フェアベルゲンの樹海の中で、木々の枝から枝へと飛び移っていく様に人型の影が複数動く。猿よりも俊敏に動く彼等は目的地でシュタッと木の上から降りた。
「偵察ご苦労様です。首尾はどうですか?」
「はい。帝国軍は現在、奴隷の同胞達を先頭に歩かせながら野営地を出ました!」
偵察隊を代表して野戦服を着たパルがアルテナへ報告する。この野戦服はナザリックの技術開発を担当しているナグモが設計した装備であり、周囲の景色に合わせて迷彩柄が切り替わるという代物だった。
「霧や樹海の環境の影響で行軍速度はそれ程じゃないですけど、あと一両日以内で関所に辿り着きます!」
「そうか……さて、そろそろどう迎撃するのか最終的な作戦を決めようか」
狐人族のルアは周りを見回した。アルテナ、ジン、シアといった面々が作戦首脳陣として控えていた。
「帝国軍10000に対して、こちらは300。地の利は我々にありだけど、正面からぶつかるのは得策じゃない」
テーブルの上でフェアベルゲンの亜人族達だけが知る地図を広げ、帝国軍とフェアベルゲン側に見立てた石を置きながらルアは説明する。
「となれば、こちらが取るべき戦い方は樹海に隠れ潜みながらのゲリラ戦となるわけだけど、その前に早急に対処しなくてはならないのが……」
「帝国軍に囚われている同胞達、ですね」
「その通り。彼等を盾や人質にされたら、こちらの動きが制限されてくる。先に何とか彼等を帝国軍から引き離さなくてはならない」
アルテナへ頷きながら、帝国軍側に置かれた十数個の小石をコツコツと指で叩いた。
「さて……皆の意見を聞きたい。どうやって彼等を助け出そうか?」
ルアの一言に皆は考え込む。やがてアルテナが手を上げた。
「不意を打って、同胞達だけを連れ出す事は出来ませんか?」
「えっと、難しいと思います。同胞達は逃亡防止に全員鎖に繋がれていて、一塊になってでしか動けない様にされていました」
「そうですか……」
パルの報告にアルテナは眉根を寄せる。そうなると奴隷の亜人族達の移動は手間取り、帝国軍はその隙を見逃してはくれないだろう。
「考える必要なんてねえ」
ジンが無愛想な声を上げた。心なしか、いつもよりも表情は硬い。
「いかなる犠牲を払おうが、大将首を一気呵成に落とす。そうなりゃ10000の大軍だろうと烏合の衆になる。それしかねえだろ」
「ジン、君はまた……」
「これは、フェアベルゲン全体を考えた上での判断だ」
ルアを遮り、ジンは頑なな態度でキッパリと答えた。
「俺達はゴウン様に救われた身だ。あの御方が大迷宮で神代魔法を取得するまで、大迷宮を守り通すのが俺達の新たな使命だ。その為なら―――いかなる犠牲を払ってでも、絶対に帝国軍を大迷宮に近寄らせるわけにはいかねえ」
「ジン………でも、大将首だけを狙うと言ってもそう簡単に近寄れるとは思えないよ?」
「それも問題ねえ。……俺が行く。お前達は奴隷にされた同胞達の救助に全力を割け。その間に、俺が敵陣の奥深くまで突っ込んで大将首を刎ねれば良いだけだ」
「なっ……それは、貴方が決死隊として特攻すると言うのですか? そんなの、認められませんわ!」
まるで鉄砲玉の様な扱いを自ら買って出るジンに、アルテナは抗議の声を上げた。だが、ジンの表情は変わらない。彼はシアをジロリと面白くなさそうに睨んだ。しかし、その目にいつもの様な力は感じられなかった。
「そこの“忌み子”……ハウリア族の小娘がいなければ、俺はそもそも今日まで生きていねえ。それは分かっている。こいつはもう俺より強えからな。俺がいなくてもフェアベルゲンはどうにかなるだろ。それに、これからのフェアベルゲンに必要なのはアルテナやこいつみたいな若くて柔軟に考えられる奴等だ。俺みたいな、古い考えに縛られた年寄りじゃねえ」
「ジン………」
「……ルア、お前は前の長老衆の中でも一番の若手だ。お前はこれからのフェアベルゲンをアルテナと支えろ。アルテナも族長として大分板に付いてきたしな。古い考え方しか出来ない年寄りは、ここで後進に道を譲るべきだろ」
強い覚悟を持って言われ、ルアは何も言えなくなる。
彼も、アインズに命を救われた身として、その恩に報いようとする志がある。そして、かつての長老衆として責任を感じていたから、今までフェアベルゲンの守り手とアルテナの補佐を務めていたのだ。
そして―――シアやアルテナが成長し、自分の役目は終えたと確信した彼は今、最後にフェアベルゲンの為に自らの命を使い果たそうと決意していた。
「……奴隷として囚われている君の娘はどうするんだい? 彼女に誰よりも再会したいのは、君自身だろうに」
「ハッ、掟に従って実の娘を死んだ者として探そうともしなかった奴が今更父親面か? それこそアイツにとってもいい迷惑だろうよ」
ジンはアルテナ達に―――そしてシアに向けて、頭を下げた。
「……こんな事を俺が言うのは虫が良すぎると分かっているが。もしもアルトを救い出せたら、よろしく頼む。あいつは物分かりの良い子だ。ゴウン様の素晴らしさも、すぐに理解できる筈だ」
「嫌です」
まるで遺言の様に伝えられた言葉に、シアはきっぱりと告げた。
「そんなの、ただの逃げじゃないですか。ゴウン様の素晴らしさは貴方の口からアルトさんに伝えて下さい。ていうか、自分勝手に死にに行く癖に後始末を人に押し付けんな、ですぅ」
「シ、シアちゃん……」
遠慮なしにずけずけと言うシアに、アルテナの顔が少しだけ引き攣る。しかし、シアはまっすぐとジンを見つめた。
「あなたの言う通り、私はフェアベルゲンにとっては忌むべき存在だったのかもしれません。でも、ゴウン様はそんな私にも慈悲を与えて死から救い上げてくれました。そんな慈悲深い御方が、貴方が死んでまで忠誠を示しても喜ばないと思います」
魔人族の襲撃からフェアベルゲン全体を救った。
ナグモを派遣してくれて、生き残った亜人族達の重傷を全て完治させて貰えた。
コキュートスを派遣してくれて、戦う術を指導して貰った。
これ程までに亜人族達に慈悲を示したアインズはとても慈悲深く、偉大にして神の如き御方。それがフェアベルゲン全体の共通認識だった。
そして、わざわざ自分を蘇らせてくれた事から、命を犠牲にして示す忠誠はアインズの望む物ではないとシアは確信していた。
「だから、貴方も生きてゴウン様に御恩を返すべきです。貴方の家族と一緒に」
「彼女の言う通りだと思うよ。大体ね、引退を決めるのは結構だけど最低限の引継ぎはしてくれないかな? 君がいなくなる分、僕の仕事量がさらに増える事になるわけだし」
「祖父や他の長老衆もいなくなった今、古くからのフェアベルゲンの伝統を知っているのは貴方だけですわ」
茶化しながら言うルアに続き、アルテナも深く頷く。
「シアちゃんの事や死亡扱いにした貴方の娘など、改革すべき伝統はありますが、それでも良い物は残していくべきです。まだまだ、このフェアベルゲンに貴方の力は必要だから先程の提案は認められませんわ」
「お前達………だが、どうする? 攻めてくる帝国軍から人質を無傷で救えて、奴等を撃退する。そんな都合の良い作戦があるのかよ?」
「あります!」
皆が見る中、シアは緊張で喉がカラカラになりながらも断言した。
「今こそ……今こそ、私が“忌み子"として生まれて授かった
***
「オラァ! さっさと歩け!」
ヒュン、と鞭がしなる音が鳴り響く。地面に振り下ろされた鞭にビクッ! と震えながら、アルト達はどうにか早歩きで進もうとしていた。
しかし彼女達の足には枷が嵌められ、鎖がジャラジャラと音を立てながらお互いの身体を繋げている為にムカデ競走の様にノロノロと歩みは速くない。それに苛立った帝国軍兵は思わず舌打ちをした。
「なんだって、こんな歩きにくい森の中を行軍する羽目に……」
「でもよ隊長、もうすぐ亜人共の国ですぜ!」
随伴する帝国軍兵の一人が興奮した様に声を上げる。兜の下からでも、下卑たニヤけ笑いが見えそうな粗野な声だった。
「亜人共は見た目は良いからよぉ、征服したら俺達の好きに出来るんっすよね?」
「ああ、そうだ。バイアス様が約束して下さった。亜人共の国を一番に見つけた隊には一日の掠奪を許可して下さる」
ウオォォォォッ!! と周りの帝国軍兵士達から飢えた獣の様な歓声が湧く。金目の物は勿論、容姿端麗な者が多い亜人族の女を好き勝手できると思うと彼等は興奮を抑え切れなかった。
「マジかよ! 太っ腹じゃねえですか! へへ、バイアス新皇帝万々歳だ」
「連れて来た奴隷達は他の隊の奴等も使ってるから、締まりが無くなっちまっていけねえ。新品の穴を俺達でハメ放題だぜ!」
ギャハハハ! と野太い笑い声が辺りに響く。それを奴隷にされた亜人族達は辛そうな顔で聞いていた。
「ああ、今から楽しみで仕方ねえな! その為にも……オイ、こっちで合ってるんだろうな?」
「……っ」
奴隷の亜人族達の先頭を歩かされている熊人族の少女———アルトは帝国軍兵士の顔から目を背ける様に下を向いた。
ヒュン、と鞭を打つ音が響いた。
「あぐぅ!?」
「オラ、答えろよ
バシッ、バシッという音と共にアルトの背中に赤い線が引かれていく。ただでさえボロ切れの様な服が鞭と共に破かれていき、彼女の背中に何本ものミミズ腫れができていく。
「アルトお姉ちゃんを苛めないで!!」
アルトを庇う様に、鞭を持った帝国軍兵士の腕に熊人族の小さな女の子がしがみついた。
「このガキがっ!!」
「ああっ!?」
「ルル!」
帝国軍兵士は容赦なく少女を足蹴にすると、地面に転がった少女を何度も蹴った。
「あ、うっ、ひっ……!」
「止めてくれ! 相手はまだ子供じゃないか!? 私が代わりに罰を受けるから許してやってくれ!」
少女に対して容赦なく行われる暴行を見兼ねて、森人族の男が声を上げた。それを帝国軍兵士は舌打ちすると、奴隷達に付けられた首輪のキーワードを呟く。
「———“雷罰”」
「ガアァァァア!?」
「きゃああああっ!!」
バチバチという音と共に奴隷達に電流がはしる。地面に倒れ伏した亜人族達を帝国軍兵士は冷たく見下ろした。
「おい、亜人共。弁える、って言葉を知らないのか? 亜人の分際で、人間様の俺達に“許してやれ”だぁ? “許してください"だろうが」
帝国軍兵士は先程まで蹴り続けていた熊人族の少女の背中を踏みつけた。
「あぎっ、痛い痛い痛い!」
「調子こいてんじゃねえぞ? エヒト神にすら見捨てられた下等なケダモノを俺達が支配してやるんだからな。相応の態度があるだろうが? あぁん!?」
「隊長、これ以上やったら死んじまうんじゃないですか?」
「ハッ、気にするな。亜人共は身体が丈夫なだけが取り柄だ。少し乱暴に扱うぐらいが丁度良いんだよ!」
「ギャハハ! そうっすよね!」
亜人族は身体の一部に動物的な特徴がある為か、身体能力は人間の数倍はある種族だ。梟の様に夜目が利く者、聴力が異常に良い者など人間より優れた器官を持つ種族は多い。
これだけ聞けば、人間よりも種族的に優れている様に見えるが、彼等は総じて魔力を持たないという理由で人間よりも劣る存在だとされていた。
人間は魔力を鍛え上げれば身体能力も補助されてステータスが上がる為に一流の戦士ならば亜人族の身体能力を上回り、遠距離攻撃魔法の使い手達が隊列を組んで魔法の一斉射撃を行えば亜人族達は距離を詰める事も出来ずに射撃の的になる。
だからこそ帝国では亜人族は『人間よりも丈夫な身体だから、乱暴に扱っても壊れない奴隷』として酷使されているのだ。魔法の掛かった枷を嵌めてしまえば、彼等には魔力が無い為に解除する手段は無いから反乱の心配もない。
帝国軍兵士に踏みつけられた少女はしばらく悲鳴を上げていたが、踏まれる重さに耐えかねて顔を蒼白にしていた。口がパクパクと酸欠になった魚の様に荒い息を吐き———。
「やめて……下さい……!」
未だに痺れが残る身体でアルトはフラフラと立ち上がった。手枷が嵌められて動き難そうにしながらも、熊人族の少女を踏みつけている帝国軍兵士に向けて地に額を擦り付けた。
「お願いします……! どうか、やめてあげて下さい……! フェアベルゲンまでの道筋をキチンと案内しますから……! どうか、ルルを許してあげて下さい……お願いします……!」
「ハッ、最初からそうやって言う事を聞いていれば良いんだよ!」
ドガッ! と熊人族の少女に蹴りを入れて、帝国軍兵士は地に頭を伏せたアルトに唾を吐いた。
「オラァ! さっさと立て、ノロマ共! 今日中にフェアベルゲンに着かなかったら、また一匹殺すからな!」
ヒュン、と鞭が鳴り響き、亜人族の奴隷達は痛みに耐えながらお互いを助け起こした。
「ルル……大丈夫?」
「アルトお姉ちゃん……ごめんね、ルルのせいでアルトお姉ちゃんまで捕まっちゃって……私、ママのお誕生日に七色草をあげたくて……言い付けを破って森の奥まで行って、こんな事になって……ごめんなさい……!」
「ううん、気にしないで。ルルのせいだなんて、私は思ってないよ」
グズグス、と泣く熊人族の少女をアルトは慰める。
熊人族の族長の娘であるアルトがこうして奴隷として捕まったのには理由があった。彼女は娘が居なくなって取り乱すルルの母親を宥める為に、フェアベルゲンから離れた場所———帝国から見れば、樹海の浅い部分まで迷い込んでしまったのだ。そこで奴隷狩りに来ていた帝国軍に捕われたルルを見つけてしまい、無謀にも助けようとした為に逆に捕まってしまったのだ。当初は他の奴隷達と同じ様に扱われていたが、奴隷達のアルトに対する態度を不審に思った帝国軍兵士によって厳しい尋問を受け、アルトがフェアベルゲンの長老衆の娘だとバレてしまった。そうしてアルトの身柄を盾にすればフェアベルゲンの侵略をスムーズに行えると判断した帝国によって、アルトは一緒に連れられた同胞の奴隷達の命を盾にされ、フェアベルゲンまでの道案内をさせられていた。
「きっと……きっと、お父さんが私達を救ってくれるから……だから、泣かないで。ルル」
「アルトお姉ちゃん……」
泣きじゃくるルルを元気付けようと精一杯の笑顔を作るアルトだったが、内心では暗い思いで満たされていた。
(もしも、フェアベルゲンまで無事に辿り着けても……お父さんは、長老衆は私達を救ってくれない。樹海の外に出てしまった者は、フェアベルゲンでは死んだ者として扱うのが掟だもの……)
アルトとて、いずれは熊人族長老のジンの後継になる者としてフェアベルゲンの掟を教わっている。それ故に、自分達はフェアベルゲンには既に存在しない者として扱われ、フェアベルゲンの同胞達から助ける価値もない者として処理されるだろうとアルトは考えていた。
(お父さん……)
掟に厳格だった父が、自分を助けるとは思えない。それでもアルトは、一縷の望みを抱いてしまう。父が助けに来てくれて、温かな腕で抱き締めて貰える自分の姿を想像し、いま現在フェアベルゲンに帝国軍を招き入れようとする自分の姿を思い出してアルトは泣きたくなる気持ちを必死で抑えた。
ガサッ!
不意に、茂みを掻き分ける音が大きく響いた。アルト達のみならず、帝国軍の兵士達も一斉に音のした方向を見る。
そこに———木々の間からウサギの耳を生やした少女がこちらを見ていた。
「兎人族だ!」
帝国軍兵士の一人が声を上げる。兎人族は亜人族の中でも特に力が弱く、しかし容姿の美しさと加虐心をくすぐる様な気弱な性格から帝国の奴隷娼館では人気の高い種族だった。
兎人族の少女は後ろを向いて駆け出した。
「追え! 捕まえろ! あれなら500万ルタ、いや1000万ルタで売れるぞ!」
隊長の命令に帝国軍兵士達の目の色が変わる。彼等は欲望に目をぎらつかせ、兎人族の少女が走り出した方向に馬に乗って駆け出した。
(駄目……! 誰だか知らないけど、逃げて……!)
その背中をアルトや他の奴隷達は悲痛な表情で見つめた。
***
「へへへッ、もう鬼ごっこはお終いか? ウサちゃん」
兎人族の少女を追っていた帝国軍の兵士達は、本隊からさほど離れてない場所で追い付いた。兎人族の少女は、開けた広場で大樹を背中にして立っていた。それを馬に乗った帝国軍の兵士達はゆっくりと取り囲んでいく。彼等は皆一様に下卑た笑みを浮かべて兎人族の少女の身体を舐め回す様に見ていた。
「へへっ、いい身体にしてるじゃねえか……。見ろよ、あのデカい胸。これだけでも良い値段が付くぜ」
「なぁ、どうせなら俺達でちょっと味見しようぜ。なぁに、黙ってりゃバレねえよ」
「よーしよし。いい子にしてろよ、そしたらたっぷりと可愛がってやるぜ。俺のモノで、天国にいけるくらいになぁ!」
ゲラゲラ、と帝国軍兵士達の笑い声が響く。それを兎人族の少女はキュッと顔を顰めた。しかし、帝国軍兵士達はむしろその表情にそそられる様に舌舐めずりする。どんなに強がってみせようが、気弱な兎人族ならば少し脅せばすぐに怯えた表情になるだろうと高を括り――。
「———フン、お断りですぅ。この身は偉大なる御方に捧げると誓った身ですから、貴方達みたいな頭の悪そうなお猿さん達には指一本も触れさせたくないですよ」
不意に。気弱な兎人族らしからぬ強気な言葉が帝国軍兵士達の耳に聞こえた。
「………あぁ?」
「鏡って知ってます? 自分の姿が見れる便利な道具なんですけど、貴方達みたいな不細工が使ったら割れちゃうかもしれませんね。貴方達みたいなのでも相手にするのは、せいぜいメスのトロールくらいなんじゃないですか? あ、ごめんなさい。失礼でした……トロール達に」
明らかに見下した目でこちらを見る兎人族の少女に、帝国軍兵士達は青筋を立てた。彼等は凶悪な目付きで兎人族の少女に近寄ろうとした。
「テメェ……調子に乗ってんじゃ、っ!?」
不意に。帝国軍兵士達の乗っていた馬達がバランスを崩した。落とし穴に嵌り、次々と落馬していく兵士達。そして———。
「ガッ、ギャッ!?」
落とし穴の底に竹槍がいくつも敷き詰められた光景を最期に、帝国軍兵士達の意識は閉ざされていった。
***
「どういう事だよ、これは!?」
亜人族の奴隷を引き連れた帝国軍兵士達は、目の前の光景に怒り狂った声を上げた。そこには兎人族の少女を捕まえに行った筈の兵士達の変わり果てた姿があった。
ある者は竹槍の敷き詰められた落とし穴の中で串刺しになって絶命していた。
ある者は木からぶら下げられた縄に絞首刑の様に括り付けられ絶命していた。
ある者は網に絡め取られた上に無数の矢が突き刺さって絶命していた。
いずれにせよ、兎人族を追った兵士達は何らかのトラップに掛かった状態で死体になっていた。
「おい、テメェ! ワザとトラップだらけの道に案内しようとしていたのか!?」
「し、知らないです! こんな物があるなんて、私も初めて知って……!」
帝国軍兵士に詰め寄られ、アルトは慌てて首を横に振った。他の奴隷達も、アルトと同じ様に目を白黒させながら首を横に振った。それを舌打ちしながら、隊長の帝国軍兵士は頭を回転させる。
(この、役立たず共! だが、どうする? フェアベルゲンまでもう少しなんだ。こんな所で引き返すわけにはいかねえ!)
ここで警戒して引き返せば、一番槍の掠奪の
「……テメェらが前を行け」
「え?」
「テメェらが前を行けと言ってんだよ! 俺達の代わりにカナリヤになりやがれ!」
まるで悪魔の様な凶悪な笑みを浮かべながら、彼はぐるりと樹海を見渡した。
「おい、聞こえてっかよ! フェアベルゲンの亜人共! 今すぐ出て来ねえと、テメェらが仕掛けた罠で大切な同胞が死ぬぞ! それで良いのか! あぁん!?」
樹海中に響き渡る様な大声で、帝国軍兵士はがなり立てる。しかし、帰ってきたのは痛いほどの静寂だった。
「……チッ、一人か二人か死なねえと理解できねえらしいな」
ヒュン、と鞭を打ち鳴らした。
「オラァ! 前を歩け、奴隷共! お仲間が仕掛けたトラップを命を張って、俺達の為に場所を教えやがれ!」
亜人族の奴隷達は一斉に顔を青ざめさせる。トラップに嵌って死んだ帝国軍兵士達を見て、それが数秒先の自分の姿になると考えた瞬間に身体が震え出した。一向に動こうとしない奴隷達に苛立ちを募らせ、帝国軍兵士の隊長は再び鞭を振り上げ———。
「……私が前を行きます」
スッとアルトが進み出た。
「アルトお姉ちゃん……!」
「……大丈夫だよ、ルル。大丈夫」
アルトは震える身体を叱咤してルルに微笑むと、息を大きく吸って先頭を歩き出した。その後ろを亜人族の奴隷達は恐る恐る付いて行く。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
まるで地雷原の中を歩く様に慎重な足取りで、アルトは樹海の広間を歩く。額から大粒の汗を流し、緊張のあまりに呼吸が荒くなっていく。
一歩一歩が、死刑台の階段を昇っている様な気分で帝国軍兵士達の前を歩くアルト達だったが、何事もなく広間の中心まで来た。
「あぁ? 何も無かったのか……?」
帝国軍兵士達は訝しんだ顔で少し先を歩くアルト達を見つめ———突然、アルト達の身体が宙に浮いた。
「きゃあああっ!?」
「うわぁあああっ!?」
アルト達は混乱の余りに叫び声を上げる。アルト達は全員が網に掛かり、宙高くへ引き上げられていた。
そしてそれは――帝国軍兵士達から強制的に引き離された事を意味していた。
「なぁ!? お、おい! 降りて来い、テメェ等!」
ここに来て、ようやく帝国軍兵士達はフェアベルゲンに対しての人質達から距離が離れている事に気付いた。慌てて宙吊りにされたアルト達を降ろそうとするが———。
「———感謝するですぅ。
不意に、帝国軍兵士達の頭上から少女の声が聞こえた。バッと彼等が見上げると、そこに木の枝に立った銀髪の兎人族———シアの姿があった。
「でりゃああああっ!!」
ドンッとシアは、ナグモの改造手術で得た力———蹴り兎の“天歩”の固有魔法で、宙を蹴って帝国軍兵士達に急降下する。同時に手に待っていた武器――巨大なウォーハンマーが、ガシャッと音を立ててロケットブースターに点火した。
「げ、迎撃し———」
アルト達を執拗に鞭で打っていた隊長が命令を下そうとする。だが、それよりも早くシアは勢いよく地面に着弾し、激しい衝撃音と共にめくり上がった岩盤に貫かれ、帝国軍兵士達は全員絶命した。