医務室に運ばれ、何処にも怪我を負っていないことを確認された青馬白亜は現在、体に被った土埃を洗い落とすために八重樫雫と共に浴場を訪れていた。
「こういう時なんて言うのだったか……。そうだ、『死ぬかと思った』と言うのだったか」
「ふざけてる暇があるんだったら本当に大丈夫なようね。心配して損したわ」
「死なんさ。軟弱な体ではない……。はずだったのだがな」
「ちょっと、しっかりしてよ。少なくとも私が腕を切り落とすまでは全盛期のままでいてもらわなきゃ」
なかなかに物騒な会話だが、ここには二人しかいないため気にする必要はないだろう。地球で暮らしていた頃のように雫は白亜の髪を洗っていく。お湯で流せば、ほろっただけでは取れなかった、柔らかな髪に絡んだ砂埃が泥水となって色白な肢体を伝った。白と黒のコントラスト。黒い水が白亜の美しい肢体を流れていく様は扇情的と呼ぶに尽きる。
今までの雫だったらどうしていたのだろう。自分が白亜を汚しているような錯覚を抱き、手を滑らせたのだろうか。だが、ここにいる雫は地球に居た頃の彼女ではない。白亜にかかった土埃を洗い流し終わると、気持ちよさそうに座ったままでいる彼女の背中を勢いよく叩き、浴槽へと追いやった。
スパン! と心地よいぐらいに軽やかな音が浴場に響き渡り、反響する。白亜はわざとらしく背を抑えながら浴場の隅に立てかけていた長剣を持つと、共に浴槽へと向かった。自分は浴槽の中へ、長刀は縁より外側に。長刀にも埃が被ったのだろう。白亜は水を掬っては長刀へとかけ、慈しむような手つきで洗っていく。
「ここをサウナにでもするつもり?」
「いいだろう? ここには滅多に人は来ないようだし、来たとしても雫の従者が止めてくれるときた。今まで好きなように出来なかったんだ。ここでだけは好きなようにさせてくれ」
「だからって煙がたち過ぎなのよ」
何がどうしてそんな現象が起こっているかは分からない。ただ、白亜が長刀へ水をかける度に水分が蒸発し、白い湯気がここに入った当初の比ではない程にもうもうと立ち込めているのは明白であった。既に湯気のせいで雫は声でしか居場所を判別することが出来なくなっている。
「私、そっちに行きたいんだけど」
「頑張ってこい。一度見たんだから地形ぐらい覚えているだろう?」
「そういうことが出来るのは白亜だけよ」
ペタペタとタイルの上を歩く音が1人分余分に聞こえる。四つん這いにでもなっているのだろうか。暫くすると水音が聞こえ、次いで白亜は右腕に柔らかな肉の感触を捉えた。
「もう一度聞くけど、本当に大丈夫なのね?」
「心配性だな。私は私のままだろう」
「……。証拠がほしいわ」
「証拠?」
白亜が意識を雫に向けた瞬間。剣ダコで硬くなった手が白亜の両肩を捉えて後ろに倒れこむ。浴槽の中へ沈んでいく白亜。雫は浅く息を吸い込むと白亜に続いて体を湯舟の中へ沈めて……。
「愛子様、雫お姉様は現在白亜お姉様と入浴中でして……!?」
「青馬さん! 倒れたと聞きましたが……。す、すごい煙!? 青馬さん! 八重樫さん! 大丈夫ですか!?」
「お、お姉様方!? ここに風撃を望む『風球』! ……ぁッ……ッ!?」
「え、ぇぇぇえええええ!?!?」
突然、何の前触れもなく浴場に駆け込んできたのは、雫付きの従者と畑山愛子だった。
南雲ハジメが亡くなったという知らせからまだ間もない時期でもあり、愛子のわがままで眠る間も惜しんでの行軍をした翌日でもある。その疲労がたたりすぐ寝込むことになった愛子に対し、ケロリとしていた白亜。だからと言って、白亜に疲労が溜まっていなかったというわけでもないだろう。
責任感に駆られた愛子はまだ強行軍の疲労を完全に癒していないというのに、白亜が倒れたという知らせを耳に入れここまで走ってきたのである。浴場を満たす湯気を従者の魔法によって打ち消した先。そこにあったのはあまりにもあんまりな光景だった。
白亜の両肩に手を置き押し倒している雫と、湯船から僅かに顔を浮かせ雫の顔を鷲掴みにしている白亜。
「安心したわ」
「いつ以来だ、肝を冷やしたのは。まったく、こんな証明の仕方があるか」
どういう訳か疲れたようにため息を吐く白亜に対して、雫は満ち足りた声色でそんな言葉を発していた。
何故か愛子の横では満ち足りた様子で雫の従者が仰向けに倒れていた。
愛子は混乱した。混乱したが、彼女はこの場にいる唯一の大人である。言ってやらないといけないことがある。噎せ返るような湿度の中、愛子は深く息を吸い込むと今までの中で一、二を争う程の声量を発するのだった。
「あ、貴方達! こ、こんな時になにをやっているんですかぁあああ!!!? そこに、なおりなさい!!!!」
どこかで呆れたようなため息が漏れた気がした。
◇◆◇◆◇
夕食前の時間帯だった。クラスメイト達は王宮の中にある大きな広間に集められていた。目の前で人が死んでいく様を直視し部屋の中に閉じこもっていた者も居た。悲劇を変えるための力を欲し時間も空腹も気にせず鍛錬に励む者も居た。だが、そういった者達も含めて「今後のことを話し合いたい」と愛子に呼びかけられ、南雲ハジメを除く地球から召喚された全員がこの広間に集まっていた。
「皆さんに二つ謝りたいことがあります。まず一つ目は、遠征までには帰ってくると約束をしていたのに約束を破ってしまったことです。申し訳ございませんでした」
「あ、愛ちゃんのせいじゃないよ。メルド団長から事情は聞いたし、みんなもそのことはせめてないって……。ね、みんな?」
頭を深く下げる愛子にいち早く声をかけたのはクラスのムードメーカーともいえる立ち位置にいる少女、谷口鈴だった。彼女の問いかけにクラスメイト達は小さく頷いた。愛子が来ることが出来なった事情を、メルド騎士団長はオルクス大迷宮攻略から帰還後自分の命すら顧みずに吐露していた。
曰く、多額の寄付金、つまりは賄賂を国や教会に払っている領地にいち早く向かわせるために巡礼の中断は行うことが出来なかったらしい。知らせれば、知らせに走らせた兵を殺すと脅されていたといった事情も全てメルドは打ち明けていた。
故に、事情を知らされてもいなかった愛子が来れるわけもなく。生徒達はそのことで愛子を責めるつもりは無い様子だった。
「二つ目ってなんですか?」
絞るように吐き出された言葉が一つ。呟いたのは園部優花という少女だった。オルクス大迷宮から帰還後自分の部屋に籠っていた者の一人。俯いた顔には地球で暮らしていた頃のような溌溂とした笑顔は無かった。
「それは皆さんの今後についてです。勝手ながらエリヒド国王、イシュタル教皇と話し合い今後を今までと同じ生活を送るか、戦いには参加せず従者として働くか、私の付き人として各地の復興にあたるかの三択まで譲歩してもらいました。ですが、実質選べるのは今までと同じ生活か、私の付き人の二択です。私の力が及ばずこの二択しか用意することが出来ず申し訳ございません。今日ここに皆さんを集めたのはこの時間でどちらを選ぶのか決めてほしいからです」
「どうして……、どうして、愛ちゃんまで私達の道を勝手に決めるんですか」
俯いていた顔が上がる。彼女は絶望に表情を崩しながら泣いていた。頬を伝った大粒の涙が机の上に落ちては小さな水たまりを作り始めている。
「私、愛ちゃんが呼んでくれたからここに来たんです。あの学校でたった一人、平等に私達のことをちゃんと見てくれる愛ちゃんが呼んだからここに来たんです。他の先生たちは先頭を一人で走る天之河ばっかり基準にして叱るばかり。上手くいったって褒めてくれやしない。当たり前のことが出来ただけだって目を向けるだけで見向きもしてくれない。だけど、そんな中で愛ちゃんはちゃんと私達一人一人の目線に立って見てくれていた。上手く出来たときはちゃんと褒めてくれて、失敗した時は誰かを見習えって言うんじゃなくて、ちゃんとダメだったところを指摘してくれた。あの学校の中で、たった一人の心の支えだったの。私達に道を示してくれる先生だったの」
愛子の生徒に向ける教師としての愛情はしっかりと生徒達に伝わっていた。すれ違っていた原因は、大人になり切れなかった生徒たちの「好きな子を虐めたくなる」といった気恥ずかしさからくる愛情表現のせいだった。
「ここに来た時も天之河のことをちゃんと止めようとしてくれた。混乱してる私達を置いてすぐに各地を巡るために出発するって言った時は酷く裏切られたような気分になったけど、でも愛ちゃんだから許せた。私達のために、誰かのために全力で優しくなれる愛ちゃんのことだから、きっと私達が困ったらちゃんと手を差し伸べてくれるって思えたから許せたの」
「……」
「ねぇ、愛ちゃん。南雲がなんて言われてるか、知ってる?」
無言のまま目線を一切逸らさずに言葉を聞き続ける愛子へ優花は唐突に問いかけた。脈略のない問いかけに一瞬肩を跳ねさせ、何度か口を開閉させた愛子は絞り出すように言葉を紡ぎだす。いつの間にかカラカラに乾いていた喉から発せられた言葉は、酷く聞き取り辛いものになっていた。
「……はい。王宮内外問わず酷い呼び方をされていることを、知っています」
ここで初めて、愛子が優花から視線を逸らした。
どうとでも取れる発言だ。言葉を濁して知ったかぶりをしているように聞き取る者もいるだろう。もちろん愛子は知っている。目の前で、聞き街が出来ない程大きな声量で吐き出されたハジメにつけられたレッテルに怒りを抱いた愛子は、彼がなんと言われていたかを知っている。しかし、いや、だからこそそれを自分の口から吐き出すことが出来なかった。
愛子が座っている席は議長席。顔を逸らして俯けば誰も後悔で食いしばる表情を視界に入れることは出来ないし、テーブルの下で彼女がどれだけ強く拳を握っているかも見ることは出来ない。愛子の今の心境を正確に読み取ることが出来た人物は何人いるのだろうか。
「ねえ、愛ちゃん。何かあったんだよね。そういう反応するってことは、仕方ない事情があったんだよね。なのに、なんでそれを全く言わないで全部一人で決めようとするの? そんなの愛ちゃんらしくないよ」
少なくとも一人、授業がある度に廊下ですれ違う度に捕まえては色々な相談を持ち掛けていた園部優花は察することが出来ていた。
「私ね、南雲に助けられたの。あの日、巨大な化け物から逃がしてもらった以外で、骸骨の化け物に殺されそうになった私は南雲に助けられた。南雲が無能? だったら私は何なわけ? 戦う力を持たない南雲に戦闘を強いて、二度も助けられて、一人戦場においておめおめと逃げることしか出来なくて、あいつが落ちた時手を伸ばすことも出来なかった私は何なわけ? 私こそ、無能じゃないですか?」
「ち、違います! 南雲君も園部さんもそんなわけないじゃないですか!?」
「だったら、どうして何も話してくれないの? 私、無能になりたくない。私、もう私のことが原因で誰かが勝手に傷ついていくのを見たくないよ。愛ちゃんいっつも言ってたじゃん『人一人に出来ることは限られてるから困ったら助け合えばいい。そうやって歴史は積み重なってきたんです』て。私にも、愛ちゃんを助けさせてよ」
きっと、彼女が浮かべていた絶望の根源はここからきていた。勝手に進路を決められて心を寄せていた愛子が変容してしまったという思い込みからくるものも多少はあっただろう。しかし、敬愛する教師である畑山愛子が自分を頼らず一人で傷つこうとしている姿に優花は酷く自分自身の頼りなさに絶望していたのである。
愛子は目を見張った。生徒達から反感を貰うことは理解しての発言だった。だが、それでもここまで心に深い傷を負わせてしまうとは思ってもいなかったのである。なぜなら、愛子は自分自身がどう生徒の目に映っているのか深く理解していなかったのだから。
全てを話してしまえば優花は満足するだろう。自分も胸の中に渦巻く黒い感情を吐き出すことが出来るかもしれない。
一瞬、甘い言葉に誘われて口を開きそうになる。
だが、優花のそんな必死の訴えを受けても尚、愛子は吐露したい感情を押し込めることを選択した。
「……、話してくれないんですか?」
「私は、これを今のあなた達に知ってほしくない。どれ程時間が経ってあなた達の心が落ち着いたとしても、これだけは知ってほしくないんです。こんな、差し出された手を跳ね除けてしまう先生ですが、それでも助けてくれるというのなら……。お願いです。夕食のときにこれからどうするか一人一人聞かれると思います。そこでどうか、従者になることを選択しないでください。このまま戦い続けるか、私と一緒に復興作業を行うか、そのどちらかを選択してください。お願いします!」
立ち上がり、深々と頭を下げる愛子。彼女の願いを受け、優花は短く息を吐き出すと顔を袖で拭ったい、苦笑を浮かべた。その表情には「仕方がないな」なんて言いたげな感情がありありと浮かんでいる。
他のクラスメイト達も、雫に口元を初めから抑えられフガフガ言っている光輝を除き、同じように苦笑を浮かべていた。
「愛ちゃんはやっぱり私達の畑山先生だったね。疑ったりしてごめんなさい」
こうして勇者一行のこれからを決める話し合いは幕を閉じるのだった。
第10話を最後まで読んでいただきありがとうございました。
前半蛇足だったような気がしなくもない。とはいえ、最低でも一度は後学のために書きたかった。やはりと言っていいのだろうか、色が足りない気がする。もう少し彼女達の体の柔らかさを表現する場面を入れるべきだったと思うし、白亜の視覚情報も入れるべきだったとも思う。
後半は……。やっぱり会話文が長くなりがちだ。会話文の一部を地の文にしてしまうとか、重要ではない部分を省く必要があるようにも思える。訴えかける場面ではあるのだが、あまり優花の必死さが伝わってこないし、彼女が「畑山先生」と呼称するのも強引なように思えてしまう。
……。
もう少し頑張ります。
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第11話はまだ描き途中です。更新まで暫くお待ちください。