会合から戻ってきた翌日。マニゴルドが足を運んだのは、友人たちの集う闘技場とは反対の方角だった。
無人の草原はいつもと同じように静かだった。
少年を迎えるように風が吹き、草が靡く。
丘を渡る緑の光。
波だ、と彼は目を細めた。師から最後の修行を言い渡された海に似ていた。
「蟹座ねえ」
嬉しさや戸惑いは既に消え去り、胸に残るのは、いかにしてそれを成し遂げるかという悩みである。
セージの言いつけた修行は、あまりに曖昧で漠然としていた。決められた技の習得や、誰かとの手合わせに勝利するといった、分かりやすい目標が存在しない。
何をすれば、あるいはどうなれば師に「十分に生を知った」と認められるのか。すぐには答の見つからない難問であった。
草の上に寝転がり、海で拾ったガラスの小石を目の上に翳す。空色よりややくすんだ青色が視界の半分を覆った。そのまま目を閉じれば、滑らかな表面に瞼の体温を少しだけ奪われた。
もう片方の瞼の上にも別の小石を乗せる。ごつごつとした確かな重みは聖衣の材料となる鉱物の原石だ。ジャミールから持ってきた。
師は世間という大海に入れと言った。
尖ったガラスの破片でも、波に洗われ他の石とぶつかることで丸く磨かれるという。
その兄は熱を上げろと言った。
表面の残滓を燃やし尽くした果てに、鉱石は金属に生まれ変わるという。
同時に試みたらどうなるか、少し想像した。熱くどろどろに溶けたガラスが海に落ちて、周りの海水を少しだけ蒸発させて海底に沈んでいく。そしてそのままタールの塊のごとく冷える。そんな光景が浮かぶだけだった。二兎を同時に追うのは止めておいたほうが良さそうだ。
取り留めのないことを考えていたら、名を呼ばれた。見知った顔の二人が丘を越えて現れた。その片割れ、双子座のアスプロスは少し離れた所で立ち止まった。もう一人はマニゴルドのほうへやって来る。
「こんな所で昼寝なんてよくできるな。変人」
気色悪そうに吐き捨てたのはカルディアだった。
マニゴルドは柔らかな草の原にいる。その足の先には草に埋もれかけた墓標。右手の近くにも墓標。左側にも墓標。頭の上にも墓標。彼は墓場の丘にいる。
嫌なら帰れと言う代わりに、「静かで良い場所だぞ」と返した。穏やかな気分だったのもあるし、カルディアのほうから歩み寄ってきたことに驚いてもいた。そして殺しかけた相手に対する気まずさも。
アスプロスに目で問うと、僅かに肩を竦める動きが返ってきた。カルディアは自分の意思でやって来たようだ。
「もう熱は下がったのか」
「そんなもん、とっくに下がってる」
カルディアと顔を合わせるのは、事件以来初めてだった。
黄泉比良坂から師弟二人で帰還したその場で、セージには謹慎を命じられたのだ。カルディアに謝りに行くための外出も許されなかった。師によれば『謝罪の気持ちがない者の口先だけの詫びほど無駄なものはない』ということだそうだ。事実マニゴルドは心から謝る気などなかった。セージは愁いを帯びた目で弟子を見据えた。
『おまえが同朋を殺めかけたことは動かぬ事実。候補生の体調が戻ったら話を聞いてみるが、それまでおまえを野放しにしておくことはできぬ。それ故のとりあえずの処分だ。事の次第によっては処罰を追加するから、覚悟しておけ』
そして謹慎は解け、未だに追加の処罰はない。つまり師はカルディアの話を聞けていないのだろう。マニゴルドはそう考えていた。もし話を聞かれる機会があったら、カルディアは子供らしい邪悪さで、あることないこと告げ口したに違いないからだ。
マニゴルドの前に仁王立ちしてカルディアは言い放った。
「てめえは勘違いしてる」
宣誓のような厳かさだった。
草上に胡座を掻いて、マニゴルドは後輩を見上げた。相手が落ち着きなく拳を握ったり開いたりしていることには、気づかないふりをしてやった。カルディアは死の恐怖と対峙して、それを乗り越えようとしている最中なのだ。そう思ってしばらく待っていたが、痺れを切らして先を促す。
「つまり何だよ。それだけ伝えに来たわけじゃねえだろう」
「うっせえ今から喋るんだ黙ってろ。あの時は熱があったから上手く喋れなかった。でも死にたがってる弱虫なんて勘違いされたままじゃ嫌だ。だから来たんだ」
子供の手がぎゅっと結ばれた。
「俺は早死にしたくて強い奴に喧嘩を吹っ掛けてるわけじゃねえ。心臓がドキドキして血がドクドク巡って頭がバチバチいうような瞬間が欲しいんだ。そういう瞬間には生きてるって感じがするから。俺は死にたいんじゃない。生きたいんだよ。おまえは邪魔すんな」
「でも小宇宙燃やす度に熱が出るなんざ、この先大変だぞ。生きたいなら聖闘士なんて目指すの止めて、家で大人しくしてろよ」
分かっていない、とカルディアは首を振った。
「苦しいのは嫌だけど、炭の中で燻ったままゆっくり冷えてく埋め火みたいな一生なんて真っ平だ。どうせいつか死ぬ命なんだ。ここぞって時に一気に燃やして、後に灰も残らないくらい燃やし尽くすほうが格好良いだろ。聖闘士になればそれができる。だから俺は戦う。ただ寝て死ぬのを待つのに比べたら、小宇宙を燃やして苦しくなるほうが何倍もましだ。生きてるってことだから」
目の前の子供は確かに黄金聖闘士の原石だ。マニゴルドが教えられても理解できないことを、すでに知っている。それだけでも彼より先を歩んでいるといって良かった。殺しかけたことを済まなく思った。
殺さずに済んで良かったとも。
「カルディアは生を知ってるんだな」
「当ったり前じゃねえか。病人ほど健康のありがたさを知ってる奴はいねえ」
得意げな返しに、マニゴルドは静かに笑った。メメント・モリ。死によって縁取られる生を思え。
「そうか。せいぜい頑張んな」
相手は獲物が罠に掛かった顔で、にやりと笑った。
「頑張るさ。それで俺、教わったばっかりの技があるんだ。十五発撃って初めて完結するんだってよ。協力しろマニゴルド。俺を殺そうとしたんだからそれを受けろ。十四発で許してやる」
殴られろと言われたなら大人しく受けただろう。口先で謝るよりも互いの気が収まる方法だ。しかし相手は蠍座の候補だった。思い当たったのは蠍座の必殺技である。マニゴルドは顔を引きつらせた。
「ふざけろ。凄っげえ痛くて狂い死ぬって技だろ、それ」
「いいじゃねえか。教皇の爺さんがやってもいいって言ったんだ」
逃げようとしていたマニゴルドは中途半端な体勢のまま止まった。
「もしかして教皇と会ったのか」
「あの日の次の、その次の日だったかな。俺の熱が下がった日の夜に部屋に来た」
教皇は、『弟子の所業は指導役である自分の不始末である』と詫びたそうだ。一介の候補生に対して平身低頭する教皇の姿に、同席していた聖闘士が慌てふためく様子がおかしかった、とカルディアは思い出し笑いした。
「意外に話が分かる爺さんだな。弟子は愚か者でなにも解ってない、もう二度とそなたと――俺のことな――会うことのないようにするが、もしまた見かけた時に怒りが収まっていなければ、蠍座の技を食らわせてやってもいい、ってさ。殺すのだけは勘弁してくれって頼まれたから、十五発撃つのは止めておいてやるよ」
マニゴルドは唇を噛んだ。師に頭を下げさせて、命乞いまでさせていたとは知らなかった。情けなくて、今すぐ黄泉比良坂の大穴にでも消えてしまいたくなった。
「解った。……よし。来い。きっちり受けてやる」
カルディアは目を煌めかせ、勢いよく人差し指を突き出してきた。指はマニゴルドの体にぐにりとのめり込んだ。マニゴルドは軽く眉をひそめた。痛いが、激痛というほどのものではない。
苦痛に顔を歪めたのはカルディアのほうだった。ゆっくり手を引き、人差し指を空いた手で握りしめる。俯いたまま、次の二発目を繰り出す様子はなかった。
「突き指したんだな」
「してねえよ! くそ、あの爺! これを見越してわざと教えたな。許さねえ」
「落ち着けって。そりゃ逆恨みだ。そうだ、きっと遅効性の痛みなんだ。受けてやるから続きやれ。あと十三発残ってる」
「もうやらねえよ馬鹿!」
マニゴルドはセージの名誉のために相手を宥めた。聖闘士の修行を始めて間もない者が、形だけ黄金聖闘士の技を真似たところで、同じ結果が得られるわけはない。自分は聖域を離れる予定だった。技を使う機会がすぐに訪れるとは、発言当時の教皇も思っていなかったのだろうと。
「だいたい習ってすぐ使えるようになるわけねえだろ。俺だって冥界波に苦労したんだぜ」
「なんだそれ」正にその技を受けかけたとも知らず、子供は尋ねた。
「蟹座の技だ。俺も、蟹座の候補なんだ」
――ああ、言ってしまった。
マニゴルドは息を止めた。
けれどカルディアはどうでもよさそうな相槌を打っただけだった。突き指が痛むらしく、彼のほうを見てもいない。その反応に拍子抜けして彼は苦笑した。他人にはその程度の事実なのだ。
「カルディア、おまえがちゃんと技を覚えたら、改めて残りの十三発は受ける」
これをやる、と黒い小石を相手に受け取らせた。
「何だよこれ。ただの石だろ」
「そのままならな。聖衣の材料になるガマニオンって鉱物の原石だ。とびきり高い温度で燃やして初めて役に立つ。おまえにぴったりだろ」
カルディアは胡散臭そうにその原石を眺めていたが、やおら空いた手を出してきた。握手ではないようだ。
「もう一つ持ってるだろ。そっちも寄越せ」
「てめえ……。欲張りだな」
マニゴルドはガラスの小石も渡した。曇ったガラスを透かし見て、カルディアは口角を上げた。
「ふーん。こっちのが綺麗じゃん」
「ちなみにそれ、ただのガラスな。海の中で揉まれて丸くなっただけ」
マニゴルドにとっては意味のある師の教えでも、他人には無意味なガラクタだろう。はたしてカルディアは「畜生騙しやがって」と笑いながら叩き返してきた。
そして用は済んだとばかりに踵を返しかけたので、マニゴルドは急いで呼び止めた。返された小石は二つあった。
「原石のほうも要らねえのか」
「要らねえ。欲しけりゃ自分で探す!」
言い捨てて子供は走り去っていった。
入れ違いに双子座の若者が近づいてきた。お勤めご苦労さん、とマニゴルドが声を掛けると、アスプロスは煩わしそうに頷いた。
カルディアとマニゴルドを二人きりで会わせれば、何が起きるか分からない。そう警戒して来たのだろう。アスプロスはすでに、候補生二人の間で起きたことに少なからず係わりを持っている。
マニゴルドが小石を弄んでいると、ガマニオンのほうを横から奪われた。
「聖衣の材料か。初めて見た。聖闘士を目指す者にはまたとない贈り物だろうに、あの子は勿体ないことをしたな」
黄金聖闘士の手が一度小石を包みこみ、再び開かれた。黒かった小石は加えられた力で僅かに銀色味を帯びていた。精錬された後に現れた輝きと同じ色だ。
「同じ力をそちらの小石に加えても、ただのガラスは粉々に砕けてしまう。逆にそのガラスが受けてきた摩擦をこちらの原石に加えても、本来の価値は生まれない。聖闘士と人に置き換えてみると、なかなか含蓄がある」
「返せよ」
石が掌に落とされる。と、不意に胸倉を掴まれた。ぐいと近づいたアスプロスは、目の奥に不愉快の気配を滲ませていた。
「なぜ戻ってきた。聖域を出発する時は処刑台に引かれる死刑囚のような顔をしていたくせに。それがどうして、何もなかったような顔をしてここにいる」
「俺が死刑囚じゃなくて死刑執行人《マニゴルド》だからさ」
「ふざけるな。訪問先へ連れて行って、ただ連れ帰って……。ほとぼりが冷めるまで遠くへ逃がしただけじゃないか。猊下はおまえに甘すぎる」
「甘かねえよ。お師匠にはあの日のうちに殺されかけた。教皇自身に半殺しにされるって相当な罰だろ。おまけにその後は謹慎だ。カルディア本人からの報復も受けてやらなきゃなんねえ」
「威張るな。さっきの様子からして、猊下が謝られたことも知らなかっただろう。俺は猊下を宿舎にご案内して、その場で見ていたんだ。あの方が一介の候補生風情に頭を下げられるところなんて見たくなかった。あんなご立派な方にそこまでさせたことを反省しろ」
返す言葉もなかった。教皇セージを敬愛する聖闘士が知ったら、誰でも同じように憤るだろう。不出来な弟子だという自覚はマニゴルドにもある。
「悪かったとは思ってる」
「おまけに蟹座だと? おまえみたいな馬鹿が猊下と同じ聖衣を纏うなんて百年早い。天馬星座という話はどこへいった。この嘘吐きが」
「そんなつもりじゃない。俺の勘違いだったんだ」
アスプロスは彼を解放した。腹に溜まっていたことを一通り口にしてすっきりしたのだろう。表情もすっきりとしている。
「まあいい。ようやく本当のことを喋る気になったということは、聖衣を授かる日取りが決まったんだろう。いつなんだ」
「あ、それはまだ。蟹座の候補だって言われただけ。これから最後の修行やって、それが認められてからだから、いつになるかは全然分かんねえ」
「またそうやってごまかす気か」
「本当だって」相手の疑いを否定しながら、マニゴルドはふと思うことがあった。彼が天馬星座ではなく蟹座だと、アスプロスはすでに予想していたのではないか。
確かめるとそれはあっさり認められた。
「ご自身の弟子とはいえ、猊下が巨蟹宮での修行を候補生に許された理由を考えれば、おまえも蟹座の候補だとみるのが自然だ。アテナのご降臨と合わせて秘されているから天馬星座、という考え方も悪くはないが、おまえにあの称号は似合わない」
黙り込んだマニゴルドを見て、アスプロスは意地悪く笑った。
「天馬星座説を随分と気に入っていたようだし、ハスガードと盛り上がっているところに水を差すのも悪いと思って放っておいた。何座であれ、俺より序列が上になることはないからな」
「アスプロスって他人より上に立つの好きだろ。馬鹿と煙は何とやらってか」
「……そうか。だったら、いつか天馬になる者が現れたら教えてやろうかな。黄金位になれるのに、勘違いで青銅位を目指していた奴がいると。おまえも名乗ったらいい。蟹座の黄金聖闘士とは仮の姿、天馬星座の青銅聖闘士こそ俺の真実の姿だ、とな。凄いぞ。きっと聖闘士の歴史上初めて下を目指した変革者だ」
マニゴルドは顔が熱くなるのを自覚した。この一件で、この先いつまでもアスプロスにからかわれることを確信した。むしろ本物の天馬星座の聖闘士が生まれたら、いっそうひどくなるに違いない。
その確信はある意味では正しく、ある意味では外れていた。天馬星座の聖闘士となる少年が聖域に入るのは、双子座の黄金聖闘士が聖域を去ったのちのことである。アスプロスはその生前、天馬星座の少年を知ることはなかった。
一陣の強い風が吹いて、草が靡いた。
顔に掛かった髪を煩わしげに押さえて、アスプロスは空を見上げた。マニゴルドもつられて天を仰ぎ見る。遠い空の彼方、大気の膜の向こうに星々の世界が広がっている。
「大地から星までの道は平穏ではない(Non est ad astra mollis e terris via)。おまえも年下の候補生に構っている暇があったら精進しろ。うかうかしてると追い抜かされるぞ」
マニゴルドは首を傾げた。百年早いと言われたばかりなのに、まさか応援してくれるとは思わなかった。
「あれ、双子座様は俺が蟹座になってもいいの」
「俺たちのことを知っている奴が隣の宮に入るのは、ある意味では安心だと思う程度には期待している」
黄道十二宮の順番に並ぶ守護宮は、双子座の双児宮と蟹座の巨蟹宮が隣り合っている。アスプロスの言葉が双児宮の秘密の住人のことを指しているにせよ、素直ではない言葉だった。
それでも彼は去り際に真面目な助言をくれた。誤って天馬星座だと伝えてしまった者には、正しい守護星座を伝え直すべきだと。
「とくにハスガードにはな。会合に出かける時のおまえの様子を見て心配していた。もう問題ないならそう伝えてやれ」
分かった、とマニゴルドも聞き入れた。
二人の予想通り、ハスガードはマニゴルドの守護星座が明らかになったことを喜んでくれた。
「やったなこの野郎!」一声叫ぶなりその太い腕を少年の首に巻き付ける。「問題解決、称号も判明。でも調子に乗るなよ。俺のほうが先任だし年上だし背だって高い。守護宮だって俺のほうが二つも前だ。聖戦の出陣順も乾杯の音頭取りも、ひよっこには譲らないからな」
「出陣決めるのは大将だろ」
マニゴルドも笑いながら肘で小突いた。
ハスガードは本音と逆の態度を示さない。時と場合を弁えて控えることはあっても偽ることはない。つまり実直で信頼できる男だ。そんな男が同朋として歓迎してくれていることが嬉しかった。
「会合から猊下がお戻りになった時、アスプロスと一緒に留守中の報告をしに教皇宮に上がったんだ。でも猊下はおまえのことは何もおっしゃらなかった。そのうち大々的にマニゴルドが後継者だと公表するおつもりなんだろうか」
「そんな予定ないない。これ以上のやっかみは俺だってごめんだ」
「そうか。だったら俺も知らん顔していよう。あ、むしろ天馬星座として発表してしまうのはどうだろう。ただ隠すよりいい攪乱になると思うぞ」
ここでも天馬星座が尾を引いている。相手に悪意がないだけに、マニゴルドは「勘弁してくれ」と頭を抱えた。今でさえ勘違いしていた時期の言動を思い出しては布団の中で七転八倒しているのに、恥の上塗りなどしたくない。
◇
同じ年、一人の候補生が遠い修行地から帰ってきた。修行を終えて山羊座の黄金聖闘士になることが決まったエルシドだ。
彼が聖域で修行していた頃に親しくしていた者たちが、知り合いの成功を祝いに集まった。しかし本人のあまりに淡々とした態度に白けて、すぐに解散してしまった。昔からこういう奴だった、と思い出したのである。
マニゴルドが来た時には、彼の周りには誰も残っていなかった。
「おまえさあ、もう少し愛想良くすれば」
「べつに愛想の良し悪しで星に選ばれるわけでなし」と、黒髪の若者は答えた。「俺はひたすら拳を磨き、それが認められてここにいる」
その三白眼が十二宮へ向けられた。守護することになった磨羯宮を眺めている姿は、傍目にはこれからの使命に思いを馳せているように見える。
しかしマニゴルドを振り返って口にしたことは、まったく緊張感がなかった。
「あそこで暮らしたら怒られるだろうか」
麓の役宅から山の高い所まで通うのは面倒だという。知るか、と山頂から毎日下りてきている少年は吐き捨てた。
「従者が嫌な顔するだろうけど、勝手にすれば」
「従者か」
エルシドは溜息を吐いた。人里離れた山奥で、自分だけでなく指導者の身の回りのことをこなしてきた者からすれば、他人に世話されるのは却って気詰まりだった。
「黄金だからな。体裁ってもんがあるんだと」
「青銅や白銀なら体裁なんて気にしなくて良いのに。いっそおまえと守護星座を交換したい」
「ああそうだった、くそ」
マニゴルドは髪を掻き回した。忘れていたが、この友人にも自分は天馬星座だと伝えていたのだ。余計な見栄を張るのではなかった。
「それ、俺の間違いだった。正しくは天馬星座じゃなくて蟹座だった」
エルシドは片眉を上げて驚きを示した。
「どうやったら間違えるんだ」
「俺にも色々あんだよ。とにかく前に言ったことは無し。忘れてくれ」
それは、と困惑気味にエルシドが言いかけた時、走ってきた候補生が通りすがりに野次を飛ばした。
「うわあガラの悪い奴が目つき悪い奴と悪巧みしてる! 怖え! 殺される!」
「てめえこらカルディア!」
傍若無人な子供はげらげら笑いながら走り去った。今のは誰だと目つきの悪い友人が聞くので、仕方なくガラの悪い聖域暮らしは答えた。
「おまえが外地に行ってた時に入った掟知らずの狂犬。ちなみに蠍座の予定だ」
「なるほど。あれが聖域一の悪童よりも手に負えない問題児か」
納得してからエルシドは漏らした。「シジフォスさんが間にいてくれて良かった」
蠍座の天蝎宮と山羊座の磨羯宮の間には、射手座の守護する人馬宮がある。エルシドは、非情にも尊敬する先輩を盾にして嵐を防ぐことにしたようだ。
「いるけど外部任務で空けてること多いぞ。壁にはならねえだろ」
「それだ。さっきの話に戻るが、ついこの前シジフォスさんが修行地に来たんだ」
任務の途中に寄ってくれた時に、話の流れで共通の知人であるマニゴルドのことが話題に上ったという。そこで相手も当然知っているものとして、エルシドは彼が天馬星座の候補だと話してしまったそうだ。
「口数少ないくせに余計なこと喋りやがって……」
「済まん。俺の聖衣継承に合わせて聖域に帰ると言っていたから、そろそろじゃないか」
その言葉通り、射手座のシジフォスも久しぶりに聖域に戻ってきた。
「山羊座の継承おめでとう。これからはお隣さんとして、同僚として、よろしくなエルシド」
「こちらこそお願いします。一日も早くあなたに追いつきます」
「はは、背丈はもう追いつかれてるかな」
山羊座となる後輩を祝った後、シジフォスはその場にいたマニゴルドにも声を掛けた。
「エルシドから聞いたぞ。おまえも早く天馬星座になれるといいな」
「間が抜けてんだよ、今頃」
それからの手当たり次第の罵倒は、マニゴルド自身にも止められなかった。恥ずかしさを紛らわせるための完全な八つ当たりである。見かねたエルシドから事実を明かされたシジフォスは、笑っていた。