「だからよぉ、こいつは不良品だと言ってるだろうがっ!!」
昼下がりの“チャン・クラルス”商店で、男がカウンターにいる女性店員に詰め寄っていた。男は人相が悪く、堅気ではない雰囲気が隠し切れない粗暴さが目立っており、まるで恫喝する様に女性店員に向かって何やら墨汁の様な染みがべっとりと付いた服を突き付けていた。
「見ろよ、この汚れ! この店でさっき買ったばかりの新品だというのによぉ、こんな物を平気で客に売りつけてたのかぁっ!?」
「ですから、先程も仰っている様にお売りした時にはこの様な汚れはありませんでした」
「あぁん!? 俺が嘘を言ってるってのかっ!! 不良品だったから交換してくれ、って頼んでいるだけなのに客を嘘吐き呼ばわりするとはとんだ商店だなぁっ!!」
毅然とした態度で応じる女性店員に対して、男はいちゃもんをつける様に大声を張り上げた。騒ぎ立てる男に周りの客は迷惑そうにしているのだが、それを見て寧ろ男は益々と声を張り上げた。
「あ~あ! 客にこんな物を売りつけた上に嘘つき呼ばわりしやがってよぉ! ここの店は本当にクズだなっ! それなのに支店を増やせるなんざ、貴族様に高い金でも積んで―――」
「あー、ちょっといいっすかね。お客様」
騒ぎ立てていた男の後ろから唐突に声を掛けられる。男はおろか、側で見ていた他の客も気配をまるで感じさせずに現れた店員―――浩介に飛び上がらんばかりに驚いた。
「な……なんだテメェはっ!」
「いえいえ、俺もここの店員なんですけどね。なんか当店の商品にクレームがあるみたいですけど?」
「そ………そうだよっ! 見ろよ、この染み! こんな物を売りつけるなんざ、テメェらの店は客に対して———」
「ああ、そうですか。ところで……ウチの商品、会計が済んでない場合はタグが付けられているんですけどね。その商品はタグが付いてないですよね?」
「は……タグ……?」
男は聞き慣れない単語にポカンとした表情になる。“チャン・クラルス"商会には全ての商品に商品タグが付いており、それをカウンターまで持って行って店員にタグを外してもらうというシステムが取られていた。現代ならば珍しくもない方法だが、トータスでは馴染みの無かったシステムだった為に男も予想外だった様だ。
「という事はそれ、一度お会計が済んでる商品ですよね? 商品はカウンターでもお取り違えの無い様にお客様自身にも確認して貰っている筈ですけど、こんな大きな染みがあったのにそのまま買われたんですか? それに随分と新しい染みですね。まるでさっきつけたばかりみたいに」
「だから何だよっ! この店が不良品を俺に売り付けたのには変わらないだろうがっ!」
男は恫喝する様に迫るが、浩介は顔色は全く変わらない。少し前まで裏稼業をしていた彼にとって、男の恫喝など物怖じする程では無くなっていた。
「そうですか……ところでこれ、何でしょうね?」
スッと浩介が手の上に乗せた品を見て、男の顔色が素早く変わる。
それは真新しいインク瓶だった。瓶の口には使った後があり、中身も少し減っていた。
「お客様のポケットから落ちた品なんですけどね。このインク、お客様が買った商品に付いた染みと同じ色ですね?」
「し……知らねぇ! そんな物、俺が持っているわけねぇだろ!!」
ポケットの中に仕舞い込んでいたはずの品を見せられ、男は動揺するが何とかシラを切ろうとした。
「そうでしたか、すいません。じゃあ、一緒に落ちとたこれもお客様と無関係な物ですよね」
「あっ、俺の財布!!」
浩介が続け様に見せた年季の入った巾着を見て、男は思わず声を上げてしまった。その財布にもインクの染みがついているのを見て、男はしまったという顔になるが遅かった。
「おい、アンタ! 自分でインクで汚して因縁をつけてたのか!?」
「そんな真似をして恥ずかしくないのか!」
「セバス様の店でそんな事を……みっともないったら、ありゃしないわね」
それまで遣り取りを見ていた周りの客達も真相に気付き、口々に男を責め立てた。他の客からしても男が騒ぎ立てていたのは迷惑行為でしかなかった。周りから責められた男は顔を真っ赤にして、歯軋りしながら浩介を睨み付けた。
「こ、この………ざけんなよクソガキがあああっ!!」
突然、ポケットからナイフを取り出した男に周りの客から悲鳴が上がる。逆上した男は浩介の顔を目掛けてナイフを振り———。
「よっ、と」
「がっ!?」
一瞬の早技だった。顔に迫ったナイフを首の動きだけで避け、浩介は伸ばされた無防備な腕を捻り上げ、男を地面へと押し倒していた。まるで柔道の模範演技の様に鮮やかな手口だ。
「イテテテテッ! くそ、離せっ! 離しやがれっ!」
「———静かにして頂けますか? 他のお客様の迷惑になります」
カツンッ、と地面に組み伏せられた男の目の前に、磨き上げられた高級そうな革靴が見えた。男は反射的に見上げ———そこにいたセバスを見て、急激に背筋が寒くなっていた。セバスは丁寧な口調のまま、浩介に捻り上げれられた男に威圧感を持って見下した。
「お買い上げ頂いた商品をどの様に扱ってもお客様の自由ですが……あらぬ嫌疑をかけられるのは見過ごせませんね」
「あ……いや、その………」
「少し奥に来て頂けますかな?」
冷たい怒りのオーラを感じさせるセバスに、男は真っ青な顔で頷くしかなかった。
***
「逮捕のご協力感謝致します」
数時間後、店内で暴行未遂を犯した男を引き取りに来た保安署の職員がセバスに頭を下げていた。
その職員はセバスと顔見知りなのか、セバスに対して親しげな雰囲気を出していた。
「セバス殿の店で狼藉を働いた男はキッチリと絞り上げますのでご安心ください!」
「法に則った適正な刑罰を与えてくれれば十分ですよ、スタンフォードさん。ただ……出来るなら、この様な事はこれっきりにしたいものです」
セバスの言った事に保安署の職員―――スタンフォードは顔を俯かせる。
「今月に入って似たような揉め事が既に六回は起きています。
「……セバス殿の仰っていることは理解しております。ですが………申し訳ありません、保安署から人を出せないのです」
ギリッと歯を食い縛りながらスタンフォードは言葉を吐き出した。それを見て、セバスは大体の事情を察していた。
「……あなたの上の立場の者から止められているのですね?」
「はい……
今まで血眼になって追う立場にあった筈の裏組織の言いなりになっている事が、保安署の職員として許せないのだろう。スタンフォードは掌に爪が食い込むくらいに拳を握りしめていた。
「すみません。セバス殿には街中で起きている事件にも協力して頂いているのに………」
「いえ、たまたま通り掛かったので少し手を貸しただけですよ。お気になさらないで下さい」
セバスは街を歩いている時、揉めている人間に介入したり、困っている人間を見過ごせずに手を貸すといった人助けを繰り返していた。彼からすればミュウの情報を得る為にやっている巡回のついでなのだが、お陰で保安署はおろか街の人間達に顔を覚えられる程になっていたのだ。
大商店を営む富豪でありながらそれを鼻にかけず、誰に対しても紳士的な態度で接して人助けを行ってくれる。フリートホーフが街で横暴を働いている今、街の者達にとってセバスは彼が市長ならば、と望まれる程に親しまれていたのだ。
「セバス殿……今の我々が言っても虚しい言葉かもしれませんが、このままにはしておきません。今、上層部とフリートホーフの繋がりを告発する為に仲間内で準備しております」
声を潜めながらスタンフォードは言った。彼のみならず、市民を蔑ろにして裏組織のやりたい放題にさせている事に憤りを覚えている職員は多い様だ。
「こんな事しか言えずに心苦しいですが……どうかそれまでご辛抱下さい。お願いします!」
スタンフォードは腰を直角に曲げて頭を下げた。
***
「コースケくん、今日もお疲れ様でした」
スタンフォードが男を連行した後、閉店準備で働いていた浩介にセバスは声をかけた。
「セバス店長! お疲れ様です! 昼間はありがとうございました!」
「いえ、コースケくんがいてくれたから他のお客様も怪我をせずに済みました。コースケくんのお陰ですよ」
老紳士の賛辞に浩介は照れ臭そうに笑う。違法クエストをしている時に比べて、浩介の精神は晴れやかになっていた。
(しかし。あの程度の相手では、スキルを発動してくれませんか………)
セバスは浩介を見ながらこっそりとそんな事を考えていた。これまで店で狼藉を働こうとした悪漢は浩介に処理して貰っているのだが、セバスが初めて会った時に見た
「それにしてもコースケくんはお強いですね。何か武術でも習っていたのですか?」
「いや、武術なんて習い事でもやった事は無いんですけどね。何というか、俺の天職のお陰というか………」
浩介は自分の事を思い起こす様に考え込む。今まであまり意識していなかったが、“天職”で授かった力について彼なりに説明しようとした。
「俺の影が薄いのは元からですけど……さっきの奴とかポケットの中身をスるとか器用な真似なんて出来なかった筈なのに、なんか出来そう! と思ったんです。天職に目覚めてから、相手の気配とか意識の隙とか、そういうのが分かる様になったというか………」
「ふむ………そういう物なのですか」
「店長は天職とかに興味あるんですか?」
「ああ、いえ……私ではなく、そういった物を研究してる友人がいるので、気になっただけです」
「へぇ〜、なんかすごい研究をしている人がいるんですね」
「ええ、まあ………」
ふとセバスの表情が少しだけ暗くなる。それはナザリックの為とはいえ、研究の実験動物にされた人間達の事を思っての物だが、それを知る由も無い浩介は表情を曇らせたセバスを不思議そうに見る。
「店長……?」
「っと、すみません。少しぼうっとしてしまいました」
浩介の天職に探りを入れるつもりが、逆にセバスの内心を気取られそうになった事を恥じながら微笑みで誤魔化した。
「まあ、とにかく俺の強さというのは天職のお陰な所がありまして……その点で言ったら、店長の方こそ何か武術をやってたんですか? なんか普段も立ち振る舞いに全く隙が見当たらないんですけど」
「まあ………嗜み程度ですよ」
「嗜みですか………」
セバスは笑って誤魔化すものの、浩介は頭を捻っていた。
(いや、“暗殺者”の俺から見ても隙なしに見える程の嗜みって何だよ?)
それこそ“神の使徒”だった自分より強いのでは? と浩介は思ったものの、まさかな、とその予感を思考の隅に追いやった。
「あ、そうだ。店長、実はちょっと聞きたい事がありまして」
「何でしょうか?」
先程の話の内容が内容だけに、セバスはほんの少しだけ身構える。浩介は真剣な表情になり———。
「その………女の人への贈り物って、何が良いと思います?」
「………女性への、ですか?」
拍子抜けした様にセバスは鸚鵡返しするが、浩介は照れ臭そうにしながら話し出した。
「その、ちょっと気になる人が出来たというか、失礼な事をしちゃったからお詫びに何かプレゼントでも贈ろうと思ったというか………」
はぁ、とセバスはなんとも言えない声を出す。
「それで、店長は奥さんもいるし、何か女性に贈るプレゼントに何が良いかとかアドバイスを頂きたいと思いまして」
「なるほど。事情は分かりましたが、しかし………」
目の前の少年にとっては真剣な話なのだろうと思いながらも、セバスは言葉に詰まる。対外的にはティオはセバスの妻という事になっているが、内情は魔導国の諜報活動の為にそういう形になったとしか言えないし、一般人が思い描く様な綺麗な恋愛ではないとセバスは思っていた。その為に少年の純粋な初恋に対して、どう助言したものやらと考え込んでしまう。
「………花とかどうでしょうか?」
「普通過ぎません?」
う〜む、とこれまで異性と付き合いの無かった二人は同じ表情で悩んでいた。
>天職の力
遠藤の気配遮断は元からだとして(笑)……。スキルツリーでスリとか覚えた感じです。自分の中で暗殺者と言われるとアサシンクリードが真っ先に出るので、そのうちに遠藤はイーグルダイブとか出来るようになったりして(笑)
>セバスの腹芸
似合わない事はしなさんな、って話ですよ。