2021/10/30 一部文章差し替え
「いやああぁぁああっ!? 香織っ、香織ぃぃぃっ!!」
「お、おい危ねえって、雫!?」
「シズシズ、駄目っ!!」
「離してよ、香織が、香織があああっ!?」
雫の絶叫が迷宮に響く。今にも奈落へと身を投げそうな雫を龍太郎と鈴は必死に抑え込んだ。
突然のクラスメイトの、それもクラス内で人気のあった香織の落下に周りは騒然となっていた。男子達はショックを受けて立ち尽くし、女子達も「嫌ぁっ……嫌ぁっ……」と座り込んでしまっていた。光輝ですらも、“限界突破"の反動で膝をついたまま、虚ろな目で「嘘だ……嘘だ……」とブツブツと呟いて茫然自失としていた。
「離してよ、龍太郎! 今すぐ香織のところに行かなくちゃいけないの!」
「だから落ち着けって! あんな高さから落ちたんだ、もう香織は……」
「もう!? もうって何!? 香織はまだ生きてる! 離せ、離せええええええっ!!」
一際激しく暴れる雫。もはや龍太郎達でも振り落とし兼ねない勢いだった。すると、そこへメルドが歩み寄り、雫の一瞬の隙をついて首筋に手刀を振り下ろした。
「スマンッ」
ビクッと身体を痙攣させて、雫はぐったりと意識を失った。動かなくなった雫を騎士達が連れて行く。
未だにショックが抜け切れない生徒達を横目に、メルドは未だに奈落の淵に立って、底の無い闇を見続けているナグモに声を掛けた。
「ハジメ………」
ナグモは———メルドへゆっくりと振り返った。いつも他人を見下している眼光に力は無く、まるで今見た物が信じられないという様に佇んでいた。こいつでもこんな顔をするんだな、とメルドは場違いな感想を抱いた。
「ハジメ、お前はよくやった。香織の事は不幸な事故だったんだ。だから、」
「………んで」
慰めの言葉を言おうとしたメルドだったが、そこへ地の底から響く様な怨嗟の籠った声が響く。
「なんで、なんで香織を見捨てた! 南雲ォォォォッ!!」
光輝はガバッと立ち上がると、ナグモの胸倉を掴んだ。
「答えろっ! どうして香織を助けなかった!? 何でお前だけおめおめ生きてるんだ!? 説明しろ、南雲ォォォォッ!!」
「光輝、止めろ!!」
ガクガクと揺さぶり、奈落へと突き落としかねない光輝をメルドは慌てて引き剥がす。今の光輝のステータスはメルド以上だが、“限界突破”の反動がまだ抜けきらないのか、どうにか抑え込む事が出来た。
「離して下さい、メルドさん! こいつだけは許しちゃいけないんだ、香織を見捨てたこいつだけはあああっ!!」
「何を言っている!? 香織はハジメを庇って———」
「い、いや……俺は見たぜっ」
檜山がナグモを震えながら指差す。その目はまるで危ないクスリでもキメたかの様に血走っていた。
「こいつは自分に魔法が当たりそうだからって、白崎を盾にしやがったんだ! 俺は見た! 間違いねえ!」
まさか!? 本当かよ、檜山!? とクラスメイト達は騒然とする。そこでようやく、ナグモは反応した。
「……僕が白崎を盾にした? 笑えない冗談だ、檜山大介」
いつもの様に相手を人と認識して無い無機質な目でナグモは檜山を睨む。
「あの時、ベヒモスに向かって撃たれる筈の魔法弾が僕へと向かってきた。檜山大介、お前が撃った魔法弾によってな」
「て、適当吹いてんじゃねえぞ、テメェ!!」
口角泡を飛ばしながら、檜山は怒鳴る。
「あの時、やたらめったらに撃ってて誰が何の魔法弾を撃ったかなんて、分かる筈ねえだろ!? 白崎に当てた火球を撃ったのは別の奴かもしれねえだろ!! なあ!?」
血走った目で檜山は周りをグルリと見回す。それに対して魔法を撃ったクラスメイト達はサッと目を逸らした。檜山の言う通りだった。彼等は必死に撃った魔法が香織に当たったのかもしれないと考えるのが怖くて、責任を擦りつけようとする檜山の目線から避けていた。
(この馬鹿め、墓穴を掘ったな)
ナグモはそんな檜山を冷たく睨んだ。誰も火球が当たったとは言っていない。ならば、何故檜山はそれを知っているのか? その矛盾を指摘しようと口を開きかけ———。
「そうか……ようやく、分かった」
メルドに抑え込まれたまま、光輝の怒りに震えた声が響く。光輝の目もまた、正気では無かった。爛々と狂気すら感じる様な目付きで、ナグモを強く睨む。
「南雲………お前は、魔人族に与した裏切り者だったんだっ!!」
「………は?」
突飛な言い掛かりが理解出来ず、ナグモは呆気にとられた。だが、光輝は口から唾を飛ばしながら自論を展開し始めた。
「だって、おかしいじゃないか!? ありふれた生産職のくせに! 俺より訓練をサボってるくせに! 誰よりも、勇者の俺よりも強いなんて! あいつは魔人族と裏で取り引きして強力な力を得ていたんだ!」
「光輝、お前は自分が何を言っているのか分かってるのか!?」
振り解こうと暴れる光輝を必死で抑えつけながら、メルドが怒鳴る。しかし、光輝は尚も追及をやめない。
「だから自分に魔法が当たりそうになった時、香織を盾にしたんだ! 香織を殺そうとする為に!!」
「こ…の……低脳者が……!」
もはや聞くに耐えない雑音だった。ナグモは怒りと共に殺気を放とうとし———。
「お前は香織を利用するだけ利用して、その挙句に切り捨てたんだ! この……人間の屑めっ!!」
瞬間。ナグモの脳が凍り付いた。その目には明らかな動揺が浮かぶ。
———その姿は、彼等の疑念を大きくするには十分だった。
「てめえ……今の話は本当なのかよ?」
黙り込んでしまったナグモに龍太郎が低い唸り声を出す。
「俺たちを……クラスのダチを裏切って、今度は香織を殺したのか? ああ!?」
「やっぱり! おかしいと思ったのよ!」
かつてナグモに殺気を向けられて黙らせられた女子達がキンキンとした声を上げる。その顔は鬼の首を取ったかの様に勝ち誇ったものだった。
「白崎さんがこんな奴を庇うなんて……白崎さんはこいつに騙されていたのよ!」
「最っ低! それで今度は盾にしたワケ? どんだけ最低なんだし!」
「こんな奴を気にかけようとする方がおかしいじゃん! 最近、白崎さんに付き纏ってたのもどこかで利用する気だったんでしょ!」
いつもは自分達を虫ケラでも見る様な目で見下している相手が、蒼白な顔で言われ放題になっている。その姿はナグモに対して鬱憤が溜まっていたクラスメイト達の攻撃性を刺激するには十分だった。
「お前のせいで白崎さんが死んだんだぞ!」
「白崎さんの代わりにあんたが落ちれば良かったのよ!」
「魔力切れを起こしたのだって、テメエがペース配分考えないで戦ってたからだろ!」
気が付けば大半の生徒がナグモに向かって罵声を浴びせていた。一部の生徒達はオロオロしたり、「落ち着け!」と級友達を宥めようとしたが、彼等の勢いは止まらない。先程まで命の危機を感じる極限状態だった事、奈落へ落ちたのがクラスのアイドルである香織だった事が彼等から正常な判断を奪っていた。こんな時にクラスを冷静に纏めてくれる雫は気絶しており、加速したナグモへの敵意は止まらない。興奮のあまり、一部の血の気が多い生徒達が目に危険な光を宿しながら武器を握りしめ———。
「いい加減にしないかっ!!」
メルドは持てる力の全てを振り絞って光輝を地面に叩き付け、光輝の首筋に剣を押し当てた。
「メルドさん、何を!?」
「黙れ! 命懸けで戦った者に対して全員で罵倒する! それが人間のやる事か!?」
「だってそいつは! 香織を突き落とした裏切り者で、」
「これ以上、妄言を言う様なら容赦なく斬る! 神の使徒だろうと関係ない! カイル、イヴァン、ベイル! 生徒達で暴れる者がいれば即座に切り捨てろ! これは騎士団長としての厳命だ!」
今まで光輝達が聞いた事の無い様な怒気の籠った声に、光輝は圧倒される。同時に騎士達が武器を構えてクラスメイト達を包囲し、その張り詰めた空気にようやく生徒達な静かになった。
「な、なあ、もう止めようぜ」
ナグモに罵声を浴びせなかった数少ない生徒である遠藤浩介が口を開く。いつもは影が薄いと揶揄される彼だが、この時ばかりは彼の声はクラスメイト達によく響いた。
「こんなところで騒いでたって、またモンスター達を呼び寄せるだけだしよ……。それに、この事は後でゆっくり話しても遅くはないだろ?」
「そうだな、俺たちが四の五の言ったところで始まらねえ」
クラスの中でも思慮深い性格で知られる永山重吾が頷いた。
「南雲の奴が本当に裏切ってたかなんて、まだ決まったわけじゃないだろ? ここで憶測で仲間割れなんて、それこそ白崎が浮かばれねえよ。天之河、まだ歩けねえんだろ? 肩貸すぞ」
「待ってくれ、みんなこいつを野放しにしたら駄目だ! 俺の話を聞いて———」
なおも光輝は言い募ろうとしたが、永山や体格の大きい生徒に引っ張られていった。その姿を見て、騎士達の監視の下で生徒達もぞろぞろと
移動を再開する。だが、大半の生徒はナグモを強く睨みながらその場を後にした。
「スマン、ハジメ………」
生徒達が立ち去り、二人きりになったメルドはナグモに対して深く頭を下げた。
「お前と香織が必死にベヒモスと戦ってくれたのに、こんな事になって……! 俺が馬鹿だった、あいつらを甘やかして育てるべきではなかった……!」
教会から彼等はエヒト神の使徒だから普通の兵士の様に育てるな、と要請されたのもある。彼等には関係ない筈の自分達の世界の戦争に巻き込んでしまったという罪悪感で、少しくらい大目に見るかと甘い顔をしたのもある。
だがその結果、彼等には戦場に赴く戦士としての心構えが出来ていないまま、実戦の場に立たせてしまった。先程の糾弾だってパニックのあまりに口走った者が大半だろうが、そんなパニックを戦場で起こさない様に精神を鍛え上げるのがメルドの役目だった筈だ。自分の指導力の無さを実感し、メルドはナグモに対して低く頭を下げるしか無かった。
「……………最初から」
しばらくして、ようやくナグモは口を開いた。その表情は感情という感情が一切抜け落ちた様な能面の様で、言葉はただ喋っているだけの様に何の感情も籠ってなかった。その姿はまさしく———
「最初から、僕は
「ハジメ………?」
様子のおかしいナグモにメルドは下げていた頭を上げようとし———トンッと地面を蹴る音が響いた。
「ハジメ? ハジメえええぇぇぇっ!?」
メルドが奈落に向かって身を乗り出して絶叫する。メルドの見ている先で、ナグモは奈落の闇へと消えていった。
***
メルドが自分を見失ったのをしっかりと確認して、ナグモは<上位転移>を実行した。瞬く間に二十階層へと戻ったナグモは、そこに足を踏み入れた。
「あ、ようやく来たでありんすね。遅すぎんす、ナグモ」
岩場に腰掛けていたゴスロリ姿の吸血鬼———シャルティアはナグモの姿を見て、ヤスリをかけていた爪から目を上げた。
「レディを待たせるなんて、男としてなってないでありんせん? いつも引き篭もって研究ばかりしてるから女の子の扱いが下手なんでありんすぇ」
揶揄うようにクスクスと笑うシャルティアに対して、ナグモは石膏の様に顔を動かさなかった。シャルティアの後ろに控えた二体の魔物———ヴァンパイア・ブライドに目を向けて、無機質な声を出した。
「………その二人は君が連れて来たシモベか。他のシモベはどうした?」
「は? 連れて来てないでありんすよ。お前がモモンガ様にお願いしたんでありんしょ、ナザリックのシモベを連れて来いって……」
「正確には特定のシモベを、だ」
へ? と間の抜けた顔を浮かべる吸血鬼に、ナグモの中で苛立ちが生まれる。あれほど細心の注意を払ってナザリックの存在が露見しない様に下調べしたのに、シャルティアのうっかりミスで全てご破算になる所だったのだ。ヴァンパイア・ブライドなんてモンスターはトータスに存在してないし、よしんば吸血鬼で押し通すにしてもトータスの吸血鬼は二百年前に絶滅しているので無理があり過ぎる。
低脳、という言葉が出掛けるが、すぐに自重する。シャルティアの短慮な性格は至高の御方であるペロロンチーノが設定したと聞いている。彼女の短慮さを責めるのは、ペロロンチーノに文句を言うのと同義だ。
「もういい……撤退だ」
「は、はあ? まだ人間達を襲ってないでありんしょ? というか一緒に来るはずだった人間はどうしたでありんすぇ?」
「今回の作戦の第一目標は僕が人間達から見て死んだ様に見せかける事。既にそれは為された。これ以上、ここにいるのは無意味だ」
「いや、でも、ちょっとだけ人間達と遊んでいってからでも……」
「これ以上……」
まるで楽しみにしていた遠足が雨で突然中止になった子供の様に不満げなシャルティアに、ナグモは冷たい目を向けた。
「これ以上、モモンガ様がナザリックを人間達に露見しない様にと細心の注意を払った気遣いを無駄にしたいなら、好きにするといい」
「ぐっ……わ、分かったでありんす! ホラ、お前達も撤退するぞ!」
モモンガの名前を出されてはシャルティアも強くは出れない。荒い口調で部下のヴァンパイア・ブライド達に命令すると、<転移門>を開いてさっさと入っていった。
「……………」
続いて<転移門>に入ろうとしたナグモの足が止まる。彼は振り返り、洞窟の奥を見つめた。
「ナグモ様、いかが致しましたか?」
一向に入ろうとしないナグモに、ヴァンパイア・ブライドの一人が小首を傾げる。
「何か、お忘れ物でも?」
「いや………」
ナグモはすぐに<転移門>へと向き直る。グズグズしていれば、迷宮から出ようとする勇者一行と鉢合わせになる。
「何も———無い」
そのまま、振り返る事なく<転移門>へと入っていった。
はい、そんなわけでナグモは香織を助けに行きませんでした。しばらくはナザリック側で話が進んでいきます。
ただ、仕事の関係で次の投稿は11月中旬以降となりそうです。感想返しは暇を見つけたら順次行います。