られなかったし、そんなことも君は忘れているんだろ。マジで悲しいよ」
「イフさん、イフさん!」
「だからサラマンダーだって言ってるじゃん。まあいいや。それで吹っ切れたんだよ。こいつらは、つまり、魔法を使えるだけで無能力者を搾取したり差別したり、どう扱ってもいいって考えてるクソどもは殺すしかないって考えた。自分が死ぬほど努力して、それがアニマ・ファンタズムの基礎理論って結果を残して、それが全部別の奴の功績になる。両親はもっとひどい扱いを受けて死んですらいるんだ。そうした無能力者の話はどこにでも転がっている日常だったんだよ…そんな日常、砕いてやりたいって思うだろ?」
どれだけ雪を落としてもイフの炎は消えない。それどころか勢いが増している。剣を引き抜こうとしているイフを見たクロエはそれを手伝うことにした。
手から先に全身が燃えてしまうような熱! だがクロエは歯を食いしばり、痛みに耐えるように叫びながらイフの体を貫く剣を抜こうとする。あと少し、あと少しだ。これが抜ければきっと炎はおさまるはずだ!
「うっ、くう…ぬあああッッ!」
「もう少しだから! 頑張って!」
「引き抜いたところで無駄だよ。貫いた剣はサラマンダーの記憶を呼び起こすようにできてるんでね…それでね。計画したんだ。あの時代には生きる価値のないカスが沢山いた。だから殺すことにした。自分が魔法を使えるように『魔法使い』のアニマになったり、サラマンダーを制御するための剣を造って教えこんだんだよ。無能力者が受けた痛み、憎しみ、怒り…そうしてサラマンダーを制御しきったらね、彼はルール・オブ・ネイチャーズを立ち上げた。あとのことはノームから聞いていたんだろう?」
白銀の大剣を引き抜ききった。イフは仰向けになって苦しみ喘ぎながら、しかし死んでしまいそうな様子はない。全身を舐めていた炎は嘘であったかのように消えている。
だからクロエは大剣を手にしてモノに向き直る。想像よりも重たい。これを軽そうに扱っていたモノの魔法はとてつもなく恐ろしい。
「あんたが、元凶ってこと…」
「元凶? あの時代をきれいにしたつもりだからさ、そう呼ばれるのはちょっとね」
「あんたの計画のせいで多くの人が死んだことに変わりはない!」
「…シロもこのことを知ったら同じことを言うのかな。まあいいや。それでさ、話をこの時代のことに戻そうか。まだ話すことがあるからね」
風の魔法はいつでも使えるようにした。クロエの周りには風の渦がまいている。剣の重さも風がいくらか負担して軽くなっていた。必要があれば振ることだってできるだろう。
「君が目覚めてすぐにサラマンダーの封印が解かれるはずだった。でもそれは私にとって都合が悪かったんだ。解放するのはチャンスが来てからにしたかったのさ。だから私は封印を追加して、あの戦艦にしまっていたんだよ。そうしながら私はある準備を進めていた。この時代でサラマンダーに暴れてもらうのに必要な戦力、組織、そういうものが必要だった」
「ルール・オブ・ネイチャーズの復活ね」
「でもね。問題が起きた。サラマンダーの封印を解除しようとしたら消えてしまったんだよ。状況をかえりみれば、あれはさらわれたんだね。だけどサラマンダーの足取りを追うのは簡単だった。魔法由来の発信機のようなものがついていると思ってもらっていい」
「でも回収はしなかった…」
「都合よく動いてくれていたから。ネクサスのある方へと向かっていたんだ。あそこはまあ、いろいろな因縁のある場所だからね。でもサラマンダーは炎の魔法を使えないでいた。それどころか記憶もなくしていた。なら、ネクサスについたら思い出させてあげようと考えたのさ。とびっきりのプレゼントを添えてね」
「まさか…あんたの悪趣味な鬼ごっこが?」
「正解! あれのおかげで、人間がどれだけ醜悪なものか心の底に刻めたよ。たったふたりを捕まえて差し出せば全員を解放するなんて話が本当にあると思う? あるわけないじゃん。三流未満のシナリオライターだってそんなのは書かないよ」
想像通りだった。仮に客が自分たちを捕まえたところで逃すわけなんてない。こいつは客の恐怖をあおってけしかけただけだ。
「人間の本性を君も見たはずだ。いや、見たんだ。ここのバカな客どもは、自分の命がかわいいばかりにまともに思考もできず、ただただ盲目的に君たちを追いかけていた。人間の本性、本質は、愚劣。中にはそうではない奴もいたみたいだけど、片手で数えられるくらいしかいない」
「あんたたちが脅して従わせただけだ!」
「いいや違うね。少しでも考える頭があるなら、ある程度の人数がRONから武器を借りた時点で反撃に出ればいいんだ。そうしなかったのはなぜ? もう分かったでしょ? 自分が死にたくないから誰かを犠牲にしようとした。昔から変わらない愚劣な本質。愚かだね、実に愚かだ。だから…サラマンダーを目覚めさせる。それから奴らを焼こう。君もどうだい、一緒にやらないか」
「そんなのやるわけない!」
「おおい…なあ、八百年前のことを考えてよ。奴らは君が犠牲になることを望んだし、喜んでいた。今の時代だってそうじゃないのかな? ここの何万人もの客は私の鬼ごっこに賛同して最後まで追いかけていた。RONを攻撃したのだって、やっと表立って反抗した君たちの姿を見て寝返ろうって考えただけだよ。違うとは思わないね」
犠牲になることを望んだ。
聖人計画。
クロエの脳裏に様々な出来事がよぎる。
ノームの住処で聞いた聖人計画の概要。クロエの中にいると考えていたシロを起こしてサラマンダーの封印を行うが、その際に意識としてのクロエは死ぬ。それを是としたのはノームも、クリスも、クリスとフィルの父親のウィンストン・メーベルも変わらない。
だが最後まで拒んだのはフィルだった。クロエの犠牲を仕方のないことだと片づけたくなかった。だからプランBを起こし、彼の人脈を使い、ノームの協力を得て、こうして形になっている。
そうだ。ノームだって本当に犠牲はやむを得ないものと考えているのなら、プランBに耳を貸すなんてしないはずだ。人間の本質が愚劣というのは違う。親友の輝きが教えてくれている。人間は愚かなんかじゃない。
臆病であったとしても自分の命を守りたいだけじゃない。そんな人もいるだろう。でも、自分の他にも傷つけられたくない誰かがいたから軽率に行動を起こせない人だっている。
こいつは八百年も生きてきてそんなことにすら気づかないのだ。こいつは、こいつの妄念に囚われている。妄執がこいつを生きながらえさせている。
あわれだ。素直にそう思う。