その日、魔人国ガーランドの首都は住民達が死に絶えたかの様な沈黙に包まれていた。とは言っても、言葉通りに住民がいなくなったわけではない。ほんの僅かだけ開いたドアや窓の隙間——戦う力が無かった為に、遠征軍に加わる事が出来なかった女子供の魔人族達が、息を潜めながら大通りを見ていた。
彼等が逃げ出さなかったのは、逃げ出したとしても絶望的な生活しか送れないと理解している為だ。
ガーランド国は広い国土の割には凍土地帯がほとんどであり、人間が暮らせる土地は少ない。各地に点在している集落に逃げ込んでも受け入れられる余裕などあるわけがなく、避難民のほとんどが仕事も住む所もない貧民生活を余儀なくされるだろう。もちろん国外など論外だ。彼等とて自分達が人間族にどのように見られているか知っているし、先の戦争では遠征軍が人間族の村や街を破壊したのだ。魔人族軍がいなくなった今、今度は自分達がその報復を恐れなくてはならない身である事を十分に理解していた。
そういった理由から、逃げ場の無い魔人族の住民達は大通りを見ながら切実に願っているのだ。
どうか——
ガシャン、ガシャン———。
大通りを鎧の具足で踏みしめる音がいくつも響く。
ほんの少し前に出征する遠征軍を歓呼の声で見送った時と、同じ音を聞いていた。だが、今は絶望を告げる足音の様に住民達は聞こえていた。
大通りに現れたのは、名付けるならば死の軍隊だろう。
まず最初に大通りに入って来たのは、立派な甲冑を着た兵士達だ。だが、その顔は腐りかけた人間のそれであり、生者への憎しみを眼窩から赤い光として出しながら隊列を組んで行進していた。
次に現れたのは死の騎士団と言うべきだろうか。
手にはフランベルジュとタワーシールド。二メートルを超える巨体を悪魔の様な意匠の漆黒の鎧で包み、漆黒のマントをたなびかせながら行進していた。
その他にも、彼等が見た事の無い魔獣、悪魔、金属で出来たゴーレム……数々の異形の存在が大通りを肩で風を切りながら行進していく。
魔人族達は生まれ付き、魔力を感知する能力が備わった種族だ。その為に目の前を横切っていく異形達が、見掛け倒しではない事を感じる魔力で理解させられてしまった。魔王や遠征軍の全滅をまだ受け入れられなかった魔人族達も、並々ならぬ魔力を漂わせながら行進する異形種の軍隊を見て納得せざるを得なくなった。
そして——異形種達の行進の中。金色の鎧を来たアンデッド騎士達が担ぐ輿の上。それを見た瞬間、魔人族達に魂が震える様な衝撃が走った。
豪奢なローブに、手には七匹の黄金の蛇が絡み合った様な杖。そして——骸骨の身体から滲み出る圧倒的な死のオーラ。渦巻く様な黒い魔力の光を感じて、魔人族達は誰もが理解する。
あれこそが、魔導王アインズ・ウール・ゴウンだと。
そして、魔導王の輿の前。魔導王に見下ろされる形で、磔台ごと運ばれる下半身の無い男の死体があった。まるで全身に酷い火傷を負ったかのような無惨な姿だが、その顔立ちは見間違えようがない。
それはほんの数週間前、魔人族こそが神の祝福を受けた種族だと宣言して、この遠征は魔人族の繁栄を約束するものだと演説した男——魔王アルヴヘイト本人だ。
自分達の王であり、また生き神だった男が無惨な晒し者になっている姿を見て、魔人族達は絶望の色を濃くした。
自分達はもはや、生かす殺すもアインズ・ウール・ゴウンの掌の上である。それを心から理解させられてしまった。
***
魔人族の城――玉座の間。
かつてアルヴヘイトが腰掛けていた玉座に座ったアインズは、大きく息を吐いた。
(つ、疲れた〜……パレードなんて生まれて初めてやったよ。うう、上手くいったのかなぁ?)
緊張のあまりにガチガチに固まった身体を解そうとする。骨しかない身体なのに、身体中の筋肉が凝り固まった気がするのは何故だろうか?
「お疲れ様でした、アインズ様」
玉座に座ったアインズを労わる様に、傍に控えたアルベドが声をかける。その側には階層守護者達も控えていた。
「アインズ様の玉体をお見せになり、そして不遜ながらも魔の王を自称していた愚神の眷族の末路を見た事で、魔人族達は自分達の真の支配者が誰かを理解した事でしょう」
居並ぶ階層守護者達もほとんどがその通りだ、と言っているのが沈黙を通して伝わってきた。
(そういうもの……か? まあ、これで残った魔人族達がエヒトルジュエの味方をしようと思わなくなるなら、グロい死体を見ながら座ってなきゃいけない甲斐はあったか? うん……)
顔がはっきりと分かるくらいには死化粧を整えたとはいえ、何が悲しくて溶鉱炉に落ちた様な無惨な死体を見ながら輿の上で晒し者な扱いをされなくてはならないのか。アンデッドの特性として精神が沈静化されるとはいえ、大勢から注目されて恥ずかしかったやら、目の前で死体をずっと眺めていて気が滅入ってくるやらで、アルベドやデミウルゴスが提案した凱旋パレードを行った事をアインズは内心で後悔していた。
とはいえ、アルベド達が言ってきた事も尤もではあった。魔人族達はアルヴヘイトが直接支配していただけに、神への依存度は大きい。その為にアインズがアルヴヘイトに勝利した事をはっきりと形に示す事で、今後エヒトルジュエが何らかの形で魔人族に接触しても、神に味方しても得な事は何一つ無いと知って貰う必要があったのだ。それともう一つ——。
「デミウルゴス、教会側や勇者側に特に動きは無かったのだな?」
「ええ、アインズ様。どうやらあちら側は
「ふむ……」
「アインズ様。“愚神の使徒”の生き残りがいて逃げ出したのも、元はといえば
「香織がしくじったわけじゃない! 戦闘終了後に生命反応が無かったのは僕とナザリックの研究所チーム全員で確認した事だ!」
「よせ、アルベド、ナグモ。双方とも控えよ!」
アルベドとナグモが睨み合いを始めるのを、アインズはいつもの支配者ムーヴで止める。
アインズがアルヴヘイトの死体を市中引き回しにしたもう一つの理由。それはアルヴヘイトの死体をこれ見よがしに晒して、エヒトルジュエの反応を見定めようとしたのだ。
アンカジの戦場から皆殺しにしたと思っていた“
逃亡した“使徒”は、エヒトルジュエの下に戻ってアインズの情報を伝えた筈だ。もしそうならば、戦闘情報を隠蔽していたアドバンテージは無くなったと見るべきだろう。
それならば、今度はどのタイミングで仕掛けてくるか?
今まではアインズが徹底的に自分の情報を隠した上で仕掛けられたが、さすがにエヒトルジュエもこのまま手をこまねいているだけという事は無いだろう。そこでアルヴヘイトの死体をエサにして、回収しに来たエヒトルジュエを迎え撃つ作戦が立案されていた。そしてアインズは、その作戦通りに対情報系魔法の攻性防御や迎撃部隊をパレードに扮して配置していたのだ。
「元はといえば、香織には足止めしか命じておらず、“使徒”達を攻撃するのは私が召喚した“黒い仔山羊”の役目。殺し損ねたのは私に落ち度があったという事になるだろう」
「アインズ様に落ち度など……! 責があるとするならば、
「貴様、香織の事をよくも……!」
「やめなよ、二人とも。アインズ様の御前だよ?」
険悪な空気が流れる二人の間にアウラが割って入る。他の守護者達も心なしか、『またか』とうんざりしているように見えた。
(うーん、この二人……薄々思っていたけど、仲が悪いのか? タブラさんとじゅーるさん、そんなに仲が悪かった筈はないんだけどなぁ……?)
部下であり、大事な友人達の子供に等しい存在が仲が悪い事にアインズは考え込んでしまう。アウラとシャルティアも仲が悪いのだが、この二人の場合はそれとは全く違う気がする。
アインズは咳払いを一つすると、睨み合う二人を止める様に声を掛けた。
「ともかく、アルヴヘイトの死体をエサにしたのにエヒトルジュエが動かなかったのは何故か? アルヴヘイトはエヒトルジュエから見れば取り返す価値の無い重要な駒では無かったか、あるいはまだ逃げ出した“使徒”の情報がエヒトルジュエに伝わっていないのか……様々な可能性は考えられるが、私にとってもまだ状況は致命的では無いと考えても良いだろう。デミウルゴス、王国で内乱が起きているというのは本当か?」
「はい、アインズ様。これも、全てはアインズ様の想定通りであります」
「……う、うむ! そうだな!」
その想定とやらに全く心当たりが無いんですけど……とは言えず、アインズはとりあえず頷いた。とにかく、ハイリヒ王国で内乱が起き始めたというのはナザリックにとって良い事なのだろうとアインズは納得する事にした。
(そもそも何で内乱が起き始めたんだ? エヒトルジュエの勢力も一枚岩じゃないという事か? いや、ミレディの話だとエヒトルジュエは“神域”という安全な場所にいながら、人間達を戦争させて眺めるのが好きだという話だったな。じゃあ、これもエヒトルジュエが趣味で始めた事か? ううん、でもこのタイミングでやるかぁ?)
無い頭を何とか捻ろうとしたが、アインズには一向に分からなかった。ハイリヒ王国を担当しているデミウルゴスに聞こうにも、『そのお話は以前渡した書類に記載しましたよ?』と言われるのは書類に判子を適当に押してしまった手前、聞くのも憚られてしまった。
(結局、俺の自業自得だこれ……もう臨機応変にどうにかするしか無い……)
自らの支配者としての無能ぶりに頭を抱えながらも、後で考えようと問題を棚上げにする事にした。
「まあ良い。とにかく、エヒトルジュエは未だに“神域”というホームギルドがあるから我々から攻めに行く事が出来ないのだ。今の様に仕掛けてくるエヒトルジュエの手下を迎え撃つばかりでは後手に回る他ない。奴の根城へ攻め込む為にも、神代魔法の習得は急務だ。私やナグモ達は引き続き大迷宮の探索に精を出す」
「はっ!」
「……はっ」
ナグモが深々と頭を下げ、アルベドもまたアインズの決定に頭を下げた。
「さて、後は占領したガーランドをどうするかだが……」
「アインズ様、それでしたら恐れながら一つ提案がありんす」
シャルティアがスッと手を上げる。
「今回、魔王が留守中だった魔人族達の首脳陣を私のペットが壊滅させんした。どうせ魔人族達も残っているのは戦えない女子供だけでありんすし、私のペットに管理を任せてはいかがでありんしょう?」
「ああ、ペット……ペットな、うん……」
シャルティアのペット——かつてハルツィナ樹海でナグモ達と交戦した、システィーナ・バクアーの事を思い出してアインズは微妙な声音になった。ナグモが生け捕りにした魔人族達を『好きにして良い』と命じたら、どういう経緯があったか知らないが、その内の一人であるシスティーナはシャルティアに忠誠を尽くす様になったそうだ。
「まあ……とりあえず、その、あー、ペット? とやらをここに連れて来てくれるか?」
まずは実物を見てから判断しよう。そう思ってアインズは、システィーナを呼ぶ様にシャルティアに命じた。
***
シャルティアに連れて来られ、システィーナは玉座に座ったアインズに平伏していた。彼女を見てナグモが少しだけ眉間に皺を寄せるのを視界の端に見ながら、アインズは鷹揚に頷いた。
「名を聞こう」
「はっ。偉大にして至高なる死の支配者であらせます魔導王陛下。私はシャルティア・ブラッドフォールン様の忠実なシモベ、システィーナ・バクアーでございます」
形容詞長っ! と思いつつも、アインズは冷静な王に相応しい態度で応じる。
「お前達の王、アルヴヘイトは私が討ち取った。そしてアルヴヘイトが留守の間、魔人族達の首脳陣はお前が討ち取ったそうだな?」
「はっ! 全ては偉大なる魔導王陛下の為、そして我が主シャルティア・ブラッドフォールン様の為にございます! アルヴヘイトなどという偽りの神に忠誠を誓っていた者など、これより魔導王陛下が治められるガーランドには不要と思い、魔導王陛下に代わって征伐致しました!」
かつてはガーランドで将来有望だったエリート軍人らしく、システィーナはハキハキと答える。その表情は重大な任務を果たした様に喜びに溢れていて、嘘を言っている様には見受けられなかった。
「ふむ……お前の働きにより、魔人族達は我々に対して抵抗する手段すら失った事にはなるが、問題はお前が我々を裏切らないという確証が必要となる。よって——」
「ああ、そういう事でしたら大丈夫でありんす。今からお見せしんしょう」
へ? もうあるの? とアインズは思わずシャルティアを見る。ナグモに頼んで行動を常時監視する発信機付きの首輪でも作って貰おうか……と考えていたアインズに、シャルティアは淑女の様な可愛らしい微笑みで一礼しては、システィーナの方を向いた。
「おすわり!」
「わん!」
瞬間——システィーナはシャルティアの命令通りに座った……もちろん四つん這いで。
「伏せ!」
「わん!」
今度は手足を地面に付けて腹這いの様な姿勢になる。その拍子にシスティーナの胸の膨らみが、ぐにゅっと潰れているのだが、システィーナはむしろ興奮した様に息を上気させた。
「うわあ……」
「え、えっと、その……よく躾けられてますね……?」
「ふふん、そうでありんしょう! 調教の腕ならアウラに劣らないでありんしてよ。ほうれ、取ってこーい!」
「きゃん、きゃん!……ハァ、ハァ♡」
「……ああ、うん。これはあんたの勝ちでいいよ、張り合う気も無いし」
潜入活動中は演技とはいえ上司だった女軍人の痴態を見て、アウラとマーレは顔を引き攣らせる。他の守護者達も人として、女として色々と終わっているシスティーナを見て視界に収めない様に明後日の方向を向いたり、可哀想なものを見る様な目付きで見ていた。しかし、システィーナはそれすらも快楽を感じている様に……シャルティアの命令を嬉々として聞いていた。
「まだまだこんなものじゃ終わらないでありんす! 次はちんち——」
「もういい。もういいです、はい」
シャルティアが命じる前に、思わず素に戻ったアインズは慌てて止める。そのまま引き攣った様な声を何とか絞り出した。
「うん、まあ……シャルティアに忠実なのは良く分かった………分かりたくなかったけど。んん、ゴホンッ! 我々の命令を聞く限り、魔人族達を皆殺しにする様な真似はしないと誓おう。私は私の為に働く者に報酬は必ず支払う事にしている。今回の首脳陣の抹殺の報酬として、何か欲しい物はあるか?」
「くぅん?」
「人間の言葉を喋って良いでありんす。さっさと答えなんし」
「それでは二つほどお願いがあります」
今の今まで牝犬になり切っていたシスティーナが、許可を得た途端に真面目な声音となった事にアインズはずっこけそうになる。しかし、何とか我慢してシスティーナの言葉を待った。
「一つ目に、私をシャルティア様の完全な下僕として吸血鬼にして下さい。そうすれば、シャルティア様の支配下として目に見える形で縛られるので、魔導王陛下も安心だと思われます」
「あー……シャルティア?」
「アインズ様にご許可を頂けるのでありんしたら」
「それともう一つ……」
システィーナは跪いたまま、シャルティアに熱い視線を送った。
「私を——正式にシャルティア様の側女にして下さい」
時間にして十秒くらいだろうか。アインズは骨になった手を自分の額に当てていた。頭痛が痛い……という頭の悪いワードを思い浮かべながら、精神が沈静化されるのを感じた。
「…それが、お前の望みであるなら」
「ありがとうございます! 魔導王陛下!」
「あん? ペットの分際で愛人に立候補するとか良い度胸でありんす。どうやらもう一回、上下関係をきっちり教えなくてはいけない様でありんすねぇ?」
「あん、申し訳ありません! シャルティア様ぁ!」
「アインズ様、私はこれで失礼するでありんす。新しく手に入れた
「ああ、うん……程々にな……」
「ほら、さっさと行きんしょうか。ついて来い、牝犬」
「はい!」
喜悦を浮かべながら、システィーナはシャルティアと共に歩き出そうとする。
「待ちなんし。どうして牝犬が二本足で立っているでありんしょう?」
「っ! わん、わんわん!」
即座に四つん這いになって歩き出すシスティーナ。その背に腰掛けながら、シャルティアはぺしん、と尻を叩いた。それと同時に嬉しそうな鳴き声が響く。
なんか歩いた後の床にキラキラとした液体が垂れている様な気がしたが、アインズは見なかった事にした。
(拝啓、ペロロンチーノさん。貴方の一人娘はとても元気にやっています。きっとこれも貴方が望んでいた光景なのでしょうね……すごくドン引きだけど)
今は遠くにいるだろう友を思いながら、アインズは目の前の現実から逃避する様に天を仰いでいた。
***
その後、魔人族達はナザリックに忠誠を誓ったシスティーナによって管理される事になった。システィーナの手で魔人族の政治中枢を担っていた者達はいなくなり、他に国の舵取りを出来る者がいない以上、生き残りの魔人族達は思う所があってもナザリックを後ろ盾にしたシスティーナに従うしかなかったのだ。それに異を唱えて反旗を翻そうとした者もいたが、シャルティアによってヴァンパイア化したシスティーナは以前より大幅にステータスを上げていた。彼女一人の手により反乱組織が壊滅するという事態を見て、魔人族達はもはや反逆を起こそうという気持ちすら折れてしまった。そうして、魔人族の国ガーランドはナザリックの支配下へ治まっていたのであった。
だが———。
「はあ、はあ……くっ!」
一人の魔人族の女が、ガーランドの国境から抜け出そうとしていた。国道を避けている為に舗装されていない険しい山道を歩く事になったが、彼女の深い執念のオーラの前では障害と感じさせない様だった。
「許さない……許さないぃ……! システィーナ……あの売国奴がああああっ……!」
恋人の遺品となったロケットを握り締め、カトレアは怨念に塗れた幽鬼の様な顔でガーランドから立ち去った……。
>システィーナ
本当に何でこうなった……。詳しく書くとね、本気でキルタイムなコミュニケーションにしかならないんですわ。
>復讐鬼カトレア
因果応報、人を呪えば穴二つと言う様に、やった事には必ず報いが返る。覚悟しておけ、ナザリック。そしてどこぞの0歳児よ。