シスター・べレアの修道院に流れ着いてから、ノイントにとって穏やかな日々が過ぎていった。
最初の内はノイントも修道院の生活に戸惑っていた。エヒトルジュエの命令で神山で
「ノイントお姉ちゃん!」
「遊ぼ、遊ぼ!」
「……今日の勉強が終わってからですよ。それと今は芋の皮剥きをしていて包丁を持っているから、危ないので下がってなさい」
纏わりついてくる子供達に、炊事場に立ったノイントは溜息を吐きながら応じる。しかし、その表情は以前よりも柔らかくなっており、少なくとも声色からは嫌々やっているとは感じられなかった。
「あらあら……この子達ったら、もうすっかりノイントさんに懐いてるのね」
べレアが柔和な笑みを浮かべながら歩み寄ると、子供達も笑顔になった。
「うん! だってノイントお姉ちゃん、優しいんだもん!」
「とても綺麗で、死んでしまったお母様に似てる気がするの!」
「ふふ、そうなの? でもこれからお勉強の時間よ。今日は算数のお勉強をしましょうね」
はーい、と子供達はノイントから離れていく。ようやく子供達から解放されたノイントに、べレアが声を掛けた。
「ごめんなさいね、ノイントさん。あの子達ったら、私以外の大人が珍しいみたいで……ご迷惑ではなかったかしら?」
「いえ、別に………宿を提供して貰っている礼をしているだけですから」
ノイントは社交辞令として答えたが、それでも満足のいく答えだったらしい。べレアはニッコリと皺の深い顔を微笑ませた。
「ノイントさんやコースケさんが来てから、子供達も笑顔で過ごせる様になって何よりですよ。………これなら、私にいつエヒト様のお迎えが来ても、いくらか快く逝けるかもしれませんね」
ノイントは不意に手を止めて、べレアを見る。彼女は子供達が出て行った戸口を寂しそうながらも静かな微笑みで見ていた。
「私ももう歳ですからねえ。せめて今いる子達が成人するまでは見守ってあげたいけど、それまで身体がもつかどうか………」
腰が曲がり、皺だらけの小さな身体。先日に腰を痛めた事もあり、べレアから感じる生気は以前よりも弱くなっている様に見えた。これは回復魔法などではどうしようもなく、生物としての寿命が近付いているのだとノイントは感じていた。
「……中央の教会に頼ろうとは思わないのですか?」
気が付けば、ノイントはそう話し掛けていた。
「中央の教会は各地にある修道院に対して援助を行う様に、と総本山から通達されている筈です。貴方から中央の教会に援助を願い出れば、向こうも応じるのではないですか?」
かつて聖教教会で潜入活動をしていた時、随分と前にイシュタルがそんな事を言っていた気がする。それを思い出して言ってみたが、べレアは困った様な顔で首を横に振った。
「残念ですけど……そう簡単な話ではないの。確かに各地にエヒト様の教えを広める為に援助金はあるみたいだけど………それも中央の方が決めた人でないと受け取れないのよ。私みたいな凡百の修道院長では相手にもされないの」
要するに中央に対してコネがある者にしか援助金は配られないという事だろう。エヒト神の教えを遍く広める為に制度された筈なのに、これでは一部の者だけが金を独占しやすくなっているだけだ。
「それに………仮に私に中央への伝手があっても難しいでしょうね」
「……それは何故?」
ノイントが聞くと、べレアは少しだけ迷う表情になったが打ち明けた。
「この修道院で預かっている子達はね、親が異端者の疑いを掛けられた子達ばかりなの」
え? とノイントが思わず声を上げる。
「魔人族と通じているなんて疑われて親が神殿騎士に連行されたり、エヒト様ではなく自分の土地の守り神を信仰していたから村ごと取り潰しになってしまったり………そんな事情があって親と引き離された子を預かっているのよ」
ハイリヒ王国において聖教教会の権威は大きい。その中で異端者という烙印はそれこそ大罪人と変わらず、そんな親を持つ子を誰も預かろうと思わないだろう。むしろそんな経歴を持った子供達を育てているベレアこそ、聖教教会からすれば異端と言うべきだ。
「生涯をエヒト様にお仕えすると決めた身で言うのは難だけど……私は中央のやっている事が好きになれない。神の愛は誰にでも等しく与えられる物なのに、自分達と考え方が少しでも違えば異端者だと烙印を押して、関係ない子供達まで苦しめるなんて」
ベレアの考えは人として真っ当な物だ。だが、だからこそ
「だからこそ、私はそんな子達にこそエヒト様の愛を与えるべきだと思うの。教会によって親や家も奪われた子達だけど……それでも差し伸べられる手はあるのだと教えてあげたい。あの子達が憎しみに囚われて未来を誤らない様に。それが私の老い先短い信仰の道なのでしょうね」
そう言うベレアの言葉に、嘘や欺瞞は感じられなかった。子供達の未来を願って慈愛に満ちた微笑みを浮かべる姿は、もしも聖教教会が真っ当な組織ならば聖母と周りから呼ばれるものなのだろう。
それを見てて―――ノイントの胸はひどく痛んだ。
「あなたは………」
ノイントは呟く様に声を出した。
「あなたは………どうして神の愛を信じられるのですか? 神がどんな相手か、知らないのに? 神は……エヒト神は、人間を顧みてなどいない。そうは思わないのですか………?」
気が付けば、ノイントは震える様な声で聞いていた。聞きようによってはノイントが言った事は、神への不敬とも取れる言葉だ。そんなノイントをベレアは驚いた様に見つめたが、すぐに慈愛の表情を浮かべた。
「ええ。きっと神は常に見守って下さいます」
それは迷える仔羊に教えを説く聖者か、それとも生涯を信仰に捧げた者だけが持ち得る気質か。
ノイントはベレアの姿に―――それこそ、自分の創造主である神以上に尊い姿を感じていた。
「天上の神からすれば、いつも私達は間違った方向へ進んでいると思われているのでしょう。それでも常に見ている。手は出せなくても、我々を見守って下さる。そう思って、善き行いをすべきだと私は信じております。神はいつだって、私達の心と共に在りますもの」
それは、言い換えるならば『良心』と呼ぶべきものだろう。ベレアは聖教教会の様に権威としてエヒト神を信仰しているのではなく、“空の上から誰かが見守っているから、清く正しい行いをしよう”という考えでエヒト神を信仰しているのだ。
「………………」
カタン、とノイントは芋剥きが終わった包丁を置く。だが、その顔色は……何故か蒼白になっていた。
「申し訳ありません。少し体調が優れないので、部屋で休みます」
言い終わると同時にノイントは炊事場を出た。後ろでベレアが心配する声を上げたが、それすらもロクに聞いていなかった。
(私は………)
ノイントは蒼白な顔のまま、私室としてあてがわれた屋根裏部屋へ急ごうとする。だが、その途中で予想外の人物に出くわしてしまった。
「あれ? ノイントさん」
今日は仕事が早く終わったのか、帰ってきた浩介は廊下でバッタリと出くわしたノイントを見て目を丸くした。
「あなたは………」
「ちょうど良かった。実は……その……ノイントさんに渡したい物があって」
ノイントの顔色は悪いままだったが、浩介は浮かれた様子でそれに気付いていなかった。そして持っていた袋から何かを取り出した。
「その……この前の事は本当にすいませんでした。それでお詫びというか……これ、ノイントさんに似合うかな、と思って」
浩介は綺麗にラッピングされた包みを手渡した。ノイントは突然渡された物に戸惑いながらも包みを開けた。
包みから出てきたのは、一本の櫛だった。
お世辞にも高価そうとは言えないものの、表面には職人の丁寧な仕事が覗える彫刻が施された木製の櫛だ。
「えっと、いま働いている店で女の人に人気の商品で、女将さんに相談したらこれが良いって薦めて貰って……。その、ノイントさんの髪は初めて会った時から……き、綺麗だと思っていて、だから、その……」
家族以外の異性へ初めてプレゼントを贈る事に、浩介は照れ隠しで色々と喋り出す。まさに初恋をした少年が、精一杯の気持ちで自分の想いを告げようとしている微笑ましさがそこにあった。
「………っ」
浩介から贈られた櫛を手にしたノイントの表情が何故か悲痛そうに歪む。それを見て、ようやく浩介はノイントの様子がおかしい事に気付いた。
「ノ、ノイントさん……? あの、もしかして気に入らなかったですか……?」
「………いえ、そんな事はありません。誰かから贈り物を貰うなんて、初めての経験だから嬉しいです」
“真の神の使徒”はエヒトルジュエの命令を遂行する為だけに作られた
だからこそ―――ノイントの胸に温かな物と同時に、鋭い痛みが奔った。
「………ごめんなさい。私には……人間から、
「え? それってどういう―――あ、ノイントさん!?」
予想外の返答に戸惑う浩介にプレゼントの櫛を突っ返し、ノイントは屋根裏部屋へと通じる階段へ逃げるように駆け上がっていく。浩介は咄嗟にそのノイントを追い掛けようとした。
「………え?」
そして―――ノイントが背を向ける瞬間に見てしまった。
今まで神秘的なまでにクールだったノイントの表情。
それが崩れて、まるで泣きそうな表情になっていた事に戸惑ってしまい、浩介はノイントの後ろ姿をそのまま見送ってしまっていた。
***
バタン、とドアが閉められる。屋根裏部屋に戻ったノイントは、フラフラと頼りない足取りでベッドへ向かっていた。
「……っ、……っ」
胸元をギュッと握りしめながら、ベッドに突っ伏す様に倒れ込んだ。それはまるで、心臓が張り裂けそうな痛みに耐えている様だった。
「あ……ああっ………!」
痛みに呻く様にノイントは声を上げる。脳裏には先程までのベレアとの会話が思い起こされていた。
………ベレアの語った神の姿は間違いだ。エヒトルジュエは人間など見守っておらず、自分の退屈を紛らわせる玩具ぐらいにしか思っていない。信仰にひたむきな善き行いをしていたとしても、むしろそんな人間が絶望に沈む様を見て愉悦に浸る様な性格だ。だからベレアが信じている神の姿など的外れだ。それを“真の神の使徒”だったノイントは断言する事が出来る。
そして、この修道院に集められた孤児達の経緯。
これもノイントには覚えがあった。人間達がエヒトルジュエへの信仰に依存しやすくする為、あるいはエヒトルジュエの目に偶然留まった為に、ノイントが“魅了”を用いて教会の人間を操って“異端者狩り”を行わせたのだ。
エヒトルジュエの―――自分の創造主が
「私はっ……私は………なんて、事を……!」
“黒い仔山羊”への恐怖で封じられていた感情が揺さぶられ、そして逃げ込んだ先の修道院で出会った人々の温かな心に触れた。それによってノイントも、まるで木の人形が様々な出来事を経て人間へとなった様に“人間の心”が生まれていたのだ。
そして―――“真の神の使徒”としてやってきた事が、ノイントの胸を痛ませた。
以前までのノイントならば、自分はエヒトルジュエの命令に従っていれば良いと顧みる事などしなかっただろう。だが、エヒトルジュエの支配が無くなって自我が芽生えた今―――過去の罪業は罪の形となって、ノイントの生まれたばかりの心を責め苛んでいた。
(彼等は……エヒトルジュエ様に見捨てられた私に、あんなに優しくしてくれたのに……! 人間達は、こんなにも温かな物だったのに……私は………!)
種族を超えて和平を結ぼうとした王を洗脳して、戦争が泥沼化する様に仕向けた。
神の真実に気が付きそうな賢い者、あるいは盤上で予定通りに動かないと判断した人間がいれば神罰の名の下に刈り取った。
異世界から召喚した少年少女を操り、皇帝を殺させた。
全ては―――
「ごめん……なさいっ……!」
気が付けば、嗚咽と共にノイントは謝罪していた。
それはエヒトルジュエの遊興などの為に殺してきた人間に対してか、それとも自分に優しくしてくれるというのに人生を狂わせたベレアや子供達―――そして浩介に対してか。
「ごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……!」
かつて邪神の愉悦の為に、多くの人間達を殺してきた神の操り人形。
糸が切られ、心を得て人間へと堕ちた天使はただひたすらに泣きながら自らの行いを悔いていた―――。
>ノイント
悪逆に生きた者が光の中で生きようとするなら、それまでの行いが罪となって苛んでくる。
Fate/EXTRA CCCでエリザベートと共闘した時のモノローグで初めて知った言葉ですけど、今まさにノイントの状態がそれです。
エヒトルジュエの人形のままなら、人間達を殺そうが操ろうが良心など痛まなかった。そもそも“心”など無いのだから。
しかし、人間としての心に目覚めてしまえば、自分がエヒトルジュエの暇潰しなんかの為にやってきた事を自覚してしまい、罪悪感が芽生えて苦しむ事となる。
(まあ、そうなる様にノイントが心を手に入れやすい環境にしたわけだけど)
そんなわけで罪悪感で押しつぶされそうなノイントですが、とある0歳児にも同じ事が当て嵌まるのよなぁ……あっちはあっちで、バッキバキにへし折るつもりでやるけどね!