この際だから、番外編という形でやろうかな、と。
彼の事を調べまくったお陰で、携帯の文字予測欄にGの絵文字が出る様になりましたよ。どうしてくれやがりますか。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……」
明かりの無い部屋で、品格を漂わせる男の声が響く。男の声は部屋の中にいる生物を数えていた。
その部屋は、一言でいうと黒一色であった。部屋の壁から天井に至るまで、光沢のある黒いナニカがびっしりと張り付き、カサカサと音を立てる。
その黒いモノの正体を知れば、普通の人間ならば身の毛もよだつ様な悲鳴を上げただろう。頭から生えた二本の触覚、黒光りする翅に、壁や天井も所構わず走り回れる毛の生えた六本肢。
それは人類が滅亡しても生き残れると言われている生物———すなわち
「ふむ……ざっと百匹といった所ですかな。これで暫くは足りるでしょう」
常人なら精神を病みそうな部屋の中央———そこに一際大きなゴキブリがいた。しかし普通のゴキブリとは違い、二本の後肢で直立歩行をしていた。頭には王冠を被り、人間の肩に当たる部分には金糸で縁取りされた真紅のマントを羽織っていた。
彼の名は恐怖公。
ナザリック地下大墳墓第二階層の領域守護者であり、「拠点最悪」の異名を持つナザリック五大最悪の一人として製作されたNPCだ。
「放っておくと眷属同士で勝手に共喰いしてしまいますからなぁ。それにエントマ殿も私の眷属達をおやつにしてしまいますし……」
やれやれ、と溜息を吐きながら恐怖公は新たに生まれた自分の眷属達を数えていた。
「何をぶつぶつ言っているんだ?」
眷属達が蠢く音しかしない部屋に、平坦な声が響く。恐怖公が振り向くと、そこにナグモが立っていた。ただし、いつもの格好ではなく、上下共にぴったりと密閉された宇宙服の様な作業着に着替えていた。
「おや? これはまた珍しい。ナグモ殿、お久しぶりです」
「ああ、久しいな。実に30日と7時間30分ぶりと記憶している」
ペコリ、と頭を下げる巨大ゴキブリにナグモも挨拶を返す。普通の人間なら嫌悪感を抱きそうな見た目の恐怖公だが、ナグモは何も感じていないかの様に表情を崩さない。
ナグモが黒一色の部屋に足を踏み入れる。眷属達はナグモが近寄った途端、ザァッとモーセの海割りの様にナグモから遠ざかった。
「……相変わらず酷い臭いですな。その香水を付けずにこの部屋に来て頂きたいのに」
「そこは我慢しろ。君の眷属達は勝手にこちらの服や細かい隙間に入り込もうとする。精密機械を扱う以上、故障や誤作動を起こさない為にも一匹も紛れ込ませるわけにいかない」
ハッカ油の様な臭いのするナグモに恐怖公は思わず顔を顰めてしまう。(といっても、ゴキブリの顔なので見た目は分かりづらいが)
ナグモがこの部屋を訪れる時、彼は眷属達の嫌う臭いがする忌避剤を付けて来るのだ。自分はその程度でどうにかなる程柔な存在ではないが、それでも臭いがキツめの香水を振りかけて来られてる様なもので恐怖公にとっても良い臭いとは言えなかった。
「それはそうと、所用がてらにゴーレムのメンテナンスに来た。最終メンテナンスから変わった事は?」
「いえ、特にはないですな。どうぞこちらへ」
恐怖公は王笏を持った前肢を動かしながら部屋の隅へと案内する。
そこには一体のゴーレムがいた。
銀色に輝くボディ———ただし金属や銀などの安っぽい金属ではない。
六本の肢は精密に作り上げられた針金細工の様で継ぎ目なども全く見えず、金属でありながら生物的な躍動感に満ち溢れていた。
背中の二枚の翅は傷一つなく銀色に輝き、翅を広げれば力強く羽ばたく事を見る者に連想させた。
それはあまりにも精巧に作られた、銀色に輝く――ゴキブリのゴーレムだった。
「……いつ見ても、素晴らしいゴーレムだ。ゴーレムでありながら、これ程までに細部まで緻密に作られたものは他に無い」
「まことに。るし☆ふぁー様が何故これ程のゴーレムを我輩に下賜してくださったのか……今でも恐れ多く、頭が下がる思いです」
二人して感嘆の溜息を漏らす。恐怖公は素晴らしい贈り物を貰った事へ、ナグモは
このゴーレムの名はシルバーゴーレム・コックローチという。
るし☆ふぁーがじゅーるからがめ……もとい、譲って貰ったレア素材を使い、自分のゴーレム・クラフトの技術を惜しみなく注ぎ込んだ一品だ。
ユグドラシルでも頭に超がつくほどの希少金属を内部に使い、さらにはこれまた超希少金属であるスターシルバーで外側をコーティングしているという無駄な凝りっぷりだ。しかもるし☆ふぁーが細部まで拘ったお陰で、見た目がアレな事を除けば本物と見紛う程の精巧な金属ゴーレムという、まさに「なぜベストを尽くしたのか?」と問い詰めたくなる技術の結晶だった。
とはいえ、そういった事情を知らない二人には「至高のゴーレム・クラフターのるし☆ふぁーが、その腕前を惜しみなく注ぎ込んだ如何なる美術品よりも価値があるゴーレム」という認識しかない。
ナグモは国宝に触れる美術館の研究員の様に慎重な手付きで
「……ふむ。破損しているパーツは無し。しかし摩耗しているパーツがいくつかあるな。この際だ、一度
「いやはや申し訳ありません、お手を煩わせている様でして」
「気にするな。これはじゅーる様が材料を提供され、るし☆ふぁー様が手掛けた最高傑作。雑に扱う事こそ、最大の不敬だろう」
カチャ、カチャ。
キュイィィィン。
黒一色の部屋に工具の音が響く。邪魔をしない様に眷属達を遠ざけながら、恐怖公はナグモへ話し掛けた。
「そういえばコキュートス殿からお聞きしましたが、モモンガ様……いえ、今はアインズ様でしたか。アインズ様が支配された国が、外の世界に出来た様で」
「ああ。文明の遅れた亜人族の国だが、アインズ様は慈悲をもって支配されている。今では亜人族達は御方を神だと敬って生活しているぞ」
シルバーゴーレムの部品を丁寧に分解しながら、ナグモは恐怖公との会話に応じた。マルチタスクを持つナグモはその気になれば右手と左手で別々の作業をやる事も可能であり、会話しながらもその手は澱みなくシルバーゴーレムのメンテナンスを行っていた。
「なんと、そうでしたか。我輩、この地より出る事があまり無いものですから外の事情にてんで疎いものでして」
「たまには外出してみたらどうだ? ミキュルニラも最近会ってない、と詰まらなそうにボヤいていたぞ」
「そうは言いますものの、我輩の見た目は他の方々……特に女性陣には好かれぬ様でして。ミキュルニラ殿は例外の様ですがね」
見た目からして巨大ゴキブリという恐怖公は、ナザリックのNPC達(主に女性陣)のほとんどが敬遠していた。盟友という設定のコキュートスや、誰とでも仲良しという設定のミキュルニラという数少ない例外以外は、恐怖公を見た途端に引き攣った表情になってしまう。
無論、恐怖公も“アインズ・ウール・ゴウン"のギルドメンバーに生み出されたNPCだ。至高の御方によって直々に製作されたこの身体に不満などなく、むしろ誇りに思っているくらいだ。
とはいえ、「性格はとても紳士的」と設定された彼は仲間である他のNPC達が嫌がる事を好き好んでやろうとは思わず、自分を不快に思うNPC達の為にあえて自分に与えられた領域から外へ出る事はしなかった。
「まったく……他の奴等には呆れたものだ。恐怖公の性格が悪いというわけでは無いというのに」
「ははは……お気遣い感謝しますよ」
「他の者が良い顔をしないのは、眷属達が勝手に服に入り込むからじゃないか? そんな風にユリ・アルファが言っていたぞ。眷属達をキチンと統制していれば、他の者もとやかく言わないだろう」
「ううむ、そうなのでしょうか……?」
ナグモの意見に恐怖公は首を傾げた。
悲しいかな、元が「全て合理的に判断するNPC」という設定だったナグモは、普通の人間とはかなり感覚がズレていた。だからこそ、彼にとって恐怖公は「そういう見た目をした生物」という認識しかしていない。
「見た目の美醜の優劣に意味などない。大体、肉体のバランスが黄金比で構成されているとかでもない限り、外見など記号の一つに過ぎない。重要なのは、論理的な頭脳を持っているか……頭の中身だけだろう。何だったら、培養槽に浮かんだ脳だけでも良いくらいだ」
「それはそれで少し極端に過ぎますなあ」
「フン。どちらにせよ、僕にとって見た目などどうでもいい。見た目だけを飾り立てようとする者……特に人間など、見ていて吐き気がしてくる」
「やれやれ、人間嫌いは相変わらずの様で……そういえば。コキュートス殿から聞いたのですが、最近アンデッドの娘を娶られたそうで」
ガキュイィン! と工具を持っていた手がズレた。危うく重要なパーツを切断しそうになったが、なんとか事なきを得たナグモは油の切れたブリキ人形のような動きで恐怖公に振り向いた。
「な、な、ななな何を言っている? 僕は香織を娶ったわけでは……」
「ええと……そこまで動揺される方が意外なのですが……。いえね、人間嫌いなナグモ殿が伴侶にするくらいだから、どんな相手なのか気になりましてな」
「は、伴……!? いや待て、香織の事は愛しているがまだ正式に婚約をしてはないし、それに僕の身は骨の髄まで至高の御方に仕える為にあるから、この件はアインズ様に御許可を頂いてから婚姻を結ぶべきであって、いや別に将来的にそうなりたくないわけではないが、世界征服計画もまだ中途であるから今はそちらに尽力すべきで、ああ、しかし仮に御許可を頂けるならナザリックの
「おおと、これは藪蛇でしたな」
ブツブツと呟くナグモに軽くドン引きしながら、恐怖公は未だかつてここまで激しく動揺する事の無かった人間の少年を微笑ましいものを見る様な目で見ていた。
「何にせよ、お祝い申し上げます。ナグモ殿は愛を見つけられた様で、我輩も他人事ながら嬉しいですぞ」
「ま、まあ……その、ありがとう。っと、そうだ。お礼というわけではないが持ってきた物がある」
顔を赤くしてそっぽを向きながらボソボソと答えていたナグモだが、急に思い出したかの様にポケットから何かを取り出した。それは<
すると、そこに。
「ァ……ァァ………」
「ゥ……ェ……ゥ…」
……そこに。見るも歪な生き物が現れた。
その生き物は、浅黒い肌と尖った耳をしたユグドラシルのダークエルフ、あるいはトータスの魔人族の特徴を持っていた。しかし、それを一目でダークエルフや魔人族だと判別するのは困難だろう。
ある者は別々の生き物の器官を取り付けた様な不揃いな四肢になっていた。
ある者は下半身から先が深海の軟体生物の様に不定型な触手になっていた。
ある者は身体の半分を鱗の様な物で覆われ、背中から鰭や第三の手を生やしていた。
共通しているのは――どれもこれも、歪な魔物と呼ぶしかない生き物だという事だった。
「……………これは?」
「以前、アインズ様が御出陣された折に捕らえていた魔人族だ。トータスの魔物の捕食による強化実験に使っていたのだが、これらはもう使える所が無いから廃棄処分を決定した」
ほんの少し硬くなった恐怖公の声音には気付く事なく、ナグモはまるで時報でも読み上げる様な淡々とした調子で話した。
「そこで丁度いいから君の眷属達にくれてやろうと思ったのだ。アインズ様のアンデッドの材料にするのも良いと考えたが、そっちはオルクス迷宮で捕らえた人間達で足りるしな」
「………御心遣い感謝しますぞ」
「ああ、反撃される心配は無いから安心してくれ。投薬の繰り返しで自我はとっくに崩壊しているからな。足りなければ、もっと持って来るぞ?
作り過ぎた惣菜をお裾分けするかの様に、ナグモは恐怖公に頷いた。そして、言うべき事は終わったと言う様にシルバーゴーレムのメンテナンス作業に戻っていた。
(………貴方が誰かを愛する感情を学べた事を我輩は嬉しく思いますぞ)
背後で蚊の鳴く様な呻き声を上げる元・魔人族達にもはや興味を失ったかの様に、シルバーゴーレムに取り掛かるナグモの背中を恐怖公は静かに見つめる。
(コキュートス殿ほどの付き合いはありませんが、るし☆ふぁー様が遺されたゴーレムをいつも整備してくれるナグモ殿には感謝しております。……だからこそ、貴方が心配でならないのです)
これはミキュルニラから聞いた話だが、ナグモは件のアンデッドの少女をナザリックに迎え入れる前に大層荒れていた様だ。その少女がまだ人間で、至高の御方から任された第四階層の警備を放り出してまで助けに行く決断が出来ず、常軌を逸した量の精神安定剤を常用していたらしい。
(それ程までに深く愛する相手が出来た……それは喜ばしい事です。ですが、気付いておられるのですかな? その少女も元は人間で……いまこうして実験動物にした彼等もヒトである事に)
恐怖公は別に人間が好きというわけではない。彼のカルマ値は中立ではあるが、セバスやペストーニャの様にひ弱な人間達を積極的に擁護しようとまでは思っていない。
だが、ナザリックの仲間である目の前の人間の少年は別だ。そんな彼が至高の御方から定められた性格とはいえ、人間を犠牲にすることに何の痛痒も良心の呵責も抱かない姿を見ていると先行きに不安を感じていた。
(はたして人間嫌いと御方より定められた彼がアンデッドになったとはいえ、人間の少女を愛しているのは良かった事なのか……いつか、その事がナグモ殿に大きな呪いとなって降り掛からないか、我輩は心配ですぞ)
そう思いながらも、恐怖公は面と向かって告げる事は出来なかった。いま言っても、人の心を理解しようとしない彼は「何を言ってるんだ?」と怪訝そうな顔になるだけだろう。
(ともあれ……せっかくの贈り物です。ありがたく受け取るとしましょう)
恐怖公は眷属達に命令を下す。眷属達は即座に、歪な魔物と化した魔人族達に群がった。
「ァ、ァァ……シ……ス……ティ……ナ……」
もはや痛覚すら破壊されてしまったのか、全身の肉を喰べられながら魔人族の一人が悲鳴の代わりに小さく呻き声の様な声を上げた。
カサカサ、カサカサ———。
その声も、やがて眷属達の這いずる音に呑み込まれてしまった。
肉を小さな口で咀嚼する無数の音と、シルバーゴーレムを整備する工具の音だけが部屋に響いていた。
>恐怖公
ナザリックが誇る我らのジェントル・G。個人的にはオバロでデスナイトくんやベリュース隊長と並んでお気に入りキャラだったりする。
ナグモとはシルバーゴーレム繋がりで交友がありました。そして紳士な彼は、ナグモの無自覚さを心配していましたとさ。
>歪な魔物と化した魔人族
……Rest in place。彼はナザリックにおける最大の慈悲を賜ったそうです。