泥の中から浮上する様に意識が覚醒していく。
柔らかい羽毛の感触を背中に感じながら、ナグモは目覚めた。
「ここは……?」
「お目覚めになられましたか」
セバスの声にナグモは寝台から身を起こした。失った筈の右手は再生されており、身体に倦怠感などは無かった。身体が十全に動く事を確認してから周りを見回した。一見するとそれなりに上品な造りなのだが、ナザリックの
「セバス……一体、僕は———」
どうしてここにいるのか? と聞こうとして、意識を失う前にあった事を思い出した。
「白崎は!?」
「落ち着いて下さい、ナグモ様。彼女は無事です。今は別室でユエと共にお待ち頂いております」
「そうか……」
ふう、とナグモは安堵の溜息をついた。その姿をセバスは意外な物を見る様な目で見ていた。
「どうかしたか?」
「ああ、いえ……貴方もそういう顔をされるのだな、と。ナグモ様は表情があまり無い方だと思っていましたので」
セバスの指摘にナグモはハッとして、いつもの無表情を作ろうとして———何故か上手く作れなかった。
(……? どういう、事だ?)
ナグモは自身の変化に戸惑う。今まで、じゅーるに『そうあれかし』と設定されていた表情だった筈なのに、まるで
「しかし……なるほど。それほど、あの女性を大切に思われていたのですね」
「なっ……!」
ナグモの戸惑いを別の意味に捉えたのか、セバスのその皺のある顔が悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。それを見て、何故かナグモの顔にサッと赤みが差す。
「べ、別に……向こうの勘違いとはいえ、命の危機を救われたから恩を返しただけだ」
「おや。そうなのですか? あの場面で、愛の告白をされていらしたのに?」
「あれはっ……待て。何故それを知っている?」
「実を申し上げますと……あの場にアインズ様と共に、気配を消して見ていまして。ナグモ様達と離れた後、アインズ様がヒュドラのモンスターを倒し、急いで探しに行った時にナグモ様が死の間際になりながらあの女性に愛を囁いていた場面に遭遇しました」
今度こそ、ナグモは羞恥のあまり頭を抱えた。冷静になって見ると、あれを他人に———それも自身が敬愛する
(さっきから……何なんだ、これは?)
どうにも以前より感情の制御がきかなくなった気がする。マルチタスクは正常に動いているのだが、どの思考も言い訳じみた言葉を捻り出そうとするばかりで役に立ってくれない。
そんなナグモをセバスは微笑ましい物を見る様な目で見ていたが、コホンと咳払いをするとその声音を真面目な物に変える。
「ナグモ様がお目覚めになられたら、アインズ様の所へお連れする様に言われております。お身体に問題がない様なら、お伺いしに参りましょう」
***
「面を上げよ」
「はっ」
貴賓室だろうか———一等に家具が上等な部屋の上座にアインズはいた。許しを得て、ナグモは自らの主人に顔を上げる。
「さて、ナグモよ。色々と予定外の事はあったが、まずは目的を達せた事を祝っておこう」
その言葉に、ナグモは逆に身を硬くした。香織との戦闘———はっきり言って、不手際ばかりが目立つ戦闘を思い出してしまった。
「この度は……栄えあるナザリックの守護者として作られておきながら、無様な姿を見せてしまい、お詫びしようがありません。この失態は———」
「自害して詫びる、というのは無しだ」
ピシャリとアインズが言い募る。
「お前を死の淵から救ったのは白崎香織の力によるもの。お前が自害をするのは、あの少女の気概を踏み躙る物だと心掛けよ」
「はっ、申し訳ありません!」
アインズの慈悲深い言葉に、ナグモは
(……? 何故、僕は安堵しているんだ?)
ナザリックの者にとって、至高の御方に役立つ為に使われ、御方が望み通りの働きが出来ないなら自害して当然の筈だ。だが、何故か今のナグモには———
(何故だ? 至高の御方への忠誠は……消えたわけじゃない、筈なのに……)
今でも目の前のアインズへは深い感謝と、その恩義に報いようという気持ちはある。だが、ナグモには言い表せない何かが、心の中で変化していた。
その変化をじっくりと考えたいが、それよりもずっと気になっている事があった。
「アインズ様、一体ここは何処なのでしょうか? ナザリックではないようですが……」
「ここはユエの言っていた反逆者……いや、解放者の隠れ家だな。詳しい事を説明したい所だが……」
ふむ、と何故かアインズは考え込む様に手を顎にあてた。
「いや、それよりもまずはお前の無事をあの少女に知らせてやるといい。大層、心配していたからな」
「お、お待ち下さい!」
ん? とアインズが首を傾げる。無礼と承知しながらも、ナグモは
「白崎の事は、その……あくまで僕の私的な事情であるため、後にすべきと申し上げたく……その」
「……ひょっとして、お前。照れていたりするのか?」
なっ……と、ナグモは言葉を失ってしまった。それを見たアインズから感じていた絶対支配者のオーラが何故か和らいだ様に見えるのは気のせいだろうか。
「何というか、お前もそんな顔が出来るんだな……。まあ、なんだ。私もその手の話に詳しいわけではないが……一方的に告白しておいて、そのままというのは男らしくないんじゃあないか?」
「うっ……」
「失礼ながら横から言わせて頂きますが……あそこまで女性に想われていながら、キチンとお答えしないのは男性として如何なものかと」
「う、ぐぅ……!?」
「こんな姿は、じゅーる様に望まれた姿では……」
「そうか? 今まで表情が無くて分かり辛かったが、お前は色々と抱え込む性格みたいだからな。素直な感情を出せる相手が出来た、とじゅーるさんも喜んでくれると思うぞ?」
じゅーるの名前を出されては、ナグモは何も言えなくなる。とうとう苦し紛れの反論すら出来なくなった姿を見て、とにかく、とアインズは膝を叩く。
「キチンと白崎香織と話をしてこい。その他の話は、それからだ」
***
退出した二人の守護者達を見送った後、アインズは解放者の住処で見つけた情報について考え込んでいた。
「この世界を玩具にしていた神、エヒトルジュエ……それに神代魔法か……」
「本当なら、今すぐナザリックに戻ってアルベドやデミウルゴス達にも知らせて、対策を練るべきなんだけど……」
ただ———そうなるとナグモにも、これから忙しく働いて貰わないといけなくなる。そうなる前に、彼が命を懸けてまで再会したかった少女とゆっくり話をさせてやろう、という親心が優先していた。
あの時はアインズも焦った。精神鎮静化のお陰で即座に冷静さを取り戻し、ボスキャラであろうヒュドラをセバスと共に即座に降したものの、久々のダンジョン攻略で浮かれ気味だったと猛省する羽目になった。そうしてボスが倒れた後に隔離空間からようやく出る事ができ、ナグモとユエを探し当てた時には彼等の戦いは終わっていた。
そこで———アンデッドになってしまったアインズから見ても、美しい愛の形を見た。
命が尽きようとする中で、今まで見た事の無い至福の表情で自らの想いを告白する
死に逝く彼を生かそうと、自らの腕が崩壊する痛みに耐えながら癒やしの魔法を使うアンデッドの少女。
恐らく、あれこそが真実の愛なのだろう。今まで『ユグドラシル』以外で人間関係の無かったアインズにも、そう思えるくらい綺麗な物を見た。
「まあ、今日ぐらいはゆっくりとさせてやるさ」
深刻になりそうな事態の清涼剤として、
「俺もあんな彼女欲しかったなあ……。あの二人がデートする時は、嫉妬マスクでも被って尾行してやろうかね?」
***
「失態だ……御方の前であんな感情的に振る舞うなんて、なんて低脳な失態だ……」
「そこまでお悩みにならなくても良いかと思いますが……」
香織達が待つ部屋に案内するセバスは、隣でブツブツと呟くナグモを若干呆れた口調で諭していた。
「そもそも迷宮の探索をされている時も、あれほど必死な姿を見せていたのですから、アインズ様は全てお知りになられていたのだと思いますよ?」
それを言われると、ナグモは何も言えなくなる。冷静になって自分の行動を振り返ると、頑なに香織への恋心を否定しようと躍起になってるだけにしか見えない。
そして———それで随分と、色々な相手に迷惑をかけていた。スッと立ち止まり、ナグモは頭を下げた。
「……セバス。君には、この前の事を謝罪する。その……君の好意に対して、あれはとても大人気ない態度だった」
「はて? 何の事でしょうか? 忘れてしまいました」
まるで惚けた態度で、セバスは首を捻った。彼の中では第九階層での出来事は無かった事になっているらしい。しかし、それはナグモの矜持が許さない。
「そして今回の事で、君には大きな借りが出来た。この借りは、必ず返すつもりだ」
「借りなど……お気になさらないで下さい」
皺のある顔をニッコリと深めて、セバスは言う。魂に刻まれた、創作者の矜持を。
「『困っている方がいるならば、助けるのは当たり前』。かつて、たっち・みー様が仰っていた事を行ったに過ぎません」
だから気にする必要なんてない、とセバスは言う。
———それに対して、ナグモが言う事は決まっていた。
「それならば、なおさら僕は君に借りを返さなくてはならない。『恩と借りは、必ず返すもの』。じゅーる様は、そう仰っていたのだから」
そう言って、ナグモは———少しだけ笑った。それを見たセバスは驚いた顔をしたものの、連られる様に笑顔を見せた。
未だに、自分の心の変化がナグモにはよく分からない。しかし……何故だろうか。こうして感情を出す事が、少しだけ悪い気はしなかった。
とりあえず次回は……香織への告白回ですかね?
ところで、なんで私はオーバーロードのクロスなのに甘酸っぱい純愛を書こうとしてるのでしょうね? いや本当に我ながら謎だわ。