「わあっ……!」
幌馬車から見える景色にミュウは目を輝かせる。アインズ達と共に行く隊商の旅は奴隷として拉致された時の馬車よりずっと快適で、今までエリセンを出た事が無かったミュウには雄大な大自然の光景は目新しく映っていた。
「見て見て、お兄ちゃん! 綺麗な鳥さん達なの!」
「………分かったから騒ぐな」
湖から飛び立つ白鳥の群れを指差して興奮するミュウに対して、ナグモは溜息を吐きながら応じる。最初は景色に一々歓声を上げるミュウをうるさく思っていたものの、飽きずに何度も話し掛けられるのでもはや慣れと諦観の領域に達しつつあった。
「ははは、良かったなお嬢ちゃん」
馬車を運転している青年商人が声を掛けてきた。今この馬車にいるのは彼とナグモとミュウだけで、アインズ達は隊列の護衛の為に別々の馬車に乗っていた。
「こうやって色々な景色が見られるのが旅商人の醍醐味さ。モモンさん達のお陰で道中の心配も無いし、ゆっくりと見ていきな」
「うん! お兄ちゃん達のお陰でいっぱい綺麗なものが見られるの!」
「ははは、妹さんが喜んでて良かったな!」
「……騒がしい妹分ならもう間に合ってる」
ボソッとナグモは呟いたが、商人の男には聞こえなかった様だった。ミュウは変装用の麦わら帽子を被っているから海人族の耳のヒレは見えず、商人にはナグモに懐いているミュウが本当の兄妹に見えたのだろう。
「えへへ………」
胡座をかいて座っているナグモの足の間に、ミュウがストンと座る。ミュウは身長が低いので、ちょうどナグモの股ぐらにすっぽりと収まった。
「………何だ?」
「ミュウね。ママがいない時はお家だといつも一人だったから、お兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しかったの! ミュウにもお兄ちゃんが出来たの!」
懐いた猫の様にミュウは身体を擦り寄せてくる。正直、うっとうしいと思っているのだが、人間の商人が見ている前でミュウを突き飛ばすなど出来る筈もない。
何より―――何故かナグモはそうする気になれなかった。
「はぁ………」
ナグモは溜息を吐く。それは懐いてくるミュウを突き放せない事か、以前と変わってしまった自分自身に対してか。『人間嫌い』の元・NPCにはよく分からなかった。
***
日が暮れて、一行は宿場町で一泊する事になった。しかしながら、隊商の商人達はどこか困った様な表情で宿屋に集まっていた。
「ううむ………どうも予定の行程より大幅に遅れている様だな」
商人達が地図を広げながら話し合っている様子を横目に見ながら、冒険者モモンに扮したアインズは呟いた。
「その様ですね。予定なら既にエリセンに辿り着いていた筈でした」
「仕方あるまい。まさか野盗の類いがあれほど出て来るとはなぁ」
ナグモの返事にアインズはぼやき気味に返した。
これまでの旅程で隊商は魔物だけに飽き足らず、幾度となく野盗の襲撃を受けていたのだ。
当然、アインズ達がいるから怪我人も積荷の被害も無いものの、お陰で馬車の速度は遅れに遅れ、とうとう行商ルートを見直さなければならない事態にまで陥っていたのだ。予定通りにいかない冒険者の任務に、ナグモは不満げにナザリックの同僚の顔を思い浮かべていた。
(デミウルゴスめ………王国の治安を悪化させているとは聞いていたが、それでアインズ様のお手を煩わせるなど不敬だろう)
ハイリヒ王国の裏工作を担当しているデミウルゴスにより、王国の治安は悪化の一途を辿っていた。
内乱が起きた事で各地の流通は滞り、それ以前の“聖戦遠征軍”の結成による重税で村民達が餓死した村もあると聞く。隊商を襲って来た野盗達も、そんな食うに困った者達の集まりが大半だった。もはや奪わねば死が待つだけとある種の覚悟を決めた彼等は、護衛に“漆黒のモモン”がいると分かっていながら自暴自棄となって隊商に襲いかかっていたのであった。
「どうしますか? 必要ならばナザリックより軍を派遣して、先回りして道中の野盗達を排除いたしますが」
声を潜めてナグモは提案したが、アインズは首を横に振った。
「いや、それには及ばない。既に商人達の間で行商ルートを変える事は決定事項の様だし、それで野盗達が一斉にいなくなればモモンのマッチポンプが疑われる。冒険者モモンは野盗達と通じていた、などとあらぬ噂を立てられても面倒だ」
「……かしこまりました」
残念ながら、この茶番劇の様な冒険者任務はまだまだ続くらしい。内心でそう思ったもののアインズの手前で言葉にするわけにもいかないので、いつもの無表情で頷くだけに留めた。
「ところで、ミュウとは打ち解けたみたいだな?」
突然話題を変えたアインズに対し、ここで初めてナグモの表情が変わった。
扱いに困っている様な、返答に困っている様な、なんとも形容し難い表情に。
「その………モモンさ―――ん。あの海人族の面倒は、やはり僕が見てないと駄目でしょうか?」
「それはそうだろう。ミュウを最初に助けたのはお前なのだし」
「ユエか
「しかしだな。香織は何故か少し怖がられている様だし、ユエは問題ない様に思われるが、ミュウはお前から離れたがらないのだろう? 結局お前が一番という事になると思うぞ」
当然、私は論外だ、とアインズは主張した。アインズ自身は子供が嫌いというわけではないが、変装用に纏っている全身鎧が問題だった。四六時中、鎧を脱がないのは何故か? とミュウに疑問を抱かせない為に長時間関わるのは避けたかった。そうでなくても、食事の時に「モモンおじちゃんは一緒にご飯を食べないの?」と聞かれて返答に困ったのは記憶に新しい。
「まあ、これもナザリックでは出来ない経験を積んでいると思うべきだ。その、なんだ………今後、もしかしたらお前も子持ちになるのかもしれないしな」
暗に香織の事を言われて、ナグモはなんとも言えない表情で反論を飲み込むしかなかった。
***
アインズとの話が終わった後、ナグモは宿屋の割り当てられた部屋へ戻る。今は隊商の護衛任務中なので、宿泊費は隊商達が払ってくれている。ただし、宿屋の広さの関係などから一人一部屋などという贅沢は出来るわけもなく―――。
「あ、お帰り。ナグモくん」
「お兄ちゃん!」
部屋に入るとツインベッドの片方に香織が座っており、もう片方に座っていたミュウが顔をパァッと輝かせてナグモに抱きついた。
「もう、ミュウちゃんってばナグモくんに懐いてばっかり………お姉さんにもそろそろ打ち解けてくれてもいいのになぁ?」
香織が少しだけ頬を膨らませながら言うと、ミュウは気まずそうな顔をしながらもナグモの背に隠れた。それは首輪をつけられているから安全、と言われても大型の肉食獣を見て怖がっている子供の様だった。しかし、香織には「人見知りする子なのかなぁ?」としか思われてない様だ。
「………とりあえず、隊商のルートが見直される事が決まったぞ」
もう抱きつくミュウを引き剥がすのも億劫になっているナグモは二人に告げた。
「今のままだとエリセンに行くまで時間が掛かり過ぎる。予定していた行商ルートを変更して目的地を目指すそうだ」
「そっか、まあ仕方ないよね」
「………もう少しだけお兄ちゃん達と一緒なの?」
「そうだ。だからさっさと寝ろ。遅れた分、明日は早く出発すると言っていた」
ほんの少しだけ嬉しそうなミュウにぞんざいに答えながら、ナグモは上着を脱いでベッドに横になろうとする。すると、ミュウがポフッとナグモのベッドに入ってきた。
「………だから、何故いつも僕の横で寝たがる?」
「みゅぅ………ダメ?」
「まあまあ、ミュウちゃんはまだ四歳だよ? でも……いいなぁ。ミュウちゃんばっかり………」
「………子供相手に嫉妬しないでくれ」
ベッドの大きさは残念ながら三人が川の字で寝るには手狭過ぎるので、香織は仕方なくもう一つのベッドに入ったがナグモの隣を確保しているミュウを羨ましそうに見ていた。寝るときも自分にぴったりと付いてくるミュウにナグモは盛大に溜息を吐きたくなる。
(これだから子供は嫌なんだ………どんなに論理的な説明をしようが、全く理解しない上に感情を優先させたがる)
ナグモの中でミュウに別の場所で寝るように説得する労力とさっさと寝かし付ける労力が天秤に掛けられる。残念ながら説得に費やす時間と労力の方が大きいと彼の頭脳は判断した。
苦虫を噛み潰した様な表情になりながら、ナグモはランタンを消して部屋の灯りを消そうとする。
「ねえ、お兄ちゃん………寝る前のお話をしてなの」
ナグモの隣で布団を被ったミュウが、甘える様な声を出した。
「………お前。普通に目を閉じてれば眠れるだろ」
「ママはいつも、ミュウが寝る前にお話を聞かせてくれたの」
エリセンが近くなった事で、ミュウもホームシックが出てきたのだろうか。いつになく甘えるミュウだが、面倒になってきたナグモは催眠魔法で強制的に眠らせようかと本気で考え始め―――。
「私も聞きたいなあ。ナグモくんのお話、どんなのを聞かせてくれるの?」
「お前もか、香織………」
腹心に裏切られたローマの独裁官の様にナグモは呻き声を上げる。隣のベッドで興味津々な様子で見てくる香織の視線を受けながら、ナグモは仏頂面で話し始めた。
「その昔、トム・ソーヤーという人間の少年がいて――――――」
それは以前、ナザリックでマーレから薦められた本の内容だった。
いつの日だったか、
正直、魔人族の件があってから人間を深く知りたいとは思わなくなったのだが、ナザリックの仲間であるマーレの好意を無下にするのも躊躇われてしまった。結局、全て読破した上でマーレに本に対する感想をナグモは送っていた。(ただし、その感想内容は「現実的に考えてこういう内容はあり得ない」という批評めいた物だが)
(まあ、ミュキュルニラが薦めた物語よりはマシか………主人公がネズミのくせに犬をペットにしているとか、もはや狂気の沙汰だろう)
そんなわけで一度読んだ本の内容は暗記できる頭脳の持ち主である為、ナグモは教科書の音読の様に淡々とした口調ながらミュウに自分が読んだ物語を話す事は出来た。
「―――そして祖母から言いつけられたペンキ塗りを友人達に押しつけたトム・ソーヤーは………む?」
抑揚も何もあったものではないナグモの朗読が止まる。隣を見ると、ミュウはいつの間にやら目を閉じて静かに寝息を立てていた。
「まったく………人に話をさせたなら、せめて最後まで聞くべきだろう」
「ふふふ。ミュウちゃん、とても安心したんだね」
ミュウに避けられているとはいえ、元来の性格は子供が好きなのだ。香織はナグモの横で安心して寝ているミュウを微笑ましい物を見る様な目になっていた。
「ナグモくんって、意外と子供に好かれやすいのかも。こうして見ていると、なんだか私達に子供が出来たみたいだよね!」
「君までシャルティアみたいな事を言わないでくれ………というか育児というのはこんなに面倒なものなのか?」
アンデッドでも生殖出来る様になる研究をしろ、と迫ったナザリックの守護者の顔を思い出してナグモは頭痛を覚える。香織と幸せ家族計画はナグモも心躍るものの、子供の世話がここまで大変だとは思わなかった。
「男の人は奥さんに家事を任せて仕事だけやっていればいい、という時代はもう古いよ。最近だと夫婦で仕事も家事も分担する家だって増えたんだから。私のお父さんもね、普段は忙しそうにしてるけど日曜日になったら私とお母さんを連れて、いつも………」
「香織?」
ふいにそこで香織は口を閉ざしてしまう。香織の顔に一瞬だけ寂しそうな表情が過った。まるでもう戻れない日々と、会えない家族を懐かしがっている様な表情に。
「………ううん、何でもない。とにかく、子供が出来たらナグモくんだって研究のお仕事ばっかりしてればいいわけじゃないからね? ちゃんと子供の面倒は見てもらうから」
「そうなのか………僕は今、初めて世の中の人間の親達を尊敬したくなったぞ。こんな面倒な事をよくもまあ、毎日やれるものだ」
香織の反応が少し気になったが、ナグモは肩をすくめながら胸の内を吐露した。
(考えてみれば、じゅーる様も
きっと忍耐強さとか、そういうスキルを持っているに違いない………などと、詮のない事をナグモは考え始めていた。
「ねえ、ナグモくん……ミュウちゃんは寝ちゃったし、そろそろいいかな?」
香織が何かを期待する様な声を出す。瞳は紅く爛々と輝き、頬もわずかに上気していた。
「冒険者の任務中はあまり好ましいとは思わないんだが………我慢できそうにないか?」
「ごめんね………でも、ずっと我慢していたからどうしても欲しいの」
お願い、と香織はベッドの上で懇願する。寝間着から見える肌はしっとりと汗ばみ、深い息遣いには艶っぽさを感じる程だ。
「………仕方ない。ただし、手早く済ませよう」
ナグモはミュウを起こさない様にそっとベッドから抜け出し、香織のベッドに座る。香織は嬉しそうな表情で隣に座ったナグモにしなだれる様に抱きつき、そして―――。
「っ、………」
首に僅かな痛み。香織の鋭い歯がナグモの皮膚を突き破り、温かな血が香織の口内に入っていく。
「はぁ………じゅる、ごくっ、ごくっ……」
喉を潤す赤い液体を香織は恍惚とした表情で飲み始める。アンデッドの紅い目は潤み、うっとりと細められていた。
今の香織の身体はアンデッドキメラだ。魔力が不足したら腐敗が始まる肉体を維持する為にも、定期的な魔力供給が必要となる。いつもなら拠点に戻って行えるが、今回の様に長期間の冒険者任務は初めてだった。人間の冒険者として戦っている以上、魔物達を喰らって魔力を回復させる事も出来ず、ミュウが横で寝泊まりしているので香織もナグモから
「ちゅうっ、ごくっ、じゅるっ………」
「っ、香織。少し痛い」
「あ………ごめんね。強く噛みすぎちゃった?」
ナグモが少しだけ顔を顰める。知らず知らずのうちに犬歯を深く食い込ませていた事に気付き、香織はすまなそうな顔になる。だが―――。
「でも、ナグモくんの身体………とっても美味しいの♡」
血で寝間着を汚さない様に注意しながらも、香織は上気した顔でナグモの血を味わっていた。
その表情は――――――まさしく、血の味を覚えた獣そのものの様だった。
仮にバッドエンドルートを実装するなら、自分が作った怪物を制御できなくなったマッドサイエンティストみたいにナグモの最期は香織に食われて死ぬ展開ですね。アインズ様がいる以上、死んでも蘇生して貰えるから安心だね!(笑)
因みに香織が人喰いアンデッドとして覚醒する展開ですけど、本来ならもっとドぎつい展開にするつもりでした。
ミュウを助け出す時、キャサリン達が出てこずに普通にナグモ達がレガニドをぶっ飛ばす。
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逃げるプーム。「父上に言って、あいつらを縛り首にしてやる!」と言いながら必死で走る内に、いつの間にか人気のない路地裏へ。
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そこへ香織が登場。「困るなあ。ナグモくんはあの海人族の子を助けたいみたいなのに、あなたみたいな
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「こんな人間、生かしておいてもナグモくんの為にならないよね? あ、でも一応は貴族なんだっけ? 殺してナグモくんのせいにされても面倒かな? かな?」
「あ、そうだ」
「死体も残らないくらいに食べ尽くしちゃえば、殺人事件とは思われないよね」
香織の蛇が一斉にプームに牙を剥く。プームは死ぬほどの痛みに苦しみながら、文字通りに骨も残さず食われる。
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その時、香織は気付く。さほど期待もしていなかったプームの肉。それが死の間際で味が跳ね上がった事に。
「ああ、そうなんだ………クズみたいな人間でも、絶望させて殺せば美味しくなるんだ」
こんな内容を一時期は嬉々として書こうとしていた。そろそろ脳の病院にでも行くべきだと思う。