ありふれてないオーバーロードで世界征服   作:sahala

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 今の心境を述べると———リボルバーに弾を丁寧に詰めていくというか、あるいは導火線の前でライターを弄っているというか。


第百五話「食い違う歯車」

『本当にアインズ様に伝えているのでしょうね? いいこと、アインズ様に誰が正妃に相応しいのかをキチンと宣伝して———』

「いい加減にしつこいぞ、守護者統括!」

 

 冒険者ヴェルヌに変装したナグモは、とある街の路地裏で念話用のアイテムに向かって敬称すら付けずに苛々とした声を出した。念話相手のアルベドは、ナグモに劣らずに不機嫌さを滲ませた声を出す。

 

『しつこい、ですって? これは魔導国の将来をも左右する重要な案件なのよ。大体、誰のお陰であのアンデッド娘の()()が貴方に一任されていると———』

「香織の事はアインズ様から直々に僕に任された事だ、お前の功績ではない! もう切るぞ、規定の報告以外で頻繁に念話をかけるな!」

『待ちなさい! 話はまだ———』

 

 ブツン、とナグモは念話を打ち切る。しばらく何度か念話を繋げようとしてくる感覚があったが、ナグモは無視した。

 

「クソ、こんな事なら着信拒否機能も付けておくんだった」

 

 眉間に皺を寄せながら念話用のアイテムを懐に仕舞う。素早い情報伝達の為に、と生成魔法を使ってナザリックの全員に行き渡るくらい量産したアイテムだったが、こんな下らない用事で頻繁に呼び出す相手がいたのは想定外だ。

 冒険者モモン(アインズ)のお供として行動しているナグモ。最上位の金ランクに至った彼等には冒険者組合から多くの依頼が入る様になり、魔導国の宣伝も兼ねて各地を巡る様になった。しかし、そこでアルベドが定時連絡の時以外にも連絡を入れてくる為にナグモはかなり辟易していた。しかも内容が『魔導王の横には黒髪の絶世の美女がおり、あれこそが魔導王の妃に違いないという風に人間達に宣伝せよ』という様な心底からどうでも良い内容だった。

 

「そんなに御方の寵愛を賜りたいなら、自分で言えば良いだろう………!」

 

 苛々とした口調を隠す事なく、ナグモは路地裏から出る。人間達の前で念話を使っている所を見せるわけにもいかないから薄汚い路地裏に入ったのだ。そこまでして聞いた連絡の内容が内容だけに、ナグモはかなり不機嫌になっていた。

 そもそもアルベドがここまで必死になり始めたのにも理由はある。いつものシャルティアとの恋の鞘当てで、シャルティアが『ナグモの手を借りれば妾でもアインズ様の御子を孕めるでありんす!』と言ってしまったのだ。如何なる手段かはアルベドも思い当たらないが、ナグモがアンデッド(香織)を溺愛しているならばいずれはアンデッドに妊娠させる技術を作り出すと確信したのだろう。前にも増して、シャルティアより先んじてアインズの正妃となるべくアプローチをかける様になったのだ。

 しかし、そんな事情を知らないナグモからすれば、ただでさえ香織の処遇で揉めたというのに、その上でアルベドがいかに正妃として相応しいかをアインズや人間達に四六時中宣伝しろなど、最早やる気にもなれなかった。

 

「クソ。こんな低俗な事に時間を割くなど、まさに時間の浪費だっ」

 

 周りの人間達が奇異な目を向けている事にも気付かず、ナグモは変装用のフードを被ったままブツブツと呟きながら歩く。『如何なる時も冷静で合理的に判断する』と創造主に創られた筈なのに、香織と共にいる事を『飼育』と言い放ったアルベドの事を思い出すと、苛々とした感情が抑えられなかった。

 

(落ち着け、ナグモ………こんな風に感情に振り回されるなど、それこそ低脳な人間達と同じじゃないか)

 

 立ち止まり、何度か深呼吸をする。アルベドに対する怒りは収まらないが、それでも少しだけ冷静になれた。

 

(そうとも。僕は至高の御方(じゅーる様)によってデザインされた人間。こいつ等とは違う)

 

 雑踏には大声を張り上げる露店商や、買い物でごった返す主婦達、そして大人達の間をすり抜けて走り回る人間達がいた。

 それらを———周りで蠢く有象無象(人間達)をナグモは下らない物を見るかの様に冷たく睨む。

 

 これこそが『ナザリックの人間嫌いな科学者』であるナグモの根幹だ。

 自分は神すらも陳腐に思える至高の御方の手で直接創られ、優秀な頭脳と一般人よりも強力な身体(レベル)を与えられた。そしてナザリックの第四階層守護者代理にして、技術研究所の所長として至高の御方に奉仕すべしという絶対的な使命感も与えられた事を誇りに思っていた。

 だからこそ———身体も頭脳のスペックが低く、それでいながらそれを恥じる事も改善する事もなく、日々を漫然と過ごしている様な人間達を『低脳』と見下していた。彼にとって普通の人間達は知能の足りない猿の様に見えて、自分と同じ種族だと思うと寒気すら覚える程だった。

 

(まあ、人間の中には香織や八重樫みたいにマシな分類はいるにはいるが………そんな人間がいても、気に入らないからと寄って集って排除して、声が大きいだけの馬鹿な奴を祭り上げるから人間達は低脳なのだ)

 

 光輝を含めた元・クラスメイト達の事を思い出してしまい、ナグモはまたもや苛立ちを募らせてしまう。

 地球に転移していた時、ナグモの年齢は十歳程若返ってしまった為に義務教育として学校に通わざるをえなかった。天才的な頭脳を持ちながら、幼稚な子供達に混じって授業を受けなればいけない苦痛の日々は、日本の学校が飛び級制度を導入していない事を不満に思わなかった日は無かったくらいだった。海外の学校に通おうにも、ナグモが暮らしていた養護施設にはそんな資金的な余裕は無く、結局ナグモは奨学金で通える近場の学校を選ぶしかなかった。

 そうやって苛立ちながらもどうにか我慢しながら通った高等教育学校。地球の()()()学問などさほど参考にもならないが、養護施設の職員達がナグモの中学までの成績を見て、「これ程頭が良いなら義務教育で終わるのは勿体ない!」としつこく言う為に、煩わしく思いながらも高校に入学した。

 義務教育では無くなったのだから、仮にも学徒としての自覚ぐらいは猿以下の人間でも出るだろうと思っていたが、クラスメイト達のほとんどが幼稚で馬鹿な人間(天之河光輝)を考えなしに持て囃して思考を放棄している烏合の集だった事は、ナグモに『人間はやはり低脳』と再認識させるには十分だった。

 

(やはり愚かな人間(低脳)達は至高の御方によって、全て管理される事こそが、理想の社会———)

 

 ドンッとナグモの足に軽く何かがぶつかった。考え事をしていた為に無意識で歩いていたナグモが目を向けると、七歳程度の人間の小さな少年が水桶をひっくり返して地面に倒れていた。水桶から溢れた水が自分の靴を濡らした事に腹を立て、アルベドの件もあって不機嫌だったナグモはフードの奥から苛ついた声を出す。

 

「っ、前を見て歩け! 不注意だ———」

「ひぐっ………」

 

 少年は突然、目端に涙を浮かべる。転んだ際に擦り傷などが出来たわけではないが、アルベドの件で不機嫌だったナグモの怒りのオーラを感じ取った為に泣き出してしまった。

 

「う、うう、うわあああっん!」

 

 こうなってしまうと、通行人達は何事かと足を止めた。そして年端もいかない子供が()()()()()()()という状況に、泣かせたであろうフードの男に冷たい目線を向けた。

 

「っ、何故泣き出す! ただ転んだだけ———」

「う、ひぐっ、ええん!」

 

 周りから白い目で見られている事に流石に居た堪れなくなったナグモが声を掛けるが、少年は泣くだけで会話が成立しなかった。そうしている内にも何事か? と人集りが出来てくる。

 

「〜〜っ、こっちに来い!」

 

 人の目が集まっている事に苛ついたナグモは、少年と水桶を抱えると人集りから逃げ出す様に足早に立ち去った。

 

 ***

 

 どうしてこんな事になった? 

 そんな事をブチブチと不満に思いながら、ナグモは水を入れた水桶を運んでいた。後ろから、少年が涙を拭った赤い目でついてくる。

 

「ぐすっ………あの、さっきはお洋服濡らしちゃってごめんなさい」

 

 蚊の鳴く様な小さな声で少年は話しかける。しかし、不機嫌そうな雰囲気を隠そうともしないナグモを見て、少年はぐすんっと鼻を鳴らしていた。

 

(これだから人間、それも子供は嫌なんだ………)

 

 ナグモは盛大に溜息を吐く。地球の養護施設で暮らしている時、施設の職員から年少者の面倒を見る様に言われた事もある。しかし、人間嫌いなナグモからすれば論理的な思考よりも感情を優先させる子供達など関わるのも嫌な相手の筆頭だった。

 

(これもアインズ様の為………冒険者モモンの名誉を守る為だ)

 

 冒険者モモンのパーティメンバーであるヴェルヌが子供を泣かせたなど、モモンの名声に泥を塗る行為だ。それを弁えているからこそ、ナグモは人間の子供相手に溢した水を代わりに汲んで家まで送り届ける事にしたのだ。もっとも、その態度はかなり不満気だったが。

 そんな大人気ないナグモ(0歳児)と人間の少年は、街外れの家に辿り着いた。その家は小さく、外壁もかなり荒れ果てていた。

 

「………ここか?」

 

 一瞬、家畜小屋じゃないのか? と思ったが、少年の方を振り向くとコクリと頷いた。こんな場所に入らないといけないのか、とナグモが溜息を吐きそうになっていると、少年は小屋のドアを開けていた。

 

「お母さん、ただいま!」

「お帰り、オリバー………ケホッ、ケホッ」

 

 小屋の奥(といっても狭い家だから戸口から入ってすぐだが)から、嗄れた女性の声が聞こえる。粗末なベッドに寝込んだ女性は、喘息を起こした様な苦しそうな吐息をしていた。

 

「お水、汲んできたよ」

「ありがとうね………そちらの方は?」

 

 起き上がるのも辛いのか、ベッドの上にいた女性が首だけ向けて戸口で水桶を立ったままのナグモを見る。それに対してナグモは水桶を置いて、さっさと用事を済ませて出て行こうとして———。

 

「その………通りでぶつかっちゃって、この人のお洋服を濡らしちゃって………」

「………はぁ?」

 

 オドオドと告白する少年に、ナグモは思わず声を上げてしまう。事実とは異なる内容だったが、少年の母親は疑わなかった様だ。

 

「まあ、なんて事をしたの! ごめんなさい、ウチの子がそそっかしいばかりに」

「いや、待て。この子供が言っている事には、かなり齟齬が———」

「それに、もしかしてこの子の代わりに水を汲んできて頂いたの? ウチの子の為にそこまでして貰うなんて、本当に………ゲホッ、ゲホッ!」

「お母さん!」

 

 ベッドの上の母親が激しく咳き込む。子供は慌てて近寄り、母親を心配そうに見る。

 それらを見ながら、ナグモは拳を握り締めた。

 

(この人間達は………一体、何を考えているんだ? この僕が、人間の子供なんかの為に動くわけないだろう………!)

 

 何より、ここに来る羽目になったのは自分が子供にぶつかったのが原因だ。紛れもなく、ナグモ自身のミスの筈だ。それを()()()()()()()()()()()()()()()というのは、人間嫌いなナグモからすればかなり屈辱的だった。

 水桶を玄関に置くと、ナグモはズカズカとベッドに近寄る。

 

「おい———少し診せてみろ」

「え………?」

「咳の頻度は? 痰は出るか? 痰の色は? 出来る限り詳しく話せ」

 

 矢継ぎ早に聞くナグモに、少年は目を丸くする。

 

「お兄さんはお医者さんなの?」

「そんな事はどうでも良い。さっさと話せ、母親を死なせたくないならな」

 

 ナグモは母親の脈の状態や喉を見ながら、冷たい声で聞いた。必死で母親の症状を伝えようとする子供を横目で見ながら、ナグモは診察を始めた。

 

(こんな人間の子供にミスを庇われるなど屈辱だ………! だが、借りとなった以上は返さなくてはならない。返さないのはじゅーる様のご信念に対しての不義だ………これは人間なんかの為じゃない、僕の創造主であるじゅーる様の為だっ!)

 

 ***

 

「フン、つまらん。いっそ未知の病原体でも出れば、話は別だったのに」

 

 少年から聞いた僅かな問診と、母親自身を診察した後にナグモは鼻を鳴らした。結果として非常にありきたりな病気で、ナザリックの医療技術からすれば一瞬で快癒する程度のものでしかなかった。

 

「この丸薬を飲め。一日意識が無くなる様に眠るが、次の日には咳は治まる筈だ。身体に倦怠感が残る様なら、こっちのポーションも服用する様に」

「あ………ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

 ナグモが懐から薬を取り出すと、子供と母親はペコペコと頭を下げる。

 

「フン………だが、その喘息は栄養失調も原因の一つだから、食生活を改善しないと根治療法にはならんぞ。そもそもこの小屋は衛生環境が悪い」

 

 窓を閉めても隙間風がしきりに吹く屋内をナグモが見渡すと、母親は恥じる様に顔を伏せた。

 

「恥ずかしながら………我が家にはお金があまりなくて」

「この家の家主はどうした? 病人がいるのに家の環境を改善しようともしないのか?」

「主人の事ですか? 主人は………“聖戦遠征軍"に徴兵されました」

「………ふん、なるほどな」

 

 子供の母親の言葉に、ナグモはようやく思い出した。王国によって———より正確に言うなら裏で糸を引いているデミウルゴスによって———発足された聖戦遠征軍。都市や街では冒険者以外の若い男性が徴兵され、即席の兵士となるべく各地の練兵場に送られていた。いくら王国ではエヒト神への信仰が篤いといっても、彼等にだって生活はある。本当ならば断りたい者も多いだろうが、住んでいる土地の領主の命令に従わなくてはならず、さらに従軍によって今年の納税を多少軽減できるという事もあって行かざるを得ない者は多かった。この家の様に貧しい家庭では尚更だろう。

 

「お父さんはね、勇者様達と一緒に悪い魔人族と戦うんだ!」

 

 子供が興奮した様子でナグモに話し掛ける。

 

「だからね、お父さんが帰るまでは僕がお母さんの事を守るの! お父さんにも、お母さんを頼む、と言われたからね!」

 

『―――じゃあな、ナグモ。“アインズ・ウール・ゴウン"を……モモンガさんを、よろしくな』

 瞬間———ナグモの脳裏に、今となってはかなり昔の光景が思い出された。

 

「……………」

「お兄さん?」

 

 急に黙ってしまったナグモに、子供が不思議そうに首を傾げる。しかし、ナグモは返事をせずに立ち上がった。

 

「………帰る。邪魔をしたな」

「まあ、そうですか? ごめんなさい。何から何までお世話になったのに、大したおもてなしも出来ずに………オリバー、せめてお見送りしてあげなさい」

「はい、お母さん!」

 

 薬はキチンと飲む様に、と伝えてナグモはベッドに寝たままの母親に背を向けて玄関から出た。その後ろから子供がパタパタとついてくる。

 

「あ、あの! お母さんのこと、ありがとうございました!」

 

 玄関の外で、子供が頭を下げてくる。声をかけられたナグモは立ち止まり――子供に向き直った。

 

「———お前。父親から家を任された、と言っていたな」

「え? は、はい………」

「任された以上は必ず守り抜け。それをやるには何が必要で、何が足りないのか常に考えろ。言われたからそこにいるだけなど、猿にも出来る」

 

 無愛想という表現がピッタリな様子でナグモは子供に言い放つ。しかし、先程よりはいくらか不機嫌の度合いが少なくなっている様には見えた。言われた事を考えている子供に、ナグモは懐に入っていた金貨の袋を押し付ける。

 

「これをくれてやる。お前の母親に、栄養のつく物でも食べさせろ」

「こ、こんな大金、受け取れないです!」

「僕にとっては端金だ」

 

 至高の御方が命じてセバスに始めさせたという商店のお陰で、トータスの外貨も簡単に手に入る様になった。そもそもナグモにとって、トータスの金貨などあまり価値がないものだった。

 

「でも、その………」

 

 一向に受け取ろうとしない少年に押し付ける様に持たせ、ナグモは黙って背を向けて歩き出した。

 ………大分、時間を無駄にした。これ以上、この人間に用など無かった。

 

「あの!」

 

 金貨の袋を持ったまま、少年はナグモの背に向けて大声を出した。

 

「ありがとうございました! 僕、お兄さんの事を忘れません! いつか、ちゃんと恩返しします!」

「………まあ、期待しないで待ってはやる」

 

 今度こそ、ナグモは振り向く事なく少年の元から立ち去った。

 

 ***

 

(………何故、あんな事をしたのだろうか?)

 

 帰り道で、ナグモは今更ながらに自分の先程までの行動に疑問を覚えていた。

 

(人間の子供に対する詫びという意味なら、母親の病気に薬を処方したことで貸し借りは無くなったと言って良い筈なのに………)

 

 その後、子供に金貨をくれてやったのは………いくらナグモには不要だったとはいえ、サービスが過ぎるのではないか?

 

「必要経費だ。あの子供が、冒険者ヴェルヌに施しを受けたと周りの人間に宣伝すれば、それは延いては冒険者モモンの名誉となる」

 

 口に出して言ってみたが、どうにも違う気はする。そもそも自分はあの母子に結局名前を名乗ってはいないし、どう見ても彼等が人間達に広く喧伝できる様な人脈を持っているとも思えなかった。

 

(ならば、何故………まさか、あの子供に同情したというのか? たかが人間の子供なんかに?)

 

 いつ帰るかも分からない父親を、健気に待ち続ける子供。

 その姿は———じゅーるがナザリックからいなくなってからも、第四階層に居続けた自分の姿と重なる気がした。それに思い至り、ナグモは自分の内心を鏡で見せられた様な気持ちになった。人間相手にそう思ってしまった事に不快だったが、それは自分自身を不快に思っている様で益々面白くない気分になった。

 

(人間なんかと、似た物があるなんて………)

 

 去り際に人間の子供が言ったことを思い出す。恩義に必ず報いるという姿勢は、じゅーるが常日頃から言っていた事だから否定する事も出来なかった。

 元・クラスメイト(有象無象の人間)達は愚かだ。過ちを犯しながらも顧みる事なく、自分より優れた人間がいたら寄って集って攻撃せずにはいられない低脳な生物だ。

 しかしながら、今、じゅーるの様に“恩には恩を返す”という精神を見せた少年は人間だった。

 そして———人間嫌いな自分に愛情を抱いた香織もまた、人間だったのだ。

 ふと、ナグモは立ち止まる。先程、アルベドとの通信で心がささくれ立ち、敵視する様に見下していた人間達の雑踏が周りにあった。

 だが———何故か、今は先程とは違って見える気がしていた。

 

(人間とは………何なのだ?)

 

 思えば、じゅーるによって創られた感情(設定)に従って人間を嫌っていた。だが、人間という生物はそれだけで判断するには不十分な気がしてきた。

 

「ナグ———ヴェルヌくん!」

 

 雑踏の中で立ち止まっていたナグモに、聞き覚えのある声がかけられた。振り向くと、香織がこちらへ駆け寄ってきた。

 

「ここにいたんだね。ナザ………ええと、急に呼ばれた用事は済んだの?」

「………別に。どうでも良い内容だったさ」

 

 人間達の前でナザリックの名前を出さずに誤魔化す香織。ナグモは、そんな自分の恋人をじっと見つめる。

 

「ん? どうかしたのかな?」

「いや………ブランは何をしていたんだ?」

「さっきまで診療所で治癒のお手伝いをしていたよ。遠征軍に“治癒師”の人達も連れて行かれちゃったから、今はお医者さんも人手不足なんだって。だから、私の治癒魔法の出番だと思ったの。あ、治した人には『魔導国なら腕の良いお医者さんがいっぱいいますよ』って、宣伝もしたから心配しないでね」

 

 確かに嘘では無いだろう。今の魔導国にはミキュルニラを始めとしたナザリックの医療チームが必ず常駐しており、彼等の腕前と比べればトータスの一般的な医者など月とスッポンだ。

 

「そうか………なんというか、君は本当に優しいんだな」

「そう? このくらい普通だよ?」

 

 不思議そうな顔をする香織を見て、ナグモは彼女にとっては人間を助ける事は特別な事では無いのだろうと判断した。先程、たった一人の子供を助ける事を不満に思っていた自分とは雲泥の差だった。

 

「………いや。本当に凄いとも」

 

 香織がなんとなく眩しく見えた気がして、ナグモは目を背ける様に香織に背を向けた。

 

「ヴェルヌくん………?」

「そろそろモモンさ———んの所に帰還しよう。少し、時間をかけ過ぎた」

「あ、うん。そうだね」

 

 ナグモは背を向けたまま、香織に寄り添う事なく歩き出した。なんとなく、今は香織の側にいる資格が無い気がしていた。

 

(ナグモくん、どうしたんだろう? 何かあったのかな?)

 

 そんなナグモの三歩ぐらい後ろを歩きながら、香織は考えていた。無理に聞き出しても、きっと話さないだろう。ナグモから打ち明けるまで、香織は待つ事にした。

 

(でも、どうして人間達を治してあげる事がすごい事なんだろう? だって———()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()())

 

 ギチリッ———ナグモの知らぬ所で人の感情の歯車が狂ってしまったアンデッド(少女)は、純粋に不思議にそう思った。




>ナグモ

 前々話でナグモはブツクサ言いながら人助けをすると書きましたが、まあこんな感じです。今まで嫌ってけど、色々な感情が芽生える事で人間とは何か? を考え出しました。きっと彼は、多くの感情と共に『人間嫌いの設定のNPC』から『本当の人間』へと成長するかもしれません。

>香織

 でも———どうか忘れずに。人間としての感情が芽生える程、ナザリックでの所業は罪の形で現れていく事を。
 かつての香織なら、人間達に優しくするのは彼女の精神性からくる行動でした。しかし、今となってはアインズが人間達を支配しやすくなる様に、と考えて擬態しているだけしかありません。

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