あと今まで何とでも取れる様にセバスが今いる街をぼかして書いていましたけど、やはり中立都市フューレンという事にしようと思います。その方が後々の展開に繋ぎやすくなるので。
「そういえば……コースケくんの贈り物は上手くいったのでしょうか?」
その日の営業が終わり、仮住まいの屋敷に帰ったセバスは一服しながら何となしに呟いた。
「きっと喜ばれたであろう。あの少年も真剣に選んでいたのあるからな」
「初めての告白みたいでしたもの。何だか若い頃を思い出してしまいましたわ」
茶の席に相伴するティオとレミアが頷く。二人もまた、浩介のプレゼント選びに協力しており、少年の初恋が実る事を楽しみにしていた。
「それしても旦那様、初恋の贈り物の助言が薔薇の花束とは……少しセンスを疑うぞよ?」
「そうなのですか? 女性には花を贈るものだと聞きましたが……」
なんの疑いもなく首を傾げるセバスに、ティオはやれやれと溜息を吐く。浩介と二人で女性への贈り物を考えていたセバスだが、何分異性と付き合った事の無い二人のプレゼントのチョイスは何とも微妙な物だった。結局、見るに見かねてティオが二人に助言していたのだった。
「まあ、妾は旦那様から頂けるなら何であれ文句は言わんがのう」
「ふふ、分かりますわ。私の亡くなった夫も初めてのプレゼントはちょっと派手でしたもの。でもその気持ちだけでも心がときめましたから」
「ほう? いいのう……交際したての男性の初々しさとは、やはり微笑ましいものじゃな」
「ええ、精一杯に考えてくれたのが愛らしいですよねえ」
初恋談義に花を咲かせる女性二人に、セバスは少しだけ肩身が狭くなる。今度から女性への贈り物についてはキチンと勉強しよう………そう思った矢先の事だった。
コン、コン、コン———。
玄関から硬質な物を叩く音が響いた。音は不規則に繰り返され、それが玄関のドアノッカーの音だとセバスはすぐに気が付いた。
「どちら様かしら? ちょっと出て来ますね」
「いえ………待って下さい、私が出ます」
「え? でも………」
「私が出ます」
このセバス達が仮屋敷に住み出してから、今日まで来客が来た事はなかった。仮にも魔導国の拠点でもある為に一般人には見せられない書類やアイテム類があり、取引などもセバスから先方に赴いて決して屋敷に人を招こうとしなかったのだ。そんな屋敷に今日に限って人が来たという事に、セバスの第六感が嫌な予感を感じさせていた。
立ち上がりかけたレミアを強い言葉で制すると、セバスの表情を見てティオも顔を引き締めていた。セバスは玄関に向かうと、ドアに付けられた覗き窓の天蓋を開いた。すると、最初に見慣れた保安署の職員が目に入った。
「スタンフォードさん? どうかされましたかな」
「セバス殿………その………」
スタンフォードは何故か歯切れの悪い様子で覗き窓から顔を覗かせるセバスを見る。まるで本当は訪ねたくなかった、とでも言いたげだ。しかし、そんなスタンフォードが押し除けられ、別の男が割り込んできた。
「失礼、私は法廷弁護士のハルモニアと申します。以後お見知りおきを」
ハルモニアと名乗った男は一見すると仕立ての良いスーツを着た細身の男性だった。だが、纏う空気には何処か血の臭いを感じ、糸の様に細い目も相まってセバスは獲物を残酷に食い殺す狐の様な印象を受けていた。
「法廷弁護士の方が何か御用でしょうか? 私には全く身に覚えがありませんが」
「ある貴族の方が訴えを出しておりましてねえ……今日はその件で伺ったのですよ」
ハルモニアの後ろには、スタンフォード以外にもう一人の男がいた。その男は身なりの良い貴族の様だったが、贅肉で顎が三重になる程に弛んだ顔をしていて、豚がカツラを着けている様だとセバスは本能的に思った。
「こちらはエリセン領主のカルミア男爵様です。男爵様の訴えによれば、貴方がエリセンの領民を拉致したという疑いが出ているのですよ」
エリセン、と聞いてセバスの背中に嫌な汗が一筋流れた。レミアの元いた街であり、ティオによればそこの領主がレミアやミュウの奴隷売買に一枚噛んでいると見ていた筈だ。
しかし、何故自分がレミアを拉致した事になっているのか。身に覚えの無いセバスは断り文句をいくつか考えるが、相手も保安署の職員を連れて来ているあたり冗談などではないだろう。ここで追い返せば、更なる厄介事を引き寄せるというのはセバスでも理解できた。
頭の中で素早く考えを巡らせているセバスの沈黙をどう受け取ったのか、ハルモニアは勝ち誇った様な表情になる。
「つきましてはお互いの認識の擦り合わせの為に話し合いの場を設けるべきだと思うのですが……お宅に上がらせて貰ってもよろしいですよねぇ?」
***
仕方なくセバスは三人を応接室に通し、レミアを隠れさせてからティオと一緒に対峙していた。ティオを見た途端、初対面であるハルモニアとカルミア男爵の表情が驚愕に染まる。こんな美人が出て来るとは思わなかった、という顔だ。カルミア男爵の顔は徐々にだらしなく弛み、ティオの顔と豊満な胸に視線を行ったり来たりさせていた。対してハルモニアの表情は引き締められていき、この時点でどちらを警戒すべきか答えが出た。
セバスがソファーに座る様に促すと、カルミア男爵とハルモニアが席に着き、スタンフォードは彼等の後ろで控える様に立った。どうやら今回の件で彼に話の主導権は無いらしい。
「それで一体何事なのかの? 妾の旦那様を誘拐犯呼ばわりとは穏やかではありませぬな」
ティオが口火を切り、会談が始まった。カルミア男爵はわざとらしく咳払いをして口を開いた。
「ある人間から通報があってだね。その男が我が領地で保護している海人族を不当な金銭を払って買ったとか……これではまるで奴隷売買した様じゃないか?」
徐々に興奮した様に口調が強くなるカルミア男爵に補足する様に、ハルモニアが薄笑いを浮かべながら話し出す。
「ええ、カルミア男爵様の言う通りです。海人族の保護はハイリヒ王国法・第三章第十一条で明記されており、奴隷としての売買を禁じられています。これはヘルシャー帝国、そしてここ中立都市フューレンでも合意されています」
「その通り! 我が領民である海人族が奴隷として売買されるなど、あってはならん事なのだ!」
茶番だ。そう思いながら、ティオはカルミア男爵達を険しい顔で見つめる。相手はセバスがレミアを保護した事を確実に掴んでおり、入念な準備をした上でこちらに来たのだろう。それでも反撃の糸口を探るべく、ティオは口を開いた。
「旦那様が海人族を奴隷として買った……その証拠はあるのかや?」
「海人族を売った男が保安署に出頭されましてねぇ。その時の証言から売った相手がセバス殿だと判明したのですよ」
「……その件の男は?」
「留置所内で自殺されたそうです。きっと自らの罪の重さに耐えかねたのでしょうねぇ。また店の方はずいぶん前にその男を退職させていた様で、今回の事件はその男とは無関係と判断されました」
チラッとスタンフォードに目を向けると、彼は唇を噛み締めていた。男が捕まった後、留置所内でどう処理されたか……おそらく彼からしても納得のいかない事があったのだろう。そして、あからさまな不正をしていた店に対して捜査すら出来なかった事に、彼は怒り狂いたいのを必死に我慢している様だった。
「彼の遺された証言を元に保安署の方で捜査をしてくれましたねぇ。その結果、そちらの御主人は海人族を不正な金銭で買ったばかりか、連日の様に非合法な奴隷市場に赴いているそうではありませんか?」
「なんと! 奴隷市場に足繁く通うなど人間として恥を知るべきだ!」
確かにセバスがレミアの娘を探す為に奴隷市場を見廻っていたのは事実だ。だが、それをこの様に解釈してセバスへの攻撃に使うなど慮外の事だったのだろう。カルミア男爵がわざとらしく糾弾する中、スタンフォードの握り締めた拳は自分の指を握り潰しかねないくらいにブルブルと震えていた。
同時にティオはレミアの件について誤魔化しは出来ないと悟った。ここでゴネたとして、屋敷の中を強制捜査をされたりすれば厄介な事になる。“チャン・クラルス"商会が魔導国と繋がりがあるのは一部の取引先の商人達も知っているが、それでも魔導国からのスパイ企業だと万が一にも疑われるのは大きな痛手となる。証拠となる資料を隠す時間を与えない為にも保安署の職員であるスタンフォードを連れて来たのだろう。
ティオは目配せをして、これ以上の隠し立ては不可能だとセバスに告げた。セバスはそれを見て、渋面のまま頷く。
「……確かに私が海人族の女性をある店より連れ出したのは事実です。しかしながら、彼女はその時に酷い傷を負っており、生命の危機に対してそうせざるを得なかったのです。また、私が奴隷市場に出入りしていたのはその女性の娘も奴隷として売られているかもしれないと聞いて探しに行っていただけです」
「つまり、その海人族を金銭で買ったという事実を認めるという事でよろしいでしょうか?」
「………その前に、エリセンの領主である男爵閣下に一つ聞かせて頂きたい。彼女は私が連れ出した店で、言葉にするのも憚れる扱いを受けていました。そして彼女がその様な扱いを受ける事になったのも、エリセンの保安署で娘の居場所を知っていると騙されて店に奴隷として売られたと言っておりました。その事についてはどうお考えでしょうか?」
「そんなことは私は知らん。私の役目は王国より任せられたエリセンの統治とそこに住む海人族共を管理することだ。その海人族が働かされていた店はフューレンの店だろう? そちらについては私の知る事ではない」
あれだけ海人族を奴隷として連れ出した事でセバスを責めておきながら、素知らぬ顔で横柄に言い放つカルミア男爵を見て、即座にこの男も店側と通じていた事をセバスは悟った。同時に怒りを抑える為に拳を固く握り締める。
「加えて保安署の件だが、それはエリセンの保安署の連中が勝手にやった事だろう? まあ、こんな事があったというのは領主として私の不手際だと言えなくもない。厳重に
「……男爵閣下、そろそろ本題に」
「おお、そうであったな」
領民の信頼を裏切る真似をして、注意するだけなのか? そう思ったものの、セバス達が黙って話を聞いているとハルモニアは慇懃無礼な笑顔のまま話し出した。
「今回、男爵閣下の治めるエリセンから領民である海人族が奴隷として売買された事は法律に反しており、また領民にその様な無体な真似をされたと知らされた男爵閣下の精神的苦痛は大変大きいものと判断致しました。よって“チャン・クラルス"商会に対して、男爵閣下へ一億ルタを慰謝料として請求致します」
「それは―――」
「馬鹿な!? それはいくらなんでも横暴だ!」
ティオが口を開く前に、とうとうスタンフォードが目の前の事態を看過出来なくなった様に大声を出した。それに対してハルモニアとカルミア男爵がジロリと睨めつける。
「これは裁判所を通じて出された正当な賠償額ですよ。どうして保安署の職員である貴方が意見するのでしょうか?」
「いや、しかし……」
「街の治安を守るのがあなた方の仕事でしょう? それなのに法を犯した“チャン・クラルス商会”は庇われるのですか?」
「そうだぞ! 被害者は私の方だ! 貴様は保安署の職員のくせに犯罪者の肩を持つのか!」
バンバン! と脂ぎった手をテーブルに叩き付けながらカルミア男爵がスタンフォードに吼える。貴族に対して意見ができないスタンフォードの顔色は真っ赤にしながらも、唇をブルブルと震わせながら黙り込んでいた。
「さすがに慰謝料として高額過ぎるのではないのかや? これは本当に裁判所から提示された額かの?」
ティオもまたセバスも見たことが無いほどに顔を険しくさせながら意見する。王国の法律についてある程度は知っている彼女だが、それでも慰謝料としてこんな高額になる判例は聞いた事がなかった。だが、ハルモニアは全く動じる事無く笑みを崩さなかった。
「ええ、間違いなく。不服と申し上げるならば、そちらから裁判所に訴えて頂いても結構ですよ。ただしその場合、裁判によって遅延した時間の分、慰謝料は増額させて頂きますがね?」
ハルモニアの自信ありげな態度が崩れない所から察するに、仮に裁判所に上申しても自分達の訴えが却下されるとティオは即座に判断した。
(旦那様はレミア殿を連れてくる時、店の者がフリートホーフの名を出したと言うておった。ならば、この男や貴族も恐らく……)
フリートホーフの手は自分が思った以上に広い様だ。ティオは自分の認識の甘さに歯噛みしたが、その様子を見ていたハルモニアは勝ち誇った様に言い放つ。
「それでは期日までに慰謝料をお支払いをお願いします。ああ、お金の工面が難しい様ならば知り合いの金融業の方をご紹介致しましょう。彼なら
その金融業の知り合いとやらも、確実にフリートホーフが一枚噛んでいるだろう。借り入れをしたが最後、高利で骨の髄までしゃぶり尽くされるのは目に見えていた。するとカルミア男爵はティオの肢体をねちっこく見ながら笑った。
「まあ、私も鬼ではないのでな。そちらの奥方が私に
「……妾の身も心も、旦那様の物。他の男に許す事などありませぬ」
豚の様な男の欲望の籠もった視線に、ティオを憤怒の感情を押し殺しながら毅然と応えた。
「まあまあ、男爵閣下。そちらは双方の話し合いで解決して頂きましょう」
「むぅ。しかしだね、ハルモニア君………」
「男爵閣下、とりあえずはこちらの言うべき事は全て言いました。後日、結果を聞きに来たいと思います。よろしいですね?」
カルミア男爵はティオを手に入れる機会が先延ばしになった事に不服そうだったが、ハルモニアの言葉を最後に会談は終了した。玄関までセバスとティオが案内すると、カルミア男爵が出た後にハルモニアがこっそりとセバスに耳打ちする様に言った。
「それにしても彼女には感謝しなくてなりませんねぇ……廃棄処分する予定だった魚モドキが金の卵を産んでくれるとは。
その言葉を残して、バタン、と玄関の扉が閉められる。ハルモニアは最後まで、獲物が罠に掛かった事に悦ぶ残虐な獣の様な笑顔を崩さなかった。
そしてハルモニア達が出て行った後、事情聴取という名目で残ったスタンフォードが泣きながらセバス達に土下座した。
「申し訳ない! 我々が……我々のせいでセバス殿にこんな仕打ちがされる羽目になるなんて!」
「おぬしが嘆く事ではない。おぬしは自分の仕事をしただけであろう」
ティオが慰める様に声を掛けるものの、スタンフォードは「すまない……すまない……!」と謝り続けた。街の治安を守る筈の自分が、フリートホーフの片棒を担がされて恩人でもあるセバスを追い詰めている事に彼は耐え切れない様だった。
スタンフォードの嗚咽が響く中、セバスは今し方ハルモニア達が出て行った玄関の扉を見つめる。その表情には特別な感情は一切浮かんでいなかった。しかし、その瞳の奥にははっきりとした感情が見て取れた。
怒り、などと生温いものではない。憤怒、激怒、そういった感情が渦巻いていた。
だからこそ―――生まれて初めての強い感情に支配されているセバスは気付けなかった。玄関ホールをこっそりと伺い、セバス達の話を聞いてしまった者がいる事を。
「私の……私のせいで、セバス様が……? それに……ミュウ……!?」
どういう経緯があれ、先にゴングを鳴らしたのは向こうですので。いかなる結果になろうと、文句も遺言も一切受け付けませんので。