【完結】師弟 ―蟹座の黄金聖闘士の話―   作:駱駝倉

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舞踏の歌
無題、あるいは死


 

「おい見てみろよ、あれ」

 

 語らっていた候補生たちの一人が道の向こうを指差した。マニゴルドもそちらを見た。見慣れぬ二人連れが歩いている。

 

 一人は髪も髭も伸び放題の、吹けば飛びそうな老爺。ぼろを纏っているだけでなく、本人の肉体が朽ちそうだという意味でもまるでぼろきれだ。それに手を引かれている子供は、身なりこそまともだが生白くひ弱な感じがした。二人揃って聖域では浮いている風体だった。

 

 しかしそう感じたことにマニゴルドは舌打ちした。自分も聖域に入った時は薄汚い浮浪児に過ぎず、連れてきたセージは上品な旅装だった。見た目で判断するなど傲慢もいいところだ。

 

「新しい候補生かな」

 

「それを連れてる乞食みたいな爺さんは何だよ」

 

「昔の雑兵が孫を連れてきたんだろ。行ってみようぜ」

 

 少年たちは刺激に飢えている。蚊の群が人に集るように二人連れを取り囲んだ。仕方なくマニゴルドも二人を囲む輪の近くまで寄った。

 

 彼がセージに連れられて聖域に入った時は、すでに日も暮れて屋外に人はいなかった。しかし今は日中で人目を避けることは難しい。もしあの時も今と同じ時間帯だったら、きっと大騒ぎになっていたに違いない。

 

 想像してうんざりしたマニゴルドをよそに、候補生たちは嬉々として尋問を始めた。

 

「おい爺さん、どこに行く気だ」

 

「教皇に謁見する」老爺は枯れ木を抜ける風のような声で答えた。ひどく聞きづらい。

 

「あんた聖闘士かよ。雑兵だったんなら謁見なんて無理だぞ。そのガキを候補生にするだけなら謁見なんてしなくていいんだ」

 

「教皇に話がある。通してくれ」

 

「でも見るからに怪しいしなあ。怪しい奴をこの先に通すわけにはいかないなあ。通りたければ俺たちを倒してくって手もあるぜ」

 

 老爺と手を繋いでいる子供は周りを見回した。年上の少年たちに取り囲まれても不安がる様子はない。歩き疲れて苛立っているだけだ。しかしマニゴルドを見た瞬間に、連れの背中に隠れるように後ずさった。

 

「だいたいあんた本当にアテナ軍の味方なのかよ。子供連れて油断させようとした敵かも知れねえ。それともこいつがハーデスの依り代か?」

 

 誰かが物騒なことを言い出し、一同は色めき立った。もしそんなことになれば、聖域は敵の侵入を許したことになってしまう。

 

 マニゴルドはようやく口を挟んだ。

 

「おまえらその辺にしようぜ。俺たち候補生がぐだぐだ言ったところでしょうがねえよ。上に任せようぜ」

 

「上って?」

 

「十二宮の番人だよ。シジフォスは留守だけどさっきハスガードの奴はいたから、教皇に謁見させてもいいかはあいつに判断させりゃいい。それが仕事だろ」

 

「でもそこまでこの二人だけで行かせるのか」

 

 候補生たちは顔を見合わせた。金牛宮までとはいえ、不審者が十二宮を上るのを見過ごすことに抵抗があったからだ。

 

「じゃあいいよ。俺が見張りについてく」

 

とマニゴルドは請け負った。面倒だが仕方ない。候補生の身で十二宮の通行を許されているのは彼だけだった。友人たちは渋々ながら承諾した。老爺も受け入れた。

 

「嫌だ!」

 

と疳高い叫び声が上がった。子供がマニゴルドを睨んでいる。

 

「おまえはいやだ。近くに来るな」

 

「おお。嫌われたなマニゴルド」候補生の一人が苦笑した。「なんでこの兄ちゃんが嫌なんだ、坊主」

 

 他の者も呆れ笑いを浮かべている。幼い者に特有の理由のない反発だろうと、誰もが想像していた。

 

「だって死に神みたいだ」

 

 周囲が気まずさに固まった。かたや言われた本人は改めてうっすらと笑いを浮かべた。

 

「坊主、よく判ったな」

 

 マニゴルドは死と親しい。

 

 長く亡霊を遊び相手としてきた彼の身には、死の気配が馴染んでいる。無意識に発せられるそれを正しく「死」だと理解できる生者は、俗世にほとんどいなかった。せいぜい敏感な者が「暗い井戸の底を覗いているような気分」や「直視したくないのに目を逸らせない何か」を感じるだけだ。

 

 それさえも、少年が快活な態度で接していれば忘れられる程度のものだった。幸か不幸かそれを本能で理解していたマニゴルドは、陽気な性格に育った。

 

 彼と同じ事情は、積尸気使いとして熟練したセージやハクレイでさえも抱えている。だからハクレイは豪放磊落で破天荒だ。死と正反対の性質へ周囲の目を向けさせるという意味でマニゴルドと似ている。一方でセージは穏やかさで死の気配を包みこみ、ある種の慈悲を感じさせている。教皇となってから加わった威厳もそれに一役買っている。

 

 いずれも周囲の目をごまかしているのだが、彼ら自身はとくに意識してのことではない。あくまでも性格形成の一部として、自然に培われたものだ。

 

 おかげで敏感な者の多い聖域でも、これまでとくに問題は起きなかった。

 

 初対面でマニゴルドから死の匂いを感じた者は、その後の本人の態度にそれを忘れる。感覚の鈍いうちに彼と知り合った者は、そもそも死の気配に気づかない。あるいは何かの瞬間に察しても気にすることがない。警戒するような敵ではないとすでに知っているからだ。

 

 前者は小宇宙に目覚めて戦いに身を投じた聖闘士に、後者は一般人と変わらない候補生仲間や雑兵に多かった。

 

 しかし今、マニゴルドの為人を知らないままに死の匂いを感じ取った子供は、真っ直ぐにそれを指摘してしまった。未来の聖闘士候補に選ばれるだけの感覚の鋭さを持っているのだろう。

 

「ガキのくせに判るなんて、おまえ死にかけたことでもあんのか」

 

「うっせえ話しかけんな馬鹿」

 

 子供はますます警戒して老人の背中にしがみついた。枯れ木のような老爺はマニゴルドに詫びた。

 

「私の連れが失礼なことを言って済まない。おまえは積尸気使いか。いや、答えなくていい」

 

「隠してるわけじゃねえからいいよ。そうだよ。俺も俺のお師匠も積尸気使いだ」

 

 なにそれ、と候補生の一人が隣に囁いた。知らねえ、と聞かれたほうも首を傾げる。

 

 老爺は子供に、「安心しろ。彼はおまえの死に神ではない」と語りかけた。それでも子供は嫌だ嫌だと駄々をこねていたが、後ろからマニゴルドが蹴飛ばすふりをすると渋々連れに付いて歩き出した。

 

 十二宮の階段手前まで行くと、子供は地べたに座り込んだ。

 

「もうやだ。疲れた。歩きたくない」

 

 ギリシャに来た日に港から教皇宮まで歩かされたマニゴルドにしてみれば、甘えたことを抜かすなと怒鳴りたい気分だ。子供はあの頃のマニゴルドと同じ年頃でも、老爺の足取りはセージに比べれば亀の歩みだ。遙かに楽なはずだった。置いていけばいいという野次馬兼見送りの提案に乗ることにした。

 

 老爺は首を縦に振らなかった。教皇に謁見を求めたのはこの子供に関わる用件のためだという。マニゴルドは溜息を噛み殺した。

 

「ごちゃごちゃ面倒臭せえ。じゃあ爺さんをハスガードのところまで連れてく。その後でまた迎えに来るから、坊主はそれまでに覚悟しとけ。死神の迎えが来る前に自分で階段上ったほうがいいぞ」

 

「いやだぁ!」

 

 子供の悲鳴に苛々と笑う。周りのつられ笑いの中、マニゴルドは老爺と共に階段を上り始めた。

 

「あの坊主は爺さんの弟子? 孫?」

 

「弟子では、ない。が、縁あって病を、治してやって、な」

 

「もう息上がってんぞ。年寄りが無茶すんな」

 

 枯れ木のような老爺を背負う。階段下から仲間たちが「さすがの敬老精神」と茶化すので睨んでおいた。

 

 軽かった。

 

(うちのジジイとは大違いだ)

 

 将来はセージも痩せ衰えて軽くなるのだろうか。マニゴルドには想像しようとしてもまったく想像できなかった。

 

 金牛宮の前で老爺を下ろすと、彼は元の場所に取って返した。子供は一番目の白羊宮に続く階段の途中で突っ伏していた。

 

「情けねえ奴」

 

とマニゴルドは遠慮無くせせら笑った。しかし病み上がりなら、一人で階段を上がろうとした根性だけは誉めてやるべきかと思い直した。

 

「ほら行くぞ。俺に触るのが嫌なら、箒か棒きれ借りてきてやるからそれに掴まるか」

 

「……いい。引っ張れ」

 

 子供はふて腐れた態度で手を差し出してきた。マニゴルドが手を掴むと一瞬身を強張らせたが、すぐに慣れて「やっぱり背負え」と当然のように要求した。求めれば与えられてきた者の強みだとマニゴルドは感じた。

 

 金牛宮に着くと空気が冷えていた。雰囲気が、ではなく気温そのものが低い。いったい何があったのか。不思議に思いながら足を踏み入れる。すると大柄の若者が小柄な老爺の前に膝を屈しているのが目に入った。

 

 ハスガードがマニゴルドのほうを引きつった笑顔で振り返った。聖衣の表面になぜか霜が付いていた。

 

「おまえ……。なんて人を連れて来てくれた」

 

「あれっ。通しちゃまずい爺だった?」

 

「逆だ、逆。ここからは私もお力添えいたします。どうぞ」

 

 敬意を込めて老爺を背負ったハスガードと、子供を背負ったマニゴルドは、やや足早に十二宮を上り始めた。

 

 そして階段を抜けた先の教皇宮。正面入口前に教皇がいた。

 

 牡牛座の背から下りた敝衣蓬髪の老爺が口を開く。「しばらくぶりでございますな、猊下」

 

 豪華な刺繍入りの法衣姿で、教皇は丁寧に挨拶を返す。「お久しゅうございます。聖域に入られたとお伝え頂ければ、私のほうが伺ったものを」

 

「たかが一介の老兵風情に教皇が気を遣われますな。なに、私も久方ぶりに十二宮を歩いて見て回りたかったのです。しかし心の臓がくたびれましてな。結局この若人の手を煩わせることになってしまいましたわ」

 

「ご無理をなさいますな、クレスト殿」

 

 マニゴルドにもどこかで聞き覚えのある名前だ。記憶を辿れば、たしかセージの先輩格にあたる水瓶座の黄金聖闘士がそういう名前だったはずだ。ハスガードもセージも気を遣うわけである。

 

 教皇と元水瓶座、その連れの子供が教皇の間へ向かうのを若い二人は見送った。

 

 面会がどれくらい掛かるかは分からないが、用が済めばクレストと子供は山の麓まで下りていくことになる。このまま待っていようとハスガードに誘われた。

 

「あの二人を帰りも送らないと。そう嫌な顔をするな。クレスト様には下りこそ大変だろうからな。あの方がどういう方か、マニゴルドは知っているか」

 

「昔の水瓶座だろ。お師匠より年寄りってことなら知ってる」

 

「そうだ。さっきのやり取りを見ただろう。立場は教皇が上でも、猊下は年長者に敬意を示されたんだ」

 

 そっか、とマニゴルドは呟いた。ハスガードがさりげなさを装って「おまえも立場上は俺に敬意を示すのが礼儀だと思う」と言っていたが、それは聞き流した。

 

「全然関係ねえけど、ちょうどいいや。俺の知り合いが飛魚座《ボランス》になる最後の試練で外に行くんだけどよ、行く前に黄金位にあやかりたいって言ってた。あんた協力してやってくんねえか」

 

 聖衣か聖衣箱に触りたいそうだと伝えると、快く引き受けてくれた。

 

「おまえも大概面倒見の良い奴だな、マニゴルド」

 

「俺が?」おまえに言われたくない、と少年は声を高めた。

 

「友達のこともいいが、自分の修行はどうなっている。天馬星座は獲得できそうか」

 

「興味深い話をしているな」

 

 唐突に割って入ってきたのはアスプロスだった。

 

「マニゴルドの守護星座の話は初めて聞く。おまえみたいな奴にも天佑があるとは、物好きな星座もあるものだな」

 

「うっせえ。いきなり出てくんな」しっしと虫を追い払うように手を振る。

 

「それが黄金位に対する候補生の態度か」

 

 そうだそうだ、もっと言ってやれアスプロス、とハスガードが口を添えた。

 

「てめえだって候補生の頃にシジフォスやハスガードにため口利いてたくせに偉そうに。だいたい何で上にいんだよ、おまえ」

 

 そう問われると若き俊英は得意げな顔になった。

 

「神官から職掌について聞いていたんだ。黄金聖闘士になった以上、聖域のことは把握しておきたいから」

 

「真面目だなあ」とハスガードが感心した。

 

「言っとくけど神官にゴマすっても聖域は牛耳れねえぞ」とマニゴルドは吐き捨てた。

 

「べつに彼らに阿るつもりはないさ。それよりおまえの守護星座が天馬星座というのが本当なら、アテナが聖域に入られるのと同時に称号を与えられるかも知れないぞ。今のうちにしっかり修行しておけ」

 

「ちょっと待てよ」

 

 慌ててマニゴルドは手を上げた。勝手に話を進められては困る。

 

「本当のところはどうだか知らねえよ。色々考えたらそれが一番ありそうっていうだけで、お師匠は何も教えてくれねえんだから」

 

「何も?」

 

「それでも説得力はあるだろう。なあ、アスプロスもそう思うだろう」

 

 ハスガードに水を向けられ、アスプロスは拳を口元に当てる。その拳を放した時の表情は浮かなかった。

 

「……俺もハスガードもシジフォスも、かなり早い時期に何座の候補かということは聞かされていた。自覚を持たせるためだと思う」

 

 守護星座は生まれた時から決まっているから、修行の進み具合とは関係なく教えてもらえると、アスプロスは言った。もちろん例外はある。守護星座が複数あって、どの星座の天佑を受けるか本人の適性を見ながら考えるような場合だ。ただし天馬星座の聖闘士になる者がそうだった前例はない。生まれた時から一本道だ。だから公表するかどうかは置いても、本人にまで伏せる理由はない。

 

 アスプロスはそう述べると最後に付け加えた。

 

「不吉な予言を受けていて、それを揉み消したいと猊下がお考えでない限りはな」

 

「おい」

 

 マニゴルドは思わず咎めた。アスプロスの事情を知らないハスガードが不思議そうに二人を見やっている。

 

 冗談だよ、と双子座はつまらなそうに笑った。

 

「あくまでも俺の考えだ。猊下のお心など俺ごときが分かるわけないじゃないか」

 

 そうして、用事があるからと立ち去っていった。

 

 やがて小一時間も経った頃、教皇の間の扉が開かれた。マニゴルドが中に呼ばれ、玉座の教皇から改めてクレストへ紹介された。

 

 どうも、とマニゴルドは軽く挨拶する。普段ならそれで終わりだ。しかしこのとき少年は真面目に仕切り直した。

 

「教皇セージの弟子のマニゴルドと申します。偉大な先達の方とも気づかず、先ほどは大変無礼な物言いをいたしました。同輩の分も合わせてお詫び申し上げます」

 

 これには挨拶を受けた本人ではなく、教皇が驚いていた。マニゴルドは内心で腹を立てた。黄金聖闘士の二人から態度のことで言われた直後だったから、先輩の前で師の面目を潰さないように気を遣ったのだ。なのにセージ本人に無駄にされた気分だった。もう礼儀なんか知るもんか、とへそを曲げる。

 

「謝る必要はない。見知らぬ人間の侵入を警戒するのは闘士として正しい。こちらこそ負ぶって運んでくれて助かった。おまえからも礼を」

 

と、クレストは相変わらず聞き取りにくい声で傍らの連れに促す。子供は腕を組んでそっぽを向いた。

 

「やだね!」

 

 この反抗的な態度。マニゴルドは子供にうんざりした。目を逸らすと、なぜか彼を見ていたセージと視線がかち合った。セージの目は笑っていた。

 

 クレスト翁だけは淡々としている。

 

「良いお弟子をお持ちになりましたな、猊下。積尸気使いの後継も決まり、聖域は安泰でしょう。後は頼みます」

 

 それで終わりとばかりに出口のほうに体を向けた。セージは引き留めようとしたが、修行地に弟子を残して来ていると聞いて引き下がった。

 

 ハスガードに付き添われてクレストは退室した。

 

 マニゴルドは残された子供に近づいた。子供は広間の中央に根を生やしたように立ち尽くしている。老人が出ていっても追いかける素振りはなかった。

 

「お師匠、こいつは? ジイさんの弟子のアンジェロって奴か」

 

「クレスト殿の弟子の名はデジェルだ。後半の響きしか合っていないではないか。そしてこの子はデジェルではない。これから聖闘士を目指す者として聖域で過ごすことになる、おまえの仲間だ」

 

 子供が憎たらしく鼻を鳴らした。

 

 下の宿舎まで連れて行ってやれとセージから言われたので、マニゴルドは新しい後輩を連れて教皇宮を出た。見下ろせば山腹をうねる長い階段。先に下りていったはずのハスガードたちの姿はもう見えなかった。

 

 二人は階段を下り始めた。

 

「宿舎かあ。寝台が柔らかいといいなあ」

 

「そんなことよりマシな指導役に当たるように祈っとけ。面倒な奴に当たると、どっかの奴みたいに性格ねじ曲がるから。俺みたいに口うるせえジジイが師匠ってのも大変だぜ」

 

 候補生に対しては、素質を見出した聖闘士がそのまま指導者となることが多い。しかしこの子供を連れてきたクレストは指導を辞退して去った。そこで聖域側のほうで改めて適切な指導役をつけてやる必要がある。

 

 マニゴルドはそう見たが、まだ聖域の体制を知らない子供には他人事だった。無邪気な、そして傲慢な幼さで口にする。

 

「要らねえよ指導役なんて。だってさっき上にいた、なんかズルズルの服着た偉そうな爺さんのことだろ。アタマ固そうだったし、その上口うるさいなんて、冗談じゃねえ」

 

「心配しなくてもあのジジイがおまえの指導をすることはねえ」多分、と心の中で付け加える。

 

 一度に指導できる弟子は一人きりという掟はないから、セージが新しい弟子を取らないという保証はない。少なくともマニゴルドの立場では断言できなかった。子供は口を尖らせて不満を示した。

 

「なんでだよ。おまえさっき『お師匠』って呼んでたじゃんか。これから仲間って言ってたし、だから俺の師匠でもあるんだろ」

 

「どういう理屈だこのガキ。てめえみたいなおとうと弟子は要らねえ」

 

「じゃ俺があに弟子か」

 

「階段から突き落としてやりてえ」

 

 子供を候補生用の宿舎まで連れて行き、すでに連絡を受けていた舎監代わりの雑兵に引き渡す。マニゴルドの役目はそれで終わりだった。

 

 教皇にそのことを報告すると、セージはやけに上機嫌な様子で彼の対応を誉めてくれた。マニゴルドは却って不安になる。

 

「もしかしてお師匠はあのガキを弟子にするのか? 本人はそのつもりだったぜ」

 

「無茶を言うな。おまえだけで手一杯だ。それとも弟分が欲しくなったか」

 

「違げえよ」

 

 弟子の内心を見透かしたように師は微笑んでいた。

 

 

 翌日、件の子供は年上の候補生に絡んでいた。「俺と戦え!」と腕を引っ張られている側はうんざり顔だ。

 

「遠慮する。小宇宙を体得したら相手してやるよ」

 

「聖闘士は戦うのが仕事だっておまえ昨日言ったじゃないか。なんで俺と戦わねえんだよ」

 

「俺は忙しいんだ」

 

 あしらっているのはマニゴルドと仲の良いユスフだった。遠巻きに見物している友人に気づいて「おう」と手を上げる。マニゴルドも同じように返した。

 

 するとユスフの腕に子供が噛みついた。突然のことに彼は叫び、自由な片手で払いのけた。弾かれた子供が宙を飛んで地面に落ちる。

 

 マニゴルドはなかなか起き上がれないでいる子供に近寄り、脇にしゃがみ込んだ。

 

「止めとけクソガキ。相手にされねえのは、おまえが弱いからだ。病み上がりなんだろ。元気になって嬉しいのは解るけど、今の状態で勝負しろってのはある意味卑怯だぞ。こっちが弱い者苛めしてるみてえじゃねえか。大人しくしてな」

 

「いやだ。大人しくするのはもう飽きた。我慢するのももう飽きた。ここに来れば俺も普通に跳んだり走ったりできるようになるって言われたんだ」

 

 聞けばこの子供は生まれつき心臓が悪く、これまで体を動かすこともなかったという。

 

 そんな者に聖闘士の修行をさせていいのか、と年長者二人は顔を見合わせた。

 

「これからは俺のやりたいことをやる!」

 

 それが捨て台詞だった。掴んだ土をマニゴルドに投げつけて、子供は走り去っていった。

 

 腕に付いた歯形を擦りながらユスフがぼやく。

 

「あー痛ってえ。躾の悪い犬みてえ。どっかの誰かを思い出すなあ、おい」

 

 マニゴルドは首を捻った。自分はあそこまで酷くなかった。

 

「やっぱり自覚なかったんだな。殺すつもりで組み手の相手を潰しにくる。指導役の言うことにいちいち反抗する。都合が悪くなるとギリシャ語が分からないふりをする。基礎訓練に参加しないで怠けてるかと思ったら、墓場で一人で遊んでる……。おまえ、教官たちに『面倒なお弟子様』って呼ばれてたんだぜ」

 

 先に修行を始めていた仲間に指摘されては、彼も苦笑するしかなかった。

 

「詳しいな」

 

「まあな。俺、正直おまえに嫉妬してたから」

 

 突然の告白。マニゴルドは戸惑い、友人を見つめた。ユスフは穏やかに微笑んでいる。

 

「いくら嫌がらせしても平気な面してるし、格上の相手にも態度がでかい。黄金聖闘士とだってため口で喋ってる。ずっと弱けりゃ馬鹿にしてやれたのに、実力だってどんどん追いつかれた。焦ったよ。やっぱり教皇自ら弟子にするような奴は、俺とは出来が違うんじゃないかってさ。隠してるだけで本当は猊下の称号を継ぐんだろうって疑って卑屈になったり。馬鹿みたいだろ」

 

 マニゴルドはただ相手を見つめるしかできなかった。

 

「でもいいんだ。たとえおまえに才能があっても先に聖闘士になるのは俺だ。聖衣は必ず手に入れる」

 

 そこまで言うと、ユスフは「あ、そうだ」と明るい声を上げた。

 

「牡牛座様に話付けてくれてありがとな。聖衣触らせてもらっただけじゃなくて激励してくれたんだ」

 

 マニゴルドも吐息に笑いを乗せた。

 

「ほんと、感謝しろよこの野郎」と友人の肩を小突く。「試練が済んで帰ってきたら、教皇宮から一番高い酒かっぱらって来てやるよ。それで祝杯上げようぜ」

 

「ああ。待ってろよ」

 

 数日後にはユスフは聖域を離れた。

 

 結果として彼は飛魚座の称号を逃した。マニゴルドはそれを書面で知った。教皇に提出された報告書を盗み見たのだ。

 

 聖闘士になる道を絶たれたユスフは、雑兵になる道を受け入れたらしい。試練の地の近くでちょうど駐在員に欠員が出たそうで、見習いも兼ねてそのままそこに収まることになったという。友人たちに顔を合わせづらくなった聖域育ちの候補生にはよくある進路だ。少なくとも数年は戻ってこないだろう。

 

 一方、クレストの連れてきた子供には指導役が付いた。セージではなかった。そのことにマニゴルドが胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。

 


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