一夏の同窓会のお話
ノストラダムスの大予言、というものを、誰でも一度は耳にしたことがあると思う。
僕が丁度高校三年生のころに、その予言は成就の時を迎えようとしていた。
胡散臭い特番が組まれたり、出典不明の怪しげな陰謀論の本がそこかしこに出回ったり。今思えば、この頃がオカルトの全盛期だったように思う。
連日のように飛び交う『世界滅亡』という言葉は、人々の心を魅了し、揺さぶり、そして引っ搔き回した。時世が時世だっただけに、滅亡という意味が広すぎる言葉は、人々の想像力を大いに搔き立てた。
しかし、この膨れ上がった好奇心と期待、そして不安は、無情にも裏切られることになる。
予言が示す七月が過ぎ、八月、九月と過ぎても、世界は滅亡はおろか平和そのものであったのだ。
つまり、予言は現実のものにならなかったのである。
当時の人々は絶望したことだろうし、言いようのない怒りを覚えたことだろう。中には彼に対して憎悪や敵意を抱いたものだっている。ノストラダムスはインチキだと、声高に宣言するのもやぶさかではないだろう。
何故ここまで言い切れるのか。
かく言う僕も、ノストラダムスに裏切られた一人であるからだ。
◆
「暑い……」
じりじりと容赦なく照り付ける日差しについそう呟きながら、僕は緩やかな坂道を歩く。
コンクリートの擁壁に囲まれた山の斜面。その上側から竹林が、覗き込むように風に揺れている。
空は雲一つなく、太い絵筆で塗ったような青空が広がっている。
二十年前と変わらない夏の様子であるのに、うだるようなこの暑さだけは年々強烈になっている。
地球温暖化が叫ばれて久しいが、ここまで暑くなるのは想定外だ。そのうち熱中症で倒れてしまいそうで怖い。
うだるような熱射に耐えて坂道を登ると、モルタル製の古ぼけた校舎と、同じくらい古ぼけた校門が目に映った。
「はぁ……漸く着いた」
僕は溜まった疲れを一息で吐き出すと、校門の入り口に立て掛けられた看板に目を移す。
『瞳が丘高校第二十三期生同窓会』
「……懐かしいな。ここに来るのも」
卒業したあの頃と変わらない灰色の校門に、僕は様々な思いを馳せながらそうつぶやく。
決して戻ることはないと思っていたこの場所に、僕はまた戻ってきた。二度と戻る気はなかったのに、ある話を聞いていてもたってもいられなくなって、こうして戻ってきたのだ。
その話とは、刎頸の交わりであった遠い地に住む友が帰ってくるわけでも、深い恩があった恩師が出席するわけでもない。
「おーい! ミツルー!」
暫く校庭を歩いていると、遠くの昇降口の方から、手を振る一人の男の姿が見えた。
白髪まじりの黒い天然パーマに銀縁のメガネをかけ、濃紺のスーツに身を包んだいかにもビジネスマンといった顔立ちの彼は、普段は崩すことのない相好をこれでもかというほどに崩し、僕との再会を心から喜んでいる。
そんな男の様子を見て、僕の表情が思わず硬くなってしまう。
「……その声……レイジか」
呟いた僕の声は、レイジに届くことなく消える。
久しぶりに出会う友人は、僕の下へ駆け寄ると、そのまま肩を抱き、流れるように固い握手して同じように笑顔を見せた。
「久しぶりだなぁミツル! 卒業式以来か? こうやって話すの!」
「そうだな……まぁ俺はお前の話は結構聞いてたけど」
そう、レイジは今やとある貿易会社の宣伝部長であり、様々な媒体に顔を出す有名人となった。
冴えない平社員の僕とは、大違いだ。
「俺はてっきり、お前は来ないもんだと思ってたよ。金輪際ここには来ないって言ってたから」
にこやかにそう言ったレイジから目を逸らし、「……まぁ、そうだな」と答える。
「じゃあ会場に行こう。今日は安藤先生も来てるからさ」
そう促され、僕はレイジと共に校舎の中に入っていく。
脳裏には、あの日の記憶が蘇ってきた。
◆
「え……受験するの、辞めるの?」
二十年前の、六月。
人気のない教室で尋ねたのは、驚きに顔を染めた僕の彼女、サクラだった。
「なんで? なんで急に辞めちゃうの?」
「……だって、やる意味なんてないだろ」
そのまま泣きそうな顔で更に訊いてくるサクラに、僕は嫌そうな顔を向けて答える。
「もうすぐ俺たちは死ぬって言うのにさ、勉強なんか出来るわけないじゃん」
「だって、あんなのただの予言でしょ? 信じる方がおかしいじゃん。それに────」
「うるさい! 僕はもう決めたんだ! 死ぬくらいならせめて好きなことして死んでやるって!」
苛立ちをぶつけるように怒鳴りつけると、遂にサクラの目尻からつぅっと涙が一筋こぼれ落ちた。
「だって……約束したじゃん……一緒の大学行こうねって……だから……私……」
「……もう、いいだろ。世界が滅びるかどうかの瀬戸際って時に、受験の事考えてる余裕なんかないよ」
「だけど……」
「……ごめん。今日はもう……帰る。また後でメールするから……」
僅かな罪悪感を心に宿したまま、僕はバックを抱えて教室から出て行く。下駄箱へ向かう僕の背後から、少し遅れてサクラの泣き声が聞こえた。
◆
長ったらしい挨拶やら写真撮影が終わった後、僕らは校庭へと来ていた。
学校にある、一本の大きな松の木にタイムカプセルを埋めるのが恒例行事なのだが、僕らの代も例にもれず、松の木の下に埋めたらしい。
「うっわー、めっちゃなつかしいなぁー……」
掘り出されたタイムカプセルを見て、レイジがそう独り言ちる。
実際、タイムカプセルの中にあったものには、当時流行ったものが所々に見られており、久しぶりに見た僕もほんの少し懐かしい気持ちがした。
「……あった」
そんな、懐かしい気持ちも、一通の手紙と共に全部吹き飛んだ。
「……ミツル……それ……」
レイジも気づいたのだろう、心配そうな顔で僕の顔と握られたものとを交互に見つめる。
「うん。これが僕が同窓会に来た理由だよ」
そう言って、レイジに僕の手にあるものを見せる。
それは、サクラの字で『ミツル君へ』と書かれた手紙であった。
◆
サクラが亡くなったと知らされたのは、大予言が成就されるはずだった月から二か月経った、始業式の日のことだった。
あの日のことはよく覚えている。不自然にサクラの席に置かれた花瓶、いつになく真剣な先生の声、ざわめくクラスメイトの戸惑いの表情。
そして……ひどく重苦しい罪悪感。
自分から連絡するのも気まずく、学校でもよそよそしい関係が続いたまま、夏休みもろくに連絡しなかった自分を、この時ほど悔やんだことはなかった。
だから、彼女の葬式にも顔を出さなかった。彼女の両親に、どんな顔をして合えばいいか分からなかったからだ。
だというのに、彼女の母はその三日後に訪ねて来た。
「娘から貴方宛ての手紙を預かっている」という言葉と共に。
サクラの母親が帰ってから、僕はすぐにその手紙を読まなかった。どんな恨み言が綴られているか、直視するのが怖かったからだ。
それでも読まなければと、勇気を出して手紙を見て──
「……え……?」
僕は驚いて目を見開いた。
そこに書かれていたのは、僕への謝罪だった。心臓の病で永く生きられないこと、一緒にいられない事、何より病気のことを黙っていたことが、丁寧に、淡々と綴られていた。
そこには、僕に対する怒りも、憎悪もない。ただ、僕に対する謝罪だけ。
最後にあったあの日、あんなに酷いことを言ったにも関わらず、サクラは僕を、ひいては僕たちの関係のことを最後まで心配していたのだ。
「……サクラ……」
気づけば、僕は泣いていた。申し訳なさと、ふがいなさと、様々な感情が入り混じった、大粒の涙で目が一杯になった。
「……ごめん……本当に……ごめん……!」
僕は泣きながら、いなくなったサクラに向けてひたすら謝った。
◆
「……あの日から、二十年経った」
手紙を見つめながら、僕は呟く。
「あの日の事を、僕は一度も忘れたことはない。これからだって、忘れることはないよ」
「ミツル……で、でも!」
レイジが思い出したかのように口を開いた。
「俺、卒業前に言ったよな? これ以上引きずっても意味がないって! これ以上過去を振り返らないように、前見て歩けるように、タイムカプセルに置いて行けって!」
「……そうだな。確かに一度、そう言われたな」
「だったら──」
「でも……」
レイジの言葉を遮るように、僕は自虐的な笑みを浮かべながら彼に向き直る。
「ダメだった。どんなに前を向こうとしても、どんなに振り返らないようにしても、あの日のサクラの顔が頭に浮かぶんだ。何より……」
「何より……なんだよ」
「僕には、捨てることなんて出来ない。楽しかったことも、悲しかったことも、勿論あの日の事も全部ひっくるめて、引きずってでも背負わないといけないんだよ」
だから僕はここに来たんだ。と、僕は再び手紙を見つめる。
「……この二十年。僕の心は空っぽだった。ノストラダムスの予言が外れたあの日から、止まったままなんだ。僕が再び前を向くには、サクラとの思い出を取り戻さなきゃダメなんだよ」
そうだろう? ……レイジ。
僕の質問に、レイジは答えることはなかった。悲しげな眼をしながら、ただ黙って僕を見つめるだけで、何も言わない。
「なぁ……答えてくれよレイジ……僕は……僕は、これで前を向けるのかな? これで……僕はまた、前へ進めるようになるのかな……?」
重ねるように尋ねた僕の言葉は、擦れるように震えて消える。
レイジは尚も黙ったまま、答えることはなかった。