職場で色々とあり、最近は転職活動を行っておりました。その転職活動も一段落して、ようやく精神的な余裕が出てきました。
新しい職場で色々と覚える必要のある事など、不安の種は尽きませんが、ぼちぼち執筆活動を再開していこうと思います。
今回は活動日記で書き散らかした「ナグモがハジメと双子として生まれたら?」というIFネタです。
リハビリがてらに書いた作品ですが、よろしければお付き合い下さい。
南雲愁は手術室の外のベンチで座っていた。両手は祈る様に固く握り絞められ、手から血の気が失せていた。
いま、妻の菫が手術室に運ばれ、医師達に囲まれながら出産の苦しみに耐えているのだろう。
本来ならば念願の我が子の誕生に、愁も期待と緊張で待ち望めた筈だ。だが、彼の顔は焦燥感に駆られていた。
この出産は予定日よりずっと早い。急に体調を崩した妻を車で病院まで乗せ、休診日にも関わらず診察してくれた医師から告げられのだ。
このままでは残った胎児も母体も危険になる為、緊急出産を行わなくてはならない。
もしもの場合は―――最悪の可能性も覚悟して欲しい、と。
「神様……どうかお願いします」
手術室の外で待つ事しか出来ない自分を不甲斐なく思いながら、愁はただひたすら天に祈った。
「どうか妻と子供達が無事であります様に。お願いします、お願いします……!」
***
「帝王切開を開始します!」
「南雲さん、聞こえますか? 大丈夫ですからね」
愁が外で悲痛な気持ちで祈っている中、手術室は緊迫した空気に包まれていた。
医師や看護師達は真剣な表情でメスを握り、あるいは心電図のモニターを凝視していた。
「お願いします……私はどうなっても良いから、どうか赤ちゃん達を無事に……」
「喋らないで! 大丈夫、貴方もお子さん二人も必ず助けます!」
麻酔で意識が朦朧とする中、菫はただひたすら身籠った双子の無事を祈っていた。
そうして医師達が懸命に手術を行い、ついに赤子の一人が取り出された。
「一人目、出ました! 男の子です!」
誰かが叫ぶ。だがすぐに、室内の空気が一変する。赤ん坊の泣き声が続かない。新生児科医がすぐに駆け寄り、小さな体を抱き上げる。
「心拍弱い! 呼吸が……!」
アラーム音が鋭く鳴り響く。モニターのグラフが不規則に跳ねている。
「この子、危ない……!」
「挿管準備、急いで!」
手術室は混乱しながらも迅速に動いていた。しかし、菫にはそのすべてが遠く、ぼんやりとした光と声の渦にしか感じられなかった。
「……た、助けてあげて……お願い……」
彼女の声はかすれていたが、その一言に、部屋中の誰もが一瞬だけ手を止めた。
そして次の瞬間、もうひとりの赤ん坊が取り上げられる。
「二人目、男の子です! 元気な産声確認!」
だが、喜びの余韻に浸る暇はない。部屋の片隅で、医師たちが小さな命を必死に引き留めようとしていた。
「頼む……止まるな……!」
新生児科医が先に生まれた赤ん坊に必死の措置を施す。
だが、彼の必死さを嘲笑う様に心電図のモニターは刻一刻と危険な数値を示していく。そして……。
「……蘇生、停止します」
モニターのアラーム音も、慌ただしかったスタッフの足音も、いつの間にか止んでいた。ただ、沈黙だけが手術室に残されていた。唯一、声を上げているのが二人目に生まれた赤ん坊だけだ。
生まれてすぐに兄弟を喪った赤ん坊の産声を医師達は沈痛な気持ちで聞いていた。
「先生……赤ちゃんは……あの子は、どうなりましたか……?」
二人目の赤ん坊の泣き声が響く中、菫が途切れ途切れの声で聞いてきた。まだ麻酔の影響で目の焦点は合っていないが、何かを必死に探そうとしている目だった。
医師はしばらく、何と答えるべきか迷う素振りを見せていたが、やがて沈痛な顔で口をおもむろに開いた。
「二人目の子は無事に産まれました。ですが、南雲さん。残念ながら一人目は……」
そうして辛い現実を伝え様とした、その時だった。
「——————ケホッ」
え? という声は誰の物だったか。だが、それよりも医師達は信じられない表情で仮説の保温台に振り返っていた。
もう手の施し様がないと諦めた一人目の新生児。
既に呼吸が止まった筈の小さな胸が上下し、胃の中の羊水を吐き出す様に咳き込み始めた。
「心拍……再開してる……!」
「馬鹿な……これは奇跡だ!」
心電図のモニターが再び動き始める。確かに止まっていた筈の赤ん坊の心臓が動き始めた事に医師達は驚きながらも、息を吹き返した赤ん坊に再び措置を始めた。
「南雲さん、もう大丈夫です! 赤ちゃんは二人とも、ちゃんと産まれましたよ!」
「ああ……! 良かった、本当に良かった……!」
菫の目にうっすらと涙が浮かぶ。麻酔が切れてない為にまだボンヤリとしていたが、無事に二人の息子を産めた喜びに満ち溢れていた。
そうして手術室にいた大人達の誰もが一度は諦め掛けていた奇跡の喜びに湧く中―――1人目の赤ん坊の異常は気付かれなかった。
産声を上げる事も無く、赤ん坊らしからぬ理知的な――――まるで人形の様に無機質な目で周りを観察する様に見ていた事に。
***
それから十数年後。
「ちょうどこの駅の最寄りのスーパーだったんだよ、雫ちゃん」
とある駅の改札口で一人の少女が立ち止まる。地元の公立中学の制服を着た黒髪の少女―――白崎香織は興奮気味に連れの少女へ話し掛けた。
「この駅から近くにあるスーパーで、お婆さん達を庇う為に土下座したすごい男の子がいて――――」
「はいはい、その話はもう十回は聞いたわよ」
香織に呆れ気味にそう返したのはポニーテールの少女―――八重樫雫だった。
彼女は何かと暴走しやすい幼馴染みの抑え役としてここにいた。
「でも香織。その男の子が気になったのは分かるけど、この駅で張っていれば会える、というのは可能性が低いと思うわよ?」
雫の指摘はもっともだ。そもそも駅の利用者は非常に多いし、現に雫達以外の学生の姿もちらほらと見える。この中から特定の学生服の少年を探すなど、砂場に落とした針を見つける様な物だろう。
「うう……だって、ちょっとしか見えなかったけど、あの男の子が着ていた制服はこの近くの学校の物じゃなかったし……」
何でこの近くの学校の制服は知っているのかは聞かない事にした。おそらく香織は件の男の子に再会する為に近隣の学校の制服を調べたのだろう。
その意気込みを純粋な恋心として応援するか、ストーカー行為として咎めるべきか雫は判断に迷った。
「だから、もうあのスーパーか、最寄りの駅ぐらいかしか手掛かりが無いの……」
「やれやれ……まあ、今日は部活も道場の稽古も無いし、気が済むまでは付き合ってあげるわよ」
「本当? ありがとう、雫ちゃん!」
満面の笑顔を浮かべる幼馴染みに、しょうがないなあと雫は思った。
理由はともかく、雫も一番の親友の初恋が実って欲しいと思っているのだ。
「え? あれって……う、うそ! 本当にいた!?」
突然、香織が声を上げる。雫も香織の声に驚きながら目を向けると、駅の改札口から黒髪の少年が出て来た。
「ひょっとして……あれが件の彼?」
「うん、そうだよ! ちょっと声を掛けてくるね!」
「あ、香織!」
雫が制止する声も聞かず、香織は一直線に走り出していた。まさに弾丸娘という言葉がぴったりだ。
「あ、あの! あなた、この前にお婆さんの為に土下座していた人ですよね? えっと、私もその時にスーパーにいて!」
黒髪の少年の前に来た香織は興奮気味に話し出した。突然の再会に香織もかなり舞い上がっているのだ。
こんな風に突然話し掛けられたら、普通の人間なら面食らう者がほとんどだろう。
だが……。
「……何だ、お前は?」
「え? その……」
「お前は何だ、と聞いている。聞こえなかったか?」
少年の冷たい声に、興奮していた香織も文字通り冷水を浴びせられた様に言葉を失った。
その顔立ちは確かにあの日、老人を不良達から守る為になけなしの勇気を振り絞っていた少年と同じだ。
だが、目の前の相手からはそんな他人を思いやる優しさなどは感じない。
その顔は人形の様に無表情であり、冷酷さすら感じる目は香織を道端の石ころでも見るかの様に無機質だ。
(違う……あの男の子は、こんな目をしたりしない)
ここに来て香織はようやく自分が人違いをしたと気付いた。だが、黙ってしまった香織に対して黒髪の少年は不機嫌そうな声を出した。
「おい、何を黙っている。お前は何だ」
「えっと……その……」
「香織!」
様子がおかしい事に気付いて、ようやく雫が駆けつけた。
「ごめんなさい。友達が人違いをしていたみたいです。ほら、香織。行こう」
「う、うん……ごめんなさい」
二人は頭を下げると黒髪の少年から立ち去ろうとする。だが、香織は他人の空似とは思えない少年から離れる事に少しだけ躊躇していた。
「待て」
唐突に黒髪の少年から声が掛かる。その顔は相変わらず冷酷な無表情だ。
「お前、僕と同じ顔をした人間に会った事があるのか?」
「え? それは……」
「返事はイエスかノーの二択で簡潔に答えろ。ダラダラと能書きを並べられるのは嫌いだ」
初対面の相手に無礼な少年の態度に雫は眉をひそめる。だが、香織は戸惑いながらも首を縦に振った。
「ならば、おそらくそれは
え? という声は二人同時に漏れた。だが、そんな二人の反応に全く気にも留めず、黒髪の少年は無機質な目で睨んだ。
「それで……僕の弟に何の用だ」
***
「えっと、初めまして……? 南雲ハジメです」
「あ、はい。こちらこそ初めまして。白崎香織です」
香織達が黒髪の少年に声を掛けてから三十分後。
彼女達は喫茶店で二人の少年と向かい合わせに席に着いていた。
「やっぱり……あの時の男の子は貴方だったんだね」
「あはは……いや、お恥ずかしい所を見られたというか……」
一見すると気が弱そうな線の細い少年。
しかし、誰もが不良を恐れて傍観する中で勇気を振り絞った姿を知る香織は、あれが見間違いなどではない事を知って嬉しくなる。
少年―――ハジメもまた、初対面ながら香織の様な美少女に自分の行動を褒められた事で気恥ずかしそうに頬をかいていた。
「……お前、そんな事をしていたのか?」
だが、ハジメの隣に座っている少年は冷たい声を出した。
「前に服を汚して帰ってきたと思えば……そんな下らない事をしていたのか」
「それは……」
「見ず知らずの人間に何故そこまでやる必要があった? お前の身に何かあったらどうする気だった?」
「でも……ううん、心配かけてごめん。兄さん」
ハジメの兄―――南雲レイの言葉にハジメは頭を下げた。
こうして並んで見ると、二人の顔は双子の様にそっくりだ。
だが、雰囲気は決定的に違っていた。ハジメの方は気弱そうだが、他者を慮る優しい雰囲気がある。だが、レイの方が纏っている空気は威圧感すら感じる程に冷たく、他者を寄せつける空気など皆無だった。
「まあまあ。弟が心配なのは分かるけど、その弟くんの勇気ある行動のお陰で助けられた人がいるのは事実だから……」
「それが余計な事だと言っている」
雫がフォローを出そうとしたが、レイはバッサリと切り捨てた。
「全くもって理解しがたい。その老人とやらが“恩や借り”を返しに来るというのならともかく、自分の益にならない相手の為に身を危険に晒すなど、愚かな人間のやる事―――」
「ハジメくんは」
ハジメに対して批判するレイの言葉を遮る様に、香織が少し大きめの声で遮った。
「愚かな人なんかじゃないよ」
「えっと……」
「あ、ゴメンね。初対面なのに名前を呼んじゃって……。“南雲くん”だと、お兄さんと区別がつかないと思ったから」
「ううん、気にしないで! それと……その、ありがとう」
香織に庇って貰った事が嬉しくて、ハジメは照れた様に小さくお礼を言った。レイもそれ以上にあれこれ言う気はないのか、フンと鼻を小さく鳴らすだけに留めた。
「ところで、その制服……ひょっとして、あなた達って東秀学園の生徒?」
重くなりそうな空気を変える様に、雫はハジメ達のブレザーに刺繍された校章を見てそう言った。
「東秀学園? 知ってるの、雫ちゃん」
「ええ。確かここから電車で30分くらいの所にあるエリート校よ。剣道の大会でもいつも上位に食い込む強豪校だから、見覚えがあるなと思ったわ」
「兄さんはね、そこの生徒会長なんだ」
雫の指摘に頷きながら、ハジメはそう言った。
「勉強もスポーツもいつも一番で、夏休みに書いた自由研究も大学の人達に評価して貰ったりとか、そんなすごい実績があるから学校から生徒会長に指名されたんだよ」
「へえ……すごいお兄さんなのね」
「うん。本当に……僕なんかとは大違いだよ」
ハジメの顔に少しだけ陰が差す。それは優秀過ぎる兄と比べて、自分を卑下してる様な響きを雫は感じた。
「自分なんか、という言葉は使うな」
唐突にレイがそう言った。
「お前は僕と同じ体で生まれた人間。僕の同位体と呼べる存在。ならば、お前も僕と同じ優秀な頭脳を持って当然の筈だ」
それはどこか自信を失っている弟を自分なりに元気づけようとしている様にも見えた。少なくとも雫はそう感じた。
「ふうん……?」
同じ事を香織も考えた様で、興味深そうに双子の兄弟を交互に眺めた。
「うん、私もそう思うよ。ハジメくんの良かった所、少なくとも私は知ってるよ。だから、お兄さんと比べて卑下しないで」
「え、えっと……ありがとう、白崎さん」
「香織」
え? とハジメは声を上げる。
「香織って呼んで欲しいの。こっちはハジメくんの事を名前で呼んでるのに、私だけ他人行儀に呼ばせてるのは変でしょう?」
「いや、でも……女の子の名前をいきなり呼ぶのは抵抗があるよ。白崎さ――」
「か・お・り」
「う……」
香織はジーッとハジメを見つめる。それは梃子でも動かないと初対面のハジメでも分からせられる顔だった。
助けを求める様にハジメは残り二人を見たが、レイは我関せずと何やらスマートフォンを弄っており、雫は「諦めなさい」と言う様に苦笑していた。
「えっと……香織、さん?」
「うん♪」
その後、香織とハジメはお互いのメッセージアプリのアドレスを交換しあい、その日は解散となった。
香織達と別れた後、レイは改めてハジメに言った。
「ハジメ。あの女はお前が不良から老人を助けた事を評価したが、お前は自分の身を軽々に危険に晒した。その事を僕は評価すべきでないと思っている」
「兄さん……」
「お前の身に何かあったら愁さんと菫さんが悲しむ。その事は留意すべきだ」
「……うん、それはごめん」
両親を引き合いに出され、ハジメは素直に謝った。
「僕も……
「兄さん?」
ナグモの発言は字面だけ見るなら、家族愛に溢れたものに聞こえるだろう。だが、ハジメはどこか違和感を覚えた。
まるで両親やハジメ自身に対して、自分の事は一線を引こうとするレイの言葉が気になっていたのだ。
「僕も、兄さんの事は大事に思っているよ」
気が付けば、ハジメはレイに素直な気持ちをぶつけていた。
「兄さんは勉強も出来て、スポーツも一番で、尊敬する兄さんだと思ってる。だから……」
その先の言葉をハジメは言えなかった。
何故か―――レイがどこか遠くに行こうとしている。
家族である自分達の前から、ある日突然いなくなってしまうのではないか。
そんな不安がハジメの心に過っていた。
いなくならないで。その言葉をハジメは呑み込んだのだ。
「そうか」
レイは一言だけ、そう言った。ハジメもこれ以上、この話題を続ける気になれず、気を取り直すように話し掛けた。
「帰ろう、兄さん。母さん達が待ってるよ」
「ああ、待て。お前は先に帰れ。僕はやる事がある」
やる事? とハジメは振り向く。だが、レイはいつもの様な無表情を見せるだけだった。
その手には、喫茶店で弄っていたスマートフォンが握られていた。
「なに、大した用事でもない」
***
「ひっ……ひっいいいっ!!」
とあるビルの建設現場。建設途中で建築法違反が発覚した為に工事が中断されてしまい、今は作業員もおらず、そして建設会社の杜撰な管理で警備も行われてない為に不法侵入した少年達の溜まり場となった場所。
いつもの様に仲間達とつるんで親や教師などの目から隠れて飲酒や喫煙を行っていた少年達だったが、そこで惨劇が起きていた。
「……どうした? もう逃げないのか?」
「な……何なんだよ、おめえはよぉっ!!」
かつてスーパーの前でハジメに土下座させていた不良少年は、涙でグチャグチャになった顔で自分が土下座させた少年と同じ顔の少年―――レイに向かって震えながら怒鳴った。
ここは「ちゃんとしろ」、「バカな事はするな」とうるさく自分達を束縛する大人達から逃れ、気の合う仲間達と好きな事をして騒げる彼等の
―――――その仲間達は、今や血溜まりの中で物言わぬ死体となっていた。
「なんで……なんでこんな事……!」
ほんの十数分前の出来事を思い出す。
いつも通り学校をサボって、家にも帰らずに溜まり場で仲間達と駄弁っていた彼等の前にこの少年が現れたのだ。
最初は自分達の縄張りに入ってきた少年を彼等は威嚇した。その時、ふと思い出したのだ。目の前の少年が、自分達に往来で恥をかかせた(と当人は思っている)少年と瓜二つだと。
それに気付いた彼等は馬鹿にした笑みを浮かべ、この少年で憂さ晴らしをしようと取り囲んだのだが……。
「まったく……十年以上暮らしているが、この国は本当に面倒だ」
レイは表情を変えないまま、今やすっかりと怯えて縮こまる不良少年を前に独り言を言った。
「許可がなくては銃の所持も儘ならないとはな。お陰で
その手には……白と黒の二丁拳銃が握られていた。
拳銃の造形は現実の軍人が持つ様な実用さはなく、SF的な装飾が施された見た目は特撮ヒーローの玩具の様にも見えた。
だが、その装飾銃が玩具でない事を不良少年は知っていた。額を撃ち抜かれた仲間だった
「ハジメから薦められた射撃ゲームでも、ある程度の訓練は行えるが……やはり、たまには
そして不良少年は気付いてしまう。銃という現代日本ではあまりお目にかかれない武器を持ったレイ。
その目は圧倒的優位な立場にある事に優越感を感じてるわけでも、暴力に酔っているわけでもない。
ただひたすらに冷たい目。言葉通りに自分を射撃の的ぐらいにしか見ておらず、同じ人間としてすら見ていない。それに気が付いてしまった。
「い……いやだ……いやだあああああっ!!」
不良少年は走り出す。恐怖のあまりに足はもつれ、漏らして股間に温かい染みを作った情けない姿だが、死にたくない一心で廃ビルの出口に目掛けて走り出す。だが……。
「で、出れねえっ! 何だよ、これ……!?」
建設途中である為にドアや窓も取り付けられておらず、コンクリートの外枠だけの出口。
それだというのにまるで透明な壁があるかの様に、不良少年の行く手を阻んでいた。必死に殴ったり蹴ったりしてみるものの、不可視の壁は破れる気配がない。
「け、警察! 警察に……!」
ビルから出れないと理解した不良少年は手をガタガタと震わせながら、携帯電話を使って通報しようとした。
だが、画面に無情にも『圏外』の表示が現れる。
「なんで……なんでだよっ! ここは山の中じゃないだろ!? なんで通じねえんだよ!!」
カツン、カツン―――。
助けを呼ぶことも出来ない事態に不良少年が喚き声を上げる。だが、背後から聞こえてきた足音に彼の背筋が凍り付いた。
そこにはつい数日前に土下座させた軟弱そうな少年と同じ顔をして、二丁の拳銃を持った死神の姿があった。
「ま、待って……なあ、待ってくれよ」
逃げることなど出来ないと悟った不良少年は、その場で跪いた。
恐怖に震えながらも精一杯の愛想笑いをして、拳銃を持った死神に媚びようとする。
「わ、悪かったって。お前の弟? だかを土下座させた事は謝るって! 嘘じゃねえ、そいつの前で土下座して詫びを入れる! だ、だから……」
ガタガタと震えながら両手を祈る様に組み合わせる。
学校の勉強も何もかも中途半端に投げ出していた彼は、生まれて初めて必死な気持ちになっていた。
両目から涙を流し、引き攣った愛想笑いを浮かべながら哀れみを誘う声で命乞いする。
普通の人間なら、あるいは彼の必死さに免じて許したかもしれない。
「うるさいぞ、低脳」
だが、レイはその姿を見ても表情を変える事は無かった。
最初から全く表情の変わらない―――人形の様な無表情。
「お前みたいなゴミが―――じゅーる様の御子孫を害した。だから廃棄処分する。それだけの事だ」
パンッ―――。
炸裂音と共に、不良少年の額に穴が開いた。
***
「片付けておけ」
<
“ユグドラシル”で『
「そういえば……
召喚された『
そこには表情が薄いながらも、もう十年以上も帰っていない
「獲物が溶けていく様子を観察するのが好きだったと記憶しているが……フン、何が楽しいのか全く分からん」
肉が焼ける様な臭いと共に不良少年達の体が骨ごと溶解していく。地面に散らばった血もナメクジが這う様に移動するスライムによって拭われていた。ここで惨劇が起きたなど、一見して分からなくなるだろう。
スライム達が問題なく死体の処理をしている事を確認して、ナグモはまず不良達を逃がさない為に展開していた<
(ここ一帯の監視カメラを全てハッキング。同時にこの
この瞬間―――街中の電子機器は全てナグモの支配下に置かれた。
至高の御方により、超科学の申し子として創造されたナグモ。彼からすれば、地球の科学文明で作られたネットワークシステムを改竄するなど朝飯前だ。
ナグモのハッキングにより、不良少年達の電子情報上の記録は全て書き換えられていく。ハッキングの痕跡すら残さず、街中の防犯カメラだろうが携帯電話の位置情報だろうが、彼等の足取りは別の情報に書き換えられた。
改竄後の情報では、彼等はこれより数日後に自殺の名所である樹海で行方不明になる手筈だ。もちろん、その際に彼等の親族にメールで遺書が送信される為、ナグモが彼等を殺した事実は完全に闇に葬られる。
(ふむ、これで良いか。それにしてもハジメには困ったものだ……)
自分が不良達を殺した痕跡を全て消した後、ナグモは自分の“双子の弟”という事になっているハジメについて嘆息した。
(僕と同じ容姿だというのに、その思考回路はさっぱり理解できん。どうして関係ない人間の為に自分の身を犠牲にするのか……)
ナグモなりに納得のいく答えを考えてはみるものの、“人間嫌い”な冷酷な科学者として生み出された
(まあ、いい。今回の様に僕がハジメを害する者を先んじて排除すればいいだけの話だ。なにせ―――ハジメとその両親は、じゅーる様の御子孫の可能性が高いのだから)
……それは今より十数年前の事。どこか気落ちした様子のモモンガからナザリックで労いの言葉を貰った日、気が付けばナグモの意識はこの地球に生まれたばかりの赤ん坊の中にいた。
最初は混乱の極みにあったが、幸いな事に体が若返っただけで頭脳と魔力は健在だった。
そうして両親となった人間達の目を盗み、赤ん坊の小さな体に不便さを感じながらも、地球のネットワークシステムにアクセスして自分の置かれた状況を推察した。
(ここはおそらく――――“ユグドラシル”の時代より遙か未来の時代。かつて読んだ北欧神話がそれを示しているのだろう)
地球ではゲルマン民族の信仰を集約した物語。しかし、北欧神話をベースとした“ユグドラシル”のNPCであるナグモには所々の解釈を間違えながらも現代に伝わった自分達の世界の歴史だったのだ。
(北欧神話ではないが、るし☆ふぁー様など過去の地球に存在した証は示されている。ならば、ハジメとあの両親はやはり、じゅーる様の御子孫の可能性が高いか……)
自分とそっくりの容姿で、双子として生まれてきたハジメ。そもそもナグモの姿自体、かつてじゅーるが亡くなった息子を模して作ったのだ。そしてハジメの姓名は
(僕が何故、この世界に転移したのか。それもハジメの双子の兄として生まれたのか、判明してない事も多い。だが、これはきっとじゅーる様のお導きだ)
それこそが今のナグモにとって全てだった。
この世界に魂の故郷であるナザリックはなく、じゅーるが与えてくれたガルガンチュアも無い。
だからこそ、じゅーるの子孫と思われる人間達に尽くす。
至高の御方の血を引く南雲家に降りかかる危険を排除する。
それこそが意図せずにナザリックから離された
トゥルルル……。
不意にスマートフォン(超科学の申し子であるナグモからすればガラクタ以下だが)から着信音が鳴る。
画面に映った着信先を確認したナグモは電話に出た。
『もしもし、レイ? いま何処にいるの?』
この世界においてはハジメと自分の母親(という事になっている)菫から電話が掛かってきた。
『先に帰ってきたハジメから途中で別れたと聞いたから心配したのだけど……』
「……いえ、ご心配なく。つまらない雑事を
電話先の菫に対してナグモは礼儀正しく答えた。
『? そう。よく分からないけど、早く帰ってらっしゃい。今日は貴方の好きなハンバーグよ』
ナグモの人形の様な無表情がピクッと動く。心なしか、嬉しそうにしてる様にも見えた。
『あ、帰りに付け合わせに使いたいからブロッコリーを買ってきて貰える?』
「……野菜は抜きでお願いします」
『もう、相変わらず好き嫌いばかりするんだから! ハジメのお兄ちゃんでしょう? 野菜もちゃんと食べれる様になりなさい!』
仮初めとはいえ自分の母親の言葉にナグモは少しだけ渋面を作っていた。
……後ろで死体や血痕を片付け終えた『
>南雲レイ(ナグモ)
このルートにおいて、ハジメの双子の兄として転生したナグモ。
正史において、ハジメの出生時に死産した双子の身体に宿っている。レイという名前はゲームプログラマーである愁が「0(レイ)と1(ハジメ)。コンピューターのプログラミングの様に、兄弟で協力して色々な事が出来る子になります様に」と願いが込めて名付けた。
最初は赤ん坊に転生した事に酷く混乱したものの、幸いな事に頭脳とステータスはNPCの時とは変わらなかった為、生まれてすぐの時点で両親の目を盗んでネットから情報収集が行えた。
その際に北欧神話を含めた地球の歴史などを知り、「この世界は“ユグドラシル”よりずっと後の時代」と確信している。そしてハジメ達一家を「じゅーるの子孫」と思っており、ナザリックに帰る手段が見つからない現状では、「じゅーるへの恩返しの為に尽くすべき相手」と思っている。
そんな事情もあり、ハジメ達との家族仲は(人間嫌いのナグモにしては)概ね良好。
両親もナグモの並外れた頭脳に驚かされる事はあるが、ハジメ共々に愛情をもって接している。
ただし、ハジメ達一家は原作よりも裕福になっている。
例えば―――愁のゲーム会社を著作権もろとも買収しようと圧力をかけた大企業は、ナグモが驚異のM&Aを行った事で、愁の会社は規模を拡大させた。
例えば―――漫画家の菫の作品に対して、人気を妬んだ古参の漫画家があらぬ噂を流して人気を失墜させようとしたが、その漫画家の個人情報を含めたスキャンダルがネット上に流れて菫の漫画が雑誌の看板作品に繰り上がった。
例えば―――ハジメを虐めた者は、生徒会長という立場を得たナグモによって徹底的に潰され、時には謎の失踪を遂げた。
……“人の心”を未だに知らないNPCは、自分の創造主の子孫と思われる人間達の為に今日も暗躍する。