そんなわけで第一弾、ティオがチラッと言及していた勇者達の現在の様子です。
ギィ、と古びて建て付けの悪くなった扉が開かれる音がした。
ホルアドの冒険者ギルド。一階は大衆酒場としても解放されているその場所は、新たに入って来た奴がどんな相手か見ようと昼間から酒を飲んでいた男達の視線が一斉に入り口へと向けられる。ところが視線の先には誰の姿も見えない。少なくとも、
「おい、いま誰か入って来なかったか?」
「気のせいじゃねえの? 風で鳴ったとか何かだろ」
そうだな、と頷き合うと男達は酒盛りを再開した。それを入って来た男———遠藤浩介は微妙な顔で見ていた。
「……こっちでも俺、影が薄いよな」
地球にいた頃でも、自動ドアに三回に一回は認識されないくらい、浩介は存在感が無く、ともすればクラスの班編成でもいた事すら忘れられた事がある。だからこそ、自分の天職は『暗殺者』なのだろうと納得すると同時に気持ちが凹んでくる。
だが、今は———周りから認識されない存在感の薄さがありがたかった。
浩介はフードを深く被り直し、ギルドのカウンターの前に立った。幸いな事に、今は他の冒険者達はいなかった。
「ロアさん、依頼を終わらせて来ました」
「……ん? ああ、コースケか。お疲れさん」
受付で暇そうにパイプを燻らせていた男———ロア・バワビスは声をかけられてから初めて気付いた様に浩介に目を向けてきた。
「ロアさんが受付にいるなんて珍しいですね。いつもの受付さんはどうしたんですか?」
「アイツは今日は非番だよ。仕方ねえから俺が代わりにやってるんだよ」
禿頭の厳つい見た目をしたロアは、一見すると近寄り難い雰囲気に見えるが、
「それにしても早いな。簡単な依頼とはいえ、もう少しかかると思っていたが。さすがは神の……いや、悪い」
「………いえ」
思わず、浩介の
「へえ、じゃあお前、噂の勇者様達を見れたのかよ?」
酒場にいた客の声に、浩介の肩がピクリと動く。既にランチタイムを過ぎた時間帯という事もあって、相当飲んでいるだろう二人の男の会話は客がまばらな酒場によく響いた。
「おう、見た見た。何かよお、教会の騎士様に囲まれながら金ピカな鎧を着てたぜ。周りの使徒様達も、これまた見栄えのする装備だったなぁ。俺達じゃ、どんなに稼いでも一生手に入らないぜ」
「はっ、流石は教会が宣伝している神の使徒様方だ。羨ましいこった」
言葉とは裏腹に男の口調は皮肉な雰囲気が混じっており、好意的ではなかった。酔いで顔が真っ赤になった相方をもう一人の男が嗜める。
「おい、声がでけえよ。教会のヤツらに聞かれたら、俺達しょっ引かれちまう」
「構うもんか。お上の連中は魔人族との戦争が大事だから、こんな町の事なんざ、気にも留めてねえよ」
ぐびりとグラスを煽り、男は不満げな顔となった。
「そもそもよぉ、数週間前にオルクス迷宮を這う這うの体で逃げ出して来たガキ共がエヒト神の使徒様だあ? 何かの間違いじゃねえか、って俺は思うね」
「馬鹿、声がでけえよ! あれは……仕方ねえだろ、オルクス迷宮の大災厄が丁度起きちまったんだからよ」
「その大災厄をどうにかするのが、勇者様達の仕事なんじゃねえか? なのに、ホルアドを放って置いて遠くの貴族様の領地へ大名行列たあな。いいご身分だなあ、おい!」
「だから、声がでけえって! 愚痴るならもうちょっと小さい声にしろよ!」
真っ赤な顔で聖教教会、ひいては王国がエヒト神が遣わした神の使徒だと認定した勇者達を男は非難する。それを相方の男は止めさせようとしてはいるものの、男の発言そのものを否定する気は無い様だ。
「……………」
「コースケ、気にするなよ」
そんな
「どいつもこいつもホルアドが廃れちまって、ちょっと気が立ってるだけだ。今回の大災厄は今までの比じゃねえんだ、お前や勇者様方のせいでこうなったとか、俺は思ってねえ」
「………ありがとうございます、ロアさん」
浩介は小さな声で、そう言うしかなかった。
クラスメイト達がトラウムナイト(正体はナザリックのデスナイト)に壊滅的な被害を出したあの日———浩介は永山達や居残り組を除く光輝を中心としたクラスメイト達から、お前が索敵を怠ったせいで他のクラスメイト達が死んだ、と責め立てられた。そして聖教教会のトップであるイシュタルからも正式に「遠藤浩介は神の使徒として不適格だった」と宣言され、浩介は王宮から追い出される事となった。
作農師として王国に多大な貢献をしてきた愛子や永山達が必死にとりなそうとはしたが……。
『もういいよ、畑山先生………』
自分の為に小さな身体を更に必死に折り曲げてイシュタル達に頭を下げる姿に、浩介は小さな新任教師へ迷惑をかけた申し訳なさと———そして、クラスメイト達への失望感から暗く澱んだ気持ちとなった。
『もう、俺………あいつ等と戦いたくねえ』
……結局、以前に神の使徒でありながら裏切り者として処理されたナグモの事もあって、これ以上に神の使徒の威光を傷付ける醜聞は避けたいと判断した教会や王国上層部によって浩介は手切れ金として僅かばかりの金銭を渡されて、王宮を出て二度と神の使徒を名乗らない事を条件に今回の処罰は不問とする旨を言い渡された。永山達も付いて来ようとしたが、これ以上の神の使徒の離脱は許さないという教会の意向に逆らえなかった。
途方に暮れながらも生きる糧の為には働かなくてはならず、浩介は召喚された異世界人として得た高いステータスから冒険者となったのだ。今は冒険者組合を通して定期的に愛子に手紙を書き、無事を知らせていた。
「ウチも随分と閑古鳥が鳴く様になっちまったからな……。目ぼしい冒険者は皆他の町に移っちまったから、コースケが来てくれて俺は助かってるよ」
「俺の方こそ助かってますよ。行き場の無い俺が食い扶持を稼げるのも、ロアさんが仕事を紹介してくれるお陰ですから」
王国は即座に箝口令を敷いたが、人の口に戸は立てられないもの。エヒト神の使徒である勇者達がオルクス迷宮でトラウムナイト相手に大きな被害を出した事は即座にホルアド中に広まってしまった。人々の間に、本当に勇者達は大丈夫なのか? と疑問視する声が上がり始めたが、時を同じくして数年に一度しか起こらない筈だったオルクス迷宮の大災厄が起きたのだ。
鎧を容易く融解させる雷を纏いながら襲い掛かる狼や、音すらも置き去りにして人間をミンチに変えるウサギなど今まで見た事のない魔物を相手にホルアドの冒険者達は歯が立たず、とうとうオルクス迷宮の入り口を固く閉ざして魔物が出て来ない様にするしかなかったのだ。
そして———ホルアドの町は衰退していった。
そもそもホルアドはオルクス迷宮に来る冒険者達を相手に商売をしていた町だ。そのオルクス迷宮が足を踏み入れれば生きては帰れない死の迷宮と化した今、冒険者達はオルクス迷宮に見切りをつけて他の町へと拠点を移し、彼等を客層にしていた商店は次々と店を閉めるしかなかったのだ。ロアの冒険者組合支部もこの不況で人員の削減をせざるを得ず、支部長であるロア自身が受付業務をやる有り様だった。
「まあ、なんだ……本来ならお前達みたいな若造達におっ被せる様な話じゃねえんだけどな……」
フゥ、と心労を吐き出そうとするかの様にロアはパイプを燻らせる。
「ただ……教会があそこまで宣伝するなら、もう少し何かやってくれるんじゃないか、と期待はしていたんだよ」
日を追う毎に生活が苦しくなっていく中、ホルアドの住民達は勇者達に再び期待した。
今こそ異世界から来た勇者達がオルクス迷宮の大災厄を鎮めてくれる筈だ。エヒト神の使徒たる勇者達が苦しむ我々を救ってくれるのだ、と。
しかし———その期待は裏切られた。
聖教教会は傷が付いてしまった“神の使徒”の名声を、ひいては自分達の権威を取り戻そうと躍起になっていた。表向きは「邪悪な魔物達に苦しむ民の為の遠征」と称して、勇者達は教会騎士団と共に煌びやかな行軍で遠方の土地へ赴く様になった。
しかも遠征に行っている土地は王国の大貴族———それも教会に多額の
「………すいません」
「だからお前が謝る事じゃねえって」
ロアは気にするな、と言うが、浩介は苦しい生活を送る彼等に、元・神の使徒としてただ俯いて謝る事しか出来なかった。
***
その後、ロアに愛子への手紙を託し、浩介は拠点にしている宿屋へと歩いていた。神の使徒だった時に王国が用意してくれた宿に比べると粗末な木賃宿だったが、消耗した装備やアイテムの購入資金を考えたら、そこしか選択肢は無かった。
「神の使徒とか異世界の勇者一行とか煽てられてたけどさ……こういう時、何もしてやれないなんて無力だよな」
以前は賑やかだった大通りを歩きながら独りごちた。冒険者達がいなくなり、威勢の良い呼び声で客寄せをしていた露店商達もいなくなり、元からあった建物は「閉店」を示す札がドアにかけられて静かになってしまった。こういうのをシャッター通りと言うんだろうな、と浩介はボンヤリと考えていた。それでも町のメインストリートというだけあって、それなりに人混みはあった。浩介は“暗殺者”としての歩法でスルスルと人混みを縫う様に歩いていると————。
「聞けえ! 皆の者!」
大通りに突然、装飾の見事な鎧を着た騎士が馬で乗り込んできた。
「うわぁっ!?」
「おい、あんた! 危ないじゃないか!」
馬に轢かれそうになった住民達が文句を言うが、先触れの騎士は馬から降りずに胴間声を張り上げる。
「黙れ、平民共! これより偉大なるエヒト様が遣わした神の使徒御一行がここを通られる!」
ハッと浩介は顔を上げた。
「速やかに道を開け、掃き清めろ! そして平伏せよ! 貴様等平民共が神の使徒御一行に御拝謁できる、またとない機会だと心得るのだ!」
住民達の顔に緊張がはしる。いかに勇者達に対して思う所があるとはいえ、未だに聖教教会の権威は絶大だ。無礼があればエヒト神への不敬ありと見做され、自分どころか家族まで審問される。彼等が慌てて道を掃除する中、浩介は路地裏へするりと身を隠した。
そして、しばらくすると————眩い金色の騎馬の一団が大通りに来た。
平民では一頭買うだけで年収のほとんどを使い果たしそうな立派な馬に乗り、馬鎧に至るまで煌びやかな装飾がなされた一団は、確かに見かけだけなら神の使徒と呼ばれるのに相応しい外見だった。
(天之河………)
隠れて見ていた浩介は集団の中に見知った顔を見つけて、複雑そうに顔を歪めた。光輝は立派な白馬に跨り、金色に輝く鎧を着込んでいた。大勢の人間が平伏する中、胸を張って堂々と行進する様はよく出来た宗教画の様だ。
「あの………ここまでやる必要があるんですか?」
道を空けて平伏するホルアドの住民達に、光輝は疑問の声を上げた。と言っても、住民達には聞こえないぐらいの小声だ。“暗殺者"として耳を澄ませていた浩介だからこそ、その音を拾い上げる事が出来た。
「なんだかやり過ぎな様な気も………」
「何を仰いますか。光輝様こそ、ハイリヒ王国の……いえ、人間族の希望の星です」
光輝に教会騎士達の中でも一際立派な鎧兜を着た騎士隊長が答えた。
「その光輝様に敬意を示すのは当然のこと。ホルアドの民達も神の使徒様方へ拝顔の栄に浴して、喜びに満ち溢れているでしょう」
「う〜ん……そうかなぁ?」
「そうそう、俺達は国を救ってやってる英雄達なんだぜ!」
騎士隊長に同調する様に軽薄そうな男———檜山の声が響く。
「俺達がこいつらを守ってやってるんだからよぉ、感謝されるのは当然だよな!」
「ギャハハ、皆の為に戦ってる大介くんってば、優しー!」
「ってか実際俺達偉いしな! 神の使徒様なんだから、これくらいの扱いは当然だよな!」
「そうそう! モノ共、頭が高ぁい、ってな!」
ゲラゲラと檜山達四人組は笑い合う。彼等はオルクス迷宮で一度危険な目にあったが、その後の遠征で戦ってきた地上の魔物達相手には楽々と連勝続きだった為、気を大きくさせていた。
「大介様方の言う通りですぞ。貴方様は我々人間族の勇者なのですから、そんなお方に跪くのは当然でしょう」
「そう……か……。俺は、勇者だからな。期待してくれてる皆の為にも、頑張らないとな」
騎士団長の言葉を受けて、光輝はより一層胸を逸らす。他のクラスメイト達も、平伏している住民達が当然という様に堂々と馬に乗りながら通り過ぎていく。
「………何が、勇者だよ」
光輝達遠征団が通り過ぎた後、住民達は立ち上がりながらポツリと言った。
「ホルアドの事は放って置いてるクセに……国も教会も、何もしてくれやしねえ」
「あんな豪華なパレードをやるくらいなら、少しくらい私達に恵んでくれたら良いのにね。もうウチの家計は火の車よ……」
「所詮は
膝の土を払い落としながら言い合う住民達の声を背に、浩介は逃げる様にその場を後にした。
「何やってんだよ………」
気付けば、苦渋に満ちた声が出ていた。今しがた見た、金と権力を鼻にかけた嫌味な連中という言葉がピッタリと当て嵌まりそうな元・級友達へ、浩介は失意に満ちた声を上げた。
「何やってんだよ、お前ら………」
フードをより深く被り直し、誰にも気付かれないくらい気配を小さくする。
異世界から迷い込んだ暗殺者の少年は、肩を落としながら雑踏の中へ消えていった。
>ホルアド
原作ではオルクス迷宮が観光資源になっていた様な描写があったので、ナザリックによって独占された結果、町の大きな収入源を失った形になります。例えるなら、温泉街で温泉が枯れてしまったみたいなものです。地元の産業からすれば大打撃ですね。
>遠藤くん
我等の深淵卿、目出度く冒険者へ転職。ぶっちゃけると派遣バイトで食い繋いでいる感じです。
>勇者様方
一応、先に言っておくとここに永山達や園部優香さん達はいません。そして前に言いましたが、死んでなかった事にされた檜山組。周りが勇者として甘やかしてくれるので、とても有頂天になっております。というかメルドさんみたいなキチンとした大人はいないし、次あたりに書きますが地球の唯一の保護者ともいえる愛子先生も側にいなければ、もはや「神の使徒」として煽ててくれる人間しかいなくなるわけで……。そうなったら余程強い自制心が無ければ、自分達の特別扱いは当然と考える様になるだろうな、と考えた結果です。
オルクス迷宮の魔物と比べると、地上の魔物は格段に弱いです。だから、彼等はあれ以来苦戦した事もありません。