【完結】師弟 ―蟹座の黄金聖闘士の話―   作:駱駝倉

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面倒な友人

 

 神官がちらちらと斜め後ろを気にしている。

 

 彼は教皇の前に立ち、翌月に控えた行事についての上申を行っている。当然、その顔は正面の教皇に向けられていた。しかし意識が時々逸れることまでは抑えられなかった。

 

 セージは神官の説明を聞き終えると、泰然と頷いた。

 

「良かろう。仔細は任せる」

 

「ありがとうございます。あの、猊下……」

 

 相手の言いたいことを察して、セージは部屋の一角を眺めた。ようやく神官もまともにそちらを振り返ることができた。

 

 二対の視線の先には、少年が床に転がっていた。窓から差し込む日の光の下、ぴくりとも動かない。教皇の執務室でそんなことをしでかすのは、無論マニゴルドしかいない。

 

「お弟子がお疲れでしたら奥へ運ばせたほうがよろしいかと存じますが、人を呼びましょうか」

 

「気にするな。あれは修行中だ」

 

「はあ。あ、いえ、申し訳ありません。失礼いたしました」

 

 神官が出ていくと、セージは机を離れて弟子の元へ歩み寄った。人の近づく気配にもマニゴルドは動かない。

 

 少年は眠っているわけではなかった。神官が入室する前に、肉体を置いて魂だけで黄泉比良坂に飛んでいた。しばらくは戻ってこないだろう。

 

 弟子の体は積尸気冥界波を受けてひっくり返った時のままだ。膝が折れ曲がって苦しそうな体勢だったので足を伸ばしてやる。部屋にあった膝掛けもついでに掛けてやった。丈夫な弟子のことだから床に転がっていても風邪を引くことはないだろう。ただ、こうしておけば神官を驚かせずに済むはずだ。

 

「世話の焼けることだ」

 

 セージは呟いて机に戻った。

 

 一時間ほどすると少年は唐突に甦った。途端に部屋が騒がしくなった。

 

「ただいま! ん、なんだこの毛布」体に掛かっていた膝掛けをはね除けて、弟子は師に食ってかかった。「お師匠ひでえよ。俺がお師匠の魂を引っこ抜く修行だろ? なんでいきなり俺を積尸気送りにするんだ」

 

「私は『こちらからは仕掛けない』と言った。やり返さないとは言ってない」

 

「そんなのずりい。お師匠の魂、根っこ生えてるみたいに重いのに、そこを狙われたら防げねえよ。何なのあれ。山を持ち上げてるくらい無謀なことしてる気がする。年寄りだから生への執着が意地汚いってことか?」

 

「腰の粘りが違うだけよ。要するに小宇宙の使いかたの問題だな」

 

 結局はそれか、とマニゴルドは頭を抱えた。

 

 そして次に頭を上げた時には話が違うところへ飛んだ。

 

「お師匠はさあ、神託とか予言とかって信じる?」

 

 セージは弟子の唐突な疑問にも静かに答えた。

 

「否定はしない」

 

 古代ギリシャには神託を授ける神殿があった。たとえばデルフォイやイピロスのドドナなどが有名だ。それらの神託所で下される予言は、恐ろしいほどの的中率を誇っていたという。

 

「神でさえ予言の実現を覆すことはできない。実現しなければ、それは発言者の願望でしかないからな。信じようが信じまいが、防ごうが無視しようが、成就する。それが予言だ」

 

 不吉な予言を無視して事が済むなら、トロイア戦争でのカサンドラの悲劇は起きなかっただろう。兄パリスがヘレネーをさらってきた時。敵軍の潜む木馬が市内に運び込まれた時。予知能力のあった彼女はこれらがトロイの破滅につながると抗議したが、誰も信じなかった。

 

 かといって回避しようとしても上手くいかないのが予言だ。たとえばティタン神族のクロノスは子供に権力を奪われるという予言を受けて自分の子供を全て飲み込んだ。けれどそのせいで子供たちの恨みを買い、息子のゼウスとその兄たちにティタノマキアで敗れた。

 

 またアクリシオス王は、娘の子供に殺されるという予言を受けて娘と孫のペルセウスを海に流したり、孫との接触を避けたりした。それでも最後はペルセウスの投げた円盤が頭に当たるという事故で命を落とした。

 

 聖闘士はそんな神話上の逸話をいくつも教えられる。そのせいもあって神託とは信頼できる忠告として受け止められていた。古くから聖域とつきあいのある神殿に聖闘士が神託を受けに行く行事も、その傾向を肯定している。

 

「シジフォスが射手座に就任した時にも、使者に立たせたことがあるぞ。どんな神託を受けてきたかは知らぬがな」

 

 実は、神託として使者が教皇宮に報告する言葉は予め決まっている。実際に神殿で下される言葉はその使者個人に宛てたものであることが多く、報告させて記録に残すと色々と差し障りがあった。そこで形式上の「神託」を用意しておくのだ。教皇と神官にとってはどんな神託を受けたかは些細なことで、神殿に行ったという事実があれば充分だった。

 

「神託の無視ってことになるじゃん。いいのかそれで」

 

「必要だと思ったら本当のことを報告しろとは言ってあるが、ほとんどの者は決まったことしか報告しない。それで問題も起きていない。だからいいのだろう」

 

 セージは弟子にそう説明した。彼が教皇になるより遙か以前からの習わしだから、問題ないと言い切ることに抵抗はなかった。

 

 いい加減だな、とマニゴルドは肩を竦めた。

 

「じゃあさ、もし俺が聖域に仇なす存在だって予言されたらお師匠はどうする? やっぱり殺すか」

 

 マニゴルドの口調は常と変わらぬ軽さだった。しかしその裏に何かを警戒しているような強張りが潜んでいる。空中に張った綱の上にこれから一歩踏み出しそうな緊張感。

 

 セージは慎重に答えた。

 

「予言がもとで迫害を受けることのないように、見張りも兼ねて手元で庇護してやろう。そして予言などあてにならないと誰もが思うように立派な男に鍛えあげてやる。おや、今とたいして変わらぬな」

 

 え、とマニゴルドは目と口を丸くした。それが面白くてセージは小さく笑った。

 

「大事が起きる時は他にも予兆がある。それと合わせて判断の参考の一つにするならいいだろう。だが予言を受けたからといって、それだけで人の処遇を判断するのは好ましくない」

 

「それは相手が俺っていう仮定だから? 予言を受けたのが雑兵とかだったら対応はどうなんだ」

 

「雑兵なら教皇宮へ召し抱える形で保護しよう。とにかく聖域に仇なすという不吉な予言を受けた者がいたとしても、下手に迫害して恨みを買うのは下策だ。相手の憎悪を煽れば、それが牙を剥く原因にもなりかねない」

 

 なんだ、と弟子は呟いた。ゆっくりと緊張が薄れていく。綱渡りは無事に終えたらしかった。

 

「しかしそのような不吉な例え話をするなど、いったい誰に何を吹き込まれたのだ」あるいはどこかでそう予言されたのか。

 

 彼の不安をよそに、マニゴルドは「べつに」といつもの気のない返事をするだけだった。

 

「不吉っていやあ、双子って聖域でも不吉なものなのか」

 

 もしそれが話を逸らすための言葉だったら、セージは弟子の問いを無視して話を戻しただろう。けれどマニゴルドの目を見る限り、予言と同じくらい重要な意味を持っているようだった。

 

「それはない。世間一般の迷信が聖域に及んでいる可能性は否定しないが、ディオスクロイ――双子座の象徴たる双子が忌み嫌われるはずがなかろう」

 

「じゃあ二人兄弟がいるとしてさ、片方は候補生として優秀だけど、もう一人は素質がないと早々に見切りを付けられたような場合は、駄目なほうを隠したりする?」

 

「素質の差か。それは……そうだな、神話には一人が神の血を引きもう一人は引いていない、父親の異なる双子というのが存在する。二組上げてみろ」

 

 この場合の神話とはもちろんギリシャ神話を指す。一組目はマニゴルドでもすぐに出てきた。ポリュデウケスとカストル。直前まで話題にしていた双子座のことだ。仲の良い兄弟だったことで知られている。ちなみに弟のポリュデウケスがゼウスの血を引いているということになっているが、二人ともゼウスの子という説もある。

 

「もう一組か……。えっとヘラクレスと何とか」

 

「それでは正答と言えぬ」

 

 正解はヘラクレスとイピクレスだ。兄ヘラクレスの父がゼウスである。こちらの兄弟仲は悪かったが、弟イピクレスの子はヘラクレスの冒険に同行し、相棒と言っても過言でないほど伯父をよく助けた。

 

「要するに持って生まれたものが違っていても、無理に差別しなくていいという考えだな。兄弟の間に蟠りができてしまうことまでは防げないが、こればかりは仕方ない。元々聖闘士というのは領地や家名とは違う、個人の力をもって認められるべきものだ。ゆえに聖闘士にとっては血縁よりも師弟関係の結びつきが重視される。素質がないほうは普通に雑兵になるだけだろう。兄弟だからといって特別視はされない」

 

「そっか」

 

 それで納得したらしかった。セージはそのまま弟子が胸に秘めているものを告げてくれるのを待った。けれどいくら待っても、予言や兄弟にまつわる話を打ち明ける気はないようだった。マニゴルドは右の人差し指に意識を込めてこちらの様子を窺っている。このまま待っていても弟子は冥界波を仕掛けてくるだけだろうし、そうなれば自分は反撃せざるを得ない。

 

「マニゴルド」

 

「なに」

 

 すっかり気を切り替えてしまった弟子の返事は短い。

 

「私とて、世界中に散る聖闘士や聖域の全ての住人のことを一から十まで把握しているわけではない。むしろ天上の星々にばかり目を向けているせいで、足元の星には気がつかないまま蹴飛ばしてしまっているかもしれない。だから気のつく弟子が一言声を掛けてくれるとありがたいのだがな」

 

 相手は迷った。けれど折れなかった。

 

「お師匠には悪いけど、この件に関しちゃ俺からは話せねえよ。誰にも喋らないって約束してんだ。本人が喋るなら別だけど」

 

 セージは微笑みかけた。そのとき「隙あり!」と叫んでマニゴルドが右の人差し指を彼に向けてきた。しかし不意打ちにすらならない。彼は即座に弟子の魂を積尸気に送った。

 

 再び静かになった執務室で、セージは一枚の書類を手に取った。双子座の黄金聖闘士になる予定の者についての報告書だ。半分以上は形式的な文章で、意味のあるのは生年月日、出身地、両親の名前や家系、せいぜい本人の特徴程度だ。十代前半の少年の経歴が長々と書かれることはない。

 

 候補生になってからはアスプロスと名乗っている少年。彼は幼い頃に素質を見出されて聖域に迎えられたという。自分にも他人に厳しい傾向があるが、目下の者への気配りや面倒見の良さは評価されている。また、常に明確な目標を立ててその達成に邁進することを好んでいる。周囲の人間の才能を見抜いて目標達成へと導く、指導者向きの性格である――と、報告されていた。ただし報告者は彼を育ててきた聖闘士だから、親の欲目もあるかも知れない。寸評は話半分に聞いておいたほうがいいだろう。

 

 ちょうど弟子が起きてきたので聞いてみた。

 

「アスプロスという候補生を知っておるか」

 

 マニゴルドは驚いた顔をした。それから警戒したようにゆっくりと頷いた。そのまま彼の目はセージの手にある書類に向けられた。セージはそれを軽く掲げてみせる。

 

「黄金聖闘士になる者についての調べだよ。聖闘士から見た姿と、同じ候補生から見た姿は違うかも知れぬ」

 

 その説明でやっと合点がいったらしく、警戒を解いた。

 

「ああ、そういえばハスガードのことも聞かれたっけ。あの時は俺どんなこと答えたかなあ」

 

「『体と声が大きくて甘い物が好き』と言っていたぞ」

 

 覚えてないな、とマニゴルドは腕を組んだ。

 

「アスプロスは……凄っげえ負けず嫌い。候補生の間じゃ厳しいけどいい先輩って感じで受けはいいけど、あいつ本当は他人に説教して優越感浸りたいだけだぜ。俺にはその手が効かないから、ボロクソ貶してくるもんよ」

 

 口ではそう言いながらも、マニゴルドの声は楽しそうだ。ほう、とセージは相槌を打った。アルバフィカ以外にも親しくしている候補生がいるようで何よりだった。

 

「お師匠。その報告書ってアスプロスの家族のことも書いてあったりする?」

 

「ああ」

 

「兄弟のことは書いてあるか? 一緒に聖域に連れてこられた奴はいないのかな」

 

「その手の記述はないな」

 

 弟子の肩が僅かに落ちた。それをごまかすように、身を屈めて床の膝掛けを拾う。

 

 セージはその姿を見つめた。ここまであからさまに手がかりを示されては無視もできない。マニゴルドが先ほど気にしていた兄弟の件はこの双子座の候補生に関わる話なのだろう。おそらくは予言についても同様だ。候補生同士の気安さで、指導者さえ知らない秘密を打ち明けられたのかも知れない。

 

 彼は弟子を呼んだ。ちょうど膝掛けを畳み終えた弟子は顔を上げた。

 

「称号を授ける前にアスプロスを引見するつもりだ。日が決まったら指導者経由でそのことを伝えるが、おまえからも伝えてほしい。これは二人きりの非公式な場になると」

 

「それって」

 

 マニゴルドは言いかけて、口を噤んだ。

 

「それとおまえが気にしていた予言のほうもだ。教皇に直接打ち明けるのは気が進まぬかも知れないが、秘密と身は守ると伝えてくれ。こみいった話なら手紙でもいい。おまえが仲介してくれ」

 

「了解」

 

 そう言って弟子はニッと笑った。

 

          ◇

 

 次の日、マニゴルドは双子座の聖闘士候補に声を掛けた。

 

 二人は闘技場の隅の、周囲に人のいない場所に移った。教皇の弟子は師の意向を伝える。

 

「そのうちジジイがおまえを呼びつける。おまえの師匠を挟まないで話ができる機会だから、デフテロスのこと話しちまえよ」

 

「なぜ」

 

「俺が相談してみたんだ。もちろんおまえたちのことだっていうのは伏せて」

 

 彼はセージと話した時のことをアスプロスに伝えた。凶星とされる存在がいることを知っても、教皇に迫害するつもりはないこと。むしろ迫害されないように教皇宮に引き取るつもりがあること。

 

「だから双子座の黄金聖闘士になるのを機会にさ、ジジイにデフテロスのことを打ち明けてみてもいいんじゃねえかな。なあ、そうしろよ。悪いようにはならないと思うぜ」

 

「猊下はおまえの前だからそういうことを仰ったんだろう。教皇として同じ判断をされるとは限らない。なぜ今まで隠していたのかと責められるほうがあり得る」

 

「話すつもりはないと」

 

「当たり前だ」

 

 マニゴルドは口をへの字に曲げた。なぜセージが正式な通達ではなく弟子を使って非公式に伝えたのか、この外面ばかりいい候補生はまるで分かってくれていない。このままでは弟子を信じて仲介役を任せてくれた師に申し訳が立たない。

 

「うちのジジイはそんなことじゃ怒らねえよ」

 

 彼は反論し、それでも足りずに言葉を継いだ。

 

「どうせ薄々勘付いてるだろうから言うけどな、俺は聖域に来る前にも人を殺してる。だけどお師匠に昔の殺しで責められたことは一度も無えんだ。そうしなきゃ俺が生き延びられなかったってお師匠も知ってるから。生きるために殺すことを許してくれるんだ、生きるために隠すことだって許してくれる」

 

「しかし凶星という予言まで見逃してくれるとはとても思えない。イサクはずっとそう言っているし、デフテロスもそう思っているはずだ」

 

「おまえが黄金位になれば、その師匠よりも格上だ。言いつけに従わなくてももう怒られないだろうに」

 

「あの男を師匠と仰いだつもりはない」

 

「なんでもいいよ。それにおまえが双子座になったらデフテロスはどうするんだ。あの掘っ立て小屋でそのままか? 飯は誰が世話する。黄金聖闘士になっても隠し牢の囚人に食事を運ぶ係を続けるなんて、周りが許さねえぜ」

 

「双児宮に引き取るさ。今よりはましな暮らしをさせてやれる」

 

「不自然だそんなの。弟が堂々と暮らせる場所を作るのがおまえの目標なら、弟がいるってことを周りに認めさせるのが先だと思わねえのか。ジジイが保護してくれるって言ってんだしさ」

 

「だから弟を教皇に引き渡せというのか? 人質に取られるようなものだ。ますます信じられないな」

 

「じゃあせめてデフテロスを隠すのくらいは止めれば」

 

「誰が敵かも分からないのに公表できるか。デフテロスの食事を用意してもらってるのだって、いもしない囚人のためだと偽っているんだぞ。そこまでしなければならない現状なのに、周りに知らせるなんて危険すぎる」

 

 信頼した者に裏切られて死にかけたという痛手はまだ癒えていないようだ。アスプロスの疑心は根深い。長年積もりに積もった不信は、一陣の風くらいでは吹き飛ばない。

 

「でもよ」

 

「Cave quid dicis, quando, et cui. ――何を、いつ、そして誰に言うかに注意せよ」

 

 アスプロスはラテン語の格言を持ち出してマニゴルドを黙らせた。

 

「おまえは猊下の目の届く所で庇護されているから分からないんだ。たとえ俺が聖闘士になっても暮らしの中心は双児宮だ。猊下の庇護の翼は届かない。それにシジフォスのように外部任務に出ることになれば、その間デフテロスを守れる人間はいない。帰還したら弟の死体が出迎えてくれた、なんて俺はご免だ。デフテロスのことを公にするなら、不吉な予言のことなんて綺麗さっぱり消え去った後でないと」

 

 相手は当事者だ。その言い分を否定するのはマニゴルドには難しい。だから矛先を変えた。

 

「なら、おまえ自身は予言のことどう思ってんだ」

 

 それは双子を縛る予言を知った晩から疑問に思っていることだった。

 

 最強の聖闘士になれると予言されたなら、自分なら嬉しいしそれを信じたくなる。けれど同時に、己の半身が災いを呼ぶ存在だと予言されたなら、それも信じなければいけないだろうか。そもそも予言は「双子のうち一人は凶星の下に生まれる」というものだ。もう一つの予言の対象とは別の人間について言及しているとは限らない。最強の聖闘士になれると同時に凶星である、という可能性だってあるはずだった。

 

 また逆にアスプロスが凶星で、最強の黄金聖闘士がデフテロスを指しているという可能性もあっただろう。もっともアスプロスが双子座になると内定した今、その可能性は消えたが。

 

 アスプロスは答えた。

 

「俺は信じない。俺たちは予言のために生きているんじゃない。だから聖闘士の称号を授かるのも俺の力が認められてこそだと思いたい」

 

「最強の聖闘士になれるっていうほうな。もう一つの予言は?」

 

「あれは嘘だ。あんな虫も殺せない優しい奴が凶星のはずない」

 

 あっそう、とマニゴルドは呟いた。

 

 彼は闘技場のほうを眺めた。聖闘士が候補生たちを指導している。

 

「だからっておまえ一人が頑張る必要ねえと思うけどなあ。弟を守るって言うけど、具体的には何からだよ」

 

「凶星という予言を真に受けてあいつをいたぶる連中からだ」

 

 イサクと親しい数名の雑兵は、デフテロスの存在を知っている。そして彼らはデフテロスが公に出られない立場なのをいいことに、覆面の少年を虐げては憂さ晴らししている。凶星だからそれなりに扱うべきだと考えているイサクはまだいい。むしろそれに便乗している無責任な彼らのほうが厄介だった。

 

「修行を禁じられてるにしてもさ、男なんだから自分の身は自分で守らせろよ」

 

「あいつに強くなれと?」

 

 アスプロスの目に怯えが過ぎった。しかし瞬きをした後にはもう消えていた。マニゴルドはおろか、本人すら気付かなかった。

 

「俺たちのことを考えてくれるのはありがたいが、マニゴルドは何もしてくれなくていい。あまり引っかき回してくれるようなら、おまえも敵だと思うからな」

 

「敵か味方かなんて、白黒はっきりつく人間ばっかじゃねえぞ」

 

「それは忠告か? とにかく、この話は終わりだ」

 

 双子の兄は彼の肩を叩いて闘技場を去った。

 

 その背中に向かってマニゴルドは思いきり舌を出した。

 

 

 教皇宮に戻った少年は一部始終を報告した。

 

 あまり色よい反応は得られなかったと伝えられても、セージは気にしていなかった。

 

「話は変わるが、前に帳簿を調べさせた時、おまえは聖域の収入源について尋ねたな」

 

「え、うん」

 

 金の使い道を調べていたら、その財源も気になるのは当たり前だと少年は思う。俗世からの依頼を受けて聖闘士が動いた報酬が、収入源の一つとしてあることは漠然と知っていた。しかし世界中に聖闘士の散る現体制を維持するには、他にも安定した収入が要るはずだった。聖域の内側を見ても、自給自足でやっていけるだけの農地はない。どこから収入を得ているのか、帳簿を見るだけでは今ひとつ判らなかった。

 

「先ほど神官長との雑談でそのことを話したら、候補生の身でそこまで考えの回るのは珍しいと言われたぞ。ついでに現場を見せてやったらどうかと勧められた」

 

「現場?」

 

「雑兵では手に負えずに聖闘士が出向く用事があるから、それに随行させてもらえ。おまえの見識を広げる役に立つだろうから」

 

「いいけど、アスプロスの件は?」

 

「そちらも進めておくから気にしなくていい」

 

 逃げ道を断たれるともう少年は従うしかなかった。おそらく神官長は、教皇が日中も執務の傍ら弟子に修行を付けるのが目障りだったに違いない。特に冥界波を食らっている間は執務室で眠り込んでいるように見られているらしく、気付くと睨まれていることが多かった。だから老人をおだてて一時的にも追い払うことにしたのだろう。

 

 あの髭め、とマニゴルドはその場にいない人物に恨みをぶつけた。他人が近くにいる時は冥界波を使ってはいけないという師弟の決まりを「うっかり」破って、神官長の魂を引き抜いてやろうかと一瞬だけ考えた。師に叱られるから実行するつもりはなかったけれど。

 


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