【完結】師弟 ―蟹座の黄金聖闘士の話―   作:駱駝倉

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約束の夜

 

 翌日も少年は聖衣の墓場に出かけた。

 

 薄暗い谷底で一人、白骨の山と向き合う。すると間もなく鬼火が湧いてきた。後から後から湧いてきて、彼の周りは青白い燐光で満ちあふれた。

 

 マニゴルドが手を伸ばすと、指先に光が集った。

 

 彼はこうして毎日死人の声を聞いていた。未練。後悔。困惑。悲愁。呪詛。とりとめのない繰り言は、少年の耳には小鳥のさえずりに等しい。

 

(悲願か)

 

 師匠とその兄がどうしても封印したい相手とは何者だろうと考えた。聖戦のことは教えられたが、大昔の話だった。セージが己の過去を話してくれたことはなかった。いつも穏やかで厳しい老人は、ずっと順調な人生を歩んできたに違いないと思っていた。

 

 アテナが降臨するということは、次の聖戦が始まるということ。ただし開戦が十年後になるか二十年後になるかまでは分からないと、セージから聞いたことがある。老いた兄弟が生きている間に、彼らの宿敵は現れるのだろうか。現れた時に、強大な存在に立ち向かう体力は残されているだろうか。

 

(ずっとそのために生きてきたのに、最後の最後で間に合わなかったらどうするんだよ、お師匠)

 

 無念のまま死んだら。聖衣の修復を望みながらその寸前で辿り着けなかったこの亡霊たちのように、セージの魂も嘆くのだろうか。

 

 そんなものは聞きたくなかった。

 

 雲が山沿いに下ってきた。雲はそのまま霧となり、谷間に立ちこめた。そうすると作業はできなくなって、霧が引くのを待つしかない。

 

 辺りが白に包まれる。見えなくなる。

 

 我慢できなくなって少年は叫んだ。

 

 

 いつまで待っても霧が晴れないので、マニゴルドは谷から上がった。空の籠を作業場に置いて帰ろうとすると、小さな子供とぶつかった。

 

「お、大丈夫か」

 

 三、四歳くらいの子供だった。子供はマニゴルドの顔をじっと見上げていた。仕方なく少年はしゃがんで目の高さを合わせてやった。

 

「どうしたガキんちょ」

 

「聖衣ひろってくるお兄ちゃん?」

 

「そうだけど、何だよ」答えながら相手がギリシャ語を話したことに彼は驚いた。聖域と繋がりが深い地なのだから不思議ではなかったが。

 

「ひろってくれる人がいなくて困ってたんだって。だからありがとうって。つたえたよ」

 

「え、誰」

 

 マニゴルドはその伝言元の人物が知りたかったのだが、幼い子供は己の名前を聞かれたと思ったようだ。にこりと笑って「私はシオン!」と答えた。

 

「そうかシオンか。で、誰がありがとうって言ってたんだ」

 

「聖衣」

 

「聖衣が自分で喋ったのか」

 

「そう。手で見えるの」

 

 妙なことを言う、と思ったが口にはしなかった。他人には見えないものを見て、他人には聞こえないものを聞くことの面倒と、大人に信じてもらえない空しさをマニゴルドは身に沁みて知っている。

 

「それじゃそいつに伝えといてくれ。次は自力で修復師のところまで転がってけ、厄介な所に落ちてんじゃねえ、ってな」

 

「聖衣はおちたくておちたんじゃない」

 

「分かってるよ、冗談だよ」

 

 本気で怒っている子供にマニゴルドは苦笑した。彼は道の傍らに腰を下ろし、子供はその側に留まった。

 

「うそじゃない。みんなうそだって言うけど、聖衣は見せてくれる、いろいろ。ほんとうだよ」

 

「俺には分からねえけど、おまえには届くんだろう。それは信じるよ」

 

 子供はぴたりとマニゴルドに寄り添って座った。小さな指を二本出す。「二ばんめ」

 

 聖衣の意志を感じられるという話を笑わずに取り合ってくれたのは、ハクレイに次いでマニゴルドが二番目だという。

 

「ハクレイ様は聖衣のおしゃべりは見えないけど、おばけのおしゃべりは分かるんだって」

 

「ああ、こいつらか」

 

 マニゴルドが宙を掴むように伸ばした拳を開くと、そこから青白い火がふわりと浮かび上がった。子供は一声叫んでマニゴルドの服に顔を埋めた。

 

「悪い、怖がらせたか。もう大丈夫だ」

 

「おばけ、もういない?」

 

「もう追い払ったよ」

 

 こわごわと顔を上げた子供は、辺りを見回してやっと安心した。

 

「あなたはハクレイ様のでしなの?」

 

「なんで俺が」

 

「シオンはりっぱな修復師になれるって。でもおばけのことはわからないから、聖闘士になってもおんなじ技はつかえないんだって。ハクレイ様はおばけをあやつれる聖闘士なんだ」

 

「へえ、聖闘士って死霊絡みの技もあるのか」

 

「私もやりたい」

 

「おばけが怖いくせに何言ってんだ、ガキ」

 

「こわくない」

 

 子供は鬼火を掴み出した手をおもちゃにし始めた。マニゴルドは好きにさせた。

 

「俺はセージって人の弟子なんだ」

 

「だれ?」

 

 無邪気な問いに対する答はすらすら出てくる。聖域を治める教皇で、前聖戦の生き残り。けれどマニゴルドが口にしたのはたった一言だった。

 

「俺のお師匠」

 

 幼子はそれで納得したようだった。

 

 片手に槌を持ったまま、ハクレイが作業小屋の奥から出てきた。

 

「ヒヨッコどもがぴーぴーうるさい。遊ぶならもっと遠くへ行かんか」

 

「ハクレイ様」

 

 シオンが嬉しそうに老人に駆け寄った。その頭をがしがしと掻き撫でて、ハクレイはマニゴルドを見た。少年も仕方なく立ち上がり、二人に近づいた。

 

「そのガキはあんたの孫?」

 

「わしの弟子の一人じゃ。この子は聖衣の声を聞く、天性の修復師でな。いずれはわしの後を継ぐことになるやもしれん」

 

 こんな小さい頃から才能など分かるのかとマニゴルドは疑ったが、シオンはにこにこしている。

 

「シオンはハクレイ様のおやくに立ちます」

 

「うむ、良い心がけじゃ」

 

 目の前のやり取りから少年は目を背けた。この子供のように素直に言えたら、セージの反応は違ったのだろうか。見透かしたようにハクレイが言う。

 

「おお、羨ましいか悪たれ。だが案ずるな、このシオンとてあと五年もすれば、わしに口答えする生意気な年頃になる。そうしたら拳と拳のぶつかり合いじゃ」

 

 豪快に笑う老人に、幼子が「ずっと良い子にしているからだいじょうぶです!」と憤慨している。

 

 マニゴルドは幼い弟子と戯れるハクレイに言った。

 

「昨日のあんたのお誘い、ありがたかった。でも俺もう少しお師匠と話してみる。説得できるかは分かんねえけど、言いたいことがある」

 

 きょとんとしているシオンの横で、ハクレイは「精々頑張れ」と満足そうに笑った。

 

          ◇

 

 その日は唐突に訪れた。

 

 思いつきのようにハクレイが「荷物をまとめい」と言うのでどこか別の家に移るのかと思った。だがジャミールに来た時と同じように、気づくとマニゴルドは別の場所に立っていた。

 

 瞬間的に移動したのでないことは直感的に分かるが、目を瞑らされている間に周りで何が起きたのか分からない。彼は辺りを見回した。木立の向こうに女神像が見えた。

 

「ここ聖域か」

 

「今夜、女神が降臨される」

 

 あ、とマニゴルドは声を上げた。

 

 ハクレイは少年を促して歩き始めた。森の外れには、十二宮を通らずに教皇宮まで上がることの出来る隠し階段がある。二人はその階段を上った。

 

「なんで今夜生まれるって分かるんだよ」

 

「教皇の星見よ。敵に悟られないよう一般の聖闘士には知らせていないが、上の神殿ではアテナをお迎えする神事が始まっておる。さすがに積尸気経由で近道するのは差し障りがあると階段を使ったが、教皇宮まで遠いのう」

 

「せきしき?」

 

「詳しくはおまえの師に聞け」

 

 階段を上りきった二人は、そのまま教皇宮に入った。ハクレイは案内も頼まずに教皇の間に向かい、マニゴルドは付き人のようにその後に従った。

 

 広間には教皇が待っていた。玉座ではなくその脇に立っている。マニゴルドは師のもとへ駆け寄ろうとしたが、ハクレイに襟首を掴まれて引き戻された。

 

 広間の中ほどまで進むとハクレイは膝を突いた。

 

「お久しゅうございます、教皇猊下。今宵の椿事を言祝ぐべく、鄙の地より馳せ参じました」とジャミールの長が述べた。

 

「同胞よ、遠き地よりよく参られた。共に新しき女神のご降臨を祝い、これを汝の民にも伝えられよ」と教皇が返した。

 

 マニゴルドは首根っこをハクレイに捕まえられているので、彼と同じように膝を折っていた。この前会ったばかりの兄弟なのに白々しい挨拶をしていると思ったが、口を挟むのは止めておいた。

 

「……ほれ、もういいぞ」

 

と、挨拶を終えたハクレイがマニゴルドの背を押した。少年は前につんのめりそうになりながら、師のところまで駆けていった。セージは両腕を差し伸べて弟子を迎えた。

 

「ただいま、お師匠」

 

「おかえり」

 

 帰れた。また会えた。その嬉しさに少年は師に抱きついた。包み込むように抱きとめられた。兄が無遠慮な含み笑いを浮かべているのを無視して、セージはマニゴルドに語りかける。

 

「すまぬ、今夜はおまえの相手をゆっくりしてやれないのだ。儀式は一晩中続くのでな。だがアテナのご降臨という大事な瞬間はおまえも見ておくといい。神殿の外からになってしまうが」

 

「いいよどこでも。教皇の大一番、しっかり見といてやるから、お師匠頑張れよ」

 

「こやつ」

 

 弟子の軽口にセージは苦笑し、頭を軽く撫でた。そしてすぐに厳格な教皇の顔に戻った。

 

「兄上、それでは参りましょう」

 

「うむ」

 

 神殿に向かう老兄弟のすぐ後を少年は付いていった。驚いたように師が振り返った。

 

「マニゴルド、まだ来なくて良い。おそらくおまえには退屈な儀式の連続だぞ。頃合いを見て呼びにやるから、それまで部屋で大人しくしていなさい」

 

「そうじゃ、そうじゃ。居眠りされては困る」

 

「寝ない。お師匠のやる事を全部見てる。邪魔にならないように隅っこにいるから、見させてくれよ」

 

 アテナが聖域に現れるのは聖戦の始まり。つまりこれは二人の宿願成就のための第一歩なのだ。弟子が見届けなくてどうするというのか。

 

 少年の覚悟を感じて、兄弟は顔を見合わせた。

 

「では仕方ない」

 

 絶対に儀式の邪魔はするなと念を押して、二人は少年を神殿の手前まで連れて行った。

 

 ――しかし。

 

 その夜、女神は聖域に降臨しなかった。

 

 神殿の外階段でどうにか夜明けまで眠気と戦っていたマニゴルドは、神殿から出てきた女官から部屋に戻るよう勧められた。

 

「生まれた?」

 

 肝心の時を寝過ごしたかと思ったが、女官は硬い表情で首を横に振った。何があったのかと尋ねようとする前に、女官は教皇宮に行ってしまった。

 

 続いて神官の一団と教皇、ジャミールの長も階段を下りてきた。小声で話しながら足早に教皇宮に移る彼らの顔は、一様に険しい。

 

「お師匠」

 

 セージを呼んだが、教皇の兜はマニゴルドのほうを振り返ることはなかった。

 

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