砂漠に一陣の風が吹く。砂塵が舞い、永い年月をエヒトルジュエの片腕としてトータスを弄んだ神——アルヴヘイトの死体に降り掛かる。
地面に落ちた襤褸切れの様になったアルヴヘイトを見ても、アインズの心に高揚や歓喜はなかった。表情の無い骸骨の顔で静かに遺体を見下ろす様は、ただ粛々と死の判決を下した冥府の魔王を思わせた。
「アインズ様!」
アルヴヘイトとの戦いが終わった事を察知して、アルベドとシャルティアが駆け寄る。彼女達は地面に横たわるアルヴヘイトの死体を見た後、恭しくアインズに平伏した。
「おめでとうございます、アインズ様。魔王を自称していた愚か者を見事に誅された事をお祝い申し上げます」
「やはりアインズ様こそが真なる魔の王たる御方。流石は我らの支配者でありんす」
「ありがとう。アルベド、シャルティア。しかし、この勝利は相手が知らない事をやったから勝てたというだけの事だ。向こうも私の知らない魔法をいくつか使ってきたからな。それを前面に出して立ち回られたら、勝敗は分からなくなったかもしれん」
二人の賛辞に礼を言いつつも、アインズはアルヴヘイトの死体を見つめながら言った。
見事、魔王アルヴヘイトを降したアインズだが、その事で増長する気持ちなど皆無だった。ユグドラシルでは昨日までランキング上位にいたプレイヤーが、対策を立てられた途端に一気に急落する事など珍しくもなかった。今回の勝利はあくまでも相手の戦闘経験が薄い事につけ込んだ初見殺しが上手くいっただけだ、とアインズは思っていた。
(本丸であるエヒトルジュエもこいつと同じ様に倒せる、と思うのは慢心が過ぎるよな。出来る限り位階魔法は制限したけど、もしも相手が見ていたら次に戦う時は今回の戦いを見て対策ぐらいは立てる筈だ。むしろ、しないと考える方が不自然だ)
勝って兜の緒を締めよ。
初見の相手への対策を怠ったが故に、無惨な死体と化したアルヴヘイトを一手間違えた時の自分の姿だったかもしれないと自戒した後、アインズは声を張り上げる。
「ヴィクティム!」
『お呼びでしょうか? アインズ様』
奇怪な発音と共にアルベド達の近くの空間が歪んで、今まで姿を消していた天使の輪と羽が抜け落ちた様な翼を持つピンク色の胎児の異形種が姿を現した。
「待機の任、ご苦労。お前はこれから魔王の死体と共にナザリックに帰り、第八階層のあれらと共にこの死体を見張ってくれ。万が一、復活する様な事があった場合はお前のスキルを使って足止めをした後にあれらで確実に止めを刺せ。……すまないな、絶対に復活させる事を約束するから許して欲しい」
『生贄の赤子』の異名を持つヴィクティムは、自身が死亡すると同時に敵に強力な足止めを行うスキルがあった。しかし、いくら犠牲を前提に作られたとはいえNPCを死なせる事になる命令にアインズが心苦しそうにしていると、ヴィクティムは短い手足をワタワタと動かしながら応えた。
『お気になさらず、アインズ様。私もアインズ様のしもべ、それに死ぬ為に生み出されたのです。この力で至高の御方の御役に立てるなら、これ以上の喜びはありません』
「そうか……お前の忠義に感謝しよう」
アインズがヴィクティムに感謝の意を示した、その時だった。上空で陶器が割れる様な音が響き、空間が一瞬だけ歪む。それを見て、シャルティアが不思議そうに空を見上げた。
「アインズ様、今のは一体何でありんしょうか?」
「どうやら何者かが情報系魔法を使って、こちらを探ろうとしたのに対して仕掛けた攻性防壁が発動したようだな。どうせならもっと上位の攻撃魔法と連動する様にするべきだったな」
誰が、というのは考えるまでも無かった。眷族が死んだ事を感知して、こちらを探ろうとしたのだろう。先程のアルヴヘイトの耐久力を考えるなら、広範囲に影響を与える様に強化した〈
(だが、同時にこれはエヒトルジュエが今になって慌てて俺達を探ろうとしたという事の証明だ。相手は俺の戦闘スタイルを……まだ知っていない)
それを理解した後のアインズの行動は早かった。即座にアルベド達に命令する。
「シャルティア、〈
「「『かしこまりました、アインズ様!』」」
もしもエヒトルジュエがアルヴヘイトの死体を取り返して復活でもさせられたら、復活させたアルヴヘイトから聞き出してアインズの戦闘情報が筒抜けになってしまう。既に魔導王としてアインズの存在は知られただろうが、今後の
アルベド、シャルティア、ヴィクティムがアルヴヘイトの死体を持って〈
「さて、後は魔人族軍の相手をしてもらっている守護者達をどうするか。とりあえず、天使達はエヒトルジュエ直属の使徒だから全員殺すとして、魔人族達は……う〜ん、全滅にしても良いけど魔導国が出してる全種族平等のプロパガンダとしてそれは風聞が悪くなる……か? それと、その後は………あ」
そこまで呟いて、ようやく戦後処理をどうするかという問題に頭が回った。この後、アンカジ公国の領主達に戦後報告を兼ねて会談しなくてはならない事に気付いたのだ。偉い相手と会談など出来るなら遠慮したい所だが、ここまでやっておきながら「あ、私は先に帰るので……」なんて真似をすれば相手側の印象が悪くなるのは社会人経験から理解できていた。
「ああ……アルベドは残っておいて貰った方が良かったかなあ……」
この後始末をどうするべきか。今になって考え始めた
***
「た、頼む! もう許し——ギャアッ!?」
「降参だ! 降参す——ガッ!?」
自分達の王にして神であるアルヴヘイトが敗れた事は、ナザリック軍に包囲されている魔人族達にも知れ渡っていた。遠くから見れば、神聖な光の剣が巨大な闇の球体に引き摺り込まれた後に大爆発が起きたのだ。何が起きたか詳細は分からずとも、神の敗北を悟るには十分な光景だった。
彼らはアルヴヘイトからは距離が離れていた為、魔力の強制収集も範囲外となって死ぬ事は無かった。しかし、だからこそ彼等はもはや戦意が完全に挫けたというのにナザリック軍に四方から擦り潰されていく、という絶望を味わいながら死ぬ事になっていた。
「死ねっ……死ねっ……死ねっ……!」
マシンモンスター達を率いたナグモは、ロボット兵器のコックピットの中で憎悪の宿った声で銃火器のトリガーを引いていた。彼の周りに随伴している無人兵器達もプログラムに従って次々と魔人族達を殺していく。
最初は魔人族達も突然現れたナザリックの軍勢に狼狽えながらも応戦しようとしていた。しかし、自分達を虫を駆逐するかの様に蹴散らすナザリックの兵達とのレベル差をすぐに思い知る事となり、今となってはただ逃げ回るだけの烏合の衆と化していた。中には武器を放り捨て、その場で平伏して命乞いする者まで現れたが、ナグモはそんな魔人族達も容赦なく射殺した。
「お前達みたいなクズに生きる価値なんか無いっ! 死ねっ、死んでしまえっ!」
脳裏に親子の無惨な焼死体が浮かび上がる。あらゆる事を低俗と見下した様な無表情は、憎悪で怒り狂った凶相へと変わっていた。ナグモは目に入る魔人族達に銃弾やレーザーを容赦なく浴びせていく。
「助け、ギャアアアッ!!」
「嫌だ! 死にたくな、ごぶっ!?」
男がいた。
女がいた。
十代半ば程度の若者がいた。
顔に深い皺のある老人がいた。
生き延びる為に必死に逃げようとした者がいた。
膝をついて涙ながら命乞いをする者がいた。
前行く者を突き飛ばしながら逃げようとした者がいた。
他の者を生かす為に無謀を承知で特攻した者がいた。
その全てが——無惨な死体へと成り果てた。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ!!」
彼等はアインズの命令があるから殺すのだ。
彼等は生かすに値しない畜生以下だから殺すのだ。
だから彼等は死んで当然の害虫であり、考えるまでもなく殺すべきなのだ。
ナグモの頭の中はそんな考えで埋め尽くされ、彼はロボット兵器を操りながらまさに害虫駆除の様に魔人族達に重火器を惜しみなく使っていた。
「ぐあああっ!?」
前方にいた魔人族の一団にレーザー砲の爆発が当たる。その爆風に煽られて、一人の魔人族の老兵が地面に投げ出された。幸い、レーザー砲の直撃を受けなかったから即死はしなかったものの、足に酷い傷を負ってその場で蹲ってしまった。
それを見たナグモは肉食獣の様に歯を剥き出しにしながら、ロボット兵器を銃口を魔人族の老兵に向け——。
「やめろおおおおおおっ!!」
ナグモが今まさに銃口のトリガーを引こうとした瞬間、一人の魔人族の若者が老兵を庇う様に立ち塞がった。彼は震えながらも、剣を構えてナグモが乗ったロボット兵器に立ち向かった。
「父上に手を出すなっ! 殺したいなら代わりに私を殺せっ!!」
「なっ……」
「ピエトロ、馬鹿な事を申すな!!」
突然の事態にナグモのトリガーを握った指が一瞬、躊躇してしまう。そんなナグモの事情を知らず、
「儂はもう十分に生きた! 儂の事は見捨てて逃げるのだ!」
「嫌だ! 父上を置いて逃げられない!」
「くっ、こんな時にまで意地を張りおって! この親不孝者めが!!」
「だったら最後くらい親孝行させてくれ! 父上を見殺しにして生き延びて、何の意味があるんだ!!」
親子二人が口論を始める。
父親を守る為に震えながらロボット兵器に立ち向かう息子。
息子を守る為に自分を見捨てて逃げろと必死に叫ぶ父親。
その姿を見て——ナグモは発射トリガーを引く指に躊躇いが生じてしまった。
「くっ……クズのくせに……! 下等な低脳共のくせに……!」
ほんの少し指に力を掛ければ、それで終わりだ。父親を守ろうとした若者の決意も虚しく、親子共々にレーザー銃やガトリング砲の餌食となる。この茶番には何の意味も無い。
それを頭で理解しながら——ナグモの手は小刻みに震えて、それ以上に引き金を引く事を躊躇っていた。
そして何故か、眼前の二人の魔人族の姿が——あばら屋で一度会っただけの親子と重なった。
「ふざけるな………」
無意識のうちにナグモはそう呟いていた。
それが何を指したものかは分からない。
ガルガンチュア程ではないが、魔人族達には決して傷付けられない耐久力を持ったロボット兵器のコックピット——この戦場で最も安全な場所にいるというのに、まるで燃え盛る小屋の中に閉じ込められてキャンキャンと吠える犬の様に余裕の無い表情になっていた。
「ふざけるなああああああっ!!」
ナグモは叫びながら、銃器のトリガーを引こうと指に力を込めようとした。
——パァン!
唐突に乾いた音が鳴り響く。同時に魔人族の老兵の身体が糸が切れた様に崩れ落ちた。
「父……上……?」
若者が呆然とした様子で父親に振り返る。彼は頭から血を流して動かなくなっていた。
ナグモは——何が起きたか分からない、といった表情で
『敵、生命反応消失——次弾装填』
ナグモが搭乗しているロボット兵器のすぐ側——無人兵器であるキラーマシーンが、腕の銃器から硝煙を出しながら機械的な電子音声を響かせる。
「う……ううっ、……うわああああああああぁぁぁあああああっ!!」
魔人族の若者が奇声を上げながら、ナグモの乗ったロボット兵器へと斬り掛かる。父親を目の前で殺されたショックで、彼は泣いているとも怒り狂っているとも取れる表情で剣を振り上げていた。
そして——再びパァン、と乾いた音が響く。
『敵、右脚部損傷を確認。残弾数節約の為、近接モードに移行』
「ぐうっ……クソ、ガハッ!?」
片足を撃ち抜かれ、地面に這い蹲った若者の背中にキラーマシーンは近接戦闘用に取り付けられたブレードを突き刺した。そして、そのまま何度も突き刺した。
『敵、生命反応あり——排除する、排除する、排除する——』
「ぐっ、ガッ、殺、してやる……! 父上の……敵……! 呪って、やる……父上を奪った、悪魔めええええっ!!」
キラーマシーンのブレードに滅多刺しにされ、血の涙を流しながら魔人族の若者は怨嗟の籠った顔で眼前のロボット兵器を見上げていた。
その表情は、メインカメラ越しに見ていたナグモにもはっきりと見えていた。まるで地獄の悪鬼の様に歪んだ表情。それが——コックピットのディスプレイに映った自分の表情にそっくりに見えてしまった。
「あ………っ!?」
バッとナグモは自分の顔を抑える。自分の表情だというのに、それが何故かとても恐ろしい物を見た気がしたのだ。
(恐、ろしい……? 何故……だって、あいつらは殺して当然の低脳な害虫で……アインズ様が……そうしろと命令したから、これは正しい事で……!)
ナグモは必死に心の中で自分に言い聞かせる。そんな風に自分の感情に戸惑っている間に、キラーマシーンの人工知能は獲物がようやく事切れた事を確認した。
『敵、生命反応消失——索敵モードへ移行。発見次第、排除する』
ブンッと、死体に突き刺さったブレードを抜く。魔人族の若者の死体はその勢いで転がり、父親の遺体と折り重なる様にして地面に投げ捨てられた。
奇しくも——その構図は焼け死んだ人間の母子達と同じ形となった。
「あ………」
ナグモが声を上げる。
低俗な魔人族達に無惨に殺された人間の母子。
母親を守ろうとして、最期まで抵抗しようとした子供。
そして今——ナグモがやっている事は、彼等を殺した低俗な魔人族達と違いがない。
それに、気付いてしまった。
「ち、違う……違う、違う、違うっ!」
ナグモは必死になって、胸の内に湧き上がった思いを否定しようとする。そうしている間にも——キラーマシーン達は次々と魔人族を殺していった。
「止めろおおおっ! これ以上、私の部下を死なせてたま、ギャッ!?」
「返事をして! アンディ、お願いだから……返事をしてよおおっ!! ごふっ!?」
「兄ちゃん……あの世でまた、一緒に飲もうな……うぐっ!?」
逃げる部下の為に身体を張った将校がいた。
恋人の亡骸を抱えて泣き叫ぶ女兵士がいた。
双子の様にそっくりな顔の男の手をしっかりと握っていた兵士がいた。
『排除する——排除する——排除する——』
その全てを、キラーマシーンは
「違うっ……違うっ……違うっ……」
コックピットのスピーカー越しに聞こえる魔人族達の断末魔に、ナグモは耳を塞ぎながら「違う」と言い続けていた———。
>ヴィクティム
ナザリック地下大墳墓の第八階層守護者。
守護者の中で唯一レベル35と低めだが、死ぬ事で強力な足止めスキルが発生する。天使の異形種であり、生贄の赤子。
>ナグモ
非戦闘民の人間達を殺した魔人族軍と事情が違うのは確かですけどね……怒りの感情のままに皆殺しをやるなら、それは低脳と見下している人間達とは何が違うの? と気付かせてあげました。ましてや、既に戦意の無い相手を皆殺しにしているのにね。
ナザリックのNPCとしては間違いなく正しい。しかし、人間としては——。