ケイネス先生の聖杯戦争   作:イマザワ

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プロローグ

 ――誰でも良かったわけでは断じてない。

 

 ディルムッド・オディナの胸にあるのは、今やその信念だけであった。

 

 それだけをよすがに、現界を保っている。

 

 理想の主だったとまでは言わない。現に、彼の唱える冷酷な指針には、これまで幾度も異を唱えそうになった。聖約(ゲッシュ)にて己を縛っておらねば、間違いなくそうしていただろう。

 

 だが、それでも。

 

 いまディルムッドの胸に満ちる誇りと、虚脱と、後悔は、紛れもなく彼に臣下の礼を取っておらねば味わいようもなかったものであったから。

 

「ガ……ふっ……」

 

 こみ上げてくる悪寒に身をよじる。冷たく熱い感触が喉元を灼きながらせり上がってきて、汚染聖杯の泥を嘔吐する。

 

 両脚はもはや腐り落ち、己が宝具(ほこり)は失われた。

 

 今のディルムッドは赤子よりも無力な存在で、その霊基は崩壊まで秒読みの段階にまで至っていた。

 

 それでも。

 

 ディルムッドは全霊をもって消滅に抗った。もはや何を成す力もないにも関わらず、英霊の座への送還を拒み続けた。

 

 ――まだだ。まだ還るわけには。

 

 何を期して現世にしがみついているのか、自分でも不明瞭なままに。

 

 脳裏によみがえるのは、今生において死闘を繰り広げた、いずれ劣らぬ強大なる英霊たちの顔。

 

 そして、ディルムッドがかつて尋常なる生命としてこの現世を生きていた頃、愛を交わした娘――エリンの王女()()()()の顔。

 

 あるいは、死後英霊の座に召されたのちも絶望的な悔恨となって胸を引き裂き続けた生前の主――フィオナ騎士団長()()()()()()()()の顔。

 

 そして、今生の戦いにおいて、奇妙な成り行きのもとに得た友。ブリテンの円卓において最強の呼び名も高い騎士の中の騎士、()()()()()()の顔。

 

 ディルムッドは今、身をよじるほどに、ランスロットに問いたかった。かの騎士は、出会ってから長いこと狂化の呪いに蝕まれており、ろくろく言葉を交わす機会すらなかった。

 

 それが、口惜しい。

 

 死に切れぬほどに、口惜しい。

 

 ――ランスロット。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 無意味な問い。仮に問うことができたとしても、ランスロットには答えようもない問いであったろう。

 

 それでも問いたかった。きっとこれは嫉妬なのだ。自分がグラニアに抱く愛を、心のどこかで信じ切ることができなかったから。

 

 ディルムッドにとり、生きるとは奉仕であり、それはグラニアとの関りにおいても基本的には変わらなかった。求められたから、与えただけだったのではないか。

 

 ランスロットのような、命よりも重いはずの責務と誇りを捨て、愛を貫いたあり方に、ディルムッドは間違いなく嫉妬した。

 

 あぁ、だがそれも、もはやすべては無意味な妄執だ。ランスロットはとっくに今生を終え、英霊の座に還ってしまった。いまさらこの気持ちに、どのような決着も望みえない。

 

 そして――最後に思い浮かぶ、顔。

 

 撫でつけた金髪と、冷然たる瞳。こちらの誇りも、痛みも、一切共感を返すことなく、不条理な命令ばかり下してきた、ディルムッドの今生の主。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 きっと好かれてはいなかったのだろうと思う。だがそれでも、自分はサーヴァントとして運が良かったと、今では信じられる。きっとひとつでもボタンを掛け違っていれば、このような結末には至らなかっただろうから。

 

 ――誰でも良かったわけでは、断じてないのだ。

 

 決して。決して。

 

 誇りにかけて、それだけは全世界に高らかに言い放ってみせる。

 

 ディルムッドは、目を閉ざした。

 

 残り幾ばくも無い時間の中で、彼との出会いと、戦いのすべてを思い出そうとした。


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