追記:日間ランキングで15位とは……読者の皆様、ありがとうございます!
カタカタ———。
第四階層の所長室で、ナグモがコンソールにタイピングする音だけが響く。作業は夜通し続いていた。モモンガから定められた就寝時間を無視した結果になったが、ナグモにはもはやどうでも良かった。
何故ならば。この作業が終われば、ナグモは自死するつもりだからだ。
(……ああ、もう朝になっていたか)
……ナグモの顔は、いつもより酷い有り様だった。
冷酷な無表情というより、感情が抜け落ちてしまった様に覇気は無く、常に相手を観察している様な目は今やガラス細工の様に無機質で、何を映しているのかも怪しい有り様だ。
それでも、手だけはじゅーるに設定されたマルチタスクに従って澱みなく動く。
(……じゅーる様には感謝の言葉も無いな。こうして、必要最低限の仕事は出来るのだから)
だが自分は、そんなじゅーるの設計思想から外れてしまった。その事実が、ナグモの心に暗い影を落とす。
今やっているのは、言うなれば後始末の作業だ。自分が居なくても技術研究所の業務が滞りなく動く様に。後継となる者が即座に業務に取り掛かれる様に。そして、防衛も問題が出ない様に機械化されたシモベ達のプログラムを全て組み直していた。
(元々、僕は守護者といってもガルガンチュアをサポートする為に後付けで作られた存在。ガルガンチュアが十全に機能すれば………僕は、不要だ)
だからこそ、守護者代理。
(申し訳ありません……モモンガ様………)
他の至高の御方々が去られた後も、ナザリックの支配者として残り続けた慈悲深い
(申し訳ありません……じゅーる様………)
自分を創造してくれた六本腕の機神の姿が思い浮かぶ。この地を去る時、後は頼むと言われたのに、定められた
そして————何故か。たった数週間、情報収集の為に親しくした人間の少女が思い浮かんだ。
(………何故……あの人間の事を、忘れられないんだろうな)
懐には以前よりも強力な作用となった精神安定ポーションがある。だが、もはや薬を飲んでどうにかなる問題ではないとナグモは気付いていた。
セバスから指摘され、感情的になった事でようやくナグモは自分の胸の痛みの正体に気付いた。
自分は———あの人間が目の前で奈落に落ちた事に、ひどく悲しんでいるのだ。あまつさえ、万に一つの可能性で生きているかもしれないと、期待していたのだ。そして探しに行きたいが、ナザリックの守護者として勝手な行動をしてはならないと自制する精神が悲鳴を上げていたのだ、と。
どうして、そう思っているのか……ナグモ自身にはまったく分からないのだが。
(……笑い種だ。至高の御方の為に利用しておいて、あまつさえ見捨てたくせに? それに今更? もう何日も経ってるのに?)
なんて醜いのだろう。計算や確率を度外視して、そんな都合良く考えようとしている一面が自分にあるなんて。
もう、限界だ。
(それは……それだけは駄目だ。
そして、この地をずっと守り続けたモモンガにも迷惑が掛かる。最後まで残った至高の御方がナザリックを維持する為に、いかに大変な思いで外に出て資金集めに奔走していたかを自分は知っている。どうしてかつての自分はそれを見ても、何もしなかったのだろう? 今となってはナグモの胸に後悔しか無い。
(でも、これでもう……モモンガ様の御迷惑となる事も、ない)
いま、最後のプログラムも構築し終わった。あとは壊れた欠陥品である自分を廃棄するだけだ。突然の自害にきっとモモンガは疑問に思うだろうが、残した手紙を見れば破棄して当然だと判断されるだろう。もはやそんな自虐的な考えしか、今のナグモには思い浮かばなかった。
コン、コン、コン。
唐突に、扉をノックする音が響いた。
『あの………ミキュルニラです。しょちょ〜、いらっしゃいますか?』
「………入れ」
聞こえてくるミキュルニラの声に、ナグモは努めていつも通りの声音を演じながら入室許可を出した。一瞬、追い返そうかと思ったが、なんとなく最期にじゅーるに自分の補佐に付けられた
所長室に入ったミキュルニラは、何故かいつもより神妙な面持ちだった。ナグモの顔を見て、何かに驚いた様に目を見開き、次に所長室を見回した。
「……お部屋、片付けられたんですね」
「……ああ」
身辺整理の為にいつもよりも片付いた部屋を見て、何か思う所でもあったのだろうか。ミキュルニラはいつもの様な間延びした口調を出さず、静かに喋り始めた。
「……あのですね。昨日はお休み、ありがとうございました。今日はしょちょ〜がお休みの日ですよね? だから、業務の引き継ぎ報告に来ました」
そういえば、そうだった。モモンガの提案で始めた技術研究所のスタッフ達の休日制度。慣れない習慣の為に、ナグモは自分の休日をスタッフ達の中で最後になる様に定めていた。同時に研究所のトップ二人が不在という事態を避ける為に、ミキュルニラとは休日が被らない様に調整していたのだ。
「……しょちょ〜には感謝しているのです。フィースちゃんとか、シクススちゃんとか、ルプスレギナちゃんとか……みんな、お休みを与えられた事を疑問に思っていましたけど、私は皆とたくさんお喋り出来て楽しかったのです」
「………そうか」
はたして、自分はいつも通りに振る舞えているのだろうか。ミキュルニラの話を聞きながらも、ナグモはそれだけを考えていた。何となく、この相手には自分がじゅーるが定めた
(そういえば、こいつもじゅーる様に創造されたんだったな………)
今まで意識した事は無かった事が、目の前のマスコットみたいな副所長と自分は兄妹になるのだろうか。神に等しい筈の至高の御方を親の様に見る不敬な考えを頭に思い浮かべてしまう。もしも自分が死んだ後に技術研究所の所長となる者が選ばれるなら、自分と同じくじゅーる様に創られたこいつが良いな、とナグモはボンヤリと思っていた。
「それで……じゃ〜ん! こんなのを作ってみたのです〜!」
いつもの口調で明るく、ミキュルニラは後ろ手に隠していた物をナグモに見せた。
それは綺麗にラッピングされた紙袋だった。中からは香ばしい匂いが漂ってくる。
「
「クッキー………?」
「いや〜、大変でした〜。私には調理スキルなんて無いから、薬剤調合の要領で作ったんですよ〜。ピッキーさんからも、『まあ、食べられないって程じゃないですね』って、お墨付きを貰えたのです〜」
ニコニコと笑いながら手渡された手作りクッキーの袋をナグモは「あ、ああ……」と言いながら受け取る事しか出来なかった。
………
戸惑った表情を見せるナグモに、ミキュルニラは優しく微笑んだ。
「しょちょ〜、最近元気無かったじゃないですか。その……何か精神的にお辛い事があったんだとは思います」
ナグモは一瞬だけ、懐に仕舞っているポーションに手が伸びかける。どうしてミキュルニラがその事を? と疑問が頭に過ぎる。
(いや……考えてみれば、当然か。こいつの錬金術師としてのスキルは、僕と同程度だったな……)
ナグモがいつも持ち去っていく薬草を見て、ミキュルニラも何のポーションを作っているか察しはついていたのだろう。それを隠し通せていると思った自分が滑稽過ぎて、愚かだと詰りたい気分だった。
「疲れた時や辛い時はですね、甘い物を食べるととっても幸せな気持ちになれるんですよ? 私自身で実験済みだから、効果は実証されてるのです!」
「……それはお前だけだ、馬鹿め」
ハッと胸に溜まった空気を吐き———ナグモは口元に手を抑える。
今………どうして自分は、口元が緩みかけたのだろう?
今までに……じゅーるに創られてから、今までに見せなかった表情が浮かびかけたナグモに、ミキュルニラはニコニコとするだけで何も言わなかった。
ナグモは気不味くなり、咳払いをした。
「その………まあ、受け取っておく。しかし……何故、ここまでする……?」
「………私はね、いつもみたいにムスッとした顔をしていても、しょちょ〜にはお元気でいて欲しいと思うのです」
それに、とミキュルニラはいつもの様なカートゥーンみたいなアクションで可愛くウインクした。
「
瞬間。ナグモの脳裏に、ある光景が浮かんだ。
———それは、古い記憶。
『モモンガさん! この前のクエスト、ありがとうございました!』
ガルガンチュアのメンテナンスを行うナグモの前で、機神が骸骨の魔導師の前で笑顔のアイコンを浮かべていた。ナグモはそれを耳にしながらも、至高の御方達に定められた在り方に従って手を休めない。
『お陰で新・第四階層がようやく完成しそうですよ〜。いや、本当にありがとうございます!』
『いえいえ……気にしないで下さいよ、じゅーるさん。私も生まれ変わった第四階層が見てみたかったんですよ』
『ええ、楽しみにしていて下さい! 手伝って貰ったんですから、ギルドに攻めて来るプレイヤーもあっと驚く様な最高のSF空間を作ってやりますよ!』
物作りへの情熱を燃やす機神に、骸骨の魔導師は気を良くしていた。新しく生まれ変わる階層への期待というより、機神と一緒になってクエストへ行った事に満足している様だった。
『それで、今回のクエストのお礼に……これ、どうぞ』
『って、これレアアイテムじゃないですか!? いやいや、受け取れませんよ! そんな、悪いですって!』
『う〜ん、自分の都合に付き合わせておいて、何も返さないというのは気が引けるんですよ。それに、自分はこのアイテムの使い道があまり無いですし……』
『いやいや、私が好きでやった事だからそんな気を使われなくても……』
『いえ、だとしてもそれに甘えたらいけないですよ』
尚も渋る骸骨の魔導師に、機神は六本腕の内の一本を人差し指と共にピンと立てた。
『どんな相手でも、受けた恩と借りはキチンと返す。これは当然のマナーでしょう?』
「しょちょ〜?」
ハッとナグモは回想から帰ってくる。脳裏に写っていた機神の姿は消えて、代わりにミキュルニラが首を傾げながら自分を見ていた。
「いや、何でもない……」
ぼうっとしていた頭をハッキリさせる様に少し頭を振り、ナグモはミキュルニラを見返した。
「ミキュルニラ」
「はい〜?」
「………ありがとう」
いつものナグモならば、絶対に言わない様な感謝の言葉を聞いてミキュルニラは驚いた顔になる。だが、先程より活力が戻ったナグモの目を見て、すぐにいつもの様な間延びした口調でにっこりと微笑んだ。
「いえいえ〜、私はお休みを貰ったお礼をしただけですから〜。じゃあ、後の事は私がやりますから〜、しょちょ〜は今日はゆっくりとお休み下さいね〜♪」
ではでは〜、とミキュルニラは立ち去った。パタン、と締めらたドアをしばらく見つめ、ナグモはミキュルニラが焼いたクッキーに手を付けた。
「………何がお墨付きを貰った、だ。気を遣って貰ったの間違いだろうに」
材料の分量を守る事に意識が行き過ぎて、食べ物としては何ともチグハグな味だ、とナグモは思った。かつて、図書館の一室であの人間と食べたクッキーと比べても数段劣る気がした。
しかし……何故か、そんなクッキーで、じんわりとしたものが胸の中に染みていくのをナグモは感じていた。
「………そう、だった」
それはプラシーボ効果か、それとも別の何かなのか。ナグモには分からなかったが、絶望に沈んでいたナグモの精神が再び浮上していく気がした。
ああ、そうだ。自分はじゅーるが定めた
でも———それでも。あの御方の言葉を裏切るなんて、
そんな自分を庇って、奈落へ落ちた人間の少女を思い起こす。どうしてあの人間にここまで執着しているか、まだナグモ自身にも分からない。たった一つ、確かなのは———。
「僕は、あの人間に……白崎に、まだ何も返していない………!」
ナグモの目に活力が満ちる。即座に今までタイピングしていた画面を消し、新たな画面に猛烈な勢いでタイピングをし始めた。
***
「ひゃっ!? ひゃわわわわっ!? モ、モモンガ様!?」
“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン"で第四階層に転移したモモンガをモルモットの耳を持ったNPCがオーバーアクションで驚きながら迎え入れた。ナザリック技術研究所に直接転移したのだが、どうやら向こうは仕事中だったらしい。モモンガ様が!? 至高の御方が!? と口々に言いながらも、魔法詠唱者系の
「あー……楽にしていいぞ」
「で、ですけど!」
「いや、忙しいのに突然来て済まないな。私の事は気にせず、仕事に戻っていいぞ」
「は、はい! ほら、皆さん仕事に戻って、戻って!」
ダブついた白衣の袖をパタパタと振り回しながら、ミキュルニラはエルダーリッチ達を追い払う。そんなじゅーるの遺した
(ヘロヘロさんに動作プログラムを発注しちゃったから、今更消せないと謝ってきたじゅーるさんが印象的だったよなあ……いやまあ、これはこれで可愛い、かな?)
鈴木悟が子供の頃に何度か見たネズミのカートゥーンアニメみたいな動きをするミキュルニラを見ながら、モモンガは心の中でウンウンと頷く。
モモンガが第四階層に転移したのは、ナグモに昨日の出来事を問い質す為だ。最初は自分の執務室まで呼び出すべきかと思ったが、内容が内容だけに他のNPCやシモベ達の前では話し辛いんじゃないか、と思ったのだ。
(人間の友達を助けたいです、とか思ってても言えないだろうしなあ……。いや、まだ本当にナグモの友達なのか知らないけど)
とりあえず、二人きりで話すべきだろうか? と考えてモモンガは単身で第四階層に来たのだ。けっして、モモンガが何処かに行く度に大名行列の様にお供してくるNPCやシモベ達に辟易しているわけではない。ないったら、ないのである。
(うん、ナザリックの中だからセバス的にもセーフだよな! ちょっと、部下のお悩み相談を聞きに来ただけだもんな!)
そんな風に自分に
「ナグモに用があるのだが……いま、何処にいるのだ?」
「ええと、しょちょ〜は今日はお休みの日で……あの、お待ち頂ければ即座にお呼び致します!」
「よい。私から行こう。確か……所長室にいるのだな?」
「は、はい!」
キチンと自分の提案した休日制度を守ってくれてる様で、モモンガは感心する。それに所長室にいるなら、これはこれで好都合かもしれない。取り敢えず二人きりで話す言い訳を考えずに済みそうだ、と内心で安堵の溜息を吐く。
「ではな、仕事を頑張ってくれ、ミキュルニラ。お前達がいるからナザリックの生産系が成り立つのだ」
「も、勿体なき御言葉です! あ、あの! つきましてはお願いが!」
「ん? 何だ?」
「ミッキーちゃん、ってお呼びして欲しいのです!」
「………それは、また今度な」
しょぼん、とモルモットの耳を垂れさせるミキュルニラにモモンガは背を向ける。
なんつう設定を作ったんだ、じゅーるさん。まさか異世界にまで来て、夢の国から訴えられないよね? と、内心で思いながら。
***
(で、来たは良いんだけどさ……どう切り出すよ?)
『所長室』と書かれたドアの前で、モモンガは考え込んでしまう。
(これが会社の後輩とかなら、ちょっとコーヒーでも飲みながら話せない? とか言えるんだけど……それ、支配者っぽく無いよな? もういきなり入っちゃうとか? いやいや、支配者以前に人としてそれはどうよ? ……今はアンデッドだけどな!)
あー、とか、うー、とか周りに人がいない事を良い事に考え込むモモンガ。
と、突然、ドアがガラッと開けられる。
「あ………」
「む………」
中から出てきたナグモにも予想外の事態らしく、数秒くらい二人で見つめ合う状況となった。やがて、ナグモは慌てて片膝をつく。
「こ、これはモモンガ様! こんな場所にいらっしゃるとは思わず、とんだ無礼を———!」
「よい、私こそ突然押し掛けて悪かったな」
とりあえずナグモを立たせて、支配者ロールをモモンガはする。
「それで、だな……お前に用があるのだが……」
「……それはちょうど良かったかもしれません。僕も、今からモモンガ様の元へ向かおうとしていた所です」
ん? とモモンガは内心で首を傾げた。それに………。
(何か……前と雰囲気が変わった様な………?)
改めてナグモの顔を見て、モモンガはそう思った。同時に、分厚い書類をナグモが持っている事に気が付いた。
ナグモはモモンガを真っ直ぐに見つめ、手にした書類を見せる。
「“オルクス迷宮採掘計画"………これを御提唱させて下さい」
>ミキュルニラ
何というか……作者のアレな思い付きで作ったオリキャラですが、予想以上の役目を担ってくれました。前に「ナグモにも仲が良いNPCがいれば……」と心配してくれた方、ありがとうございます。彼にも気にかけてくれる相手はいましたよ。
>オルクス迷宮採掘計画
もちろん建前です。いいから早よ行けや、と思った人。作者も同意見です(笑) 彼的にはこれがナザリックの守護者として抵触しないギリギリのラインなんですってば。とりあえず、メルドにオルクス迷宮の採掘状況とか聞いてた伏線を回収したつもりだったり……。