【完結】師弟 ―蟹座の黄金聖闘士の話―   作:駱駝倉

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積尸気冥界波

 

 翌朝、マニゴルドはいつもの修行で巨蟹宮にやってきた。

 

 宮奥の壁の住人たちと相対する。といっても相手は気づかないので、マニゴルドが一方的に眺めているだけだが。

 

 古株であるプルチネッラ氏の横に新たな住人、仮にパンタローネ氏とでも呼ぶべき亡者が浮かび上がっていた。少年は指を振るった。ディレットーレ、指揮者か舞台監督のように。

 

 プルチネッラ氏が退場した。壁の顔は十五。

 

 次にマニゴルドは天井を見上げた。隅の暗がりに巣を構える蜘蛛に指を向ける。ころり、蜘蛛が糸から落ちる。八本の足を縮めて二度と動かなかった。

 

 それから彼は候補生たちが鍛錬に使っている闘技場へ向かった。探している人物はいなかった。踵を返して他の場所を探す。

 

 年に一度の儀式でしか使わない建物の陰で、候補生たちが額を突き合わせて話し込んでいるのを見つけた。ゴメイサの舎弟たちだ。誰もが深刻な様子で、それでいて興奮している。

 

「……どうする?」

 

「どうするって、今更どうしようもないだろう」

 

「誰かが裏切って密告したりしなければ、俺たちには火の粉は飛んでこねえよ」

 

「そっちじゃねえ。ゴメイサさんのことだよ」

 

「あの人はもう終わりだな。聖闘士にはなれねえよ」

 

 ひそひそと言葉を交わしているところに、マニゴルドは明るく声を掛ける。

 

「なあなあ、何の話?」

 

 一同は振り返った。彼はへらへら笑いながら輪の中に強引に加わった。無関係な奴が入ってくるなと凄まれて「うわ、怖い」とおびえてみせる。

 

「何の用だ、おまえ」

 

「あんたら昨日の話をしてるんだろう? 女はどうだった? 興味あるんだ。教えてくれよ」

 

「何の話か分からねえよ。帰れよ」

 

「そう警戒しないでよ先輩。俺、たまたま見かけちゃっただけだから。もし次もあるなら俺も仲間に入れて欲しいなって思ってさ。その証拠に誰にもタレこんでねえし。なあ先輩、どうだったんだよ、あの女」

 

 卑しい笑みを浮かべてみせると、周りの反応が変わった。

 

 一同は目配せしあい、前日ニキアを襲った時のことを年下の少年に語り始めた。彼らは秘密裏に成し遂げた蛮行を他人に自慢したかったのだ。もちろん声高に言いふらせることではなく、それどころか公になれば彼らも処罰を受けることになる。しかし好奇心丸出しで近づいてきた鼠になら、少しくらい自慢をしてもいいのではないか。鼠一匹、いざとなれば口封じは簡単だ。彼らがそう思う程度にはマニゴルドは弱かった。

 

 自分でも彼我の実力差は理解している。一対一で戦っても勝ちは薄いが、大勢で一度に来られてはまず負ける。個々の実力では彼らの誰をも上回るニキアが負けたように。

 

(胸糞悪い)

 

 少年は年長者たちの野蛮さに感心したそぶりを見せてやった。それだけで一同は勝手に語った。

 

「まあ、一瞬だったよ」

 

「五人がかりでな」

 

「水差すなよ馬鹿」

 

「でも一番は俺だぜ。あの女を気絶させたのは俺の一撃」

 

「腹ぶち破ったのは俺な。致命傷与えた俺が一番だろ」

 

「仮面を剥ぎ取ってやった。興奮したなあ」

 

「素顔を見られた女は、相手を愛するか殺すしかないからな。で、あの女には俺たち全員を愛してもらうことにしたってわけだ」

 

「好きにしていいってゴメイサさん言ってたもんな」

 

「石切場なんて用がなければ誰も近づかねえ。おまけに聖衣を賭けた大一番の仕合だ。皆それを観に行って、騒いだり興奮したりしてるから、こっちの小宇宙なんて気がつきもしねえの」

 

「ま、対戦者の片割れは俺たちと一緒にいたんだけどねえ」

 

 マニゴルドは口を挟む。

 

「先輩何言ってんだよ。ゴメイサさんは闘技場にずっといたぜ」

 

 すっかり警戒心を解いた候補生が、彼の背を叩いた。

 

「馬っ鹿だな、おまえ。その相手のほうだよ。ニキアって女を俺たちはやったんだって」

 

「狙うほどいい女だったわけ?」とマニゴルドは尋ねた。

 

「関係ねえよ。聖闘士になるために邪魔だから何とかしろってゴメイサさんが言ったんだ」

 

「足止めするだけじゃ、後で俺たちとのつながりが知れた時に困るから殺せ、っていうのもゴメイサさんの指示だぜ」

 

「でも結局は子犬座の聖衣も手に入れられないで、あの人もほんと間抜けな役回りだよなあ」

 

「そのぶん俺たちは役得か」

 

 ゴメイサの取り巻きだったはずの候補生たちは大笑いした。

 

 彼らの輪の中で一人、マニゴルドだけは笑わなかった。

 

 目を瞑り、再び開く。

 

「……もういい。もう聞きたくない」

 

 硬い声に一同は不審を抱いた。彼らの視線の先でマニゴルドは青ざめた顔をゆっくり上げた。「地獄でニキアに詫びろ」

 

「こいつ!」

 

 候補生の一人が咄嗟にマニゴルドに攻撃を加えようとした。生意気な後輩を屈服させるつもりだったのだろう。しかしその前に少年の指が彼に突きつけられた。次の瞬間その候補生の体は地面に崩れ落ちた。

 

「気をつけろ、このガキ、指の先に何か仕込んでる!」

 

 相手が好奇心で首を突っ込んできただけの鼠でないことに一同は気がついた。と同時に距離を取って身構える。闘士の修行をしている者として身につけた、無駄のない動きだった。

 

「おまえ、今こいつに何をした?」

 

 一人がマニゴルドから目を離さないまま、じりじりと彼の背後へ回り込もうとする。「俺たちに喧嘩を売って無事に逃げられると思うなよ、ガキ」

 

「逃げる?」

 

 マニゴルドは心外だと言わんばかりに眉を上げた。「それはこっちの台詞だ。ニキアに酷いことした奴が逃げられると思うなよ」

 

「死んだ女の復讐か? 私闘は禁じられてるぞ! 分かってるだろうな」別の一人が咆える。

 

「今更おまえらが聖闘士の掟を持ち出すかね。大丈夫、これは私闘じゃねえよ。――処刑だ」

 

 彼は静かに候補生たちを見据え、指先を宙に掲げた。

 

 そして生まれた五つの死体を見下ろして、大きく息を吐いた。

 

 彼の名が意味するところは「死刑執行人」。まだ処刑は終わっていない。

 

 

 ゴメイサは中々見つからなかった。人に居場所を尋ねるという選択肢は端からマニゴルドにはない。一人でいるところを狙うつもりだった。

 

 ようやく見つけ出したのは、午後も遅くになってからだった。木立の中に座り込み、ぼんやりと地面を眺めていた。

 

 マニゴルドは候補生に近づいた。

 

「ゴメイサ」

 

 振り返った顔は生気を失っていた。目の下には隈ができ、白目が充血している。唇はがさがさと血の気がなく、肌は青ざめていた。取り巻きたちが興奮していたのとは対照的だった。

 

「少し一人にしてくれないか」

 

 声までひび割れていた。マニゴルドは彼まで三歩という所で立ち止まった。

 

「後悔してるのかい」

 

「……後悔」

 

「あんたの舎弟たちが言ってた。仕合の対戦相手を襲ったのはあんたの指示だったと。そのせいで聖闘士になれる機会をなくしたのも自業自得、ざまあねえなって嗤ってたよ」

 

 ゴメイサは俯いた。

 

「あいつらが言い触らしているのか」

 

「どうでもいいじゃねえか、そんなこと。どうせあんた、もう終わりだろ」

 

「終わり」

 

と聖闘士への道を絶たれた若者は呟いた。マニゴルドは苛立った。こんな腑抜けた奴にニキアは殺されたのか。拳を握りしめすぎて爪が掌に食い込んだ。

 

「何であんな事しようと思ったんだ。あんたが勝つだろうって見込みだったのに。真っ当に戦えば子犬座の聖衣はあんたの物だった。ニキアも死なずに済んだ。何でだよ」

 

 生きるために殺し、奪う。それはかつてマニゴルド自身が生き延びるために選んだ道だ。だからゴメイサが生きるためにニキアを殺したというなら、諦めて知らぬふりをしてもよかった。

 

 しかし、ただ聖衣を確実に得るためだけに殺したというのは、少年にはどうしても理解できなかった。聖闘士になれなければ死ぬというわけでもないだろうに。

 

「小僧にはまだ分からねえだろうな」

 

 若者は自嘲気味に笑った。両手を後ろについて空を見上げる。

 

「俺はどうしても聖闘士になりたかった。雑兵なんかじゃなくて、聖衣を授かった正式な聖闘士にだ。俺の実力なら十分に狙えると言われ続けて……、諦めきれずにいつの間にかこの歳だ。周りの候補生は皆俺より年下になっちまった。情けないし、頭にくる」

 

「だから何でニキアを殺さなきゃならなかったんだよ」

 

「確実に勝つためだよ!」

 

 ゴメイサは急に声を荒げた。そしてすぐに沈み込み「まさか無効仕合になるとは思わなかった」と言い訳がましく付け足した。

 

「真っ向勝負で勝つ自信はあった。でも万が一小娘相手に仕合で負けたら俺はもう終わりだ。そう思ったら、相手を仕合に来させないのが最善策だったんだ。ついでに足止めしたことがバレないように殺しちまえばいいと思ってな。殺しはよくないとか、他に方法が無かったのかとか言うなよ小僧。聖闘士になれば殺す相手は一人や二人じゃきかないんだ」

 

 今まで散々に殺してきたマニゴルドは、相手の言い分にはたじろがない。しかし共感もしなかった。

 

「あんたたちはニキアを殺すだけじゃなく辱めた。体だけじゃない。仮面を剥がして女聖闘士の意地を奪った。勝負から逃げた卑怯者という汚名を着せた。あいつは最期まで聖闘士であろうとしていたのに、その生き方まで踏みにじった」

 

 若者の目が初めて少年を見た。ぬめついた光が両目に浮かんだ。

 

「そうか。あの女が好きだったのか、小僧。悪いことをしたな。それでどうする。俺を殴りに来たか。いいぜ、殴らせてやる。ただし一発おまえが殴るごとにその後俺から十発返す」

 

 マニゴルドは冷たく相手を見返した。

 

「馬鹿か。殴って済むわけねえだろ」

 

 指を向け魂を抜く。それは五人の候補生を相手にした時と同じように終わるはずだった。

 

「おっと」

 

 いつの間にかゴメイサが眼前に迫っていた。反射的に体を守る。殴られた。腹。息が詰まる。勢いで飛ばされて、木の根元にぶつかった。溶岩を飲み込んだように腹の底が熱い。痛い。今度は蹴られた。軽い体は堪えきれずにまた転がる。

 

 ゴメイサは身を屈めて、彼の動きを封じた。

 

「指先に何を仕込んでる。先輩に見せてみな」

 

 掴まれた右手首から激痛が走った。その痛みを怒りに紛らわせて、マニゴルドは相手を睨み付ける。彼を見下ろしている候補生は、己の圧倒的な優位に笑みを浮かべていた。

 

「何も無いな。一丁前に技の構えか」

 

 思いきり腕を振って払おうとしても、手首を掴む力は緩まなかった。

 

「そう睨むなよ、小僧。ここでは聖衣を授かった者とそうでない者の差は天と地だ。貧乏百姓の倅でも才能があれば星と崇められるし、大貴族の子息に生まれても星座の加護とかみ合わなければただの泥被りの雑兵だ」

 

 ふと、絶望した若者の目に興味の色が走った。

 

「小僧、おまえの守護星座は何だ」

 

 マニゴルドは己の守護星座を知らない。師から聞かされていなかった。答に窮していると相手の口角が上がった。

 

「なるほど。指導者から期待されてないのか、可哀相に」

 

 心が震えた。

 

 睨み付けるとせせら笑われた。

 

 憐れむことで油断したのか、少しだけ手首の拘束が弛んだ。指を、意識を相手の心臓に向ける。マニゴルドは今度こそ魂を引き抜く。相手は本能的に肉体に留まろうと小宇宙を燃やした。その重い抵抗。振り切って、引きずり出す。開いた穴へ叩き込む。

 

 若者の体が倒れ込んできた。

 

 彼は苦労して死体の下から這い出した。

 

 ニキア(爪)にちなんで顔に引っ掻き傷でも残してやることも考えた。しかし余計なことをして足が付いても馬鹿らしいので、そのまま死体は放っておいた。人目のない所だから発見されるまで時間が掛かるだろう。

 

「俺が追い剥ぎから足を洗ってて良かったな。でなきゃ、身包み剥いで歯も全部引っこ抜いて売っ払って、素っ裸でどぶに転がしてたぜ」

 

 死者はマニゴルドの言葉に応えることもなく地面に伏していた。

 

 

 次の日は朝から墓地の丘で過ごした。巨蟹宮の奥で死者の顔と睨めっこをする気にはなれず、さりとて誰かと組み手をする気にもなれず。他人といても、ニキアの悪評を耳にするだけだと分かっていた。あるいは候補生たちの死が噂になっている頃かもしれない。

 

 日がな一日、青い鬼火で遊んでいた。

 

 やがて一人の聖闘士が彼を見つけてやって来た。

 

「ここにいたのか」

 

 墓標の間に座り込んでいる少年を見下ろしたのは、ニキアの師だった。

 

 マニゴルドはのろのろと立ち上がった。真横からの夕日が目に突き刺さる。前日のうちに弟子の埋葬も終えて、これから修行地に帰るところだと男は言った。少年は気怠く相槌を打った。

 

 男は「そういえば知っているかい」と話題を変えた。

 

「昨日、六人の候補生が亡くなったそうだ。一人はニキアと対戦するはずだったゴメイサ。あとの五人はその親しい友だったそうだ。ニキアがその前日に死んだばかりだから、危うく私が下手人扱いされかけた。弟子の弔いにかかりきりだったと他の者が知っていて、難を逃れたがね。彼らがなぜ死んだのか、原因は分からないらしい」

 

「そう」

 

「ニキアが死んだ状況を聞かれたのは疑いが晴れてからだったよ。一昨日報告した時はなおざりにされ、昨日は一日何の音沙汰もなく、それで今日ようやく聴き取りだ。候補生の死は珍しくない。きっと昨日の事件がなければ、流されたまま忘れ去られたことだろう」

 

「ちゃんと説明した? ニキアを騙した奴がいるって」

 

「それに関しては話していない」

 

「なんで」

 

 臆病者というニキアの汚名を晴らす機会だったのに、とマニゴルドは叫んだ。しかし男は穏やかに首を振って続けた。

 

「猊下はニキアの名誉を回復してくれると約束して下さった。だから私から話したのは事実だけだよ。闘技場に来なかった弟子を石切場で見つけたが、既に事切れていた。それだけだ」

 

 男の話に少年は首を傾げた。

 

「それだけかよ」

 

「いいんだよ。弟子を辱めた者には女神の裁きが下った」

 

「裁きっていうか、それは俺が――」

 

「猊下は疑っているがきみは無関係だよ。そうだろう」

 

 男は先を続ける。口を開きかけたマニゴルドを黙らせるように。

 

「私は不甲斐ない大人だ。本来は私が負うべき荷を、まだ若いきみに担がせてしまった。だからここからは私が引き受けよう。死者のことはもう忘れなさい。もしきみがニキアのためにしたことで辛いものを抱えて我慢できなくなったら、その時は好きにしたらいい。けれどきみにはこのまま立派な聖闘士になって欲しいと思う。弟子もそれを望んでいるだろう」

 

 俯いたマニゴルドに男は仮面を差し出した。ニキアの顔を包んでいた仮面。綺麗に汚れを拭われたそれは、日を受けて黄色に輝いた。

 

「これを受け取ってくれ。ニキアが本名を打ち明けたなら、きみは彼女の友だったはず。弟子によくしてくれた、せめてもの礼だ」

 

 仮面はマニゴルドの手に移った。

 

 これを渡すためだけにきみを探し回ったんだ、と男は軽い口調で笑った。

 

          ◇

 

 七名の若者が落命したという報告を受けた時、セージは静かに瞠目した。

 

 ――候補生ニキア。二日前の午後、石切場で胸を貫かれて死亡しているのを指導者が発見。番兵への報告は当日中に完了しており、事故として処理されていた。

 

 ――候補生アザー、クルサ、ザウラク、ベイド、ジバル。一日前の午後、建物の裏手で方々に倒れているのを雑兵が発見。それぞれの位置から、仲間内で私闘を行った結果の死かと思われたが外傷なし。

 

 ――候補生ゴメイサ。アザー以下死亡した五名の候補生と親交あり。五名の死について事情を聞くために彼を探していた雑兵が、当日夕方に林の中で発見。外傷なし。ただし辺りに争ったような形跡有り。

 

 以上七名である。念のため他にも死んだ者がないか急いで調べられた。

 

 候補生が修行の途中に命を落としても、それだけでは教皇まで報告は届かない。この七名についても、死んだ時期と発見された場所がばらばらということもあり、単に不運な事故が重なっただけと見ることもできる。現に報告を受けた神官はそう判断した。特にニキアとそれ以外の六名では、死に方が全く違う。しかし聖闘士の称号を賭けて戦うはずだった因縁ある者たちであることに気づいた別の者が、念のために教皇へ報告した。

 

 セージは弟子の顔を思い出しながら言った。

 

「少なくともニキアが殺されたというのは間違いなかろう」

 

 闘技場で聖衣争奪戦に臨むはずの彼女が、なぜ勝負の直前に石切場へ行ったのか。彼女の師であった発見者に話を聞いてみることにした。しかし、

 

「存じませぬ」

 

の一点張りだった。

 

「ではそなたの弟子に続くようにして死んだ者たちに関して、何か知っていることはあるか」

 

「ございませぬ」

 

 きっぱり言い切る。血の気の引いた顔には何の表情も浮かんでいなかった。

 

「そうだろうか。一人はそなたの弟子と聖衣を争うはずだったのだぞ。何か思うところくらいはあるだろう」

 

「お言葉ですが猊下、我が弟子が死んだのは修行中の不慮の事故ということになっております。ですから、その事故に六名の死者たちが関わっていたという確証でもない限り、気の毒だという月並みな感想しか持てないのです」

 

「ほう」

 

 セージは玉座に肘を突き、顎を乗せた。

 

「たしかに事故として報告されておるが、実際は違うのではないか。師としてのそなたから話が聞きたい。戦いから逃げたという不名誉を弟子が背負わされた胸中は察するが、その汚名は雪ぐと約束しよう。だから知っていることを申してみよ」

 

 聖闘士は教皇の言葉に首を振った。

 

「私が現場に駆けつけた時には、弟子はすでに息を引き取った後でした。ですからお話しできることは何もございません」

 

「そうか。では質問を変えよう。昨日死んだ六名の、その死に方についてはどう思う。外傷がなかったそうだが」

 

「それは皆目見当が付きません。毒でしょうか……?」

 

 本当に見当が付かない様子だった。傷を負わせずに相手の命だけを摘み取る技をセージは知っている。そしてその技を使える可能性がある者も。

 

 セージは弟子がニキアを殺したとは考えていない。動機がどうあれ、殺し方がマニゴルドの実力と見合っていない。しかし、後の六人については。

 

「ところでそなた、弟子の死後に候補生と会わなんだか」

 

「ええ、会いました」

 

「名は分かるか。特徴でもいい」

 

「確かアスプロス、と。弟子を葬る場に顔を出してくれました」

 

 その名前はセージの予想していたものとは違った。

 

「ではマニゴルドという名に聞き覚えはあるか」

 

「さあ……。初めて聞く名ですが誰でしょうか?」

 

「知らぬならそれでよい。事件との関わりはあるかも知れないし、ないかも知れない。ではこれで最後だ。弟子の死に関して何か望むことがあれば申せ。能う限り叶えてやろう」

 

「……お言葉に感謝いたします。ニキアが戦いから逃げ出した卑怯者などではなかったと明らかになれば、それで十分でございます」

 

「ということは、必ずしもそなたの弟子の死の真相が明らかにならずとも、恨まずにいてくれるか。もちろん努めるが、万が一の場合だ」

 

「全て猊下のお取計らいのままに」

 

 聖闘士への取り調べはそれで切り上げた。ゴメイサや他の候補生たちの指導者にも話を聞いたが、新しい情報は何も出てこなかった。

 

 それと並行して、巨蟹宮の壁に浮かぶ死者の数を宮の付き人に報告させた。マニゴルドの修行のために、数ヶ月前からわざと増やしておいた顔だ。弟子に引き渡した時には十四あった。現在は十五あるという。弟子がまだ蟹座の技を習得していない傍証となる。安心したような、落胆したような。セージは胸のもやが余計に濃くなった気がした。

 

 死んだのが正式な聖闘士であれば、敵の襲来や内部抗争などの可能性もあるので、真実を確かめる必要がある。しかし熟考の結果、今回の七件をセージは一件にまとめなかった。それぞれを互いに関わりのない単発の事故として処理させた。

 

 日中の執務を終えてセージが私室に戻ってきたとき、隣室には弟子の気配があった。いつもより帰りが早い。どうしたのかと思い覗くと、薄暗い部屋の中、弟子は床と壁の際に寝転がっていた。

 

 セージは弟子の私室に入った。足音が近づいてもマニゴルドは動かなかった。

 

「また床で寝ておるのか」 

 

 弟子は目を閉じて、声を立てずに笑った。

 

 セージはその傍らに身を屈めた。イタリアから拾ってきたばかりの頃を思い出す。あの頃の薄くて骨の浮いた野良犬の体は、今は小柄ながらも筋肉の付いたしなやかな体に生まれ変わっている。けれど心がすり減ってしまったのをセージは見てとった。

 

「死んだとおまえが教えてくれた候補生の師匠と、今日会ったぞ。弟子の雪辱ができればそれでいいそうだ」

 

 少年の目がうっすらと開いた。

 

「ふうん」

 

「おまえはいつ彼女の死を知った?」

 

「おっさんがそいつを抱えて宿舎に入っていった時かな。血まみれの姿を見て、何かあったと思って近くの聖闘士を連れてきただけだから、多分おっさんのほうは俺に気づいてもいないんじゃないかな」

 

「そうか。昨日は何をしておった」

 

「ずっと巨蟹宮にいたって言いたいけど、修行怠けて墓のある丘に行ったりしてた。悪りい、お師匠。俺いま疲れてんだ」

 

 もう話を切り上げたいのか、弟子は体の下でぐちゃぐちゃに固まっている毛布に顔を埋めた。

 

 彼は弟子の部屋を後にした。

 

 巨蟹宮の死に顔が全て消えたのは、それから三日後のことだった。ようやく技を体得したと報告に来た弟子は、聖闘士の称号を軽んじたことを改めて謝り、セージはそれを許した。

 

 七名の候補生が死んだことは、やがて人々の記憶から薄れ去った。

 

 用事で弟子の部屋に入った時、セージは壁に銀色の仮面が掛かっているのを見つけた。女聖闘士の着ける仮面だ。前に部屋に入った時には、こんな物は飾られていなかったはずだ。

 

 自室に戻ってきたマニゴルドは、師がそこにいることに驚いたが、彼の視線を辿ってこう言った。

 

「死者の顔だよ」

 

 死者の、とそのまま繰り返すと少年は「うん」と頷き、セージの隣に並んだ。

 

「俺の戒め」

 

 穏やかに呟く弟子を、彼は黙って引き寄せた。マニゴルドは珍しく嫌がるそぶりもなく彼の胸に頭を預けた。

 

 そうして二人で死仮面を眺めていた。

 


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