ハリボテエレジーの前脚 作:前脚
JAPAN WORLD CUP3
「エンヤコーラ! すごい脚! くるかエレジー!? きたエレジー! 伸びている! きた! きた! きた! ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!」
「ハリボテエレジー、やっと目的地にたどり着きました! 大きな杓文字で掘り返す、炊きたての古い米。赤茶けたおかかを一振り」
「確定しました。1着8番ハリボテエレジー3.0。2着にはメカハリボテが入りました」
「ジャパンワールドカップ、実況は茂木淳一。またお会いいたしましょう。五右衛門風呂」
悲鳴と怒号、そして鉄の馬体を揺るがす大歓声。取るに足らないと黙認されていたが、今や誰もが認めざるを得ないだろう。
魔の第三コーナーを克服し、それどころか遂に世界最速を証明した。人は馬よりも速いことをも。
ギコギコと馬上から軋む音が聞こえる。馬体の中からでは何も見えないが、好太郎がまだ漕いでいるのだろう。サンコンの羽ばたきが馬鹿にできないように、櫂の推進力も同じ。最後の加速は、残していた脚を使っただけではない。好太郎もまた、加速に貢献していた。
吹き戻し用の管に息を吹き込み続け、だんだんと顔が痺れてくるのを感じる。馬体がドラム缶になる前から、ダンボールだったときから若干の通気に難があった。ハリボテネイチャーでその点だけはかなり改善はできたが、溶接されたドラム缶には最低限の穴しか開いていなかった。酸欠は常に我々につきまとっていた。しかし走るのは止められない。一番脚が速く頑丈なのは自分なのだ。10Rを走ったからと言って、あれは前哨戦、それに走りきれなかった。後ろ脚たちが頑張っているのに速度を緩めるなどあってはならない。最後まで観客たちに見せつけなくてはならない。ハリボテエレジーの勇姿を。世界最速の馬の姿を。
そうは思うものの、だんだんと真っ暗な視界が白く染まってゆくような感覚に塗りつぶされていく。ふわりふわりと、足元がおぼつかない。第一回第二回JWCのような、疲労から足がもつれて転倒するようなのとは違う。
ランナーズハイであろうか。どこまでも走っていけそうな、そんな感覚さえも感じる。
あの時が人生の絶頂期だった。賞金10億円を5人で山分けし、2人は去っていった。残ったのは好太郎と後脚、そして私。牧場や厩舎なんてないのだから当たり前だ。ハリボテエレジーの中の人に栄誉はない。ハリボテエレジーは馬なのだから。だから、唯一与えられるのは、賞金だけ。多くの人はこの偉業を称賛してくれたが、さりとて「取るに足らないから許されていた」と考える者も多く、1着を取り消しにする運動までもが起きていた。心無い言葉も浴びせかけられたことを鑑みれば、こうなる前に姿を消したあの二人の選択は正しかったのだろう。
その後は第二回ハリボテ記念に出走したが、ハリボテネイチャーはどうあがいても失敗作であった。強度を求められていたのに、藁束では我々の力に耐えられようもない。魔の第三コーナーで転倒し、残り400m地点の先で転倒した。今までどんなに転倒しても、最後まで走りきっていたが、第一回同様に棄権してしまった。藁束が散り、全て回収できなかったのだ。検量室で、改めて失格を言い渡された。
いい機会だった。私はハリボテエレジーを引退した。走ることはやめられなかったが、本懐を果たして燃え尽きてしまったのだろう。後脚を誘ってスキージャンプ・ペアにでも出ようかと思ったが、彼は好太郎となにやらするつもりらしかった。
2億円。慎ましく余生を過ごすには充分に過ぎる金額だった。平々凡々な前世から考えたら想像もできない金額だった。
道楽として、陸上競技のコーチを努めた。加齢による衰えだろう、だんだんとJWC3の時より明らかに遅くはなっていた。やがて教え子たちが私を追い抜いた日を機に、私は隠居することにした。早すぎる気もしたが、もう自分には役割がないように思えたのだ。
今の彼らなら、馬と同等以上に走るために何をすればいいかしっかりわかっている。私の知る、いや私達の5人の知る「走るためのすべて」を教えた。彼らは選手としても、コーチとしても大成するだろう。「ハリボテエレジーの教え」を与えられたのだから。
それからは、何事もなく、植物のように生きて、そして老いて死んだ。
気がつけば、また赤ん坊であった。
東京10R ハリボテ記念がJWC3より後日のレースと勘違いしていました。
訂正してお詫び申し上げます。