セントラルは見上げるだけで首が疲れそうだった。白と青の色をよく使う巨大な城は、東西南北にある四つの門から中に入ることを許している。
城の中は映画や漫画で見た「王族の住まう領域」のような雰囲気を残しつつ、多くの人を迎え入れるだけの寛容さも残していた。豪華な服を要求するドレスコードは不要。あるとすればここで起きることを楽しもうとする心くらいだろう。上に上にと伸びていくエンターテインメント施設の中央には円形の広場があり、そこには六基のエレベーターが円を描くように設置されている。
多くの人でにぎわうなかでクロエは手近なエレベーターの前に並んだ。近くにはフィルもアコニットもいる。カメリアとルピナスは少し離れたところでこちらについてきていた。
「確かホテルの受付は十三階にあるはずだね…やっぱりそうだ」
エレベーターの近くにある案内板を見ながらフィルが呟く。それもパンフレットに書かれていたとおりだったな、とクロエは思いながら見上げた。視線は降りてくるエレベーターの箱ではなく、壁のところどころに設置されている大きなモニターに向いている。
モニターはネクサスの紹介映像や人気ブランドの商品、あるいは玩具のプロモーションを流していた。やや離れているがくっきり見える。いいものを使っているのだとクロエは感心した。
「エレベーターが来たよ」
大勢が乗る流れの中でフィルが操作盤の前に立ってしまっていた。もうカメリアたちが乗る場所はない。まわりからは「七階を押してくれ」などの声が聞こえ、フィルは快く引き受けていた。
十三階にたどり着いて先に降りたクロエは。カメリアとルピナスの二人の出迎えを受けていた。二人はエレベーターではなく階段を使っていたはずなのに。
「階段をあがった方が速かったのかな」
「いやあ、エレベーターの方が絶対に楽っすよ。訓練する日じゃないんだから、楽な方を選んでいたほうがいいっす!」
ルピナスが笑ってみせる。彼女の感情表現は大げさなところあるが、クロエはそんなルピナスのコミュニケーションのとり方が好きだ。
「みんなお待たせ。それじゃ行ってみようか」
指をさすフィルの前にカメリアが立ち、その後ろにルピナスが移動する。
周囲の人の密度は多くはなかった。もしも駅で誘拐未遂を働いた連中がまだ諦めずにこちらを狙っていたとしても、きっとなんとかなりそうな気がする。クロエの気持ちは明るいし、だからある看板が気になった。
「ちょっと待って…あれなんだろう、仮装グッズって見えるけど」
大きな通路の端にブースが置いてある。通り道にあるそれに近づいて見れば、確かに仮装グッズの販売をしている。
店員も気合の入った仮装をしている。全身に黒のローブを着こんで顔が見えない、背の小さな人物がブースに近づいたクロエに視線を向けた。子供が店番をしているのだろうか。
「あら? どうかしら。気になるものはある?」
「気になるもの…」
わざとらしい瓶底眼鏡、奇妙なほどに長いつけ鼻、浮かれすぎて不安になる三角帽子――他にも仮装の定番がずらりと並んでいる。だからクロエはそれが気になった。
「…えっと、その杖かな、気になるものといえば」
頑丈そうな木製のそれは先端に緑の宝石が埋め込まれている。長さはクロエの背の丈とほとんど同じくらいもあるが、細身であまり圧迫感は感じさせない。
店員が持ってクロエに差し出し、試しに握ってみると、手から強烈な衝撃がはしり、目の前が真っ白になった。
断片的なイメージが流れ込んでくる。イメージの中でクロエは杖を振って風を巻き起こして空を飛び、湖を割り、飛び交う銃弾を吹き飛ばしている。
(なに、これ、夢でも見ているんじゃ…)
一瞬で眠りに落ちてのんきに夢を見ている。冷静な部分でクロエはそう結論をだした。仮装屋で杖を握ったらこんなことになった。なるわけがあるか?
(でもこの感じってまさしく夢を見ている感じ。それにこの感覚、今日からずっと起きてるデジャブの感触とそっくりだ)
イメージの中のクロエはさらに超人的なふるまいをしていく。
重武装をした人間相手に風で岩石を飛ばして吹っ飛ばす。複数人との戦いを演じている場面では、杖で地面を叩くと敵の足元から茨が割って出てきて締め上げる。爆走している列車に風に乗って追走する――そうして最後に見たイメージは、今朝の悪夢と同じ場面だった。
あたりを炎に包まれた場所。燃える男がフィルを刺し貫いて、それからクロエと相対する。燃える男は剣を、クロエは杖を構えて、いざ戦いが始まるその瞬間でガラスが割れるようにイメージが崩れていった。
どれだけ眠っていた? クロエは目を開いてあたりを素早く見回す。息苦しさを覚えながらも、今日の悪夢に一番近いイメージのことを思い出していた。
あの燃える男にフィルが刺されていた。あれだけ刺されていれば間違いなく死んでしまっていただろう。なんであんなものを見てしまったんだ。
クロエは頭を振って現実にいるフィルを探す。彼はクロエの隣で心配そうな視線を向けていた。クロエが抱きついたのはほとんど反射のような動きだった。
「わ! 大丈夫かい?」
「ずっと夢を見てたの、魔法を扱うかのようなイメージが流れ込んできて、フィーがやられてて――ねえ、店員さん?」
いなかった。子供のように背が低いあの店員の姿も形もない。代わりに、店員がいた場所に白い封筒があった。
「店員さん、どこに消えたんだろう? 幽霊じゃないよね」
「怖いこと言わないでよ。フィーは見ていたんじゃないの?」
「見てないんだ。クロが悲鳴を上げて倒れたからね、みんなもそうだった。それにクロは『夢を見てた』って言ったけど、それは変だよ。倒れたあとすぐに目が覚めたんだから。失神とか気絶に近いのかも」
「失神している間は時間感覚がないってやつ? この封筒、私あてってことでいいのよね」
青い黒髪のお嬢さんへ――封筒にはそれだけが書かれている。そうなんじゃないかな、とフィルが言い、クロエは皆に見えるように封を切って中身を出していく。簡素な便箋が一枚。小さな字だがきれいに書いているので読みやすい。
これを読んでいるということは、きっとあなたは、杖を受け取ってくれているはずです。先端に緑の宝石が埋まっているきれいな杖です。間違いないですね?
宝石の杖は元々あなたのものでした。だから今、お返しします。元々はあなたのものですから。きっと杖はあなたを助けてくれます。大事にして持っていてください。
とても変な話ですね。そう言ったのはカメリアだった。冷静な印象のする声はクロエの心に染み入っていく。宝石が埋め込まれた杖はどこを切り取っても「奇妙」の層が見えるショートケーキのようだ。
「ねえクロ。それ…お店に返したほうがいいんじゃない。なんだか怖いよ」
小さくフィルが提案する。声が震えていたのは気のせいではなかった。奇妙で、恐ろしくて、しかしクロエは首を横に振った。
「持つことにするわ」
「どうしてだい」
「なんだか…手放してはいけないもののような気がするの。はっきりとは言えないけど。それに返しても向こうが良くない思いをするんじゃない? あの変な店員さんがどうやって消えたか知らないけど、あんな手紙を残しているんだよ。この杖はあなたのものですって書いてる」
「それがもうおかしいじゃないか」
「おかしいのは分かってる。でも、私がずっと持ってたとして、後で返してって言われても『名指しの手紙で元はあなたが持っていたのですって書いたのはそちらですよね』って返事ができるし。この杖の造形は嫌いじゃないし、記憶にないにしても貰えるなら貰った方が幸せじゃない?」
「僕は反対だけどね…クロが欲しいって言うなら、それでいいと思う」
「もう一つ理由があるんだけど、これは荷物を片付けたら話すよ」
「わかった。みんなもそれでいいよね?」
振り返ってフィルは護衛たちに目を向ける。三人とも頷き返したのを見たクロエはこの話に決着がついたことを喜んでいた。
この杖も、あのビジョンも、消えた店員も、実に奇妙で現実味がない。だが…奇妙と感じさせる側のものを自分のそばに持っていれば、いつか理解しがたいものを理解できるようになるかもしれない。それに杖の造形は美しい。くれてやるというのなら貰いたいと思うのは当然だった。
「ただちょっと待って。その杖を貸してほしいっす」
ルピナスは左手にスマートデバイスを持って右手をクロエに差し出している。すぐに杖を渡したクロエは、ルピナスが杖を凝視するのを見つめていた。
「透視アプリで確認しますね。えっと……ふむ……なるほど……爆発物の危険はないすね。この杖は安全です」
「さすがだねルピナス。確かめてくれてありがとう」
ほっとしたようにフィルが言う。ある種のホラーを思わせる出来事だったが、爆弾を仕込んで忍ばせるというシナリオも考えられなくはないのだ。ここで初めてクロエは身震いした。そういう状況を警戒すべきだった。
「ルピナスありがとう。助かったわ」
「当然のことをしただけっすよ。その杖きれいだし似合ってます。どういうつもりで杖を渡そうとしたのか分からないけど、悪気はないんじゃないんすかね」
「悪気はない…ね。そうだったらいいね、本当にそう思う」
息をついてクロエは杖を握りしめ、道行く人の邪魔にならないように歩いて受付を目指していった。