「お部屋は1506号室と1507室をご用意しております。お荷物はわたくしがお運びいたしますね」
受付でのチェックインが終わり、クロエたちはフロントマンの案内を受けて通路を歩いていく。用心深くエレベーターに荷物を載せたフロントマンの背中にフィルが「そういえばなんですけど」と声をかけた。
「なんでしょうか」
「ここで仮装グッズを売っている人を知っていますか? 後で買いにいこうと思ったんですが店員さんがいないし、営業時間も書いていないし、少し困ってて」
「え? いや、仮装グッズ? ここでは販売しておりませんが…?」
フロントマンが困惑しているのをクロエは見逃さなかった。黒い制服から戸惑いがにじみ出ているような気がしてならない。
同時にフィルが意外なことをいうのだと驚きもしていた。彼はあまり嘘をつかないし、嘘をつくのも下手なのに、堂々とそれらしい嘘をつけていた。
「そうなんですか? じゃああれはいったいなんだったんだろう」
「通路に店があったんですね?」
「はい」
「実はそういった申請は一通も受け取っていないのです。ですから――」
「怪しいですね…わかりました。あそこからはものを買わないようにします」
「――そうしてくださると助かります。さあ、十五階に着きました。お部屋までご案内いたします」
荷物を持ってフロントマンが先導し、そのあとにクロエとフィルが続く。ガーデナーたちは最後尾を固めていた。
きれいな印象の通路だとクロエは思う。明るい緑色のカーペットの上に目立つ汚れはなく、白い壁もシミひとつない。天井に等間隔で設置された証明は穏やかに照らし続けている。落ち着くための場所の雰囲気として文句の付け所がない。
荷物を整理して、あとは遊びに出かけるだけだ。財布やスマートデバイスを入れた小さなバッグを手にしたクロエは、茶色のコートを整えて外へ出る準備を済ませる。
フィルが部屋のカードキーを手にして財布に仕舞っているのを見ながら、クロエはこれからのことを考えていた。
(今日はアコさんとフィーと同じ部屋で寝るんだ。いつもひとりで寝てたからなんか変な感じ…そうだ、フィルにあのことを言わないと)
「準備できたよ。クロ、ゲームセンターに向かおう」
「うん。でもその前にちょっといい?」
「どうしたの?」
「この杖が欲しいって言った理由の話をしたいの」
たれ目を大きくしてフィルが動きを止めた。それからベッドに座ってクロエに頷いてみせる。話す前にクロエは同室に泊まることになっているアコニットに視線を向けた。彼女もクロエの話を聞く姿勢を見せている。あとは喋るだけだった。
「寝台列車でも言ったけど、なんかデジャブがするんだって話したよね。でもこれはまだ言ってなかった。駅でフィーが誘拐されそうになった時、その前にもデジャブがあったの」
「それはどういうデジャブ?」
「フィーがさらわれてしまうのが見えた。そんなことがあったなって思い出したような感じでね。黒いスーツの男が三人いたでしょ、あれもドンピシャだった」
「ホントかい」
「うん。だから私は、行っちゃダメだよって叫んでた。よく分からないけど、予知能力なのかもしれないって思ってる」
次第にフィルの表情が神妙なものになっていく。真剣に自分のことを考えてくれているのだとクロエは安心した。アコニットも呆れた様子は見せていない。だが考え込んでいるのは明らかだ。
「……そうしたデジャブと、この杖を触ったときに見た『夢』のような感覚はおなじだったの」
「杖で魔法を扱っていたっていう話かい?」
「あの夢の中で私は魔法使いだった。映画のヒーローみたいな魔法使いだったの…デジャブのことといい、杖に触れてみた夢といい、偶然とか気のせいとかで片付けられないことだと思うんだ。もちろん警察に駆け込んでも意味がないし、下手を打てば私がなんかの病院を勧められるのは間違いない、でしょ?」
「普通に考えるとそうだね。僕はクロが変な嘘をつかないって知ってる。でも世間の普通の人が聞けば、変なことを言っているって思うんだろうね…」
「だから私はこの杖が答えを教えてくれるのかもって思ったの。変なデジャブも、魔法使いになってた夢のことも…もちろん教えてくれないかも。でも、この不安を晴らしてくれる助けになってくれる。下手に誰かに相談したら、そこで終わりでしょ?」
たぶんそうだね。フィルは申し訳なさそうに言った。そんな顔をしなくてもいいのに。事実は事実として言ってくれたらいいのに。
「少なくとも私たちに話してくれたのは正解ね。クロエ、この話はここだけの話にしておきましょう。ルピナスやカメリアにも、今は話さないでおいた方がいい」
「アコさん」
「私はオカルトなんてあまり信じないけど、身近な大切な人がそういうことで悩んでいるなら軽んじるなんて出来ないわ。だからその杖を持って今日は出歩いてみましょう。悩みが解決するかもしれないし…それに似合っている。とてもね」
そうだ。こういうファッションがあってもいい。クロエは杖を握りしめる。自分の悩みは解決しないかもしれないが、悪いことばかりではない。
「クロはどうしてみたいの?」
「わからない…でもわからないままなのは嫌だなって。この杖が解決してくれるかもしれないって感じるなら、そうした方が良いかもって考えてはいるよ」
「そっか。わかった。僕もクロがやろうとしていることは反対しない。でももし…」
「もし?」
「…そうだね。なにかがあったら、僕に教えてくれるかい?」
クロエは大きくゆっくり頷く。
フィルもアコニットも全部信じてくれているわけじゃないかもしれない。だが自分のいうことを馬鹿にしたりなんてしていない。そこにクロエは安らぎを覚えた。
「ありがとうクロ。それじゃ今度こそゲームセンターに向かおうか!」
部屋を出たクロエは、まだカメリアとルピナスが部屋から出てきていない事に気づいた。アコニットがスマートデバイスで連絡をとろうとするのを横目に、クロエは通路の奥から四人組がこちらに近づいてくるのを認めた。
若い女の子たちの集まりだった。これが知らない人であれば軽く会釈をするだろう。だがクロエは思わず表情を険しくしてしまった。知らない人なんかじゃない。こんなところで出くわすだなんて。
「あんた脚でも悪くしたの? 無様ね、なんでここに?」
聞き覚えのある声。明らかに自分に対する言葉。今度こそクロエは露骨に嫌な顔をしてしまう。こんなところであいつに出会ってしまうなんて。
「教える義理はないわ、アニー」
長くさらさらしたきれいな金髪。高級ブランドの白いロングコート。整った美少女然とした顔立ち。向けられる敵意さえなければきっと前向きに仲良くなれただろう。だがそれは意味のない仮定だ。
アニーと、その仲間たちの少女がクロエに向ける視線は温かいものではない。彼女たちがクロエを蔑視していることは明白だった。
「あら? フィル様~こちらにいらしていたのですね」
「無視するなよ…」
「フィル様~!」
クロエのぼやきを聞こえていないようにアニーはフィルに小走りで寄っていく。微笑んでフィルは応対するが、クロエには戸惑いの色が混じっているように見えた。
「今日はこちらにお泊りになられるのかしら?」
「そうだけど、君たちもかい」
「はい! ねえフィル様、私たちと一緒に遊びに行きましょう。望むならどこまでだってついていきますわ」
「いや…遠慮しておくよ。これから出かけるところがあるから」
「まさかこの子と一緒に?」
頷くフィルにアニーは目を丸くし、それからクロエに振り返った。紛れもなく怒りのこもった視線。同じ部屋で泊まると知ったらどうなるんだろう。本当にめんどうくさい女だな。
「あのねえアニー」
「はい!」
「僕たちはもう行くから。ごめんね、よけてくれるかな。行こうクロ。カメリアたちにはあとで合流してもらおう。君たちもごめんね、またあとで」
アニーの連れに会釈してフィルがクロエの手をつかんで連れて行く。そうしてエレベーターの呼び出しボタンを押して、アニーたちに手を振った。
彼女たちは、表向きはフィルを見送るように楽しそうにしていたが、アニーは笑いながら自分だけを見つめていたことにクロエは気づき、笑顔の裏に渦巻く感情が透けて見えて気分が落ち込んでしまった。
エレベーターの中でアコニットがため息をつく。それを見たフィルは小さく頷いた。
「さっきの子、見ていて大変だったでしょ」
「ルンデン・エンターテイメントの社長の一人娘だったかしら。見たのは初めてだけど…話だけならよく聞いたでしょ。クロエは大変な子に目をつけられたのね」
「うーん…これまで望んだものは手にできた子だからね。そして、アニーの今の望みは僕ときた。どこが気に入ったかわからないけど、クロにあんな態度とるのはダメだよ。あれは良くないな…」
ため息をついてフィルが上を見た。分かりやすく疲れた様子で首を回し、ゆっくりとクロエに視線を向ける。その表情はどこか申し訳なさそうだった。
「もうずっとアニーってあんな感じでしょ。僕もああいう態度をやめてと言ってるんだけど、人の行いは簡単には変わらないみたいだ。ごめんよ」
「どうしてフィーが謝るのよ。頭を下げるのはあいつの方だって、どう考えてもそう。ちがう?」
「確かに、だけど僕はまだ諦めてないんだ」
「諦めてないってなにを」
「アニーの態度を改めさせることさ」
おひとよしだなあ。そう言えてクロエは安堵した。気を緩めていたら「そんなの無理だ」とこぼしてしまっていたに違いない。
奴は金持ちの家で贅沢に育てられてロクな教育も受けてないから誰が何を言おうと無駄なんだ。諦めに似た思いを抱いていたが、フィルにそんなことを言えずにいた。
言えるわけがない、というのが正しい。金持ちの家で贅沢に育った、という部分がフィルを傷つけてしまうかもしれない。そもそも彼は他人への悪口を本気で嫌がる。例外はRONの話くらいしかない。
エレベーターのドアが開いて楽しげな声がはいってくる。クロエは表情をゆるめてフィルの顔を見た。
「気長に待ってる」
「でも僕がやろうとしているのはおこがましいことなのかも…他人の行いを左右しようなんて、おこがましいことなんだ」