「どう……して……」
近寄ってくる足音を聞き、浩介は苦しそうに呟く様に息を吐き出した。もはやその目は視力を失っていたが、“暗殺者”としての感性が自分に近寄る人物の気配を察知したのだろう。
「どう、して……さっき、確かに手足を斬ったのに……それに、どうして俺の居場所が……」
「あれは“分身体”だ」
息も絶え絶えに疑問を口にする浩介へナグモは言葉短く答えた。
「マシン・モンスター達を
そして、とナグモは懐から小型のレーダーの様な機械を取り出した。
それは以前、ナグモが浩介の能力を再現してステルス迷彩を作った時に、対となる探知機を自分の副所長が作ったものだった。
「まさかミキュルニラが作った機械が役立つ日が来るとはな。後はお前の戦闘が自傷で長く保たないと判断したから、決定的な隙を晒すまで“分身体”を囮にしていたというだけの話だ」
「………もう、なんでも……ありかよ……ゲホッ、ゲホッ!」
「コースケッ!」
起き上がろうとして気道に血液が入り込んだのか、苦しそうに咳き込む浩介をノイントは泣きながら胸の傷を抑えた。
「もう止せ……動けば確実な死が待っているぞ」
二人の姿を見ながら、ナグモは冷徹な医師の様に宣言した。
「人体における魔力発生源……“魔核”を撃ち抜かせて貰った。もうお前は今後、“天職”の力も魔法も行使が叶わない」
血液を循環させる心臓の様に、人間には体内の魔力を循環させる“魔核”と呼ばれる霊的器官が存在する。これはトータスの医学ではまだ解明されていないが、ナグモはナザリックの研究所長として―――そしてオルクス大迷宮で死亡したクラスメイト達を解剖した成果として―――地球人であるクラスメイト達の“天職”は魔核に依存している事を突き止めたのだ。しかもそれは後付けの様に移植された跡があり、おそらくはエヒトルジュエが一般人に過ぎないクラスメイト達を“神の使徒”として戦わせられる様に召喚時に植え付けていたのだろう。だからこそ、召喚されたクラスメイト達はナグモ以外は都合良く全員が戦闘に適した“天職”とステータスに恵まれていたのだ。
「もはやお前はこの世界に来る前の凡俗な人間と変わらない。魔核の位置は心臓から数ミリ離れた場所だったから外して撃ったが………」
ナグモは浩介の状態を見ながら言葉を切る。ナグモ自身、何故直接的に急所ではなく魔核を狙い撃つという手間をかけたのか分からなかった。自分の“
そして狙撃を行う瞬間――ナグモの狙いは無意識に浩介の心臓から外れていたのだ。その理由が何故なのか………浩介を無力化するという意味なら結果的に変わらないとはいえ、命を奪わなかった理由をナグモ自身も疑問に思っていた。
「あ、あの……コースケは、彼の命を救う事が出来るのですか?」
不意にノイントが縋る様な目でナグモを見る。それは藁にも縋り付く様な想いが見て取れる表情だった。そんなノイントにナグモは冷徹な表情のまま答える。
「今すぐ適切な治療をすれば、あるいは……な。二度と魔法や“天職“のスキルは使えないが」
「お願いしますっ……! 私はどうなっても構いません、どうかコースケの命だけは助けて下さいっ!」
「駄目……だ……! ノイントさんっ……!」
息も絶え絶えになりながら浩介は引き止めようする。だが、あまりにも流し過ぎた血により自分の身体を動かす事も叶わなかった。
「頼むよ、南雲……俺だけの命で、どうか彼女を見逃してくれ……!」
「いいえ、コースケ。私は貴方に死んで欲しくありません。だから、私が死ぬべきなのです」
血塗れの浩介の手を握り、涙を流しながらノイントは自分の頬へと寄せる。それはこの瞬間にも冷たくなっていきそうな手に温もりを分け与えるかの様に。
「エヒトルジュエ様の人形として生まれて……ただ、それだけで終わるはずだった私の命を貴方は救ってくれた。ただ主の命令通りに動くだけの人形だった私に愛を教えてくれた。それだけで十分なのです。だから今度は……私が貴方を救う番です」
「嫌だ……俺は、ノイントさんがいなければ嫌なんだ……ノイントさんがいなければ、俺は……!」
尚も苦しそうに呟く浩介の口が突然塞がれる。ノイントは浩介に口付けした後、寂しそうに微笑んだ。
「……私の事は忘れて下さい。きっとこの先、貴方に相応しい人が現れてくれます。それが私でないのが……残念ですけど……」
「嫌だ……嫌だよ、ノイントさん……」
お互いの手を握り、今生の別れを惜しむ様に二人は泣き合っていた。その姿は決して演技などではなく、特にノイントはエヒトルジュエが作った人形とは思えない程だった。
その姿を見て――――――ナグモはとある光景を思い出していた。オルクス大迷宮の最下層。生まれて初めて好きになった相手の為に、心身を削ったかつての自分の姿を。
「…………愚神エヒトルジュエ、そしてその配下である“使徒”は全て駆逐されねばならない」
ザッ、ザッ、とナグモは浩介達に歩み寄る。その音を聞き、ノイントはビクッと身体を竦ませた。
「止めろ………南雲、止めてくれ……!」
「この女が“使徒”である限り、やはり例外はあり得ない」
浩介が悲痛な声を上げる中、ナグモは淡々と冷徹な声を出していた。
「安心しろ。とりあえず、お前の命は保証してやる」
パシュッと麻酔銃が撃たれた音を聞いたと同時に、浩介の意識は闇へと落ちた。
「コースケッ!」
「動くな。お前が願い出た通り、この男は治療してやる。その代わり………お前は実験体になって貰おうか」
ナグモの一言にノイントは唇を噛んで恐怖に耐える。浩介が助かるなら、自分の身を全て差し出すつもりだ。だが、やはり足がすくんでしまった。そうして震えて動けないノイントへ、ナグモは手を伸ばす。
「お前が
そうしてノイントの頭を掴み―――瞬間、弾ける様な光がノイントの頭の中で炸裂した様に感じた。
***
そして―――浩介は目を開けた。その目に眩しい物を感じていた。
(光……太陽……?)
もうまともに機能しなくなっていた筈の目に、朝日の陽光が見える。ボンヤリとした頭で明け方の空を横になったまま見上げていた。
気が付けば身体も軽い。身体中の神経を断裂させてまで酷使していた身体が、今は痛みすら感じなかった。
徐々にはっきりと周りの景色が見えてくる。そこは地球の自室や修道院の粗末な寝床でもなく、夜通しで死闘を演じていた森の中だった。夜の闇で鬱蒼と感じていた森は、朝を迎えて新鮮な空気さえ感じる程に清々しく思えた。
(俺は………確か南雲の声が聞こえて………っ!?)
そこでようやく浩介は意識が落ちる直前までの出来事を思い出してしまった。
咄嗟にノイントの気配を感じ取ろうとして――――――何の気配も感じられなかった。
「あ……ああ、あああっ………!」
初めての恋だった。家族以外で誰かを好きになり、愛を感じたのも初めての相手だった。
その気配がもう、感じられない。
失明したと思っていた目は何故か空の青さがはっきりと映ったが、そんな物は今の浩介には気休めにすらならなかった。絶望の余りに朝日に照らされながらも目の前が真っ暗になる様な感覚に浩介は涙して――――――。
「――――――大丈夫。泣かないで下さい」
「………………え?」
不意に透き通る様な女の声が耳に届いた。思わず声のした方を見上げる。
そこに――――――愛しい女性がいた。
「貴方が泣いていると、私まで悲しくなってしまいますから」
「ノイント……さん………?」
朝日に当たって光り輝く様な銀髪を靡かせ、ノイントは浩介へ優しく微笑む。
よくよく見れば、浩介の頭は地面に正座していたノイントに膝枕をされていた。
「これは……夢? 夢じゃ、ないよな………?」
「はい。私はここにいます」
膝枕をされながらも信じられない面持ちで見上げる浩介の顔をノイントは優しく触れる。そっと涙を掬い上げられ、その肌の温かさが本物だと感じられた。そうして触れ合うノイントに夜の戦闘で見えていた『死の線』は視えない――――――それどころか、自分の身体や周りの木々にも線は視えなくなっていた。まるで一夜限りの
「私はもう、どこにも行きません。だから――――――貴方さえ良ければ、隣にいさせて下さい」
「ノイントさん………!」
浩介は身を起こすとノイントへ抱きついた。ノイントもまた、地面に押し倒されながらも強く抱き締め返す。
そうして二人は熱い口付けを交わした。
もう離れない様に。もう離さない様に。
「ずっと一緒にいてくれ」
「はい……一緒に生きましょう」
狂った神に人生を歪められた少年と、狂った神によって創られて
長い夜を明けて、新たな道行きを行く二人を照らす様に朝焼けが輝いていた―――。
***
「フン………ようやく覚醒したか」
森の木々の中。二人から離れた場所で、ナグモは浩介を見ながら不機嫌そうな声を出した。
普通の人間では気付かれないくらい距離は離れているとはいえ、“暗殺者”の天職を持つ浩介ならばナグモの気配に気付いたかもしれない。
だが、ナグモにはもう彼にその芸当は不可能だと分かっていた。
「あの様子だと、昨夜に見せていた
「………それをむしろ、望まれていたのではないですか?」
悪態をつく様に呟くナグモに、渋みのある老人の声が掛けられる。
隣にいた老紳士―――セバスにナグモは素っ気なく返した。
「別に。あの男を治療した時に、既に魔核も神経もボロボロになっていたのは分かってはいた。それでも万が一もあると思っていたが、当てが外れただけだ」
それならばここまで手間を掛けなくても良かった筈だ。そう思ったものの、セバスはそれを言及しなかった。
「そんな事より、お前があの男を商会の店員にしていたとは思わなかったぞ」
「それは私もです。ナグモ様からお話を伺った時、それがコースケ君と知って驚いてしまいました」
セバスがここにいる理由。それはナグモが今回の件の
「いくつか確認させて頂きたいのですが……まず、コースケ君の身体はどうなったのですか?」
「とりあえず一命を取り留められる様に外傷は治した。ただし、撃ち抜いた魔核はそのままにしたがな。もう奴は“暗殺者”のスキルもステータスも発揮できない」
言われて注視してみると、確かに浩介から感じられていた魔力は以前とは比べ物にならない程に小さくなっていた。それこそ、そこらにいる一般人ともはや大差ない程だ。
「視神経も復元してみたが、どうやら奴の
「そうですか。それと、あの少女がエヒトルジュエの………」
セバスは浩介と抱き合う銀髪の女性を見て、セバスは複雑そうな表情になる。浩介が身体を張ってまで救おうとした女性。それがエヒトルジュエの配下だった、という事実にどう受け止めるべきか迷う様な表情だった。
「ああ。あれがエヒトルジュエの“使徒”だ………元、な」
「元、とは?」
「気配を注視して見てみろ。それで事情は察せられる筈だ」
そう言われてセバスは先程、浩介にしたと同じ様にノイントの魔力や気配を探ろうと目を細める。そして、しばらくして軽く目を見開いた。
「これは………失礼ですが、ナグモ様。本当に彼女はエヒトルジュエの配下だったのですか?」
ナイキ・マスターやガイキ・マスターなどの
「どう見ても彼女は………ただの人間です」
最初はステータス偽装のスキルを使っているのかと思った。だが、そう思って更に注意深く見ても、今のノイントの身体から魔力の類いは一切検知されず、それどころか異形種のオーラすら感じない。まさしく、ただの銀髪の女の人間にしか見えなかった。
「ああ、君の目に狂いは無い」
困惑した表情になるセバスに対して、ナグモはあっさりと頷いた。
「あれはもうただの人間だ。そういう風に改造したからな」
「改造………ですか?」
「変成魔法。アインズ様と共に訪れたシュネー雪原の大迷宮で手に入れた神代魔法だ。この魔法は生成魔法と対となる魔法で、有機物に干渉する魔法だったわけだ」
ナグモが苦い思いをしながらも最近手に入れた神代魔法。それは普通の生物を魔物へと作り替える魔法だった。それを手にしたからこそ、今は亡き魔人族の将軍フリード・バクアーは強力な魔物の軍団を作り出し、人間族の国への侵攻に踏み切ったのだろう。だが、ナザリックで随一の研究者であるナグモは、変成魔法の更なる真髄を見抜いていた。
「この魔法を使えば、トータスの魔物ならば魔石に干渉して従わせる事も可能であり、あるいは既存の生物を強化する事もできる………その逆も、な」
「逆? まさか………!」
「よく分かったな、セバス。僕はあの女にこの魔法を使い、“使徒”からただの人間へと変成させた」
事も無げに頷くナグモを見ながら、セバスは瞠目する。
確かにナグモはナザリック技術研究所の所長であり、第四階層でも多数のキメラを作成している。説明を聞く限り、変成魔法というのはナグモにとって非常に相性の良い魔法だったのだろう。そうして変成魔法という新たな力を手に入れたナグモは、短時間でノイントをただの人間へ
「元々、“エヒトルジュエの使徒”達は既存の魔物に改造を繰り返して今の人型になった存在だ。既に人型であるなら、強化するのではなく性能を落として人間に変えるなど簡単だったとも」
「そうでしたか………では、もはや彼女はただの人間と変わりないと?」
ああ、とナグモは頷く。もはやノイントの身体には背中の翼も、“使徒”同士で連絡を取り合っていた超音波器官も無く、そして身体能力も魔力も変成魔法で人並みに下げられてしまったのだ。生物としても、今のノイントはそこらの人間と大差ない存在へとなっていた。
「この事をアインズ様はご存知でしょうか」
ピクッとナグモの動きが止まる。セバスの指摘は当然の内容だ。ナザリックの者として、エヒトルジュエに関わる“使徒”の事は報告して当然だろう。他ならぬセバスも、フリートホーフの件でアインズの手を煩わせてしまったのだ。
ナグモはしばらく沈黙する。やがて、ゆっくりと口を開いた。
「セバス………あれはもう、ただの人間だ」
まるでつまらない物を語るかの様に、ナグモは素っ気ない態度で言った。
「天職もステータスも、そして特殊なスキルも一切無くなった研究する価値が無くなった人間。そこらにいる路傍の石に等しい者達だ。その程度の存在に、アインズ様に一々ご報告する必要性すらないと思う」
他のナザリックの者が真相を知れば、アインズへの離叛だと責めるだろう。アインズの目下の敵であるエヒトルジュエの手下に、慈悲をかける必要性すらないとナグモを酷く批難するだろう。そして、その裏切りの片棒を担がせようとするなとナグモは殺されても文句を言えない様な内容だった。だが………。
「分かりました。今後、あの二人の事は私が見張っていましょう」
「………感謝する、セバス」
セバスは厳粛に頷き、ナグモと共にアインズへの秘密の片棒を担いだ。個人的に好感を抱いている浩介の事もある、そしてようやく結ばれた二人を引き裂きたくないという善意もある。そして―――――。
「なあ、セバス。僕のこの判断は………正しいと思うか?」
唐突にナグモが聞いてきた。ナザリック技術研究所の所長として、様々な難問を解決してきた人智を超えた研究者。だが、今のナグモの目は不安に揺れていた。それはまるで………。
「僕は………あの二人が本当に愛し合っていると知った時、かつての僕と香織と重なった。それを引き裂く事をしたくないと思ったのは、感情的で愚かだと思うか? この判断を………じゅーる様は、ご批難されたと思うか?」
まるで子供が迷子になって、道を尋ねる様に。そう聞いてきた。
「………申し訳ありません。私は至高の御方々の執事です。執事が勝手に主の御意思を代弁する事は出来ません」
ナザリックの“執事”として、セバスはそう返す。それは創造主から与えられた
だからこそ―――セバスは自分個人としての言葉で答える事にした。
「ですが、私としては今回のナグモ様は善い事をされた、と思っております。少なくとも、たっち・みー様に創られた私には好ましく思える決断です」
「………そうか。ああ、きっとこれで良かったんだろうな」
どこか寂しそうにナグモは呟いた。その目はきっと、今はナザリックにいない六本腕の機紳を見ているのだろう。その相手にこそ、今回の事で良い事をした、と言って欲しかったのだろう。そう思いながらも、セバスはそれを胸の内に留める事にした。
「本当に善い事をされましたね、ナグモ様」
せめて自分だけは彼のやった事を認めるべきだ。そう思いながら、セバスは話す。
「今回の件、ナグモ様には何も得をされた事は無いでしょうに………無償でコースケくん達に人助けをされた形になりましたね」
「いや、完全に無償だったわけではない。そもそも、あの女が変成魔法で人間に出来るかどうかは確証が無かったからな。ちょうど良い実験になった」
実験? とセバスは怪訝な顔をするが、ナグモは答えなかった。もう自分の思考の世界に埋没していた。
(変成魔法は生物に変化を及ぼす魔法………これを使えば、“
おそらく、それを習得して初めてナグモの考えは最低限の実現の兆しが見えるだろう。
無機物を変化させる生成魔法。
星の重力を操る重力魔法。
空間のみならず事象の境界を操る空間魔法。
有機物を変化させる変成魔法。
今まで手に入れて来た神代魔法は、既存の物理や生命の法則を歪められる魔法だ。
ならば―――その果てに。残り三つも手に入れたならば。
それはおそらくアインズにも手が届かない、話にだけ聞いているワールドアイテムでも無ければ不可能な奇跡。
(異形種を人間に―――
はい、そんなわけで……これにて深淵卿こと浩介君の冒険は終了です。
異世界に飛ばされ、唯一のチートパワーすら失ってしまった浩介君。傍らには天使から人間へと堕ちてしまった少女しかいませんが……まあ、後は死の支配者とその一味が人間達を支配しようとしているのを眺めながら、何の力も無い人間として生き長らえるが良いでしょう。
魔王が倒されていないのに、ヒロイン共々に何の力も無い
まあ、意地悪はこれくらいにして………一部では日和っていると言われていますけど、自分としてはこういう展開にしたいという思いは消えませんでした。やっぱりさ、物語の中くらい頑張った奴が報われても良いと思うんですよ。きちんとヒロインと結ばれてハッピーエンド。そのくらいの優しさは私にだってあります(笑)。
さて、今回において初めてアインズの事より自分の感情を優先させたナグモ。色々と彼は画策しているみたいですが、きっと困難な道程でしょうね。そうして困難にぶつかった時、初めてナグモは主人公として覚醒できると思います。