【完結】師弟 ―蟹座の黄金聖闘士の話―   作:駱駝倉

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聖なる砦

 

 翌朝、従者と一緒に少年の部屋を覗いたセージは溜息を吐かなかった。案の定、元浮浪児は床の隅で丸まっていた。

 

 人の気配に飛び起きた少年は、セージの姿を認めて、体の力を抜いた。前日の目覚めが悪かったのは、よほど疲れていたためだろう。この朝はすぐに覚醒した。

 

「おはよう、マニゴルド」

 

 床に座ったまま「よう、ジイさん」と返す相手の前に立ち、腕を組んで見下ろす。

 

「朝の挨拶くらいまともにせんか」

 

「おはよう。年寄りの朝は早いね」

 

 セージは悪童の襟首を引っ張り上げて立たせた。

 

 朝食後に二人は教皇宮を出た。

 

 明るい日差しの下、そこからは聖域と呼ばれる集落の全容が見渡せた。

 

 彼らの立つ場所は山の頂上と言ってよかった。いくつかの神殿と、それを繋ぐ長い階段が成す景色は、まるで瘤だらけの白い竜が山に横たわっているようにも見える。

 

「下の建物もジイさんの屋敷の一部か」

 

「いや。教皇宮は今出てきた後ろの建物だけだ。その先の神殿は女神のためのものだし、黄道十二宮の名を冠する下の神殿には、それぞれ守護者がある」

 

 確かにいっぱいある、と少年は山腹の神殿を数えた。振り返れば、出てきた教皇宮の背後に聳える巨大な石像が見えた。

 

 武装した女神の像。

 

「あれがアテナのご神像だ」

 

「マリア様かと思った。でかいな」

 

 あんまり美人じゃないなと呟く少年を、滅多なことは口にするなとたしなめてから言う。

 

「降臨されるアテナのお姿を写し取ったものであれば、より優美で気高い像になったであろうがな」

 

 ふうん、と首が折れそうなほど巨像を見上げた少年は、別の方角に目をやった。

 

「あっちの突き出した高台は? 上に建物があるけど見張り台か」

 

「ああ、星見の丘だ」

 

 後世スターヒルと呼ばれる高く切り立った峰を、セージは眺めやった。女神像をも見下ろせるほど高い、鐘楼のような高台は、十二宮のある山から断絶している。

 

「あそこは星の動きを見る場所だ」

 

 そこを見張り台と呼ぶなら、見守る対象はこの地上、世界そのものだ。星の運行は大地に影響を及ぼし、人の営みが星の瞬きに反映される。星を観測して未来を予測する、けれど占星術とは異なる「星見」という精緻な技術が、聖闘士には伝えられていた。スターヒルで星見を行うのも、教皇の務めの一つだ。

 

「じゃあ聖域の見張りはどこから?」

 

「肉眼での哨戒に意味はない」

 

 少年は聖域を見回した。その目には麓の丘陵に点在する建物も映っている。更にその周りに広がる平原が見えた。どこからが聖域なのかと彼は訝しんだ。

 

「城壁がないと思ったであろう」

 

「うん」

 

 砦と言うからにはあるはずだと少年は思っていた。しかし、修道院や古い町にさえ当然のように備わっているものが、ここにはない。

 

「聖域の一番外側には、普通の人間にはここの存在さえ認知できない結界が張られている。それが第一の防壁だ」

 

 結界を破った敵は、アテナの首を狙う。聖域に侵入する者の目的は突き詰めればそれしかない。アテナ側もそれを見越して迎え撃つ。

 

「女神のもとへ至る道は一つしかない。細く曲がりくねった一本道は敵を迎撃しやすいが、それだけでは心許ない。そこで途中にある十二の宮が、十二層の防壁となって敵を食い止める」

 

 少年を促し、セージは下に続く階段へ足を向けた。

 

「女神の神殿へは十二宮と教皇宮を順に抜けるしかない。逆に教皇宮から下りていくときも、十二宮を通っていくことになる。守護者や従者がいたらきちんと挨拶していくのだぞ」

 

「初めてここに来た夜は、誰にも挨拶しなかったぜ」

 

「公には私はどこへも行かず、ずっと教皇宮にいたからな」

 

 見上げる少年に、これは内緒だとセージは人差し指を閉じた唇の前に当ててみせた。悪童も訳知り顔で同じ仕草を返した。

 

          ◇

 

 教皇宮から一番近いのは、十二宮最後の防衛線である双魚宮だ。そこの守護者、魚座《ピスケス》の黄金聖闘士が入り口で待っていた。その男は落ち着いた仕草で一礼した。物々しい黄金の鎧を身にまとってはいるが、身のこなしも容貌も穏やかで、威圧感はない。

 

「お待ちしておりました、猊下。教皇御自らのお運びを賜り、誠に畏れ多く存じます」

 

「魚座のルゴニスよ。なにも聖衣で表まで迎えてくれなくてもよかったのだぞ」

 

「お呼びくだされば教皇の間へ参りましたものを、こちらへご用がおありとの直々のお達しでしたので、これは重要なお話に違いないと。……もしかしたら君に関することかな」

 

と、ルゴニスは教皇の傍らの少年を覗き込み、イタリア語で話しかけた。

 

 セージと少年は宮内に通された。そこでセージは少年を教皇宮に住まわせるつもりであること、それに伴って双魚宮の通過を許可してやってほしいことをルゴニスに話した。

 

 なるほど、と男は頷いた。

 

「猊下のお望みのままに。私は普段は宮ではなく下の薔薇園にいるが、留守でもいつでも通って構わないよ」

 

 後半は少年に向けた言葉である。

 

 良い機会なので弟子を紹介したいとルゴニスは席を外した。この宮には使用人が極端に少ない。自分で呼びに行くのだろう。

 

 部屋には訪問者たちが残された。ティーカップから立ち上る紅茶の湯気は、セージのよく飲む東方の茶とは異なる香りがした。

 

「さて、マニゴルドよ」

 

「なんだよ」返事が異様に早かった。

 

「おまえ、昨日デスピナの講義から逃げ出して、そぞろ歩いておったな」

 

「知らねえ」

 

 少年は即座に否定したが、セージには分かった。

 

 講義から逃げ出し、女官に見つからないように教皇宮を出たのだろう。そうやって石段を下りてきた見慣れぬ少年にルゴニスが気づき、「年端のいかない者でも、教皇の許しがなければ通行を許すわけにはいかない」と職務を全うした。あるいは「教皇には黙っておいてやるから、今の内に戻れ」と諭した。結果的に強行突破を諦めた悪童は教皇宮に戻り、講義から逃げたことと合わせて、セージには何も話さなかった。そういうことだろう。二人が初対面でないことは、ルゴニスがイタリア語で話しかけたことで明らかだった。

 

「ルゴニスは優しい男でな。おまえと同じ年頃の弟子もいるから、色々と世話になることもあるだろう。ただ、奴が世話をしている花園には猛毒の種も植わっているから近づいてはならぬ。それだけは守れ。おまえに万一のことがあれば、迷惑を被るのはルゴニスなのだ」

 

 分かったと応えて、少年はカップを無造作に掴んだ。そのまま紅茶を飲もうとするので、セージは正しい持ち方と教えた。難しいと文句を付ける相手に、では左手で支えろとソーサーを持たせた。

 

「決まり事が多すぎる」と少年は癇癪を起こしてカップとソーサーを置いた。

 

「世界は決まり事で成り立っている。おまえがそれを知ろうが知るまいが、世の中はそれに沿って動いている。従うのが嫌なら自分を変えるか、決まりを変えるか、それとも死ぬかだ」

 

「大袈裟な」

 

「お茶の飲みかただけの話ではない。この聖域は特に決まり事の多い階級社会だ」

 

「面倒臭せえ。もうずらかろうかな」

 

「それは残念だ。せっかくアルバフィカに友人ができると思ったのに」

 

と戻ってきたルゴニスが言った。少年は男の陰にいた同年代の子供を見るなり、「さっきのは嘘」と前言を翻した。

 

 ルゴニスの弟子だという子供は美しかった。細部の全てが整い、全体の全てが調和した、作り物のような美しさだった。絹糸の艶やかさを持つ髪、陶器のような滑らかで白い肌。けれど作り物でない証拠に、不機嫌に近いつまらなそうな表情を浮かべている。手にした薔薇の花をクルクルと弄んでいた。

 

 魚座の黄金聖闘士が捨て子を養い育てている話は聞いていたが、これほど美しい子供に育っているとは、セージも思わなかった。

 

「ほら、アルバフィカ。教皇にご挨拶を」

 

「お目にかかれて光栄に存じます。魚座の黄金聖闘士ルゴニスが弟子、アルバフィカと申します。猊下におかれましては、ご機嫌麗しく」

 

 促されて形だけ挨拶した子供は、少年を一瞥し、それから養い親を仰いだ。

 

「先生、もう行っていいですか」

 

「待ちなさい。せっかく年の近い子が来てくれたのだぞ。これから教皇のお側で暮らすのだそうだ」

 

「マニゴルドだ。よろしくな」

 

 悪童なりに素直に自己紹介したのに、相手は気に入らないとばかりにそっぽを向いた。アルバフィカにすれば、知らない外国語で話す子供など面倒だし、関わりたくないのだろう。

 

 少年もその態度にむっとした。

 

「そうかよ。女となんか仲良くしなくったって、俺だってべつに困んねえ。一人でお花摘みでもお人形遊びでもしてろ」

 

 それを聞くなり、アルバフィカはものすごい勢いで発言者に飛びかかった。イタリア語は分からなくても侮られたことは分かったようだ。

 

 向こう脛を蹴られ、少年はぎゃっと悲鳴を上げて飛び退いた。

 

「痛ってえ。なにすんだ、このガキ」

 

「誰が女だ。馬鹿。マニゴルドなんて変な名前のくせに。馬鹿、ばーか」

 

 真っ赤になって拳を繰り出す弟子に「こら、アルバフィカ」とルゴニスが肩に手を掛けて手元に引き寄せた。

 

 先方と同じく、ギリシャ語は分からなくても悪口を言われていることは分かる。売り言葉に買い言葉、悪童もやり返した。

 

「てめえこそアルバフィカなんて変な名前だろうが。泣かすぞ」

 

 その後は猥雑な卑語だらけで相手を罵るのを「止めんか」とセージが襟首を掴む。

 

 喚きあう二匹の子犬を引き離した大人たちは、溜息混じりに顔を見合わせた。

 

「済まぬ、魚座よ。見ての通り育ちの悪い小僧でな。躾はこれからしていくが、なにか粗相をしでかしたら、遠慮無く叱ってやってくれ」

 

「承りました。くれぐれも薔薇にだけはお近づけにならないよう」

 

「アルバフィカも済まなかったな。こやつにはよく言って聞かせるから」

 

「引っ張るなよクソジジイ。先に手を出したのはあっちだぞ」

 

 俺は悪くないという訴えを無視して、セージは少年を双魚宮から連れ出した。道すがら知らされた、アルバフィカが少女ではなく同性だという事実に、少年は衝撃を受けた。しばらくは黙ったまま手を引かれていた。

 

 宝瓶宮から白羊宮まで無人の十一宮を通り過ぎ、二人は聖域の中でも活気のある地区に入った。

 

 セージの姿を認めるなり人々は集い始め、こぞって挨拶した。彼らにとってセージは滅多に教皇宮から下りてこない雲上の人だ。

 

「教皇様!」

 

「猊下、ご視察ですか?」

 

 和やかな輪が、セージを中心に出来ていく。控えめに言っても彼は聖域中から敬愛されていた。先の聖戦で壊滅した聖域を立て直した中興の祖。数多の聖闘士やそれを目指す者にとっての慈父だった。

 

 不意に少年がセージの傍を離れた。誰一人注意を払う者のない子供は人の輪の外へ逃れ、注目を集めざるを得ない老人は人だかりに足止めを食らった。

 

 ようやくセージが少年を探しに行けたのは、その場が落ち着いてからだった。

 

 少年は闘技場を覗いていた。

 

 そこでは聖闘士や候補生たちが組み手をしていた。風に乗る綿毛のような身軽さで対手と戦う若者たち。拳一つで巨大な岩を砕き、蹴り上げる脚が空に唸りを上げる。年頃は様々で、まだ年端もいかない者から、屈強な青年までいる。しかもそれが体格差を気にせずに組み合っているのだ。なんとも奇妙な風景だった。

 

「こら、勝手に行くでない」

 

 背後から頭に乗せられた手の持ち主を、少年は振り返った。セージが期待したような熱は、まだその目に生まれていなかった。

 

「あいつら何で喧嘩してんの」

 

「喧嘩ではない。己の肉体を極限まで鍛え、小宇宙《コスモ》を使いこなすための修行よ」

 

「コスモ?」

 

 宇宙《コスモス》の調和《ハルモニア》の力は、小宇宙《ミクロコスモス》たる人間にも影響を及ぼすと、ある古代哲学者は考えた。ピュタゴラスである。

 

「小宇宙とは人の器の中で燃える宇宙の力だ。その力を高めれば、人は、人の限りをも超えることが出来る」

 

 首を傾げる相手に向かってセージは指を突き出し、薄い胸に押し当てた。呼吸に合わせて微かに上下するのは、少年が生きている証。

 

「おまえの中にも燃えている」

 

 胸に当てられた指先を見下ろして、少年は一歩退いた。つまらなそうに笑い、

 

「人を超えてどうなる? 神でも気取るかい」

 

と闘技場の若者たちを眺めやった。常人ではあり得ない激しさと破壊力を目の当たりにしても、感じ入った様子はない。

 

「おまえは私の言葉が冗談だと思っているな」

 

「だっていくら鍛えたって、どんなに強くなったって、あいつらは人でしかない」

 

 なぜと問いつつ、セージはその理由を察していた。そして少年は予想通りの言葉を口にした。「だって結局は死ぬだろう」と。人の死を直視し続けてきた者にとっては自明の理だった。

 

「もしかしたら、その小宇宙とやらを使えるようになれば不死になるって信じて、それで鍛えてるのかもしれないけどさ。でもあいつらもいつか死ぬ。どんなに足が速くても、死からは逃れられない」

 

 馬鹿だな、と幼いはずの者は溜息に似た笑いを漏らした。セージはその思い違いに首を振った。

 

「あの者たちも、不死になるつもりなどない。己がいつか死ぬことなど百も承知だ」

 

 それから集会所や神殿、闘技場など、主な施設を巡り、最後にセージは少年を聖域の外れへ連れて行った。

 

 そこは丘陵地だった。

 

 柔らかな風に丈の低い草がそよいでいる。青空に続く草の海には、石の小島が無数に点在している。穏やかな景色だった。

 

 二人は近くの丘に登った。丘の上で少年は辺りを見渡した。彼らの立つ場所の向こうには別の緑丘が連なり、同じように斜面が石で埋め尽くされている。そしてその向こうにも。

 

 どこまで続くのかと少年は尋ねた。

 

 いつまでも続くと老人は答えた。

 

 セージは腰を屈めて、手近にあった石の表面を撫でた。素っ気なく刻まれた文字は、歳月に晒されてほとんど読めない。石は墓標だった。「ここにあるのは歴代の聖闘士の墓だ」と彼は言った。

 

 雑兵や候補生の共同墓地は別にあるが、正式な聖闘士の墓標は全てこの丘に置かれている。生前の階級や功績に関係なく、墓標はどれも同じ大きさで、置かれた場所や向きは無秩序そのものだ。

 

 無数の墓標に囲まれながら、少年は平然としている。頭の後ろで手を組み、呆れたように言った。

 

「もう少し区画整理しろよ。これじゃ新しい穴を掘る度に古い骨が出てくるぜ」

 

「良いのだ。骨など埋まっていないのだから」

 

 骸のない墓。それは戦いに生きる聖闘士の最期がどのようなものであるかを物語っていた。草の海は虚ろな墓を抱いて、静かにまどろんでいる。

 

「そして墓標を立てるのは残された者たちだ。彼らは、我らは、先人たちの遺志を託されている。後に続く者たちに未来を託すことを迷わない。ここの墓標は、その想いを形にした物だ。メメント・モリ……人は必ず死ぬということを、聖闘士は常に覚悟している」

 

「どうだか」

 

 少年は老人の横にしゃがみ込んだ。

 

「どうせ死ぬ寸前にはそんな覚悟も吹っ飛ぶぜ。痛いのは嫌だ、死にたくないってあがくんだ」

 

「それはそれで仕方ない」

 

 振り向いた少年の頭に老人は手を乗せた。

 

「聖闘士が死を恐れないとは言わん。脆い肉体、たやすく堕落する魂。所詮は人に過ぎないというおまえの言葉は正しい。だからこそ死ぬ前に本懐を遂げようと、生きている間にもがくのだ。死を思うとは、すなわち、生を思うこと」

 

 アテナが人を慈しみ、守ろうとするのは、もがき苦しみながらも生きる力こそ、神にはない強さだと信じているからだ。生きる力、戦う力を追い求める聖闘士は、アテナの理想を体現する存在とも言える。

 

「小宇宙を高めれば人の限界を超えられると言ったのはな、マニゴルド。神に成り代われるという意味ではない。神にも立ち向かえるという意味だ」

 

 よく分からないと呟いた少年の頭を軽く撫で、セージは立ち上がった。足元で草が揺れた。

 

「さあ、戻ろう」

 

 帰り道、二人は再び十二宮を上っていった。主もなく衛兵すら置かれない建物は、古代遺跡そのものだ。女神の許に至る本道に、聖域の住人たちはおいそれとは近づかない。

 

「ここを守るのは、さっき会ったおっさんだけ?」

 

「ルゴニスは双魚宮の守護者だ。他に守護者がいるのは、獅子宮くらいだな。今は聖域の外に出ているが」

 

 守護者空位が多いのは平和な証なので、セージの声は明るい。

 

「こんな広々した場所じゃ守りにくいよ。もっと狭く作らなきゃ、すぐに大軍が雪崩れ込む」

 

 尤もらしく心配するので老人は笑った。

 

「我ら聖闘士の戦いは、おまえの想像する戦争のそれとはだいぶ異なる。銃弾も大砲も無意味だし、銃剣を持っての一斉突撃など神の矜持が許さんだろう。通用もせんが」

 

「じゃあどうやって戦うんだよ」

 

 セージは微笑んだまま「己の拳でだ」と答えた。

 

「殴り合い?」

 

「極論すればそうなる」

 

 真面目な顔で頷くセージに、少年は憐れむような目を向けた。

 

「そう呆れるな。拳と言えど岩を砕き、大地を割る威力を持つ聖闘士のそれに比べたら、火器など蚊に刺された程度にもならん」

 

 大袈裟な、と少年は肩を竦めた。聖闘士の力を知らない者の反応としてありふれたものなので、老人も気にしない。誇張でないことはそのうちに分かるだろう。

 

「この聖域を城砦たらしめるのは、石や鉄の城壁ではない。聖闘士だ。我ら自身が城壁となってアテナをお守りし、火箭となって敵を撃つ」

 

 そのためには平時であっても常に一定の数の聖闘士を育て、技能や知識を継承していく必要がある。神の加護を受けた敵と戦える人材は、戦が始まったからといってすぐに揃えられるものではないのだ。

 

「戦の勝敗自体は短期で決することもある。しかし次の戦いに備えて、我々はいつの時代であっても『聖闘士』を先人から受け継ぎ、次代に引き継いでいく」

 

「ご苦労なこった!」

 

 老人との話に飽きた悪童は、一言笑い飛ばして彼を置いていった。むき出しの細い脚が階段を駆け上っていくのを、セージは下から見上げた。

 

 長い長い階段の途中。今はまだ己の足は動き、階段を登り続けている。遠くない未来、その足が止まる時が来る。その時もきっと、あの子供は元気に上を目指していくだろう。未熟だった頃の己が先達に導かれ、やがて背中を押されて送り出されたように。

 

 彼は連綿と続く世代交代に思いを馳せ、いつもそうする時と同じように、目眩に似たものを覚えた。

 


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