【完結】師弟 ―蟹座の黄金聖闘士の話―   作:駱駝倉

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聖衣の墓場

 

 ジャミールでの暮らしは思ったよりも忙しかった。働かざる者、食うべからずと言わんばかりに、ハクレイはマニゴルドを雑用に使った。

 

 マニゴルドは口答えしながらも、言われたことには従った。まだ高地に身体が慣れないうちは、水汲みや荷運びに苦戦する横を、重い荷物を背負った年端もいかない子供たちにひょいひょいと追い抜かれていくみじめさも味わったが、低地と同じ感覚で仕事をこなせるようになった頃、ようやくハクレイが「小僧にも手伝ってもらおうか」と切り出した。

 

「聖闘士を目指すというなら見るべきよな、あれを」

 

「もしかして修復の現場か」

 

 聖闘士がまとう聖衣は、修復技術がわずかにこの地に受け継がれているのみである。修復師がいなければ、聖闘士の戦いは厳しいものになるだろう。ゆえに聖域はジャミールを尊重し、常に交流を図ってきた。ハクレイはジャミールの一族の長であり、優れた聖衣の修復師でもあった。聖闘士という役割も含めて、三足の草鞋を履き分けていることになる。

 

「邪魔だから近づくなって言われたけどいいのか」

 

 作業小屋で、修復師が金や銀の火花を散らしながら鋼を打っているのを、マニゴルドも見たことがあった。

 

「行くのは作業場ではない。聖衣の墓場じゃ」

 

「墓場? 聖衣が捨てられてるってこと?」

 

 明日行くぞと告げられて、彼はとりあえず頷いた。

 

 人一人は入りそうな大きな籠を背負わされ、連れて行かれたのは、切り立った断崖の谷間だった。空を仰ぐと、細い橋が崖と崖の間に架けられているのが見えた。後で知ったことだが、この橋が、ジャミールと外地をつなぐ唯一の道だという。

 

 谷の下には地面と呼べる平らな場所はなかった。起伏の激しい谷底と尖った岩が織りなす、足場の悪い場所ばかりだ。そこに無数の人骨が散らばっている。聖衣の修復を望みながらも、最後の一歩で修復師の許に辿り着けなかった者たちだとハクレイは説明した。マニゴルドは亡骸の身に付けている鎧も聖衣だと教えられて驚いた。聖域で見たことのあるものと比べると、表面が汚れ、随分と古ぼけている。

 

「それじゃこの骨は、聖闘士だった連中か」

 

「まあ敵も交じっとるがの」

 

 ハクレイが一歩踏み出すと、足元でパキリと枯れ枝の折れるような音がした。

 

「小僧には、ここにある聖衣を回収してもらう。地面に散乱した分は仕方ないとして、なるべく一体ずつ回収せい」

 

「骨はどうすんだよ。無茶苦茶多いぞ」

 

「そのまま大地に還してやれ」

 

 少年は辺りを見回した。聖衣の回収とは簡単に言うが、槍の穂先のように尖った石に突き刺さった亡骸もある。石の隙間に挟まっている部品もある。聖衣を骨から外して籠に入れ、崖の上まで背負っていくのは重労働だ。一日どころか一週間掛かっても終わりそうにない。

 

「今日中に全て片付くとはわしも思うておらん。これからのおまえの仕事だ。よいな、小僧」

 

 夕方に様子を見に来ると言って、ハクレイは戻っていった。

 

「なるほど墓荒らしね。俺向きの仕事だ」

 

 マニゴルドはぐるりと首を回し、淡々と作業に取りかかった。

 

 大の大人でも気の滅入るような場所である。目に入るのは黄ばんだ白骨と、風雨に晒されて土埃を被った鎧と、尖った岩ばかり。いつしか青い鬼火もぽつぽつと彼の周囲を漂い始めていた。少年がたった一人で白骨死体から装備を引き剥がす状況と相まって、端から見る者がいたなら凄惨な光景だった。

 

 ハクレイが来た時には、マニゴルドは崖下から上って待っていた。

 

「なんじゃ、もう終わりか」

 

「仕方ねえだろ。下はもう暗くて見えねえんだよ」

 

 覗いた籠の中には部品に分かれた聖衣がバラバラと入っている。一体分にはほど遠いが、上出来だった。ハクレイは少年に籠を担がせて作業小屋まで連れて行った。

 

「回収した聖衣はここに出していけ」

 

「分かった」

 

 それからマニゴルドは「聖衣の墓場」まで下りて、白骨化した死体を漁り、聖衣を回収して修復師の所まで運ぶという作業を毎日繰り返した。ハクレイが調子を尋ねると、足場が悪いのと流れ込む霧に視界を阻まれてなかなか思うように進まない、とぼやくだけで他に泣き言らしいことは口にしない。辛いと思っていないからだ。

 

 少年を見つめ、ハクレイは困ったような表情を浮かべた。

 

「今夜は少し付き合え」

 

「酒?」

 

 話をしよう、と老人は快活に言った。

 

          ◇

 

 山岳地帯の夜は冷える。

 

 ハクレイの住まいに呼ばれたマニゴルドは、部屋の中央にある炉で両手を炙った。

 

「ここの暮らしは慣れたか、小僧」

 

「まあ、それなりに」

 

 ハクレイが淹れてくれたバター茶を両手で受け取って、ふうふう吹き冷ます。少年は相手がいつ「おまえはもう聖域には帰れない」と切り出すのかと待っていた。

 

「その……な、マニゴルド。話というのはあれだが」

 

「なんだよクソジジイ。物忘れか。早く言えよ」

 

 可愛げのない子供に拳骨を落として、ハクレイは咳払いした。

 

「セージがおぬしをここに寄越したことをどう思う」

 

「知らねえ」涼しい顔で突き放して、手に零れたバター茶を舐める。殴るにしても頃合いを計ってやってほしいものだ。

 

「アテナが降臨されるまで邪魔だから、という理由で聖域を追い出したわけではないぞ。おぬしは厄介払いされたと拗ねているかもしれんが、実は、わしがセージを説き伏せて連れてきたのよ」

 

「え、なんで」

 

とマニゴルドは心から驚いた。

 

「セージは、おぬしがなぜ聖闘士になりたいと言い出したのかをちゃんと理解しておる。だがの、そんな理由で聖闘士を目指すと後々困るのはおぬしだと思うから、許すのを渋っておるのだ。分かるか?」

 

 首を傾げた少年に、ハクレイは穏やかな目を向けた。弟とよく似た表情だった。

 

「聖闘士は戦うのが使命。聖衣の墓場で斃れた者たちの無残な姿を見ただろう。あれがおぬしの将来の姿だと言われてもなお、目指す気はあるか」

 

「その時はその時さ。元々が塵芥みたいな人生だ」

 

「世を拗ねた小童というのは可愛くないのう。だが聖域に居続ける限り、聖闘士としての道しか見えんのも事実だ。それでわしは、聖域を離れさせてはどうかと弟に提案した。聖衣の墓場を間近で見れば思うところもあるだろうと思うてな」

 

 毎日通っていてどうだ、と老人は尋ねた。

 

「べつに何も」

 

「うむ。そこがわしらの目論見とずれておったのよ」

 

 ハクレイはあっさり言って、バター茶を啜った。

 

「前に同じ作業をさせた者は三日で音を上げた。大体それくらいで皆泣きついてくる。早ければ初日に連れて行ったその場で白旗を揚げる。ところがおぬしはどうじゃ。毎日あの崖下まで下りて、一人で死体から聖衣を剥ぎ取り、夕方には平気な顔で戻ってくる」

 

「だって怖くねえし」

 

 マニゴルドが口を尖らせて言うと、どこからか青い火が現れて、彼の周りをひらひらと舞った。

 

「前の働き手が音を上げたのはこいつらのせいだろ。見えなくてもこの多さだ、重苦しさくらいは感じるだろうよ。見えるだけの奴はもっと怖かったかもしれないなあ」

 

 少年は腕をゆっくりと宙に伸ばして掌を返した。幾つもの鬼火が手の近くを戯れ飛んだ。暗い部屋に青みを帯びた光が溢れる。

 

「亡霊使って子供の夢をぶち壊そうなんて、せこい計画立てんじゃねえよ。なあジャミールの長さんよ」

 

「人聞きの悪いことを」

 

 ハクレイは動かなかった。が、辺りを飛んでいた鬼火たちは一斉に消えた。部屋の色は炉で燃える火明かりだけに戻った。

 

「なんだ、あんたもお師匠と同じ力があるのか」つまらなそうに鼻を鳴らすと、マニゴルドは茶を飲んだ。

 

「そしておぬしともな。まあ、もしおぬしが音を上げたら、それを理由に聖闘士には向かんと説教するのも手だったな。わしとしては、聖闘士として悲惨に死ぬ可能性を知って覚悟を固めてくれるのが一番じゃった。聖闘士を目指す者は多いに越したことはないからの。だがおぬしは初めから諦観しておったようじゃな。要するに、聖衣の墓場はおぬしに何の影響も及ぼさんかった」

 

「いやいや、影響ならあったよ。死人の愚痴を聞いたら、この程度の覚悟で聖闘士になれるのかと思ったね。ますます聖闘士になる気が湧いたぜ」

 

 この悪たれが、と老人は愉快そうに笑った。

 

 彼は立ち上がり、部屋の片隅から長い物を持ってきた。巻いてある布を外せば、それが大剣であることは少年の目にも分かった。

 

「この剣はわしの若い頃に当時のアテナから授かったもの」

 

 当のアテナは帰天してしまったが、女神の加護は未だ剣にある。

 

「年寄りの思い出話かよ」

 

「昔話だと思って子供らしく楽しめ」

 

 ハクレイは先の聖戦について語り始めた。

 

 当時降臨していた女神は成熟した女性だった。ハクレイとセージは他の聖闘士同様、女神を姉のように慕い、敬愛した。冥王との聖戦は聖域の近くで起きた。女神軍は勝利目前だった。その戦況を引っ繰り返したのは冥王ではなく、別の圧倒的な存在。

 

「我らは叩き潰された。相手が誰なのかも分からないまま、多くの同胞が斃れていった。己の無力さに歯噛みしたものよ」

 

「それでどうなったんだ。負けたのか?」

 

「負けたらこの世は終わっていたじゃろうて。だがアテナは今でも常勝の戦女神であらせられる」

 

 皺だらけの手が剣の鞘を撫でた。

 

「聖戦が終わり、わしら兄弟は生き残った。セージは聖域を立て直し、わしは聖闘士を一人でも多く育てようとした。全ては、我が軍を壊滅に追い込んだ存在を討たんがため。同胞の無念を晴らさんがため。冥王よりよほど憎かった。相手の正体を掴んだ時は、聖戦など関係なくエリシオンに乗り込んで殺してやろうかと思ったほどだ」

 

 マニゴルドは老人の顔を見た。穏やかな目の奥に燻り続ける光は、炉の火を映しただけのものでは決してなかった。

 

「冥王と三巨頭は若い者に任せる。だがあの双子神だけはわしらの手で封印する。それだけを思い、命を長らえてきたのよ」

 

 ハクレイは小さく笑い、少年に目をやった。マニゴルドは俯き、視線から逃げた。

 

「もちろんわしらには喜びもあった。わしには血の繋がったジャミールの民があり、育ててきた大勢の弟子がある。セージにも聖域があり、聖闘士がある。じゃが、この二つは似ているようで全く異なる」

 

 分かるか、と問われて少年は首を横に振った。

 

「わしはジャミールの長であり、修復師であった。セージには教皇しかなかった。あれには常に教皇という立場がついて回った。何を為すにも教皇としての立場でものを考えた。宿願のためにセージは己を押し殺してきたのじゃ」

 

「そうかな。俺と会った時は、俺には地位や権威は通用しないって笑ってたけど」

 

 だからおぬしは特別なのだ、と老人は言った。

 

「セージはおぬしの前では権威や立場を必要としなかった。おぬしを拾ったのは、教皇ではなく、ただ人としてのセージじゃ」

 

 マニゴルドは膝を抱き寄せて顎を乗せた。ハクレイの言わんとすることは分かる気がする。セージが師事を拒んでいたのも、職務との兼ね合いに自信がなかったからだと彼は想像している。教皇として浮浪児を拾ったのなら、迷わず候補生の一人に加えたに違いない。

 

「だからこそ小僧が聖闘士になりたいと言い出したのが辛かったんじゃろう。おぬしに対しても教皇としてあらねばならなくなるからの」

 

「そんなの割り切れよ」

 

「割り切れるようなら初めからわしに相談などせんよ。セージは策士ではあるが、己のこととなると途端に不器用になる奴じゃ。己を殺して生きてきたツケかも知れん。わしとしては、弟の四苦八苦する姿を指差して笑ってやりたいから、小僧がどうしてもと言うなら、協力してやるのもやぶさかではない」

 

「ひでえ兄貴だな」

 

 ハクレイは笑い、剣を丁寧に包んで元の場所に戻した。

 

「あれの兄としておぬしには感謝している。悲願のために生きながらえてきた老いぼれに、喜びを与えてくれた」

 

「……老いぼれとか言うなよ」

 

 少年はバター茶を飲んで顔を隠した。

 

「どうしても聖闘士になりたいのなら師をわしに変えよ。修行は厳しいがな。わしの弟子であれば、セージも嫌とは言えん」

 

「考えとく」

 

「お代わりはいるか」

 

「いらない。もう帰る」

 

 マニゴルドはハクレイのほうを見ないようにして長の住まいを後にした。

 


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