こんなシナリオを糸引く至高の御方とかいう奴は、きっと端倪すべからざる頭脳の持ち主なのでしょうねー(棒)
ハイリヒ王国・王城。
「ま、魔人族の大規模な侵攻だと!?」
「奴等の軍勢に天使らしき軍勢がついているというのは本当か!?」
「くだらんデマだ! 邪悪な魔人族共こそが天に選ばれた存在だと言うのか!?」
会議室では王国の貴族達が紛糾していた。議題はもちろん突然大規模な侵攻を始めた魔人族達と、彼等に付き従う様に行動している天使の軍勢の事だ。魔人族達と天使達はハイリヒ王国の領土にこそ侵攻はしていないが、彼等が一緒になって街や都市を破壊する姿は数少ない生存者によって目撃され、ハイリヒ王国にも情報は伝わっていた。
「ありえん! きっと魔人族が幻術か何かで天使様の姿に似せただけの魔物だ! 悪質な偽装工作だ!」
「だ、だが、生き残りの庶民共の目撃証言を聞く限り、聖典で伝えられるエヒト神の天使の姿そのものですぞ? 現に庶民達の間にも動揺が広がっている………エヒト神は我らをお見捨てになり、魔人族に祝福を与えたのではないかと……」
「ならば魔人族達は我々の聖典を盗み見して魔物を作ったに違いない! 貴様、人間族の守護神であるエヒト様を疑うというのか!!」
「わ、私の発言ではない! 庶民共が言っていた事を代弁しただけだ!」
「国王陛下! 勇者・光輝様こそがエヒト神の御使いではなかったのですか!? 一体、これはどういう事なのですか!?」
「ぐっ………イ、イシュタル大司教! 説明を! あれは本物の天使様だと思われるか!?」
自分達が信仰している神に見捨てられたのか、と貴族達は混乱したままエリヒド王に詰め寄る。しかし、エリヒド王にとってもまさに晴天の霹靂であり、この場で宗教関係に一番詳しいイシュタルに説明を丸投げした。イシュタルはパニック状態に陥っている彼等をゆっくりと見渡す。
「皆様、まずは落ち着かれよ。エヒト神は人間族の守護神。敬虔なる信徒である皆様をお見捨てになる筈はないではありませんか」
「し、しかし! 現に魔人族に、天使様達が!」
「何かの間違いでありましょう。仮に本物の天使様方だとしても、ハイリヒ王国———それも皆様方の領土には、まだ何の被害も及ぼしてはないでしょう」
「う、む……」、「それは確かに」と貴族達は少しだけ安心する。トータスにおいて、魔物や魔人族、さもなくば天災の類いで街や村が壊滅するのは珍しくなどない。ここにいる彼等にとって、自分の領地ではない都市や街が被害に遭おうが対岸の火事の様に受け止められていた。
そんな自分達の事しか頭に無い貴族達を見ながら、イシュタルはさも憂いている様な表情を見せながら呟く。
「魔人族達の目指す先、アンカジ公国は聖戦遠征軍の結成において、最後まで協力的ではありませんでした。きっと神も、その事に御怒りになってこの様な仕打ちをなさったのでしょう」
「そ、そうでしたな! ゼンゲン公は病気を理由に出兵を拒んでおられましたからな!」
「人間族が一致団結しなくてはならない時なのに、なんと身勝手な! 神が御怒りになるのも当然だ!」
「民など所詮は雨後のキノコの様に勝手に生えるというのに、何をそんなに躊躇していたのか………」
「伝染病が蔓延したなどと言っていたが、私の領土ではそんな事は無かった! ゼンゲン公の統治に問題があったのだろう!」
貴族達は次々と“遠征軍に協力的でなかったアンカジ公国領主”について、好き勝手な批判中傷を言い出した。自分達は何も悪い事はしていないのに、まるで彼のせいでエヒト神の怒りを買ったとでも言いたげな有様だ。
「皆様、そこまでにしておきましょう。ゼンゲン公は
「おお、そうですな! その為の遠征軍でしょう!」
国王や貴族達は希望を見出した様に表情を明るくさせた。こんな時の為の聖戦遠征軍であり、光輝が率いる“光の戦士団”なのだ。彼等の目が一斉に総指揮官であるムタロに向けられる。
「ムタロ・インパール。“光の戦士団”や聖戦遠征軍の準備は万端であろうな?」
「は………はっ、陛下! 私の教え子である光輝とその他の者達は真面目に訓練に取り組んでおり……えー、とにかく大丈夫ですとも!」
エリヒド王の質問にムタロが答えるが、その目線は泳いでいて何処か落ち着きがなかった。
———それもその筈。ムタロは総指揮官という立場にいながら、遠征軍や“光の戦士団”の現状をほとんど把握していなかった。最近の彼は賄賂を贈ってくる貴族達の接待を受ける事に忙しく、面倒な書類仕事なども身分がずっと低い部下達に丸投げしている為に御飾り以下の総指揮官という有様だったのだ。
しかし、エヒトルジュエによって判断力が狂ってしまったエリヒド王の目は、ムタロの挙動不審な態度すら見抜けないくらいに曇ってしまっていた。
「今こそ、勇者・天之河光輝が率いる“光の戦士団”で邪悪な魔人族を討つべき時である! 天使の姿をした魔物の軍勢など何するものぞ! 我らにはエヒト神より選ばれし“神の使徒”がついている!」
エリヒド王の力強い発言に貴族達は「おお!」と沸く。
「ついてはムタロよ、そなたは“光の戦士団”並びに聖戦遠征軍を率いて邪悪なる魔人族の軍勢を討つのだ!」
「は………はっ! 陛下、御意のままに」
「お待ち下され、陛下」
ムタロが額に脂汗を流しながら頷く。全容を全く把握してすらない軍をこれから動かすのには、かなり時間がかかるだろう。しかし、まるで助け船を出すかの様なタイミングでイシュタルが割って入った。
「今や聖戦遠征軍は十三万を超える大所帯。各地の練兵場より集めるにも、少し時間がかかるでしょう」
「じゅ、十三万?………あ、いえ! そうですとも! なにせ大所帯でありますから、はい!」
今、初めて総数を把握した様子のムタロだが、それがバレない様に慌てて頷いていた。そんなムタロを顧みる事なく、イシュタルはさらに続けた。
「勇者・光輝様の名の下に各地より王都に集結させ、それから魔人族の軍勢に立ち向かった方がよろしいでしょう。万が一、光輝様の身に何かあったら、遠征軍そのものの士気に関わりますからな」
「だが、イシュタル大司教。アンカジ公国は如何とする? 魔人族の軍勢は律儀に待ってはくれないですぞ」
「何も見捨てるわけではありませぬ。確か近くに元・騎士団長のメルド・ロギンス率いる国境警備隊がいた筈でしたな」
「おお、あのメルド・ロギンスか!」
「そして彼の下には光輝様と同じ“神の使徒”が数名いた筈です。“神の使徒”様方の力はまさに一騎当千。彼等ならば、きっと遠征軍が着くまでの時間を稼いでくれるでしょう」
「おお、確かに」、「さすがはイシュタル大司教」と貴族達は追従する。もっとも彼等は軍事に詳しいわけではなく、イシュタルの御機嫌取りの為にもっともらしく頷いているだけなのだが。
「うむ、ではその様にいたそう。ムタロよ、そなたは勇者・天之河光輝に号令を掛けさせ、王都に遠征軍全てを集結させるのだ」
「は、はっ!」
「そなた達、遠征軍の本隊が到着するまでの先遣隊として、メルド・ロギンス率いる国境警備隊に時間稼ぎを行わせるものとする! 今こそ、邪悪なる魔人族を討ち、エヒト神に我らの信仰を示すのだ!!」
国王の号令に、貴族達は一斉に頭を下げる。ムタロはとりあえず時間稼ぎが出来た事に露骨にホッとした表情をしていたが、貴族達と共に頭を下げた為に誰にも気付かれていなかった。
ただし———国王の横で、こっそりとほくそ笑むイシュタル・ドッペルゲンガーを除いて。
***
会議が終わり、イシュタルは王城の廊下を歩いていた。すると前方から走り寄ってくる人影が見え、その人物に気付いたイシュタルはコピー元の記憶にあった柔和な作り笑顔になった。
「イシュタルさん!」
「おや、光輝様。お久しぶりですな」
「あ、はい。こちらこそ……じゃなくて! 魔人族達が動き始めたというのは本当ですか!?」
イシュタルの柔和な笑顔に流されかけた光輝だが、その表情はいつもより厳しかった。さすがの光輝にも、魔人族達がアンカジ公国へ侵攻しているという噂は耳に入っていた様だ。そんな光輝に対して、イシュタルは世を憂う聖人の様な表情を作ってみせた。
「残念ながら、本当の様です。既にアンカジ公国領内の街のいくつかは犠牲になってしまったとか………」
「そんな………クソ、邪悪な魔人族達め! 平和に暮らしているだけの人々を手に掛けるなんて!」
義憤に満ちた表情を見せる光輝。その姿はまさしく非道を許さない正義の
「イシュタルさん! どうか俺に行かせて下さい! 俺はこの世界の人達を救う為に勇者になったんです! これ以上、魔人族達による犠牲者を増やすわけにいかない!」
「お待ち下さい、光輝様。ここはどうか冷静に。魔人族の軍勢には、天使らしき者もいると聞きます」
「そんなのデタラメに決まっているじゃないですか! この世界の神様が、こんな非道な事をする魔人族達に味方するわけがありません!」
イシュタルは心の中でニンマリと笑った。この道化の勇者は、自分のご都合主義な考えをさも自信ありげに周りに演説するのだ。最近、“光の戦士団”の団員達が横暴な振る舞いをして国民から失望されてきているとはいえ、彼が勝手に演説してくれれば国民達は、まさか本当に天使が魔人族に味方したとは思わないだろう。
(どこまでも、どこまでも思惑通りに滑稽に踊り続ける人形だ。だからこそ、至高の御方はこの人間を未だに始末されないのだろう)
先の先まで読んでいる死の支配者の叡智と計略に敬服しながらも、イシュタルは柔和な笑みのまま優しく語りかける。
「落ち着いて下され、光輝様。先程の会議で、アンカジ公国へ救援を送る事が決定致しました。とはいえ、救援となる遠征軍を送るにも少しばかり時間がかかるというもの。そこで、かつて光輝様方の教官であったメルド・ロギンス殿が率いる隊に先行して貰う事になったのですよ。彼の強さは光輝様もご存知でしょう?」
「メルドさんですか? それはまあ………」
「ですから、光輝様は今は決戦の時まで英気を養って下さいませ。そうですな………天使の偽者について民達に動揺が広がっておりますから、彼等の不安を和らげる様に周りにお話しして下さいませぬか?」
イシュタルが優しく説得すると、光輝はどこか納得がいかないながらもようやく頷いた。
「分かりました。メルドさんがいるなら、大丈夫とは思いますけど………でも、出来る限りメルドさんやアンカジ公国の人達を助けに行ける様にして下さい。それまで俺も、出来る限りの事はしますから!」
「ええ、もちろん」
イシュタルが頷くのを見て、光輝は立ち去った。その後ろ姿を見て———イシュタル・ドッペルゲンガーは悪魔の様な
「どうか出番がある時まで踊り続けて下さい、勇者様。もっとも、貴方の出番が来る頃には魔人族の国など無くなっているでしょうがね?」
***
「待ってくれ、陛下は本気でこれを命令されたのか?」
ハイリヒ王国の国境沿い。メルドは渡された司令書を信じられない思いで見つめていた。それに対し、王城からの伝令は尊大な態度を崩さずに高圧的に言い放つ。
「国王陛下並びにイシュタル大司教からの御命令だ! 速やかに実行する様に!」
「いや、待て! 魔人族は推定でも十五万以上の軍勢に対して、俺の隊は千人しかいないんだぞ! いくら重吾達が“神の使徒”といっても、これだけの数でアンカジ公国の兵達と共に魔人族達の足止めをしろなんて無茶だ! せめて王都から援軍を———」
「私の知った話ではない! 確かに司令書は渡したぞ! いいな、速やかに命令を実行しろ!」
まさにお役所仕事という有様で、伝令は言いたい事だけ言って立ち去った。
メルドはまさに“これから死にに行け”と言われたも同然の司令書を握り締め———。
「ふ………ふざけるなああああっ!!」
拳を力の限り、壁に叩きつけた。
というわけで、ハイリヒ王国はイシュタル・ドッペルゲンガーによってアンカジ公国にはロクに援軍を送らない事になりましたとさ。
ついでに光輝が「魔人族の天使はデタラメ」と国民を安心させようと広めるらしいけど………もしもこれが嘘だったら、稀代の狼少年になっとしまうねえ?
>メルドさん
敢えて主語は言わないけど………そろそろ、片しておこうかなぁと思って。