ハリボテエレジーの前脚 作:前脚
1歳、歩けるようになる。普通の子供と同様であった。試行錯誤はあまり功をなさなかったようだ。
1歳半、喋れるようになる。もともと無口であるが、それまで全く話さなかったため両親に驚かれた。
迂闊に知恵があると思われてはならない。神童ともてはやされると、その気はなくてもそう思ってしまうものだ。前世で神童からの凋落っぷりを実演した身としては、妙な期待を両親にさせたくはなかった。無口なのは好太郎の影響だろう。三人でトレーニングしたり馬体を作っているうちに、無言でのやりとりに慣れきってしまった。私は好太郎の声を聞いたことはない。そのせいで、好太郎の代わりにインタビューに出るのがしょっちゅうであった。事実上のスポークスマンである。
ともあれ、機動性を手に入れた私は、こっそり情報収集に勤しむのだった。放置されている新聞を広げたりせず読んだり、TVのチャンネルをニュースにしたり。新聞を熟読なんかしたら怪しまれるが、ニュース番組にするくらいなら、ニュース番組が何故か好きな妙な子供くらいに思われるのではないかという目論見であった。どのチャンネルのどのニュースでも、だいたいウマ娘関連の報道があるので、両親がそのままにしてくれる「チャンネルの争い」がないというのもいい。レース中継になるとそっちに変えられるが、これには文句はない。
そうして半年ほどTVにかじりつくような生活をしていたが、そこでわかったことがある。
ある日のこと、父がレース中継を観ていた。
「よーく見てろよ。今日もスプリントが勝つ。このウマ娘は凄いんだ」
父が私に推しているのはスプリントというウマ娘だった。短距離レースで出走すれば必ず大差で1着になる恐ろしいウマ娘だった。今日は初めての1600mだったが、一番人気だった。あまりにも勝つせいか、最低出走人数の5人で走ることとなったのだろう。
『スタートしました、やはり飛び出したスプリント、発射成功、順調に加速していきます』
『しかしいつもより加速が遅いですね。普段ならここで10バ身は離しています』
『その後を2番タロスが追っていく、その後をダグラススパルタン、ボマーク、ミゼットマン、ほぼ全員が塊になっています』
嫌な予感がした。魔の第三コーナーを通り過ぎた段階で、少し安心したが、それでも乾きかけのペンキのように不安が残る。
『スプリントが加速! 二段目に点火ぁ? ふらつ、転倒! 跳ねて避けっ』
ラストスパートに入ろうとしたのだろう、加速するそぶりが見えた次の瞬間、スプリントの体が跳ねた。転倒を避けようと強く踏み込んだせいだろう。足首が変な方向に曲がったのを確かに見た。
実況の願いも虚しく、一回バウンドしたその胴体が、吸い込まれるようにすぐ後ろまで迫っていたタロスにぶつかる。
そこから先は悲惨だった。転倒したスプリントとタロスが、他の三人のちょうど避けた先に跳ねた。誰もかわせなかった。
TVからはしばらく悲鳴しか聞こえなかった。誰も立ち上がらなかった。やっと実況がレース中止を伝え、CMに切り替わった。
そのときの父の顔は思い出せない。思い出さないほうがいいのだろう。
この世界のヒトは脆い。
「ヒト」というのは、「普通の人間」と「ウマ娘」、両方を指す。
アスリートでもない人間が自動車事故で怪我したり死ぬのは、ままあるだろう。しかし、たかが競馬のレースで横転したからといって骨折や予後不良などは滅多なことではありえない。それが私の認識だった。前世での常識、そして実体験からくるものだ。ハリボテエレジーだった頃、時速60キロを超える速度で横転して怪我をしただろうか。バーニングビーフやジャンボナンプラーの勝つレースで、再起不能になった馬や騎手はいただろうか。ジェフ&タイラーの「ロデオ」で、振り落とされたタイラーはピンピンしていた。JWCで騎手ができるくらいだ。
この世界のヒトの強度は、前前世と同じくらいなのではないか。
そう考えると、私は迂闊に動けなくなる。ハリボテエレジーとして鍛え上げられた頑強な肉体は、そうそう故障することもなかった。だが今生はどうだろうか。迂闊に転倒すれば死ぬ、なんてこともあり得るのではないか。前世と同じ感覚でハリボテエレジーとなり、あの魔の第三コーナーで横転したら、あの世まで転がっていくかもしれない。
用心に越したことはない。今生の両親もまたいい人だ、私の迂闊さで早世して悲しませるなどしたくはない。
しかしだ、鍛えれば死ににくくなる可能性もまたあるわけだ。できることなら、また好太郎や後脚とハリボテエレジーを組みたい。共に進める友がいると、格段にやる気が出るものだ。
BIG ONE.
出走馬をアーンハートなどからとろうかと思いましたが、思い直して完全な架空バにしました。