————数ヶ月前。海上の街・エリセン。
「お願いします、子供達を捜して下さい!」
「ええい、黙れ! 捜索は既に行ったと、言っておろうが!」
海人族達が揃って身なりの良い男に嘆願する。その男は若いがかなりの肥満体型で、豚に金髪のカツラを被せたと言われたらしっくり来る様な見た目だった。
「どうか領主様の力でもう一度、もう一度だけ捜索をお願いします!」
「うるさいぞ! 行方不明になった子供らは海難事故で死亡した! その様に捜査結果は出ている! 今更蒸し返すな!」
「そんな! 納得できません! お願いします、もう一度捜索を———」
「触るな、魚モドキがっ!!」
土下座しながらも足に縋りつこうとした海人族の女性を肥満体型の領主は足蹴にした。
「あぐぅっ!?」
「ミリー!! がっ!?」
妻を助けようと男が駆け寄ろうとするが、領主の護衛に付いていた兵士達に槍の柄で殴られて地面に押さえつけられた。そうしている間にも、領主の男は海人族の女性を何度も蹴り続けた。
「領主である私が海難事故と言っているのだ! 貴様等魚モドキ共は黙って税を納めていれば良い!」
「いっ、うっ……!」
「くっ、このぉ……!」
「何だ? 私に逆らうか? 貴様等の様な魚モドキ共が、王国で人間扱いされるのは誰のお陰だと思っている! 私はハイリヒ王国よりこの地を任せられたカルミア家の次男だぞ! 貴様等など私が王都にいる父に言えば、“光の戦士団”を派遣して貰って潰せるのだぞ!」
周りにいる海人族はヒステリックに叫ぶ領主の男を悔しそうに見るものの、手を出す事ができなかった。その事に満足したのか、領主の男は海人族の女性をしばらく蹴った後、最後に唾を吐き捨てて立ち去った。
「ミリー、アラン! 大丈夫か!?」
「クソ……あの豚野郎! カンパニュラ様がいてくれれば、こんな事には……!」
領主の男や兵士達に痛めつけられていた海人族の夫婦を介抱しながら、海人族達は口惜しそうに拳を握り締めた。
海人族は異種族排斥を唱える聖教教会の影響が強いハイリヒ王国において、唯一保護を約束された種族である。
ただし———それは種族として泳ぐ事が得意な彼等が漁業で魚介食材を王国に提供できるから、という損得勘定を計算しただけの結果だ。
その恩恵をキチンと理解していない者、特に王国の領土の中心地にいる様な貴族達にとって食材など下々の者達が料理して自分達に提供するのは当たり前だと考えているのだ。その為、王都に近い貴族達は海人族にも他の亜人族と変わらずに差別意識を持って見下していた。
無論、領主にそんな差別意識があってはエリセンの統治など上手くいく筈がない。だからこそ、かつてエリセンを治めていた貴族・カンパニュラは海人族達も領民の一人として誠実な対応をしていた。
ところが、トータスに“神の使徒”が召喚されてから彼等の関係は崩れてしまった。かつて光輝達が行っていた魔物退治の遠征において、エリセンも他の土地と同じ様に二次被害を起こされていた。周辺海域を荒らしていた魔物を倒したものの、その時に魔物の死体を放置して漁場の魚が全滅した事にカンパニュラは王国へ抗議したが、これを『神の使徒達の行いを否定する不敬罪』とされ、投獄されてしまったのだ。
そして代わりにエリセンを治める事になったのが、王都から派遣された貴族だった。今の王国の政治中枢は聖教教会に忠実であるか、多額の賄賂を渡すかで決まり、そんな王都から派遣された彼が領地経営をマトモに出来るはずもなく、海人族達はかつてより苦しい生活を強いられていたのだ。
「あの豚貴族、絶対に捜索なんてしてないだろ!」
「近場の海に出て遊んでいただけの子供達が、いつの間にかいなくなって海難事故に遭った事になってるなんて……あり得ないわ!」
「レミアさんみたいな若い女性もいなくなっているんだぞ……絶対に何か裏があるに違いないんだ!」
新しい領主が来てから、海人族の子供や若い女性が行方不明になるという事故が次々と起こっていた。だが、いくら訴えても新しい領主は海難事故で死んだ、の一点張りでマトモに取り合おうとはしなかった。噂では裏で良からぬ組織と繋がりがあると言われているものの、それを確かめる術など一領民でしかない海人族にある筈もなかった。
「生きてるわよ……子供達も、いなくなった人達も必ず生きてる……どこかで、必ず……!」
海人族達はそうであって欲しい、という様に涙を流しながら願い続ける。この苦しい生活も、いなくなった者達が帰って来れば報われる。それだけを信じて。
***
「フリートホーフ……?」
「うむ。ここ最近、店にちょっかいを出してくる輩ですじゃ」
チャン・クラルス商店の一室。新たな街で支店の開店準備を終えたセバスは、ティオからその話を聞いていた。
「自分達は地域の自警団も担っているから警備代を払え、だのと迫ってきておりまする。もちろん、丁重にお帰り頂いたがの」
「それはまた……街の衛兵達は何も言わないのですか?」
「それが何度か訴え出たものの、あくまで
ふむ、とセバスはティオの考えに頷く。
魔導国への情報収集や資金調達の為に行なっているチャン・クラルス商会は、今や多くの都市に支店を構える程の大商店へと成長していた。セバス達が支店を出している都市ではまだ大きな混乱は無いものの、ハイリヒ王国では各地で反乱が起きて流通が不安定となっていた。それでいながらチャン・クラルス商会は魔導国の後ろ盾がある為に安い価格で豊富な商品を提供できるのだから影響力は大きくなって当然だ。
しかし、ハイリヒ王国の政情が不安定となって影響力が大きくなったのはチャン・クラルス商会だけではない。聖戦遠征軍の結成において聖教教会を後ろ盾に出来たフリートホーフもまた組織の規模を拡大させていた。
実の所、フリートホーフは犯罪組織だ。そうとは気付かずにムタロが彼等を懇意にした事で資金をたっぷりと吸い上げたフリートホーフは、かつては地方都市の犯罪組織程度だったのが、今や王国全体の裏社会を牛耳るほどに急成長していた。そうして力を蓄えたフリートホーフは内乱によって生じた混乱に付け込み、今度は表社会にも勢力を伸ばそうと困窮した商店を次々と乗っ取り始めていた。
「聞けば、フリートホーフ商会は裏では人身売買や麻薬取引などに手を染めているという噂もあるそうじゃ。話をしに来た者も、堅気らしからぬ空気を漂わせておりましたぞよ」
「………大丈夫なのですか? 従業員達に危険はありませんか?」
「ご心配なさらず。各支店には用心棒として腕の立つ里の者達を配置しました故」
自分の事より真っ先に商会の従業員達の心配をするセバスに、ティオは満足そうに頷いた。
「ただ、先程も言った様にフリートホーフ達は権力者達とも黒い繋がりがある様じゃから、力押しに効果が無いと分かれば搦め手で来るやもしれぬ。セバス殿も気を付けて下され」
「かしこまりました。ティオ、貴方も困った事があったら遠慮なく言って下さい」
「それはありがたい。では早速一つあるのじゃが………」
ティオの困り事とは何だろうか、とセバスは身構える。すると———。
「そろそろ旦那様との御子を孕みたいのじゃが、いつ閨にお越し頂けるのかのう?」
「………その話はまた今度にしましょう」
***
「やれやれ、すっかり遅くなってしまいました」
数日後、セバスは暗くなった街道を歩いていた。仕事が長引いてしまい、辺りはすっかりと陽が落ちてしまっていた。
(しかし……こうして見ると、確かに街の治安も悪くなっている様に感じます)
辺りを見回すと、街の中心からそれほど離れていない通りだというのにいかがわしい雰囲気の店が立ち並んでいる。今の支店を建てる前に下見に訪れた時は、この様な店はあまり無かった筈だ。店の前に立っているボディガードの男達も堅気とは思えない空気を出して、通りを歩くセバスを値踏みする様に見ていた。
こんな場所を身なりの良い初老の男性が歩くなど、余計なトラブルを招くだろう。しかし、セバスの身体能力からすれば周りにいる屈強な男達など赤子同然だ。
(とはいえ、アインズ様の御命令で潜入調査をしている以上は目立つ真似は避けるべきです。早く立ち去るとしましょう)
セバスは足早に帰路に就こうとした。やがて、辺りから人気の無くなった通りに差し掛かった所で―――唐突にセバスから少し離れた所にある建物の扉が開いた。セバスが足を止めて見ていると、扉からガタイの良い男が辺りを窺う様に見渡す素振りを見せた。しかし、セバスの姿を発見出来なかった様で、男は誰も見ている者はいないと思ったのか、どさりとドアから大きな布袋をゴミの様に投げ捨てた。
「………」
セバスは一瞬だけ眉を顰める。男は灯りを取りに戻ったのか、ドアを開けたまま再び建物の中に戻って行った。男が捨てた布袋は人間一人が入りそうな程に大きく、布袋がほんの少しだけ一人でに動いたのを見た途端、セバスは行動を起こしていた。
「———行きなさい」
瞬間、セバスの影がグニャリと蠢く。アインズからセバスの護衛としてつけられたシャドウデーモンは、布袋の口を切り裂いた。そして布袋の中から———若い成人女性の上半身が転がり出た。
元は美しかったであろうエメラルドグリーンの髪はやつれてボロボロになっており、その顔は無惨なくらい青痣で膨れ上がっている。上半身しか見えないが、身体もまた酷い有様だ。殴られた様な跡はおろか、焼きごてを押し付けた様な火傷跡や鞭によるみみず腫れの跡などが体中に見られた。
そんなボロ雑巾の様になった女性の姿にセバスは眉間の皺を更に深くしたが、普通の人間とは異なる部分がある事に気がついた。
「この耳のヒレ……海人族でしたか? 何故こんな所に……」
「———おい、ジジイ。何処から湧いて出やがった?」
セバスが女性の近くへ寄ると、開け放たれていた扉が閉められ、続いてドスの効いた男の声がした。セバスが振り向くと、そこには盛り上がった筋肉に、顔に古傷が目立つ大柄な男がランタンを持って立っていた。男は大きな舌打ちをしながら、ランタンを地面に置いてセバスに近寄る。
「おう、おう、おう。何見てやがるんだ? 失せな、ジジイ。今なら無事に帰してやるよ」
わざとらしく顎をしゃくりながら、男は筋肉で太くなった腕を見せびらかす。暴力の行使を躊躇わないタイプなのは明白だ。
「ふむ………」
セバスはニコッと微笑む。老紳士という言葉が似合うセバスの微笑みは、見る者に親しみや安心感を覚えさせる筈だった。だが、何故か男には巨大な肉食獣が目の前に現れた様に感じた。
「お、おう、なんだよ———ぐぅっ!?」
次の瞬間。男は地面から宙に浮いていた。
セバスは目にも留まらぬ速さで男との距離を詰め、胸倉を掴んで易々と持ち上げていた。
「………彼女は『何』ですか?」
セバスが静かに問う。男を見つめる瞳は、寒気が走る程に冷ややかだ。その目を見た瞬間、暴力の世界に生きる者のカンとして男は悟った。
目の前の老紳士は———自分よりも圧倒的な強者なのだと。
「もう一度、聞きます。彼女は『何』でしょうか?」
「う、うちの従業員だ!」
男はセバスを怒らせまいと、必死に答える。
「従業員、ですか………私は『何』ですか、と貴方に聞きました。私の仲間にも、人間を物の様に扱う者達はいます。貴方がその認識であるなら、罪の意識など無いでしょう。しかし、貴方は彼女を従業員であると答えました。彼女を人と認識した上での行動だというのですね? それで、彼女をこれからどうするつもりですか?」
「………びょ、病気だから治療院に連れて行こうと、うぐっ!?」
少し間を置いて、口から出まかせを言った男をセバスは捻りあげる。
「———嘘はあまり好みませんね」
「ほ、本当だ! 本当に俺は治療院に行くつもりだった!」
セバスの静かな迫力に押された男だが、彼は泣きそうな顔になりながらもそう言った。
(明らかな嘘です……しかし、意外と折れませんね)
恐怖に耐える特別な訓練をしている様には見えない。おそらく、それだけ第三者に情報を漏らすのが危険だと教え込まれているのか。
暴力による脅しに効果は無いと悟ったセバスは、男から手を離す。地面に転がった男が痛みに呻き声を上げた。
「……ならば、私が治療院まで運んでも問題ありませんね?」
「な……そんなの許されるわけないだろ!? あ、アンタが治療院に連れて行くという保証も無えじゃねえか! それに……そうだ、それは法律上、俺たちの物だ! アンタが俺たちの許可なく連れて行くって言うなら、うちの従業員を誘拐した事になるぜ!」
男は目を泳がせながら、早口で捲し立てる。だが、それはセバスに効果覿面だった。
セバスがこの街にいるのは、あくまで商人の偽装身分を通じて情報収集と資金調達を行う為だ。ここで騒ぎを起こせば、
セバスが渋面を作ったのを見て、男は勝ち誇った様に下卑た笑みを浮かべた。
「どこの金持ちか知らねえけどなあ、大事になったら困るのはアンタだぜ? 俺たちには偉い御方々がバックにいるんだ。ただの金持ちジジイくらい、簡単に吹き飛ばせるぜ?」
「……その程度の脅しが、私に……私の上にいる御方に通用するとでも? 強者にとってルールなど、簡単に破れるものですよ?」
「……な、なら、やってみろってんだ」
セバスが暗に自分の背後に大きな存在がいる事を仄めかすが、男は不貞腐れた態度を崩そうとしない。それだけ男は自分達の後ろ盾にいる存在の権力に自信があるのだろう。
「なるほど……確かに法律上、厄介な事になるでしょう。ただし、同じく法律上、助けを求めた者を無償の善意で救った場合、その者の行動は罪に問われないとあります。私はそれに従って彼女を治癒院まで連れて行くだけです。問題はありませんね?」
「い、いや……それは……うむ……」
男は明らかにしどろもどろな様子で口篭る。セバスの言った事はハッタリだ。実際にそんな法律があるかセバスは知らない。しかし、男があまり学がある様に見られなかった為、男の言った法律も誰かからの入れ知恵で知っただけの知識だろうと推察したのだ。案の定、男の聞き齧っただけの法律の知識ではセバスの言った事の真偽を確かめる術はない様だった。
黙り込んだ男を無視して、セバスは跪いて海人族の女性の頭を抱き起こす。
「助けて欲しいですか?」
返事はない。そもそも意識があるかも分からない程の重体なのだ。呼吸と呼ぶにはか細い息の音だけが女性の口から漏れ出ていた。
「貴方は助けて欲しいですか?」
セバスはもう一度、女性に尋ねた。それを見ていた男は下卑た笑みを浮かべる。女性の置かれていた地獄の様な環境を知っている身からすれば、返事など出来るはずが無いと分かり切った顔だ。そうでなければ、廃棄処分にするわけがなかった。
ならば———これは地獄に堕ちても、尚も生きようとした者が起こした奇跡だろう。
「………す………け……て………」
女性の口から、呼吸とは明らかに異なる音が漏れ出る。殴られ過ぎて腫れ上がった顔で喋るのも辛い筈だというのに、女性ははっきりとセバスに向かって言葉を発した。
「………」
海人族の女性に言葉を聞き、セバスは静かに瞑目する。セバスがやろうとしている事は、明らかにアインズから許された裁量を超える事だろう。
しかし———それでも胸に宿る想いは消せなかった。
「……大丈夫です。困っている方がいれば、助けるのは当たり前です」
女性に優しく呟き、セバスは強い意志を込めた目で男に向き直った。
「助けを求められました。よって、この女性は私の保護下に入ります」
「う……嘘だ! そいつが口を利ける筈は……!」
「嘘? 私があなた如きに嘘をついたと言いたいのですか?」
セバスが少し力を込めて睨むと、男は怯んだ様にたじろいだ。男にもう用は無いと、セバスは海人族の女性を抱き抱える。
「では彼女を連れて行きます。失礼致します」
「ま……待て! いや、待ってください!」
「……まだ何か?」
「た、頼む! そいつを連れて行かれると面倒な事になるんだ! あ、アンタもフリートホーフの名前くらい知ってるだろ?」
やはり、とセバスは心の中で呟いた。ティオの話を思い出して、明らかに非合法な女性の扱いからそんな予感はしていた。男は哀れみを誘う様な声でセバスに懇願した。
「な、なあ、頼むよ。その女の始末に問題が出たら、俺が仕事を失敗した事になって罰を喰らっちまう。だから、な? ここは何も見なかった事にしてくれ……お願いだ!」
「……彼女は連れて行きます」
「勘弁してくれ! 俺が殺されちまう!」
「では逃げてはいかがですか?」
「簡単に言うなよ! 逃げるたって……そんな金、どこにあるんだよ!?」
逆ギレする様に喚く男をセバスは冷ややかな目で見つめていたが、少しだけ考える。
ここで男を殺して黙らせるのは簡単だ。しかし、男が生きて逃げれば海人族の女性を安全な場所へ連れて行く時間稼ぎに使えるのではないだろうか?
「貴方の命にそこまでの価値があるとは思いませんが……私が出しましょう」
セバスは懐から活動資金として持っていた金貨の袋を男の足元へ放った。
「これは……ルタ金貨が、こんなにも!?」
「その金で冒険者でも雇いなさい。それといくつか質問があります。答える時間は?」
「あ……女の処分、じゃなかった。治療院に連れて行くという事で外に出ました。しばらくは大丈夫な筈です……」
「分かりました。では行きましょう」
ついて来い、とセバスは顎でしゃくる。男は辺りをコソコソと見回しながら、黙って頷いた。
「…………ミュ…………ウ…………」
セバスの抱き抱えた海人族の女性———レミアは、腫れ上がって満足に開けられなくなった目から涙を流して小さく呟いた。
>海人族達の現状
原作ではここまで差別されてる描写は無いです。でも亜人族達の中で海人族だけが「漁業で貢献しているから」という理由で差別を免れているとしても、一次産業の重要性を理解してない者は聖教教会の教義で考えてしまうのではないかと思いました。我々も普段食べている食材が、農家や漁師の人が提供しているからという事実を常に考える人は少ないですから。(農家や漁師の皆様、いつもありがとうございます)
そして半ばデミウルゴスのせいで腐敗した王国では、海人族の扱いは原作よりも悪くなりました。
>セバスとレミア
オーバーロード原作を知っている方はご存知な展開でしょうが、ツアレの立ち位置がレミアになっただけです。しかし仮にも原作ヒロインの一人(?)がここまでリョナ展開になるとは、ナザリックが関わると本当にロクな事が無えや……(笑)