自分が枯れ果てた土地や汚染された土地を巡らなければ、護衛として配属されたデビッド、チェイス、クリス、ジェイドの四名が死ぬ。クリスから語られた突拍子もないその事実に、畑山愛子は困惑した。
メルド騎士団長より望まれたことは、人間族側の食糧事情の改善。土地の浄化、活性化はそのついでで実力がついたときに行ってくれればいいとのこと。だからこそ、愛子はこの農園で食料を生産し続ければ願われたことは解決できると判断していた。
「し、死ぬ? 死ぬって、どういうことですか?」
故に、分からない。自分が各地を巡礼するか否かと彼らの生死が結びつかない。愛子は社会科、特に歴史に関して教える機会が多い教師人生を送っていた。しかし、彼女は戦争が起こった事実を教えることが出来ても、それは彼女が実際に体感したものではない。彼女は国のためにと勇んで死んでいった突撃部隊のことを伝えることが出来ても、そういった行動を起こした彼らの心情を全て読み取ることは出来ない。
愛子は争い事のない、平和な世界で平和に生きてきた人間だった。それが悪いことだとは言わない。だれがどう考えたって、常に争いに巻き込まれる日常を送るより、争いごとのない世界に身を置いていた方がよほど幸せだろう。
「愛子殿の巡礼の目的。表向きは食糧事情の改善や土壌の回復だ。しかし、真なる目的は落ちた正教教会への信頼を回復させることだ」
瞠目する愛子を見て、それからその後ろで微笑む青馬白亜を睨みつけ、護衛隊隊長であるデビッドはようやくその重く閉ざした口を開いた。エヒト神に選ばれた者とはいえ、他所の世界からやってきた者に伝える気はさらさらなかったのだろう。彼は苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。
「人間族を救うためにエヒト神によって召喚された勇者一行。その噂は緘口令を敷いたとしてもたちまち国中に、さらには国外にも広がっていくことだろう。業腹なことだが現状はそういった希望にすがることしか出来ない程に切迫しているのだ。しかし、そんな状況にも関わらず、すがる対象である勇者一行は戦闘の素人。一日二日で前線へ向かえるわけがない。長い時間かけての戦闘訓練が必要になる。しかし、その間も前線での戦闘は絶えることは無く、不利な状況が続き前線は下がり続けることだろう。勇者が来たというのに負け続き。そうなってしまえば、民は皆勇者召喚を嘘だと思い込むようになる。すると、勇者召喚を行った正教教会とそれを補佐したハイリヒ王国への信頼が地に落ちることは必然。故に勇者召喚が行われたという事実を世界に広める必要があったのだ。そこでちょうどいい人材が発見される。戦争続きで落ち込んだ食糧事情と勇者召喚が真実であると伝えることを一石二鳥で成し遂げることが出来る人物。それが、愛子殿、貴方だ」
まだ全て語られたわけではない。だが、愛子は理解してしまった。自分が生徒達を守りたいと願い、それを叶えることで4人の命が失われる危険性があることを、理解してしまった。
要するに、どの世界のどの社会でも起こりうる「責任問題」というやつだ。学校現場で例えるなら、生徒が授業中にふざけて怪我をしてしまった場面を考えよう。処罰されるのはその時授業を担当していた教師である。その場にいなかった第三者に責任が擦り付けられることはほとんど無い。
一度は巡礼を受け入れた愛子。そんな彼女が、護衛が決まった瞬間に意思を曲げてしまったらどうなるか。責任を問われるのは必然的に護衛隊だった。そして、戦争が行われている時代、国と教会の信用を失墜させるような戦犯を行った人間の行く末なんて決まっている。死罪だ。
「そんな……。じゃあ、私は、どうすれば……」
せっかく生徒達を守れると思ったのに。やっと教師としての一歩を踏み出せると思ったのに。待っていたのはこの仕打ち。意気込んだ早々に彼女は躓いてしまった。
こちらに転移してきた約30名の生徒と4人のまだ触れ合って間もない人間の命。もし、ここに魂の重さを測る天秤なんて代物があったとすれば、生徒の方へ傾くことだろう。もし、人間族の命運なんてものがその天秤に加わったら、4人の命の方へ傾くのだろう。だが、彼女の中には天秤は存在しない。どちらかを見捨ててどちらかを救うということを良しとしない世界で産まれ育ってきた彼女は苦悶する。
考えて、考えて……。答えの出せない迷宮に陥りそうになる愛子。そんな彼女を目の前にして、デビッドは愛子の後ろに控えている白亜へ言葉を投げた。
「青馬白亜、貴様こうなることを全て知っていたうえで愛子殿を諭したな? 知らずに流されていればこれほどまでに苦悶しなかったものを。彼女は貴様の恩師だろう! 貴様、人の心がないのか?!!」
魔人族は全て敵だと言い張り、魔人族は皆殺しにすべきだという信条を掲げる人間族。神を妄信するがあまりに、異世界から呼び出された者がたとえ子供であろうと世界の救世主であると信じて疑わず戦場へ追いやろうとする。
だが、そんな彼らであっても人としての矜持というものがあった。
「恩を仇で返す。貴様、それで人間というつもりか!!」
「私は仇討ちしているつもりはないのですが……?」
「では、何故こんなにも愛子殿が苦悶しているというのに貴様は笑顔で居続けられる!!」
「青馬、さん?」
ここで初めて愛子が後ろを向く。白亜の笑顔を視界に入れて、どういうわけか愛子の心は悲しみではなく安堵に染まっていた。
白亜が全てを知っていたというものはデビッドの妄言の可能性もある。ただ、愛子が悩み苦しんでいるにもかかわらず、白亜がいつも通りの微笑みを絶やさなかったことは事実。自分が苦しんでいるときに知人が笑っていたらどう思うだろうか。少なくとも安堵なんて感情は抱かないはずだ。しかし、愛子は白亜の笑顔を目の前に安堵していたのである。
「普通の人はこういう時、難しい顔か、後悔した顔をするものなんですよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんです。まだまだ青馬さんも子供ですね」
「菫の書籍や愁のゲームで学んでいたつもりだったのだがな……。他にも雫やハジメに力を貸してもらっていたのだが、足りなかったようだ。愛子、教えてくれて感謝する」
「畑山先生です! まったく……。もしかして心の中ではずっと私のことをそう呼んでたんですか?」
愛子から指摘を受けると、白亜の表情が一転する。彼女の顔に浮かぶソレは笑顔であることには変わりなかった。しかし、今の表情は万人受けするような微笑みではなく、餌を前にした猛獣が浮かべるような獰猛な笑みへ。瞳は心に負った傷を全て掬い取ってくれるような琥珀色の温もりがあるものから、肌が粟立つほどの死を直感させる深い輝きが内包された瞳へ。緩く結ばれ潤いのある唇が色気を出していた口元は、口角が釣り上がり鋭い犬歯がのぞいていた。
そんな表情をしているからだろうか。純白の温もりが籠った綿毛を思わせる彼女の白髪は、真冬に暴風と共に降り注ぐ雪を錯覚させるほど見るものの心を凍えさせた。
彼女を構成するものは何一つ変わっていない。変化したのは表情と纏う雰囲気。護衛4人は無意識に利き手を腰に下げた剣の柄にかけていた。デビッドは叫ぶ。青馬白亜と名乗る少女は危険であると。しかし、その叫びに瞠目すらせず、愛子は「仕方のない人たちだ」と言いたげな表情で静かに首を振って見せた。
「なぜ、そいつを庇う! 愛子殿! そいつは貴女の教え子でありながら恩に対し仇で返した不届き者なのだぞ!!」
「いいえ。青馬さんは、内に籠り燻ぶったままの私を引き上げ、火をつけてくれました。返しきれない恩を私にくれました」
「ふむ。では、その返しきれない恩というものを今返してもらうとしようか」
デビッドは、この期に及んで何を言うつもりだ、と愛子の後ろに立ったままの白亜を睨みつける。対し、愛子はその視線を遮るように立ち上がった。視線が合い、どうしてそこまで彼女は人をなんの疑いもなく信じることが出来るのかとデビッドは疑問に思う。その疑問に対する答えは簡単で、愛子は白亜が元々どんな性格だったのかを知っていたから。学校で見せていた穏やかな性格が全て白亜の悪戯心によって造られたものだということも知っていたから。きっと、何も知らなければデビッドが思った通りの反応をしていたことだろう。
愛子が白亜と出会ったのは、白亜が高校へ通い始める少し前。新年度が始まるということもあり、教員が集まって飲み会をした日の帰りで出会った。出会ったと言っても愛子自身は飲み過ぎがたたって記憶がすっぽ抜けており、ちゃんと出会ったのは翌日の朝なのだが今は関係ない。
それ以降は学校での穏やかに笑う白亜しか見ていないために、昨日思い出すきっかけを与えられても今の今まで忘れていた愛子。ようやく白亜本来のあり方を思い出し、自分の前でその姿を見せてくれたことで、白亜がありのままで居られる場所がまだ存在していることに安堵した、というわけである。
「力を持たない愛子が生徒を外敵から守ることは出来ないだろう。だが、人間を死に陥れるのは目に見える傷だけではない。心に深い傷を負えば自害する者もいる。生徒の傍に在れば苦楽を共有することで生徒の心を救うことが出来るかもしれない。だが、それではこの4人の命はどうなる? 死ぬなんて言葉は愛子に巡礼させるための嘘の可能性もある。しかし、それが真実であるか否かは断ってからでないと分からない。さあ、愛子。選べ。当然どちらも選ばず引きこもるという回答でも構わない。導き出した答えによっては、この私でいる間も愛子のことを先生と呼ぶこととしよう。これが私の求める対価だ」
「……」
「自由に決めよ。他人の意見に縛られず思考する自由は先ほど得たはずだ。愛子が愛子の意思を貫いた結果によって導き出した答えならば、全て受け入れよう。私の琴線に触れるか否かはその後だ」
「自由に……」
「そうだ。さあ、愛子の答えを聞かせてくれ。その自由を得た意思でもって」
心から湧きだしてくる好奇心によって貪欲に輝く琥珀色の瞳が愛子を覗く。護衛の騎士達は口を挟むことを許さないとでも言うような雰囲気に口を噤む他なく、事の成り行きを見守ることしか出来なかった。
瞳を見つめ合い、どれぐらいの時間が経過したのだろう。1時間だろうか、それとも1分だろうか、それとも1秒だろうか……。長くも短く感じる時間が農園内で経過する。その間、愛子が白亜の瞳から視線を逸らすようなことは無かった。
クリスの言葉を聞いた時、夢物語ともいえる理想の答えが一瞬過った。それを口にしなかったのは、自分のような戦争も知らない人間がそれを口にしていいのかと、逃げていただけ。目の前の少女は自由に発言しろという。言うは易く行うは難しとはよく言ったものだが、理想を現実味のないものと片付けてしまっては挑戦することも出来ない。彼女はそう言いたいのだろうと愛子は判断した。
「私は、地球から来た人間の中でたった一人の大人。私は教師としても、大人としても生徒たちのことを見捨てることは出来ない」
「愛子殿……」
やはりそうなるか、と諦めるような声色でデビッドは彼女の名前を呟いた。しかし、俯いていた顔も次の言葉で驚きと共に大げさな動作で上を向くことになる。
「加えて、誰かを助けるために誰かを犠牲にするなんて、そんなあり方は教師でもないし、人としても間違っていると思います」
「愛子さん……」
やはりあなたこそが女神かと、感嘆の籠った声色でチェイスが彼女の名前を呟いた。
「私が目指す『畑山先生』はどちらも見捨てない。先生は子供を導くためだけの存在ではありません。子も親も、地域の住人も……。目的は生徒が勉学に励みやすい環境作りではありますが、先生は子供も大人も導く存在です。だから、私は両方実現してこそ『畑山先生』として胸を張れる!」
「愛子様……」
大きな声で宣言する愛子。その目にはもう揺るがないという意思が浮かんでいた。こうなることを理解していたかのように、感涙に声を濁しながら彼女の名を口ずさみ、ジェイドは大きく頷いた。
「今、生徒たちは天之河君のおかげと真新しいことに触れているおかげで何とか平静を保てている。だとしたら、ここから離れるのは今がチャンスです。素早く各地を巡って勇者召喚が真実であることを触れ回り、大規模な戦闘訓練前にここへ帰ってくる。協力してください。デビッドさん、チェイスさん、クリスさん、ジェイドさん。巡礼中、力の使い方を教えてください。戦い方を教えてください。それから、大規模な戦闘訓練が予定されたら事前に私に教えてください。明日には出立しましょう。私が積極的になったとあれば、上の方々もあなた方を悪いようには言わない。そうですよね?」
「愛子……。教えてくれ。どうして、初めて会った僕たちのために貴方はそんなにも頑張ろうと出来るんだい?」
「どうしてって、私、先生ですから!!」
右手で拳を作って胸元を叩く。彼女が目指す教師のような威厳が溢れているわけではなかった。小柄な体格で童顔。どんな仕草をとっても、可愛らしく見えてしまうその姿。だが、胸を抑えるクリスが感じたその思いは、彼女の可愛らしさからくるものではなかった。
理論はぐちゃぐちゃ。突けばボロなんて沢山出てくるだろう。彼女の言葉は心の中に湧いて出てきたものをそのまま吐き出しているに他ならない。彼女の理想に心を打たれたわけではない。
平和な世界で過ごしてきたが故なのだろうか。それとも、愛子が愛子であるが故なのだろうか。どんな人間へも等しく伸ばされる温かな手を幻視した。クリスは、彼女の愛に胸を打たれたのである。
「白亜さんも協力してくれますよね?」
「ああ、もちろんだとも。私にできることなら協力しよう。畑山先生」
ようやく聞くことの出来た望んだ呼び名に、愛子は満面の笑みを浮かべて見せた。
第5話を最後まで読んでいただきありがとうございました。
理論作りが難しいですね。書いているときは大丈夫そうと思っても、読み返すとそうでもない。あと、話し言葉が長くなり過ぎました。登場人物が思ったことをただただ吐き出すことが多い回でしたね。こういうところも簡潔に書けるように努力しなければ。
感想、評価etc.お待ちしております。